はてなキーワード: ネクラとは
http://www.kandosaori.com/entry/2016/03/19/073000
そうなんだよ!そうなんだよ!そ~~~なんだよ!!!
私も接客業をしているが、仲間の言う「ありがとうって言われると嬉しいよね!」ってのがどうにも腑に落ちなくて、もしや自分は人でなしなのか?と凹んでた。
こちとら仕事でやってるんだから報酬は給料とか待遇であって、ありがとうは対価でもなければボーナスでもない。
己の行動に対する正当な対価(と自分が思えるもの)以外は、無理に押し付けられても困るんだ。
加えて、元々私はプライベートの気軽なありがとうも、一々感動したりせず聞き流す方だ。だって8割くらい社交辞令じゃん、あんなの。
まして仕事のありがとうは、それこそいらっしゃいませと同レベルの挨拶でしかない。
強いて言うなら「よし、一応合格点はもらえたようだ…ほっ」という安心はあるけど、それはマイナスにならなかった安心というだけで、次への活力にはならないなー。
逆に、必要以上にありがとうを強調されると不気味に感じる。そういう人は、自分の気持ちを強く主張するタイプで、不満があればこれを180度逆にした激しさで怒り出すんじゃないかと思って。
でもリンク元の人が書いてるように、ありがとうで喜べる人の方が感じがいいんだよな。
自分がネクラで感じ悪い奴なのは分かってる。自分が客の側になると、本当にお礼を言いたくなることがあるのも分かるし。
今は、相手がどんな人でも平等に穏やかに対応できるように、というのを目標にしてるよ。私が目指せるのはそれくらいだ。
いじめられっ子が現実逃避で作ったリリイ・シュシュのファンサイトに苦悩を書き込むいじめっ子。
この対比なんだけど。
最初は、いじめっ子は裕福な家庭で成績もスポーツもできるイケメン。いじめられっ子とも趣味があう。
しかし、親の会社が倒産、一家離散、部活もやめる。カツアゲした金で沖縄へ。
沖縄では、悪いことをした金を持っていたため神様が怒ったかのように、海から飛んできたダツが頭に当たったり、海で溺れたりして2回も死に掛ける。仲良くしていた旅行者もいきなり死ぬ。
死を体験したため吹っ切れて、暴力で教室を支配し、同級生のセックス動画を撮って脅して売春させたり、集団で同級生をレイプしたり。
しかし、苦悩して、リリイ・シュシュのファンサイトに逃げ込む。
いじめられっ子は、脅して売春させられた子に同情したりするも、無力で。
最期に、いじめっ子がファンサイトに書き込んでいる奴だと分かった後、いじめられっ子はいじめっ子を殺す。
映像も音楽もすんげー綺麗だから、内容がウツすぎて対比で気持ち悪くなっていく。映像も手振れひどくてますます気持ち悪い。
いじめっ子のキチガイっぷりが面白かったし、いじめられっ子のネクラっぷりもキチガイじみてるし。
そういう個人の身勝手な欲求を満たすために人権を奪われる周りの人間の様子も面白かった。
一番面白かったところは、「リリイ・シュシュに逃げ込む」っていう解決策に走っていること。
現実をキッチリ生きることができないから、仮想充っていうのかな、そういうのを目指すんだっていう。
あとは、音楽。普通のピアノの綺麗系の音楽流してるだけなんだけど。
ピアノっていうソリッドな趣味にこだわることの清潔感を感じた。
現実がどんだけクソでも、ソリッドな趣味はすばらしさを失わずにすばらしいし。
ピアノに打ち込むレイプされる女の子も芯が強く、ピアノに打ち込んでいる。
こういう、人間性が毀損されてる状況でも、ソリッドな趣味はソリッドにあり続けるってのがすばらしい。
クズ人間でも、数学で新しい証明をすれば、それだけで生きてたことが肯定されてしまうような。
そういう、人間性を超えたものの成立を理性で触知している人間の強さを感じられた。
現実逃避、ソリッドな趣味への信仰、クズな現実、人間性の弱さ。
これらをバランス保って表現できているのは、あまり見たことがなかった。
すばらしい。
tinderはとても出会えるアプリだ。今日も仕事終わりに、初めて合う女と酒を飲んできた。
いつも通りのtinder系女だ。
いつも通りのやたらと意識が高くて話が合わないtinder系女だ。
疲れる。
いや疲れてるのはあっちの方だろう。
そもそもFacebookの写真載せることが前提のリア充アプリに何しに来やがったネクラ野郎と思われているに違いない。
ああ、もっと自分に似た内向的な女と出会える場所は無いだろうか。
男のメッセージ爆撃を許すカビの生えたシステムで心がゆがんでしまった哀しい女と出会いたいとは到底思えないからだ。
例えばゲームとかマンガとか小説とか好きな、おとなしい女と出会いたい。
