はてなキーワード: 母集団とは
よく新聞や雑誌でアンケート調査による「○○率」が使われます。
最近では、内閣の支持率がどうとか、安保法案に対しての支持・反対率がどうとか。
統計学を大学での専門として学んでいた者からすれば、「いい加減にしろ!」って言いたいのですね。
統計データってのは、考え方と調査の仕方などで、どうにでもなります。
期待する答えを導き出す方法を考えれば、そのような答えが出てきます。
とりわけ、アンケート調査なんてのは、無作為抽出といいながら、母集団のデータベースがどうなのかは細かく表示されません。
母集団になる数も1,000前後なんてのも多いので、これは信頼度に疑問が出ます。
ある程度の傾向を示すことはあることは分かりますが、それが「全体の意思を示している」とは言えません。
統計データは、少しいじれば、答えがどうにでもなるものでもあります。
恣意的にデータをいじれば、悪い結果も良い結果も出てしまうのです。
そんな統計データを利用して、「支持率が上がった、下がった」なんて話はバカバカしいにも程があるのです。
世論を誘導したい、って思えば、そのような記事とデータを使えばいい。
ただ、それだけです。
数字なんて信用していいものと、簡単に信用してはならないものがあります。
もう随分前から中立ではありませんね。椿事件なんてのもありますし。
さらに中立とは程遠くに位置していると言ったほうが良いのでしょうかね。
統計データには要注意です。
「率」で示されると、何となく「正しい」と思う、そういう心理をうまく突いているのです。
すべて疑って掛かるしかありません。
そういえばさ、「質問の仕方でどの答えを選ぶのか変わる」ってテレビでやってた気がする。
それを考えると、「意図的に統計結果をずらす」ことなんて簡単だと思うんだよね。
要は、統計なんてあてにならないって事。
電車やホテルで中国人を見かける機会が非常に増えてるが、彼らは非常に騒がしい、と感じる。
が、ただの印象論の可能性が大だし、これを主張したところで賢明なはてな諸君に「主語がでかい」「レイシスト」と馬鹿にされるのがオチだ。
印象論か実際にそうなのか検証する材料として、いくつかの仮説を立ててみた。
我々は個別事象を一般化する傾向があるが、これが誤った認識を生むことがある。中国人は別にうるさくないのに、たまたまうるさかった中国人を一般化して捉えてしまっている可能性がある。これを「母集団バイアス」と呼ぶことにする(他に適切な用語があったら教えてくれ)。
同じように騒がしい日本人や外国人がいたとしてもあまり気にしない一方、中国人のみ気にしてしまっている可能性がある。これを「レイシズムバイアス」と名付ける。
ウ)実は中国人ではない
アジア系の外国人を「中国人」と捉えてしまっている可能性もあるだろう。中国語とと韓国語の区別はつくつもりだが、他の言語となると自信はない。そもそも「中国人」「中国語」の定義とは何か、から議論を始める必要があるかもしれない。
訪日してる中国人がウェイ系で騒がしいだけかもしれないし、家族連れが多ければ会話も多くなるだろうから騒がしくなるのは必然かもしれない。このあたりは訪日中国人の数や属性のデータを当たることから始めるべきか。
二か国語の間に発音や語数、語感の差がある場合、不愉快に感じやすい、ということもあるかもしれない。これを便宜的に「言語ギャップ」としよう。日本語と中国語の間に言語ギャップが多いために「騒がしい」と感じる、という説も考えられる。
…というわけで具体的なデータや先行研究を調べずにざっと仮説を並べてみた。
賢明で聡明で思慮深いはてな諸君なら有意義なデータや先行研究、反論を提示してくれるだろう。あいにく私は昼寝の時間なのでね、この辺りで失礼するよ。
がなんか盛り上がってたので書きました,自分は統計系の研究室というわけでもないし雰囲気で日本語を使っている節があるので,質問・ツッコミ等受け付けます.その場合反応に時間かかるかもしれないです.
今回はanond:20180822005110で用いられていたデータのみを使用しながら考えていく.
