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2021-12-03

友だち

めちゃくちゃ長いよ。

本人にバレたら私が死んじゃうから所々濁して描くね。

私は自分世間的に見てもかなり絵が上手い方だと思う。オリジナリティー意識してるしぶっちゃけセンスあるし。

でも最近学生時代のお友だちと比較しちゃって、考えることが多くなってきた。嫉妬ではないけれど少し引っかかるものがある。自分でも分からない。それがなんなのか教えて欲しい有識者

幼稚園小学生のころから何かしら描いてた。1年に1作品は必ず選ばれたり、市のポスターになったり実績はあったから同世代の子の中でも自信があった。

中高も美術部で鉛筆デッサンをやりつつ、デジタルイラストを描いてた。もう学力を全て犠牲にして絵を描いてた。

んで、その時に私が誘って美術部に入った友だちがいた。その子は絵が上手い、というよりもどんどん絵が上手くなっていった。それでも私は、私自身の絵に自信があったか特に何も思わなかった。むしろ推しキャラを描いてくれるのでありがたかった。ノートの切れ端のラクガキすらも貰ったものは全部大切に保管してるよ。大好き。

しばらくしてお互いにTwitterを始めた。イラストを描いたり漫画投稿したりする趣味垢。

結論から言うと私はTwitterに向いてなかった。他人から評価にドキドキするし、人間関係微妙だし、社会人に紛れ込むのも苦しくなって色々あってとても疲れて今ではpixivに一本化した。一方、友だちはTwitterマイペースにやっていた。そのうちに有名で大好きな絵師相互になって喜んだりもしていた。ここ最近特に勢いがすごい。4桁いいねを安定してもらったりしているのも見た。「これは私には描けないな、負けたな」って思うイラストが増えた。私がその子作品表現できないように、その子も私の絵を描けないのはわかってる。いいねとかRTとか評価云々はどうでもいいんだ。

から友だちが絵に対して私を意識してるだろうなぁ、と感じている。これは自意識過剰ではない絶対の自信がある。例えば、友だちの絵が私の絵の描き方にとても似せている時がある。例えば、中高時代に行われた絵や漫画コンクールで私は一度もその子に負けたことがない。例えば、その子に教えていない私の絵垢を鍵リストにぶち込んでいるのを知ってしまった。例えば、私が絵をネットに挙げた後は必ずその子創作頻度が活発になる……など。お前もネトストしてるじゃんかって?ご名答。お互いに意識してるんだと思う。

まり、私はその子現実的な実績では負けたことがない。負けたら発狂してたと思う。その子への嫉妬で狂っていたかもしれない。

もし大賞発表の時その友だちが横で1位の賞状を握って喜んでいたら……もし、名前を呼ばれた友だちがステージに立っているのを暗い客席から見ているだけだったら、、と想像したら私には耐えられない。拍手なんてできない。心から「おめでとう」って言えない。絶対悔しい。絶対震えて泣く。でも泣くのもバレなくない。仲良く出来ないかもしれない。

では友だちはその時、どう思っていたのだろう?横で何を感じていたのだろう?最近それが気になる。とてもいいやつで、サッパリしているやつだから気にしてないかもしれない。

幸い、もう別々の道に進んだから直接的に競い合うことは無くなったけれど、私は怖くてTwitter創作アカウントを作れなくなった。と思う。作ったとしても何も知らない時のように楽しく自由運営はできない。友だちには絶対に見て欲しくない。見つけて欲しくない。もし数字惨敗する姿を見られたら、もし私の絵を見て「ああ、これくらいか」って思われたら嫌で気になって仕方がなくて、いくらか反応をもらっても、友だちもこのアカウントを見てるんじゃないかってビクビクしちゃってすぐ消しちゃう

評価じゃないのは分かっているけれど、いいね数やRT数で差が出たらどうしよう?その子は絵を挙げたら安定して稼げるようになっている。FF比も1:20くらいでフォロワー数も多い。なのに私が頑張って描いた絵に閑古鳥が鳴いてたらどうする?閑古鳥なんて鳴く前に殺してしまえ。

