2022-01-24

学者不道徳であれ」というのはそれほど間違っていない

以下のツイートとそのブコメ着眼点一面的で残念だったので考えを述べる。

ツイート

@koshian

というか学者なんてのは真理探求のために一般よりずっと不道徳であることが認められたり奨励されたりするもんでしょ

道徳観念で固められてたら死体解剖も動物実験もできないっしょ

https://twitter.com/koshian/status/1485127978162229252

ブコメ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/koshian/status/1485127978162229252

不道徳であることを恐れる学者学問に対して不誠実だ。

学問哲学というものは新しい物事発見概念創造であり、

とき世間に対して世界観道徳観の変更を迫る。

その変更が主流派にとって受け入れられないものであれば不道徳批判される。

自由保障されない政治体制では弾圧されることだってある。

しかし主流派が受け入れられない飛躍的な世界観の変更こそが

パラダイムシフトと呼ばれるような重大発見であり、学者はそれを目指すべきだ。

 

中世神学的な道徳に反してコペルニクス地動説を主張したり、

ニュートンが地上も神の世界である宇宙も同じ自然法則物体が動いていると証明たからこそ、

素朴な感覚に反して実験と理性が導き出した世界観採用する科学という営みが生まれた。

それを継承して相対性理論量子力学遺伝学を生み出し、人類科学技術はここまで発展できた。

逆にソ連では共産主義的に道徳的なニセ科学あるルイセンコ農法を採用し、

大量の餓死者を発生させ、正当な遺伝学社達を投獄・粛清して生物学の後退を招いた。

学問のために不道徳であることを恐れない学者と、道徳のために学問を利用しようとする学者だったら

おそらく後者の方が問題を引き起こすであろう。そもそもそれは学者ではなく活動家だ。

 

では、学者道徳必要ないのか?

ダビンチや平賀源内時代は間違いなく解剖という当時としては非道徳で奇妙な行為必要だった。

現代だって治験という人体実験必要とする。

ただ現代では過去の失敗やいざこざがあってこういう手順でしましょうねって基準がある。

そういった基準を守る方が、世間理解を得られて研究資金得られるし、

手順が洗練されるから効率的安全学者本人のためにもなる。

そういう意味での道徳はあった方がいい。道徳的に不道徳学問をしよう。

  • 解剖が不道徳? なんで? 生きてる人間を殺して解剖するなら不道徳だけど、そうじゃないでしょ

    • 養老孟司は本人が解剖に同意してたのを承諾してなかった遺族に「こんなに侮辱されたのは明治維新以来だ!」てホッペ叩かれたんだゾ!

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