「エッセイ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: エッセイとは

2020-05-04

anond:20200504061127

劇場版放映直後のムックに寄せたギレンいやさトミノのエッセイで、安彦キャラデザに『シャリア・ブルの話は要らないでしょう』と言われて削ったがそれでも4時間が3時間半になっただけ、まだ長過ぎたどうしよう、なんて記述があった希ガス

2020-05-03

みんなもっとエッセイかいてほしい

漫画家マンガ

小説家は文で

素人は得意な方で

自分で思ってるより他人エッセイてすごく面白いんだよ

漫画家あとがきとかほんと大好きだし

マンガしかかいてないかあとがきかくことないなんてよく見るけど

別に最近のこと書かなくていいんだよ

昔のことかけばいいんだよ

2020-05-02

Twitterエッセイ漫画文化気持ち悪い

昔はよく書店で売っているエッセイ漫画を買って、よく読んでた。作者の職業についてや何気ない日常について知ることができて、楽しく読むことができた。

作者から特にかに共感して欲しいという気持ちを感じられず、淡々と描かれているのがとても良かった


エッセイ漫画は好きな分野であったが、Twitterエッセイ漫画流行りはじめて嫌いになりつつある。

Twitterエッセイ漫画は誰かに共感してもらいたくてたまらない、認めてもらいたいという承認欲求が全面に出ていて気持ちが悪い。

題材は作者の配偶者愚痴だったり、自分の周りで受けた嫌な事、作者の旦那や妻を美化した嘘松惚気話、男女差別根拠もない日本下げなどのいかにもバズりそうなのが多い。

作者は普段イラスト漫画を描いていない人が多いので、大体がチラシの裏に描かれてそうな下手くそな絵と4ページのストーリー

しかし、下手くそな絵と短いストーリーでも、話題になりそうな題材を扱うので、案外バズってしまう。

特に漫画が好きでもないのに、労力を使わず、楽に自分承認欲求を満たすためにエッセイ漫画という媒体を使っているようにしか見えない。




そして、一番嫌なのが、これに影響されて今まで普通にイラスト漫画を上げていた絵師たちも楽に承認欲求を満たして、簡単に描けてしまエッセイ漫画に食いついてしまう。

好きだった絵師も労力を使う綺麗なイラスト面白い漫画を描くより、労力を使わず簡単承認欲求を満たせるエッセイ漫画を上げる頻度が多くなってしまった。



本当に楽に承認欲求を満たしたいという気持ちが全面に出ているTwitterエッセイ漫画気持ち悪い。

さっさとこの文化が廃れることを願っている。

2020-04-30

anond:20200430120745

リーズナブル飲料メーカー名と見間違えて「自家製?」と疑問を抱いた。

それはさておき、自分結構いい文章だと思った。エッセイもしくはそれ風の創作であっても。

2020-04-29

anond:20200429202535

ハゲ漫画は白ハゲから叩かれてたんじゃなくて白ハゲ使って書かれるエッセイ漫画元増田が叩いてるような内容だから叩かれただけだぞ

ハゲじゃなくなったところで内容が同じならそのまま叩かれる

anond:20200429201458

前に白ハゲ漫画を叩いてた人が今はこうやって普通エッセイも叩いてるんだろうなと考えると人が人を殴る理由はなんでもいいことがわかる

2020-04-28

anond:20200428101224

(泣)

ま、まあそういわんと

なろうとかで書いてみたら

カクヨムでもいいやで

エッセイでもいいし

うごんあたまの人みたいに文才が認められるかもしれんで

てか、散歩写真とかでも(必死

2020-04-26

そんな私にもパートナー問題搾取構造

精神障害発達障害に苦しむ女性パートナーがいる話、もしかして羨む案件じゃなくて搾取なのでは?

弱い女性につけ込んで、僕が生活を支えてあげるよ、お金のことは心配ないよってささやくんでしょ?

そりゃ感謝したくなるよね。

でも、、

障害男性はそういう目に合わなくて済むのに、女性は結局、性を理由に二重の搾取を受ける。

パートナーとの馴れ初めをエッセイに描いてる漫画家さん、あなたたち自分搾取されてることにまだ気づいてないよ。

「どうにかなってます」ってそれ、実は全然どうにかなってないから!