から私は一人で黙々と描いて、溜まったらたまにpixivに挙げるだけだ。それも嫌になったり気分じゃなくなったり、逆に嬉しいコメントスタンプをもらって満足したらすぐ非公開にする。

怖い。絵に劣等感を抱くのが本当に怖い。数字評価に殴りつけられたら反撃できない。受け入れるしかない。でも友だちにプレゼントで絵を贈るとすごく喜んでもらえるし、実際かなり上手く描けてるし、満足してるし、私は私の絵がめちゃくちゃ好きだ。勝ってる部分も多いと思う。内心、「ふふん、どうだ」と思って贈っている節もあることは認める。お互いに「一番は相手に喜んでもらいたい!でも勝つぞ!」と思いながら絵を投げつけていると思う。

8年以内にはTwitterフォロワー数が2万人くらいになってお互いに切磋琢磨するのが夢だし楽しそうだなと思うんだけどね。

私は余裕があるつもりだったけれど全然余裕がなくて、いつも忙しない。

嫌になっちゃうな、嫉妬じゃないとおもうんだけど。焦りかな?何だろう。分からない。

まぁ私の絵を見つけたらいいねRTリプコメントスタンプお願いしますね^^わはは

2021-09-23

ワイ「Twitterフォロワー増やしたいな」

ワイ「せやYoutube方法調べよう」

底辺V「うちがフォロワー1万人にする方法教えたるわ」

ワイ「ほなお願いします」

底辺V「まず目についた人を片っ端からフォローしま

ワイ「はい、低評価

ワイ「こいつ、どれくらいのFF比率なんだ?」

ヒ「フォロー中1.6万人 フォロワー1.2万人」

ワイ「ぶち転がすぞ(´・ω・`)

まじでクソすぎる。

かと言ってまともな再現性がありそうなhogehoge社長系はもっぱらビジネス寄りだしな。

趣味系の底辺Youtuberがフォローバック狙い以外でフォロワーやす良質な方法が知りたいわ。

2021-02-02

二次創作はしたくないけど大手相互になりたい腐女子

同人女Twitterの界隈というのは、基本的二次創作をする人間が偉いということになっている。

いや偉いのかは知らないが、とにかく創作をしない人間には発言権がないし、相手にもされない。

が、私は相手にされたかった。

創作をする人々が今回の本誌の感想をつらつらと呟きお互いにいいねRTしているのに混じって私の感想ツイートも読んでもらえるようになりたかった。

彼女らの作品を読むばっかりで他人解釈を浴びるだけなんてつまらない。

私も人に解釈を垂れ流したい。


とは言えめんどくさいか絶対絵の練習とかしたくなかったし、小説も疲れるから書きたくないし、考察別に楽しくないし、リプライを送って交流に精を出すなんてこともしたくなかった。

気に入られるために他人の絵を褒めるとかもめんどくさいから嫌だ。


ということで、一切二次創作営業もせずにどうやったら同人女からフォローしてもらえるかを模索することにした。

結論から書くとフォローしてもらえるようになった。私がフォローしなくても向こうから来る。っていうかあんまりフォロバしてないかFF比1:10ぐらいだし、私以外ほぼ神絵師公式しかフォローしてないような人からフォローされてる。

二次創作しない奴に発言権はないとか書いたけど意外とそんなことはないことを知った。


でも別に私は目を惹くような価値のあるコンテンツは一切流してない。

ただ毎週の感想と現世に流すわけには行かない推しへのやり場のない愛を流している。

あ~~~~~~今週も推しきゃわわ。みたいな日本語でさえないものから推しスイーツバイキングに行ってもどうせパスタばっかり食ってるんでしょ~~~みたいな戯言推し乳首ピンクじゃなかったらセーヌ川身投げして死ぬ。みたいな下ネタ、最新話が公開されればその感想