中盤まで確率の説明と本問題での議論をしてるので,元増田の問題点と自分の結論は一番下に書いてます,めんどいって人はそこまでスルーしてOK
この確率は物事が観測される前から決まっている値であり,観測されたデータから確率となる値(割合)を何らかの方法を使って推定,(または仮定)することしかできない
6面ダイスにおいて,「全ての出る目が同様に確からしいと仮定した」ときに,6面ダイスを1回振ったときに1が出る確率P(1)はP(1)=1/6として表される.
しかし1の出る目に明らかに重りがつけてあるようなダイスを考える.(すなわち上の仮定が使えないとき)このようなダイスが作られたときにはすでにP(1)という値はすでに決まっており,その値はいろいろな要因(ダイスの重さ,重りの重さ,重心位置,気温,湿度,etc)などで決まる値なので人間は知ることができない.しかし100回,1000回,10000回ダイスを振ってみて何回1の目が出たかというものからP(1)を推定することができる.
もし10000回ダイスを振ったときに1の目が2152回出たとしたらP(1)=2152/10000と考えることができる.
P(A|B):Bという事象が起きたなかでAという事象が起きる確率
平成28年度の普通自動車における交通事故は222,486件、登録台数39,320,933に対して、登録車1万台あたり56.6件に対し
軽自動車の交通事故件数は 131,909件、登録台数21,847,783に対し、1万台あたりの事故は60.4件と
7%程度多くなっている。
このデータをもとに以下の表を作ることができる.
事故を起こした(=交通事故件数) | 事故を起こさなかった | 合計(=登録台数) | |
---|---|---|---|
軽自動車 | 131909 | 21715874 | 21847783 |
普通自動車 | 222486 | 39098447 | 39320933 |
軽自動車がどれだけ事故を起こしたかというものはP("事故を起こした"|"軽自動車")とP("事故を起こした"|"普通自動車")を比較すればよいという考えは自然である.この値を表から愚直に推定すると
P("事故を起こした"|"軽自動車")=131909/21847783≒0.6038%
P("事故を起こした"|"普通自動車")=222486/39320933≒0.5648%
となる.この確率の差をもって「軽自動車は危険である」と言えるかどうかが問題となってくる.
ここで考えたいのは,これらの実際に得られたデータがたまたま真の確率より多くもしくは少なく推定されているかもしれないということである.
上で書いた重りをつけた6面ダイスの例を挙げると,真の確率P(1)はP(1)=0.2かもしれないが10000回投げたときに上のように2512回だけ1の目が出てP(1)=0.2512と推定されるかもしれないし,もっとひどい場合には5回しか1の目が出なかったときにP(1)=0.0005と推定されるかもしれない.
さらに,得たデータの試行回数がどれだけの信頼性を持っているかも考えてやる必要がある.
6面ダイスの例で言えば,10回投げたときに3回1の目が出てP(1)=0.3と推定した場合と,10000回投げて2512回1の目が出てP(1)=0.2512と推定した場合,10回しか投げなかった場合はあまり信頼できない推定値であるという考えは自然だ.
統計的仮説検定の定義,考え方等については各自ググってもらうとよい.要するに観測したデータから仮説を棄却するか否か考えるというもの.
この問題における仮説とは「P("事故を起こした"|"軽自動車")>P("事故を起こした"|"普通自動車")」である.
そんでなんやかんやするとたしかに「P("事故を起こした"|"軽自動車")>P("事故を起こした"|"普通自動車")」は棄却されない(=認められる)と結論づけることができる.
普通自動車の死亡事故発生件数は 1,097件、1万台あたり0.28件に対し、
軽自動車は 853件、1万台あたり0.39と、
普通車に比べ39%も多くなっている。
上と同様に
死亡事故を起こした(=死亡事故発生件数) | 事故を起こさなかった | 合計(=登録台数) | |
---|---|---|---|
軽自動車 | 853 | 21846930 | 21847783 |
普通自動車 | 1097 | 39319836 | 39320933 |
P("死亡事故を起こした"|"軽自動車")=853/21847783≒0.003904%
P("死亡事故を起こした"|"普通自動車")=1097/39320933≒0.002790%
であり,同様に統計的仮説検定を行うことで「P("死亡事故を起こした"|"軽自動車")>P("死亡事故を起こした"|"普通自動車")」も言えることができる.