早く逃げてー!!!

いっつも書きたいと思った文章を志半ばで投げ出してしまう俺でも、映画小説はよく見る。よく読む。ただ、小説時間がかかりすぎる。普通映画なら決まって2時間で終わるものだが、小説は長さに差があるし、どれを取っても映画より早く済むようなペースでは読みきれない。時間にすれば、連続ドラマまったりしながら立て続けに見るような感覚か。だけど、エッセイみたいなもの小説より長くないし、軽く読めるし、ヒントにもなる。それに、書いた人に強い興味を持ってるから苦になることもない。

余談。とあるエッセイ本をハイキングに持ち出したが、落ち着いて居られずに1ページも読まず、ついには帰りのバスで読み始めてしまたことがある。それでも、あの時の感じは今となっては特別ものだし、生前にふとしたきっかけでエッセイを読むくらいのめり込むなんて二度とないから。その時は楽しく読めたし、色々振り返れば感情的になってしまう。

こうやって匿名で突拍子もないことを書いているのは自分用でもあるし、こんなとき、こんなこと思ってました!って記録をしても、後から見られるようにするにはさりげなく公開するのも手段ひとつノートとかローカル空間だと廃れそうだし、公開はしてもニックネームつきのブログだと管理とか面倒だし、匿名でも同じ人が書いてるものが並ぶと恥ずかしい。欲が出ても場所場所だけに何の共感も呼べないかもしれない。そういう意味では、増田毎日違った感情をぶつけて、他人=誰か、自分自分みたいな目線でもいいんじゃないか。

正直、俺には増田みたいなシンプルで、ちょっとはてな記法を使おうかな〜みたいなもののほうが良かったみたいだ。そういう事ばかりしてきて、馴染んでしまたからかな。何にせよ、増田というサービスがあって良かったな、とたまに誰かさん書き込みを読ませていただきながらそう思っている。最後に、もし増田が無くなるってなったら、少なくとも生きてる限りはどこかに移して置いておきたい。

2020-04-25

anond:20191025013212

有閑ムッシュとは呼ばれないが、小説家森博嗣は昔、忙しいよりは暇な方がいいとブログエッセイに書いていて、実際その後は半ば隠居して好きな事をして暮らしていた。最近どうしてるのかは知らんけど。

2020-04-23

anond:20200422192917

hagexから釣り判定されたなんて極上のエピソードがあるのに、

そこを掘り下げて書かないのはもったいないように思う。

匿名日記文章力と評される要素の多くは共感できるか否かで、

そのためには独自性リアリティ重要になる。

自分が好きでたまらないものについて言葉つくして熱く語ったり、

自分しか書けない体験について事実や心の動きをていねいに描写する。

このとき読者はもの体験共感するのではなく、心を追体験して共感する点に注意。

逆にありきたりなテーマでも、語彙や比喩選択次第で

書き手の生きてきた環境を浮かび上がらせてリアリティを出すことができる。

(「結婚物語ブログ」とか語彙と比喩面白さで興味ないテーマもつい読んでしまうよね)

文章力がほしいというような漠然とした大きなテーマなら、

それと対比するように象徴的で具体的で身近なエピソード

導入部に書いたりすると読者を引き込みやすい。

といったエッセイなどで使われる常套手段も嫌味にならない程度に使うと良いかも。

anond:20200422192917

ネット上での読みやすさと臨場感があると文章が上手いって言われてる気がする。エッセイ文みたいなやつ。

「私の時代は終わった。」ってブログ個人的ネット上での文章の上手さがすごいかちょっと読んでみて!

