はてなキーワード: ゲーム理論とは
セクハラされても苦笑いでやり過ごす女性が多いのはそういうことなんですかね、断るための語彙力が足りなくて(難しすぎて)表現できない状態。
断られる側は理由を言ってくれなきゃわからないとも思うし、聞いたら聞いたで「聞かなきゃよかった」と思うのかも知れない。
断る側も「言わないほうが相手は幸せだし、言い方考えるのが面倒」と考えて何も言わないのかも知れない。
ゲーム理論とコストの問題なのかなあ。でもマジレスが貰えないとPDCAが回らないし改善もされない。
知らぬが仏と考えるか、何があっても知りたいと望むか
否定を伝える側も負荷だし、受け取る側も負荷なんだなあ。
伝える側は負荷が大きいので匙を投げて無言になったりするし、受け取った側は負荷に耐えきれず怒ったりする。
注意:ここにはあなたの期待するような内容の文章はありません。
二度は来ないであろう観光客相手だったら、立派なディスプレイモデル、メニュー写真と実物が大きく違う(実物が劣等)--メニュー詐欺というのも昔は良かったろう。
しかし、セブンイレブンはチェーン店-日本全国どの店舗行っても基本的には均質であることが予想される-チェーン店だ。店舗数から言ってもユニバーサルと言ってもいい。そして、何十年も続いてきたチェーンであり、居抜きのタピオカ屋のように、今後もすぐに撤退するものとは考えられていない。
当然、甲店舗で買うサンドイッチAも、乙店舗で買うサンドイッチAも、同じであると予想される。
また、甲店舗で買うサンドイッチAも、サンドイッチBも、同程度のクオリティであれると期待される。
で、あの卵サンドにジューシーハムサンド(おおひなたごう氏Twitter)である。
安く買いたい消費者のために、工夫をしただけだ。
一回だけの客に売り抜けるつもりならそれでいいだろう。
だが…
実際に
「セブンイレブンのサンドイッチになに過大な期待してるんだよ」
と言った書き込みがある。
ゆるぎない信頼感が確立されつつある。
逆詐欺だったけど。
ゲーム理論とか知らないんだろね。
オリンピックについても、それなりの人が楽しみにしてるのに
「問題点を訴え、必要なら代わりの施策を提案する」
のではなく
「如何にオリンピックを中止に追い込むか」
と言う話をしてて
本当、仲間内で"活動"するのにばかり熱心で、広くし市民に訴えていく視点が欠如してるな〜って感じ— ホワイトチョコのムース (@hymathlogic) July 6, 2020
こういう陳腐な一般論しか呟けず調査もみないし戦略も理解できず分析もできないという人間はいる。
知名度や実績のある候補をカリスマ候補、無名または知名度が低く碌に実績もないような候補を平凡候補と呼ぶことにする。
もし、カリスマ候補がオリンピック賛成を主張し、平凡候補も同じ主張をすればみんなカリスマ候補に入れるだろう。
そうであれば、カリスマ候補がオリンピック賛成を主張したとき、平凡候補はオリンピック反対を主張することでオリンピック反対の票を確保しようとするのは合理的である。
なお、オリンピックを「中止すべき」と考えている都民は36%いる。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200705/K10012497581_2007052019_2007052022_01_06.jpg
参考文献
日本は意思決定が遅いと言われるが、多くの場合判断材料がない。
第二次世界大戦のときからアメリカで行われていた、オペレーションズ・リサーチという応用数学の分野があり、
多変量解析やゲーム理論など一部の理論は個別で知られているが、重要なのはモデリングとシミュレーションで最適解を求め、意思決定をしやすくすることにある。
今回の場合だと、市中からマスクやアルコールがなくなり感染リスクが高まる時期と、工場稼働率を上げて需要をカバーできる時期と、人々の移動や集合を制限する時期といった、
直感と同じ結果ならば特にモデリングとシミュレーションは不要だが、直感と反する場合には頼らざるを得ない。
当然、市民の意見と不一致が発生し、政治による説得が重要になる。
