はてなキーワード: 解像度とは
結局いろんな人が同じ場所使うと揉めるよってことだよね
東京は人口密度が高い分、ゾーニングがキッチリされてきてそれでトラブル防いでたけど、最近は曖昧になってきてて結構これから揉め事増えそうな感じがする
元増田の挙げた自由の項目3つは男性の場合「生活保護セーフティネット」によりカバー可能なので……。
補足性の原理に基づき就労はもちろん必要となるが、それは女性も同じこと。
それから「配偶者セーフティネット」の負の側面(家事、望んでいない場合の出産と育児、配偶者がDVを行う人間であった場合のリスクetc)が見えてくれば、女性は元増田が言うほど自由でないかもしれないということが見えてくるのではないかと。
たとえば開発途上国でまだ子供なのに結婚と出産を強制されたり、DVされても経済的問題から逃げることができないといった問題について、WHOが出してるレポート等を読めば、より女性の不自由さについての解像度が高まるのではないか。
いつの間にかJ-POPがアニメソングとアイドルソングばっか流行っちゃったのって、共有されている物語がそれぐらいだからじゃね?
じゃあもっと皆が知ってる話を歌にすればいいんじゃね?
……桃太郎とか?
あっ、この増田に「だからキリスト教圏だと宗教関係の歌が売れている。聖書の物語は皆知っているから、一周目から歌詞の解像度が高い。遠い昔に吟遊詩人が神話をモチーフにした歌や王族の栄光を歌い上げていたのも皆が知っている物語だったから。まあどっちも宣伝の要素もある。結局、いつの時代もタイアップソングが強いんだよね。売れている歌は元々特定の価値観や物語とのタイアップソングみたいなのばかりだよ。近代的恋愛観とか反戦感情とかにしたってね」みたいなコメント書いてドヤァってすると☆がたくさんもらえると思うのでブコメで頑張ってみてくださいね☆
テレキャスターとストラトキャスターは同じ音。これは事実ではない。 機械で音形でも測ってみれば多分わかること。
セッティングと奏者を揃えてもテレキャスターとストラトキャスターの音が違うのは事実。
大して違わないし、気にもならない。
わずかな違いではあるけど、こだわりたい。
違わないと思うけれど、違うと言う人もいるので使い分けてみる。
大分違うけれど、こだわりたい部分ではないので気にしない。
全然違うので、当然使い分ける。
全然違うし自分にとって重要な印象もまるっきり変わるけれど、敢えて使い分けない。
これらはどれも事実ではなく意見。各々が持つ感じ方を通してでしか出力出来ない。
意見なので当然事実と違って正解も間違いもない。強いて事実を見出すなら、どれが一般通念とされている蓋然性の高い考えか、くらいのこと。
全然違っていると思っている人が違わないと思っている人を「解像度」が低く劣っていると馬鹿にする。
全く違うと豪語していた人にブラインドテストを受けさせたら見(聴き)分ける事すら出来ず、受け売りに踊らされていたことをからかう。
ギターに限らずそんな光景ってあるんじゃないなと思う。どちらの意見が真実を競わせ、試し、自分の意見は正しいのだと誇り間違っている相手を貶す。
まあ違いを見極められないよりは分かってる方がなんかカッコイイ感じはすると思う。ただ違いがわかった所で何を以て良しとするかはまた別の話。
違いを認識出来るようになってから、その分解能が自分のイイと思える確信や納得に何か影響を与える事があって、そうなって良かったと思える事もあるかもしれない。ないかもしれない。
数年前に仕事で知り合った男性Aさんについて。Aさんは現在50代の男性で、離婚経験があり子供は元奥さんが育てている。年に数回、複数人で飲む程度の付き合いが続いていたが、先月3人で飲んでいたら友人が子供の体調が悪いと連絡を受けて一次会で帰ってしまった。Aさんはまだまだ飲み足りなさそうだし、2人はちょっととも言い出せず少し付き合うことにした。
