はてなキーワード: ドラえもんとは
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/globe.asahi.com/article/13185352
つかNHKはまだ子供向け作ってるだろ。忍たまは長いけど新作も普通に定期的に出てる。
映画で作られているのは、『ドラえもん』、『アンパンマン』、『ポケットモンスター』、『妖怪ウォッチ』、それから『プリキュア』など。これって、何年同じものを作っていますか? 20年ですか、30年ですか。
ってかレベルファイブは定期的に新作出してるよな、他もホビーアニメなら民放でも新作出てる。
「子供向けが『殆ど』ない」「NHK以外だとホビーアニメなど何らかの販促アニメ以外全滅」ってなら分かるが
(販促物でないと予算つかなくてNHK以外では作れない、ってのは事実だろう)
「全滅」まで言われると言い過ぎとしか思えない。
年中は自由登園なので行かせたかったが本人が嫌がったので今日は断念。
朝、一応8時に起こし朝ごはんを食べさせる。私は生理中で体調があまり良くなく、軽く朝食を食べた後は横になっていた。早速ゲームをしようとする小1に、まずは宿題をするよう促す。年中には勉強の邪魔をしないよう知育アプリをいくつかいれたタブレットを与える。勉強の後は昼ご飯まで1時間半ほど年中とゲーム。
勉強は1コマ45分で、午前、午後、夕食後にそれぞれ1コマ。最初に小1と話し合って決めた。続くかは分からないが。
昼食の時間になると子供たちがガストに行きたいと騒ぎ出す。いやいや外食はまずいのではと思うが、実際昼ごはんを今から作るのもめんどくさいし、根負けして連れて行く。このタイミングで子連れで行くと嫌がられるかなと思ったが、ガストには子連れが沢山いたので少しホッとする。中学生の男の子とお母さんという組み合わせがかなり多かった。普段ならあまり見ない組み合わせだが、部活も塾も休みだと外食ぐらい一緒にするか、とボンヤリ思う。
食事後ネットでみた風船ベッドを作るためドンキに立ち寄る。こちらは意外にもガラガラ。スーツ姿の男性が何人かいたのが印象的。どっかの先生かな?ティッシュがあったので一応買う。トイレットペーパーはなかった。ドンキなのにガラガラの棚があると不安になるな。すぐ帰るつもりがついつい長居してしまう。
帰宅後年中が昼寝したので小一に午後の勉強をさせる。終わった頃に年中が起きたのでオヤツを食べながら風船ベッドを作成。テンション上がる。
それでも30分ほどで飽きてしまったようで、散歩に行きたいと騒がれて雨の散歩へ。疲れたと騒ぐ年中を励ましつつ30分ほど歩くはめに。
帰宅後ポストを見ると私の注文してたマンガが届いていたので私は読書、小1ゲーム、年中タブレット。
1時間ほどで腹減ったと騒がれたので夕ご飯。実母が差し入れしてくれた筑前煮と納豆と昨日作った味噌汁とお惣菜のカボチャサラダ。夕食後勉強してお風呂、部屋の片付けして子供らはプライムビデオでドラえもん。私は増田。
疲れた。
ただところどころ「ここで泣かせたろ」「こうすりゃオタク喜ぶやろ」は透けて見えたので萎えるポイントはあった
でも一貫したテーマが『別れ』だったと思うので、そこだけを主軸として見るならまだ作品として見ていられるんだろう
ただ、前半のオーロラの描写(確かデジモンってオーロラが何かしらしてデジタルワールド行けるようになったとかだっけ?)とか壊された街どうなってんの?みたいな気持ちにはなったので作品としての理解力はまだ足りなかったかな?と思った(多分主人公組以外にも現実に来たデジモンと戦ってる子達は居たし、そういや途中で傷付いたデジモンを庇う海外の子の描写もあったなと今になって思い出した)
あと、シナリオが普遍的すぎた。「あれ?この展開夏のドラえもんとかで見たことあるな?」という気持ちになったけど、もしかしてそこからノスタルジーを産もうとしてるのかな?と思った。結局「別れ」てしまえば主人公達はその普遍的なことにすらも望めなくなるし。
だから泣けるシーンですよと言わんばかりにストリングスが入ってくるのもちょっと白けた。
あとところどころゲストキャラが変な英語使うのも冷静さを取り戻す要因となった。
そこは見事というか、「別れ」だけじゃなく希望すらも見えてくる最後ではあった。
Twitterで批判意見を見たら「ゼロツーの最後に繋がるから〜」とは言ってたけど
その批判意見でも言ってた通り、説明不足感が拭えないのは多分説明できたという描写だけでもホントチラチラと描写されるぐらいでそれを思い起こしても「あれれ?」とちゃんと説明された訳じゃないからすんなりと理解したくないところにあると思う。