気を付けているのは、難しい言葉を使うとき茶化すこと、批判的なことを言うときは愛ゆえの冗談だとほのめかすことの2点だけだ。

それ以外は好き勝手言いたいこと言って、言えばそこそこいいねが貰える。


みたいな適当アカウント運営で、何の努力もしないで好き放題やっても意外と大手相互になれるんだなあっていう。

やっぱり好きな作家から感想共感をもらえるのは嬉しいし、何言ってもそれなりに聞いてくれる人がいるのも楽しい

今日推し可愛いな~~~~って言うといっぱいいいね貰えるから、ああ今日推しは愛されてるなあって幸せ気持ちになれる。

「今週の展開で推しへの批判が集まってるけど私は推しは悪くないと思う」と怒涛の長文ツイートを流せば、「仰る通り」と瞬く間に拡散されるので、カルト教祖にでもなった気分だ。


ということで、創作しないで大手相互になるって私の目標は達成され、Twitter楽しい

最近調子に乗ってるので神絵師でもツイートが気に入らなかったらフォロバしてない。

絵師から片道フォローされるの、別に何の価値があるってわけでもないどちょっと気分がいい。

2020-09-06

バカでもわかったつもりになる程度に知的情報」がバズるという話

半年くらい趣味の話をするTwitterアカウント運営して、FF比2.5くらいの状態フォロワー数を4桁いくらまで伸ばして気づいた事である

アルファツイッタラーのような方々には遠く及ばない車輪の再発明的な気づきだし、こんな煽り文句めいたタイトルには不釣り合いな内容かもしれないが、何かの役に立てばよいと思って記してみる。

第一に、散々いろいろなうさんくさいネットメディアで紹介されているとおり、バズる情報発信(私はTwitterで発信を行っているので以下はツイートと書く)には強い共感必要である

趣味の話の場合、それは「こんな面白い・興味深い情報があったなんてすごい!フォロワーにも知ってもらいたい」という感情から来ることが多い。

絵のツイートなら、例えばコスメやコーデのブランド方法論などをキャラと一緒に詳説したり、美術解剖学見地から正しい人体の描き方を紹介しているような奴だ。

こういうツイート情報量は大体、「バカでも分かった気になる程度に知的」なレベルであることが多い。以下、どういうことかを説明する。

まず、専門的すぎる・マニアックすぎる知識は、そもそも面白い・興味深い」と思ってもらえないことが多い。

ポルシェ911の70年式の内装が、他の年代ポルシェいかに違うかについてアツく語られても、大体は「わたしにはすごさが分からないが、なんだかすごそうだ」という所で止まる。

前提となる知識がないからだ。もちろん分かる人にはRTしてもらえるし、分からない人でも拡散してくれないことはないが、あまり伸びはよくない。

かといってあまりに当たり前・調べればすぐ出てくる知識は、当然ながら言われなくてもみんな知っているので、やはり拡散されない。

あるあるネタみたいなものや、意外と抜け落ちがちな基礎知識なら話は別かもしれないが、あるあるネタを延々ツイートして滑っている人を見るとわりと見ていていたたまれなくなる。

よって「面白い・興味深い」と思ってもらえるようなレベル知的情報というのは、多少ググった程度では出てこないが、多くの人に理解できないほど専門的でもないものが望ましい。

その情報自体は知らなかった・身についていなかったが、それを理解するための前提知識はある。なるべく多くの人にそう思ってもらえるような内容が、(個人的には)いちばん手軽にバズる

このような要件を満たすのが、「バカでもわかったつもりになる程度に知的情報」ということである。多くの人がアクセスできないものの、理解した気になるのはさして難しくない。そういう情報を探してきてポストすると、大体はいい感じに伸びる。

ひとつ重要なのは、「分かったつもりになればいいので、実際に理解させる必要はない」ということである。分かったつもりになるのは、共感するのと同じくらい嗜癖になる快感でもある。

「人体の正しい描き方!」みたいなツイートに「ふむふむ参考になるなあ〜」みたいな引用RTをしてる奴が、実際にその描き方を参考に練習したり創作している例はほとんどない。

めちゃくちゃマニアック知識しか持ってない…みたいな人は、それをバカにでも分かったつもりになるよう平易に発信するといいかもしれない。見栄えするよう絵と解説に描き起こしてツイートすれば、大体「なんか理解できそうだぞ」みたいな印象になると思う。

