はてなキーワード: ラッキーとは
1600円分。1600円分入ってるICカードを、ネコババしてしまった。
道端に落ちていた。どうしようか3秒考えて、とりあえず自販機で残高を確認してみた。そうしたら、1600円。
これが500円だったら、ラッキーだな、と思ってコーヒーを買って、それで終わりだ。しかし、1600円。psアーカイブスのゲームが3本も買えてしまう。やっぱりどこかに届け出るべきではないのか。
しかし、1600円の魔力が俺の足を恐るべき方向に向かわせた。
気が付けばブックオフにいた。欲しかった本が7冊も買えた。余ったからやっぱりコーヒーも買った。それでちょうど、0円になった。ぴったり使いきったのだ。
文庫本以外も買ったから、俺のカバンは滅茶苦茶重くなっていた。誰かの1600円はこんな重さなのか。時給2時間分はこんなに重いのか。と、心が重い。
彼らが完全に滅びてくれればラッキーだなと。
みかんの花咲く丘公園駅前の繁華街の百貨店に勤める知り合いがいて、
関係者のみのそういうに招待してもらったの!
こういう日は、
現地に行ったら下回ってるところおおくて、
期待したほど、なんというか。
平常時は、そんなしけたたけしな顔しないでよ!ばりの料理じゃない。
だからそんな日は超豪華なのよねー
北海道産ホタテの貝柱バター焼きの包み蒸し揚げのおろしポン酢かけ返し風味盛りの海産、
揚げたての気合いの入ったやつが美味しそうに並んでるの。
そんな、イモばっかり食べてないで、
虎ばりに肉かじる様に、虎虎虎!
肉行きましょ、肉!肉!肉!
究極虎のごとし!
まさに、文字通りの
血湧き肉躍る酒池肉林みたいな。
木からぶら下がってる肉に飛びつく虎のようよ。
目の前つるされニンジン馬の肉版ね。
春先に恥ずかしそうに、
まあ、今の時期夏本域の暑さじゃないので、
まだ夜寒いのが玉に瑕だったけどね。
うふふ。
いつも一生だわね。
変わらないのがいいことなのかもね。
なんでもないようなことが、
幸せだったと思う。
255章まで歌っちゃうわ。
それなんだけど、
茶葉って混ぜてもいいものかしら?
今度試してみようかな?
うふふ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
私の夫は激務と呼ばれる類で深夜帰宅あたりまえ、休日出勤もよくある。
でも休みができると必ず二人でブランチしたりドライブしたり、まぁはたから見ると仲良しに見えたはず。
だが、セックスレスだった。
1年たったころには半年に1度あるか?くらいになっていた。
結婚後は1年に1度…?ある?くらいだった。
夫は疲れててそんな気持ちにならないんだ…って自分を納得させた。
実際、普通の会話中で
なんて笑い話をされたりして内心傷ついてた。
疲れてるっぽい切り返しで、
2度断られたら、悲しくてもうこちらから誘おうという気持ちにはなれなかった。
今思い出して書いても涙出てきた。
セックスって疲れるよねーと話していた夫、
負担にならないように、疲れないように、楽しめるように
とか考えながらした。それでもできたことが嬉しかった。
ラッキーなことに2度目でできた。
今は家族が増え、やっぱりはたから見ると何も問題ないような生活をしている。
あの時思った「私はもうセックスできないんだな」という気持ちは
家族が増えた今 昔ほどは思わない。
けどふと思い出して悲しい気持ちになることはある。
外でしたいわけじゃない。
浮気をする気もないし、自分から積極的に出会いを求めるようなこともしたくない。
でも、もう一生しないんだ
と思うと悲しい。本当に悲しい。
どんどん老けていく自分が悲しい。
「相手も淡白で」って書いてたけど
それって本当かな?って思ってる。
相手は淡白にならざるをえなくなってない?
