はてなキーワード: 性同一性障害とは
「JSのおもらし好き!女児下着履きたい!美少女JSになりたい!」→「性同一性障害の診断書もらった!」 https://togetter.com/li/2035375 #Togetter @togetter_jpより
「娘に毒親と言われ絶縁されてる」と語る性同一性障害の父親、娘から性的虐待を暴露される https://togetter.com/li/1975465 #Togetter @togetter_jpより
「女という弱者優遇枠が欲しいから」性転換したという自称トランス女性 https://togetter.com/li/1967822 #Togetter @togetter_jpより
女性を強姦して裁判にかけられたと語る、女性の嘔吐や排泄に興奮する自称オペ済みトランス女性 https://togetter.com/li/1805713 #Togetter @togetter_jpより
トランスジェンダー女性が女風呂に入った感想「おっぱい天国でマシュマロぱいぱいを拝んできました」気持ち悪いと批判される https://togetter.com/li/1983303 #Togetter @togetter_jpより
というのも、自分がこの手のほとんど女子がいない理系学科出身で、性自認男性の戸籍女であり、学生当時はかなり社会の目にあわせて女子に擬態してたんですよね。
当時は(容姿、声、戸籍:すべて女性、性自認男)で女子としてカウントされてたはずだけど、今なら「男として男性名で生活しているから男性にカウントしなおしてください」と申し出ることはできなくもなさそう(めんどいし不要なのでわざわざやらないけれど)
すると、彼らの大好きな「多様性」を増やした結果男女の偏りが大きくなる結果になると思うんだけど、それでも「多様性」は重視するのかな?それとも性同一性障害は「推進したい多様性」の外扱いなんかな?
まー実のところ何も考えてないだけと思うけどね
短い文章なのに、いろいろ間違いが多いなあ。
間違い1。認定云々以前に、GIDやトランスジェンダーという概念自体を受け入れないフェミニストは普通にいる(「トランスジェンダリズム」という言葉を使い、transgenderを客観的状態ではなく一種の主義主張として捉えるフェミニストに多い)。後述のTERFは、そもそも「Trans Exclusionary Radical Feminist:トランス排斥的なラディカルフェミニスト」を指す言葉だった。TERFと呼ばれるフェミニストの中には、トランスジェンダーの部分的容認派もトランスジェンダーの完全否定派もいる。
「自認」の場合は女装趣味やオートガイネフィリアが含まれるため、受け入れない派がTARF、受け入れる派がTRAと呼ばれる。
間違い2。まず、上にも書いたとおり、「TARF」ではなくTERF=Trans Exclusionary Radical Feminist:トランス排斥的なラディカルフェミニスト。TERFの中には「女装趣味やオートガイネフィリアが含まれるから受け入れない」という人もいるが、「そもそもトランスジェンダーなど存在しない」という立場の人も含まれる。
間違い3。GID(性同一性障害:性自認が身体的性と一致していない状態)は医学的に定義された疾病概念で、GIDという診断結果を得るには、心療内科医や精神科医によるその他の精神的身体的障害(統合失調症・人格障害・女装嗜好・経済的社会的利益を目的とした性転換希望など)からの除外診断が必要になる。TRA(Transgender Rights Activist:トランスジェンダーの権利を求めるアクティヴィスト)と言われるフェミニストの多くも、基本的にはこのような外在的基準に沿って当事者のクレイムの正当性を判断する。つまり「TRAのフェミニスト」は、性別の自称を何であれ全肯定するわけではなく、GID以外の動機や原因に基づいた「身体的性別と異なる性別の自称」は受け入れない。
FTM:絶対数がそもそも少なく、また身体は女性のため、性暴力の加害者になることも、女性スペースに入りたいという希望も極めて少ないため、ほとんど問題が生じない。
間違い4。日本のジェンダークリニックではMTFよりFTMのほうが受診者が多く、統計的には6割から7割がFTMで、残りがMTFである。
