はてなキーワード: ベッキーとは
「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。 」
日本国憲法第31条に明確に規定されているこの言葉は、いくらか人によって解釈が違う。例えば刑事罰に於いて犯罪者に対し口頭での罰や晒し刑などは当然存在せず、また誹謗中傷の類は生命或いは自由を奪うものではないとして、ネットリンチを正当化するものがいる。(ただし31条に関係なく名誉毀損罪として訴えられるケースは多々ある)不倫報道が出れば当たり前のようにネット中で罵詈雑言が書き込まれ、しかもそれが正義などと囃されたりする。
何度も人に言ってきたことだろうが、上記の通り法律の手続きなくして個人個人が他者を不当に罰することは法律上認められるものではないことを忘れている人間が少なからずいるようである。ネット私刑と言ってネット上での私刑行為を問題視する動きもあるが、時折それはネット上でのみ私刑が行われるというような、問題をある概念に閉じ込めてしまう不可思議なロジックを感じることがあるためここに明言しておきたい。ネット以外でも私刑というのは存在する。
姦通が行われて、復讐のために一方が他方を害するというのはときおり聞く話である。(弁護士局部切断事件((某大学の法科大学院に通う青年が、妻の浮気相手である男の局部を切断した事件))が一例)ただ、この場合は強姦されたと勘違いした男側の凶行だったそうだが、率直に言って、強姦であっても私刑が認められるということはありえない。強姦だから、大切な人を殺されたから、自分の尊厳を著しく傷つけられたから……感情的には理解できる理由だし、被害者の権利などを損なうつもりもなく、また加害者を守ろうという意志もない。ただ私刑がいけない。というより、これらは私刑でもなんでもなく明確な「犯罪」である。当然、それを行った人間は(さらにいえば、そこが正当な法治国家であるなら)他の犯罪者と同様に裁かれる。
ただし、裁判において情状酌量がないわけではない。例えば尊属殺重罰規定違憲判決(実父殺害事件((実父から恒常的に性交渉を迫られて、父との子供まで出産し夫婦同然の関係を強いられていた女性が父親を殺害した事件)))のさいには被疑者側の事情や心情などを斟酌して、合憲違憲の判断に関わらず、すべての裁判所が能う限り量刑を軽くする方針を示し、その過程において尊属殺の法令を見直し違憲に至ったという事例があるし、平たく言えば、裁判官だって鬼ではない。同じ犯罪であっても同情の余地がないものは重刑となるし、上記の通り減刑されることもあるだろう。
一体なにが言いたいかと言うと、被害者、あるいは被害者親族と加害者間に於ける私刑は、それが行われた時点で法律上明確な「犯罪」として認識され、刑法に則った判決が下されるということ、第二に、私刑という観点からのみ指摘できる事由ではないこと、第三に一般的にそれは個人と個人との事件であるということである。親族を殺されたものが復讐のために加害者を殺せば当然罪に問われるし、そのさい殺害に至った様々な問題(メディア・リンチ、経済的、精神的な救済の不十分)が見直される。さらに言い及ぶなら、すべての復讐殺人などをなくそうというのは極端に言ってすべての犯罪をなくそうと言うようなもので、私刑のような一義的観点から捉えられるものではないものの、明確な「悪行」として判断できる事由として扱える。
栃木実父殺害事件がどれだけ同情の余地があろうと無罪になることは決してない。あの京都認知症母殺害心中未遂事件でさえ、刑は執行されたのである。さきほど法律は鬼ではないと言ったが、だからといって温情に充ちているわけでもない。設けられた基準の範囲内で酌量するだけのことである。
ところが、第三者がアジテーションの如く私刑を推進したり、「この事例に於ける私刑はいいけど、この事例に於ける私刑はダメ!」などと何故か私刑を差別化しているような人間をままみる。全部駄目だ。
ネット以外でも私刑があるとは言ったものの、それが私みたいな一庶民にまで広がってくるツールはだいたいネットで、こんな日記を書き出したのも「不倫をしたやつにはこうしてやれ!」という攻撃的な文体とともに男性器(おそらく偽物と思われる)を女性がジャンプして踏みつけ続けるという奇天烈な動画を見てしまったからである。最初も私は「なんだ、過激なジョークだ」と笑っていたが、それに寄せられた一連のコメントを見ても冗談ごとではないようだった。しかも動画を投稿した人の(動画自体は拾い物らしいが……)発言が「女の方が男より二倍浮気をしやすい。だから、女が浮気したときは熱した金属を流し込め」などというもので、ひどく戦慄した。もちろん、こんなものは広いネットの世界におけるごくごく一部の一例にしか過ぎない。だからネット上、引いて現実でこのような復讐が認められているなどとは思わない。
けれども、どこかしら皆「悪人なら攻撃したっていいだろう」と思うところがあるかもしれない。しかし、それは間違いである。どんな理由があるにせよ悪行は悪行である。「あいつムカつくから攻撃してやろうぜ」というのと全く変わらない。いじめられる方が悪いなどと言って逃げる場合もあるが、いじめ自体が悪いということに変わりがない。どれほど正当化したところで絶対の誤りである。