セックスって、大切だと思う。
相手への思いやりや、尊敬や、態度が、がかわってくるよ、本当に。
こちらの態度もそんな感じになる
大切に思ってるけど、もう「男」じゃない。
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追記
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すべて実話でフェイクはないです。
以前より仕事はずっと楽になっている。
次は 要するに私を「そんな」風には見れなくなっている、的な感じで言われた。
実際には
「まぁ子供もいるしねぇー」
「やりにくいよねぇーははは」
と、いつものように悪びれもせず。
きっと、本当、本心なんだと思う。
ずっーとスタイルには気をつけた。
見てくれもずっと最大限で努力をしている。
でも、だめみたいだ。
どうやらそこではないのか。
夫は
将来お前が先に死んだらどうしようー俺どうして生きればいいかわからないよ、と話す。
私の事が大切じゃないわけではなさそうだと信じている。
数年前、数年ぶりにセックスできた日があった。
すごく嬉しかった。
求められる喜びを感じて胸がいっぱいになった。
その後の日々は
いつももっと優しくしたい、もしかしたらまた来週できるかな、いや再来週かな
いつかな、
どきどきするな
どんな風に話すとプレッシャーなく誘えるかな
大好きなビールも買っておこう!
なんて
「男性」として見て接する日々に変わった。
少し、優しくなる
って感じだと思う。
でも、結局その1回だけで。
2度以上はもう誘えず
またふりだしにもどる
私の目も、また「長男」への目になってくる
そういうふうに切り替えていかないと
辛くて、気持ちを処理できないんだ。
そんな目で見たくないよホントは。
でもそう見ないとこのやり場のない気持ちはどうすればいい。
でも、
したくないけどしよっか なんていわれたら 100%断る。
処理じゃない。
「あなたじゃだめなんだ」
という言葉は、
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私は 今は波がたっていないので
現状を受け入れ、穏やかに過ごしている。
読んだ。
https://togetter.com/li/1117700
ひとつ気になったのだが、「熊本城」という例を出したO氏は、T記者からこのような反応がくることを、先に予想していたのだろうか?
まだまだ復興は遅れていて、壊れたままの家で梅雨や台風を迎える不安な母の心の支えになっているのが熊本城です。熊本城に観光客が集まり、復旧のための寄付が集まり、元の姿に戻る日を心待ちにしている。同じ思いの人たちは多いと思う。それを「戦争のために作られたものだし復旧しなくていい?」
侮辱するのもいい加減にして欲しい。
こういう反応を引き出したのは、まとめサイトから判断するかぎりたった一つのツィートで
議論において、相手を矛盾に追い込む。そういうときには、「相手」にとって矛盾だと作用するものでなくてはならない。
「相手」にとっての矛盾、とはどういうことだろうか。よい実例が、このツイートの前のやりとり、JSF氏の指摘で展開されている:
…AERAって朝日新聞系ですよね?実はこの零戦を飛ばしたレッドブルエアレースの後援を、朝日新聞がしているのです。つまり朝日新聞は「戦争を反省しつつ零戦かっこいい」という精神状態を肯定していると思うのですが如何でしょうか?レシプロ戦闘機は現代の戦争にはもう役に立たない存在なのです。
零戦レシプロを批判すれば、朝日新聞のグループ社員として、エアレース後援をしている組織の方針と食い違ってしまう。
零戦レシプロを黙認したら、自分がAERA記者としてツィートした内容を取り消さなくてはならなくなる。
相手がAERAの記者でなければ、このような矛盾は「矛盾」にはならない。「朝日の方針がおかしいんです」の一言で切り捨てられる。
しかしT記者はAERAのライターだ。AERAは朝日の出版物だ。朝日の出版物なら、朝日新聞の方針に従うに違いない。
・・だと思っていたら、「組織の考え」と「私の立場」は違う、という形で、矛盾の間をすり抜けられてしまった。
げげ。それは知りませんでした。組織の考えは分かりませんが、私の立場は変わりませんよ。現代の戦闘に役に立たないものをなぜ復活させる必要があるのか、石塚氏が過去に出演したチャンネル桜の2回の放送をご覧になったらいかがでしょう。
ここは、身軽に構えたT記者のほうが一枚上手だった。
しかし、次のO氏の指摘は、表面上は「相手」にとっての矛盾に追い込む形にはなっていない。
この時点で、T記者と熊本城とのつながりは、いっさい明らかにされていない。
だからその分、相手を追い込む形にはなっておらず、威力は低い。
熊本城になんの思い入れもない人だったら、熊本城のおかれた環境と、零戦のおかれた環境は違います。くらいの逃げを打ててしまう程度の話。
しかし実際には、冒頭にあげたような、激烈な反応が返ってきた。
最初っからAERA的なものが嫌いなネトウヨ勢だけではなく、中間層にいる人たちにも「そ、その侮辱ってのはあなたがエアレースを楽しんだ人にしたことじゃない?」とドン引きさせる効果があった。
零戦レシプロを黙認するなら、元の議論を取り消さなくてはならない。
零戦レシプロを批判するなら、同じように「戦争のために」作られた熊本城の復建にも反対しなくてはならない。
こういう矛盾が、熊本出身で、熊本城の復建に寄付までしている、ほかならぬ「T記者」にはとても有効に作用するだろう・・とO氏は他の情報ソースから知っていたのだろうか?