Aさんは結構酔っていて、増田ちゃんとは一回サシで飲んでみたかったんだよと嬉しそうだった。Aさんは酒のペースは早い。私と同じだけ飲んでいたが、私は酒に強いので温度差は開くばかりだった。すっかり酔っ払ったAさんが、実は自分にはもうひとつの顔があるなどといかにも聞いて欲しそうに言い出したので聞いてやると、要は女装趣味があるそうだ。
私の友人にトランス女性がいるが、彼女と違ってAさんは性自認男性、恋愛対象女性のいわゆるシス男性らしい。ただ若い頃に遊びでやってみた女装が周囲に好評で楽しかったので今でも続けているらしい。離婚の原因の一端は女装にあるとも匂わせていた。
引くよねー?と言われたので、別に(興味もないけど)引かないですと答えた。するとAさんは目を輝かせて自分の女装自撮りを見せてきた。はっきり言って加工していてもおじさんとわかる仕上がりだった。なんで女装おじさんっておばさんじゃなく、若い女の子になりたがるの?(追記・性自認男性女装おじさんにとって、女はどこまでいっても『見るもの』でしかないので、自分好みの女の子になる発想しかないのかも?と思った)
でもそんなこと言えるわけがないので、なるほどいいんじゃないですかね・・・。と無難な感想を述べるにとどめた。褒められたととったらしい。Aさんはナンパされちゃうとか女装仲間にメイクを教えているとか言って挙げ句の果てに30代女のくせにほぼ化粧をしてないわたしに向かって増田ちゃんにも教えてあげようか〜?笑などとのたまった。今度増田ちゃんとサシ飲みする時は女装でくる!などと勝手に宣言までしていた。なんでまた2人で飲まなきゃいけないんだよ・・・。と思ったが、教えてあげよっか〜?のムカつきによって女装姿を見てやりたいという意地悪な気持ちが勝ってしまい3週間後にまた飲むことを約束した。
飲みの日、Aさんは本当に女装で来た。どこかで着替えてきたのかと思ったら、自宅からその格好で来たと聞いて驚いた。ペラペラのミニスカートとふわっとした長袖のブラウスと厚底のサンダル、10代風の格好だけど若い子は私服に使わないストッキングとスカーフ(性差のでやすい足の質感や首元を隠すためなんだろうが)があまり合ってなかったし、メイクはとにかく厚かった。
変じゃない?と本人に聞かれれば、変じゃないですとしか言えない。でも確実に女装とわかる仕上がりだった。年相応の肌に対して異様にツヤのある明るい色のウィッグは一昔前の姫カット風だった。褒めて欲しいのはよくわかったが嘘を言いたくはなかったので濁し続けた。そしたら女性服の店員に男と伝えたらすごく驚かれただとか、男からの視線が凄いとか語りだした。そうなんですねとしか言いようがない。
途中でAさんがトイレに立つ間どうやって切り上げようかなと考えていた。戻ってきたAさんが女子トイレにナプキンあったよ!と大きめの声で言ったのですべて無理になった。その日私が生理だとかそういう話は一切してない。Aさんの自慢を聞き流し、まだ飲みたがる彼を振り切って1軒目で解散した。帰ると、Aさんから「なんか、増田ちゃん意外と偏見あるなと思った😅笑」とLINEが来ていて怒りが湧いた。私が帰ったのは、彼が女子トイレを使ったからだと思っているのかもしれない。はっきりとは言わないが、なんか嫉妬してる?的ことまで言われた。自分を褒めない人間には問答無用で差別主義者のレッテルを貼れるの便利そうで羨ましいです😅
私にはトランス女性の友人が何人かいるけど、彼女らは当然女子トイレを使っている。これからもそうすべきだと思う。以下はそんな彼女たちとAさんを比べるのがそもそも間違いなのだが、という前提付きで書いていく。
