はてなキーワード: 水からの伝言とは
ホットエントリが増田だらけだというが、具体的にどんな感じなのか。増田が150個ホットエントリ入りするとホットエントリの大体1割を占拠した感じになる。
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2006 | 0 | 2 | 3 | 14 | ||||||||
2007 | 29 | 30 | 23 | 13 | 23 | 29 | 8 | 24 | 31 | 35 | 24 | 32 |
2008 | 25 | 27 | 26 | 21 | 26 | 32 | 65 | 81 | 66 | 78 | 73 | 118 |
2009 | 85 | 65 | 50 | 49 | 65 | 59 | 44 | 48 | 53 | 50 | 31 | 25 |
2010 | 23 | 23 | 19 | 15 | 16 | 27 | 64 | 43 | 32 | 22 | 30 | 13 |
2011 | 20 | 13 | 25 | 20 | 14 | 13 | 32 | 30 | 17 | 18 | 13 | 7 |
2012 | 10 | 3 | 9 | 7 | 18 | 17 | 13 | 13 | 16 | 20 | 10 | 20 |
2013 | 32 | 34 | 76 | 69 | 78 | 82 | 67 | 97 | 84 | 85 | 83 | 74 |
2014 | 63 | 85 | 103 | 100 | 87 | 117 | 142 | 90 | 78 | 70 | 64 | 66 |
2015 | 72 | 71 | 86 | 91 | 108 | 131 | 130 | 129 | 136 | 132 | 144 | 158 |
2016 | 164 | 128 | 123 | 138 | 148 | 165 | 127 | 147 | 143 | 167 | 148 | 143 |
2017 | 147 | 147 | 162 | 177 | 181 | 178 | 169 | 158 | 171 | 175 | 184 | 183 |
2018 | 169 | 176 | 281 | 227 | 213 | 225 | 218 | 275 | 235 | 242 | 212 | 206 |
2019 | 235 | 207 | 182 | 201 | 255 | 213 | 217 | 168 | 185 | 219 | 234 | 208 |
2020 | 187 | 156 | 165 | 162 | 206 | 242 | 291 | 240 | 166 | 183 | 202 | 179 |
2021 | 205 | 203 | 206 | 212 | 222 | 198 | 166 | 163 | 151 | 178 | 189 | 127 |
2022 | 203 | 121 | 114 | 161 | 201 | 195 | 146 | 148 | 176 | 214 | 231 | 227 |
2023 | 248 | 174 | 168 | 209 | 221 | 237 | 257 | 238 | 202 | 189 | 194 | 200 |
2024 | 247 | 216 | 182 | 154 |
http://anond.hatelabo.jp/20170219233955 と同じデータで但し書きは同じ
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そういえば、オウムテロより前と思うけど、EMがTVでステマしてた時期があった。
EMで車の燃費が向上、なんてのも夕方のニュース枠で真面目にガソリンが切れるまで走らせて試してしまっていた(そりゃ元々カタログ値以上走るよ)
芸能人がEM入れたコップの上にタバコを置いて「味が変わる!」とかやっていた(なんかアレ愛川欽也だったような記憶……)
最近思い出して、あれってなんか水伝ぽいなあと思ってWikipedia読んだら、波動の測定器を導入してたから、やっぱつながりがあったのは分かった。
さてどこから誰を介してつながったのか?とちょっと気になった。
20users越えくらいの記事を紹介。
追記:最初の記事のはずなのにその前に何やら記事がある問題については以前に考察したのでそちらを読んでくれ。
http://anond.hatelabo.jp/20141205120834
この3年後に「はてな(ブックマーク)ニュース」が誕生した。
今でも青二才だのサイバーメガネだので盛り上がってるけど、昔からこういう感じなんだよな。
80users越えでホッテントリ入り、トラバの中にも20users越えのものがあり、まさに増田史上初の人気記事と言えるのではないだろうか。
ちなみに当時のusers数を現在の感覚に直すときは2倍~3倍換算くらいが良いと思います(個人の感覚です)。
増田史上初の3桁usersだ。
GIGAZINEはいまでこそ存在感が薄いけど、当時は「(クソ)ネットニュースサイト」の代表格だったのだ。
夢日記だが、「増田文学」的な読み物の先駆けと言えるだろうか。
まさかdel.icio.usが衰退してはてブが残るだなんて当時の誰が予想しただろうか。
今では「アルファブロガー」なんて概念そのものが無くなってしまったな。
「増田」という呼称が生まれるきっかけとなった記念碑的な記事。
何でもないような記事だが80users越え。
ストレートな改変ネタだが、最近はこういうのが少なくなった気がする。
最近はnaoyaのことを知らないはてなーも増えただろうか…。
2006年内で他にブクマが100usersを越えた記事は以下のとおり。
160 :最近風呂入ってないけど、 :2006/10/31(火) 19:32:46 ID:w586Zf1z0 ジャスラック..