元々、ドラマ「相棒」が好きで神戸尊くんで及川さんに興味を持った。
何かで神戸くんを演じる及川さんは歌を歌っているらしい、と知った。気になった私はYouTubeで及川光博の名を検索したのだった。変な歌だと思った。アホな歌詞だなぁと思った。変だアホだと思いながら3回聞いた。それが始まりだった。
「ペンフレンド」という曲がある。
10代の君に言えることは
最高の笑顔でいて欲しい
この歌詞に何度泣いただろう。今となっては何に悩んでいたのかも忘れてしまったけれど、きっとそのときには何かあったのだ。時間は過ぎていく、大丈夫と言われることがとてもありがたかった。10代の私のための歌だと思った。
また、こんな歌詞もある。
10代の僕なら君のこと
絶対に恋しく思うだろう
こんな私でもいいのか、と思えた。今はミッチーにとって私は小娘だろうけれど、もしミッチーも私と同じ10代だったなら。こんな風に悩んでいる私でもいいのかととても嬉しく希望だった。
私の10代は終わった。
10代の私への歌は、20代の私の歌ではないように思えて「ペンフレンド」を聞くたびに救われた気持ちを思い出すと共に、もう、この歌は私を励まさないな、と思ったのも事実だった。
20代になっていいことなんてミッチーのワンマンショーに自由に行けるようになったことだけだ。
ワンマンでミッチーがバラードを歌っていた。何度か聞いたことのある曲「ガールフレンド」という曲だった。
私はワンマンでは楽しく踊れる曲が好きなので「ダンディ・ダンディ」しないかなとなどと別のことを考えたりしていた(今回ダンディ・ダンディはなかった。残念。)。
ぼーっと聞いていたのに歌詞が私に入ってきた。
どうか迷わないで
つらいときには呼び出して
僕はいつも味方だよ
ずっと君の味方さ
10代が20代になったくらいで何だというのだろう。ミッチーの歌はいつだって私を励ました。今だって「ペンフレンド」を聞いては大丈夫だと言い聞かせ、元気になりたい時には「バラ色の人生」を歌い、何度聞いても「今夜、桃色クラブで」には笑っているじゃないか。
ミッチーにまた教えられた。
それに10代の頃に「時間は過ぎてゆく」と学べた私は何てラッキーなのだろうか。その10代があってこそ20代の私なのだ。
どんなことがあっても時間は過ぎてゆく、ずっと私には味方がいる。
Twitterで、高校時代に同級生の悪戯で怪我をし、重い障害を負ってしまったバスケットボール選手の手記がリツイートされてきた。
彼の怪我の原因となった「悪戯」は、着席しようとした彼の後ろから椅子を引いて転ばせるという、小学校低学年以下がよくやるやつだ。
僕は、高校生にもなってそんな事をする奴がいるということに驚いた。普通、そういうのは小さい時に誰かにやったりやられたりする経験を通して、やってはならないものと学ぶものではないのか?
