はてなキーワード: 袋小路とは
やめたい。
30代後半女。
私は、もともと他人に対して威圧的に振る舞う方ではない。はずだ。
友人に対しても同僚に対しても家族に対しても取引先に対しても、どちらかといえば腰を低く接するほうだし、怒りを表明することはもともと苦手だ。
仮に立場が異なる意見や要望を伝える場合も穏やかに伝えるべきだと考えているし、
怒鳴ったり不機嫌になってみせるのは、心理的安全性が下がるばかりで全く益がないと考えていた。
だが、職場の限られたメンバーに対して、意見を伝えるときに「不機嫌である」という表情を浮かべることが増えてきた気がしている。
自分を加えて3人でチームだが、50代上司は実務にはあまり関わらない。
会議等は、私と同僚が実務の話をして、ときどき上司が口を挟むというかたちである。
たとえば取引先との商談用資料をどういう方向性でまとめるか、という話で、私と同僚の意見が食い違った際に、
「私はAを中心にまとめたらいいと思ってます。理由はこれこれこうです。同僚さんの意見はどうですか?」と伝えると、同僚が黙り込んでしまう。
私の意見の何かが気に食わないのだが、それが言葉にならない……というのだ。
正直ここで「何いってんだこいつ……」と思うが、相手の愚痴みたいにぶつぶつ言ってる言葉をなんとか拾って、
「なるほど、同僚さんの意見ってこんな感じですかね。では、こういう要素を挟むのはどうでしょう?」と私なりに頑張って反映させようとする。
それでものすごーく納得行かなそうに「じゃあそれで……」と言うのがお決まりなのだが、
挙げ句に、同僚氏の納得してない方向で進めてるんですから、(私)さんが一人でこの仕事進めたらいいんじゃないですか、ってなる。
これで同僚が無能で仕事ができないというなら放置するのだが、同僚は客受けはとーーってもよく、一人で勝手に仕事をするぶんにはむしろ評価されている。
取引先との人間関係等を握っているのが同僚のことが多く(私より数年早く入社しているため)、この拗ね拗ね状態の同僚から情報をひきだす必要もあることが多いので八方塞がりだ。
上司はなんとなく口を挟んでは来るけれど、根本的に話を理解していない。面談等では、同僚氏と協力して仕事を進めてほしいと私に言ってくる割に、会議のこの有様を見てもなんとも思わないらしい。
そんな状態が続いて、ある日
「はあ、じゃあ、こうしますけどこれでいいですね。これであとでちゃぶ台返しされたら流石に私怒りますからね。」
とかなり不機嫌を滲ませて伝えたところ、この二人が慌ててもう一度意見を練り直す、ということが起きた。
そっぽを向いてよくわからん拗ねを見せていた同僚も
………怒るとこっちの話をまともに聞くんか。
と思った。
それ以来、話をしていて袋小路だな…と思うと、不機嫌さを表に出すことが増えた。
流石にまだ怒鳴ったりはしていないのだが、
こうやって「不機嫌さで他人を動かす」のを自分がしているのがまず嫌だ。
そして、上司も「(私)さん怒っちゃうからさ、ちゃんと話そう?」みたいな態度を取り始めているのもむちゃくちゃに嫌だ。
怒りっぽい女部下と温厚ななだめる上司、みたいなロールに付き合わされている気がするし、
実際怒って見せている自分も嫌だ。
もっと若い頃、怒りっぽい、高圧的に話す女性社員を見て、なんであんなふうにしか話せないんだ…と思って呆れていた。
まともに、順序立てて話せば聞いてもらえるはずではないかと思っていた。
ただ、今年齢を重ねて思うことは、
下から「お伺いを立てる」とか「聞いてもらう」形式ならば問題なく通じていた話が、
それなりに責任ある立場で、同列の目線で意見を求めようとすると急にまともに聞いてもらえなくなる、ということだ。
ただ普通に意見交換をしたいだけなのに、フラットに話したらコミュニケーションが成立しない。
もしかしたら、圧倒的にこちらが出世して上下関係がつけばまた話しやすくなるのかもしれないが、
そうでない今は、感情を強く打ち出して「怖いからさ(笑)」みたいな扱いにならない限りまともに話ができない場面が度々訪れるのではないか。
ただ、正直怒りたくない。怒るのは苦手だ。
こうして土日までひきずって、自分の態度をうだうだ思い悩む羽目になる。
なんとかならんか。
−−−−
属人業務が増えてるのよくないから、このタイプの案件はチームであたるようにしようねえ〜
というお達しにより結成されたチームのため……
怖いのが嫌だからホラーは避けてきたけど、前にミーハー心で話題になっていたヘレディタリー/継承を観た。超怖かった。
ただ、これを耐えたなら他のも行けようと思って、往年の名作を開拓してみた。
『エルム街の悪夢』『13日の金曜日』『トワイライトゾーン』『チャイルド・プレイ』『スクリーム』『エクソシスト』等々
全然怖くなかった。
シチュエーションや怪異への恐怖が、有名すぎてミーム化してしまったというのもあるんだろうけど。
ゴアやスプラッター描写は、怖いというか単に気持ち悪くなるから見たくないって感じ。
宗教観がどうのみたいな雑語りは、エクソシストではそうかもしれなかったけど他は言うほどか?って感じだった。エルム街〜でも十字架握ってたけど、さほどキーになる部分ではないし。
あと怖さより苛立ちを覚える方が多かった。かまいたちの漫才でもそんなネタあったな。
自ら袋小路に逃げ込むな
無闇に怪異を刺激するな
いつまでも驚いてないでさっさと逃げろ
動かなくなったくらいで油断するな
神の目線から観てて真実が明かされてる分イライラする所もあるのかもしれない。
キャラクターと同じ心境で疑心暗鬼になれる方が好きなんだと思う。だから『遊星からの物体X』は凄く面白かった。いやコイツ明らかに怪しいやんって所はあったけど、ご愛嬌。