であり,軽自動車に乗るほうが普通自動車に乗るより約0.039%多く事故を起こすと思われる.
P("死亡事故を起こした"|"軽自動車")≒0.003904%
P("死亡事故を起こした"|"普通自動車")≒0.002790%
であり,軽自動車に乗るほうが普通自動車に乗るより約0.001114%多く事故を起こすと思われる.
この差が大きいから軽に乗らないほうがいい,小さいから軽に乗ってもいいなどと考えるのは統計の範疇を超えている,それは個人の意思決定問題なのでご自由にどうぞ.
平成28年度の普通自動車における交通事故は222,486件、登録台数39,320,933に対して、登録車1万台あたり56.6件に対し
軽自動車の交通事故件数は 131,909件、登録台数21,847,783に対し、1万台あたりの事故は60.4件と
7%程度多くなっている。
普通自動車の死亡事故発生件数は 1,097件、1万台あたり0.28件に対し、
軽自動車は 853件、1万台あたり0.39と、
普通車に比べ39%も多くなっている。
やはりここがひっかかる.ひっかかるポイントとしては,母集団(軽自動車,普通自動車の台数)が多いため実際に確率の差としては小さい値しか出てこないが,より大きい値が出てくるように見せかけている点である.
そもそも死亡事故発生件数を1万台あたりになおすことでそれっぽくデータ処理しているように見せかけているが,実際は件数をそのまま比較していることと変わらない.(実際に計算してみるとよい.)上でも少し触れたが,データを考えるうえで発生件数だけでなく母集団の数も考えて結論を導く必要があると思う.[追記]:解釈ミスにより修正
そもそも確率の比率だけを見て結果を導いてよいのだろうか?例えば0.1%当たるガチャが提供5倍キャンペーンになっても提供確率は0.5%である.これらの確率の差は0.4%である.これは期待値を考える上で微々たる差しかないことが考えられる.一方で15%で当たる福引の当選確率5倍キャンペーンでは当選確率は75%となる.これらの確率の差は60%である.0.1%→0.5%も15%→75%も同じように比率は5倍になっておりそこだけ見たら変わらないはずであるが,それぞれの値をみたときにではこの2つのケースが同じだけお得(=期待値が増える)と結論づけることはできるだろうか?このように確率の比率を考えるより確率の差を使って議論したほうが,期待される利得の値(厳密な定義は略)を考えるうえでは自然であるということがわかる.
長々と書いたがそれに尽きる話だった.
このように得られたデータからより大きい(or小さい)値が出てくるようにしてより良く(orより悪く)印象づけようとすることが最近多く見られる気がする.あとは擬似相関とかもそう.
https://anond.hatelabo.jp/20180808164408
代表例
「知能指数、運動能力、社会貢献度など、総合的に人間の能力を数値化」
「満30歳になった全人類を判定して、一定の能力を持たない人間は社会のゴミとして処分」と書いてあるのだから
最初の一回目は30歳以上の全人類ではあっても、生涯に一度のみ消滅する可能性があるだけだという設定なのは理解できていいはずだろう
また、ある母集団から平均未満を消して減った後の母集団から平均未満を消せば~、等と言ってないのは明らかでしょう
death6coin IQって相対的に出すんじゃなかった?ISQ100未満を消したらIQ100以上からIQ100未満にする人が生まれて全滅?(増田のいうとおり満30歳に一回だけの選別ならそうはならんか・・)/自分は増田に括弧内まで読まれているか不安
ちゃんと読みましたよ。
余談ではあるが
(今後更新されない)過去の統計データを用いて、各項目の評価点と年齢によってIQ評価をするならば、母集団が変わった所で評価は変わらない
仕組みについて詳しい訳ではないが、IQテストはその様な仕組みになっていなくてはならんだろう。
模試の偏差値の様に、一回ごとに母集団から偏差をだすような検査では、時間をまたいだ結果の比較など出来ないし
任意のタイミングで任意の個人のIQ検査が行えず、発達障害の治療などに影響が出る
「連打」など、起動ボタンを複数回押す事を想定していたり、IQに拘っていたり、という様な誤認をしているブックマーカーは消滅するだろうな
代表例
追記に反応しているので最後まで読んでくれた事には深謝するが、タイトルしか呼んでない馬鹿という言葉は上記の「IQに拘らず、総合的な評価によって生涯に1回だけ判定される」という意図を
読めてない事に対する追記であることは、あえて説明を追加しなくても人によっては分かっている様だ。この反応は理解力のなさを証明しているだろう。
代表例
