はてなキーワード: 息抜きとは
お前はこの先うんこ製造機予備軍決定だな
親が好きで親に感謝をしてるなら今は親の言うこと聞いとけ小便垂れが
ネトゲやっていた時間なにもすることがなくて本当はあるけど、退屈をネトゲの替わりにネットや動画で埋め、ただただ虚しい。
本来やりたいネトゲをやれず「ああネトゲやりたいなあ」って思い続けてる。
最近は、ネトゲが面白いわけじゃない。ネトゲやってる時が自分の時間になってる。
一日の業務やっと終わった!自分だけの時間。息抜きのネトゲ。ごほうびのネトゲ。
これが無くなる。
PDCAもネトゲなら回せる。何がいけなかった?どうすればいい?
勉強して効果が出たことを確認できる。昨日より成長した。明日への自信につながる。
こう思える。現実に戻っていける。
今は折れた気持ちでいつ終わるかわからない現実と消耗戦していくしかない。
暴飲暴食くらいだが、食うと太る、飲むと内臓に響くので飲めない。
あいた時間にネトゲしてストレス解消できるのが一番充実していると思う。
タイトルは「絵描きが嫌い」という前方面に喧嘩を売るようなものだが厳密には違う。
どれだけ神と崇める絵描きでもこの行為をするだけで心底幻滅してしまう。ちなみに私は文字書きである。
ツイッターをしていると日々沢山の推しCPの妄想が流れてくる。私の推しCPは少しマイナーなので表現を盛ってしまったが兎に角なにかしらの妄想が流れてくる。どれも素晴らしい。自カプには神絵師もいるので栄える日も遠くないと信じている。
そんな折、TLに大変素晴らしい妄想が流れてきた。絵描きでも文字書きでもない人の妄想だったが「いいね」が数個ついていた。私も「いいね」した。
その数時間後、神絵師が漫画をあげた。読むと数時間前に流れてきた妄想ツイートと同じ内容だった。
私は「???」という気分だった。これは神絵師が考えた話ではなく別の人の呟きだったではないか。引用元も誰の呟きだったかも一切書かれていない。直後の呟きで「【漫画の内容の)呟きが流れてきて萌えたので描いた」という旨の呟きが流れてきた。
その漫画には数百もの「いいね」がついたのだ。私は盛大に胸糞が悪くなった。
元ツイートの人はどう思っているのかと覗きにいったら件の漫画をRTして感謝していた。
合意の上でならいいのだ。たまに「私の妄想はフリー素材」と言っている人を見かける。潔く、そして話が早くていいと思う。
しかしそういった公言をしていない人はどうなるのか。私はみてのとおりこんな拙い文章しか書けないが文字書きの端くれである。ツイッターをネタ帳のように使ったりすることもある。そしてフリー素材などと公言したことはない。
ツイッターで絵描きの人とも繋がってはいるが自分の身にこんなことが降りかかるとは思っていなかった。その時はもやっとした思いを抱えつつ、よその畑を眺めるだけ眺めて自分の生活に戻っていったのだ。
いつものように妄想を呟いた。数分後に我ながらいい妄想だったなと思ったので膨らませて文字に起こそうと思ったのだ。妄想には「いいね」が数個ついていた。
作業を始めてから一時間半ほど経過した時だった。私は書くスピードが遅いので完成はしていなかったが、息抜きも兼ねてツイッターを開いた。
もうお分かりかと思うが私の妄想が相互の絵描きによって漫画になっていた。そのツイートにはかなりの「いいね」がついていた。少しマイナーなので数は控えめだったと思うが、その人は絵が上手かったので瞬く間に伸びた。
私は怒りで気が狂いそうだった。
元ツイートのURLも無ければ元ネタがあるという呟きもない。しかし内容は完全に私の妄想まんまであったし描いた人は「いいね」をしてくれていた。なので確実に黒なのである。だというのにまるで描いた人間が1から考えたかのような発表のしかたをされていた。