僕も幼稚園の頃、隣の席のA子ちゃんによくやられてはべそをかいていたものだ。あれをやられて転ぶと勿論とても痛いし、皆に指差しで笑われるので恥ずかしい。
執拗に椅子引きをするA子ちゃんに僕は腹が立ったので、一度仕返しにやり返した事があった。そしたら、あまりにも上手く行きすぎて、A子ちゃんは派手に転倒、大きな音を立てて尻餅をつき、号泣した。
こんなはずでは……、と、僕は思った。
思い返せば、あの頃の僕は椅子引きをやられ慣れしてしまっており、転ぶのが上手になっていたみたいで、もーなんだよぉー!と言ってすぐに立ち直れたので、A子ちゃんも転んだらそうするだろうと無意識に期待していたのだろう。
だがそうはならなかった。
幸いにも、小さな子供の尻餅だから、A子ちゃんは怪我をしないで済んだ。けれどもA子ちゃんは、痛みにも仲の良い同級生に欺かれる事にも慣れていなかったので、その心理的な傷は甚大だったろうと思われる。
以来僕達はパタッと椅子引き"遊び"をやめた。
あれをやっていたのは僕達だけではなかったけれども皆パタッとやめたのは、あの件でA子ちゃんが大泣きしていたのと僕が先生からめちゃめちゃ怒られたのを見たからだろう。
僕は加害から、A子ちゃんは被害から、あんな事はしてはならないのだという事を学んだ。
椅子引きは、怪我をするからいけない。そして友達を騙し辱しめる行為だからいけない。
僕の経験は幼稚園の頃の話で、お互いまだ体重の軽く、ぷくぷくとして柔軟な身体の幼児だったお陰で大怪我をせずに済んだから、ただ泣いたり叱責されたりで済んだ。
これが大人や大人に近い子供の体格の人がやられたら大変な大怪我をするか、下手すると死ぬ。
それを僕が学んだのは、小学校中学年位の頃、理科の授業中だった。
近く、全校生徒で市営のスケートリンクに赴きスケート教室を受ける事になっていたんだけど、ある生徒が理科の担当をしていた先生に、「先生はスケート教室行かないんですか?」と聞いた。
先生は担任のクラスを持っていない人(何か役職のついている偉い先生だったのだ)なので、そういう学外活動の日は学校でお留守番なのが普通だったんだけれども、先生は、もし同行しなければならないとしても、
「ぼくはこの歳になってまでスケートなんかしたくないですよ、だって、転ぶから。」
と言った。
それで教室は爆笑の渦になったのだけれども、先生はおもむろに黒板に図を描き始めた。
まずは地平線の様なもの。
それで説明して曰く、
「君達は小さいので、転んでリンクに大の字に転んでも、打つ面積はたったこれだけです。だがぼくは大人なので、コケればこんなに沢山の面積を打つのです。それはとても痛い。しかも大人は体重が重いですから、打った時の衝撃に自重が加わり大変な事になります。君達が擦り傷で済む様な事でも大人は骨折したり打ち所が悪ければ死ぬのです。だから大人はスケートなぞするもんではありません」
何かをしなくて良い理由というのを、その様に論理的に説明された経験が僕にはそれまであまりなかったのもあったし、とても分かりやすかったので、この話は強く印象に残った。
と。
また、自分が平気と思う事でも他人は大きなダメージを受ける事もあるんだという事を、改めて学んだのだ。
A子ちゃんとの事や理科の先生の話は、何気ない日常のひとコマだったけれども、その後の僕の運命を大きく変えたのかもしれない。僕は他人を怪我させないように気を配るようになったのだから。
しかし、世の中僕みたいに幼少期に大事なことを教えてもらえる人ばかりではないのかもしれない。
そういうのを長じるまで完全にスルーして来てしまって、ちょっとしたムシャクシャや悪戯心で他人にちょっかいを出して大変な事故を起こしてしまうという事もあるのだろうか。
小さい頃からなのだけど、思い続けると叶ってしまうラッキーな体質らしい。
あまり熱心に思い続けることはないのだが、大抵のことは叶えてしまっている。
好きな人も射止めて来たし、欲しい収入を得られる希望の仕事にも就けた。
なのになんでなのかな。
なんか、全然満たされないんだよね。
こうなりたい!と思い続けてる間、時間も労力もかけてたはずなのに、全然達成感とか無い。
ラスボス倒す段階になると途端にやりたくなくなるRPGみたいだ。
そういう人生なのかもしれない。
7年つきあった彼女が33歳になった時、結婚するか別れるかしてくれ、と言われて別れたことがある。