2020-04-20

風俗嬢向けのノウハウ本がない

Amazonキャバ嬢検索すればキャバ嬢向けのノウハウ本がたくさんヒットするのだが、風俗嬢だと、風俗を題材にしたエッセイインタビュー物語ほとんどで、ノウハウ本といえるものゼロに等しい。

エッセイインタビューノウハウ的なことはちらっと書いてあるのだが、ノウハウを求めて買うようなものではない。

風俗嬢は全国で30万人からいるといわれているが、30万人もいる職業ならノウハウ本はあってもいい気がする。

職業人口何万人からならあるべきなのかといわれると全くわからないのだが、なんとなく思いついたビルメンナンスだと90万人らしい。本はいくつものヒットした。

インターネットを見てみると、ブログなどで個人ノウハウを公開していたり、相談にのっていたりする。サロン的なことや講座を開いている人もいるようだ。

にも関わらず、書籍ベースでは何故ないのだろうか。

考察1

良くも悪くも世間外聞があまりよろしくない(と思われる)ので出版自体しづらい。

考察2

ノウハウ必要仕事ではなかった。

昔は競争などなかったみたいだが、リーマンショックあたりから競争が激しくなったらしい。

考察2が正しいならリーマンからもう10年以上たっているのだし、ノウハウ本が大量に出版されててもおかしくない。しかしない。

教えてエロい人!

2020-04-16

初めて行った書店で感激した

年に2、3回行くスーパーの隣に小規模の商店街があり、その中に本屋があるらしいことを最近知った。

先日、『明日ちゃんセーラー服』をそこで買おうと思って行ってみたら驚いた。

そこは寂れたどうでもいい本屋ではなく、数年前にできたばかりの、店主のセレクト力を前面に出した本屋だった。

小説エッセイ教養、食や健康生物などのジャンルがあったが、本格とカジュアルを兼ね備えた心憎い本が多い。

たいていの本は一冊限りで、漫画も復刻ものかつ特定の巻しか置いてなくて、店の隅々まで神経が張っている感じがした。

本屋の周囲は団地がかなり多く、近くには大型書店美術館さら郷土資料に強い古書店であるという魅力的な土地柄で、

面白い本が多くて二時間ぐらい滞在したが、コロナの影響なのか、平日の昼でも客足が途切れてなかった。

俺もこの町に住みたくなったよ。

ちょっと遠いけど、これから本の取り寄せはここに頼むことにしよう。

2020-04-14

発達障害女性ルポに支えてくれる恋人が登場してくるやつ

よくTwitterで見かける、発達障害、または精神病を患った女性が、生きづらさやそれをどう乗り越えているかを、コミックエッセイ風に綴っているやつ

に、ほぼ必ず、理解がありその女性を支えてくれる男性が登場するやつ

を、揶揄するツイート

というのを非常によく見かける。揶揄する人の言いたいことはとてもよくわかる。

とっても生きづらいけど、良いパートナーのおかげで生きていけている、というのは、パートナーに恵まれない障害病気を抱える人々を改めて絶望の淵に突き落とすようなものだ。

非常に一般的な考え方として、例外は必ずあるにしろ基本的に、女性のほうが男性に比べ、恋愛的なパートナーを得る機会が多いのはおそらく確かだろう。その理由はいくつか挙げられるが、ここでは割愛する。

ゆえに、パートナーに恵まれ日常を送ることができている障碍者/精神疾患持ち女性という存在を見せつけられると、同じような状況にある男性なかに、『では誰にもかんがみられることなく、パートナーに恵まれない自分たちは、どう生きていけばいいのか』と暗澹たる気持ちが生まれしまうのは仕方がないのではないだろうか。

私の話をしよう。

私は女性である。そして発達障害者であり、精神疾患を持っている。

具体的に言うと、ASD優位のADHD、かつ、うつ病解離性同一性障害の診断が下りている。

希死念慮が強く、1度自殺に失敗し、閉鎖病棟入院していた。

理系大学院卒業後、財閥企業に勤めていたが、病状の悪化に伴い退職した。

そして離婚歴がある。

私の持つ障害と疾患は、両親から虐待に由来する可能性が高く、主治医の所見もそのようになっている。私の両親は裕福で社会的地位のある人たちではあったが、あまり子供を育てることは得意ではなかったらしい。成人し、うつ発症し、自殺未遂後、弁護士を通して虐待事実を認める旨、慰謝料を支払う旨、それができないのであれば縁を切る(ことは非常に難しいのだが)協議書を送り、その段階に至り、はじめて自分たちがしてきたことが客観的虐待に当たると気づいた、なかなか能天気な人たちでもある。