y0m0 男女はそもそも生物学的にも身体的にも同じであり、ただ個体差と文化的性差があるだけであると考えている人と、男女はそもそも生物学的にも身体的にもことなっていると考える人がいる。根本的な思考のズレはここかな
こんなブクマをみて「はははは前者みたいな事言うやつ本当にいるのかよ」というのが第一印象で。
「あまりジェンダー関係の記事は読まないしー、しかし男に穴は3つもないし女に棒はないだろ」なんてゲスなことも考えたり。
まぁそんな極論ぶつやつなんてそうはいねーだろと思ってたら
KoshianX いや女子も10km走らせるべきだと思うけど、ダサピンク現象は「マーケティングはデータだけで判断できない」という実例としておもしろいと思うなあ。
cleome088 いや、男子10k女子5kは男女共10kなり7kなり5kなりにすべしでしょ…。男の人って自分にかけられた「ダサピンク」に鈍感すぎると思う。
まじなの?これが「男女はそもそも生物学的にも身体的にも同じであり、ただ個体差と文化的性差があるだけであると考えている人」ってわけ?
他の要素なら文化的性差なんて胡散臭い言い訳のしようもあるけど、運動能力は文句のつけようがないほど明確に差がある所じゃない。優劣があるじゃない。陸上でいったら女子の世界記録は日本男子の高校生の記録にすら劣る。その現実を無視して同じ距離走らせろって?体力差を考えてよ。体力差もそうだけど全国的に女子の距離は男子の半分ってなってるのはゴールするタイミングが同じくらいになるようにって配慮もあってそうなってるわけでしょ、多分だけど。
いやもちろんわかるよ。陸上部の女子エースと文化部帰宅部の男子はてなーじゃ多分陸上部女子のほうが速いだろうけどね。なんで一番上と一番下を比べるんだよって。というか一番上と一番下を比べなきゃいけないほどに差があるんだよ。
正直現実修正主義者といってもいいレベルのトンデモで、正直ここはてなでなら水からの伝言だの江戸しぐさだのと同レベルに叩かれていい非科学的非論理的非現実的な論だと思うんだが、取り上げてる人があまりにいなくてつい書いてしまったよ。
実際どうなの?非科学的な話も男女の話となると見てみぬ振りをしてるのか現実が見えなくなるのか触っちゃいけなかったのかはてな全体の態度がいまいち掴めないんだけど。
授業や研修で水からの伝言や江戸しぐさを取り扱います。素直に内容を肯定しましょう。
終わったら、反応をみましょう。アンケートや感想文を書かせます。
感動して絶賛する人もいるでしょう。
逆に参加者の中には斜に構えて、授業や研修の内容に疑問を感じる人がいるかもしれません。
その人があなたやあなたがまとめる組織にとって、重要な人です。
この重要な人をどのように扱うのかは、組織の方針によるのでしょうが2つの考え方があります。
1 中立な考え方をして、世の中の常識から外れたことをしようとしたときに警告をしてくれる人と考え、重用する
2 組織の意見を素直に受け入れず、考えを曲げない人と考え、疎外する
「NPO界隈の過半が『怪しいNPO』で占められてる」というのは一部の人には「常識」なんだが、
問題は、そういう「NPOリテラシー」は、言ってみれば特殊な人(NPO関係者、マスコミ、裏稼業な人)にとっての「常識」であり、
表側の人、特に新米ママ界隈だと、そういうリテラシーを持ち合わせていないママが多すぎること。
だから首捻りマッサージNPOに、「NPOなんだから・・・」と、いともカンタンに引っ掛かる
「育児支援団体の中には、怪しい団体もありますから注意しましょう」
「育児書の中には、怪しい育児書もありますから注意しましょう」というリテラシー教育をすべきだと思う。
でも、この手の「怪しい育児NPO」、意外と「市役所主催の育児支援企画」に出入りしたりしてる。
⇒「どれが怪しくて」「どれが怪しくないか」何もわからない新米ママは、
「市役所主催の企画だから、内容も間違いないだろう」と信頼してしまう
だから、首捻りマッサージNPOも、過去に「役所の公的企画に、どれだけ呼ばれていたか」、ちゃんとチェックすべきだと思うが、
「水からの伝言」「EM菌」なんかも「役所の公的企画」になっちゃってたりするので、
多分首捻りマッサージも公的企画に採用されてるんじゃないかと推測される。
「新米ママ」というのは、エセ科学団体、そして宗教団体からしたら「格好のカモ」。
だから、「妊娠出産時は、へんな団体が来ますから注意しましょう」なリテラシー教育が重要
一番責められるべきは、
「首捻りマッサージとかEM菌とかの怪しげな企画を、精査せずに安易に採用する市役所担当者」なんだが、
