はてなキーワード: こっち側とは
もともと超引きこもりで人と会わない喋らないから1~3回目もしぶしぶと言うか世間が収まらなんだかっちゅう自分以外のみんな頑張れよって後ろ向きな接種だったと思ふ。
自分を振り返って1回目前の行動と今の行動にそう変化がないし周りはたるんどるけしからんだし。
んーもういっか。って。
流行になんの関与もしてないのに3回も協力したし。自分のためだぞってバカにしてくる相手に有限な意識を割くのも面倒になったし。ここ数年コロナのワクチンやマスクだけじゃなくて任意のものをしないのはバカだって風潮が(昔からあったけど)ぐっと増えて疲れた。そっち側にいきたくない。こっち側でいいです。
目と口を閉じ孤独に暮らしている自分にワクチンで世界と自分を取り巻く小さな世界を変える・変わる力はありませんでした。今後も漸減する抗体とともに孤独に暮らしていこうと思います。
これ書いた増田だけど。
あ、ちゃんと返事してくれた。
漫画好きだったら、より「闇堕ちして敵として戦うことになってしまった元味方の悪役」っぽい感じにするわ。
サンドバッグと思って改心させてみ。
正直、自分の気持ちを誤解のないように広めたいなら、もうちょっと考えて文章書いてくれとしか言いようがないわ。
長文だったし伝わらなかったら悪かったけど、「はじめに」のところだけじゃなくて、全体的にふわっとしてんだよ。
「自分の半生に基づくサンプルデータ1の、めちゃくちゃ主観的な話」なんだろ?
なんで極めて主観的な見方をしながら、そうやって主語を大きくして言い切れるかが全然読み取れない。
あと、その説明があった前提で、「否定的な気持ちで見る」ってどの時点の話?
のどっち?どっちも?
たぶん後者かなと思うけど、主張全体を読むとどっちもかなってなって、分からなくなってくる。
いずれにせよ、自分の半生に基づくなら、俺は「最初から」批判目的で、漫画を最後まで読んだことが何度かある。
そうでなくても、「途中で」批判的な見方に変わったけど読み続けた漫画もたくさんある。
俺じゃなくたって、ジャーナリズムだとか科学的な視点で批判のために読む人がいるんじゃねえの?
主観的な話をするなら、「↑みたいなケースは含めない」とか言えば良いんだけどさ。
好意ってなに?
前段の文章と組み合わせると、
「漫画を否定的な気持ちで見ないということは、つまりその漫画に好意を持つということだ」
って読めるんだけど、てかほぼ原文のままだけど。
「否定的な気持ちで見ない」ということは、それは「無」か「中立」かせいぜい「肯定」であって、いずれにしろ「つまり好意」ではないだろ。
主観的な話をするなら、「俺の思う好意とはこういうことだ!」って説明をしないと伝わらねえよ。
で、くどいけど、その「元増田が思う好意」があるのは「元増田にとって」
のどちらなのか、どちらもなのかが読み取れない。
仮に、「どちらも」だとしようか。
俺にとって、好意ってのは最初からあるもんじゃない。一目惚れだって、一目見るまでは好意にならない。
人に勧められて半信半疑で読んでみて、いつの間にかハマってた、ならまだいい。
途中まで好意的に読んでたけど、なんか登場人物の言動とか作者の言動とかが原因で「あ、これダメだわ生理的に受け付けない」みたいなこともある。
この、「あ、やっぱこれダメだわ」についての説明はどうすんの?
「例外はない」みたいな書き方をしておきながら、読んでるこっちは例外ばっかりポンポン浮かんでくるから主張がふわっとすんだよ。
ふわっとしてるか判断すんのは元増田じゃない。読んでるこっち側だ。それを指摘されて素直に認めるかどうかが問われる。
返事してくれたのは良いけど、その文章も相変わらずふわっとしてる。
だから結局、「お前が思うならそうなんだろう、お前の中ではな」みたいな感想にしかならない。
こんな感じだわ。
ここより前の文章は、元増田のふわっとしてるところを指摘しただけだから答えなくていい。
だけど、その「ハッピーエンド」と「善意」ってそもそも何?ってのが、今のところお前の頭の中からちっとも出てきてねえんだよ。
それを引きずり出した上で、
医学部に入学してから本音で話せる友人がいなくなった。学内は「実家の太い」同期ばかりで、そいつらに日々話を合わせるのが辛くなってきているところだ。以下長文失礼する。
僕は都会の国立医学部4年で、今は地元を離れ一人暮らしをしている。卒業した高校は、地方の例年の東大合格者が0-1名の自称進学校だった。とりあえず地元国立を目指し、落ちたらニッコマという生徒が多かった気がする。学年順位がずっと一桁だった僕は、医学部に一般枠で合格した。ちなみに僕の家系に医者はおらず、両親は地元の会社員である。
入学した当初は医学生というブランドに浮かれていた。同時に自分の人生は安泰だという喜びも噛み締めていた。入学式後のオリエンテーションで開成桜蔭聖光といった有名高校出身の同期と初めて顔を合わせた。僕はSAPIXや鉄緑会に頼らず自分の力だけでここまでやってきたという優越感に浸っていた。
しかし入学後の部活の新歓で徐々に違和感を感じ始めた。高級そうなバーで先輩方に奢ってもらえることに驚いていたが、それ以上に有名高校出身の同期たちのコミュ力というか馴れ馴れしさに戸惑っていた。どうやら新歓はセレクションも兼ねているらしく、僕は人気のある部活には悉く落とされた。入部を許可されたところはチー牛ばかりだった。仕方なく男ばかりの部活に入部することになった。