ウォーホールの「未来では、誰でも15分だけ有名人になれる」を体験した気分だ。
いろんなコメントがあったが、ほとんど読まなかった。でも、レスポンスを少しだけ。
・内容がつぎはぎのよう。嘘松。
→増田で真贋を確認したい面々がいることに少々驚く。真実だが、増田とはいえ個人を特定されかねない生々しい話は、離婚協議中にあれば書けない。「私は傷ついた、だから子どもに会わせない」という超理論が今の日本では成り立つ以上、そんなリスクは取らない。
俺個人についても、書いたよりもっとクソみたいなことがたくさん起きた。知りたいならググれば似た話はいくらでも出てくる。
なお、俺より辛い思いをしてるのは女性の別居親だ。これは男が女がという話ではなく、等しく多くの離婚家庭で起きている悲劇だ。いまの制度では、DVや虐待していた親が親権を獲得する場合もある。それがあるから、同居親による児童の虐待事件が後を絶たない。
・専念したとあったが、専業主夫じゃなかったのか。手伝ったというような感覚だからいけないのだろう。
→酔って書いたものにレスがつくと、書いた瞬間から書き手を離れるということがよくわかる。
「専念」が辞書でいう「心をその事に集中すること」なのであれば、働き方、住環境、家計、休日の使い方、家事育児の分担など全てにおいて、妻の負荷を分散し、子を育てることに集中させてきたことをもってしても専念したといえないならそれはヘビーじゃないかと思う。
そりゃ、共働きの母親が引目を感じるのも当たり前だ。俺と同様に「子育てに専念してない」と言われかねないのだから。そうして子育てをヘビーにした結果、現役世代が感じたのは子を持つ重責であり、その帰結が少子化なんじゃないか?
「手伝った」という表現に姿勢が表れてるというあれば、仕事をしていながら「子育てしてるなんて勘違いも甚だしい」というのだろう。言葉狩りすげー。
・子どもが本当に好きなら育児をしなければよかったというだろうか
→辛い別れに、いっそ記憶を消して欲しいと思ったことがないならば、おそらくまだ幸せな範囲の別れしか経験したことが無いのだろう。
おそらくモーレツ社員がもてはやされた時代の父親であれば、育児に大して関わらず、子どもと離れることを比較的早く受け入れられたのだろうと思う。
イクメンと広告代理店におだてられた俺たちは子どもの匂い、やわらかさ、温かみを身体で覚えてる。
子どもの笑顔が記憶のなかから薄らいでいることに気づいたとき、ときおり街で子どもの感触を思い出すとき、どんな気持ちになるかわかるだろうか。
毎月養育費を払い込むためにATMに立つ瞬間、金を払い込むという一点だけで繋がるという残酷な事実に驚く。
子どもが成人するまでの養育費と引き換えに、妻と子どもに関する一切の記憶を消すという悪魔が現れたら相当悩むだろう。
→なんでも陰謀論で捕らえられて幸せだな。俺も共同親権の国だったらこんなことにならなかっただろうと思う。また、単独親権であっても、俺は子どもが育っていく様子を見守れるなら、親権に拘らない。苗字が変わろうと、たったひとりの子どもだ。
まだ離婚が成立してない俺からすれば、日本は共同親権だろうと、子どもに同居親が会わせないということが平気で起きる不思議な国であることが身に染みてる。大して期待してない。
この国にあるのは、同居親の「お気持ち」絶対主義。子どもの気持ちも無視される。
→まさに、そのとおり。俺が酔った頭で言いたかったことはこれにつきる。
俺は妻について今更どうこう言うつもりがない。
離婚時の相手と離れたいと思う気持ちと、子の親権や監護権を獲得するために有利な方法が一致しているが故に、別居親を引き離すことが有効になっている。ゲーム理論でいうと、真っ先に裏切れる側が一番多くのものを得られる設計になっている。
諸外国は共同親権を採用している。一度別れた夫婦間でやっていくのは大変だ。それでも、紛争か断絶を容易に招く単独親権よりはかなりマシだ。
「共同親権は最悪の家族法制といえる。これまで試みられてきた、共同親権以外の全ての家族法制を除けばだが」
・結婚しなくてよかった