『スクリーム』はホラーを成立させているお約束をネタにしたメタホラーと名高いけど、それでも普通にイライラした。メタネタも擦られまくった今や特に面白くはなかったし。
お約束に頼らず、必然的な状況で全身全霊を尽くすのが好き。それで勝つと怪異バトルものになっちゃうけど、負ければ多少後味は悪くともホラーにはなるんじゃないかと思う。
個人的には、未知の存在に不条理にも蹂躙されるけど抗う所にホラーの魅力を感じます。『エイリアン』は大好き。ヤバそうな巣に入って余計な事してパンドラの匣を開けてはしまうけど、それくらいのチョンボなら良いかなって。
ホラーとは少し離れて、進撃の巨人やエヴァも人間を蹂躙する未知の存在が結局種明かしされちゃって(後者は匙を投げたとも言う気がするが……)人間同士の内ゲバになっちゃったのが残念だった。面白かったけど。
なんか書いたけどクソ長いから外国の精神科措置病棟が気になるやつは下までスクロールしてくれ。
お前らは精神科に入院したことはあるか?俺は一回もなかった。でも精神科/心療内科に通院はしてた。俺はADHDだから、毎日ストラテラを飲まないと仕事にならない。ストラテラは処方薬だから医者に行かねば貰えない。毎回医院に行って1分話して処方箋貰って金払うだけ。
ある時、俺は海外に一身上の都合で引っ越した。医療制度というのは国毎に大幅な差異がある。引っ越した先の国では生憎ストラテラは18歳以下のみの保険適用だった。やっとのことで見つけたクリニックの先生は、ビバンセを勧めてきた。言うには最新の作用機序でリタリンよりODの不安もない。そして保険適用。かつてコンサータがまるで駄目な方にしか効かなくて3日でやめた記憶もあったものの、軽い気持ちでスイッチしてしまった。
ADHDにはニ種類の薬がある、と俺は思ってる。集中力を高める薬と、気が逸れにくくする薬である。似たような響きだがまるで逆だ。後者が俺の相棒であるストラテラ、前者はコンサータ(どちらも先発名)。コンサータは薬というと聞こえはいいが、どちらかといえばヤクと読むべき、ほぼ覚醒剤である。もちろん患者が薬物依存になるとまずいので、徐放剤といってガツンとキメないように調整はされている。先生の勧めてきたビバンセもこの覚醒剤サイドで、違いといえば覚醒剤原料が体内で覚醒剤に変わるというところである。ビタミンAじゃなくてカロチンなのかくらいに俺は認識していた。間違ってたら教えて。
そうして薬をビバンセに変えたら途端に寝れなくなった。初日なんて考えてるだけで夜が明けた。今思えば当たり前で、覚醒剤なんだから眠れなくなるのは当然だ。でも俺は一日の睡眠が減っても活動できると喜んでいた。季節は夏。高緯度の日照も相まってたいそう便利だった。
しかし季節が進むにつれ、困ったことが出てきた。まとまって考えることができないのである。仕事の都合上ゆっくり腰を据えて考えられないのは致命的だ。家族にも最近まるで話ができないと呆れられている。俺は薬が足りないのだろうと考えた。先生に相談して薬は一日40mgから徐々に増え、ついには120mgまで達した。高緯度では夏昼が長いかわりに冬がとことん暗い。俺史上で最悪の冬が迫っていた。
冬になると俺の考えはいよいよまとまらず、出前一つ頼むにも1時間かかるレベルになっていた。仕事でも当然頭は微塵も回らない。上司は進捗の無さに苛立ちを隠せず、俺は完全に途方に暮れていた。家族は心配してるものの俺にも全く見当がつかない。しっかり薬を飲んでるのに…俺は焦って更に薬を飲んだ。そうして寝室に籠もって考えると、ふと人生とは詰んでいる気がしてきた。人生とは詰んでるから人生は詰んでるのだ!ただの循環論法、小泉進次郎も逃げ出すくらいのアホくさい"証明"だが、当時の俺にはQEDと思えた。そして俺は一切の社会活動をやめた。
俺は恐怖に怯えて布団にこもる。世界は詰んでるから何をすべきかわからない。俺は何日も何週も寝てないように感じた。もはや家族もこの世界を詰ませた陰謀の一角に違いない。俺は家族の一人をその首謀者と断定し、他の家族と俺は囚われているから処分しなければならないと画策した。幸いこの企てはすんでのところで失敗し、家族は俺を行きつけの精神科に連れて行った。そこでも俺は先生に向かっていかに家族が俺の世界をダメにしたか語った。診断は統合失調症、なんか薬を処方されて俺はそれを飲まざるを得なかった。そして俺は意識を失った。
意識を取り戻すと俺は大変なことに気づいた。家族は俺を陥れるのに成功し、完全に俺は世界から分断されてしまった!行動するのは今だ、そう思った俺は誰かに家族の陰謀を告白するたった5,6行のメールを2時間かけてしたためて、覚悟を決めて救急車を呼んだ。俺はこの内容を見せて告発するんだ。しばらくして警察が家に来た。俺はぱっと玄関に出た。あれ、俺は鍵かけて閉じ込められてたんじゃなかったのか?それに警察?でも俺が家族に嵌められてることを説明するには誰でもいいか。そう思い俺は警察官についていった。本当は俺が傷害罪の犯人っぽいから警察署に連れて行かれたんだけど、俺は家族が悪いと信じて決めつけている。警察官も通訳挟んでもまるで話が通じない東洋人にさじを投げたのか、救急車で措置入院と相成った。
救急車は外国っぽい青いライトを光らせて夜の山道をひた走る。救急車に本人として乗るのに怪我一つしてないのは不思議なもんだなと、妙に冷静なつもりの俺は思っていた。どれくらい走ったか、救急車は薄暗い建物の前に止まった。俺は促されるとおり建物に入った。石造りの古い建物で、照明もロクにない薄暗い廊下を右に折れて、15人位入りそうなでかい部屋に通された。巨大な机の向こうに何人か人がいて、書類に何通かサインさせられた。正直何喋ってるのか全然わかんなかった。部屋が暗かったのか、その人たちは顔だけ真っ黒に塗りつぶしたように見えた。その後は夜も遅かったこともあり、すぐ相部屋の寝室に通された。枕元にはスーパーで一番安い炭酸水のボトルが置かれていた。一杯だけ飲んで徐々にせり上がってくる不安に蓋をした。途中同房の人にトイレの場所を聞いたところ、寝ているように見えたもののすぐ教えてくれた。でも何言ってるか分かんなかったから自分で探した。