2019-12-07

人と仲良くなるのが嫌になった

仲良くなるとすぐ舐められる、というか尊敬とかリスペクトがなくなる。

最初は「え〜!!フォロバしていただけるなんて!」と言ってた相手(FF比10倍以上の差があるくらいフォローは慎重にしている)

でも、仲良くなりすぎたのか "もっと尊敬する人"を大大大優先するようになる奴が多い

あなた誕生日からと先に絵を送ったのに、俺の誕生日になるとなーーーーんにもない。本当になんにもない

でも"もっと尊敬する人"の誕生日には小説やら絵やらを送っている そんなやつばっっっかり

というか、仲が近すぎて後回しにしても怒らないとか思っているのか 他のなんでもない人間には「おめでとうございます\^^/」って感じなのに俺の時は粗雑というか リスペクト???と思う

敬え!讃えろ!ってわけじゃなくて

友達に対するリスペクトというか礼儀みたいな

それさえもない

嫌われたのかな と思ったけどリプだって向こうから送ってくるし、空リプも送ってくるしそうじゃないと思いたい

多少は媚びとくか みたいな感じなのかもしれないけど

仲良くなるから舐められる

現にフォロバしてない人にはリプを返すだけでめちゃくちゃ喜ばれて そんなにはしゃがなくたって とすら思う

でもフォロバするぐらい、いい作品作って仲良くなった奴だからこそ 祝われたかったよ 寂しい

2019-01-22

友人(存命)の部屋に行ったら遺書があった

先日、一人の友人の部屋に遊びに行った。便宜上、彼のことは〝彼〟と表記する。

〝彼〟とは中学生の頃からからもう8年来の付き合いになる。

初めて会った時から変なやつだとは思っていた。ろくに授業も聞かず、学校部活もサボってばかりいる割にテストの点だけは良くて、ラノベ主人公みたいだという印象があった。

帰り道が同じ方向なので、僕はしょっちゅう〝彼〟と一緒に帰っていた。話してみれば面白いやつだった。僕も根は真面目ではなかったので、〝彼〟とは仲良くやることができた。

進んだ高校は別々だったが、もう一人別の友人を交え、僕たちは三人でことあるごとに集まった。

いつも遊ぶ場所は僕の家だったが、ある時〝彼〟の家に遊びにいく機会があった。

〝彼〟の家はすごく辺鄙な立地で、信じられないくらい細い路地を進んだ袋小路の先にあった。

外観はゴミ屋敷だった。銭湯下駄箱とか、シーサーみたいな動物の置物とか、そんなもんどこで拾ってくるんだよと尋ねたくなるようなゴミで溢れかえっていた。

内装バカの家だった。玄関のドアを開けるとまず真っ先にバカみたいなサイズ水槽の中に入った故の知れぬナマズみたいな魚と、明らかに飼い主の手に余っている気性の荒い大型犬が三頭出迎えてくれた。当然床はゴミであふれていて足の踏み場もない。大量の段ボール箱とか、いつ食ったのかもわからないコンビニ弁当のガラとか、とにかく生活感のあふれるゴミがわんさか転がっていた。あと窓ガラス割れていて、ビニールテープで雑に補修してあった。

多分〝彼〟のご両親は頭がおかしいんだろうなと思った。先生の話を聞かないのも、一番身近な大人ちゃらんぽらんから敬うことを知らないせいだろうと思った。

のちに聞くと、彼の父はDV常習犯躁鬱病患者、母はそんな夫を見限ってまだ幼い息子二人と娘(〝彼〟には二歳下の妹と六つ上の兄がいた)を放って家を出て行ったのだとか。本当に両親揃ってダメ人間だった。

現在、〝彼〟のTwitterアカウントFF比が3くらいあって、2000人くらいフォロワーがいた。投稿内容はアルファツイッタラーもどき気持ち悪いツイートであふれていた。マッシュ頭に丸メガネというテンプレート通りの外見の自撮り投稿して囲いのメンヘラ女を喜ばせたり、学問の話をして身内と盛り上がったりしていた。