世間は非常に大きなうねりを持った流動的な性質があるので、一個人の考え方だけが改まってもしようがない面がある。だからこそ線引が難しい。私刑を撲滅したいからと言って一人ひとりの言論や行動に政府や法律が過干渉すれば、それはディストピアである。ただ、逆説的に言及すると、ディストピアにせざるを得ないような民衆が力を持っているのも考えもので、人によっては、ある程度制限された世界のほうがずっと平和のように思うかもしれないのである。それはネットによって個人個人が情報発信能力を持つことで、なんの権力も地位ももたない一般人も、言動や論理性、道徳的な真偽など情報発信するものに必然の悩みを抱えなければならないからこそ、より切実に考えられるべき問題なのである。ネット私刑なんてものは、人々が出す機会もなかった攻撃性や偏狭な視点が顕在化した結果生まれる単語であり、その本質には一部の人間が私刑を……もっと悪質であれば、自分のストレスの発散のために他人を陥れることを良しとしていることにある。それに対抗するためには、その考えを持つ個人を糾弾するのではなく、その考え自体を批判しようという姿勢が大事だ。「罪を憎んで人を憎まず」と言う言葉には深い含蓄が込められており、この私刑問題を考えることによって再確認することができるだろう。
こういうことを聞いて少しは反省するもの、この考えに肯い「そうだそうだ」と声を上げるもの、犯罪者がいるなら石を投げるのが正義だと考えるもの、いろいろいるだろう。もしこの文章を見て少しは私刑を改めようと思ったとき、こういう風に考えてみてほしい。
「自分は知らず知らずのうち、こうした行為をやってしまってはいないか」と。
私もそうするようにしている。これは悪いんだなー、なんて悪いやつだ、と考える前に自省する。これがとても重要である。窃盗をしたものを馬鹿だと笑ってみても、よくよく思い出せば幼少期に、冗談ごとで済まされたとは言え窃盗じみた行為をしていたかも知れないし、いじめは良くないと憤る人が、いじめまがいの行為を無意識にしてしまっていたということもありうる。罪を犯さない人は理想的だが、そうそうそんな人は現れない。ぜひ、私刑を嫌う人も考えてみてほしい。「私刑を嫌った結果、私刑を行う人々に、また私刑じみた行為を働いてはいないだろうか」。殴る、蹴る、罵詈雑言を吐く、情報が消えづらいネットに個人情報を流す、ありもしない話をまことしやかに流布する……。こんなものはすべて私刑である。
余談だが不倫事件で話題になったベッキーと川谷絵音氏の事件で、ネット上に不倫が許せないあまり過剰な罵詈雑言が散見されることに苦言を呈していた増田へ、「不倫したいからそんなこと言うんだろう」とか「不倫しなきゃいいじゃん」とか、「人の性だから仕方ない」とかいうコメントがつけられていて驚いたことがある。きっとあの増田にとっても予想外のコメントだったと察されるが、それらのコメントを見てどのようなことを思ったのだろうか……。
マジ電通が裏で糸引いてんじゃねえのかって勘ぐるわ
まあそれはどうでもいいんだけど
最終的に勝ったから
こんなん認めたらさあ、1点先行した時点で試合終了まで鳥カゴやればいいってことになるよね
文句言われたら戦術だから!ルール内だから!勝ったから!負け惜しみ乙!って言えばいい
決勝トーナメントは一試合も落とせない重要な試合が続くことになるわけで
すべての国がこんな考えでサッカーしたらどうなる?前半で1点先行したチームが
試合終了までずっとパス回してんの。こんなん誰も観なくなるだろーが
日本の今回の行為はサッカーという競技を殺すことになる絶対にやってはならない禁じ手なんだよ
とはいえ選手には責任はない。彼らは監督の指示に従って100%プロの仕事をした。立派だと思う
だから悪いのは西野監督。かれは批判されなくてはならないしもう二度とあんなことは
しないと誓わなければならない。サッカーが好きな子供たちのためにも。
ルールの範囲内なら何してもいいだなんてあるかよ。あんな無気力試合見せられるより
ラフプレーのほうがマシだ。勝利への執念が感じられるし観てるほうも熱くなれる
違法でなければ何やってもいいってお前らベッキーや前川事務次官ぶったたいてろーが
まあそれはどうでもいいんだけど
とにかく今回は済んだことだからしゃあない
私は、人生をどれだけ効率的に生きれるかを試してる人種かも知れない。
男女差別に憤るステージはもう終わって、逆にこの不平等な中でどれだけ効率的に生きれるかみたいな諦めのステージに移行している。
顔面が可愛いとか可愛くないとかいう感性が、人より鈍いと思う。
私にとってその人の顔はその人の顔ってところで終わっていて、可愛いとか可愛くないとか考えるところまでいっていない。
あと、Kulakova Sonyaさんとかはめちゃくちゃ顔面がかわいいと思ったりもする。
インスタで唯一フォローしている。
でも、世間一般の顔面が可愛いの基準がわからない。いっそ比率とかがあったら楽だと思った。
私にとっては友達はみんな存在が可愛いし、みんな違った良さを持ってる。価値のある人間だと思う。
AKBの子たちも、みんな明るそうで、笑顔が似合う存在に見える。
そして、顔に黄金比があるというのを最近知った。比率あるじゃん!