次の日起きて俺は焦っていた。なんで精神科に入院してるんだ…言ってる意味が全く分からないと思うが、マジで焦っていた。
朝起きたら何もすることはない。みんなおもむろにロビーに出たり朝飯を食べている。それがまず気に食わない。生産的ではない気がする。周りのやつの目が全部死んでるように見える。ここにいたら俺は終わりだと思った。なんのことはない、家族を仮想敵に仕立ててたのが精神科になっただけだ。なんだけど、俺は自分の危機的状況に最悪なリアクションを取った。錯乱だ。
まずはでかい声を出して職員を探した。しかしまるで相手にされない。そのまま逃げようと思って大声を出しながら雪の上を素足で走った。しかし、精神科だけに柵がある。逃げ場はなさそうだ。少しだけの理性で俺は柵をよじ登るのを諦めて戻った。すると職員が騒ぎを聞きつけて何人か集まってきた。外に出れるチャンスか?俺は必死に自分はまともだからここから出せと迫った。しかし職員はつれない態度ですぐ俺を元のロビーに戻して対応をやめようとする。なるほど、騒ぎを大きくすればするほど対応する職員も増えるんだな。それを学習した俺は更に声を荒らげて職員を捕まえた。
彼は俺にこういった。あなたがまともなら、それでいいじゃないですか。俺は焦った、こいつはこのまま話を終わらせようとしている。逆を言えばいいのか?そう思って俺は自分がサイコパスだから危険だから病院から追放したほうがいいと逆張りしてみた。そうすると職員はサイコパスかどうかは血液検査しないと分かんないですねと返してきた。んなわけないだろ、その時の俺ですら分かった。分かったが、検査を受けないと何も変わらない気もしていた。なので必死にサイコパスだね俺は危ないねと話を合わせ、とうとう採血までされるに至った。
しかしどうだろう、検査が終わったら彼は、はい用済みと言わんばかりに俺をロビーに戻すではないか。これまでの会話で勝手に検査=退院と思い込んでいた俺は完全に頭にきて、いよいよ本気で暴れた。そうすると複数の職員が外国語で(当たり前だ)何か言いながら迫ってきた。それがちょうど進撃の巨人の普通の巨人みたいに見えた俺は恐ろしくて走って逃げた。ロビーから裏の通路を通って行き着く先は袋小路。ドアが閉められたとき、俺はそのドアにドアノブがない事に気がついた。
入った部屋は6畳くらいで、日本人の感覚で言えば十分な広さだった。床はリノリウム、壁はクリーム色一色で、はめ込みの厚い窓が冬の寒々しい景色を切り取っていた。部屋には唯一つベッドが置いてあった。退院するために暴れてたのに閉鎖病棟に入れられるだって?冗談じゃない。俺はドアをバンバン叩くがまるで開けてもらえなさそうだ。覗き窓からゴミを見るような職員の顔がちらりと見える。次に俺は窓を開けようとした。割ろうとも思ってこちらも叩くがなかなか頑丈でヒビひとつ入らない。この時点で俺は寝たら廃人になると思い込んでいた。ここ10日寝てない(体感)から、寝たらパソコンのRAMのように頭に入ってる記憶知識知恵すべてが失われ廃人になるに違いないと。しかし体は完全に疲労困憊していた。トイレに行きたいが行かせてくれる気配もまるでない。いよいよ俺は錯乱して部屋の中で小用を足した。これがもしかたら窓の外から目に止まり救出されるのではと思ったが、あとから思えばもし見えたとて重度の精神病患者が暴れてるようにしか見えないだろう。ともかく俺は疲れ果てて寝落ちした。
どれほど寝ただろうか、気がついたら閉鎖病棟に寝ていた。さっきの部屋だ。少なくとも廃人というには認知能力や記憶の連続性は失われてなさそうだった。あと、漏らして寝たはずなのに服やシーツは取り替えられていた。それには少なくとも満足した。
しかし俺はあまりの空腹と便意ですぐ耐えられなくなった。部屋は暗く時間も何日たったのかすら分からない。とはいえ2大欲求が充たされないことには始まらない。俺は再度ドアを叩いた。しかし飯が全く出されない。トイレも連れて行ってはもらえない。刑務所の部屋にはトイレがついてると聞いたことがあるが、この部屋はベッドしかない。ドアをひたすら叩いてようやく職員から得られたものは、おまるですらない用を足すお椀であった。このとき俺は完全に人権を失ってることを理解した。その後しばらくして食事も与えられた。ツナと冷たいジャガイモを混ぜた犬のエサレベルのもので、俺はさらに人権がないと思って涙をこぼして食べた。こっちはよくよく考えると、実はただのメシマズな賄いだったのかもしれない。ともかく起きた日は俺の人生でも指折りの人権のない日だった。
次の日俺はまたトイレの交渉をしてみた。ダメ元だ。しかしあっさり外のトイレに連れて行ってもらえた。人は一度酷く当たられると、多少でもマシな扱いをされた時いいことをしてもらったのではと勘違いする。その時の俺はまさにそれで、トイレに行けただけで感謝した。同時にトイレに行けない可能性に恐怖した。何も口答えする気がなくなった。そしてその日はパンとバターだけ食ってたまにトイレに出て終わった。
次の日は更に良くなった。部屋の扉を常に開きっぱなしになるように、食事も他の患者たちと取るようになった。もちろん俺はクワイエットルームに逆戻りしたくないから何も口答えはせず唯々諾々と従った。病棟全体には10人ほど入院していた。そのうち数人から閉鎖室に入れられるなんて可哀想にと同情されてしまった。そうして開かれた閉鎖部屋に何日いただろうか、ほどなくして相部屋に移された。