「昨年は育児企画を7件企画したが、今年はまだ2件しかしてない、このままじゃ来年から予算が減らされる、どうしよう・・」
「係長、いい企画見つけました!赤ちゃんの首を捻って、免疫向上だそうです!」
「よし、早速企画だ!!」
・・・というノリで、あちこちの市役所で、EM菌とか首捻りマッサージとかホメオパシーとかを企画してそうな気がする。
逆に、首捻りマッサージNPO側も、あちこちの市役所に「営業」してたんだろうなあ。
「講演料は要りませんから」なんて言われたら、財政が厳しい市役所は飛びつく。
で、講演会場で「この商材を買えば・・」と営業トーク。講演料ゼロでも元は取れる
・・・と偉そうに書いている自分だが、うちの妻も怪しげな育児書に騙されかけたからなあ。
⇒早速取り上げて、妻を洗脳解除。
今更ながら、「米のとぎ汁乳酸菌」というのを知った。
米のとぎ汁をペットボトルに入れて蓋をして一週間放置する。できたものが臭かったら失敗、酸っぱいにおいなら「米のとぎ汁乳酸菌」の出来上がり、というものらしい。これを飲んだり部屋に撒いたり庭に撒いたりすると、この中に含まれる光合成菌が放射能を分解するのだそうだ。
僕は一応理系の人間なので、まずは「マジありえない、馬鹿馬鹿しい」と思った。と同時に、似非科学批判をかじった人間なので、「これ信じる人も結構いるんだろうな」とも思った。「米のとぎ汁乳酸菌」の記事を読み進めると、「EM」という言葉が出てきた。有名で代表的な疑似科学だ。僕は苦々しい気持ちになった。
EMについては、すでに沢山の方々が批判を書いておられるので、ここではEMの非をあげつらうことはしない。以下に書くのは、僕とEMとの、個人的でささやかな、しかし長い期間の関わりについてだ。EMやコメのとぎ汁乳酸菌についての検証や批判を読みたい人は、このページを閉じて別のところに行った方がいい。
初めて「EM」に触れたのは、僕が中学生の頃だった。母がどこからかEMというのを仕入れてきた。世の中の割と多くの母親が、「化学」や「合成」よりも「自然」「天然」を好むのと同じく、僕の母もそういう人であった。母は毎晩米をといで、とぎ汁とEM菌と糖蜜をペットボトルに入れて蓋をし、家族が入り終わった後の浴槽に浮かべるようになった。そうして出来上がった汁を「発酵液」などと呼んでいたが、母はそれを庭やトイレに撒くだけでは飽き足らず、洗濯にも使うようになった。洗いあがったタオルを触って、母は「柔軟剤使ってないのにふわっとしてるでしょ?」と訊いてきた。言われてみればふんわりしているような気がしないでもなかったので、「うーん、そうだね」などと曖昧な返事をした。しかし、菌は菌である。発酵液の臭いは、糖蜜の甘いにおいに何とも言えない酸っぱいにおいが重なっていて、あまり嗅ぎたい臭いではなかった。その上、僕の家では入浴剤を入れた風呂の残り湯を翌日の洗濯に使っていたので、洗いあがった洗濯物は他所では嗅げない独特の臭いがしていた。僕は小学生のころから、洗濯だけは自分のものを分けて洗っていたので、服についてはEM洗濯の被害を免れたのだが、EM洗濯をはじめてからは自分専用のタオル類も自分で洗うようになった。
EMを使っている母は楽しそうに見えた。環境に良いコトをしているのがうれしかったのかもしれない。僕はそんなにEMのことは好きになれなかったが、楽しそうにしている母を見るのは悪くなかった。その後僕は(EMとは無関係のところで興味を持って)生物学を学べるところに進学した。進学が決まったころ、母が「学校で習ったら、菌のこと教えてね」と言ってきて、僕は快く返事をした。
僕が進学して、非リアながらも楽しいスクールライフを送っているあいだに、母はEMを個人の趣味から団体での活動へとシフトさせていった。僕と違って母は顔が広く、何人かの知人女性たちと一緒にEMの活動を推進しはじめていた。
進学してからしばらくして、母が僕にEM関係の頼みごとをしてきた。自治体に提出する、EMの影響について実験したレポートを添削してほしいという事だった。僕は菌の種類やBODなどについてようやく学んだところで、教科書や図書館の本を参考にしてレポートを読んでみたが、そのレポートは、凡そ科学とはかけ離れたものであった。実験といっても、比較対象もなくデータの単位もあやふやでデータ数も少なすぎた。未熟ながらも科学者としては、「この実験からは何の結論も言えない」としか言えなかった。だがレポートの結論は「EMは有効」と決まっていた。それで僕は、「この実験からEMが有効であるという結論は導けない」ということをオブラートに包みながら母に言った。母を失望させるのはしのびなかったが、科学者(の卵)としての良心にも嘘はつけなかったので、これが僕の当時の精一杯の対応だった。しかし結局そのレポートが議会で承認されたのか、母のEM活動はさらに拡大していくことになった。
