はてなキーワード: チェーンスモーカーとは
うちの親父が年収大体3500万くらいだった
1日5000歩歩く、とかそういうくだらないものでも一切曲げない
最近は暑いから部屋の中を万歩計見ながらぐるぐる歩いてるが、絶対意味ない
そういうくだらないのを抜きにしても、例えば重度のチェーンスモーカーだった父は「俺は明日からでも別に禁煙なんてできる」と嘯いて全く信じていなかったが、
父の知人が肺がんと発覚した翌日から、持っているタバコを全て捨ててピタッと止めたのは今でも覚えてる
家の中を歩いても意味がない理由を私が述べても無視するが、医者に言われると信じる
もちろんものにもよるが、基本的に後から自分で答え合わせをすることに意義を感じないものは、その道の専門家の言うことを全面的に信じることで判断基準を大幅に単純化している
仕事をする上でもそうだが、判断に必要な材料が足りない、あるいはその材料を集めることに意義を感じないものについては、専門家の意見を信じるのが一番確実だと言っていた
父が家事を手伝ってほしいと言われた際、父はサイクロン掃除機と食器洗い乾燥機とななめドラム洗濯乾燥機を母に買った
父は一切の家事ができないので、手伝えと言われても何も出来ない以上、家事が楽になる道具を一通り買えばよいだろう、と言うスタンス
これも上の話に似ているが、今更努力して会得しても赤点になるようなものをこれ以上頑張る理由が無い、ということで、そういうときはお金で専門家を呼んでくるのが良い、とのこと
上記二点を行うことで時間を開けてから、仕事に関わるものの勉強をしていた
結果的に仕事以外の部分は一ミリも尊敬できない父が出来上がったのだが、まぁ、それも父の生き方なのだろうと思って眺めることにした
ちなみに最近は何を思ったのか70を超えてスイミングを始めて、しかもとりあえず全ての泳ぎ方を学びたいということでクロール、平泳ぎ、背泳ぎ、バタフライの練習を始めた
結果、腰を痛めてしまったようで、最近朝起きられないと嘆いていた
私、非喫煙者なんですけれども。
両者のせめぎ合いで、xの強さが勝ったときに、飛行機のトイレで喫煙するという行為が起きる。こういうモデルはどうでしょうか。
人によって、xとyの感受性や忍耐力は異なるから、同じ喫煙者でも「飛行機のトイレで吸うなど理解できない」という人もいるでしょうし、「違反でもいいからとにかく吸いたい」という人もいるかもしれません。
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先日、室内禁煙の宴会場で暑気払いがあったんですが、喫煙者の同僚が談笑中に「ちょっと一服してくる」と言って鞄の中をごそごそし始めたんです。
「あれ?……あれ?……」と言いながら煙草を探しているんですが、なかなか見つからない。徐々に彼の表情がこわばってきて緊張が高まるのを感じました。
「大丈夫ですか」と気遣うも、「いや……おかしいな……」などと言いつつイライラが昂じているのが目に見えて分かりました。普段は温厚で怒った顔など見せたことがない人だったのでちょっと驚きました。
失礼な言い方で申し訳ないのですが、禁断症状という言葉がちらと脳裏をよぎりました。
結局、彼は他の人に借りるとかなんとか言いながらそのまま行ってしまったのですが、これ以上我慢できなかったのかもなあと思ったりしたところです。
ちなみにこの同僚は日頃は数時間ごとに喫煙所に通っている感じの人で、極端にチェーンスモーカーという感じはしません。喫煙直後に打ち合わせとかで話し合いになると私はものすごく辛いのですが、まあそれはまた別の話で。
私の父は、周りの友人たちの父親よりも年を取っている。晩婚のせいだ。酒と煙草が大好きで、結婚前は徹麻しまくりだったらしい。また、きょうだいのうち一人だけ男、ということもあり、寵愛を受けたようだ。おかげで、結婚後もおぼっちゃん的な金の使い方が抜けず、家計は火の車なのにもかかわらず、飲み歩きをやめず、チェーンスモーカーであるためにタバコ代がかさむ。私が中学時代、引きこもったときには、母に手を上げたりもした。私の部屋のドアに穴を空けた。なにかといえばすぐ機嫌を悪くするし、味をみないで醤油をどぼどぼかけるし、口は臭いし、デリカシーが無いし、まあ、典型的な「家庭内で嫌われているお父さん」だ。そんな父も、家の外では明るく、地元地域では飲み仲間がたくさんいるようだ。
そんな父の母が、つまり私からすると父方の祖母が、今年亡くなった。それに関するいくつかの法事を行うために何度か帰省し、久しぶりに父と面と向かって話した。つい先日祖母の四十九日のことだ。親類が帰ったあと、酔った父が、会話の流れで私に「なんでお前はそんなに数学が苦手なんだ?」と言ってきた。私は引きこもり時代のブランクがあったせいで、因数分解がうまく理解できなかった。それを父に教えてもらおうとしたのだが、私の理解能力があまりに乏しいせいで「なんでこんなこともわからないんだ!」と参考書を破かれた。これがトラウマになっているのだ。「お父さん、私に因数分解を教えるときに参考書を破いたの、覚えてる?」と苦笑混じりに言うと、父も苦笑した。それから、「ああ、やり直したいなあ」と呟いて、飼い犬の雑種を撫でた。「ばあちゃんのことも、因数分解もやり直したいなあ」と、犬に向かってまた呟いた。
このとき、私は父の背中が前よりも曲がり、あんなに恐怖していた大きな背がとても小さく見えた。私が小さい頃はあんなに好きだった酒も、去年胃ガンの疑いをかけられた(実際は別の症状だった)せいで、控えているらしい。昔は毎晩飲んでは「まだ寝るから、朝ごはん、先に食べてて」と布団でもぞもぞしていたのに、今では朝の5時に起きているらしい。どうしちゃったの、お父さん? 母に言うと、母は笑っていた。「どうしちゃったんだろうね」。
また父は、納骨のあとに「ばあちゃんの骨壷のとなり、空いたスペースがひとつあってさ。次はオレかと思ったら怖くなっちゃったよ」と笑っていた。これを聞いて、また、小さな背中を見て、突然に父の死期というものを身近に感じはじめた。こんなに実家にいたいと思うのははじめてだ。早くお盆休みが来るといいなあ。私ってこんなにお父さんのこと、好きだったんだ。