はてなキーワード: バイクとは
年老いても人一倍オシャレに気を使い、カッコ良くあろうとするコピーライター。
一方、2030年の人間はみな性格が良く、服装に無頓着で見栄を張ろうとしない。
良い服を着て競い合うのは老人だけ、ダンスクラブに入り浸るのも老人、バイクを乗り回すのも老人。
独り暮らしでこれからもずっと独りで生きていくのに、やたらに広い部屋を借りてしまった。
年齢制限で会社の独身寮を追い出され、部屋を探す必要があった。趣味の料理を楽しみたかったので、広いキッチンのある部屋を探したのだ。ところがさすが田舎だ。独身向けのアパートは独身寮とほぼ変わらない6-9畳間+しょぼいキッチン、みたいな学生向けワンルームみたいな部屋しかない上に、大学すらないから球数が少なく、クソ田舎のくせに、月5万。5万以下は築45年とかだ。流石にそんなとこには積極的には住みたくない。そして、キッチンがある程度広い部屋となると、ファミリー向けの2DK以上になってくる。だがさすが田舎だ。それでも、前述の独身向きアパートに数千円足す程度の家賃で借りれる。私が居た大学周辺なんて、学生向け物件なら4万、ファミリー向けは6.5万からだった。この田舎の家賃ギャップの無さは、ずっと独身で暮らす奴が本当に少ないっていう田舎特有のアレだろう。
ともあれ、私は広い部屋を借りたのだ。大学の学部を短縮卒業、修士号とって田舎に就職。仕事の同期の中でも最速で出世して、同年代の雇われの中じゃかなり良い条件で働いてると思う。独身寮で家賃も激安だったので、金だけはあるのだ。これは数少ない私の自慢だから盛大に褒めてくれ。キッチンも私の使いやすいように可逆改造したし、1部屋丸々趣味の部屋にした。自転車2台を室内保管した上でスピンバイク置いてもまだスペースが有るし、寝室と分けられる。寝室にはセミダブルベッド置いて横幅140cmのPCデスク置いて室内ハンガーラック置いても、まだスペースが有る。トイレもUターンするスペースがあるからちゃんと座ってションベンできる。独身寮でのトイレ、ドアと便器が近すぎてUターンするとズボンが便器に擦ってすごい不快だった。独立洗面台もあって、室内に洗濯機も置ける。浴室も十分な広さがある。広い部屋は掃除が面倒くさい、って言ったやつは誰だ。十分なスペースが有る、すなわちバッファがあるから掃除は多少時間がかかっても、心理的にはかなり楽になったぞ。なんなら最近ルンバ買ったからそれすらも無い。たまにルンバじゃ難しいところを掃除するくらいで済む、めっちゃ楽だ。そして靴箱!これは独身寮のほうの問題がデカいのだが、靴箱がなかった。靴箱を置く場所もなかった。靴箱よ!靴箱!一番必要だったのは靴箱!そんで傘立て!玄関舐めてた。玄関広いってマジでストレスフリー。さらに駐車場付きだ。車好きの私としては、もう東京に住むなんて選択肢は完全になくなってしまった。金ためてスキルつけて都会に転職、なんて考えてたけど、仕事もそこそこ楽しいし田舎でも車さえあれば全く苦労しない。関東に戻る理由が皆無になってしまった。
というわけで、心にめちゃくちゃ余裕ができた。広くなった心にだいぶ虚無が入りこんだが、まあええやろ。私は独りでこの広い部屋を好きなように使えるのだ。年収が3倍になるくらいのオファーでもないかぎり、多分関東には帰らないだろう。帰ったとしても、母校の周辺くらいのちょうどいい田舎だろう。
広い部屋、めちゃくちゃいい投資だった。私の顔のデカさを考えれば、そりゃ2LDKは必須だった。それ以下で暮らすのは、1Lの容器に2Lの水を入れようとするがごとき愚かな行為だったのだ。私の心や器が広く、大きくなったのではない、今まで圧縮されていたのだ。ちゃんと正しいところに住めば、小指の爪くらいまで圧縮されていた心は私の額くらい広くなるし、器はおちょこの裏から私の足くらいデカくなる。
思いついた順。順番に意味は無い。
・田舎の道路は舗装されて無いのがあたりまえだった。ごく一部が舗装されていたが、舗装はコンクリートだった。アスファルト舗装はまだほとんど無かった。