やがて僕は一人暮らしを始めた。高速のインターネット環境を手に入れ、ネットの海をひとしきり漂った挙句、とある疑似科学批判のコミュニティにたどり着いた。僕は一応科学者の端くれを自認していたし、マイナスイオンなどの詐欺的な疑似科学的言説に憤りを感じてもいたから、コミュニティに参加(ROM専だったけど)し、そのなかの議論を観察し続けた。当然ながらそこには、EMに対する批判もあった。
僕はそれまで、EMが批判されていることを知らなかった。僕自身はEMを胡散臭く感じていたし、好んでもいなかったけれど、たとえEMで川が綺麗にならなかったとしても汚くなることもないだろうし、多少なりとも良い点があるのならば別にいいんじゃないか、と思っていた。母が推進しているEM活動に対して、きっぱりと批判の対象にしてしまうのが怖かったのかもしれない。少なくとも、他の疑似科学みたいにお金を儲けたり人を殺したりしているわけじゃない、と。
でも僕は知ってしまった。疑似科学と人の善意が交わると嫌なことが起こったり、困ったことになったりする。しかも善意だから、批判しにくいこともあるし、批判された方も自分の善意を否定されたと感じて素直に受け入れられない。特に子供がかかわってくると問題は複雑になる。
時々は実家に帰る。風呂場には今もEMのペットボトルが転がっているし、食器洗いを手伝うときはEMを混ぜ込んだ茶色い食器用洗剤を使う。台所の隅には生ごみのコンポストがあり、蓋を開けるとあの何とも言えない異臭が漂う。母は一時期、電磁波を遮断するというEMブレスレットをつけていたこともあったし、あの有名な「水からの伝言」を持っていたこともある。そういうものを見かけるたびに、皮肉を混ぜ込んだうえオブラートで包んだ僕の意見を伝えてきた。そのためかわからないが今では母はもう僕にそういうものを勧めてくることはなくなった。
母は知人にEMを配布したりしているのだが、それに同行したことがある。その知人には一人暮らしを始める娘さんがいて、母は彼女にもEMを渡していた。彼女は笑顔で受け取り、「これを入れるとトイレが本当に臭くならないんですよね」と言った。僕よりも若い娘さんが、一人暮らしの部屋でEMを使う。そのことを考えると、とても奇妙な心地がした。
僕は今も母のEM活動を静観しつづけている。EMは母の日常に完璧に溶け込んでいる。そしてもはや母一人の活動ではなく、親戚や知人や自治体、さらに周辺の自治体や団体にまで影響範囲は拡大している。僕にはそれを止める力はないし、母との関係を悪くしたくもない。
ネットで疑似科学を叩けても、母には何も言わなかった、僕は卑怯者かもしれない。
だけど今の僕には何もできない。
切込隊長のブログ記事「なんかエコ活動とかやってる奴がいるけどさ」に、ブクマを見るとほぼ全面支持なのに驚いたのでちょっと書いてみる。「エコ」がこれほど不人気となると正直、日本や人類の未来は暗いと思わざるを得ないからだ。またその一方で、そうなるのも仕方がないのかなと諦観する気持ちもある。理由は、グリーンピースをはじめとする「環境保護団体」には確かに、隊長が指摘するような非合理性と偽善性がつきまとっており、一般人が不信感を抱いて当然だからだ。
なお、私は環境問題の専門家ではなく、市井の理工系の人間に過ぎない。ただ、多少の科学知識があればこの程度のことはわかるはずだということを示すためにこの記事を書いている。
隊長曰く、
なんかみんな、エコバッグ持ってたり、スタバとか逝ってマイカップ持ち込んで飲んでたり、してるけどさ。
本当にエコとか考えてるなら、風呂の回数減らせよ。一日おきでいいだろ。ドライヤーも使うなって話だ。マイカーでぶんぶん通勤してる奴が、得意げになって使用済み天ぷら油の再利用とか言ってて馬鹿なんだろうかと思う。
これは全くその通りと言わざるを得ない。ここでは話を単純化してCO2の削減についてのみ考えることにすると、生活の中でCO2を直接的・間接的に最も排出しているのは自動車と光熱費(特にエアコン)であるのは余りにも明らかなのだ。CO2は基本的に炭素を含むものを燃やしてエネルギーを取り出したときに排出される。そして、物理を少し学んだことがあれば自明のことなのだが、日常生活の中ではものを動かしたり熱したりというのが圧倒的にたくさんエネルギーを使うことなのだ。そして、50kgぐらいの人間1人を動かすために、1tぐらいの乗り物を使い、そしてゴムタイヤでアスファルトの上を走る自家用車というものがいかに、たとえば鉄道と比べればエネルギー効率が悪いかは明らかなわけで、エコバッグとかマイカップとかをやっていても車通勤をしているだけでおつりが来るぐらいのCO2を排出することになる。