というか、時間を1時間半にぎゅっと詰め込んでるから理解よりも物語の根幹を持ってきた感じなんだよな
そう、書いてる途中でわかった、『アオハル』感だ。
ワンピとかのあの感じだ。
アレをずっと感じながらデジモンを見てたんだ。
なんか混じり合わないと思いながら、でもまぁとりあえずストーリーを呑んでみるかと思いながら見てる感じだ。
そこにウォーゲーム感が重なって、「なんか前見たものの焼き増し感あるけど、まぁきっと熱いんだろうしいいか。しかし普通に別れは辛いもんな」って奴だ。
だからこれもちょっとしたネタバレになるけど、主人公組が居酒屋でビール飲んでるのにちょっと抵抗を覚えたんだ。
いずれはそうなるだろう、じゃなくて、もうそうなってしまったんだ。という感じ。
なるほどなぁ〜、デジモンの進化の奴って最終進化はよく人間みたいな身体に辿り着くからな…。
作品全体としてそういう感じなのか、「お前らがどう抵抗したって社会はお前らを俺達が定めた人間にしてやるぜ」感すらも感じてしまったんだよな。
でもだからこそ主人公や敵キャラが抱いたもの、デジモン達が感じてるものが「そういうことじゃないんだぜ」という答えを出せたのはあの作品としての面白さだと思った。
だからまぁ、ところどころ矛盾を感じて自己補完をして、それでも主人公達を信じられる人は楽しいと思う、し
泣ける映画を見に来た人は泣けると思う
あと矛盾を一つでも感じたら即退館の人は向かないと思う
おじさんがエモい気持ちにすぐなれるから見ていられたところはある。
そんな人なら見ても苦はないと思います。
確かにあちこちの台詞回しにナウシカっぽさが感じられるし、改心後のリルルの言動は明らかにナウシカをモデルにしていると感じられる。修理中のリルルとしずかちゃんのやり取りは、クシャナと風の谷のじいや達のやり取りを彷彿とさせるようでもある。
竜の騎士はキャラデザインや背景、BGMなどにナウシカっぽさが見えたが、鉄人兵団は心理描写にその影響が強く出ているなと思った。
トラバにもあるけど、私も竜の騎士、鉄人兵団、宇宙小戦争の三作がドラえもん劇場版の中で別格に好きです。
ストーリー展開にはアラやご都合主義もそりゃあるけど(ロボット達が鏡面世界に気づくの遅すぎだろ、とか、タイムマシンはさすがに禁じ手だろ、とか)子どもの心をあんなに惹きつける作品はやっぱりなかなかない。
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アマプラを物色していてふと目に入った「ドラえもん のび太と竜の騎士」、そういやこれ子どもの頃大好きで何度もビデオ見てたなーと思い出して30年ぶりぐらいに見てみたら、ものすごく「風の谷のナウシカ」でびっくりした。
検索してみたら、監督の芝山努氏と宮崎駿氏は東映の同期入社組なんですね。
さらに芝山氏は高畑勲氏と一緒に仕事をしたこともあるようで、それでなんとなく腑に落ちるところはあるのだけども。
にしても似方がすごい。
鎧と兜は土鬼(アニメではトルメキアの下級兵)、胸の紋章はペジテ。
乗用の小型竜はトリウマ。
地下世界の郊外には、ちょうど風の谷の郊外にもあるカッパドキアのような砂漠の光景が繰り返し描かれる。
ドラえもんの地下世界は高度に科学文明が発達した社会で、街並みは近世ヨーロッパに20世紀当時のSFっぽさを付け加えたような雰囲気だ。そこにトルコ的な何かは見えない。
未開の部族が住む秘境も点在しているが、それもアフリカや中南米の原住民文化がベースになって描かれているものだ。
すなわち、わざわざカッパドキア的モチーフをあんなに時間をかけて画面に出す必然性は何もない。にもかかわらず何度も出てくる。
ドラえもん一行が、地上人に脅威を知らせるべく竜の騎士の家からひそかにタケコプターで逃亡するときの情景は、BGMも含めてまるきりオマージュ。ナウシカが風の谷の住民達に脅威を知らせるためペジテのブリックからメーヴェで飛び立ったシーンのオマージュだ。これをオマージュと言わずして何を言うかというぐらい、立派なオマージュだ。
地上人を守りたいドラえもん一行と、地上の覇権を取り戻したい竜人達は最終的に全面戦争を始めることになる。
ここにも一瞬オマージュがある。
風雲ドラえもん城に竜人達が攻城櫓を運ぶシーンが、酸の海でクシャナがあの娘の帰りを待たないで進軍を始めたときと同じだ。これも状況がそっくり。BGMも。
そしてそこにクライマックスとなる天災(風の谷のナウシカのほうは人間が引き起こした天災なので本当は人災なのだけど)が訪れ、両軍ともに戦争どころではなくなる。
