信じられないかもしれないけど、お父さんの小さいことから今まで、なんか残したいなと思ったから、書く。
お父さんのお父さん(祖父)と、お父さんのお母さん(祖父)も、何にも残せてないから、こういう環境があったということを残したい。
お父さんは、あの九州の山奥で生まれ育った。四方を山に囲まれて、冬は日が照るのは11時頃から14時くらい頃までで、道の氷が一日中溶けない。
家は村の借家で、鍵もなく、隙間だらけの平屋のボロ家でした。縁側の戸は、ガラガラと開けるやつで、隙間だらけだから、風が入ってきて、ガタガタ鳴る。
冬は寒くて、寝てても息が白かった。だから、布団を何枚も重ねて、重たい布団で寝てた。だから今でも、布団が重いほうが落ち着く。
風呂は隣の人と共同で、順番に入ってた。五右衛門風呂で、下から木で焚く。五右衛門風呂に入る時は、木の板を両足でバランスよく底に沈める。
木の板は、すのこみたいに隙間がないと、うまく沈まない。でも側面が熱い。だから背中とかが五右衛門風呂いつかないように絶妙にしゃがみながら直立してた。
五右衛門風呂は、とにかく熱くて、我慢して入ってた。そういえば、「1、2、3、・・・」って十まで数えさせられてたのを思い出した。
「肩まで浸かんなさい」、「10まで数えなさい」とよく言われてた。風呂って、こんなに我慢しなければいかんのか、と思ってたから、いまだに浴槽に浸かるのはすきじゃないし、
熱い風呂は苦手。
でも、2才くらいまでは、タライに入ってて、お母さんにガーゼで腕や手の甲を拭くように洗ってもらってたのははっきり覚えてる。たらいのお湯はぬるくて、気持ちよかった。
小学生になったら、風呂焚きを任された。竹の筒で、フーフーしながら薪に火を焚きつける。これを任されるのは、少し大人になった気分。
お父さんが仕事から帰ってくる17時頃には焚きあがるように沸かす。
お父さんはほぼ必ず17時に帰ってくる。50ccのYAHAMAのバイクの音がすると、帰ってきた、となる
一番最初に風呂(一番風呂)に入るのは、お父さん。どんなことがあっても、一番風呂はお父さん。
小学校くらいから、お父さんと風呂に入ってた。そこで、詩吟を歌った。
小学校4年くらいから、ガスの湯沸し器になった。でも、五右衛門風呂。五右衛門風呂に穴開けて、筒を通したみたいなやつ。
なんか、風呂に偏ってしもた。ま、深く考えずに残していく