つまり、個々人が「忍び難きを忍び、堪え難きを堪え」るような「エコ」活動は自己満足以外の意味はほとんどないのだ。
では、本当の「エコ」とはなにか。上に書いたことからおわかりだろうが、エアコンや冷蔵庫を高効率のものに買い換えさせ、人間やものが移動する必要を減らしつつ、できるだけ自動車に依存しないように路面電車の整備や業務のIT化を進めていくといった社会構造の改革をするほかない。同時に、エネルギー源をできるだけ化石燃料に依存しないように、その方面での技術開発も進めていくことだ。
要するに、「エコ」とはどこまでも今後のエネルギー・資源戦略の話であり、マクロ経済、都市工学、そしてエネルギー工学といった堅い分野の成果を積み上げていく話なのだ。本質的に、「忍び難きを忍び、堪え難きを堪え」たり、経済成長を否定したり、科学技術を悪と糾弾したりするような話ではない。
ちなみについでに言うと、温暖化CO2原因論に対する懐疑論も跋扈している(どういうわけか、池田信夫氏を筆頭にラディカルなリバタリアンは判をついたようにそうなのだが)が、化石燃料の枯渇を見据えればどのみち取らねばならない対策は同じである。だからそのことは考えなくてよい。
もう一つ、隊長の書いている
「環境を考えて、太陽電池パネルをつけました」とかさ。太陽電池パネルを生産するのにまず二酸化炭素やエネルギーロスがかかるっつーの。
はよくある誤解で、最近では太陽電池では余裕でエネルギーの元が取れるようになっている。
ではなぜ、このような誤った「エコ」のイメージとそれにたいする反感がここまで広まってしまったのか。それは、グリーンピースに代表される環境保護団体の姿を考えてみるとわかりやすい。彼らの中には菜食主義、呆れるほど不合理な反捕鯨運動、経済成長や科学技術や物質文明への否定的評価、そしてオカルトじみた「スピリチュアル」といったイデオロギーへの親和性が強く見受けられる。これは本来、上に述べたように「エコ」と必然的な結びつきはどこにもない。にもかかわらず、世間では「エコ」というと、もっぱらこうした偽善的で胡散臭い印象ばかりがはびこってしまっている。これはなぜなのか。
答えを書いてしまうと、これは近代現代欧米に特徴的な「ニューエイジ」と呼ばれるある種の疑似宗教的社会運動の産物なのだ。ダーウィンの進化論などの影響によりキリスト教的思想基盤が揺らいだ後、既存の価値観を否定し、オルタナティブを「東洋」に求める動きが西洋社会には発達した。それが「ニューエイジ」なのだ。西洋にはなぜか、日本のあらゆる事物を「禅」に結びつけ、むやみやたらと親日的な人(それでいて捕鯨のこととなると途端に北朝鮮まがいの反日戦士になる)が多いが、これも一つには「ニューエイジ」の影響である(日本がそれを利用した面も多分にある)。このほか、北京オリンピックへの反対運動の旗印がなぜ「チベット解放」ばかりで「ウイグル解放」ではなかったか、本質的に同じ宗教の分派であるイスラム教があれほど嫌われる一方で紛れもない異教徒であるダライ=ラマがなぜあれほど尊敬されるのか、そういったことにもこの「ニューエイジ」が背景にある。そしてついでに言えば、オウム真理教とか船井幸雄とかはたまた「水からの伝言」といった訳のわからないものは、日本にこうした「ニューエイジ」が「逆輸入」された結果であるといっても間違いではない(早い話、オウム真理教が伝統的な漢訳の仏教用語ではなくサンスクリット語やパーリ語をカタカナ書きした用語を使っていたのはこのためだ。これが「阿吽真理教」であったり、ホーリーネームが「マイトレーヤ」や「マンジュシュリー」ではなく「弥勒」や「文殊」だったらあれほど信者を集めたかどうか想像してみるとよい。オウムは仏教の原理主義でありつつ、伝統回帰ではなく伝統否定なのだ)。
少し脱線気味になったが、要するに「エコ」を敵視している人は戦う相手を間違えているのである。グリーンピースをはじめとする「ニューエイジ」運動がキモいことには何の疑いもない。ああいう偽善的かつカルト的なものは叩いておくべきだと私も思う。しかし、「エコ」全体を一緒くたに攻撃するのは誤爆もよいところなのだ。
鳩山内閣のエコ政策が嫌悪されたのはこう見ると当然の話だ。鳩山氏の「いのちを守りたい」というエコ政策は、本物の「エコ」のような国家戦略ではなく、もっとナイーブな感情に端を発していて説得力がまるでなかったからだ。鳩山夫人のオカルト嗜好ともども、これも「ニューエイジ」の影響の産物である面が多分にあり、国民が偽善臭を嗅ぎ取ったのはおそらく当たっている。