私には世の中がわからない。
男か女かなんて、毛根の数が奇数か偶数かぐらいどうでもいいことじゃない?
毛根の数が奇数だからかわいくあれ!とか、礼儀正しく偶数を立てろ! とか、偶数は辛いことも耐えろ耐えろ耐えろそれが偶数らしいということだ! とか言ってる人がいたら正気を疑うよな。私は疑う。
確かに性機能(身長や筋肉のつき方なども含む)は違うからそこに差異はあるし、そこは尊重し合わなければならないけど、それ以上でも以下でもない。
だから、健康診断で男女で分けるのはわかるけど、テストで男女別の平均出すのとかそういう分け方は意味がわからないよな。
同性同士だろうが異性同士だろうが、本人たちが幸せならなんの問題もない。むしろ幸せバッチグー!! じゃん。笑顔で拍手する。
他の人にそれをジャッジされて何か言われる筋合いはないし、外様は本人たちの幸せを侵害する権利がないことに気付こうよ。
あと、たまに同性同士だと子供が生まれないから人類が滅亡するとかいう人がいるけど、そんな程度で滅亡するような種なら滅びたほうがいいと私は思う。
無理矢理異性と結婚して、子供を作って、その無理した個人は、人類のための歯車としてしか生きられていない。
そんな悲しい生き方を強制する権利を持つものはこの世界にはない。
高二の時に、授業の雑談の一環として、ゲスの極み乙女の川谷絵音さんとベッキーとの不倫騒動について誰が悪いのか話題に出た時の違和感を覚えている。
それは本人たちの問題じゃないのか?
不義理なことをした芸能人が謝っているのはなぜカメラに向かってなのか?
当事者間で謝ればいい。
けじめをつけるために。今回の騒動で心を乱してしまったファンのために謝る。
まあわかる。
でも、なんだか世間は、自分に裁判官の権利があると誤解してしまっているようにも感じる。
今までその人たちに興味もなかった人たちが、事件が起こると集まって、裁判官のように振る舞う。
そういった自分に気づいているんだろうか。
ツッコミたいこと。
増原さんと東さんが社会影響考えて離婚するかしない相談してた時期がどれくらい長かった分からないけど、そこさっぴいても不倫の期間あったんじゃない?とか。
増原さんと東さんで子ども欲しかったときの精子提供者への態度とか。
祝福してる人たちはLカミングアウトした人だから、勝間さんだからってフィルターかかってるんでないの。そういうあれこれ、周りの知ってる人に置き換えたら、えーーーってならないの。想像力働かせれば。まじかよって気持ちに少しなりませんか?