あと〝彼〟は常に病んでいた。メンヘラというより厭世主義者で、誰かにかまってほしいから病んだふりをしているというより、本質的に狂っているような感じがあった。なにが面白いのかさっぱりわからない上に、なにか僕の感性根本的な部分が拒否反応を起こすので普段ミュートしている。

〝彼〟の感性普通ではない。太宰や芥川作品のような雰囲気を纏う芸術の類ばかりを愛で、普通恋愛とか、人間関係にはほとんど関心を示さなかった。恋人はいたし、その相手とは僕も交友があったが、やはりどこか壊れている女ばかりだった。援交でお金稼いでるとか、エロい自撮りを鍵もかけていないアカウントで上げているとか。

〝彼〟の感性普通ではないから、部屋で遺書を見つけた時もただの悪ふざけかと思った。だって遺書(これは常備のものなので私が死んでいない時には読まなくてよい)」とか書いてあるんだもの。けれど、悪ふざけにしては度が過ぎている。自殺する気があるのかどうかは知らないが(決してないとは言い切れない)、少なくとも常人よりは死を身近に感じているような雰囲気があった。

少し迷ったが〝彼〟は階下で僕と飲むためのお茶を用意してくれていたので、その隙に僕は勝手に内容を検めた。好奇心に負けた。

遺書封筒にすら入っておらず、B5のコピー用紙の片面に印刷されているだけで、その乱雑さも〝彼〟らしいと感じた。

中には男女1人ずつのフルネームと連絡先が記されていた。男は大学で同じゼミ所属している人間で、女は元恋人だった。男には〝彼〟のスマートフォンの完全な破壊を、女には引き出しに入っているという手書きメッセージを引き取るよう指示してあった。流石に女に宛てた手紙勝手に読むことは良心の呵責が許さなかったが、いったいどんな手紙を残したのだろうか。(すでに良心が〜とかどの口が言うんだ、くらいのことをしているとは自分でも思うが)

遺書は、ただの作業指示書だった。

〝彼〟は無駄なことをわざわざする人間ではない。誰にも発見されないかもしれないのに手の込んだネタを仕込むようなお茶目なやつでもない。

からあの遺書は多分、本気で書いたものなのだろう。本気で彼はスマホ破壊と、童貞を捨てた相手メッセージを伝えるくらいしか自分が死んだ後に望むことがないのだ。

言葉にし得ない虚しさがあった。育ちや環境に同情するには遠過ぎた。ただ、哀れに思った。

こんなことを考えるのは不遜にもほどがあるとは思う。人の遺書勝手に暴いてこんなところに晒しておいてケチをつけるとは何事だと、これを読んでいるあなたはきっと思っていることだろう。

けれど、僕は悲しいのだ。仮にも数少ない友人である〝彼〟の人生が、こんな詰んだものであることが。

遺書には男の名を指して「君くらいしか頼める相手がいない」と書いてあった。

僕を頼れよ、とは思わない。だって僕は彼を救いたくないから。本当に気色悪いと思っている。

ただ、彼の人生が詰んでいるのが、ひたすらに悲しい。

〝彼〟はまだ生きている。3年前と同じことをツイートしている。

どうか、せめて長生きしてくれ、友よ

そして、僕の知らないところで人知れず死んでくれ。

2018-02-07

フォロワーが好き

こんにちは、初めまして。

早速なのですが、私は承認欲求の化け物なので、

自分ツイートを好き好んで読もうとしてフォローをしてくれている人が大好きです。

いつもありがとう

本題なのですが、私はFF比が1:2くらいなので、

自分フォローしてなくてフォローしてくれてるひとがある程度いるのですが、

私は特にその人たちが大好きです。

頻繁にふぁぼやリプをくれる人はしっかり認知しているし、だいたいプロフ欄を見に行ってパーソナリティを把握しているし、名札を下げてイベントで会いに来てくれたなら顔もばっちり覚えています