Androtest この世のブルーカラーの仕事は全てロボットがやってくれると思ってるホワイトカラーの人かな? 50年後くらいならわからないけど……今そのボタン押したらブルーカラーの仕事を嫌でもやらなくちゃならなくなるぞ
「知能指数、運動能力、社会貢献度など、総合的に人間の能力を数値化」と言ってるのだから、農工業、水産業、畜産業の従事者はポイントが高いという事は分かるはずだ。
実際、それを理解しているコメントもある。ブルーカラーは頭を使っていない、という固定観念は頭の悪さの証明だろう。馬鹿では伝統工芸士は務まらない。
俺が想定しているのは、人事総務、会計、営業、広報などのモノを生産/創造/開発/研究しない仕事に従事している人の中で能力の劣る奴だよ。
blueboy ゴミ掃除人・建設土方・外食産業……などの人がいなくなり、この世はゴミだらけ、公衆便所は臭くて、建設は工事中で中止、昼食は弁当持参が必須……となる。/押す人が千人いれば、半減が千回。計算すると人類絶滅。
真っ先に消えていくだろう。南無。
俺のIQに関するコメントや俺が消えるだろうという類のコメントは、それ自体はなんとも思わない。そういう反応が人間としては普通だろう。
消えていく人を慮るコメントは、人間力が高くていいと思う。そういう人は知能が低くても生き残って欲しいと思える。
星新一や他のSF作品に例えるなど別の話を連想したり情報を提供している人は、発想が豊かで良いと思う。
あと、愛がゆく、は隠れた名作だと思うが、知らない人が多くて驚いた
父親が作者のファンだったもんだから、幼い頃に読めた俺は恵まれていたのかもしれない
WAIS-Ⅲなどで検査をする事が出来る。有償ではあるけど気軽に出来るよ。
信じなくてもいいが、俺は中学生の時で147あった。
当方30代前半の男。最近周りのプレッシャーに負けて半年くらい前から婚活的な事をしているのだが、どうもしっくり来る相手と出会えない。少々語弊のある表現になるが、「知的レベルが低くて話が合わない」 とでも言おうか。例を挙げると、ワールドカップの話題で、コロンビアが南米にある事を知らなかったりとか些細な事ではあるのだが、絶妙に話題の「深さ」が合わないのだ。
さて、少し自慢になるが私は婚活をする上ではそこそこ条件が良いと思われる。地方の進学校から中堅国立を経て、一部上場企業に勤務して10年ほどになる。身長は175cmあり、フルマラソンを完走できる程度に体も鍛えている。女性とお付き合いした経験もちゃんとある(2人)し、タバコも吸わない。もちろん借金は無い。
そんなわけで、どうして普通に話のレベルの合う頭の良い子と出会えないのかとなんとも言えないモヤモヤを感じていたのだが、気づいてしまった。ある条件がものすごく高望みになっている事に。その条件とは私が一番重視していた頭の良さだ。
今思えば私が20代半ばまでに出会った女の子、地元や大学の同級生だったり、会社の同僚のツテで知り合った子の学力は大学で言えばだいたいMARCH/地方国立クラスだった。そしてこのレベルの子たちとは普通に話が弾んでいた。少し気になって、このクラスの学力の子が男女比半々のクラスでどの位の割合になるのか、玉石混合の田舎の公立中学を例にして大雑把な推計になるが考えてみた。
まず、大学受験の学力が正規分布になっていると仮定する。MARCH/地方国立と言えば偏差値55くらいのイメージ。ざっくり上位30%くらい。上から6番目くらいに頭の良い子に相当だ。まあそこまで高望みでは無いかな。
ふと気付いた。大学の偏差値はあくまで予備校の模試を受けている生徒が母集団になる。ということは…アラサーくらいの日本の1学年の人口を100万人として、比較対象を受験者の一番多い進研模試(40万人)とする。この世代の4年生大学進学率をざっくり50%として、模試は基本的に大学進学予定者しか受けないこと、全員が毎回受けないことを考えれば進研模試の受験者はほぼ学力上位50%を包含している推定できる。と言うことは、進研模試で偏差値55(上位30%)は母集団を変えると偏差値60相当(上位15%)、そして、進研模試のMARCHの偏差値は…まさかの65越え。あれ、記憶の中にあるMARCHの偏差値と違う。受けてた模試が違うのか。この値で公立中学校換算するとクラスで一番頭が良い子よりもレアになるぞ……
なんと言う事だ。なんということだ。容姿で例えるとクラスで一番かわいいレベルの子を狙うのが高望みだというのは容易にわかる。しかし、MARCH/地方国立クラスの学力がある子を狙うのはそこまで高望みでは無いと思っていた。が、大雑把な推計で見積もった結果思い知らされたのだが、頭の良い子を求めるのはそれ以上に高望みだったのだ。なんということだ。どうりで婚活で頭の良い子に出会わないわけだ。
残酷な事実を知った今は、頭の良い子に囲まれていた20代半ばまでを思い出して絶望に打ちひしがれている。なんということだ!なんということなのだ!