この虐待由来というところがネックなのか、私の抱える障害精神疾患は非常に根深いところにあり、もう10年近く投薬を続けているが、治るというよりもただ生きているだけだ。

さて、表題の話をしよう。私の人生において、障害精神疾患を支えてくれるパートナーはいたかという話である

結論から言うと、いなかった。これからも現れない気がしている。

そもそも、私は強い気分障害を持っているが、精神が不調の際は自ら抗不安剤(軽いものならソラナックスリボトール、ひどければヒルナミン)を飲んで、迷惑をかける前に自分コントロールしていた。これはたぶん、両親による『人に気を遣わせるな』という強い教育が行き届いた結果だと思う。もちろんこの人という言葉には、家族も含まれている。

解離性同一性人格障害というのは、簡単に言うと多重人格のことで、現在この病名が診断されている患者はかなり少ない。最近は発作もあまり怒らないが、解離時、私にはなんの記憶もない。どこで何をしていたのか、ポケットに入ったレシートや、体についた汚れや傷、SUICA履歴など、いろいろなものからなんとなく推理するしかない。でもそれがとても怖いともあまり思わない。発作が起こるタイミングシチュエーションは決まっている。そうならないよう、そういった状況に自らを送り込まないよう注意すれば、ある程度制御できる。

私は精神療養手帳も持っているし、飲んでいる薬の数も種類も途方もない数だが、それでいて、一人できちんと精神科に行き、診察を受け、薬を飲んで生活している。もちろん生活も一人だ。親元なんて考えられないし、世間体のためだけにした結婚は、結局相手が何を考えているのかわからないまま、かつ、相手も私がどういった人間なのかわからないまま終わった。

主治医はあまりこの状況をよしとはしていない。つまり、頼れるだれかが近くにいたほうがいいのではないかという話をされることもある。しかし私は、短い結婚生活のことを思い出す。いつも誰かがそばにいるのに、その人がひとつ自分のことをわかっていないという状態は、単純に一人でいるより何倍もつらい。元夫との生活の中で、私は何度も『大丈夫』と言った。ぐうぐう寝息を立てる元夫のとなりで、絶望が押し寄せてきて一晩中声を殺して泣いた。これではいけないと、元夫に私は何度か自分の話をしようとした。それはかなり勇気のいる行為だった。他人精神いびつになるに至る理由を、好んで聞きたがる人はいないし、そのあと慰めるのだって面倒だろう。もし、面倒がられたら、聞いてくれなかったら、と思うと、だれにも言えなくなってしまうのだ。

結果から言うと、元夫は私の話を聞いてはくれた。その間ずっとドラゴンボールかなにかのソーシャルゲームスマホで遊んでいた。

最初から期待していない分、絶望も少なかったが、たとえ結婚していても、他人他人であり、興味のない話を無理やり聞かせることはできず、自分のことは自分でけりをつけなければいけないのだとわかった。私は、元夫がしてくれる自分の話を聞くのが好きだった。それは元夫に興味があったということだろう。そしてその逆はなかったということだ。

ちなみに離婚の直接の理由となったのは、元夫の暴力的行為により、私が結婚前に拾いともに暮らしていたネコが、ストレス性の病気になってしまたことだ。ネコ家具破壊される音を聞き、泣き叫ぶ私の声を聴き、壊れた箪笥を見、過度のストレス過呼吸を起こし、自らのしっぽをかじり始めた。ネコの異状に気づき獣医でそれがストレスのもので、環境を変えるか、抗不安剤を投与するかしかないと聞くその瞬間まで、私は無気力のあまり離婚することすら考えていなかった。動物病院を出た私は、その日のうちに離婚届を手に入れ、元夫に書くように強制した。

元夫は渋っていたが、一連の暴力行為を私がICレコーダーに録音していることを知ると、あきらめたようにぐちゃぐちゃと署名をした。

私は現在独り身であるが、もちろんネコとともにいる。

おそらくこれを読んで私に好意的気持ちを抱く人は少ないと思う。それは私が完全に自己完結しているからだと自分でも思う。私は折り紙付き障碍者で、精神疾患を抱えているが、誰にも頼りたくないと思っているし、私が求めているものは、他人に求めるにはあまりにも重たいものだという自覚がある。