間違い5。レズビアン女性の界隈では、いわゆる「ビアンのタチ」とFTMの境界が、セクマイ男性におけるゲイとMTFに比べて非常に曖昧(たとえば、女子サッカー界における「メンズ」 https://www.nhk.or.jp/gendai/comment/0029/topic051.html は、この両方を包摂している意識のあり方だ)。ある時期までタチを自称していた人が数年後にFTMと自称していることも普通にある。そうした両義的な性意識を持つ人達が女性スペースに入ることは普通にあるし、そこで問題が全く起きていないわけでもない(一部の女性が「男性的なプレゼンテーションをしていて性別不明の人が女性トイレに入ってきた」という状況自体を脅威に感じることは、彼女たちが「女性的なプレゼンテーションをしていて性別不明の人が女性トイレに入ってきた」という状況を脅威に感じることと全く同型の構造で、「前者は架空の脅威で、後者は現実の脅威だ」という主張は論理的でない)。「身体が女性だから性暴力の加害者になることも極めて少ない」というのも根拠不明。
趣味で女装を嗜んでいる男性だが、女性ものの服を着用する男性は3種類に分けることができる(独自研究である)。
① 女性として生きたい
③ 女性として扱われたい
①は、性別違和や性同一性障害などの性質を有しており、性別適合手術を受けて女性として埋没して生活している人が多い。
②は、ジェンダーレスの流れに乗り、10〜20代前半の若い男性が自己表現の一環として行なっていることが多い。
③は、女性として扱われることで性的な満足感を覚えるタイプの人であり、いわゆる「オートガイネフィリア」と呼ばれる。
しばしば問題となるのは③の人たちであり、女性ものの服を着用することが性的欲求に結びついている。
これらの人たちは、女性ものの服を着用することで性的興奮を覚え、射精すると賢者タイムに入るので脱衣する。
また、過度に女性的な要素を強調するような要素(制服、メイド服、ボディコン等)を好む傾向にあり、年齢や相貌に似つかわしくないメイクや服装をしばしば行う。
はじめは「室内女装」で満足するも、性的欲求はエスカレートする性質があり、次第に女装外出に発展していく。
女装する男性を狙う男性も一定数おり(女性は更に少ないがいるにいる)、女装する男性の一部は褒められ慣れていないことが多く、容易にホテルに連れ込まれたりする。
大抵の男性は数年もしないうちに飽きてしまう、または子育てなどのライフステージの変化により元の生活に戻るのだが、
一部の男性はライフワークのように長年続けたり、高年齢から女装を開始する一部の男性は、色々と人生を割り切っていることが多く、後先を顧みない行動にでがちである。
女装趣味と性的欲求が結びついているのでコントロールが難しく、夫婦関係に暗い影を落とすことがあるようである。
完全にやめることができずに、妻に隠れてこっそり女装を続けている人も多いようである。このような状況で、好き勝手に女装をしている人の情報が入ってくると心中察するところである。
また、知り合いの中だけでも、女装を続けることで夫婦関係の解消に至った例を複数知っている。
性的欲求を満足するために女装を続けている男性を完全に受け入れられるような女性はあまりいないのではないかと思われる。
一方で、女装でしか得られないような類の性的満足があるようであり、中途半端に禁じることで余計に禁断症状が出てしまう可能性がある。
結局のところ、女装趣味を受け入れられない場合、十分な話し合いの上、完全に女装趣味を断絶する(完全に、がポイント)、または夫婦関係を解消する、というのが妥当なところであろう。
伴侶(唯一性的接触が関わってくるひと)に女扱いされたいってそれもう終わりだよ。
女性だって、恋愛対象以外には男女関係ない扱いで文句ないでしょ。
私も性同一性障害だけど「周りをぎょっとさせるのが苦痛」ということで
ペニスは欲しいけど人前では普通に女性らしい格好をしているよ。
「パス度がひくすぎる」を焦点にで一回話し合ってみては?
現実にMtF(いわゆる性同一性障害/性別不合当事者で、男性から女性への性別移行をしている者)としてお話しますね
多分唯一の現実世界での公開可能範囲であるのが妻のあなたで、「自室以外に出さない」って制約を課しているから、「どんどん認められたい」みたいなのがあると思います
「私含めあなたの女装趣味に干渉させない」は、多分「結婚相手として選択した人」からすると、ちょっと辛い宣告になってると思うし、多分女装セルフィーをSNSに公開してて、そこでは承認されてるから、どんどん活動場所を増やしていこう!ってなってるように思います
ネット上にはいわゆる「トラニーチェイサー」という、「トランスしかけ、完全にトランスされてない人が好き」っていう人もいて、そういう人は微妙な女装でも過度に褒めたりする傾向があるので、あなたにとっては悪循環な気がしています
そして、女装したての人ってメイクしてなかったり(ノーメイク女装)、メイクが変だったり(アイラインを無駄にガッツリ引きがちとか、チーク付けすぎてブリッブリになってる)とか、ルックスに似合わないブリブリの服を着がちで、悪印象を持つのもとてもわかります
・女装用のSNSアカウント(twitter)を用意させ、そこでのみ女装を公開するようにしてもらう (あなたはそれを見て、プライベートなタイミングで評価すればよいと思う)
