はてなキーワード: 朝ごはんとは
たった二週間で下記のような変化がありました。
非喫煙者が普通に受けていた感覚ってこんなにも刺激的だったのかと思ったら、ちょっと羨ましくなりましたね。
びっくりするくらいごはんがおいしくなりました。おいしすぎて引く。さっき食べた朝ごはんが美味しすぎて泣きそうになりました。
たばこを吸っていたときもごはんはおいしかったのですが、それはたばこに抑圧された味覚の範疇でのおいしさであったことに気づきました。
おいしさのレベルが違う。馬鹿じゃねーかって思うくらいにごはんがおいしい。
・常におなかがすく
空腹状態と戦うことになります。たばこは食欲の減退作用があるらしく、喫煙者の食欲はセーブされます。
それが取り去らわれたとき、おなかがすきすぎて発狂しそうになります。そして、一度食べ始めるといろいろ食べてしまう。
禁煙すると太る所以はそこにあるのでしょう。口寂しさもあいまって最近仕事中にチョコやらガムを食べまくっています。豚一直線。
・嗅覚が鋭くなる
街を歩いていると雨のにおいだとか、緑のにおいにやたら敏感になる。凄い気持ちがいい。
・下半身が強くなる
エネルギーの補填期間が明らかに短くなりました。今までは年齢のせいかなと思っていたのですが、私の場合そんなことありませんでした。
たばこを吸わなくなってから感度と強度が増しました。何回でも使えそうです。これはかなり楽しい。そして常にむらむらしているので、全体的に戦闘力が高くなっている気がします。
・夢をよく見るようになる
生き返りのドリンク代6本900円
運転手にガソリン代代わりにTVで紹介された故郷の居酒屋でご馳走する・・・6000円
朝ごはん・・・440円(ガストが9時からしか開いていない田舎なので朝マック)
魚の安い町で干物をまとめ買いして冷蔵で送ってもらう・・・6000円
(送ってもらっても魚がこっちの地方より安くて美味)
木立の敷地が広くて岩盤浴・ワイン風呂に浸かれのんびり敷地を歩ける露天風呂1200円
質の良い野菜不足なのでここの農園で取れた野菜のサラダが充実しているバイキング1575円
今回初盆1人だけで助かった。家族とレジャー(レジャー代はそれぞれ割り勘)+帰省一泊だとこの位かかるという一つのモデルケース
だいたいパターンが決まっている
「朝ごはんを食べる子は勉強がよくできる」という統計があったとする。
朝ごはんを食べた子を調べてみると、朝ごはんを食べなかった子より、平均点がよかった。 というのが根拠だったとする。
しかし、
成績がいい子→親の愛情が深くなりがち→朝ごはんをちゃんと親が作る。
ということなのかもしれず、
朝ごはんを食べさせる→成績がいい
かどうかは言い切れない。
「朝ごはんを食べて成績がいい子」
「朝ごはんを食べて成績が悪い子」
「朝ごはんを食べす成績がいい子」
「朝ごはんを食べず成績が悪い子」
これにより、「朝ごはんを食べる」→「成績のいい子」 となるのか 「成績のいい子」→「朝ごはんを食べる」 となるのか。 はたまた「成績のいい子」→「朝ごはんを食べないのか」それとも、朝ごはんと成績は関係が無いのか。
これらのどれかを確定させることができます。
一日の出来事を言葉にすると頭の回転を鍛えられると聞いて初めて見た。
【今日の出来事】
二度寝して朝起きたら家を出る15分前;;
しかたなく用意してあった朝ごはんを無視してバナナだけ食べて出発!!
おばあちゃんゴメンね(^_^;)
今まで男しかいなかった部署に短期で女の子が入ってきたことでその上司は張り切る張り切る!!
ただ張り切り方がおかしいのです。とにかくベシャリが止まらない!