相部屋の相手はまともな学生さんに見えた。挨拶もするし自己紹介もしてくれた。ただ、虚空に向けて話し出すときと、段ボール箱をラジオと称して実際には携帯で音楽を鳴らすときだけはヤバい奴だと思った。実際彼は軽症なのか、一週間ほどで退院していった。他の患者は古株そうに見えた。分かんないけど。常に冷蔵庫に自分の食い物を入れては食べてるおばあちゃん、常に食洗機を回すおばあちゃん、常に電話してるトルコ人の女、2chにいそうな青年、偶数日はクレオパトラ級のゴリゴリメイクで奇数日はサロペットの地味子になる女の子、みんなそれ相応に精神を患ってそうに見えた。
部屋から出られるとはいえ閉鎖病棟で自分のいる階から外には出られない。と言っても中で暮らしていくのは暇な事以外何も不自由はなかった。朝昼晩三食食事は出るし、キッチンで持ち込みの食事を作るのも自由だ。途中から家族に文明IT機器を持ち込んでもらってからは暇潰しも簡単だった。社会に触れるのは怖かったから、オフラインのゲームだけを黙々と遊んだ。ゲームは時間を埋める作業か、あるいは順序立てて行動する訓練のように思えた。ゲームでもいいから何か進捗がないと人間としての価値がなくなるような切迫感を感じてプレイし続けた。
夜は就寝時間があり、あまり遅くまで起きていると当直の人にハロペリドールを飲まされた。すごく頭が鈍くなって好みではなかったが、あの部屋に戻りたくはないから諦めて飲まざるを得ない。
先に書いた通り閉鎖病棟から俺は一歩も出られなかった。当たり前に聞こえるけど、俺だけ外出が禁止されていた。他の患者たちは毎日午後一時くらいにお散歩に出かけていた。たまには俺も外に出たいと思って参加していいか職員に尋ねたが、あなたのズボンと靴がないんですと残念そうにみな口を揃えた。自分の足で歩いて入院したのにズボンと靴が無いことがあるだろうか?しかし何度聞いても埒が明かないので、ズボンと靴は汚れて捨てられたのだろうと解釈した。家族に頼んでズボンと靴を差し入れしてもらった。そうしてズボンと靴が揃ってもなんやかんやと言い訳して外に出れず、入院して2週間たちようやく外に出ることができた。
散歩は病棟の唯一外に出る玄関を職員が開けて、その引率でぞろぞろと歩いてついていく。まず、俺が最初にいた病棟を通った。驚いたことに、この病棟は外の道路からなんの障害もなく行き来できるようだ。柵があって出られないと思っていたが、反対側は正面の入口に繋がっていた。はじめにもう少し理性があったら閉鎖病棟に連れて行かれなかったのにと思う反面、理性がないから入院したわけだし、あの錯乱状態で外に出たら車にはねられてそうだなとも思った。
この散歩、想像していたものよりずっと大規模だった。30分から一時間位精神病院の周りの住宅街を黙々と歩いて回る。歩き電子タバコに歩き火タバコで吸い殻を投げる精神病患者達に近隣住民から苦情は来ないのか、非喫煙者としてはヒヤヒヤする。患者同士しゃべりながら歩いていて、小学校の遠足くらい伸びた列を定期的に立て直す。そしてなぜおばあちゃんが冷蔵庫に食品を蓄えてるかも分かった。多分自分でスーパーに買い物に行ってるのだ。そうなってくると家なんだか閉鎖病棟なんだかよく分からない。散歩で外の空気を吸えるのは嬉しいが、また俺はここにいたら駄目になると思った。今度こそ話で退院に持ち込まねばならない。
職員はのらりくらり退院の話を誤魔化し続け、医師の診察もろくになく、どうなってるのかと思い始めた、入院一ヶ月後。小原ブラス似の職員の引率で卓球とテーブルサッカーを遊んだ帰りに唐突に俺は数日後の退院が告げられた。退院する支度中に、その職員が「あ~ここにあったわ〜」みたいな猿芝居をしながらロッカーから俺のズボンと靴を出してきたが、既に俺にはツッコミを入れる気力は残されて無かった。彼らからしてみたら、話の通じない患者にどうやって秩序を与えるか、自分の気が狂わないか考えた結果がその猿芝居なんだろう。
そうして退院して数ヶ月はものすごく不安で仕方なくどうなるかと思ったけどその後はすっかり元通りになった。相変わらずのADHD、薬を飲まねば仕事にはならない。先生も上手いことストラテラを保険で落ちるようにしてくれた。ビバンセは少なくとも依存性は無かったようで、リタリン系の薬を飲みたいとも思えない。元々飲んでキマってた訳では無いからかもしれない。そのあとめちゃくちゃ面倒なことになったんだけどそこは割愛。勝手に敵に仕立てて迷惑一方的にかけたのに見捨てない家族には感謝の言葉しかない。
現地の(?)人にも理解されてない事を考えると、数学とか以前に彼の英語が下手糞だからみたいな疑いは出てこないか。
それなら当然に日本語に訳してみてもつかみどころのないものになる。
あとは以下みたいな感じか。
メールを送信してもことごとく説明を拒否されてることが数学板でも見て取れるのでコミュ障の恐れあり→説明能力に難がある疑い。
結論から別の結論を導く道筋を辿るのが証明の理解という作業だとすれば、望月の論文は悪い意味で簡潔過ぎるのではないか。
日常の場面でも言ってることはその時点で伝えたい内容に対して論理的に必要十分だったとしても、それでは相手がぴんと来ないことを考慮して、例示など用いてあえて同じ内容のことを形を変えて話すということをするだろう。
説明の対象が難解な概念であるほど、いい意味で回りくどいぐらいの説明がちょうどいいということになる。
しかし望月の論文は>>170の記号の例のように説明を端折ってる感が見られる
他にも式から式を導くうえで、淡々と同値変形の結果を次々と羅列されても、納得感を得られない読者もいるだろう。
なぜそう推論したのかという、結論と結論の間の思考過程も都度書き留めるべきではなかっただろうか。
そういう配慮が足りてかったことも査読に時間を要した要因ではないのか?