具体的には、tinderみたいなストレスのないマッチングが出来て、例えば新規登録時に次の問診を行わせるようなアプリが良い。
あと、問診で嘘ついてた隠れtinder系がいたら通報できるようにもして欲しい。
これは一例だ。
そんなんだから男子と対等に遊ぶなんてとんでもなくて、ひどいいじめこそは幸いうけなかったけど狭い友人の輪の中でひっそり教室の隅で過ごす生活を送ってきました。
小学校5年のときに6年生と一緒に清掃をする場所の担当になったんだけど、そこで初めて「イケメン体験」をした。
その人は6年生の男子だったけど、見た目残念な私に優しく清掃用具を渡してくれたり、重たいバケツを持ってくれたりした。
他の男子がガキっぽくからかったりサボったりするのを嫌味なくたしなめたりしながら私や他の女子を守ってくれてたのがわかった。
で、小学校を卒業して中学校に行って、そこでもまた別のイケメンに遭遇した。
その人は小学校のときのイケメンとはまたタイプが違って、初対面の女子でもすごくフレンドリーでボディタッチとかもすごく自然でうまくて、当然同級生の中でも相当評判になってた。
メガネニキビデブオタブスな私なんぞはまさかそんな恋愛戦線に参加できるわけもなく、そっと遠くから見守る程度だったんだけどそれでも委員会とかちょっとした接点があると名前とか覚えてくれててすごく優しくしてくれてた。
今になって思うのがそのときせいぜい10代はじめくらいの年代だったのに、彼らは一体どこで自分を「イケメン」だと自覚していたんだろうってこと。
優しいとか自分に自信があるとかは親の育て方もあるんだろうけど、たった10歳そこそこでそこまで「イケメン」然とした行動ってとれるもんだんだろうかって思う。
大槻ケンジが書いたらしく、結構これをリスペクトしてるみたいな人もいるみたいなので、期待してた。
内容はネタバレ全開で書くけど。
マイナーバンドや映画を見て、俺はクラスの明るい奴とは違うんだぜみたいなネクラ君が主人公で。
クラスの明るい女の子が意外や意外、マイナー映画やバンドが好きで、仲良くなって。クラスでの明るいキャラは作ってるんだと。
で、主人公もこの女の子に負けたくないと、ウジウジしてないで何か行動して成長しななきゃって映画作ったり、バンドしてみたり。
でも女の子は、エロありの映画に出るためにヌードデビュー、高校中退。
映画のタイトルは、じゃんけんで、勝ったらグリコ、チョコレートみたいな進みかたするゲームのたとえで。一気に進む人もいれば、全然進めない人もいるよね見たいなたとえだった。一気に進んだ女の子と、進めなかった男の子の対比みたいな。
で、最後は35歳無職になった主人公が実家に帰省、地元では女の子の自殺の話が出ていた。みたいな終わり方。
なんつーか。俺は勉強ばっかりして学歴、ひいては職に変えちまった、青春を。
でも、それって不自然なんだよな。
だってさ、昔の人類って寿命は30無かったんだっけ。遺伝子的には25くらいらしい。つーことは、10代とか恋愛とかセックス当たり前だったわけだ。
青春時代って、よーするに子孫残せるか残せないかの勝負だったわけだよ、遺伝子的には。
その時期を捨てて、おっさんになって何するのってことだよ。
俺は、青春コンプレックスは、単にマスコミや漫画で騒ぎ立てただけだろーそんなん、単なるコンプだろって思って納得してたけど。
違うわ。本能的な当たり前なんだわ。
この時期にセックスできない、恋愛できない、そんなチャンスすら無い状況に居たってのは、生物的には人生終了と一緒なんだわ。
だからか。
青春した奴がうらやましい。
女は簡単に彼氏できてうらやましい。
ドキュンは女とやりまくれてうらやましい。
そういう風な感覚は、生物としての優劣そのものだったんだなって。
だからこそ、青春した奴らが少しでも後悔するような社会で、引いては青春を捨てた俺の選択を肯定従ってるのかって。
でも、一生負けは負けだな。
2chのコピペでも見たわ。夏祭りだの、制服デートだの、昼間からセックスだのを体験しなかった奴は負け組みだって。
その通りだわ。
トータルで人生勝つにはしょうがないとはいえ、あまりにも大きすぎる代償だった。
可愛いと思ってた女の子が裏切るようなことすると、やっぱ女ってきたねーなあってなる。
そりゃそうだよな。
そりゃ、昭和の時代なら、男女ともそれなりに処女童貞で結婚したんだろ。
それが、何もなくやられたらさ。無理だわ。
そりゃ未婚率あがるわって納得した。
はてなでも主役はウェーイ系だったのか・・・ - 要件を言おうか
増田でごめんなさい。なんか思うところがあったので。
ここで言われてる「はてなのウェーイ系」と、世間一般的で言われる「ウェーイ系」ってちょっと違う気がするんだよ。だけど、その輪に入れない(入らない)人から見ると、輪の中は凄く楽しく「ウェーイ!」ってやってるように見えちゃう。その気持ちはすごくわかるんだ。
ある集団があれば、自然と多数派ができ、少数派ができる。これは属人的な問題もあるかもしれないけど、多かれ少なかれ、ある意味では自動的に出来ちゃう。集団の中にある、とある派閥に迎合出来る人と出来ない人に別れる、と言ってもいい。
その集団の、その派閥の雰囲気が楽しければ楽しいほど、その輪の中にいる人の笑い声は大きくなる。その光景を輪の外から見れば、それはもうその人にとって、その輪の中にいる奴はみんな、多かれ少なかれ「ウェーイ系」に見えちゃうわけだ。
ある集団では「ウェーイ」しなかった人も、他の集団に行ったら立派に「ウェーイ」してる、なんてのもよくある話。リアルでは「ネクラ系」でもネットの中では「ウェーイ系」、なんてのだってきっと珍しくはない。
だから、今のはてなをウェーイ系が席巻してる、というのはある意味正しくて、ある意味間違ってると思う。
どの時代の、どんな集団でも、ウェーイ系(その集団に属していることを楽しめる人たち)は存在する。そしてその人たちの存在は、その輪に入れない(入らない)人たちをも、同じように顕在化させてしまうわけだ。
これはもう光があれば影が出来る、みたいな話で、もうどうしようもない自然の摂理みたいなものだ。全員が「ウェーイ系」、あるいは全員が「非ウェーイ系」、なんてことはありえない。そんなことが可能なら、世界はとっくに平和になってる。
だからまぁ、ありきたりになってしまうけど解決策としては、あまり気にせず自分らしくいること、他人の評価に左右され過ぎないこと、くらいになるんじゃないかな。
あいつらのせいでこんなにいいブログが埋もれてる!なんてルサンチマンに囚われそうになったら、その負のエネルギーはなんか別の方向に昇華できるといい。難しいけど。
完全に門外漢の意見だが、同人は仕事じゃなく趣味ベースであることに最大の意義があると思って見ている。
だから、若者が慣れ慣れしいノリでテキトー&カジュアルに絡んでくるケースがあり得る――
それくらいまでに同人文化が進展していることを少しでも「よきかな」と思うなら、雑な頼み方をしてくる人間の存在もある程度看過してやることが必要だと思う。
その上で、ゲンナリすると自分が感じるなら即断ればいいだけのことだ。
未熟な者に合わせて柔軟な対応をする気概がなくなってきたなら、自分はハードルを上げ新参を阻む老害化しているのかもという視点も必要だろう。
もしそう自覚できてしまったなら、ヘタにストレスのたまることを敢行するより、分別のついた人で固めた内輪だけで活動する宣言をしておいた方が良い。
ただのアンソロ依頼方法の話でここまで推測して広げるのは大仰かもしれないが、これはオタク像の変遷に関連していると思う。
いわゆる古き良きネクラな「オタク」は、それらしい神経質さや慎重さも備えている。
けれど今のアニメマンガに熱中する若者は、どちらかというとヤンキーに近い気質をもっている。
それは時代のカウンターとして「オタク」的ダサさを克服しようとした結果にも思える。
意外にオシャレであったり、良くも悪くも照れがなく、考えるよりまずやってみる、深く読むよりまず形から、という所がある。
彼女らとて自分らの未熟さに開き直っているわけではなく、大抵叱れば素直に反省して聞いてくれる。
その過程に巻き込まれたとき、ただ嫌悪感を募らすのではなく、好意的に導いてやることも先輩として一興ではないかと思う。
昔の俺を見てるみたいだから、もし当時の俺に会えたら言いたいことを書く。
俺は男だが本当に似たような境遇だ。
中学でいじめにあって不登校になり、低偏差値高校行ってヤンキーにいじめられて1年持たずに退学した。
その後大検取って、ダラダラ多浪しながらなんとか偏差値50ぐらいの大学行った。
だが、周りよりも年上という後ろめたさと元来の怠け癖が祟って、まったく何もしない大学生活を送り、
で、そんな俺から言っておきたいことがある。
1.やっぱり一番がんばっとけば得だったのは大学受験だ。
良い大学に入れば高校までの経歴などチャラだし、将来の幸福に繋がりやすい最大の分岐点だと思う。
そして良い大学に来る人たちは基本的に幸福な人生を送ってきた善良な人が多いので、コミュ障とかネクラ相手でも優しく接してくれる確率が高い。
更に良い大学に来る人は人生の目標とかやりたい事とかはっきりしてる人が多い。
そうした人々に囲まれれば良い影響を受けて、自分の人生の目標や生き甲斐も見つけやすいと思う。
なので、受験がんばれ。苦しいのは今だけだ。もう時間がないというならもう一浪も考えたらどうだ?
まずそれを一番に言いたい。
2.残念ながら君が受験で満足のいく結果が残せず、不本意な大学に行く事になったとしよう。
それでもその大学出腐らずがんばった方が良い。
多浪とか過去の経歴とかで、他の大学生に後ろめたさを感じると思う。
でも、そこで友達作って、勉強したり、やりたいことがあったらそれを一生懸命やった方が良い。
なんだかんだで、どの大学でも本人のやる気次第で未来を良い方向に変えることは可能だ。
大学時代にバイトでもサークルでもボランティアでも、自分なりに全力でやりきったという体験があるのとないのとでは全然違う。
俺はこんな低偏差値大学なんて、、、と腐った大学生活を過ごして卒業し、今、あんときもっと頑張れば受験の失敗も挽回できたな。と後悔しているので、
受験が上手くいかなくても腐らない方が良い。
夜になると不安と虚しさで鬱になってきて、誰かに話を聞いてもらいたいけど、
親しい人間がおらず誰も話を聞いてくれないので、せめてここで吐き出すことにする。
高校中退→引きこもりから大検取って偏差値50代の四年制大学に入ったが、
一人暮らしをきっかけに引きこもりが再発して、単位ギリギリでなんとか卒業。新卒資格は棒に振った。
人生に何の目標ももてないし、社会に出て色んな人と関わるのも怖かったので、大卒後は引きこもりに戻った。
が、特にきっかけもないのだが、27歳の誕生日頃に社会復帰を決意。
とりあえず人付き合いのリハビリと、就職活動の軍資金を稼ぐためにアルバイトで働き始めた。
状況として良くはないが、最悪の状態からの改善は日々少しづつでも続いてると考えるべきなんだろう。
友達申請なんてする勇気もないのでこっそり見るだけのFacebookでは、友達3桁は当たり前、
遊びに仕事に、精力的に人生を楽しんでいて、動く死体みたいな俺とはまったく別の生き物だ。
バイトの同僚は若い女の子が多くて、普通の男なら喜ぶところなんだろうが、
コミュ力0で、若い女の子相手ではキョドってまともに口も聞けない俺には、うつ要因以外の何物でもない。
3ヶ月も経つけど、雑談などできない。事務的な会話にこっちはイエスノー返すので精一杯だ。
この年になって、やっと社会に片足を突っ込んでみて、俺の人生には何にも無いということに気がついた。
普通の人から見たら気楽なもんだと思うだろうが、自分からすれば歯を食いしばってがんばってる。
昔はあんなに楽しかったゲームも気が焦るばかりでのめり込めないし、映画を見てもストーリーが頭に入ってこない。
本なんかしんどくて読んでいられない。
出かけたくても行く場所がないし、付き合ってくれる人は誰もいない。
一人家にいて、夜中になってくるとがんばったところで何になるの?っていつも思う。
就職しても一緒だよ。
今みたいな生活がずっと続いて、そのうちに病気にでもなって終わりだよ。
お前なんて子どもの頃から友達のいないネクラの嫌われものなんだから、この先もずっと一人だよ。
女の子もお前みたいなつまんなくて気持ち悪い人間のこと好きになんかならないよ。
何が楽しくてお前生きてんの?
自分のことを醜いと思う。人並みにはなれないと思う。
イコール自分のことをブスだと思っている、かと言えば別にそこまででもない。
中学生の頃、化粧したらクラスで一番かわいいかもとネクラな私に言ってくれた女の子がいるくらいだし、
かわいいねと言われたことが全くないくらいブスなわけでもない。
ただ、醜いと思う。内面も外面も醜いと思う。
兄が自分(兄自身)はブスだと一時期ひとりごとのようにねちねち言っていたのに影響されたからかもしれないし、
小学生の髪の毛をぼさぼさとさせているときに(私は当時髪を切りに行くのがとても嫌いだった)ブスとののしられたからかもしれない。
ただ、醜いことを私自身が言い訳にしていた結果なのかもしれない。
他人の目を見るのが嫌いだったり、他人と目が合ったことが体に残るように感じてぞっとする私は「自分が醜いから見られるのだ」
といったように言い訳をして理由づけをしていたのかもしれない。
変な、恥ずかしい行動をしていたからというよりも、自分が醜いことに言い訳をすることの方が楽だったのかもしれない。
朝鏡を見た時はかわいかったのに、外で自分を見るとブスだなんて、別にありがちなことなのだろう。
自分が醜いという言い訳はそろそろ手放さなければならないのだろうか。
まぁ、人の自由か。