・川にかかる橋はまだ木と土でできていた。わずか数年のうちに、全部コンクリート造りに作り変えられた。その時の橋がまだ現役。
・石炭がまだ日常的に使われていた。学校の隅の方には石炭を積み上げておく小屋があって、冬は当番の子供がその日のストーブで燃やす石炭を小屋から教室に運んでいた。炭の燃えカスの掃除は先生がやってくれていた気がする。石炭ストーブが石油ストーブに置き換わると、石炭小屋は鶏小屋に改装されて、学校でニワトリを飼っていた。
・火鉢や七輪がまだ現役だった。火鉢の中では炭を燃やして暖をとっていた。
・掘りごたつの底は格子状になっていて、その下で炭か何か燃やして暖を取る構造だったが、それは当時すでに廃れていた。電熱線を使った電気ごたつが安くて便利なので、かなりはやくから普及していた気がする。
・家にかまどがあった。物ごころついた時にはもう使われなくなっていてプロパンガスだった。お年寄りの家ではまだ現役でかまどが使われていた。
・洗濯ものは川や湧水のあるところでやっていた。湧水は出口すぐが飲用水の採取場所、数m下ると食器や食べ物を洗う場所、そこからさらに数m下るとそれ以外を洗うもの、と順番が決まっていて、いつもだれか数人の主婦が何か家事をやっていた。水道が普及するといつしか誰も使わなくなり、掃除されなくなり、廃れた。
・秋には落ち葉のたき火で焼き芋を焼いて食べるのが定番のおやつだった。
・農業に使うかごなどが、まだ藁で作られていた。この伝統は数年後にはすっかり無くなってしまった。
・村の加治屋さんがいて、農機具の修理などをやっていた。
・軽トラックが普及しはじめていたが、農道がまだほとんど整備されていなかった。車が通れない歩行者用の山道を、天秤棒をつかって前後に思い荷物をぶらさげて運ぶという仕事がまだあった。
・コンクリートブロックを使って塀を作るのが流行り、みんなで競うように塀を作っていた時期があった。へー。
・車はどの車も数年でサビサビになった。今のような耐久性のある焼付塗装がまだ開発されておらず、車検のたびに車の塗装をやりなおしていた。車検とはある意味、車の塗装をやりなおすイベントだった。
・街へ行くたびに、あちこちでボコボコビルが建ち始めていた時代。1970年より前に建築されたコンクリート作りのビルというのはかなり珍しいが、1970年代にはめちゃめちゃ大量のコンクリート造りのビルが建設されて、日本の街の風景が一変した。
・いまはシャッター街となっている田舎の商店街に、もっとも活気があった時代。
・軍隊帰りの教師が現役でいた。ゼロ戦の特攻隊の訓練生だったとか、広島に原爆が投下された後の遺体を積み上げて燃やす作業をやったという教師がリアルに居た。多くの大人たちが原爆のキノコ雲の目撃者だった。
・家を建てる時、壁は土壁だった。そのへんの土に藁を混ぜて建材として使っていた。土壁の中の芯は細い竹を格子に編んだものだった。
・貯金の金利がめちゃめちゃ高かった。しかし実際には金利以上にインフレになったので、真面目に貯金した人はむしろ損をした。
・缶ジュースは当時から1本100円だった。子供には高級な飲み物だった。
・お豆腐屋さんに毎日お豆腐を買いに行っていた。田舎でも数100mも歩けば、一軒は豆腐を豆から作っている豆腐屋さんがあった。
・主婦が買い物に行くときは、細い竹を編んだような、かわいらしい買い物かごを持って買い物に行っていた。レジ袋などというものはまだ無かった。せいぜい紙袋。
・生ゴミはかまどで燃やして処分していた。灰は肥料として活用された。街のゴミの収集車は、不燃ごみの回収が主だった。
・冠婚葬祭は、5人組といわれる隣近所のグループで協力しあって、自宅で行うのが当たり前だった。
・どこの家にも子供がいた。夜は外出を厳しく制限された。今思えば、どこの家庭も夜になると夫婦でセックスして楽しむのが当たり前だったんだろう。