しかし、エコは本来国家戦略であり、未来にわたる豊かな生活を保つために不可欠である一方で、日本の国益にも繋がる可能性をも秘めているのだ。上に述べたように「エコ」のためには重工業の技術力が強く求められるのだが、これは日本の得意分野であって、中国や韓国といった新興国に対して優位を比較的強く持っている分野でもある。同様の事情を抱える独仏が「エコ」に梶を切り、オバマも「グリーン・ニューディール」を提唱しようとしているのはこのためなのだ。日本政府がこの方面に消極的なのは、重電産業に身を置くものとして実に歯痒いものがある。どうか、もっと事実を冷静に理解し、お涙頂戴物語としてではなく国家戦略としての硬派な「エコ」の推進の世論の形成に手助けをしてくれる人が一人でも増えて欲しいものだ。
担任にしろ校長にしろ、何かを言いに行くときには冷静で相手に分かりやすくを心がけるようにな。
少なくとも元増田の文章は、「水からの伝言」憎しのあまり、誤解を招きかねないものとなってる。
問題なのは、「うざい、だるい」という言葉を使ってはいけない理由が「自分に返ってくるから」になること。この時、私と母は「じゃあ、ありがとうって言葉を使うと、ありがとうが帰ってくるということかな?」と対応しました。偏った価値観を持ってほしくないという思いからのものです。「ありがとうって言ったらそれも自分に返ってくる、だからありがとうをみんな言おうねって先生が言っていた」と弟が返答してくれるかと期待しましたが「う、うん…」と言葉に詰まってしまうのでした。
最初に見たとき、元増田と母親が「自分にしてほしくないことは、相手にもしない」という基本的な道徳を、「偏った価値観」と言っているように見える。相手に誤解されて「モンペがネチネチと細かいこと言ってきたよ」とか思われたら損でしょ?
水からの伝言というのをご存知でしょうか
水にありがとうなどの良い言葉をかけるときれいな結晶ができ、反対にばかやろうといった悪い言葉をかけると汚い結晶ができるという、そういった類のものです
この水からの伝言を、道徳の授業で扱う先生がいるという問題は、少し前にネットで盛り上がったかと思います。実際にはそんな先生の話を聞いたことがなかったのですが、最近小学生中学年の弟がこんな話を私と母の前でしてくれました。
「うざいとか、だるいという言葉を使うとそれは自分に返ってくるんだって」
いきなりこんな話を弟にされ、非常に困惑しました。なんと一方的な思考をしてるんだろうと。聞くと、担任の先生から言われたことだそうな。
問題なのは、「うざい、だるい」という言葉を使ってはいけない理由が「自分に返ってくるから」になること。この時、私と母は「じゃあ、ありがとうって言葉を使うと、ありがとうが帰ってくるということかな?」と対応しました。偏った価値観を持ってほしくないという思いからのものです。「ありがとうって言ったらそれも自分に返ってくる、だからありがとうをみんな言おうねって先生が言っていた」と弟が返答してくれるかと期待しましたが「う、うん…」と言葉に詰まってしまうのでした。
そしてその話の後に「水からの伝言」が弟から話されるのでした。私はつい熱くなってしまい「そんなこと嘘に決まってるだろう、科学的にありえないことなんだよ」といった悪態をついてしまいました。今はとても反省しています。そんな言い方をしても小学生の弟に分かるはずがないのです。今は冷静になり、ネットで水からの伝言の資料を探して読んでいます。
非常に憤りを感じてしまいました。
弟に「誰がそれを確かめたの?本当にそうなの?」と聞くと弟は「だって見たもん、学校で見せてもらったもん」と言います。子供にとって先生は正しい存在なんですよ。だから、その先生が話したことは正しいことになるんです。
母も私同様の思いを持ってくれています。直接その先生に言っても変わらないだろう、校長先生など上の方に言わないと、と母は考えて行動してくれようとしているので一先ずは安心しています。
492 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/11/02(月) 21:50:41 ID:i3F0bPCb0
http://h.hatena.ne.jp/hokusyu/9258649500411272639
http://b.hatena.ne.jp/entry/h.hatena.ne.jp/hokusyu/9258649500411272639
ただ、あらゆる「水からの伝言」に対して科学の知識の不備といいだしかねない人はいそうですが。