雌雄を決するのは雌が劣ってるって意味だからNGだし、奥さんも家内も亭主も主人もNGらしい。なるほど。
昨今世間では男女差別に厳しい。そんな中で、『母』という言葉が不用意に濫用されている。例えば『母性』は子供を包み込むような資質で、『父性』は忍耐や規範や責任を教えるような資質を指すらしいんだけど今どき『女らしい』『男らしい』って表現が男女差別だと叫ばれるのだから母性や父性も明らかに男女差別に当たるのでは!
と本気で思ったわけでは一切ないのだけれど、日本語ってけっこう『母』って熟語が多いからどんどん『親』に変えてみようと思ったわけですね。
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・母性本能 → 親性本能 父性と母性が一緒になったようで分かりにくいね。母性は親性にするとして、父性をどうするかという課題が残る。社会性でいいんじゃないですかね(適当)。
・母校、母港 → 親校、親港
母港が母なのは、女性名詞のあるヨーロッパ系言語で船が女性名詞だからだという。航空母艦とか。男は女たる船に乗っちゃうぜってことだし、女は港で待ってろってことでしょ。ほらほら職業差別じゃん。航空母艦(空母)も空親にしなければなりませんね。
これは異論なく親集団に変えてもいいのでは?なんで母なんだろう。父集団はないのにね。これも女性名詞のせいなのだろうか。ちょっと調べてみたら英語だとPopulationまたはParent Setって言うらしいからまさに親集団だった。やったぜ。
・母数 → 親数
ほぼ母集団と同じ。母集団の総数が母数らしいので、親集団になったらその総数は親数ということになるでしょう。
・分母 → 分親
数学からの参戦多いな。まぁ、多分これも母数に対する子の数って感じで分母分子って言ってるんでしょう。真面目に考えると母に対する子の数ってだいたい一対多になるわけだから不適切だよね。分親にしても二対多だけどね。いやもっと母親が複数いるような複雑な家庭なのかもしれない。一夫一妻制が始まったのなんて歴史を振り返れば最近の話だしね。とりあえず分親って文字にすると『親分の分親』とか言って回文作って遊ぶ世界線が見える見える。
・母音(母韻) → 親音(親韻)
数学に負けていられないと国語からの参戦。分母分子の関係と同様に母音子音の関係なのだから親音でいいじゃんと思ったんだけど頑張って調べたら明治初期は『母音⇔子音』ではなく『母音⇔父音』と言われることもあったらしいので『親音』にしてしまうのは少し憚られたけどほら今明治じゃないから。平成も終わろうとしてるから。
・母体 → 親体
母親の体、という意味で使う母体はそのまま母体でいいと思うんですけど、『あの市民団体の母体はもともと極右企業だった』みたいな使い方の時は親でいいのでは?まぁ分かるよ。子どもが産まれてくるのって母からだもんね。いやでもほら父だって精子提供してるからこれも親体でいいと思うんですけど(提案)。
・母屋 → 親屋
母屋というのは、離れとかある屋敷のメイン部分を指すので、これは女性差別というよりは男性差別と言えなくもないかもしれない。いや、主に家にいるのが女性だから母屋になった、と考えるとこれは家内や奥様と同じ理由で女性差別だからやはりここは親屋にするべきそうすべき。
・母国 → 親国
母国語とかもそうだけどなんで自国は母なんだろう。これも生まれ育った生家を母屋っていうのと同じように、生まれ育った国を母国って言うのであれば、女は自国から出られないって意味で女性差別だからやはりここも親国ということになるでしょうそうでしょう。
・母指球 → 親指球
手足の親指がくっついてる付け根のところのことです。自転車乗る時にペダルを踏み込む位置は母指球がいいらしいよ。普通に考えて親指は『親』指って言うのにその付け根が母指球って言うのおかしいからぜひとも親指球に変えるべき。いよいよ難癖みたいになってきましたNe☆
・雲母 → 雲親