アイコンが変わればわかります

ふぁぼするツイートで●●さん今期はこれ見てるのかくらいのことも考えます

なんとなく平日が休み休日休みかくらいもわかるしよくツイッターに現れる時間帯もわかります

気持ち悪いですよね……

なんだったら相互フォロワーよりリプは丁寧に返します。

で、じゃあ何でフォローを返さないのかみたいな話になるかと思うんですよ

なんだかんだみんなフォロバされたいじゃないですか。

私も憧れの人からフォロバされるととても嬉しい。

でもダメなんですよ。

冒頭に書いた通り、私は承認欲求の化け物なんです。

私が好きなのは私がフォローもしてないのに、何の見返りもないのに私に好意を持ってくれる人なんですよ。

相互だとほら、フォロワー多めの人にRTしてもらえる云々、打算?みたいなのでてくるじゃないですか。アレがやなんですよ。

からわたしあなた方のことが大好きだけどフォローを返しません、ごめんなさい。

ツイートも見に行くし、気が向いたらあなたの喜ぶ絵も描くから許してください。

そしたらRTしてもらった後、また反応確認しに行くので。

よろしくお願いいたします。

2018-01-16

アルファツイッタラーになったけど虚しくなってアカウント消した話

 今から八年くらい前の話。

 当時僕の居た界隈ではコミュニケーション情報収集Twitterでするのが当たり前になっていて、

 Twitterを見ないと界隈の動向すら追えないという状況になっていた。

 そんなわけで僕はアカウントを作ったが、すぐに飽きてしまった。

 別にその界隈に居るからといっていつもその話をするわけではないのだ。

 例えばポケモン好きが集まる界隈の人でも、いつもこのポケモン可愛いやら種族値がどうたら語ってるわけではない。

 今日のご飯はこんなんだったとか、昨日こんなことがあったとか、そういう他愛もないことを話している。

 僕はそんな話に興味の欠片もない。

 ここが2chならチラシの裏にでも書いてろよとでもレスしてる所だろうが、Twitterでそれをやると頭のおかしい人である

 僕はアカウントを作って早々にTwitterに飽き始めてたのだが、とある人の出会いから運命を大きく狂わせることとなる。

 名前は伏せるが、それは所謂ネタクラスタに分類されるタイプの人だった。

 全然名前も聞いたこともないただの一般人の癖にフォロワーは多く、ツイートには常に大量のfavが付いている。

 そう、favoriteお気に入りである。ふぁぼである。星である。今はいいねハートマークに変わってしまったが。

 当時お気に入り機能積極的に使う人は少なかった。

 著名人Twitterを使っている人はいたが、そんな人のツイートに大量のRTが付いてもfavが付くことはない。

 そんな中、彼等は面白いことを言ってfavをたくさん貰っている。

 その異質な世界に、僕は魅入られてしまった。

 僕も面白いことを言って、たくさんのfavが欲しいと思った。

 僕は界隈向けのツイートをやめ、ネタクラスタに特化するようになった。

 具体的にはネタクラスタフォローし、とにかくふぁぼるいいねする)。

 そして自分ネタツイートを考える。ネタツイートを呟くとたくさんのfavが貰えるのだ。

 面白いことを言えばたくさんのfavが付く。上手く行けばRTもされてバズる

 僕はこの快感の虜になっていた。寝る間も惜しんでネタツイを考えた。

 ふぁぼられたい、バズりたい、たくさんの人に褒められたい。Twitterはその欲求に応えてくれる。

 そんな無益にも程がある行為を二年ほど続けてきたが、Twitterユーザーのfavの使い方も段々と変わってきた。

 まず、ネタクラスタだけの特権だったfavを他のユーザーも使うようになった。

 そしてふぁぼられの数を増やすことだけを追い求めるふぁぼクラスタなるものも出来上がっていた。

 彼等は全てのツイートふぁぼる。ふぁぼられたらふぁぼり返す。

 そんなことをしてるので何の変哲のないツイートでも大量にふぁぼられてしまう。

 全盛期だと、ふぁぼクラスタトップおはようツイートだけで300favくらいいってた記憶がある。

 これの何が問題かというとFavstarというサイトが荒らされるのである

 Favstarは大量のfavが付いたツイートだけを紹介して載せる。

 ネタクラスタ全盛期はネタクラスタツイートやバズツイートけが載ってたが、その時代はふぁぼクラスタ占領される有様だった。

 当時ネタクラスタの中でもそこそこの地位(笑)に居た僕はこれを批判した。

 こっちは評価としての公平なfavなのにお前らは組織票でのfavをしてるではないか、と。

 言うまでもないが間違ってるのは僕の方である

 Twitter自由なのだ別におはようおやすみツイートをふぁぼっても批難される謂われはない。

 とはいFavstar自体はバズツイートを見付けるのに重宝されてたので、僕以外にも不満を持つ人が居たのは事実ではある。

 しかしそんなふぁぼクラスタ相互厨と呼ばれる人達にfav数で勝てないようになる。

 基本的ネタクラスタもふぁぼクラスタフォローを返さない人が多かった。

 これはTLが荒れるからというのとFF比フォローフォロワー比率)がかっこいいからという理由があった。

 ちなみにふぁぼクラスタトップツイートをふぁぼればその対価としてフォローを返すという仕組みでfavを稼いでいた。

 一方で相互厨は相互によって稼いだ圧倒的なフォロワー数を利用する。

 ただ、フォロワーに向けて「お気に入りしてね」と言うだけで良い。

 それだけで簡単に大量のfavを稼げるのである

 ふぁぼクラスタはそれは下劣だと批判した。僕はお前らが言うなよと思った。

 さて問題だ。僕、ふぁぼクラスタ相互厨。この中で頭がおかしい人は誰だろう?