唐突にミーティングを開き、何をするのかと思ったらおそらく狙っている女性を見つめながら意味もない「演説」をはじめたのです。
その「演説」とは、いま盛んの街頭演説ではもちろんありません。
店へのクレームを読み上げ、我々とは無関係の薀蓄を語るのです。
まあ、クレームの共有はいいことだと思いますが、普段やらないことをここでいきなりやる理由は一つだと読んでいます。
それは、女性へのアピールです!!自分のベシャリで存在感を出そうとしているのがみえみえなのが何とも心が痛むというかなんというか・・・
そんなことを考えながら冷めた目で見てた僕の心をその女性に見透かされ、笑われてしまいましたww
それからは僕が社員に対して冷めた反応(ちゃんと的確に返答はしている)をするたびにニヤニヤされてしまいましたww
何が言いたいかというと、「女子の前で張り切る男子」というのはどこの場でも発生するのだと実感しました。
ということです。
今回はそれが顕著に表れた事例ということで、「男子は女子の前で張り切るものである」という一般的な理論が改めて実証された訳ですね。
そしてそれは「度が過ぎると嘲笑の的になり、本人はそれに気づかない」ということも分かりました。
NHKで取り上げられて、急にマタ二ティハラスメントが話題になっている。
自分の職場にも妊婦さんが何人かいるのだが、こちらは逆に妊婦さんにいじめられているような気持ちになってくる今日この頃だ。
このご時世に、めでたいし、とても良いことだと思う。
しかし今年の4月に新卒で入社した子がもう妊娠しているのが、辛い。
(採用したときにはまだ、妊娠も結婚もしていなかった。入社直前に判明)
まず、よく寝ている。船漕いでカックンとなって机に頭ぶつけそうによくなっている。
そして、ずっと何か食べている。
まず出社したら、パソコンには向き合うのだか、仕事をしつつ朝ごはんを食べている。
そして、その後もずっと何かを摘まんでいる。
妊娠中の症状なのかなとは思う。
しかし、ただでさえ、入ったばかりで仕事ができないのに、さらにスピード落としてどうするんだろう…とは思うが、本人ももう結婚してるし、腕を磨いて、スピード上げよう!頑張ろう!とは思っていないのだろう。
(彼女の夫は金持ちらしいので、家にいるよりはいいか。程度の気持ちでやっているんだと思う。)
彼女の成長が遅いので、その分こちらの仕事が増えて、残業も増えて、辛い…。
彼女が途中で投げ出したもの、上手くできないものは全てこちらに回ってくる。
正直に本音を言うと、妊娠していない人が入ってきて欲しかった。
あと、やる気のある人。幾らでもいるんだろうから…。
そうしたら、自分が自由に使える時間が増えたんだな、と考えると、たまにとても虚しくなる。
やる気のない彼女に、自分の時間を吸い取られているような気分になる。
ちなみに、彼女以外の他の妊婦さんは自分の仕事をしっかりこなしてくれている。
寝ないし、間食も普通の人の量だ。
2人目のお子さんがお腹にいる方などは、なんというか…家庭を支えよう!という母親ならではの意欲とやる気に満ちていて、あんな風になりたいとさえ思う。
人によって悪阻の症状は違うというのは知っているし、納得もしているんだけど。
たまに、あぁ、ついてないな…と虚しい。
うちの場合は、上の子が1歳になって断乳もできたお疲れ様のシャンパン一杯を飲んだ夜に子づくりしてしまって、思わず2人目ができてヤバかったわ。
○保育園の送りは僕、迎えは妻。
僕は仕事柄(上場企業の役員室の管理職です)、残業は必須です。なので、時間拘束が僕ほどきつくない妻が朝早くから出勤し、18時には保育園に迎えに行けるようにしてます。といっても妻も17:30に必ず仕事をあがる約束を取り付けるためには雇い主とはかなり厳しく交渉したらしく、時々仕事が余ったら週末のどちらかに出勤しています。そんな時は僕が週末面倒見るか、体力の限界が来たら一時保育に預けます。
○料理は、平日は妻、週末は僕。
妻は朝の5時に起きて、その日の夕食を仕込みます。週末は朝昼晩とも僕がやります。
○買い物は、妻は平日には行きません。
平日の献立は平日分は妻が考えて、必要な材料を生協でネット購入します。週の途中で足りなくなったら、メールで指示が来るので僕が仕事帰り(大概、深夜です。)にまいばすけっととかで買います。週末は僕が食事係なので、子供を連れて材料を買いに行きます。その間、妻は家の掃除とか、昼の仮眠をとるとかしてます。服とか家のものは、月に1回くらい計画的に週末に夫婦で買い物にでかけます。そんなときは子供は当然僕が抱っこしてます。
お洋服へのこだわりが理解困難なので。なお平日は朝5時に起きてすぐ、週末は朝から洗濯してます。
○寝入りは妻、朝方は僕です。