→残念ながらお前らのいうことはもっともだ。家庭を持ち、子を育むといったことがここまでハードになった時代もないだろう。
このハードさの背景には、然るべき収入があり、正しい(恋愛)結婚があり、正しい(若すぎず、遅すぎない)タイミングで妊娠し、正しいやり方で育児を分担し、正しいレベルの教育を受けられるべき、そして子どもは正しく育つべき、というあまりにも横並びの幸福観ではないだろうか。
私の妻も正しく離婚を選ばざるを得なかったかわいそうなシングルマザーでありたいのだろう。
インターネットは自由な社会を作るかと思いきや、この日本においては「正しさ」を強い同調圧力として生み出していった。
先日の少子化加速を総理大臣は国難だと言ったが、この国難を招いたのは、制度設計の稚拙さだ。
おれも理系だから増田の言いたいことは分かるけど、法学も、制度設計に絡むところは面白いと思うよ。
どういうルールを定めれば社会がうまく回るかっていう問題設定をして法律を作っていく、っていうような部分。
シミュレーションをするときに、どういうルールを課せば系が安定するか、とかそういうのと似ている。
実際、ゲーム理論的にパレード最適になるルールを作る、っていう考え方をしている分野もあった気がする。
他にも、いろんな事を言語化してくれてる所が面白いと思うよ、法学は。
あんまり覚えてないけど、民法だと、意思主義とか表示主義とか。錯誤とか、心裡留保とか。
公務員試験のために勉強したんだけど、こういう言葉が与えられると頭の中がきれいに整理される。
あーそういうことかー的な。どれも切り口が斬新かつ明快で、ほへーってなるよ。
まぁ公務員試験は落ちたんだけど、他にも面白い用語や概念がいっぱいあった気がする。
簡単な例だと、NHKの受信料でワンセグしかもってない場合でも契約しなければならないか、とかそういうの。
放送法には「受信設備を設置した者は契約しなければならない」としか書かれてないんだよな。
自然法則についての解釈の議論なら面白いんだけど、人が作った条文の解釈を議論するのはどうなんだろ、って思う。
法律作った人も想定していないことだし、考えるだけムダなのでは? って感じ。
なのに「法の趣旨は〇〇だから、従って××である」っていう議論になる。
いやいや、いかようにも言えるのでは? って感じ。
現代って親がいないほうがアドバンテージなのでは?若いころに親を亡くすとか。
婚活市場に於いて親の存在や年齢は不良債権パラメータなので、それが無いというのはかなりの市場価値にプラスとなる。
結婚しないにしろ、支えられもしない無理な負担であることには変わりがないのだし。
親世代と現役世代は、時代が変わりすぎて価値観が違いすぎて話が通じず不仲がデフォなのだし。
凡人には到底超えられないような試練を課せられたら、そら、ほとんどの人が越えられないのも仕方がない。
親が悪いわけでもないし、現役世代が悪いわけでもない。誰も悪くはない。
「婚活市場の状況がどうなっているか」の学習は社会勉強の一環として
役立ちそうな気がしてきた。ゲーム理論だよね、これ。
↓を読んでて思った。
https://anond.hatelabo.jp/20181110151336
30代前半女だけど嫌だと思った部分を書く
https://anond.hatelabo.jp/20181111172157
完全童貞の32歳が彼女を作ろうと婚活・恋活アプリを使ってみた結果
https://anond.hatelabo.jp/20181111063412
あと市場以外の結婚パターンも並行して見ていったほうが良いと思う。
「婚活市場だけが結婚の唯一の手段」などでは決して無いからね。
国勢調査で「結婚のきっかけ」とかあるのかな。婚活サービス業者にとってそれは不都合な真実だろうけど。
欲しがる側は「いかに上澄みを得るか」「もっといい条件の物件があるんじゃないか」。
つまり婚活市場にもどんだけ酷い裏の仕組みがあるのか、と恐ろしくなるんですよね。
国民皆婚の時代は、ほとんどの人間が人生のキラーコンテンツが結婚と子育てになっていた。
だから、それ以外のことをやる時間や労力があまり無かったのだと思う。