Aさんは小柄で細身なので、180近くあるトランス女性と比べたら“女装”はしやすいと思う。洋服のサイズもピッタリだって自慢していたし。でもあのミニスカートは、50代女性が履くものじゃない。50代男性が女装するなら普通に考えて50代女性に近づけるのが不自然さがでにくいと思うが、なぜかAさんは10代のような格好をしていた。それで男の目がすごいって、そんなギリギリの丈のスカートを履いてたら見られるに決まってる。いかにも服装にこだわりがありそうなお洒落さんかギャルならともかく、ダサくて若くなくてミニスカなのは異常なのだ。その上、それで集まる視線を良いものとして喜んでるんだから、本当に男なんだな…と思う。男性からの性的な視線って、女性にとっては危険と隣り合わせだと思う。
別に女子トイレが必要でもないのにパス度とかいう自分がどれだけ女性として違和感なく周囲に溶け込めたかという仲間内のマウントのために女子トイレを使っていていいご身分だ。女装の男性だってわかっても誰も言わないだけだよ。ブチ切れされても怖いしさ。仲間内で褒め合うのは結構だけどみんな褒めてほしいから褒めてるだけでしょ。Aさんレベルの女装を本当に服装相応の「女の子」として周りが誉めそやしているならそいつらも女の解像度が低いとしか言いようがない。
あと女装をカミングアウトしてから馴れ馴れしく、腕とか組んでこようとしたのも無理だった。女同士でやってるのたまに見るからだろうけど、本当に仲良い人しかやらないし女でも無理な人は多いし学生じゃなくなってからはほぼやらなくない?長年女をやってたらその辺の線引きできるはず。どこまでいってもおっさんじゃん。女の都合のいいとこだけつまもうとするなよ。
もちろん私が気づかない女装の男性はいるだろうね。女性的な格好をしている人の内、出生時に女性じゃなかった人をすべて見抜けるとは思ってないし見抜きたいとも思ってない。最近知り合ったトランス女性は、言われなければ男の体で生まれたとは気づかない見た目だった。
私はトランスジェンダーの人が手術なしで性別変更できる件には賛成だし、女性用スペースもどんどん使ってほしいと思う。でもその賛成の気持ちにどうしてもAさんみたいな趣味女装の人の遊び場にしてほしくないとか、性犯罪者が…とネガティブな気持ちが混ざってしまう(それを増田以外では表明しないようにしている)。トランスジェンダーと性別問わない危険人物の問題は別なのはわかっているのに、どうしても「〜だったら嫌だな」という気持ちが手放せない。
Aさんからはちょこちょこ連絡が来るけど無視してる。相手からしたら偏見と嫉妬まみれのクソ女なんだろうけど、対話したいとは思えない。わたしは今いるトランス含めた友人たちを大切にしていこうと思う
解像度低いやつがこういう事言うんだよな
鬱野はイキリやれやれ系とっちゃん坊やだから薄っぺらいコスパ意識でいつも頭がいっぱいなんだよ。
だから美味くもないラーメンを食うために外で700円とか払うはずがないんだよね。
そういう所でメシ食ってる連中を見下しながら200円のカップヌードルや400円の完全食カレーメシを食うわけ。
「通常のカレーメシの倍の値段で、『完全食』という謳い文句を食っている」
「栄養成分を見ても良くわからない……カロリーメイトと実際には大差ないのではないか?」
「じゃあ俺はカレーメシ一個分損をしている?食塩摂取量を考えればこっちの方が健康に良いのだろうか?」
「結局他の食事でカロリーを補填すれば同じだけの食塩を取ってしまう気がする(カップヌードルにお湯をジョボジョボしつつ)」
「やってしまった……つい腹が減って本当に追加の食事を取ってしまった」
「完全な塩分過多……1食の値段も外食ラーメンと同じぐらいだ……」
「だが……栄養価はきっとこっちの方が高い……完全食という謳い文句に救われた」
「俺は情報を食ってる「完全」という情報を……外でラーメンを食うときは「外食」という情報を食っているんだろう……」
「ゲフー 正直、食べすぎたな……完全に余計だった……」
みたいな感じが鬱野だろ!
鬱野は「美味くもないラーメン屋」にわざわざ行かない!美味いラーメン屋には行っても、美味くもないラーメン屋に行くぐらいならカップ麺を食べる!
作者は鬱野の解像度が低すぎる!