子供を寝かすのは妻です。一緒に9時前には寝てしまいます。妻は5時には起きてしまうので、そのあと子供がむずかったら僕がお腹をとんとんして6時30分まではなんとしても寝かします。6時くらいに子供が起きてしまった時の妻の形相は鬼のようです。「あたしにはやんなきゃいけない仕事があるのよ!なんで子供を寝かすくらいできないの!子供が泣くまで寝ぼけてたんじゃないのこの二日酔い酔っ払い!」と罵詈雑言をしながら子供を時間まで寝かしてくれるので、そんな時は僕が洗濯物を干して、朝ごはんを作ります。時には晩ごはんも仕上げます。
こんな感じかなぁ。元の文章を読んでも夫の影が見当たらないのが謎なんだよね。うちの場合は、共働きで収入はそれなりなので、できるだけ職住近接で、二人とも玄関から職場まで30分のところに住んでいるのも大きいし、あとは都心の区って福祉施策が意外に充実しているので、病児保育とかファミリーサポートとか週末の一時保育とかには事欠かないという利点はあります。本当に助かってます。なお、保育料は収入が減れば、翌年度には減るんじゃなかったかな?公立園ならだけど。
まあ、夫婦で頑張ってくだされ。子育ても家事も、夫婦共通のお仕事なんだから。夫婦とも育児とか家事に「参加」するんじゃなくって「分担」するのが大事だと思います。僕もサラリーマンとしてはそんなに暇じゃないって言うか会社の中では最激務と評価されるポジションにいるけれど、この程度のことはできますよ。仕事は60までだけど、家庭は一生だから。
でもそれにしても仕事的にはかなり家にコミットしにくい状況の夫がいるのに、家のことをきちんとマネージして夫の状況を把握しつつ的確に家庭における部下として使ってくれる妻がいるのはありがたいことですわ。妻には心から感謝してる。ありがとう。
はてな民はたぶんみんな料理の腕が上がったんだと思う2012年。
自分も夜型だったんで色々試した。
お腹が空く現象は、すい臓が消化液を出すタイミングなんだそうだ。
しかも、こいつはタイマー機能がついていて、翌日も同じくらいの時間に反応する。
この機能を使って、朝になったら腹減った何か食わせろと内臓が働くように仕向け、
体が自然と起きるようになる。
あとは、毎日やってると効かないし、消火器やられるから毎日はおすすめしないが、夜寝る間際にリゲイン飲む。
上で書いた理屈に似てて、ヒマシ油が腸を刺激して、内臓から目覚め状態になるらしい。
いわばドーピングのようなもん。あんまりやるもんじゃないから、大事な時とかに。
これも一過性でしか効果ないから、やっぱり一番目のがおすすめ。
あ、でも、朝から喰ってもらうなら確実に起きるか。
以上、検討を祈る。
俺はオリンピックを観ていない。
別段観たいとも思わなければ観る必要性を感じたこともないから。
まして今は二人の幼子の成長をFacebookにアップするために必死で加工しているのだ。
目の前のSNSが大切であり目の前のSNSで精一杯であり「いいね!」してくれない誰かの応援などどうでもよい。
メルアドも電話番号も知らないような相手なら尚更応援する必要性を感じない。
しかし、それは私の考え方であり、他人がどうしようとそれもまたどうでもよい。
世の中の多くの人がオリンピックの応援に興じているところをみると、
私のような人間の方が少数派なのであろう。
そう思っていた。
だがどうにも堪えがたくなってきたので吐き出させていただく。
そんなに常に見ていないといけないものなのか。
一日くらいそれらを観ていなくたってなんてことはないと思うのだが、
そんなに片時も離れられないものなのか。
妻。あんただよ。
いつもオリンピック中継を観ている。
朝起きたらまずオリンピック。
朝ごはんを食べる。一人で速効食べ終わる。
そしたらまたオリンピック。
俺は1歳の子に離乳食を食べさせた写真をSNSへアップし、3歳の子が不器用に食べるのを、instagramでオシャレに加工してアップ。
その合間に何とか自分のごはんを口に流し込んでいる状態だというのに。
その後も食器の片付けやら洗濯物干しやら登園準備やら
その間子が泣いていてもオリンピック。
もちろん夕食もひとりで速効食べ終えてすぐオリンピック。
それはまだいい。もう諦めた。
家族で出かけてる間くらい、そのオリンピック速報はしまっておけないのか。
何故その間もオリンピック結果速報とやらをチェックしないといけないのか。
もしくは、審判の誤審だとか何の役にも立たない極めて他人的な情報を議論しないといけないのか。
電車の中、
遊園地、
外食中、
いつもいつもオリンピック。
なんでオリンピックばっかり見てるんだよ。
目の前にいるお前の家族は、
まあSNSでボロクソにdisられた夫なんかに興味はないとしても、
いいね!100件越えしたFacebookフィードは目に入らないのかよ。お前の子供の写真だぞ!