雲母って言うのは鉱石のことで『うんも』って読むんだけど、中国では『雲の湧き出るところにある鉱石』と言われてるから雲を産む母という感じで雲母になったらしい。じゃぁ『母体』のときと同じ理由で雲親でオッケーということで。ちなみに日本だと『割るとキラキラ光る』って理由で『きらら』と呼ばれていたので『雲母』は『きらら』って読むしGoogle日本語入力だとちゃんと変換もできる。ほら雲母。言葉って適当なんだなって思えてきてこの雲親ってのもありな感じしてくるよね。よね。
■例外
乳母は調べてみたら、母の代わりに乳をあげる人が原義らしいので父の乳は出ないので乳母は乳母で良いということになります。
・母刀自 → 母刀自
『おもとじ』って読んで母を敬って言うことばだからそのままなんだけど誰も知らないよね。
・水母 → 水母
一生懸命調べたけど、なんでクラゲを水母って書くか分からなかったのでそっとしておきましょう。水上機母艦の略で水母って言う場合は水親にしましょう。
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というわけで母という言葉がいかに差別用語として使われているかをご理解いただいたかどうかはさておいて、なんだかよくわからないけど母って言葉は多くの言葉に使われているんだなぁと思って感心しました。熟語じゃないけど母なる海とか母なる大地とかもですね。
他にもあったらぜひとも親に変えていただければと思います。
この文脈で母集団と言えば調査母集団を意味しているということすら読み取れずに。
標本を取り出す調査母集団は、増田の言う母集団から見て偏っていることもあり得る。
左右盲の気があるわたしとしては、「標本」と「母集団」をテキストに含める際にうっかり書き間違えることもあるさと言っておく。でも書いた直後に読み返さないのはギルティ。
https://anond.hatelabo.jp/20180424082940
事例に出てきた選挙の話で考えてみると、新聞社等大手マスコミが行っている電話での世論調査は下記のように整理できる。
D.答えてくれた電話番号=回答数。
ここでサンプリング理論が関係してくるのは、Cを適切な数集めたらBが推定できるよね、って話。
人口が何千万人もいるのに2000人対象に調査するだけでいいのはどうして?っていうのはBとCの関係。
D.答えてくれた数=回答数
B.バナーが掲載されている当該サイトにアクセスする可能性がある人=枠母集団
C.バナーが掲載されている時間に当該サイトにアクセスした人=対象数
D.答えてくれた数=回答数
で、世論調査がどうのこうのっていっているのは、
AとBがどう考えても同質じゃないから、あたらないよね、ってこと。
目標母集団と枠母集団の違い、具体例を挙げて説明しているのって あまり ないけど、下記の文科省の学校関係調査の説明なんかはイメージしやすいと思う。
http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/chousa01/kyouin/sonota/1400767.htm
じゃぁ電話番号だったらいいのかよ、っていう指摘は出ると思うが、ごもっとも。
https://www.nhk.or.jp/bunken/research/yoron/pdf/20170130_3.pdf
_人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人_
> famnet 当然。母集団の偏り。数BかCでやらないか?というか、やってなくても常識的にわかるだろ感 <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄
うわー、こりゃ恥ずかしい…
※間違っていること自体が恥ずかしいんじゃなくて、ドヤ顔で上から目線でバカにしてるのに完膚なきまでに間違っているのが死ぬほど恥ずかしいんだよねえ…