それから、ネットにおける「水からの伝言」の議論が、科学の観点から、
テクニカルな問題として「水からの伝言」は可能かどうか、という議論に偏りすぎていたので
そのような危惧を抱いたということもあります。
それが政治的対立であることが見落とされてしまうと、「水からの伝言」に反対することがたとえば
科学の文脈において正しいのだ、とされている「水からの伝言」反対派のコンセンサスの中で
(それは正しいとも間違ってるともいいませんが)、「水からの伝言」に賛成する立場が、単なるレベ
497 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/11/03(火) 08:44:29 ID:fW9YdK1iO
北守はアレだな。
まず最初に子供じみた正義感があって、そこにテンプレで知識を肉づけしてる。
だから同じ理屈で正反対の思想でも単語を入れ替えたらそのまんま擁護できる。
結局は内実がないというか、童貞が集まって「理想の女の人はどうあるべきか」を語ってるレベル
これじゃあ他人に対して影響力なんか及ぼせるわけがないんだが…
今年でゼロ年代が終わる.2000年が始まったときはミレニアム!と晴れ晴れしい気分であり,まさかゼロ年代なんてカタカナで時代が表されるだなんて思っても見なかった.そんなことを近頃思っていると「そういや,2000年とか2001年ってどんな本が平積みにされてたっけ?」と思ったので,簡単にまとめてみた.これは客観的な統計データのまとめではないし,選んだ本やその解説には恣意性だって含まれてると思うけど,はてブ等でフォローしてもらえたらと思う.
一般書では『だから,あなたも生き抜いて』がベストセラーであった.閉塞感のあった90年代において日本は経済も社会システムも崩壊が始まり,これまでのような一億層中流社会は望めなくなった.そんな時代に単なるサクセスストーリーとしてだけでなく,「生き抜く」ことを薦めるこの本がゼロ年代最初の年のベストセラーであったことは興味深い.
経済書では『経済ってそういうことだったのか会議』がよく書店に平積みされていた.お金のことは銀行や専門家にまかせておけばよい,といった価値観から自分の身は自分で守ろう,そのためには少しずつでも知識をつけようという価値観へ既に変化し始めているように思える.
また,9.11以前に文明の衝突論を展開していたという点でハンチントンが後にもてはやされた.『文明の衝突』は1998年.
また,ソーカル事件を発端とする科学論者と科学者間の間の論争である『サイエンスウォーズ』『知の欺瞞』が出版された.一連の流れにより,科学は正しいものという固定観念が崩れ始めるが,その悪影響として疑似科学が隙間に入ってくることとなる.
2001年は一般書・自己啓発本として『チーズはどこへ消えた?』や『金持ち父さん貧乏父さん』がベストセラーとなった.これらは自分探しブームの終焉でもあり,ありのままの全肯定でもある.その他の一般書では『声に出して読みたい日本語』のような日本語ブームが始まる年である.
ゼロ年代を象徴する批評家,東浩紀が『動物化するポストモダン』を出版し,アカデミズムからサブカルへの転向,遅れてやってきたエヴァ批評として有名となった.その後の現代思想,批評界は東浩紀とそのフォロワーによって進められることとなる.
また,疑似科学論争の大きなきっかけとなる『水からの伝言』がブームとなり,教育界では道徳の授業で使われたり,科学者集団がその疑似科学性を啓蒙したりする騒ぎとなった.
2002年は一般書では『生きかた上手』や『声に出して読みたい日本語』,『常識として知っておきたい日本語』がベストセラーとなった.また,『本当の学力をつける本』で陰山メソッドが有名となり,公立校の進学校化など各々が一律である必要がなく,教育にも個性や多様性を認めるような社会風潮となっている.とはいえ,これらの風潮は後の格差社会と繋がらないとは言い切れない.
格差社会といえば,玄田の『仕事のなかの曖昧な不安』は社会安定を失った日本の将来を予見する内容であり,当時の日本社会の空気を表す本としてピックアップすることができる.
不況下における人々の意識を表すかのように森永の『年収300万円時代を生き抜く経済学』がベストセラーとなった.この年を前後してエコノミストと呼ばれる人々が盛んにマスメディアに出るようになり,銀行に預けるのではなく,個人が投資する時代になったと盛んに喧伝した.
9.11以降の社会を分析するかのように,ネグリ・ハートの『<帝国>』やチョムスキーの『メディア・コントロール』などが読まれた.特に『<帝国>』は左派に大きな影響を与えたといえる.