人生をゲームハードに喩えるなら、それちゃんとやっていこうとするためのコンテンツ必要となり、
いい会社入っていい結婚して美味しい思いして、という、いわゆる「人生のレール」。
それは否定的に捉えられるようになって久しいけど
「それなりに幸せになれるし、そのテンプレ攻略法で前向きに人生をやっていくぞ」というモチベーションたりえた。
(もちろん、肩に力を入れすぎてしまって、死に際になって「もっとやりたいことやっていればよかった」という話もよくあるけど・・)
コンテンツが手に入らない、あるいは魅力がなければ、ゲームハードにも魅力がなくなる。
つまり
「人生ってなんだろう」
「みんなどうやって生きてるの?」
そんな空気が漂ってる。
卵が先か鶏が先かわからないが、国民皆婚が解体されるにつれて、趣味の世界が拡大していった。(と思う。たぶん)
そりゃあ、今まで時間や労力やカネを占めて満たしていたコンテンツがなくなったのだから。
毎日たくさん水を飲んでいれば、余計なジュースや酒を飲むのが減るぶん健康になる。みたいな理論と同じで、
「別のもので満たしてやれば、もともと満たしていたものが要らなくなる」という、わりと単純な法則。
逆を言えば「もともと満たしていたものが無くなると、別の何らかの満たすものを渇望するようになる」わけで。
それが承認欲求の暴走だったり、SNSで狂ってしまう人だったり、「無敵の人」を育てる遠因だったりするのだろう。
テロが活発だったころ、「テロリストに萌えアニメでも見せて満たしてやればテロしようとか思わなくなるんじゃね?」って
割とまじめに考えていたけど、これもあながち間違いではなかったのか。
ひどいものよりは、いくぶんかマシなもので満たしてやったほうがベターだと思うんですが。パターナリズム思考なのでしょうけども。
なんかのマンガかアニメで見たな、幼いころに親を亡くして絶望してしまった子供を不憫に思った人が、
自身に憎しみを向けさせるようなことをして、「たとえ憎しみでもいい、生きる意志を持ってほしい」みたいなことを仕向けるの。
win-winの関係というのは、まさに2者間の取引においてwin-loseの関係が多いが、そういった関係は当然lose側が状況をひっくり返そうとするので好ましくないという話が前提。
ゲーム理論で言うところのゼロサムゲームで勝とうとおもったらwin-loseになる取引でwinしていくしかない。
しかし現実社会はゼロサムゲームではないので、お互いに利益がある取引というのが少なくない。
このお互いに利益がある取引を目指した方が、交渉もスムーズだし、結局は長続きするのでそっちを目指して行こうという話。
EM菌騒動や失敗大全などで、科学的でないものが否定されることにことになったのが最近。
それまでリテラシーない人が多くて届かなかったが、長い時間をかけて「科学的」な考え方が広まってきた。
同時に「論理的」「統計的」な考えも伝播しそうなところだが、今一歩のところで止まっている。
ただこれは進みが遅いだけで、論理的な考え方はこの国に広まってきている。
ゲーム理論が日本においてアカデミアを飛び出して一般化してきたのは2000年代から。
それから20年。これでようやく30代、40代の社会的発言力がある一般人に根付いている状態になってくる。
(逆に検定論などのような物古いがまだまだ一般化していない)
人生のおまけ期間だと思って21歳以降を過ごしてきた。
やりたいことはなかった。
いずれ避けられないものとして死が訪れるまで、ひっそりと暮らしていこうと思っていた。
人生を考えない5年間、とても楽だった。
老後どころか30代以降の生活の見通しを立てぬまま選んだ道で、下流なりにそこそこの毎日を送っている。
周囲は将来の不安に時々苦しんでいるのかもしれないが、自分には関係がなかった。
しかし、自分にも「ささやかな幸せ」を手に入れる機会が巡ってきてしまった。
どうしようもない不安に襲われている。
そしてこの5年間を後悔し始めている。
他方で将来というものを放棄していなければ、私はとうてい今日まで人生を続けられなかっただろうとも思う。
とりあえず詰みしか見えない。