はてな匿名ダイアリーには東京みたいな単語だとか世代や年齢について異様に固執する人がいる。いや別に何を思うかは当然勝手なんだけど、つっかかっらずにいられない発作持ちの人もいる。
オマエの話は嘘だ。解像度が云々。オマエは〜に違いない。あとは任意の下品な言葉を吐き捨てる。
よしんば嘘だったとして、何も詐欺じゃないんだから何をそんなに喧嘩腰になるのか。ネットの書き込みは釣りだらけ、釣られたら負け、インターネットで負ければ恥、とかそういう価値観に生きているかもしれない。
この間インターネット時代のコミュニティについての話を聞いた。曰く、昔はドラゴンボールの放送翌日ならクラスはその話題でもちきりだったらしい。要は娯楽が少なかったので、同世代の話題や興味関心が狭い範囲で固定されてたとのこと。個々人がよりどりみどりに選び取れる今とは違ったと。
書き込みの特定単語に単語に反応して、コイツの話は世代的におかしい。嘘に違いない!とか言い出す人もそういう事なのかなって思った。
今もそういう価値観のまま、例えば10代20代は一人も余す所なくTikTokにのめり込んでると本気で思ってるのかもしれない。
そらTikTokやVtuberやソシャゲにのめり込む人もいればギターロックを聴き浸る人もいるだろうし、スケボーの練習にでも励む人だっているはず。
例えば最新機の購入を許されず妥協して家にあるPS3やDSに興じたり、あるいは小遣いが足りなくて手塚治虫や白土三平を読み漁る子供がいるとかも思い至らないんでしょうね。
まあネットの書き込みに対してそこまで想像を膨らませて信用する道理もないけど、そこまで疑う道理もないと思う。いや疑うのも結構なんだけど、邪推で人に突っかかるのは立派な狂人だと思う。
つまらないものでも、楽しみしろを見つけようとすれば楽しめる余地はある。
つまらないと思うのは、あなたの感性や教養が乏しく解像度()が低いからだ。
これってどう違うん?って思う。同じ事象を指してどちらにも言い換えられると思うんだけど。
キューブリックの映画がつまらんとか言ったらそういうのがウジャウジャ湧きそう。
あの作品を面白いと思えないのは、鑑賞リテラシーが低くどこに注目して観れば分からないからだ、とか。この映画の話はただの例えで、他の物事でも色々と。
まあ自分も好きなものが軽く扱われた(ように感じたら)そういう言葉が喉元までせりあがるかもしれない。私は社会性があるのでグッと堪えますけど、世の中失禁してしまう人の多いこと。
なんちゃらの影響がどうこうでどこそこが革新的でこういう特色が云々、みたいなどっかで仕入れたような受け売りを諳んじる。
どう感じるかの話をしているのに歴史の話を持ち出すのアスペでしょ。
受け手の感性がとか言い出したら、じゃあ大怪獣のあとしまつがつまらないという人も全員感性が乏しいって事になりますね。
そうでないなら、オレの好きなものが嫌いな奴は感性が乏しい。オレの嫌いなものが嫌いな奴は正しい。その対象がつまらない。言ってることそういう事になりますからね。「教養」さえあればいくらでも楽しみしろは探せるはずなんだから。
まあ教養主義というか権威主義というか本質主義丸出しな……どのような信仰をお持ちでも結構なんですけど、それをグイグイ押し付けられるのは甚だ鬱陶しいという自覚くらいはあって欲しいね。
==== 追記 ====
書いた直後に全然反応がなかったのに、今見たら色々コメントがついていて驚きました。
ブコメを読んだら、結構な数の人が怒っていて、私の中の善良な市民感覚が、「悪いことをしてしまった」という後悔の念を自然と抱かせましたが、落ち着いて考え直してみると、別にそう悪いわけでもないなという気もしています。とりあえず、これが率直なところです。
・「不快」で他人の発言を抑圧しようとするのを表現規制って言うんじゃなかったっけ
・自分の意思にそぐわないからと言って他人の言動を制限しようという発想かー。上手くいきそう?
・自分の不快感のために他人の自由を制限できると思ってるんかな
・不快に思うのは勝手だが、人の発話の自由を制限しようとするのは何様のつもりだろうと思うし、方言の利用を咎めることも更に最悪って感じがする(私は方言コスプレをポジティブにとらえている)
これらの意見は大きくは、自分の不快を理由に他人の行動を制限するのは駄目だ・許されていないという意見だと理解しています。この「制限」というのが、肉体的な拘束や洗脳のように、相手の権利を蹂躙するものならば許されないと思いますが、「不快だからやめろ」と言ったり、ネットに書いたりするのは全く正当な権利だと思っています(アホとかいうのは良くないですが)。こういう自由はむしろ私たちに与えられている非常に重要な権利だと思いますし、これを封じる方がよっぽど表現規制でしょう。一応誤解のないよう言っておくと、私は他人の自由を規制できるとは思っていません。ただ「やめろ」と言うのはありということです。
「上手くいきそう?」については、無理そうって感じです。本文に書いたように、たまたま「なんよ」に連続で遭遇した勢いで書いたので、見通しは特にありません。
・たった100文字のブコメでネイティブの「なんよ」と非ネイティブの「なんよ」の見分けがつくんか!すごいのう〜!うち岡山出身じゃけどようわからんわ〜!!日本人口のほぼ半分は西日本に住んどるって知っとる?