当時、俺は29歳で彼女とは正直惰性でつきあっていただけだった。もっと若くてかわいい子と出会ったらすぐさま乗り換えようとしていたぐらいで、彼女のことはどこか下に見てたような気がする。年収も地位も彼女のほうが上だったが、彼女から言われてつきあっていたし、彼女の容姿はいいほうではなかったし、三十路を過ぎた女ということで、俺はかなり横柄な付き合い方をしていた。我ながらサイテーだ。
別れ話になった時も、気軽にセックスできなくなるなー、まあもめずに別れられてラッキーか、なんて思っていた。そもそもATMになるのはゴメンだし、結婚なんて自由がなくなるだけと思っていたから。
実は彼女はとある業界ではそれなりに名前が通っていて(Wikipediaに項目があるくらい)、その相手もまたその業界の彼女よりも有名人だったから、ビッグカップルとか言われて界隈では結構な話題になったのだ。
以降、彼女の夫はことあるごとに結婚生活は素晴らしい嫁は素晴らしいという発言をネット上で繰り返し、すっかりおしどり夫婦として定着している。俺は同じ業界ではないが、隣の業界くらいではあるので嫌でも目に入る。彼女の夫は言うのだ。嫁は料理が上手くて、穏やかに話し合いができて、子供にもめぐまれ、大変ではあるが助け合って幸せに生きていると。
今からサイテーなことを言う。サイテーであるのは分かっているが、それを目にするたびに「その女は俺と結婚したがってたんだぞ」という気持ちが湧いて仕方ない。後悔してるのかもしれない。こちとらは彼女と別れて5年、若くてかわいい子とは出会えていない。一瞬つきあった子もいたけれど、やはり彼女ほど1を言えば10通じるような関係にはなれなかった。
彼女の夫がいま手にしている幸せな生活は俺のものだった。こんなことを思ってはいけないのだろうけれど憎い。そんな気持ちを止められない。
この間、母が亡くなり、久しぶりに兄に会ったら、離婚していた。
「お嫁さんには、いい人ができたみたいで、何もいらないからと出て行ったのよ」
と言われた。
兄は、3度結婚したが、いずれも若い、10歳以上年下の相手ばかりを選んでいた。
楽な生活をしたい、金目当てな女性が寄ってくるので、何度も結婚できるのだろうと思っていた。
3人の妻は、いずれも、外車を乗り回したり、短期留学したりと、派手な生活をしたがっていたようだった。
そういう価値観のすれ違いから、愛想をつかされて、妻たちに逃げられた………と私は思っていた。
この間、3番目の前妻、元姉に会うまでは。
偶然会った元姉に近況を伝え、甥の成長を聞いているうちに、話がはずみ、聞いた離婚の理由。
このままでは、息子ともども生きていけないから。
いっしょに行けば、買い物の代金は払うが、食料品や生活必需品以外は絶対買ってくれない。
仕方なく、母と姉に預けて、朝と夜とパートを掛け持ちして働くしかなかった。
話を聞きながら、羞恥心と怒りで、目の前が真っ暗になった。
以前はこう思っていた。
元姉は、結婚してからも、子どもが産まれてからも、働くことを止めなかった。
母や姉からは
「働かなくても食べられる生活費はもらっているのに、意地になって働いている」
と聞いていて、私も子どもを母に預けてまで働く元姉を軽蔑していた。
なぜ、そこまで、金が欲しいのか。
思い返すと、その前の妻、そのまた前の妻、どちらも、
「お金がない」「お金がない」と文句ばかり言っていると、母がこぼしていた。
そう、私は、思っていた。
恥ずかしい。
「いつか変わるかと思ったが、まったく変わらないので、もう、待てないと思って家を出た」
申し訳ない、本当に申し訳ない。なにも気づいてあげられなくて、申し訳なかった。
恥ずかしさと怒りしかないのだが、母の遺産を相続するために兄には会わなければいけない。
兄からは「現金で1000万円ぐらいでいいだろ?」と打診されていた。
実家の土地建物、アパートや駐車場を考えたら、安過ぎないかと思って保留にしたが、
やはり、きっちりとって、彼女に少しでも援助した方がいいのか。
いや、断られるか。
連絡をとってもいいものか。
こんなクズの弟が。
菊川怜の夫に婚外子が4人いた、しかも、養育費もまともに払っていないというニュースを見て、
“なんてクズだ”
と怒りがこみ上げて書いた。
クズが肉親で恥ずかしい。