私はネコ暮らしている。ネコは私がいなくてもおそらく生きていけるだろうが、私はこのネコがいないと生きていけない。ネコは私の話を聞いて頭をなでてくれるわけでも、そっと抱きしめてくれるわけでもないし、「つらかったね」とかそういうことを言ってくれたりもしない。ただ生きていて、日向ぼっこをして、昼寝をして、ノートPCに向かう私の邪魔チョコチョコとしてくるだけだ。

でもそんな存在を私は心から愛し、どの人間よりも深い信頼を抱いている。

誰にも愛されない、だれも愛すことができないと思い、絶望している、私と似たような境遇の人がいるとしたら、まずネコを拾うことを強くお勧めする。

ライセンス規定できるのは権利者だけだ

きっと発信者に悪意は無いし、権利者もこの人の意見を強く否定する程では無いと思う。でもこの人の善意による発言が、権利者の、あるいは人類史の妨げになると思うので記す。

まず創作物権利は、当局著作権法万国著作権条約によって定められている。しかしその規定された制約ではなく、独自ルールで利用されたいという人は居る。それは権利者の権利である

今回、多くの興行が中止された。特にチケット販売済みでその日時に表現をしていたはずの表現者は、インターネット上で代わりのコンテンツを配給しているようだ (もちろん興行に関わる人への利益になるよう調整をしている人も居る) 。その中で、該当コンテンツは「コラボ」を許容した。該当ライセンス記述は以下のとおりだ。

誰か、この動画楽器伴奏コーラスダンスを重ねてくれないかな?

非常に曖昧ライセンスである権利者が権利曖昧にする理由は様々だが、該当コンテンツ場合自由に何かを作って欲しいから、作ることによって辛い気持ちを乗り越えて欲しいからだろう。

安倍首相Twitter アカウントで、この動画と組み合わせて作ったコンテンツは、とても多くの人に不快感を与えた。表現である以上、評価コンテンツに触れた人の解釈に委ねられる。でも、 安倍総理の星野源さんコラボは何が問題だったのか / 音楽家からの視点と分析 の主張は違う。「その利用方法が間違っている」と言うのだ。

星野源さんについて詳しく無い (書籍エッセイは全部読んだが) ので、ブコメを参考にした所によると、この楽曲は「家に籠もることができない人も含めて、自分の心の内の世界で踊ろう」というメッセージらしい (後日に対象発言を正確に引用してこの節を書き換えるかもしれない)。だとしたら、「ダンス」に「日常生活を送る姿」が含まれ可能性はある。それぞれなりの生活楽曲になぞらえる、あるいは楽曲から想起され日常気づき、それを表現するということはあり得る。楽曲と、楽曲解釈自分なりに表現したもの。それによって作られたものであれば、権利者は容認し得るだろう。そうでないと言えるのは、ダンスダンスではないもの規定できる人だけだ(それも権利者の権利を上書きする力は無いが)。

この人が「これはセッションではない」と言うことは、その可能性を閉じることである

権利から提示されるライセンスは、権利者と利用者との契約であり、契約に反する場合当局法令によって裁かれる。 つまり権利者が「これは違う」と言うことは、コンテンツ利用者犯罪者と断定する行為である

今回の騒動で、権利者は「違う」と言わなかった。一方でこの人は「違う」と言い、それは多くの人の注目を集めた。場合によっては「違う」という意見が多勢となり、「解釈を間違った人は犯罪者である」という状況を作るだろう。これは誇張ではない。


権利者がコンテンツに対してのライセンス規定できるということは、「コラボ」が許される期間を 100 年程短縮する (権利発生時から権利者の死亡までを 50 年と仮定日本著作権法による) 。そのコラボコンテンツにはコラボした時点で権利が発生するため、そのコラボコンテンツを元にコラボするためにはまた 100 年待つ必要がある。権利者がライセンス規定できることで、その期間をゼロにさえできるのであるさらにそのコラボとなれば、発展の期間の短縮は例を挙げるまでもない。権利者以外の誰かが「これは駄目だ」と言うこと、そして権利者没後の人々が賛同することは、人類文化史を 100 * n 年後退させることである