これに限らず数学では往々にしてひとたび分からない箇所があると往々にして書籍から書籍へのたらい回しにしてくるわりには、袋小路にぶち当ってしまうというか、ようやくたどり着いた一番やさしい解説でもまだ抽象度が高すぎて私の理解を越えているということがあって、結局真意にはたどり着けないみたいなことがある。
リベラル・フェミニズムは「人は生まれながらに自由」「男女は同じ人権を持っている」「互いの権利を害さないよう法律や条例があるしその調整もする」という方針で、はてなー的にはおそらく異論があんまないタイプのフェミニズム。
ポストモダン・フェミニズムは「ジェンダー(社会的性別)は許せないからそれを再生産しそうなあらゆる物は批判する」「法律や条例では快適な社会には足りないのでアップデートした倫理や規範で更に強い制約を設ける」「弱者の意見が常に正しいので女性の言うことに従わなくてはならない」という、社会学者とかジェンダー論とかを大学で専攻した人が染まるタイプの奴。
どっちも一応フェミニズムだし、後者の方が近代の議論だから余計タチが悪いんだけど、どちらも学問を名乗っていて社会運動の側面もある。社会的性別を徹底的に排除した社会というのがどうあるべきか(目指すべきか?)などは考えてみる価値はあると思う。
後者の方はその理屈の振り回し方が活動家や宗教家に便利過ぎたという致命的欠点があるせいで、例えばミサンドリーをこじらせただけの人が萌え絵を封殺するための棍棒としてフェミニズムを使う。
あと矯風会の「女の権利を制限して肌の露出も娼婦も許さん」みたいなパターナリズムゴリゴリな思想も倫理や規範みたいな顔をしてフェミニズムを振り回す。もちろんリベラルとは真逆なのでこいつらをリベラルと呼んではいけない。
ジェンダー解体の観点から萌え絵批判をする場合、社会にある性差を再生産しそうなあらゆる物(シャネルの広告でも男性アイドルでも良いけど)もすべて否定しないと一貫性が無いし、棍棒として振り回す奴らは自分に都合が良い部分だけしか勉強してないからちゃんとポストモダン・フェミニズムを勉強した人からすらも馬鹿にされる。
アップデートした倫理なんて物は学問の世界ですら答えは出ていないのに、宗教家は適当に都合が良い部分だけつまみ食いして自分が正しいと言い出すので矯風会的にはかなり使い勝手が良いんだろうなポストモダン・フェミニズム。
そもそも学問ってのは「誰の口から出ようが正しい物が正しい」っていう再現性こそが要なのに、ポストモダン・フェミニズムは「弱者が正しい」と言い出したから弱者以外が何を言っても間違いとしてしまった結果、学問ですらなくなってしまって袋小路に迷い込んで失敗した学問なんだけど、そこを反人権の全体主義者やミサンドリズムに目をつけられて乗っ取られたから活動家や宗教家が便利にフェミニズムを名乗ってる。
俺は他人の思想や市場の経済活動を法律やら倫理やらで制御しようという考えがそもそも間違いだと思うので、規範を押し付ける事で他人の思想を制御しようとしてくる奴らは残らずクソだと思ってるし、絵を焼く奴らも服装を押し付ける奴らも反人権な巨悪だと思う。
でもフェミニズムって名乗って活動してるからこの辺の経緯と実体を知らない人から敵視されずに済んでるんだと思う、ガン細胞みたいなやつだ。
たった一つこれを仮定するだけで、一本の筋が通り、フェミニズムの主張が驚くほど理解できるようになるよ。
女性が子どもを叩いてしまう事件は、ずさんな男性社会の労働現場に洗脳されてしまったり、子育てを押しつけられた葛藤のゆえに袋小路に陥り叩いた。
「男らしくなくていいんだよ。ただし女性は振り向かない」
で?
だから何?
男らしくなくても全然構わないけど、じゃあ代わりに何を与えてくれるの?って言ってんの
本当にこれ。
はてなの界隈の人たちは毎度毎度おんなじよーに繰り返してるけどさ。
何が目的なん?
モテたいわけじゃないよね。
かと言って本気で女をあてがってほしいとか思ってるんでもないよね??