 答えは全員だ。当たり前の話である

 さて、こうなってくると最早fav数で面白さは計れない。

 既に僕は彼らと勝負することを諦めていた。何を勝負してたのか知らないが……。

 だが僕は普通一般人よりは遥かに多いフォロワー数を誇るという所に着目した。

 その時の僕は何を言ってもそれなりの人が見てくれるという状態である

 このフォロワーを利用すればまだ見ぬ面白いツイッターユーザーを発掘できるのでは?と考えたのだ。

 そしてツイッター深淵へと潜っていった僕はある一つのことに気付く。

 別にフォロワー数が少なくても面白い人はごまんといる。

 そしてそういう人は別に評価とか望んでない。楽しく馴れ合ってるのだ。

 更に気付いたことがあった。

 数千人~数万人のネタクラスタタイプアルファツイッタラーでも、別にそこまで面白くないということ。

 数字なんて所詮数字であり、人気のバロメータにはなるだろうがクオリティ保証するものではないという当たり前の事実に今更気付いたのである

 こうなってくるとfavもフォロワー数も虚しいものしかない。

 いくら大量にfavが付いても、つまらないツイートにそれ以上のfavが付いてるのを何度も目撃してるのだ。

 数字固執するのがどれだけ馬鹿馬鹿しいのか、長い年月を経てようやく理解したのである

 虚しくなった僕はアカウントを削除した。

 疲れていた、というのもある。

 数字の為にウケる発言を考えていると最早僕はピエロか何かかと思ってしまう。

 だいたいこんなネットでの評価を貰って何になるんだ、金貰えるならまだしも無だぞ。時間潰してること考えたらマイナスだぞ。

 削除した当時のフォロワー数は3000人程度だった。

 いやたった3000人かよ、と思われるかもしれないがこっちは返し目的フォローフォロー返しもしていない。

 それでこのフォロワーなのだから結構な人数だと思う。呟いてた内容はどれもこれもクソほど面白くないわけだが。

 僕は数字にこだわり続けた結果疲れてしまったわけだが、自分を高める為に数字目標にするのはモチベーションを保つ上で悪い手段ではないだろう。

 だが、決して数字を取ること"だけ"を目的にしてはいけない。あと他と比べてもいけない。

 数字は人を狂わせる力がある。それに囚われた瞬間人格までもが壊される。

 これはアルファツイッタラー(笑)ネタクラスタ(笑)かいうクソに固執した馬鹿野郎の話だが、他の界隈とかでも同じこと言えると思う。

 なんか数字持ってるから自分はすごいとか言う人いるじゃん、ああいうのほんと良くない。ああいうのになったらおしまい

2017-12-16

ソシャゲ垢を辞めて

1年間やっていたtwitterを辞めて4ヶ月が経った。これは自分への戒めという意味でも文章に残しておく。

自分は長期休暇にtwitterというもの出会った。暇だったし良い機会なので始めようと思いアカウント作成。初めて1ヶ月、楽しさがわかった。その時、作っていたのはとあるソシャゲゲーム垢なるものであった。運営ガチャ更新コンテンツ追加のたびに共感しあえる人達がいてとても楽しかったのだ。自分推しキャラをお迎えしてフォロワーが祝ってくれた時なんかは特にとある日に、運営ガチャ更新の絵をコラージュ化してtwitter投稿したところ2000RTを超えた。ここから地獄が始まる。俗に言う「バズる」ことの快感を知った日から、1日中考えることはtwitterのことばかり。何かやろうと思っても行動の判断基準が「twitterで如何に多数の人にRTしてもらえるかどうか」になった。完全に脳が犯されていた。不特定多数の人々から承認欲求twitterリアルタイム性にまんまとハマってしまったのだ。そして数ヶ月にわたりそういった「ネタ」を投稿した、フォロワーも増えた。あぁ、RTを貰えるのが楽しい…その反面、懸命に考えたネタが振るわない時は勝手に落ち込んでいた。

そろそろTLが色々な人のツイートで見にくくなってきた。そして次に決行したのが「フォロー整理」、これもまた新たな地獄を呼ぶ。定期的に相互フォローしていたからか、いざやってみるとFF比が1対20という極端な数字になってしまった。このことにより、ただフォロワー人数が多いだけなのに「自分フォロー数が少ないのにこんなにも多くの人にフォローされてる、凄い!」と思ってしまうようになる。とんだ勘違い馬鹿なのだが。そしてそのような状態Twitterを続け、時が経つにつれ仲良しの人も大体固定化してきた。いつもファボをくれたり空リプで会話したりしている人達だ。いつでも「あの人はいつもファボしてくれる、自分もしなきゃ」という強迫観念と「絡むために相手が浮上してる時間に浮上しなきゃ」という義務感でがんじ絡めにされるようになる。またTLが更新しないと落ち着かないところまで精神が腐敗していた。botでも無いのに、酷い時は1ヶ月に5000ツイートを超えていた。ツイ廃と化していた。そんな状態で性懲りも無く続け、最後にはフォロワー同士の不仲という壁にぶち当たって行き場を失くした。いつもリプを送りあっているあの人達は見せかけの関係性を築いているんだ。そう思うと気持ち悪かった。わざわざ裏垢まで作っていて愚痴るとは抜かりないようで。

ちょうど一年が立つという頃にアカウントを削除した。サブ垢メイン垢含めて。

最初はとても空虚だった、twitterに費やしすぎて時間の使い方を忘れていたのだ。しかし今は断言出来る。Twitterを辞めて正解だったと。ここから別に成功譚に繋がる訳では無い。恋人ができた訳でもないし、仕事能率が上がった訳でもない。しか普通生活には戻ることができた。とても精神的に安定した生活が遅れるようになったと思う。

最後に今twitter鬱憤した思いを抱いてる人に向けて

twitter義務ではない、趣味

フォロワー数字は「あなたが凄い」ということを示す指標にはならない。

・ふぁぼ・RTなんて画面に対するタダのプッシュ動作貴方の呟きに共感したなんて誰も言ってない。

ネット上の人間関係疲れた?なら、捨てちまおう。

ここまでこんな駄文を読んでいただいた方は自分と同程度、もしくはそれ以上の悩みを抱えているでしょう。悩んでる暇があればアカウント削除、これがモットーです。早く締め付けられた心を、解放しましょう。あなたのそのTLを見ている時間、何か他の有意義な事に使えると思いますよ。

 
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