常にワンテンポ遅れて子を見ないで返事してる。
もしくは全然聞いてなくて生返事か「今、いいとこ!」
レストランで、
「ごめん今から決勝」
つってオリンピック中継観てる。
一番、いらいらする。
本当にわからない。
オリンピックやっている人、教えてくれよ。
そんなに常に見ていないといけないものなのか。
なでしこ決勝進出!
だの
メダル確定!
だの
リアルタイムに知る事はそんなに欠かせないことなのか。
他人の応援にいいね!とかするのは
そんなにも楽しいことなのか。
妻。
あんたにとっての現実は一体どこにあるの?
私の父は、周りの友人たちの父親よりも年を取っている。晩婚のせいだ。酒と煙草が大好きで、結婚前は徹麻しまくりだったらしい。また、きょうだいのうち一人だけ男、ということもあり、寵愛を受けたようだ。おかげで、結婚後もおぼっちゃん的な金の使い方が抜けず、家計は火の車なのにもかかわらず、飲み歩きをやめず、チェーンスモーカーであるためにタバコ代がかさむ。私が中学時代、引きこもったときには、母に手を上げたりもした。私の部屋のドアに穴を空けた。なにかといえばすぐ機嫌を悪くするし、味をみないで醤油をどぼどぼかけるし、口は臭いし、デリカシーが無いし、まあ、典型的な「家庭内で嫌われているお父さん」だ。そんな父も、家の外では明るく、地元地域では飲み仲間がたくさんいるようだ。
そんな父の母が、つまり私からすると父方の祖母が、今年亡くなった。それに関するいくつかの法事を行うために何度か帰省し、久しぶりに父と面と向かって話した。つい先日祖母の四十九日のことだ。親類が帰ったあと、酔った父が、会話の流れで私に「なんでお前はそんなに数学が苦手なんだ?」と言ってきた。私は引きこもり時代のブランクがあったせいで、因数分解がうまく理解できなかった。それを父に教えてもらおうとしたのだが、私の理解能力があまりに乏しいせいで「なんでこんなこともわからないんだ!」と参考書を破かれた。これがトラウマになっているのだ。「お父さん、私に因数分解を教えるときに参考書を破いたの、覚えてる?」と苦笑混じりに言うと、父も苦笑した。それから、「ああ、やり直したいなあ」と呟いて、飼い犬の雑種を撫でた。「ばあちゃんのことも、因数分解もやり直したいなあ」と、犬に向かってまた呟いた。
このとき、私は父の背中が前よりも曲がり、あんなに恐怖していた大きな背がとても小さく見えた。私が小さい頃はあんなに好きだった酒も、去年胃ガンの疑いをかけられた(実際は別の症状だった)せいで、控えているらしい。昔は毎晩飲んでは「まだ寝るから、朝ごはん、先に食べてて」と布団でもぞもぞしていたのに、今では朝の5時に起きているらしい。どうしちゃったの、お父さん? 母に言うと、母は笑っていた。「どうしちゃったんだろうね」。
また父は、納骨のあとに「ばあちゃんの骨壷のとなり、空いたスペースがひとつあってさ。次はオレかと思ったら怖くなっちゃったよ」と笑っていた。これを聞いて、また、小さな背中を見て、突然に父の死期というものを身近に感じはじめた。こんなに実家にいたいと思うのははじめてだ。早くお盆休みが来るといいなあ。私ってこんなにお父さんのこと、好きだったんだ。
http://anond.hatelabo.jp/20120721222138
誰か教えてください
私はxvideosもpornhostもやっていない。
別段やりたいとも思わなければやる必要性を感じたこともないから。
まして今は二人の幼子の子育て中だ。
目の前の生活が大切であり目の前の生活で精一杯でありそこにいない誰かとのつながりなどどうでもよい。
用があればそのときには直接モバゲーGLEEアメピグなりLINEなりすればよい。
用もないのに生活の断片を垂れ流し知らせる必要もない。
メルアドも電話番号も知らないような相手なら尚更コミュニケートする必要性を感じない。
しかし、それは私の考え方であり、他人がどうしようとそれもまたどうでもよい。
世の中の多くの人がxvideosやpornhostに興じているところをみると、
私のような人間の方が少数派なのであろう。
そう思っていた。
だがどうにも堪えがたくなってきたので吐き出させていただく。
そんなにxvideosやpornhostは大切なものなのか。
そんなに常に見ていないといけないものなのか。
一日くらいそれらに触れられなくたってなんてことはないと思うのだが、
そんなに片時も離れられないものなのか。
旦那。あんただよ。
