はてなキーワード: イヤミスとは
ポリコレアフロはポリコレ方向で有名になってしまったけど、イヤミスというか変な動機理不尽な動機ものとして好きなんだよなあ
ある犯人は地味な弱者男性で、まあそれでも結婚して子供はつくれた 離婚したけど
彼には幼年期にある強烈な体験があった
当時から冴えない地味男児だった弱男は、キラキラしたイケメン男児とたまたま一緒に海辺にいた
イケメンは知らない人に声をかけられて、君は選ばれた特別な存在だからついてきてくれといったことを言われた
選ばれたものにしか与えられないバッジを与えられ、イケメンは自慢げな勝ち誇ったような顔を弱男に見せて、男に連れられてどこかへ行った
そのままイケメンは二度と帰らず、まあ普通に考えれば甘言を用いて誘拐され悲惨な末路を辿ったのだろうと想像できる
弱男も長じるにつれてそう思いはしたが、選ばれた側の存在だぞという勝ち誇ったイケメンの顔が忘れられなかった
誘拐されたなんてのは凡人の想像にすぎず、イケメンはどこか特別な世界で特別な体験をして選ばれた側としてのドラマチックな活躍をしているんじゃと想像した
ある時弱男が一人で釣りをしていると、複数の家族がキャンプをしており、輪の中から外れて一人遊びをしている少年がいた
弱男は少年が自分と重なって見えて、少年に声をかけて連れ出して殺して埋めた
後から少年の家族は「少し目を離した隙に消えた」と報道で話していたが、何十分も目を離していたくせにと弱男は憤る
弱男はその後も数年ごとに、選ばれない側の可哀想な少年に同情して殺害を繰り返した
狙うのは自分の姿と重なる男の子ばかりだったが、ある時自分の住む街にロリコン犯罪者がいることに気づいた
二人組で歩く女の子たちがある道で別れた時に片方だけをロリコンは狙った
弱男は選ばれない側の女の子が可哀想でならなくなり、そちらの女の子を殺害した
選ばれない側、存在が軽い側のまま生きていく子がいることに耐えられなかった
有名どころばっかりですまんけど。
残穢:
日本映画。
ホラーミステリといった風体で「恐怖現象」に対してその始まりやどういう因果で続いてきたのか
全編非常にローなテンションで進行していき、びっくり要素は少ないがジワジワと怖い感覚が味わえる。
コンジアム:
韓国映画。
Youtuberが恐怖スポットの廃精神病院に乗り込むお化け屋敷系作品。
撮影者が主観&顔カメラを各自携帯しているという設定のため、主観視点と顔アップの両方を使用し
トリハダ、ヒトコワ:
日本映画。
トリハダのほうが「バケモンみたいなキチガイ」を扱っている道中が怖い作品
ヒトコワのほうが「実際にいそうなキチガイ」を取り扱っているオチが怖い作品。
という印象。
かつて私は、三谷幸喜が好きだった。
その飄々としててちょっとネガティブで、でも面白いものを書くことに真剣な、三谷幸喜とその作品が好きだった。
「王様のレストラン」のお洒落さとユーモア。「古畑任三郎」のイヤミス的ブラックさと程良いミステリー感。大河ドラマ「新選組!」の熱い青春ストーリー。
「恐れを知らぬ川上音二郎一座」は綱渡りのような舞台にずっとハラハラするのに爽やかだった。
「おのれナポレオン」は舞台をフルに生かしていて観客ごとナポレオンの思惑に巻き込まれるような感覚を覚えた。
「ありふれた日々」も単行本を買っていた。DVDも揃えていた。
もっともこれくらいのファンなら、にわかに過ぎないだろうということもわかっている。
ところが、近年の作品になるにつれ「あれ?」と思うことが増えた。
「この役者さん、前も似たような役で出てたな……」と思う。
どうにも面白くない。退屈で欠伸が出る。
「清須会議」は開始15分しないうちに睡眠導入用BGMになった。
「真田丸」は「新選組!」に比べて作品から勢いが感じられず、周囲で絶賛されている理由が全くわからなかった。
ちなみに「ギャラクシー街道」は予告から絶望した。もはや語りたくも無い。
私の嗜好が変化したのもあるだろう。
三谷さん自身のプライベートな生活環境の変化が、作風に影響したという事情もあるかもしれない。
いずれにせよ、大好きだったはずのものが次第に受け付けなくなるのは悲しい。決定的な理由、大きな理由も思い付かないから余計に虚しい。
ただ、最近ではいわゆるアンチの意見のほうが納得出来てしまう。
発信者も受信者も歳を重ね考え方が変わっていく以上、仕方のないことなのか。
ところが先日、某局で二時間ドラマ枠で「君たちがいて僕がいる」が再放送されていた。
なお、若かりし日の渡辺謙と石黒賢がメインキャスト(この二人が今も第一線で活躍している時点で凄い)。
期待はしていなかったが三谷作品の中では見たことが無かったので一応と思って録画し、暇だった今日の午後に見ることにした。
面白かった。
二時間ドラマなのに人は死なず、ミステリーもサスペンスもお色気も無い。
もちろん特別予算をかけたようなシーンも無く、舞台の大半は地方の商店街と駅前で画面は至って地味だ。
ほとんどが渡辺謙の軽妙な実演販売トークと石黒賢の執念めいた奮闘で成り立っている。
ネタバレは避けるが、「衝撃のラスト」なんていう安っぽい展開も無い。
でも、面白いのだ。
テンポの良い会話が疲れた心に心地良い。染み入る人情が胸に刺さる。
くすっと笑った所で、はっとした。
私がかつて三谷作品に求めていた、そして今も求めている、あたたかな笑いがそこにあった。
新作映画の公開に向けてテレビに露出されることも最近また増えたが、私はその度にチャンネルを変える。
それでも多分、これからも私は、少なくとも過去の三谷作品についてはことあるごとに見続けると思う。
名作は廃れない。
新作の「記憶にございません!」はどうだろう。
面白い、と思えない可能性が怖くて映画館に行くのを躊躇う映画など、正直私にとっては三谷作品くらいかもしれない。
しかし、「君たちがいて僕がいる」を見たことで少し気持ちが揺らいだ。
……あと10日ほど、迷ってみようかな。