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・子どもは神社やお寺の境内に集まってよく遊んでいた。缶けりとかが定番だった。
・そんなド田舎にもエロ本はあった。子どもたちが拾い集めたエロ本の隠し場所が神社の床下だった。
・雨の日はよくトランプしていた気がする。
・こたつのテーブルの板をひっくりかえすと麻雀用の緑のフェルトが貼ってあった。
・蛍光灯が爆発的に普及したのがこの頃だった。電球よりずっと明るいので最初はみんな驚いた。
(しかし、統計を見ると子どもが減り始めたのもこの頃。電球の方がエロい気分になりやすかったというメリットはあったのかもしれない)
・バスには運転手のほかに、切符を売ったり、バックする時に誘導したりする車掌がもう1人乗っていた。それがワンマンになったのも昭和50年代
・国鉄で荷物を送るときは、包み方にめんどくさい規定があって、紐で縛ったり指定のタグをつけたりしなくてはならなかった。
・昭和50年代に複数の宅配便会社が競争で一気に普及して、国鉄で荷物を送ることは全くなくなった。
・女子の体操服はブルマだった。バレー部が人気だった。部活やマラソン大会では女子が校外を体操服(下はブルマ)で走っていた。
・ダンボールは既に普及していた。ダンボールが普及する前は農作物は木の箱に入れて出荷していたらしい。使われなくなった木の箱がよく他の事に転用されていた。
・そんなド田舎でも新聞と牛乳は毎朝届いていた。牛乳はビンに入っていた。
・学校の校舎は当然木造。体育館も木造。今思うと、体育館のような大きな建物が木造っていうのは当時としてはなかなか凄い事だったんじゃないかという気がする。
・バイクといえばスーパーカブのことだった。それ以外のバイクは見たことが無いレベルだった。
・車と言えば軽トラだった。それ以外の車も見かけたが、変わり者扱いされるレベルだった。
・仕出し弁当とかは薄い木で作った箱に入っていた。プラスチックや発泡スチロール製のトレ―が普及したのも昭和50年代
・幹線道路なのに1車線のところがあり、ときどき渋滞でにっちもさっちもいかなくなって警察を呼ぶことがあった。
・リヤカーを引いて魚を売りに来るおじさんがいた。スーパーカブに山ほど靴を積み上げて靴を売りにくるおじさんもいた。富山の薬売りもいた。
ツムツムガチ勢は気を悪くしないでほしいのだが、過去に「会社で天気と飯とツムツムの話しかしない人がいる。こちらに問題があるのかと思ったら本当にそれしか話題がないらしい(趣味もなにもない)」というツイートを見た。
当時、周囲には趣味にまっしぐらな人が多かったこともあり「盛るなよww」と思ってた。無知だった。そんな奴死ぬほど居るということを社会人やってるうちに気がついた。
子持ちの先輩社員から「主婦に暇な時は普段何してるのかと聞くとツムツムと答える奴がやたら多い」という話を聞いた。
世の中の全ての人が絵や文字をかいたりゲーマーだったりキャンプしたりバイクに乗るわけじゃないのはわかってるけど、それでも「ツムツムしかやることのない人間」っていうひとつのレッテルだよな、と。
前の職場にも「趣味は食べること(食べる行為そのものが趣味)」みたいな人がいたけどその人もずっとツムツムの話してた。食べるのが趣味って行為に重きを置いてるタイプはまじで会話広がらなくてびびる。会社の人なんてそんなもんかもしれないが。
同期も似たようなこと言ってたの思い出した。「あの先輩もツムツムの話ばっかりしてるよ」って。
さっき脇道から幹線道路へ出てきた軽バンを避けようとしたバイクが横転して
バイクから投げ出されたおじさんが軽バンのお兄ちゃんにこっちが青やったろ!と怒ってたけど
・「河川敷に住む路上生活者」は、多くが安定的な”家”を持っているホームレスである
・「河川敷ホームレス」は、公園や駅舎に住むホームレスとは少し違った人たちである
・「河川敷ホームレス」は国や自治体が行うホームレス政策にも左右されずに暮らしている
良識あるリベラル側に立とうとして、自分の無知や偏見をむき出しにしてない?
大丈夫?
《わかってない連中》
pero_pero 生活困窮者を奇妙な生態の生き物扱いしてて困惑した。好きでやってるんちゃうで…
hase0831 バチバチの無知と無意識の差別がつるんと剥き出しになっていて心底怖かった…
pero_pero 生活困窮者を奇妙な生態の生き物扱いしてて困惑した。好きでやってるんちゃうで…
TownBeginner ホームレスをただコンテンツとしてしか消費しない姿勢が「恐ろしい」と感じたし、この姿勢を自分もどこかでとっていないか注意しなければいけないと思った。こんなにおぞましい文章になるんだ。
cj3029412 気が狂っていてよい。“生きかたが違うからこそ、相手のやりかたを見て気づけることがきっとたくさんある。そんな期待とワクワクと共に、おじさんたちの訪問を続けている。”
niseki 無邪気な人たちですね
mEGGrim 何様の目線なんだろうな“そこからホームレスの意外な一面が浮かび上がってきました。cakesクリエイターコンテストの優秀賞を受賞した、異色のノンフィクションをお届けします”
《わかっている連中》
kurimanju 既にコメ欄にあるけど坂口恭平の「TOKYO0円ハウス」はめちゃくちゃ面白い。合法的に自動車バッテリーもらってきてバイクのライトに接続して灯りを得る話とか、自分も路上で暮らせると錯覚させるほどエピソードが具体的
okesagaki 坂口恭平の本の方がよっぽどこういう人たちへのリスペクトがあって良いよ。
neet_modi_ki noteを見るに取材対象者との信頼関係はありそうだし支援もしてるようだけど。 https://note.com/atorie 生態学的観察はもっと露骨に村田らむとかがやってるけどね…ほっこりな文体との食い合わせに違和感があるのは分かるが
2000年の12月24日、父が死んだ。バイクでの事故だった。当時の私は8歳だった。
あまり良い家庭とは言えない家に育って、家族の仲は悪かった。今でも母も父も嫌いで仕方がない。両親は反対を振り切って私を生み、親戚らには関わらないようにしていた。父は酒を飲めば私や弟に暴力を振るったし、母はただ静かに泣いていて解決をしようとしないだけの人間だったような家だった。4人暮らしの6畳1間のアパートの壁は経年劣化だけじゃなくて父が暴れた際の傷でいっぱいになっていたのを覚えている。
最近見つけた、7歳の時の作文には父が知らない女に金を使い旅行に行けなかった悲しみが綴られていた。その時の女は私が学校から帰ってきたら父と何やらしていたのが印象に残っていて、大人になってからそれが明確な不倫だと知った。
酔っていない時の父は寝ているか、二日酔いで吐いているかのどちらかだった。
8歳のクリスマスが近づいて、今年のクリスマスプレゼントは小さなクリスマスツリーの下にプレステ2をお願いした手紙をサンタに宛てて置いていた。この頃の父は酒を飲んでも飲んでいなくても暴れ、暴力を振るい、私たちは常に怯えていた。
そんな父がある日突然家の中で遊んでくれた事があった。父は私と弟を可愛い子供の若く良い父親を演じる小道具として扱っていたから外では優しかったけれど家の中で遊んでくれたのは後にも先にもこの1回だけだった。突然の父の豹変に戸惑う事も無くただただ喜んで遊んでいた。かくれんぼをした。父が乱雑に積まれた服の中に隠れていたのを全く見つけられなかった。意味の無い話もした。内容は全く覚えていない。
その年にサンタは来なかった。
父のバイクの後ろに何故か乗っていた明るい包装紙に包まれたプレステ2は事故に巻き込まれてグシャグシャになっていた。
その後の事はあまりよく覚えていない。
年が明けて気が付いたら苗字が変わり、更に古いアパートに母と弟と3人で暮らした。
今年、12月になったら私は苗字が変わる。10年付き合った人と結婚をする。
あの日亡くなった父の年齢は超した。
私は良い母親になれるだろうか。
信じられないかもしれないけど、お父さんの小さいことから今まで、なんか残したいなと思ったから、書く。
お父さんのお父さん(祖父)と、お父さんのお母さん(祖父)も、何にも残せてないから、こういう環境があったということを残したい。
お父さんは、あの九州の山奥で生まれ育った。四方を山に囲まれて、冬は日が照るのは11時頃から14時くらい頃までで、道の氷が一日中溶けない。
家は村の借家で、鍵もなく、隙間だらけの平屋のボロ家でした。縁側の戸は、ガラガラと開けるやつで、隙間だらけだから、風が入ってきて、ガタガタ鳴る。