「パートナーの女性に、男として、何をすれば選んでもらえるのか——?」
何故か、そういう話に一向にならないよね。。。
薄気味悪いことに。
「男らしくあるべき」が嫌だっていうから、じゃあ男らしくなくていいよって返答してんのに。
「でもモテない」って、ならモテなくていいんじゃないとしか言えない。
(そんな話も聞いたことないけど)もしそうなら、実はそれ、袋小路だよ。
その上で、どちらを選ぶか、あるいは両方見捨てるか選びます。
増田くんは選ばれるために、何をすべきでしょうか。
どう考えても袋小路に抜け穴あらかじめ掘ってあるでしょ
別に東京じゃなくてもいいが、政令指定都市と呼ばれるような大きな街で生まれ育った人はその土地特有の閉塞感を感じたことがあるのだろうか。
私が生まれ育ち出ていった場所はそれはもう田舎で、袋小路のような、出口が見えない迷路のような、息苦しさを感じさせる場所だった。
経済的に文化的に発展しておらず、昔から住んでいる人は僅かな希望も持たず氷が溶けて薄まった酒を舐めるような生活をしていた。
たくさんいたはずの同級生のほとんどは故郷を捨て、もっと人がいる場所へ移住したらしい。
田舎から出てきた人が決まって言われるのが「えぇ〜自然豊かで羨ましい。いいところじゃん」といった羨望だ。
出てきた身からすると苦笑いで受け取めるしかない。しかし、ふと思った。
田舎出身者同士で話すとき、地元の閉塞感について共感を得ることは多いが大都市で生まれ育った人たちにもこういった感覚があるんだろうか。
電車が通っており、買い物へ行くのにも選択肢が豊富で、人がたくさんいる土地で産まれ育った人にも故郷を捨てたくなるほどの閉塞感が。
先延ばしがひどい。
部屋が片付けられない。
どうあがいてもADHDかASD(順番を待ったりはできる方なのでたぶんASD)なんだけど、親にカミングアウトがどうしてもできない。
なぜカミングアウトしないといけないかというと、診断に昔の通知表が必要だから。
「整理整頓がもっとできるようにしてください」と何回書かれたかわからない。見せたら一発で「ああ〜」と精神科の先生も言うだろう。
でも自分はものの整頓ができないから、通知表はすべて親が管理している。「くれ」と言ったら絶対に理由を聞かれる。言えない。
親は教育にも関わる仕事をしていて、発達障害の子とも関わってる。なのに自分は発達障害だと診断されてない。「あなたはやればできる」と言われ続けたけどできてない。特にやるべきことが何も。
診断されてどうなりたいかはわからない。障害者雇用だともう少し自分にもできる仕事があるのかどうかは気になっている。就活は全滅で新卒カードではどこにも入れず、しばらくバイトでうだつの上がらない生活をしたあと、いまは低賃金ブラック正社員で消耗している。中途で色々探してるけど自分にできそうな仕事が見当たらない。
(エロ含む注意)
https://www.pixiv.net/tags/NovelAI/artworks
見て下さい、似た系統ばっかり! 完全に初期設定の袋小路に突入してますね
それもそのはず、このツールでオペレーターやるにはノウハウがめちゃ必要なんです
場所は言えませんが集団で未踏にチャレンジしている人たちがいます
彼ら「オペレーター」たちは現行の作品を完成とみなしていないので、ほとんどSNSに投稿していないようです
彼らは発見した構図や呪文を惜しまず共有し、理想のイラストを生み出すために切磋琢磨しています
既に多くの構図、ポーズ、キャラクタの固定、表情の変化、統一した画風の召喚方法を発見・共有しています
国外ですが呪文の自動生成の手法を見つけたようなので、より一層の発展が見込まれます
それもこれもAIの膨大な出力を集団で評価し、振り分けているからこそなのです
断言します。1人でやってる人は集団の発展に絶対に追いつけないし、人間を超えることすらままならない
今すぐジョインすべきだ
結局、なぜ「星屑テレパス」のアニメ化を素直に喜べないかというと
アニメ化すると
きららアニメファン(ごちうさ・ゆるキャン△・まちカドとかが好きな層)に
「無駄に暗い」「シリアス要らん」「ギスギスいつまで続くの」と延々ケチつけられて
という悲しい結果になるのが、目に見えているからなんだよね
(実際「スローループ」がアニメ化された時に上記の現象が起きて円盤売上も評判も良くなかった)
なぜ、こういう問題が起きるかというと
だから
→コミックスが売れる
→アニメ化決定
→でも、きららアニメファンの嗜好には合わないからボロカスに叩かれる
という負の連鎖が起きて、今まんがタイムきららは結構深刻な袋小路状態に陥っている
この状況を脱するためにはまず今のきららの現状を知ってもらって
ごちうさ・ゆるキャン△層とは違う新しいファンの獲得に動かないとダメで
でも、増田界隈みても分かるように
きらら=女の子がイチャコラしているだけのヤマなしオチなしイミなしの美少女動物園って
固定イメージが強すぎて難しい
平和ボケした連中が多いのか、スルーされてしまった俺と友人の入魂の問題提起を。
共有するに値する重要な論点だと思ったのだが、泣く泣くお蔵入りにせざるを得なかった。
疑問はこれだ。——…どんな状況なら核を落としていい?
世界大戦が終盤になって、これ以上の犠牲者を出したくない場合。
まさに第二次世界大戦時のアメリカが置かれていた状況なら、核を落とす選択はアリか?
それとも非人道的で凄惨な被害をもたらすことが自明だから、やっぱりナシなのか。
現実の歴史を離れて、思考実験としてあなたが為政者だと考えてみて。
人間同士の戦争で、核を落とす選択は、どんなときにアリなのか。
こんな状況なら核を落とすのは仕方ない、核を落としても何ら責めを負うべきでない、と言えるのか。
「核を落としていい判断基準」があるはずだ。
そんな答えもあるだろう。
あなたに追加で聞きたいのは、ならばその選択基準を今度は現実の歴史に当てはめると、どーなる? ってこと。
俺がアメリカ人の友だちに聞かれたのは、そんな話なんだ。
「マスダは当時のアメリカの判断をどう思いますか? 日本人として。」
ずいぶん前から親しくしているアメリカ人の友だちに、そう聞かれた。
俺は兼ねてから教科書的平和主義をナイーブに信奉していた。というか、ちゃんと考えてなかっただけなのだが。とにかく当時思ってた意見を素直に答えた。
するとアナンダはこう答えた。
「ということは、マスダはアメリカを責める訳ですね。」
日本はあんな事をすべきじゃなかったし、俺は同じ日本人として当時の連中の判断を断罪する。
もちろん未来に生きる俺の責任はゼロだ。実際の判断に無関係だから。なので謝意は無い。でも断罪はできる。
アナンダも首肯してくれた。
しかし「先に攻め込んだ日本の罪は当然の前提として一旦横に置いておくと」アメリカが核を落とした判断は、どうなのか。
アナンダの追求に俺はシドロモドロになってしまった。どうしてかアメリカの判断が悪いと個人的な宣言をする事さえ出来なかったのだ。
その答えは、実際の現実にも当てはめられるハズだ。
他人からそういうところがいい、みたいに言われるのもどっちもかなりつらい。
自分の好きを発信するのは、言わないと相手がなんの反応もなかったと悲しんでいたりするので
頑張って伝えていこう!と思ってそのときは口にはするんだけど、
後から「自分ごときが何様のつもりなんだ、そんなこと言われた方が迷惑だっただろ」って、
口にしたことを後悔してしんどくなることが多い。
その人が好きと言われたり褒められたいのは自分みたいなクズじゃなくてもっと素晴らしい人なのに
逆に他人から褒められたりすると「そんなことあるわけないのに気持ち悪い、なんだこの人」って感じて
褒めてくる人ほど嫌いになる。自分のことを嫌味でからかってるのか?って、
聞いてて全然嬉しくない。お前の目は腐ってんのか?とイライラしてしまって却って気分が悪い。
どうしたら思考が変わるんだろう?このままじゃいけない気はするんだけど、
何かが役に立つかどうかって、あんまり決めつけないほうがいいと思うんだよね。
やりたいことをやろう、とか、好きに生きていこう、とかのジャマになるから。
子供のころから言われていて逆方向に何十年もかけて一周してきた感じがするから、ちょっとそれを書いてみる。役に立たないかもしれないけどね。
「勉強は役に立つからするのではありません。人生を豊かにするためにするのです」
中学生になってゲームセンターで遊んでいると、年上のお兄さんたちはみんなで考えて答えてくれた。
「ゲームなんか役に立つわけねぇだろ。オマエにはまだ分からね―だろうけど、だからいいんだよ」
「違うね。役に立てられるかどうかは自分次第なんだよ。それに、立つか立たないかで行動を決めないほうがいい。勉強だって同じさ」
「知識ってのはなぁ、役に立つかたたねぇかじゃねぇんだよ! 何度も言わせるな。役立てられるかどうかなんだ!!」
そんなの全部分かってると思ってたし、だけど実際には役に立つことと立たないことってたくさんあって、みんな心のなかで本当は順位を決めてると思ってた。
これがすごく上手く書きづらいから、伝えづらくて自分の中にもしっかり入らなかったんだと思う。
「みんな生きてるんだ」とか、「働くって尊いことなんだ」とか、「人は平等なんだ」とか、そういうのの一種だと思っていて、暇つぶしの無意味なことをバカにしてはいけないとか、あまり役に立たないことをしてるように見える人でも笑っちゃいけない、どこで何が役立つかなんて誰にもわからないことがあるんだから――、みたいに。
だってそうだよね? たくさん役に立つ人や仕事が偉くて、誰にでもできる仕事はそんなに偉くない、ってたいていの人がどこかで思ってない?
役に立たないなんて簡単に言うもんじゃないってお説教はもう中学生になるかならないかのころに聞き飽きてたし、おとなになって働くようになっても「職業に貴賎なし」とか『働かないアリには意義がある』とか、そんなのばっかりで、多様性の担保のための有用性指標を隠蔽するために、差別を助長させない社会的配慮としてこういう議論はずっと見てきたから、心の奥底ではどこかで嘘だなって思ってたんだよね。
How to本とかだってたくさんあって、売るためなのか売れるからなのか知らないけど偉い人が書いてる立派な本を出してる大きな出版社が競うように、『これさえ覚えれば安心』『今すぐ役立つ即戦力』『要らないものは捨てて楽になろう』みたいなのずーっと出してるじゃない。
「無能な人は**をする」とか、「役に立たない人の特徴は**」とか、「**で迷惑をかけない方法10選」とかさ、そんなのばっかりでしょ?
だけど、根本的に、もっと本質的に、徹底的に実は間違ってたんじゃないかなって思う。
中年になった父が呆れたり怒ったりしながら何度も何度も言っていたのは、差別とは話とは違って、「知識や技術や勉強は役に立つかどうかとは無関係」ってこと。
本当にこれって、表現するのが難しい。
データベースの存在は運用方法と無関係、って書いたらSEさんは理解してくれるかな。
詳しくないけど、ベースって書いたらだめかも。データ自体が役に立つかどうかは運用の仕方次第、とかのほうがいい?
知識という概念は、有用性とは無縁である。……って書いても分かりづらいでしょ?
勉強という行為の意味は、その活用法を定義してはいない。……とかじゃ、お説教みたいだよね?
技術は人次第、だと名言だけど……、役に立つかどうかの判断と技術は無関係って説明になってるかどうかちょっと疑問。
あ、そうだ。
役に立つ、ってどういうことか考えたらいいのかな。
有用である、効果的である、用を成すのに適している、とかって感じ?