キャラデザインや風景、BGMのみならずストーン展開のこの重なりよう。
意図しないとここまでの重なり方はしないと思う。
ただ最後、ドラえもんは人類の科学技術の粋であるところのひみつ道具をバンバン使って本来なら絶滅していたはずの恐竜を安住の地へと導き、竜人達の始祖の神となってしまう。自然を破壊してるわけではないにしても自然の摂理に強く介入する行為であることに間違いはなく、人類が自然の営みを支配しコントロールすることの是非という点ではナウシカではなくクシャナ寄りの価値観と行動だ。ここがナウシカとは決定的に違うとこで、まあそこはドラえもんが『ドラえもん』というアニメ作品の主人公としての役割をきちんと果たしているということで、どちらが正解でどちらが間違いという話ではない。
この相似、たぶんいろんな人が言ってることだと思ったんだけど、ちょっとググった程度では見つけられなかった。
芝山氏は何を思ってこんな作風にしたのだろう。この作品だけでなく当時のアニメはみんなナウシカの二番煎じみたいな作風だったのだろうか(そんなこともなかったと思うのだけど)。
それが知りたいな、と思った。
そういや鳥山明氏も宮崎駿氏に影響を受けたって聞くよね。ドラクエ2の三人にはナウシカのデザインが色濃く反映されているという話は有名だと思う。
十分物語だけで通用する一大コンテンツなのに、「日本アニメ=ペドフィリアを喜ばすポルノ」と思われてしまったらもったいないとも思いますよ。
マスターキートンや攻殻機動隊、SHIROBAKOなど見させていただいてますがどれも素晴らしいです。
ポルノに頼らなくとも日本アニメは死ぬことはありません。— ニラヤマ (@funoseiyokuwww) 2020年2月11日
こいつは何周前の話題をしているんだ?
こんなもんこいつらフェミが調子の乗りまくっていた絶頂期の10年前所か20年30年前からオタクに散々指摘されていた事。
当時はそれこそドラえもんの話題を出して、逆にオタクからウルトラスーパーデラックスマンの話題で返されていましたね(笑)
無知も良い所。
やっぱりフェミニストって知識や常識がない浅はかな人しかならないのだなと実感させられるね。
こんなもん当時を知っていたらオタクじゃなくても判っている事だしね。
しかしこう言うのを見ていると当時の政治屋や官僚の言っていたことまんまだから大方それもこいつらが吹き込んでいたことかもしれないね。
これを見ても以下にフェミニストと言うものは人の話を聞かず、当時の情報のフィードバックすらしていない連中である事が良く判る。
だからこそ幾ら譲歩した所で意味はないし、科学的論手的な思考すらできず、感情論の押し付けしかしてこない事も良く判る。
いい加減この手のクレーマーは徹底して無視していかないとだめだよ。
はっきり言ってこいつらも加担した都合が悪ければ、何でも法規制をした結果、世の中がギスギスし出して、娯楽文化の衰退や回り回って経済文化人材育成にも悪影響が出た結果、国力の衰退を招いたのも一因として大きい訳だしね。
それにポリコレフェミ仕草が役に立たない所か逆に悪影響を齎したのはそれこそこいつらの大好きな欧州欧米の犯罪率の酷さや日本でも今の規制し過ぎた結果、誰も子供に関わらなくなり、逆に子供が危険に晒されるリスクが跳ね上がった事を見ても判る事。
ただ皮肉なのは漫画家は漫画家で権力と結びついた途端、著作権で海賊版業者ではなく、こいつらフェミの様な詭弁や綺麗事を使って、関係ない一般人を規制と言う棒で殴りにかかっていっている事だけどね。
そのうち漫画家出版も世間からフェミみたく嫌われるんじゃない?
結局これって個人の線引きの問題でしょ?公共の場に掲載するものとして、モザイク入りのエロ画像はいいですか?エロゲーキャラはどうですか?グラビアはどうですか?青年誌マンガは?俳優は?「ドラえもん」は?…と聞いていったときにどこに線を引くかという問題で、社会規範ってそういうもので決まっているんだから、個人の気持ち以上の意味はそこにはないよ。もちろん社会規範に強制力も何もないし、言論がどうたらとかいう話は関係ない。俺は個人的には社会規範なんかクソくらえと思っているから別にどうでもいいけど、一方で赤十字が社会規範をスルー出来るかっていう問題はまた別。
それを踏まえたうえで、俺はあの絵を公共の場においていいという感覚も全く理解できない。言論弾圧がーとか言って吹き上がってる人々がいるけど、**本当に**「赤十字」があの絵を「献血」の広告に使っていいとマジで思ってるのかな。そうだとしたら割と真剣にびっくり。ジェネレーションギャップかねえ。まあ俺もまだ20代なんだけど…。