テレキャスターとストラトキャスターは同じ音。これは事実ではない。 機械で音形でも測ってみれば多分わかること。
セッティングと奏者を揃えてもテレキャスターとストラトキャスターの音が違うのは事実。
大して違わないし、気にもならない。
わずかな違いではあるけど、こだわりたい。
違わないと思うけれど、違うと言う人もいるので使い分けてみる。
大分違うけれど、こだわりたい部分ではないので気にしない。
全然違うので、当然使い分ける。
全然違うし自分にとって重要な印象もまるっきり変わるけれど、敢えて使い分けない。
これらはどれも事実ではなく意見。各々が持つ感じ方を通してでしか出力出来ない。
意見なので当然事実と違って正解も間違いもない。強いて事実を見出すなら、どれが一般通念とされている蓋然性の高い考えか、くらいのこと。
全然違っていると思っている人が違わないと思っている人を「解像度」が低く劣っていると馬鹿にする。
全く違うと豪語していた人にブラインドテストを受けさせたら見(聴き)分ける事すら出来ず、受け売りに踊らされていたことをからかう。
ギターに限らずそんな光景ってあるんじゃないなと思う。どちらの意見が真実を競わせ、試し、自分の意見は正しいのだと誇り間違っている相手を貶す。
まあ違いを見極められないよりは分かってる方がなんかカッコイイ感じはすると思う。ただ違いがわかった所で何を以て良しとするかはまた別の話。
違いを認識出来るようになってから、その分解能が自分のイイと思える確信や納得に何か影響を与える事があって、そうなって良かったと思える事もあるかもしれない。ないかもしれない。