いつもオナーニホルーをいじっている。
朝起きたらまずオナホ。
朝ごはんを食べる。一人で速効食べ終わる。
そしたらまたオナホ。
私は1歳の子に離乳食を食べさせ3歳の子が不器用に食べるのを見守り
その合間に何とか自分のごはんを口に流し込んでいる状態だというのに。
その後も食器の片付けやら洗濯物干しやら登園準備やら
その間子が泣いていてもオナホ。
もちろん夕食もひとりで速効食べ終えてすぐオナホ。
それはまだいい。もう諦めた。
家族で出かけてる間くらい、そのオナホはしまっておけないのか。
何故その間もxvideosやpornhostとやらをチェックしないといけないのか。
もしくは、どこに出したやら今出したやら
何の役にも立たない極めて個人的な情報をアップしないといけないのか。
電車の中、
遊園地、
外食中、
いつもいつもオナホ。
なんでオナホばっかり握ってるんだよ。
オナホの先の厚く隔たれたやつばっかり握ってるんだよ。
目の前にいるお前の家族は、
まあ育児でボロボロですっかり枯れた妻なんかに興味はないとしても、
お前の子どもは目に入らないのかよ。
常にワンテンポ遅れて子を見ないで返事してる。
レストランで、
みんなでいただきますしてさあ食べようってなった瞬間に
「ごめん写真観る」
一番、いらいらする。
本当にわからない。
xvideosやpornhostやっている人、教えてくれよ。
そんなにxvideosやpornhostは大切なものなのか。
そんなに常に見ていないといけないものなのか。
だの
いったー
だの
呟くのはそんなに欠かせないことなのか。
他人の夜のおかずにいいね!とかするのは
そんなにも楽しいことなのか。
旦那。
あんたにとっての現実は一体どこにあるの?
別段やりたいとも思わなければやる必要性を感じたこともないから。
まして今は二人の幼子の子育て中だ。
目の前の生活が大切であり目の前の生活で精一杯でありそこにいない誰かとのつながりなどどうでもよい。
用もないのに生活の断片を垂れ流し知らせる必要もない。
メルアドも電話番号も知らないような相手なら尚更コミュニケートする必要性を感じない。
しかし、それは私の考え方であり、他人がどうしようとそれもまたどうでもよい。
世の中の多くの人がtwitterやFacebookに興じているところをみると、
私のような人間の方が少数派なのであろう。
そう思っていた。
だがどうにも堪えがたくなってきたので吐き出させていただく。
そんなにtwitterやFacebookは大切なものなのか。
そんなに常に見ていないといけないものなのか。
一日くらいそれらに触れられなくたってなんてことはないと思うのだが、
そんなに片時も離れられないものなのか。
旦那。あんただよ。
いつもスマートフォンをいじっている。
朝起きたらまずスマホ。
朝ごはんを食べる。一人で速効食べ終わる。
そしたらまたスマホ。
私は1歳の子に離乳食を食べさせ3歳の子が不器用に食べるのを見守り
その合間に何とか自分のごはんを口に流し込んでいる状態だというのに。
その後も食器の片付けやら洗濯物干しやら登園準備やら
その間子が泣いていてもスマホ。
もちろん夕食もひとりで速効食べ終えてすぐスマホ。
それはまだいい。もう諦めた。
家族で出かけてる間くらい、そのスマホはしまっておけないのか。
何故その間もtwitterやFacebookとやらをチェックしないといけないのか。
もしくは、どこに出かけたやら今着いたやら
何の役にも立たない極めて個人的な情報をアップしないといけないのか。
電車の中、
遊園地、
外食中、
いつもいつもスマホ。
なんでスマホばっかり見てるんだよ。
スマホの先の遠く離れた相手ばっかり見てるんだよ。
目の前にいるお前の家族は、
まあ育児でボロボロですっかり枯れた妻なんかに興味はないとしても、
お前の子どもは目に入らないのかよ。
常にワンテンポ遅れて子を見ないで返事してる。
レストランで、
みんなでいただきますしてさあ食べようってなった瞬間に
「ごめん写真撮る」
一番、いらいらする。
本当にわからない。
twitterやFacebookやっている人、教えてくれよ。
そんなにtwitterやFacebookは大切なものなのか。
そんなに常に見ていないといけないものなのか。
だの
きたくったー
だの
呟くのはそんなに欠かせないことなのか。
そんなにも楽しいことなのか。
旦那。
あんたにとっての現実は一体どこにあるの?