・あなた自身が「なぜ夫の女装に嫌悪感を持つのか」を考える (つまり、原因を考える)
・その原因がもし、記載のように「年齢や外見不相応のルックスである」という感じで、「女装するならもっとマトモにやんなよ…」って感じであるならば、逆に夫をプロデュースする勢いのほうが楽しいかもしれません
・多分夫はそれを望んでるんじゃないかな
結局のところ、夫自身の自己承認が低まっている状態もありえるのかな、と考えてしまうので、関係をなるべく現状維持する方向であれば、これで解決するかな…どうだろ…やってみないと…
でも、とりあえずやってみないと何も変わらないのは間違いないので、前に進むでも後ろに下がるでも、やっていかないと多分あなた自身が苦しいままになってしまいそうだな、と思います
性転換手術にFTMだと100〜200万円、MTFだと200〜250万円くらい
2006年、ジョグジャカルタ原則で「性別適合手術、不妊手術またはホルモン療法その他の医療処置」の強制は人権侵害であると国際合意
2014年、WHO、2017年、欧州人権裁判所が「性別を変更するために生殖能力をなくす手術を課すことは人権侵害である」とする判断
ドイツでは2011年、連邦憲法裁判所が、生殖不能要件を定める規定が違憲であると判断
スウェーデンやオランダでは2013年に生殖機能を取り去る要件を撤廃
イギリスやスペインでは、そもそも生殖不能要件に関する規定が無し
第三条 家庭裁判所は、性同一性障害者であって次の各号のいずれにも該当するものについて、その者の請求により、性別の取扱いの変更の審判をすることができる。
一 十八歳以上であること。
二 現に婚姻をしていないこと。
これは自分の心境の整理のために書くものであって、誰かに読ませるためのものではないことをあらかじめ記載しておく。
男の子の遊びが好きで、運動が嫌いだから外遊びこそしなかったけれど休み時間は女子よりは男子とつるんでいた。
家族から「女の子なんだから」「いつか将来彼氏ができたとき」「その服かわいいね」と言われるたび違和感があった。
それで、「性同一性障害」と――少なくとも当時はそう教えられた――呼ばれる概念を知ったのが小学校5年生の秋頃。性同一性障害という単語を知って数日後に、突然自分がそれに当てはまることに気が付いた。
気付いたときは混乱した。今まで自分は女として分類されていたし、身体が女なんだからそれを疑いようがなかった。だから赤いランドセルを大事にしていたし、シナモロールの筆箱を黙って使っていたし、将来の夢は幼稚園の先生だった。体育の着替えも使用するトイレも、女子たちと一緒でも何も思わなかった。
今なら自分の持ち物は親が買ってきたものなんだから選択の自由なんてはなから無かったと言えるし、小学生の言う将来の夢なんて知っている職業から無理やり捻りだしているに過ぎないとわかるし、身体が女なら周囲の人間や自分自身の安全のために女子更衣室や女子トイレを利用するほかないことぐらいは当然理解できるのだが、小学生の自分は「男か、女か」という固定概念に囚われ、自分の在り方が大いに矛盾したもののように感じられた。
その日学校から自宅に帰ってきて、初めてうちの母に「俺」という一人称を使ってみたいと言った。母は怒り狂った。そんなはしたない言動をしていいわけがないだろう、痛々しい。女の子なんだから俺なんて言葉を使っちゃいけません。テンプレみたいな行動だった。
母はパソコンで「俺っていう一人称使う女イタいよね」みたいなスレのまとめまで引っ張り出してきて、「ね?みんな気持ち悪がってるからやめなさい」と言い出した。「中二病乙って感じ」「マジで気持ち悪い」「(暗黒微笑)とか使ってそう」みたいなレスならまだよかったが、中には「僕っ娘かわいい彼女にしたい」とか「ぶち犯して女であることを理解させたい」のような性的な物まで混ざっていた。多分母も頭に血が昇っていて内容まで細かく精査する余裕はなかったのだろうが、だとしても小学生に読ませる内容ではない。まして自分の性別の違和感に気づき、勇気を出して親に打ち明けた小学生に読ませる内容では絶対にない。……と今なら反論できるだろう。繰り返すようだが当時小学生である。心理的に非常にショックを受けたが、それを言語化できない。
母も修羅場だったんだろうなと思う。私が早めの中二病を発症して、このまま矯正しなければどんどん品性の無い振る舞いを覚えるようになるのではと危惧したのだろう。こちらの心理を勝手に決めつけて行動さえしなければ正しい教育方針だったんじゃないだろうか。結果的に大惨事が起きてるけど。この出来事は親への信頼を損なった思い出として大いに心に残り、このことを父親に言えたのは今年の7月に入ってからだ。