2004年は『バカの壁』が大いにベストセラーとなり,養老孟司ブームが到来する.その続編でもある『死の壁』も同様にベストセラーとなり,これらと時期を同じくして,新書ブームが到来.多くの出版社が新書に力を入れ始める.
『仕事のなかの曖昧な不安』を受ける形で『13歳のハローワーク』が出版され,自分探し(何がやりたい?)と自己肯定(何をやっても自分らしい)が同時に薦められるような時代となった.その一方で堀江貴文『稼ぐが勝ち』が売れ,Tシャツ姿で六本木ヒルズで新進気鋭の社長となっているホリエモンが多くの若者の共感と多くの大人の反感を買った.この共感した若者は『希望格差社会』において希望が持てない若者たちであり,株取引による一発逆転という大平光代のサクセスストーリーとは別の形の逆転劇を夢想させた.
新書ブームを背景に『頭がいい人、悪い人の話し方』,『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』がベストセラーとなった.特に『さおだけ屋~』はタイトル売りという技を駆使し,その後多くのフォロワーを生んだ.また,これまで『仕事のなかの曖昧な不安』『希望格差社会』といった「労働」というジャンルのハードカバー本であった内容がついに『下流社会』と新書の形をすることで大衆化し,格差社会というゼロ年代のキーワードを体現した.
また,東一辺倒であった批評界において,『嗤う日本のナショナリズム』によって社会学の北田が登場し,2ちゃんねる批評というものが生まれた.これはゼロ年代が徹底的にサブカル批評へ偏ることを決定づけた.
相変わらずの新書ブームで『国家の品格』『人は見た目が9割』等がベストセラーとなった.『国家の品格』は養老孟司から続く理系人ブームを引き継ぐとともに,後の品格ブームを起こした.『人は~』は『さおだけ~』のフォロワーであるタイトル売りであり,『なぜ、社長のベンツは4ドアなのか?』といったフォロワーも生まれた.
また現在まで続く重要な流れとして『ウェブ進化論』『Google』『「みんなの意見」は案外正しい』といったWeb論が生まれ,Web2.0,玉石混淆,群衆の英知といった言葉がよく聞かれるようになった.これらの著書により,これまでYahooを使っていた人々がGoogleに移行したり,Wikipediaが大衆化したりするようになった.これらのWeb論はあまりにオプティミスティックであると当初から批判されたが,アーリーアダプターにしか知られていなかったWebの様子を大衆化したその社会的影響は計り知れない.また,『フラット化する世界』がベストセラーとなり,インドの台頭が認知され始めた.
品格ブームを引きずって『女性の品格』,○○力ブームを引きずって『鈍感力』などが一般書としてベストセラーとなった.また,理系人による本として『生物と無生物のあいだ』が読まれた.
データが重要となったことを示すような本として『その数字が戦略を決める』がよく書店に平積みされていた.Web時代においてGoogleが大規模DBにデータをため込むようになり,既存の専門家よりもデータが多くを語るような時代が幕開けしたことを告げた.
その一方で,「炎上」という言葉が一般用語化し,梅田らオプティミストによるWeb論に対して,Webの負の面を大衆化させるような本として『ウェブ炎上』や『フラット革命』が登場した.
また,格差社会論は「ワーキング・プア」や「ロスト・ジェネレーション」といった言葉を生み出し,ワープア論壇やロスジェネ論壇と呼ばれるものが生み出され始めた.特に「『丸山眞男』をひっぱたきたい----31歳、フリーター。希望は、戦争。」という赤木の論考は衝撃的であった.
どういう流れからか,『×型 自分の説明書』という血液型本がバカ売れした.これも疑似科学ブームの一端なのだろうか.そして,はてなー大好きの勝間本『効率が10倍アップする新・知的生産術 自分をグーグル化する方法』がついにベストセラー化した.いつの頃からかライフハックという言葉がよく聞かれるようになり,多くの自己啓発本が書店に平積みされていた.また,サブプライム問題までは外資系コンサルが重宝され『地頭力を鍛える 問題解決に活かす「フェルミ推定」』が売れた.
批評界では東にケンカを売る形で宇野『ゼロ年代の想像力』が,東のフォロワーとして濱野『アーキテクチャの生態系』が現れたが,どちらも東の影響を多分に受けており,ゼロ年代批評が東一辺倒であることを決定的にした.
ロスジェネ論壇ではその名の通り『ロスジェネ』という雑誌が創刊し,蟹工船ブームが生まれた.また,秋葉原通り魔事件が起こったことにより,多くのメディアによって事件が消費され,それらは常にロスジェネ論壇,フリーター論壇とともに語られた.
文字ばっかりでごめんなさい.