嫁の朝食が美味い。
もちろん夕飯だって美味いが、三食のうち一番時間もコストもかける夕食が美味いのはある意味当たり前である。「夕飯が美味い嫁」よりも「朝食が美味い嫁」のほうがレア度は高いと思う。
ちなみに、別に調理の腕がプロ級というわけではない。下手ではないが、時には焦してしまったり味が薄かったりすることもある。
旅館のような朝食が出てくるわけでもない。俺は起きたばかりは食欲がないので、朝食から焼き魚なんて出てこられても困る。トーストとコーヒーで十分だ。
しかし、まずそのコーヒーが美味い。近所の自家焙煎している店から豆を買ってきて、その都度挽いてドリップで淹れてくれるのだが、温度も濃さもいつも絶妙である。これはズルい。コーヒーさえ美味しければその日の朝ごはんは勝ったも同然である。
更に、パンが美味い。2日に1回はホームベーカリーの焼き立てパンが出てくる。焼き立てのパンって、耳が美味いんだぜ。何もつけなくてもそのままいける。
残りの日は、前日に焼いたパンが出てくるんだが、これもちょうどいい塩梅にきつね色にトーストされて出てくる。カリッとした表面にバターを溶かして食うと、焼き立てパンとはまた違う美味しさである。
そして、パンだけでは栄養のバランスが悪いからと、小皿料理をつけてくれるんだが、これが日替わり。
食欲のない俺のために、フルーツやヨーグルトのことが多いが、二日酔いの日には自家製ドレッシングをかけたトマトなんかが出てきて、これが実に美味い。さっぱりした酸味で食欲が増す。
また、密かに楽しみにしているのが、前日の夜がカレーだった時の、「2日目の朝のカレー」である。焼き立てパンと味のしみたカレーの組み合わせはもう、殺人的な美味さである。
こうやって書きだしてみても、別に特別なものは何も出てきてないのだが、それにしても美味いのである。
「美味さ」というのは、難しい調理技術とか、高級食材とかとはまた別なところにあるのだなと思う。
朝食を食べる習慣のない人はつくづく損をしていると思う。これだけ安上がりな幸せは他にない。
シングルマザーの従姉が育児ストレスと過労でうつ状態になって入院した。
良い母親で有りたいという気持ちと、忙しくてまともに家事もできていないという現実とのギャップに相当苦しんでいたようだ。
入院中、従弟が従姉の娘の面倒を見ているのだが、こいつがハイスペック過ぎて従姉の精神状態にトドメを指している。
毎日残業有りの外回りだった従姉と、デスクワークで8~16時勤務定時帰りの従弟では家事に費やせる時間も体力も大違いで、従姪の生活環境に明確な差が出ているのだ。
朝ごはんは今までシリアルだったのが、気合入った伝統的日本の日本の朝ごはんになり、
夕ごはんは八時過ぎに買い飯食べていたのが、六時には一汁三菜デザート付きで準備できている。
食後には勉強を見てあげて、本の読み聞かせをしながら寝かしつける。
このため、就寝時間が今までより数時間前倒しになり、授業中居眠りばかりしていた従妹が、ちゃんと起きてられるようになり、成績も向上した。
休日、従姉は疲れて寝て過ごしていたのだが、従弟はあちこち遊びに連れていく。
その帰りに見舞いにやってくる。
従姪はにこにこと楽しそうに近況報告をするのだが、彼女が帰った後、従姉はボロボロ泣くのだ。
自分がやりたくても出来なかった良い母親役を、従弟が難なくこなしているのを知った従姉の精神状態はどん底まで落ちている。
【追記】
誤解があるみたいなので追記
従姉と従弟は実の姉弟ではなく従兄弟同士。
従姉と従弟は徒歩圏内に住んでいて従弟は以前から仕事が遅くなった時の保育園の迎えや、従姉や従姪が熱を出した時に面倒を見るなどのサポートをしていた。
従弟は共働き世帯の長男で年の離れた妹の面倒をずっと見ていた上、保育園でボランティア経験があり家事、育児共に熟練の業を見せる。
従姉は片働き世帯の一人っ子で結婚まで親と同居。時々家事を手伝っていた程度。
従姉は駆け落ち同然で結婚して即離婚して、実家に顔を出せないうちに両親が亡くなり、育児スキルを継承し損ねた。
両者の子育て経験の差は歴然としており、従姉は従弟に娘を預ける度に親スキルの違いを見せつけられて凹んで帰ってきていた。
いくらあやしても泣き止まない娘が、従弟に抱かせた途端に泣き止んで数分で寝付いたり
一緒にお風呂に入ろうとしたら、「お母さんより従弟の方がいい」と言われたり(従姉はシャンプーするのが下手だったためよく目に入って痛かったらしい)
そんな経験を繰り返していくうちに自分は駄目な母親だという思いが強くなっていったという。
そして今回、自分がいなくても娘が幸せそうにしているのを見てトドメをさされた状態だ。
彼女は別に悪い母親ではなく、初子にしては頑張っている部類なのだが、時間がなくて理想が高くて人に助けてもらうのが下手なのだ。
この問題どうすればうまくいくのだろうか?