私の手元に残ったのはネタ丸被りの半端な文章だけが残った。ここから完成させて発表しても元ネタが私のツイートだと知らない人達には私が漫画のネタをパクったように見えるだろうし、そもそもめちゃシコの漫画が生まれてしまったので見向きもされないだろう。
私は性格が悪いので漫画をRTして「妄想ツイートを元にして話を書いていたが漫画になっていたのでボツにした」という旨の呟きをした。せめてもの反抗で「いいね」しなかった。出来なかった。
すぐにリプライがきた。私の妄想を元に漫画を描いた人からだ。内容は「どうしてボツにしたのか。読みたいから書いてほしい」といったものだった。
ふざけるな。
お前が描かなければ完成していたのだ。お前が可能性を潰したのである。自業自得にもほどがある。
私は怒りが爆発して「もう消したから無理だよ」としか言えなかった。
小説が完成していれば伸びたはずとかそういう話ではない。元々小説で絵に勝てるなんて微塵も思っていないし、人気がほしいだとか、承認欲求を満たしたいなんて理由で文字書きはやってられない。それでも私が書きたかったから書いたのだ。
「ならば被っても書ききればよかった」なんて言われた日にはタイキックである。私が見つけた一面の新雪にすでに特大の足跡がついているのだ。もしかしたらダイブしたあとの人型かもしれない。そんな景色を愛せといわれても私は愛せないし、どうにかリメイクしようという気にもなれない。
なぜ一言聞いてくれないのだろうか。「描いていい?」と一言聞いてくれれば快くOKしたのだ。何も聞かず、引用もURLも貼らず、まるで己の脳から生まれたかのように発表するその神経が理解出来ない。
そして描いた側は「喜んでくれる」と信じきっている。反吐が出そうである。
しかるべき手順を踏めば私も大手を振って感謝しただろう。その人のことをもっともっと好きになっただろう。その人のことを好きでいたかった。
ツイッターは独り言を垂れ流す場である。そこに言葉を流すのであればある程度は覚悟するべきだという人もいるはずだ。理解はしている。それでも最低限のマナーというものはあるのではないだろうか。
あのとき、もう少し私の筆が早ければ物語は死なずに済んだだろう。結局勝てば官軍なのだ。私はスピードで負けてしまったのだから賊軍になった。ただの負け犬の遠吠えである。
誰かの妄想を元に作品を作るという行為はたびたび見かける。きちんと許可を取っている人をみるとそれだけで好きになってしまう。逆に、無許可でネタを使っている人を見るとそれだけでブロックしてしまう。神とか人とか関係ない。
そんな人間ばかりではないと勿論分かっている。分かっているだけに辛い。「いつかこの人もやるのだろうか」と思ってしまう。
誰かの妄想をもとに作品を作りたいと思ったのなら許可を取ってほしい。作品を発表した際は元ツイートを引用するかURLをつけてほしい。ただそれだけなのだ。でなければ盗作されたようなものだ。
私のように考えている人が一人でもいることを祈っている。
ママ閉店とか、他のをいろいろ見ても思うんだけどさー
ずっと一人の時間がなくて辛いんです! ママだって息抜きしたい!
とか、もう表では絶対出せないけどすごいうざい。
大変なのおまえだけじゃねーよ
おまえのせいで代わりに仕事被ってる同僚とか、子供が五月蠅くて眠れなくて困ってる奴とか、全部大変なんだよ
だいたい、ママをお休みしたいとか、一人の時間が欲しいとか、なんなの?
子供を産み育てるってことは、自分の時間全部犠牲にする勢いでやらないといけないもんだろうが
そういう覚悟持って産めよ
子供が欲しいという自分の欲望のままに産んで、私とってもたいへん! 辛い!!!とか騒ぐのマジ意味分かんない
すごい辛い、勉強大変、難しいわかんない!ってなっても勉強した先に学校に合格するとか資格取れるとかいいことがあるわけだろ?
子育て大変抱けど、その先には子供の成長を見守るという楽しい出来事が待ってるわけだろ?だから頑張ってるんだろ?