冬は寒くて、寝てても息が白かった。だから、布団を何枚も重ねて、重たい布団で寝てた。だから今でも、布団が重いほうが落ち着く。
風呂は隣の人と共同で、順番に入ってた。五右衛門風呂で、下から木で焚く。五右衛門風呂に入る時は、木の板を両足でバランスよく底に沈める。
木の板は、すのこみたいに隙間がないと、うまく沈まない。でも側面が熱い。だから背中とかが五右衛門風呂いつかないように絶妙にしゃがみながら直立してた。
五右衛門風呂は、とにかく熱くて、我慢して入ってた。そういえば、「1、2、3、・・・」って十まで数えさせられてたのを思い出した。
「肩まで浸かんなさい」、「10まで数えなさい」とよく言われてた。風呂って、こんなに我慢しなければいかんのか、と思ってたから、いまだに浴槽に浸かるのはすきじゃないし、
熱い風呂は苦手。
でも、2才くらいまでは、タライに入ってて、お母さんにガーゼで腕や手の甲を拭くように洗ってもらってたのははっきり覚えてる。たらいのお湯はぬるくて、気持ちよかった。
小学生になったら、風呂焚きを任された。竹の筒で、フーフーしながら薪に火を焚きつける。これを任されるのは、少し大人になった気分。
お父さんが仕事から帰ってくる17時頃には焚きあがるように沸かす。
お父さんはほぼ必ず17時に帰ってくる。50ccのYAHAMAのバイクの音がすると、帰ってきた、となる
一番最初に風呂(一番風呂)に入るのは、お父さん。どんなことがあっても、一番風呂はお父さん。
小学校くらいから、お父さんと風呂に入ってた。そこで、詩吟を歌った。
小学校4年くらいから、ガスの湯沸し器になった。でも、五右衛門風呂。五右衛門風呂に穴開けて、筒を通したみたいなやつ。
なんか、風呂に偏ってしもた。ま、深く考えずに残していく
るのだが、たまたま信号待ちで止まった場所のすぐ横に自分の背丈ぐらいの草が生えてた。
信号待ちで暇だったんで、その草を結んでおいた。
大したものが置いていない家でもWebカメラなり普通の録画用カメラでも良いので自室に付けたほうが良いとおすすめする。
これ、最近あった話なんだけどね、若干高いものを買ったんだよ。
当日デリバリープロバイダ系の配送会社が配送に来て受け取ったんだけど、中身書いてあったんだよね。
その時はなんにも考えずに、ただ受け取っただけなんだけど。ちょうどタイミング良く自宅前と自室にカメラ入れる予定があったのね。
自室のカメラは別に設置する気はなかったんだけど、今Webカメラなんてすごい安価だしついでだから付けておこうかなって付けておいたんだ。
まぁ今回はそっちは活躍してないんだけど、外のWebカメラの記録にね、なぜか先日きた配達員が映ってたの。
また配達?何も注文してないのに?と思って、しばらく見ていたら家の周りをうろうろ、玄関のドアガチャガチャ、窓とかずっと見てるんだよね。
それであちこち開けようとしてたんだけど、うち防犯ベル付けてるからちょっとした事で鳴っちゃうようになってるの。
で、それが鳴っちゃって配達員は逃げたんだけど。
そこそこ値段が張るものだったから、空き巣しようとしてたんだろうなってね。
で、翌日動画を配達会社に見せて不審行動してたことを伝えたら、後日クビになった事とやっぱり盗もうとしていた事がわかった。
たまたまWebカメラを取り付けるきっかけがあったから良かったんだけど、無かったら数日の間に防犯ベルも壊されたりして空き巣されていたのかなと思うとゾッとした。
別に外から見る必要もないのであれば不要だけどね、記録用カメラは取り付けておいて損は無いと思うよ。
本格的な防犯カメラは高いから設置が大変だけど、安いタイプは小さい見つけにくいものから普通の大きさくらいのもあるから
どれでも良いので、設置しておくと良いかもね。
高いものとか配送してもらう時に、そんなに大きくなくて手に持てるくらいのものは中身がバレたりすると本当危険だから。
今日なんかPS5の発売日でしょ。
そういうのって、今の時期なら狙われやすいと思う。
自分ちは大丈夫なんていう慢心は捨てて、少ない投資でも防犯できるものはしたほうが良いとオススメするよ。
バイクなんかも盗まれやすいし、ああいうのも駐車しているところにカメラ設置できるといいかもね。
柱に付けるタイプだったりするのは安価で買えるし、工夫して設置するのもありかも。
ほんと、みんなも気をつけたほうが良いよ。