従姉が一人で子育てをするコースは過労死コース一直線だろうし。
従弟がサポートするコースはコンプレックスこじらせるばかりだろう。
従姉の子育てパートナーを見つけるにしても、バツイチ子持ち30代うつ状態の契約社員と共に血の繋がらない娘を育てようという男性が見つかる可能性も低い。
エヌ氏の一日は、「いいね!」ボタンをクリックすることから始まる。
「いいね!」ボタンは、エヌ氏が参加している仮想世界上の友達の日記やひとりごとつぶやき機能についているお手軽評価ボタンのことだ。
エヌ氏の友達は、熱心に仮想世界上の日記に日々のできごとを綴っていた。
朝ごはんに食べたもの、今いる場所、気がついたこと、天気のこと、猫や花の写真とありとあらゆるものが仮想世界上の日記としてほぼリアルタイムに書き込まれていた。
エヌ氏は仮想世界上の友達との友好的なコミュニケーションを円滑に果たすために、早起きしてエヌ氏が就寝してから起きるまでの間に書かれた日記にたいして、「いいね!」ボタンを次々と押していった。
本来は、どういうふうに「いいね!」なのかを感想コメントとして残すべきなのだが、何せエヌ氏が読まなければならない日記の量は膨大で一日のうちのかなりの時間をそれに費やしていた。そんな状態だったので、コメントを残さずとも、友達の日記を読んだ証拠を残せる「いいね!」ボタンはエヌ氏にとって、歓迎されるべき機能であった。
出勤前の30分の時間で、「いいね!」ボタンを押し切ったエヌ氏は、朝食も摂らぬまま駅へ向かうバス停へ向かった。
するとエヌ氏の仮想世界上の友達たちは、これまでのエヌ氏の「いいね!」行為への対価を果たすべく、「家を出ました」日記に対して「いいね!」を連発し始めた。
はたからみると、一体全体、何に対して「いいね!」なのかさっぱりわからないが、「いいね!」ボタンを介したコミュニケーションはエヌ氏の生活の一部となっていた。
バスに乗り込むとき、エヌ氏はバスのナンバープレートに書かれた番号とバスの形式を仮想世界上の日記に書いた。このナンバーのチェックはエヌ氏のライフワークだ。エヌ氏のこの日記に次第に「いいね!」が増えていく。増えていく「いいね!」の数を見て、エヌ氏は満足した。
バスを降りたエヌ氏は駅の立ち食いそば屋へ入り、いつものコロッケそばの食券を購入した。カウンターで食券と引き換えにコロッケそばを受け取ったエヌ氏は、隅っこのテーブルにコロッケそばを運び、携帯端末でコロッケそばの写真を撮りはじめた。エヌ氏は、そばを食べながら、器用に左手で携帯端末をあやつり、コロッケそばの写真を仮想世界上の日記として書き上げた。
当然、今年の初めからコロッケそばを何杯食べたかのカウントも忘れない。梅雨の明けたこの時期でコロッケそばカウントは65だった。
食事をこの日記に書き込むこともエヌ氏の大切な日課だ。エヌ氏は日記に書き込んだあとに徐々に増え続ける「いいね!」の数を見ながら、コロッケそばの余韻に浸っていた。
エヌ氏が朝起きてから、2時間が過ぎようとしていた。エヌ氏が見るべき新しい日記があることを画面が告げていた。交友関係が広いエヌ氏が見るべき日記の数は瞬く間に増えていく。
電車を待つホームの上でも、日記を確認し、「いいね!」ボタンを押す作業は続いた。エヌ氏はいつものように先頭から2両目の後ろよりのドアに並ぶと入ってくる電車の番号をチェックし、軽やかに日記を作成した。
日記を作成している間にもエヌ氏がチェックしなければならない日記の数はうなぎのぼりに増え続ける。電車に乗り遅れて遅刻しそうな人の日記に「いいね!」を付け、風邪でおなかを壊して寝込んだ友人の日記にも「いいね!」をつけた。ゆれる満員電車の車内で、つり革につかまらずに絶妙なバランスを取りながら、携帯端末を操作し、増え続ける日記に次々と「いいね!」ボタンを押して、日記を読んだことを示す証しを残した。
会社に着いたエヌ氏は、席につくとおもむろにパソコンの電源を入れ、社内SNSの画面をチェックし始めた。この画面にも「いいね!」ボタンが実装されており、次々と軽やかに「いいね!」ボタンを押し続けた。