だったら人に「大変大変」主張すんなよ、てめーの好きで産んだてめーの責任だろ
ほんと既婚様の「私とっても大変なんだから!」っていうの大嫌い
大変な私に酔ってるだけとしか思えない
BUMP OF CHICKENを聴きながら勉強をした。
入ったのは、文科一類。
順当に行けば法学部に進学するところだ。
東大には、語学別のクラスがあり、顔合わせ的な意味でクラスごとに旅行にいったりする。
おかげで顔見知りくらいはできたが、友達ができることはなかった。
ガリ勉ばかりだと思ってた東大だが、「チャラい」人の方がむしろ多かった。
大学の授業には、最低限だけ出席し、Flashやテキストサイトを見て時間を潰すことが増えた。
就活に使えるようなガクチカエピソードもなく、コミュ障が面接をクリアできるとも思えなかったので、ロースクールに進学することにした。
そんな安易な発想だ。
ソクラテス・メソッドの名の下に、授業で発言を要求されるのには困ったが、学問的な内容であればまだ発言しやすい。
有志で勉強会をする人たちもいたが、ひたすら一人で勉強をした。
アラサーの男女が高校生みたいな色恋沙汰を繰り広げるのを横目に見ながら、判例や学説を頭に叩き込んだ。
テキストサイトはその黄金時代を終え、息抜きは2ちゃんねるに変わった。
ペーパーテストは昔から得意だし、他の人が人間関係に充てている時間を勉強に注ぎ込んだのだから、当然の結果だろう。
勉強ができる上に、顔も良くてコミュ力もある化け物のような人達に就活では負け続けた。
唯一、拾ってくれたのが今の事務所だ。
おかげで、なんとか今は生きている。
大学生のときは何も考えていなかったが、弁護士はコミュニケーション能力も重要だ。
できたら1,2日使うだけでやる気が溜まる方法を探りたい。今のままだと下手したら1週間とかそれぐらいかかっちゃってやってられない。エンターテイメント系の仕事だから自分のエネルギーが足りない状況だとできたモノの質が下がってしまう。
昔はそういうのって怠けているとか努力が足りないって割り切ってやっていた。でもこういうメンタルコントロールって鬱になってしまう。というかなったんだ。
3年ぐらい苔やシミと対話して過ごしてた。でもなんとか持ち直すことができて。ただ、その反動で無理ができない。そもそも無理したところで質の良いものができるわけじゃない。とはいえ1週間も怠けるわけにもいかない。メンタルを上手にコントロールして効率的に仕事をこなしたい。
ということでみんなどうやってやる気を補充してるのか知りたい。
自分の場合、映画、ドラマ、ゲーム、どこかに出かける、そういったこと全部駄目なんだ。読書とかも真剣に読んでしまうから息抜きにならない。映画もドラマもゲームも同じ。出かけるのは出不精で旅行やアウトドアも疲れるだけで意味がない。ボケーっと動画をみるとかだと1週間コース。今は余裕があるからそれでも生活的には問題ない。でも活動のサイクルは早めたい。表現したいアイデアはたくさんある。
だったら、それがモチベーションになるはずじゃない?.....って思うかもしれないけどそれは勘違いだった。鬱になった。そうじゃなかった。自分のメンタルをコントロールする方法をちゃんと考えなきゃいけなかったんだ。もう失敗したくない。
みんなどうやってやる気を補充してるのか教えてほしい。
http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/kochima3/status/1028656895425306625
外に連れ出すなど場所を変える努力はすべきと言うが、子供が泣く度に外に出てたら親はメシ食えないんだよ。
親だって、適度に子供をあやしつつ何とか同時並行で親もさっさと食べて、早く退店したいと思っているんだよ。
子供の泣き声や叫び声って確かに頭に響くから、一番近い真横に居る親が一番ストレス感じてるんだよ。
それを聞きつつも何も思わず平然と放置してメシ食える親なんて居ないって。
みんな心の中ではとても焦って精神的に追い込まれつつ、それでもメシ食わずに帰るわけにいかないから、
頑張ってあやすのと食べるのをバランスとりながら必死にやってるんだって。
でもファミレスの店内で怒るわけにもいかないし、せっかくの食事を険悪なムードにしたくないから、
内心では自分も泣きそうになりつつも、頑張って平然な表情を繕っているんだって。
それを「泣く子を放置して食べている」という風に受け取られるのは辛い。
子連れ家族が来ている可能性があるというコンセンサスがとれている場所じゃないの?
賑やかな子供がいるかもしれない前提を覚悟して行く場所なんじゃないの?