それから中学校・高校と、友人の前では男として行動し、先生や家族の前では女として行動する生活が続いた。当然友達はいなかったが、そもそも友達と一緒に遊ぶよりは一人で過ごす方が好きだったので大した問題は無かった。精々中学校で変わった奴認定されてひそひそ陰口を叩かれたぐらいだ。それなりの偏差値の高校に行けば止まった。
今通っている大学では、自分の身に降りかかるありとあらゆる出来事にある程度妥協ができるようになったつもりなので女として過ごしている。就職したら準備が整い次第すぐ母親から離れて、私生活では男として過ごすつもりだ(就職活動を女としてやってしまったので就職先ではどうなるかわからないが……)。
まあ妥協できたつもりになっているのはあくまで「つもり」でしかないので、未だに自分の性別がどちらかわからなくなるし、女として振る舞いたくなる時も稀にある。だけど基本的に私の性別は男で、身体の性別が重要になる場面以外では男として扱われたい。いちいち説明するのもめんどくさいので、身なりを変えられるようになるまでは女として過ごしているだけだ。
結局何が言いたいのかわからなくなってしまった。誰かに読ませるための文章でないことは冒頭に記述した通りだが、こんな怪文書を最後まで読んでくれた根気のある人に強いて何か伝えるとするなら、何も言わず普通に接すること以上の配慮はないということだ。個人的な意見だが、性的マイノリティに対して特別な配慮が必要なわけではないのだ。ただ、こっちがどんな一人称を使っても、どんな服を着ていても、突っ込まず昨日までと同じように普通に話してほしいだけ。内心でどう思っていようが、面と向かって馬鹿にされない限りはこちらも気にしない。「その服おかしくね?」とか「何その喋り方」なんていう問いは、自分で自分自身に向けて散々発しているのだ。今更他人に問われたくない。
「男らしい」「女らしい」を一律で無くそうとするからおかしくなるんだよ
らしさ、を心の拠り所にしている人もいるわけで、
その人たちまで否定するのは間違ってない?って思うんだよね
真にあるべきは個人それぞれが「らしさ」を追求できる世の中ではないの?
「男らしい」女の人がいても、
「女らしい」男の人がいてもいい
そして、同時にジェンダーフリーを押し付けることもしてはいけない、ってことが分からない人が多い印象
ジェンダーフリーに則って性同一性障害は個性だから治療する必要ない、っていう人が時々いるけど、
個性じゃないし、そもそも人格は精神によるものなんだから、それはその人の人格全否定してるに等しいんだってことが分かってない
トランスジェンダーのことは知らない。
わたしが性自認が女だ、という根拠は社会一般の女性と好みや考え方が似通ってる上に男性の考え方や好みにどうしても馴染めないから、っていうところなんだけど、
社会によって作られたイメージであったとしても、精神性が同じなら社会がどう形作られても流れ着く先は同じところなんだろうな、と思う
SNSにいる「女性らしく見せる努力をしない、きたないおっさんにしか見えないけど、性同一性障害を自称する女装」についてなんでだろうと問うたときに、「似合わないこと、性同一性障害であることに性的に興奮する、性自認はふつうに男の人だ」と教えてもらったことがあって、それ聞いてから、いわゆるほんとに性別関連のことで困ってる人たちが難儀すぎるな、と思ったの思い出した
中高年になってから唐突に「性同一性障害でした」からの適当なトランスする人たちさ
本当に苦しかった?死ぬほど?じゃあなんで何もせずに生きてこられたの?
男じゃない?本当の本当に??
生きてこられた、ってことは己の生命の存在価値を投げ捨ててしまう思考に陥るほどのアイデンティティの揺らぎはなかった、ってことでいいのかな
たまたま環境に恵まれてなかった、っていうのはあるかも知れないけど、
行動も起こさないのに、「環境に甘えて生きてきた」のはどっちなんだろうね
ルッキズムがいけないことだとは思ってるけど、私はあなたたちのような人を素直に同じ当事者だとは思えないよ、ごめん
あーあ、これで私も差別者だね
いやほんと、あなたたちと同じように中高年から性別移行する人でも、
前々から努力してきてた人は意外とすんなり馴染めたりするものだけど、
男丸出しおっさん丸出しでハゲかけた髪伸ばして「今日は◯◯コーデです♪」とか写真上げたりしてる人は性同一性障害を自称しないでくれ
AGかトランスジェンダーかわからないけどそういうおっさん丸出しの人が性同一性障害を名乗ってるのが「はぁ?」ってなってキモいなと思うだけであって、狭義のトランスジェンダーを差別する気はないからね
「男性として」女性みたいな格好とかしてるのは全然いいと思うし、努力してるのすごいね!って思えるよ
何でそんなこと強いられなきゃいけないのかは分からないけど、
女装癖の人やトランスジェンダーと、性同一性障害の当事者では社会に馴染むための努力のボーダーラインが違うんだって理解して欲しいな