会社の業績が落ちていることを示す記事、先輩が地方に転勤する記事、一身上の都合で退職することになった記事と内容のよしあしにかかわらず兎にも角にも「いいね!」ボタンを押し続けた。
プライベートな仮想日記とは別に取引先や同じ業界の人たちとのネットワークもある。社内向けの「いいね!」が終わると、仕事上のつながりのある人たちの日記に「いいね!」をつけ始めた。こちらはプライベートな日記以上に「いいね!」をつけるのに気を使う。付けもらしがあっては失礼だし、「いいね!」をつける人とコメントを書く人との間で差をつけてはいけないからだ。一応、社内の内規でコメントを書くことは作業負担も大きく、誤解を招く恐れがあるので、「いいね!」操作に限るとなっている。
ここまで仕事を終えたエヌ氏は、休憩のために喫煙室へ向かった。喫煙のための休憩はなぜか咎められないことになっている。
タバコに火をつけるのと同時に反対の手で、携帯端末から「喫煙室なう」と仮想日記に書き込んだ。
書き込んだあとから「いいね!」の嵐がやってくる。仕事中に増え続けた日記に「いいね!」をつけ終えるとエヌ氏は、喫煙室を出た。
エヌ氏はオフィスに戻ると、担当している商品のプロモーション用アカウントにログインしてみた。一般の人から感想や苦情が書き込まれることが多く、それに対してうまく受け答えをしなくてはならない。機転のきいたコメントができればいいのだが、うまいコメントが思い浮かばないときは、「いいね!」を多用した。そのときに最善の言葉が見つからなくても、会社として関心があることを示すことができる「いいね!」ボタンはエヌ氏にとっても会社にとっても都合のよいものであった。担当者が複数いても、それぞれの変な個性がでることもなく穏便にアカウントの運営ができた。
「いいね!」ボタンの操作に夢中になって仕事をしていると、とうに昼食の時間を過ぎていた。
カフェテリアでB定食を選び、デザートのショーケースから日替わりプリンを手に取り外の見える席に腰掛けた。昔は同僚と食事をともにすることが多かったが、今では食事の時間も貴重な「いいね!」タイムとなっている。プリンを食べた数をカウントするのもエヌ氏の重要なライフワークとなっている。プリンのカウントは89だ。日記のタイトルにカウント数を入れて、写真を撮って日記を作成した。
先ほど、休憩したときに「いいね!」チェックをしたにもかかわらず、すでに二桁以上の新しい日記がエヌ氏の携帯端末の画面にはあった。
この日記の未読を消化することはエヌ氏にとって大変に重要な関心事である。しかも読み逃げするわけではなく、「いいね!」をつけるのだ。
「いいね!」をつけることは信頼とコミュニケーションの証しであり、エヌ氏にとっては生きがいだ。
食事のあともエヌ氏は的確な操作によって、「いいね!」ボタンを次々と押し続けた。それは仕事の一部でもあり、趣味の一端でもあった。
画面を更新するたびにあらわれる新たな「いいね!」ボタンがある限り、エヌ氏の仕事は存在し続けるし、エヌ氏の存在意義も大きなものになる。
日もとっぷりと暮れたころエヌ氏は会社での仕事を切り上げ、帰路の電車の中にいた。朝と同じ車両に陣取り、携帯端末の「いいね!」ボタンを押し続けた。「いいね!」ボタンをたくみに使いこなすエヌ氏は、仮想日記上での評判がすこぶるよかった。仮想日記上でエヌ氏と知り合うことができれば、自分の日記にエヌ氏からの「いいね!」の評価が必ず入るからだ。
エヌ氏の「いいね!」の評価は呼び水となりほかの人も釣られるようにして、「いいね!」ボタンを押してしまう。エヌ氏の周りには「いいね!」の好循環ができているようにみえた。
帰宅したエヌ氏は、就寝までの時間を使って、仮想日記の新着のチェックを始めた。帰路の電車やバスの中でもチェックをしていたのだが、小さい画面では、日記の消化に限界がある。エヌ氏ご自慢の32インチの薄型画面を使っての「いいね!」ボタンを押す操作はとてもはかどるのだ。
時計の針が次の日に変わるころにエヌ氏の一日は終わる。しかし、エヌ氏が寝ている間にも世界は動き続け、無数の「いいね!」ボタンは増え続ける。