それとも子供は"正しく"躾ければ皆静かにできるはず、とでも信じているのか?
それともファミリーなんてのは名前だけで、実質的にはノマドワーカーが集中して仕事したり、
一人で新聞や本をゆっくり読むような場所であるべきだ!というのが社会通念なのか?
おしゃれなカフェも高級レストランも行けないし、一方街中の定食屋やラーメン屋だって行きづらいんだよ。
前者のような静寂感や気品が求められる店は当然避けるし、
後者は衛生上の理由(油がつくとか、喫煙とか)だったり、おむつ替え設備や子供用椅子が無かったりとかで回避するしかないんだよ。
子供が生まれる前は夫婦でよく行っていたお店や常連のレストランとかも、全部我慢するしかないんだよ。
たしかに子連れ大歓迎を謳っている専門のカフェやレストランも存在するよ?
結局電車やバスで移動するから、公共交通機関での不安を抱えることになる。
何よりそういうお店はそこそこ高いから、早々気軽には行けないんだよ。
そんななかで、家の近くのどこにでもあって、かつ子供用椅子やオムツ替え設備も完備されていて、
子供用メニューも存在して安心して行ける数少ない飲食店が、ファミレスなんだよ。
そこに行くことくらい許してくれよ。ファミレスすら制限されたら、
もう子連れが気軽に行ける場所なんてなくなっちゃうよ。勘弁してくれよ。
もちろん子連れではないファミリーだっているんだから、そういう方々の気持ちも重視されるべきというのは分かる。
ただ、どっちの方が行動が制限されているかというと、明らかに子連れなんだよ。他の選択肢が少ないんだよ。
それとも子連れは全部家でメシを食えってか?
時々のリラックスや気分転換、たまに贅沢もしくは料理の息抜きと思って外食することもダメなの?
ずっとお家に閉じ込めておけとおっしゃいますか?
さらに言えば、こういう状況になることを覚悟して子供作ったんだろって言いますか?
こうやって子連れを閉鎖的環境に追い込んだり、心理的に行動を制約することで、
日頃は「女性差別解消!」「母親の社会参画!」「子育てしやすい社会!」とか言っておきながら、
このこの事案については親を批判するというのは、明らかなダブスタだからな。
普段は子育て親の味方かと思っていたのに、率直にはてな民に失望したわ。
個別のブコメに反論していこうかと思ったが、面倒だからやめたわ。
結局どのコメントに対しても共通して、「ここはファミレスだぞ!?」という一言に尽きる。
その場所に定義された文脈において当然来ることが想定される客層は、
多様性の一部として受け入れられる雰囲気を醸成すべきなんじゃないのか?ということだ。
あと、「ファミレスだからといって好き勝手させたら、座席でおむつ替えを始めかねないから線引きは必要」とかいう
支離滅裂なコメントをしている奴がいたが、まじ誹謗中傷レベルで絶対に許せん。
そんな奴いるかよ。親はちゃんと設備を確認し、店を選んでいます。
トイレにおむつ替えシートがあって、子供用椅子や子供用食器もあって、お子様メニューもあって、
そういう多々の設備を確認したうえで、ようやくここなら安心して行ける!と思って行ってるの。
そこまで考えて行ってるのに、適当に座席でおむつ替え始める奴なんているかよ。
そんな線引きは当然重々きちんと認識しながら日々工夫して生活しております。
ファミリーレストランという場の定義として、その線引きがどの程度か?という問題だろ。
そこにこんな酷い偏見を混ぜて煽ってくるとか、怒りを禁じえない。
そもそも"ファミリー"の意味が違うという定義の問題なら議論の余地はあるが、
賑やかな子供は排除されるという定義の方が優勢なら、心底悲しいね。
前述の通り、ファミレスはトイレにおむつ替えシートがあって、子供用椅子や子供用食器もあって、
お子様メニューや離乳食メニューも提供してて、入口では子供用のおもちゃも販売していて、
これほどに「幼いお子様大歓迎の場所です!」というサインを大量に発しているのに、
それでもなお定義が違うというなら、もう何を信じてよいのか分からないわ。
はあーーー、せっかくのお盆休みの朝から、こんなことに2時間もかけてしまった。貴重な時間を無駄にした…。