仰る通りで、つきませんね。ただ私の観測してきた「なんよ」使用者数からいって、ノンネイティブが使っているのは間違いないと思ったので、それらの人に届けばいいと思いました。誤算としては、私が思っていたより「なんよ」圏が大きかったことです。でも一定数のノンネイティブには届いたと思います。
他のブコメも含め、関西全域で使われているみたいな主張もありましたが、流石にそれはないんじゃないのとは思います。私は十年ほど関西に住んでいましたが、ほとんど出会ったことがありません。とはいえ私は交友関係が狭いのであれですが。局在しているってのが一番ありそうな気がします。
・「他人の言動に無思慮に追従してしまう主体性のなさへの嫌悪」「「なんよ うざい」、「なんよ 気持ち悪い」が上位に上がるので、軽蔑的な印象を持つ人はそれなりにいるようだ」露骨なブーメランだし釣りなんよな?
これはつまらない意見ですが、トラバにも同様の内容があったので返答しておきます。読めば明らかなように私は不快に思う理由をメインで書いています。そして、他人の意見を参照しているのは論理の補強のためです。つまり、他の人たちも嫌悪しているようだから、その嫌悪は必ずしも独りよがりではないはずだという論理です。これは普通に読めばわかることだと思いますし、こんなのは本筋からずれた瑣末な部分です。もうちょっと文章を大局的に捉える訓練をしては?
・他者への解像度を想像だけで上げようとするとそれは自分の投影になると思う。そういう人なのであろうという想像は自身の内面を紹介するような感じがするので私はしたいとは思わないかな。
==== 以上追記 ====
前から気になっているんだけど、ここ数年「じゃないんよ」とか「違うんよ」とか「必然なんよ」みたいに「〜んよ」と言う語尾(?)を使う人をよく見る。元々は九州とか中国地方あたりの方言なんだろうけど、そうじゃない人も多く使っていると思う。私はこの語尾が嫌いで、見聞きするたびに少しイラっとくるんだけども、今日はてブを見ていたら短時間に三度ほど見てしまって、これは警鐘を鳴らすべきだと思った。
この語尾を使っている人たちが、なんの影響で使い始めたかは知らないけれど(千鳥の影響だと推測しているが)、これは元々方言であって、ノンネイティブの人が使うのは問題ではないが、エセ関西弁と同じで薄ら寒い。ネイティブの人が使うのは別にいい。これは偏見という自覚はあるけども、私はこの言葉遣いをした時点でメタ認知能力に欠けたアホではないかと懸念を抱く。
「なんよ」を使っている人は以下の点について自問してほしい:
2. どのような人の前でそのような言葉遣いができるか?
1で無意識に流行り(?)の口調を真似て使ってしまっていたという人は、この機にやめてはどうか?小中学生の頃に、無意識に他人の口調や言葉遣いを真似したり、お笑い芸人のギャグを真似したりする人がいただろう。子供なら無邪気で済むかもしれないが、大人がしていたら見苦しい。あなたがしているのはそういう無分別な子供じみた振る舞いだ。
2については、そもそもカジュアルな言葉遣いだから目上の人には使わないだろうが、ただ、例えば立場としては対等でも、適切に自分を評価して欲しいと思う相手に、そのような言葉遣いをするだろうか?ちょっとアホっぽいからやめようと思わないだろうか?もしそうならば、あなたは一定の状況下ではアホっぽい振る舞いをしていたことになる。自分の言葉遣いがどういう印象を相手に与えるかにもう少し意識的になってはどうだろうか?
ここまで書いて思ったけれども、私が「なんよ」を不快に思う理由の根っこは、他人の言動に無思慮に追従してしまう主体性のなさへの嫌悪感にあるのではないかと思った。同じ特徴的な言葉遣いでも、例えば一人称に「おいら」を使ったり、語尾が「〜なのさ」の人にこれまで出会ったことがあるが、全く不快には思わず、単にそういう人なのだと感じた(多少面食らったが)。しかし、「なんよ」は私には同じような特徴としてではなく、自分が他人からどう見えるかを認識する能力(メタ認知能力)の欠如、他人と自分を簡単に同一視してしまう自他の境界の曖昧さとして映る。これが一面的な見方であることは重々承知しているけれども、限られた情報から他人を判断する必要上、一定程度は合理的だとも思う。私のような考えを持つ人がどれだけいるかは分からないけれども、google で「なんよ」と打つと「なんよ うざい」、「なんよ 気持ち悪い」が上位に上がるので、軽蔑的な印象を持つ人はそれなりにいるようだ。なんらかの強い理由がなければ今後は使わないで欲しい。