繰り返しになる。みんなが辛い。みんなが興行ができない。そのために素材を提供した。その素材に依るコンテンツを「これは OK 」「これは NG 」と規定できるのは権利者のみである。外部から NG規定され、雰囲気としてこれは NG とされれば、行われたはずのコラボコンテンツの公開を損なわせる。それこそ権利者の本意に反するのではないだろうか。

今回のことで、インターネット上にコンテンツ配信する人は増えた。そのライセンスが明確であると、それは資源となり、様々なものが作られる。そしてその先には別の未来が待っているだろう。「これは NG 」と規定する非権利者が現れる事によって、人類史は 100 * n 年の遅延を求められるのだ。

まだいつまで続くか分からない状況の中で、興行の代わりに「コラボ可能」なコンテンツ提供する人は多いと思う。そして「細かいことや面倒くさいことを言いたくない」という理由曖昧ライセンス表記提供されるだろう。「分かるでしょ」というのは同一の文化圏でのみ通用する。でも公開する以上、同一ではない文化ともなんかやりたいじゃん。

でもやっぱりライセンス規定するのは難しいし、読む方も難しい。コンピュータソフトウェアはずっと改変によるメリット著作者権利議論し続けていて、ある時クリエイティブ・コモンズという権利者の権利の表示が簡便な仕組みを生み出した。

明確なライセンス表記をすることは、利用者を守る行為でもある。利用者犯罪者にする可能性を防ぐことができる。クリエイティブ・コモンズ表記は極めてシンプルに作ってあるので、これからコンテンツを公開する人はどうか自分自分コンテンツをどう扱って欲しいかを、表記してみて欲しい。だめだったら個別にだめだと言って良い。それは権利者の権利から

余談だが、今回の騒動議論余地があるとするならば、「文化政治利用」が「営利」なのか否かだ。もし CD などの物理メディアを通して金銭の授受が行われれば明確にアウトだが、プロモーションについては判例が少ない。ぜひライセンスガチ勢ツッコミを求める。

あとほんと蛇足なんですが、今回問題になった Tweetクレジット表示が無かったのは本当にだめ。表示をしなくて良いのは Public domain か CC0 のみで、どんな解釈でもそうは取れないのでだめそう。でも異文化に触れた老人たち (本人じゃないだろう) が異文化雰囲気を読み見違えるなんて普通じゃんね。それを超えて老人たちも良い感じのコラボコンテンツを出してくれた方がいいじゃん。

なあ俺って結婚できるのかな

ツイッターエッセイ漫画みたいに突然俺に理解のある彼女さんが現れてお互い助け合って生きていくという人生を歩んでいくことがいつかできるのかな

2020-04-04

anond:20200404021025

あんまり関係ないけど

とあるエッセイ漫画家さんの人生入院とか痛々しすぎて心配してたら

つのまにか婚活漫画が連載決定になったみたいだ

あの人が取り返そうとしているものデカすぎて

健康一つとっても普通の人から随分とマイナススタートにいるようにみえる)

ちょっと無理そうで心配している

2020-04-03

anond:20200403085808

タイトル、「について」は要らない

(名エッセイタイトルになるところだったのに惜しかった)

2020-03-25

anond:20200324124539

財布に小銭が貯まったら、棄てる。

物理的に。詳しくは故伊丹十三エッセイを読め)

2020-03-21

は○ちゅ○さんって、

ワイのギリ戦中生まれマッマが頑張って家庭新聞に描いたレベルタッチ手書きセリフ結婚前後マンガエッセイ108円棚でチラ読みしたけど、

薄い本ロックパンクお嬢様リアルで居たら、な存在なんだろーなーとおもった。(私はカッコイイ!つもりが騙されてahe堕ちしてるの死ぬまで気付かないかんじ)

2020-03-18

anond:20200318224141

西原理恵子とかそういう前例あるし別に不思議ではない

しかも今は年寄り作家引っ張り出してきてエッセイ書かせるのも流行ってるし

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん