はてなキーワード: ネクラとは
性格が隠キャネクラなのに振る舞いを陽キャネアカにがんばりすぎてみんな俺の言うこと冗談だと思ってる。
振る舞いが主張激しくてお世辞とか冗談めかした褒め方はめちゃくちゃしてもらえるんだけど、それもこっちから「俺のことほめて!」って言った時だけ!
自分のいないところで褒められてる話なんて一回も聞いたことないし、こっちからの振りなく純粋に褒めてもらったことも記憶にない。
こいつにはこう言っとけばいいだろ〜みたいな雑な褒められ方してもうれしくない!ほめられたい!!俺けっこうみんなに優しいしいいやつだと思うんだけどな!!でもそう言うやつって便利扱いされて褒めてもらえないよな。
どうすれば褒めてもらえるんだ?なんかこう、ちゃんと。
職業柄か、よくネットでソフトウェア技術に関するブログなどをよく見る。
プログラミングや周辺技術に優れている事は昔に比べて尊敬の対象になってきているように感じるしそれはいいことだと思う。
ちょっと昔だと、プログラミングしている=ネクラ、オタク、キモイというイメージだった。(まあ実際、情報学科なんかに行けばネクラなオタクがいっぱいいたのでハズレではなかったが。。)
けど、同時に「意識高い」人が、自分はこんな技術を学んでいます、努力していますみたいな自慢や、マウンティングに近いような空気を感じるようになってきた。
直接的に「俺すげえだろ!わかったかこのゴミめ!」と書いてあることはあまりないのだが、読んでいると、「やべえ、俺はこのままでは取り残される・・」という風に感じてしまうとでも言おうか。
ソフトウェア技術の世界は宇宙のように広いので全部を把握する事なんかできるわけはないし、常に新しい・知らないことに日々出会うのはわかりきった当たり前のことだ。
単に気にしなければいいとは思うが、Webを開かないことには仕事もままならないのも事実。
というわけで、行けども行けども終わりのない「スキル磨いていますか地獄」なのだ。
しかもこれはソフトウェアに限った事ではなくて、イラストレーターとかでも絵のうまい下手でマウンティング合戦があるみたいだ。
(昨日、薄給の動画スタッフを罵倒するプロデザイナーみたいなやり取りが話題になっていた。直接罵倒する極端な人はそんなにいないだろうけど、やっぱりスキル磨いてますか地獄なのは違いないと思った。)
ミミズがのたくったような絵しか描けない自分からすれば、ちょっとでも絵を描ける人を見たら等しく神なのだが・・
(幼稚園の時に描いた絵を上下さかさまに展示されて、家に帰ってひっそり泣いた思い出あり。)
ということはプログラミング全くできない人からしたら素人プログラマーも達人プログラマーも同じように神に見えるんやろな・・
で何が言いたいかというと・・
てか、磨きたくなったら磨くし、俺のペースでやるからほっといてくれへん?
え?だれも強制してない??
そっかよ、すまんな。愚痴って。
でも読んでくれてありがとな。
こういう論はさ、「ゲームプレイヤーだって努力してるじゃん」論なんだよな。
レべリングの末にエンドコンテンツを最高効率でこなせる奴がいたとして、世間的に「努力」と評価されうるかって話。
で?って話。
北斗の拳のケンシロウはそりゃえげつない努力家だが、あれは努力型の作品と言えるのか?
そりゃ、「昨今の一見努力型に見える作品」は受けがよかろうな。
「機会があれば俺も努力できるし、そうすれば俺だって」という妄想を満たしてくれる、素晴らしい「努力ポルノ」にしか見えないんだが。
「弱キャラ友崎くん」すげぇな。
偏見なく非コミュを相手してくれる学園1のパーフェクト美少女がヒロインで、「ネクラで非コミュな僕も頑張ればリア充に」ってか。
こんな醜悪なキモオタ妄想ラノベで、主人公が努力してる点だけをもって、「努力型も嫌われないッ!!(キリッ」ってなっちゃうから、最近の若者は・・・と言われちゃうんじゃねぇの?
サンプル数:自分自身+友人3人+田舎の兄ちゃん+小中学校といじめられ自殺した同級生1人
イジメられると精神が死ぬ。(大人だと鬱病などと呼ばれる、大学でアメフトやってた闊達な田舎の兄ちゃんが今ではひきこもりだ)
それが思春期の頃であれば、結果大抵がキモイ(ネクラな)奴になる。
自分に向けられるのが侮蔑か好奇の視線だけであれば、そいつの社会性は失われて当然だ。
自分を嗤わない相手を見つけ、自分が必要とされ、その相手を受け入れにゃならん。
硝子ちゃんも、どうやら昔からいろいろとあったようだ。
あの作品世界では、硝子ちゃんの菩薩のような態度は、障碍者としての抑圧から来るものらしいが、
それは将也たちと再会するまで、解消されていない。
聲の形では、すばらしき同級生たちの支えもあり、皆が前へ進む。(当然だ、そういうテーマの創作だからね)
「イイヒト」に恵まれている。
イジメ加害者が被害者になり自責に囚われるが、そこから脱するための相手ときちんと邂逅し、前に進める関係修復が行える。
なんて感動的で素晴らしい世界だろう。
この作品世界では、補聴器が何個も壊されるような事態が起こっても、それは本質的にイジメではない。
「不幸なディスコミュニケーション」なのだ。
だから、「許す/許さない」の土俵ではなく、「やり直せるんだ」という土俵の上で話が進む。
そして、「やり直せること」に感動して涙する。
人によっては、やり直しが硝子から与えられると認識し、硝子に素晴らしい人間性を見出し涙する。
作品内の行為を、「到底許される行為じゃないだろう、そんなレベルじゃない、ひでぇイジメだぞ」と見る人にとっては、「加害者用の感動ポルノ」だ。
こうさ
増田に来るとホットエントリに甲子園もオリンピックもほとんどないの
そういうの
すごい落ち着く
ああよかった
甲子園にもオリンピックにも興味のない人間も生きてていいんだって
そういうところって都会ほどオタクに優しくない
イベントやオタクグッズが売ってるところが少ないってだけじゃなく
周囲の人がそうなんだ
もちろん昔のようにオタクだからってあからさまに迫害されたりはしないけど
「スポーツ観戦やバーベキューの楽しさに『気づいてない』かわいそうな奴」みたいな扱いはされる
田舎者の話題や興味は未だにテレビでの放送時間の長さに比例するのだ
ただ
アニメやゲームが趣味の人間もいるということをわかってほしいだけだ
で、そういうオタクに「理解」がある環境かどうかの見分け方を考えたとき
「まあ…定番だよね…」みたいな反応になると思う
下手したら「あえてベタな物上げて一周回って玄人ですみたいなアピールか?」みたいに思われるかもしれない
クロノトリガーはドラクエやファイナルファンタジーのような
非オタクでも何かしろの思い入れがある国民的ゲームみたいに思い込んてしまうけど
そうじゃないんだよね
「クロノトリガーなんてマイナーなゲーム好きだなんてゲームオタクなんだなあ」
と思われるだろう
「クロノトリガー」はオタクが生きれる環境かどうかを判別するちょうどいいリトマス試験紙だと思う
もし
「いやいや、クロノトリガーくらい誰でも知ってるでしょ」と思った人がいたら