日常的にお世話になっているはてブだからこそ、一児の父として今回のコメント傾向には憤りを抑えきれなかった。
でもなんだか一通り書いた後に、論理性に自信がなくなってきた。やっぱ当事者としての主観すぎるのかなあ。
きっとこの記事も批判されるんだろうな。やっぱり俺はてなに向いてないのかな。はてなやめようかな。
東京医大の件がきっかけですごく私は怒っている。というより、自分が味わってきた、世の中の女性が味わってきた不当な扱いに怒っている。
私の子供の父親は、亭主関白的に何かを押し付けるタイプではなく、私が好きなことをやっていることを認めて好きにさせてくれる人であった。彼自身も好きにしたかったのだからお互い好きにやろうぜって。そういうところに惹かれたとも言える。
でも子供が生まれて、お互い好きなことやるために融通しようねっていう話にはならなかった。デフォルトで私が子供と24/7いっしょにいることになった。彼は好きなようにあちこちへ行って、いつ現れていついなくなるのかわからず、結局子育ての戦力には全くならなかった。
そんな状況で私はフリーランスの仕事はほとんど納期に間に合わせられなくて自己嫌悪に陥り鬱になった。仕事ができないから生活も苦しい。目の前で子供が泣いている。トイレにも一人で行けないし、睡眠不足で暖かい食事なんてできない日々。息抜きができたのは友人とか、近所のカフェでお店の人が子供の面倒を見てくれたりしたりした時や、今ではお金払って頼んでいるナニーちゃんで、そういう人的リソースを手配するのも私の仕事であって、彼はあまり当てにならなかった。
彼は子育ては女がやるべきだ! っていうアグレッシブな考えを持っていたというよりも、子育ては自分もやらなくてはいけないものだっていう意識が皆無だったんじゃないかと思う。わたしが友達や他人に頼っているのを見ても、多分ほのぼのした気持ちで見てたんじゃないかと思う。子供は作ったらご飯食べさせて、死なないように面倒見なきゃいけないっていうことがたぶん今でも理解できていないし、それをするのは本来は自分の役目だってのもわかってない。
私も当時は、自分がやるものだと思っていたし、働いていないのにご飯食べさせてもらって申し訳ないと思っていた。今思えば、私が子育てしているから彼は好きなように働けて貯蓄も投資もできるのに、当時の私は子育てをして仕事ができないからお金がないし、結婚してないから彼が稼いだお金は私の財産ではないとおもっていた。
子供って二人で作るものなのに、父親はいつでも好きなように出張に出ることができ、家にいたりいなかったり、連絡しなかったりしても平気なのに、母親の私は美容院行くにも誰かに「お願い」しないといけない。しかもそれが父親であっても「お願い」なんだ。
でもそれを、仕方ないと受け入れてきた自分がそういう悪習に加担していたのかもしれないとも思う。
まあそんな男とは別れたのだけれど、別れた今も私は彼に「娘とあってください」「養育費払ってください」ってお願いしてる。でも全部無視されてるけど。別れた女にくっついている子供は自分ともう関係ないとでも思ってるんだろうか。
東京医大の件も、世の中にある女性差別も、アグレッシブに差別してやろうとしているのではなく、それが当然のことと思っていいる男性と、それに慣らされた女性によるものじゃないかと思う。
休日ずっとなにやってるの?
勉強するより人生楽しくすることなんてそうそうないと思うけどなあ。
勉強っていわば、やりたい事・やるべき事・できる事を一致させる事が出来る最高すぎる手段なわけじゃん?
まあ確かに勉強すると理想の自分と現実の自分の差を思い知ってたまに死にそうなほど辛くなったりするけど、そこで踏ん張れば最後にはやりたい事をやるべき事として出来るようになって自分も自分の人生も愛せるようになるんだから総合的には超ハッピーじゃん。
うーん。
瞬間的には酒飲みながら恋人と語り合うほうが楽しかったリはするけど、それってあくまで息抜き程度で十分なものであって少しで十分じゃない?
よっぽど今やってる仕事が理想と乖離してるとかなら分かるけどね。
そんな人そんなに沢山いるの?