でもブコメはLGBT公表してすごい!みたいな祝福ムードいっぱいでえーーーってなる。差別しないように意識しすぎて逆差別になってるみたいな。
LGBTが本当に浸透してたら"異性愛"の有名人カップルと同じようにディスられてたと思うんだよ。
でもまだ時代がLGBTを受け入れよう!っていう段階だから。まだ上から目線で助けてあげようっていう段階でしかないから。
そういう時代において、勇気をもって有名人が公表することに意味があるんだろう。
きっと時代が進む一歩になってるんだろう。
そして時代が進んでLGBTもすっかり普通になったら、普通に、いやいやあんたら交際期間かぶってませんか?みたいにやっとツッコミいれられるんだろう。
しかししかし、もうこの現代においてもワイドショー的な、週刊誌的な、人の恋沙汰にあれこれいうのは野暮だしダサく前時代ということになっている。ベッキーほっといてやれよってなる。私もそう思う。
だから結局この増原さんと勝間さんには今も未来も何も言えない。ツッコミは入れるべきじゃない。
突然頭の中に「カジくんじゃない?」が浮かんできた。さくらんぼブービーのネタだ。1回テレビで見ただけだけどすごく好きだった。
wiki見るともう解散してたけどカジ君はピンでサンミュージックでやってるっていうからサンミュージックのタレントリスト見てた。
有名なのはベッキーにカンニングの竹山、安達祐実に塚本高史、メイプル超合金、ダンディ坂野に髭男爵、小島よしおに城咲仁、スギちゃんに植松晃士とあまりパッとしないのだけど(安達祐実と塚本高史は好きだけど)、その他大量の売れない芸人の中に突然現れる片山さつき(業務提携)はなんなんだ。
塚本高史って一時期「いつかはゆかし」って怪しげな金融商品のCMに出てたけど事務所がショボいからあんなのに出させられてたんかなぁ。安達祐実も他の事務所ならもっと仕事取れそうな気がする。
山口メンバーがお金持ちとはいっても2000万円払うことは簡単ではない筈。
いや、仮に山口メンバーの資産が100億円有ったとしても2000万円は2000万円だ。
何が腹立つと言って
テレビで被害者の親が「親としては決して許すことは出来ない」とか「(山口は)娘の気持ちに向き合って今後は…」とか言ってたこと。
それが親の言うことか。
「彼は2000万円というけじめを付けたので我々としてはもう忘れる」
「山口氏がよりよい人間になることを願う、いずれにせよ我々はもう関係無い」
せっかく忘れるためのけじめも付いたことを
「決して許すことは出来ない」とか言って誰の得になるのか説明してみて欲しい。
それで娘がよりよく生きられるのか?
そんなことはないな。
親のお前がなんか気持ちよくなるのか?
そもそも何かされて「絶対許すことが出来ない」とかいう人間はクズの中のクズだ。
まして相手が少なくとも詫びを入れていて、大金という形を作ったのに、
それを受け入れながらなお「許すことが出来ない」とかいう奴はクズ中のクズ中のクズだ。
クズをやってると周囲のことも不幸にするが、報いは何よりも自分に来る。
悪いことをしたら詫びる、金を払う、これが当然だし、
悪いことをされた側だってそういう形を付けられたら許して忘れるべきだ。
でなければ生きていけないではないか。
川谷とベッキー2人とも金を持ってるんだから、数千万を川谷の妻に渡して詫びを入れる。
川谷の妻はそれできれいに忘れて数千万をもって新しい人生に進む。
そしてそういう形を付けたなら世間も元妻もそれ以上その件で川谷やベッキーを憎んだり責めたりしない。
水に流す。
(これ以上のことが有るというなら是非反論をつけてみて欲しい。)
世間はあの2人をリンチする必要などなく、ただ川谷ベッキーがきちんと金と詫びを入れるのを促して見守ればよかった。
既に2000万円と詫びを入れて決着を付けている山口メンバーがここまで世間にリンチされるのは納得できないし、
詫びの当事者である被害者の親が「決して許すことが出来ない」とか言ってるのは呆れ返る。
じゃあどうすれば山口メンバーのことを許すのか。
「決着を付けてない余罪はあるまいな」という方向の追求ならわかるが、
既に2000万円払っている件でリンチされてるのは見るに耐えない。
さだまさしの「償い」とかいう歌を喜んで聞いている人間は変態性欲者である。
あの歌の根底にあるのは、人を殺した奴はいつまでも「事件に向き合って」後悔し続けるべきろ、という憎しみだ。
あれから建設的なもの受け取れるとすれば「保険にはしっかり入れ」という教訓ぐらいだ。
(あんな馬鹿なものを裁判で引用した不見識な裁判官までいるらしい。説教ぐらい自分の言葉でやれ。)
自分と関係の有ることでも「絶対許せない」なんて口走る人間はクズの中のクズなのに、
自分と関係の無い&既に決着済みのことをリンチして楽しんでる人間は救いようがない。
そもそも山口メンバーより山口メンバーの事務所の社長の幼姦ホモへの天誅を求めるべきではないか?
あのホモは今回の事件より遥かに支配的な関係の中でより幼い被害者相手により性的な搾取を繰り返したパワハラセクハラホモであると