主語がないんだけど、役に立つ、って言葉もそうだからややこしくて、将棋の技術や知識は将棋をする時にものすごく役に立つし、古文の勉強は古典を読むのに必須だし、ハキリアリの生態に対する知識は蟻や農業の研究をする時に役に立つ、みたいな。
外資系ファンドで通訳をする時に将棋の知識はきっと役に立たないし、サーバー構築に古文の勉強はたぶん必要ないし、定期運送用操縦士の免許を取るのに蟻の知識は役に立たない、みたいな。
何が言いたいか伝わってるかすごく不安だし、もっと言うと自分がしていた誤解と言葉に対する認識の溝を感じてもらえるか自信はないけど、無関係な概念だよね、って話。
きっと以前に指摘してくれた人はいるんだけど、関連付けること自体が間違った発想だよね、って。
『役に立つ知識』も『役に立たない知識』も存在しなくて、知識は単に知識なんだよね。
日本で日本人と日本語だけで話してる時に英語も中国語もドイツ語も役に立たないし、ごはんを作る時にサーバー構築技術はいらないし、眠れなくて落ち着きたい時にパイロットの免許は役に立たない。状況によって必要な技術も知識も勉強も違うから、役に立つ時も立たない時もあるのは当たり前で、それは技術や知識や勉強の有用性の指標には成り得ない、とか書くともっと回りくどくなる? ああ、自分の技術や知識に自身がある人だと「だったら役に立つ状況が多いほうが有益ってことだろ?」とか言いたくなるのかな…。
なんか凄く凄く溝を感じる。
通称としての知識体系やその象徴としての言語、みたいな方向からのがいい?
学科、って括りは現実世界には存在しないから、どこからどこまでが現代文で外来語で英語かってあんまり意味ないよね。
数学も確率統計から代数幾何とかあるけど、全部机上の話であって実在の構造を厳密に数値化するなら分子なの原子なの素粒子レベルなの? って話あるよね。
同じ理由で物理は袋小路な面があって、生物も化学も突き詰めれば物理と繋がっていて、地理や歴史は考古学ありきだから古典も外せないし、古典には外来語も入ってくるから知らないよりは知っていたほうがいいし、歴史は暦の面から天文学も重要だから数学が必要なこともある。どこからどこまで、って知識を学問で切り分けて必要不必要って決める意味あるの? って。
だって**学、って言葉では言うけどそんなもの実在しないでしょ?
ほんとうは役に立たない物だってそうで、この世界にあるもの、って、みんな人間のためにあるわけじゃないから、おかしな言い方だと思わない?
……違うかな。
人間が自分達のために作った物は、人間のためのものかもしれない。でも、これも境界は曖昧かな。コンピューターは計算するためのものだから(たぶん2,30年は)役に立つけど、農家の人が(たぶん何年も品種改良して)作った野菜は人間のために人間の作ったものかどうかよく分からない。だからか知らないけど、「役に立たない野菜」っておかしな言い方でしょ?
変なたとえだけど、もし人間がいなければ、世界にあるものはみんな役に立つかどうかは関係ない気がするんだよね。それでもきっと存在してると思うけど。
サバイバルナイフはサバイバルする時に役立てるために作ったもので、バケットホイールエクスカベーターは鉱石を採掘する時に役立つ機械で、黒曜石は小さな肉や植物を切る時に役に立つ。
でも、黒曜石が役に立つ石だからって、石を役に立つか立たないかで分類するのはおかしい。
乗り物が好きな人が近くで笑ってるけど、少なくともバケットホイールエクスカベーターはお庭に近所の人からもらったテッポウユリを移植するのには役に立たない。ナイフや黒曜石のほうがまだいい。
「それでも、誰がどう見ても役に立たない知識や物ってあるだろ?」
って言われると困っちゃうかな。
何かまちがってるような気がするけど、ずっと考えてたらよく分からなくなってきちゃったかな。
人間ってすごく特殊な一部の人を除けば、誕生時から何かをする為に産まれた、って決められている存在ではなくて、「何をするか」だよね?
偉い人とか平凡な人っていうのも実は同じで、区別とか差別ってそういうものなのかもしれない。
オレって妙な性質を抱えていて、半年に一回くらいのスパンで滅茶滅茶に内向的になるんだ。
数日間、部屋の隅っこで過去を思い出し、ひたすらに反省を続ける暗いキノコとなる。
納得のいかない疑問を引っ張り出して、ああでもないこうでもないと、出口のない議論に浸る。
今日が2日目なんです。
若かりし日、中学生のころ友だちの女子に哲学的な話題を吹っかけて、逆ギレされた。
その事件が生んだヘイトが結局、後の告白の失敗を招いたのでトラウマになった。
「優生思想って何でダメなの?」——…切り捨てられる人たちが可哀想だからでしょ
「遺伝子に改変を加えて生まれてこないようにすれば」——…絶対上手くいく改変なんて出来っこない
「研究を重ねればいいじゃん。そうやって科学は進歩してきたんだし」——…
しかし、もしその先があるとしたら。
「でも社会を回していくリソースは実際には限られているよね。現実から目を逸らして『どんな形質も受け入れ可能です』って顔をするのは何も知らされず生まれてくる子どもたちに不誠実なんじゃないの?」——… 顔がキモいとかで虐められたとしても、そのお陰で人に優しくなれるかもしれない。どんな形質だって不幸を招くとは限らない。そんな風に、可能性の先は読みきれないよ
「平均的な乳房のサイズが大きくなりつづけたのは個人レベルの優生主義が機能した証拠だ。ムネのサイズなんて性選択以外で役に立たないのにさ」——…
「どんなとき優生主義はセーフで、どんなときに優生主義がアウトなのか。そうなる理由は何か。自分の頭で考えていれば言葉で説明できるはずだよね。それが出来ないなら、『優生主義がダメ』なんじゃなくて『みんなに従わないのがダメ』ってことでしょ。多様性は、どこへ消えた?」