とはいえ部活の同期たちは地味だが人の良さそうな奴ばかりだった。僕も陽キャがイキっている部活には馴染そうになかったので、セレクションに落ちたことは特に気にしていなかった。だが部活同期の宅飲みで興ずる、負けたら数千円単位で奢るという罰ゲームは大変苦痛であった。バイトで稼いだ貴重な金がくだらないお遊戯に浪費されていった。当初は部活の同期しか友達がおらず、気乗りしないながらも参加していた。
そのうち僕はだんだん部活に居づらくなって2年になる前に辞めた。とはいえ2年からは解剖学、生理学などの様々な実習があり部活以外の同期とも話す機会が増えた。同じ解剖班で東北出身のW君とも仲良くなれた。彼は小中高と地元の公立であり、僕とバックグラウンドが似ていて非常に親近感を覚えた。彼は部活には所属しておらず、バイトでお金を稼ぎ国内をあちこち旅行をするのが趣味らしかった。僕とW君は個人的に飲みや旅行に行くことも度々あった。
つい最近、W君とCBTに向けてiPadでQBを解いている時だった。(ちなみにCBTとは全国一斉の共用試験で、QBとはオンライン問題集のことである。気になる人はググってくれ)CBTの点数は初期研修病院を決定するマッチングに影響するという噂もある。僕はふと気になって、W君に卒業後はどうするのかという話を振った。「どーでもいいんだよねえ。だって俺、実家太い方だし考えてないかな。」と彼は間伸びした声で答えた。詳しく話を聞くと彼は地主の息子で、不労所得があり最悪働かなくても生活できるのだそうだ。僕は少し苛立って、なぜ医学部を受験したのかと問い詰めた。W君は、一言「だって社会貢献してみたいし、医者ってかっこいいじゃん。」とだけ言った。
「親ガチャ」というセンシティブなワードが頭をもたげた。これまで一緒に飲みに行って馬鹿騒ぎしたり、大変なテスト勉強を共に乗り越えてきたW君とは、僕はそもそも同じ土壌に立っていなかったのである。僕は、気だるそうに何やらiPadに書き込むW君を少し冷めた目で眺めていた。なーんだ、彼も結局こっち側の人間じゃなかったのか。日頃から僕が、羨望の眼差しを向けている「カネ」とか「コネ」とかを、彼は水道水みたいに当然のように与えられたものだと思っているみたいだった。
為せば成る、努力は実を結ぶ、と言った陳腐なスローガンを掲げてきた地元の高校教師たちの姿が頭に浮かんだ。彼らは本気でそんな言葉を信じていたのだろうか。大学受験だってその先の就活だって、結局は「親ガチャ」じゃないのか。僕は、そんな思いをいつかW君と語り合いたいと思っていた。彼ならきっと、この世の中の理不尽さを分かってくれるはず。
息子が医学部に入ったと近所に吹聴する地元の両親を、僕は悪く言うつもりはない。帰省する度、父は、僕の医学部での学生生活を楽しそうに聞いてくれる。父はずっと医師になりたかったのだそうだ。流行りの「親ガチャ」なんて言葉で両親を責めるようなことはしたくない。
そんな折でもCBTの受験日は刻々と近づいている。なるべくW君との関係は壊したくはないから、この思いは胸にそっとしまっておく。彼とはまた明日も勉強会を開くつもりだ。Twitter文学のようになってしまったが、ここまで読んでいただき感謝申し上げる。
日向坂の検索サジェストに、容姿に対するネガティブワードがちょいちょい上がってる時があるけれど、
純粋な宣材写真だけで言えば、確かに乃木坂先輩と比較すればキラキラパワーが強すぎるために相対的にそう見える、というのは分かる。
けれども、アイドル業って外見だけでやる仕事じゃあなくって、そこに人間性や努力が乗っかってきて、その姿が愛おしく見えるようになるものなので、
そして、アイドル沼にハマって思うけれども、こういう出会いと、そこから生まれる愛おしさというものは、どのグループでも多分一緒。
(毎週見る鉄腕DASHで、岸くん、森本くん、リチャードくん、毎日見るラヴィット!で佐久間くん、だて様が可愛く思うようになった)
出会うきっかけがあれば貴方もすぐ"こっち側"なので、人様に対してネガティブな気持ちを抱えて、それを検索で確かめようとするのではなく、
気になる子の良いところをたくさん見つけてあげてほしいと思う。
ケア能力ない空気読めない他人の気持ちもわからん自閉アスペ女だけど、ケアされないとか弱者男性とか言ってる奴ってこっち側もしくは高齢者だと思う
男の健常者って、びっくりするほど人の気持ちを察してケアしてくるし好感度上げつつ上手に弱音吐くし上手に男同士で仲良くケアの雰囲気作るし気遣いするのも気遣いされるのもうまい。自分にはできない。(女もだが)
繊細とか綺麗に言うけど、要するにすぐに感情的になって癇癪起こして感情のコントロールが苦手で衝動的に傷ついたりするだけじゃん?障害か病気かアンガーマネジメントが下手ってだけだよ。こっちではよくあること
普通男はそんなに繊細すぎるってこともない。傷つきはするだろうけど、ちゃんと感情を上手にコントロールして状況を上手くまとめて、他人をケアする側に回ってる。
フェミニズムによって変わったのは、今まで発達障害や病気持ちの男が野放しにされて無条件で下駄をはかされてたのが、発達女や病気持ち女が無条件で奴隷になれてたのが、能力できちんと査定されるようになってしまったってことだけじゃないかな。
許さない。
「投票しなければいい」なんてのは「嫌なら見なきゃいい」と同じ理屈であり、許さない。
落選したとしても「立候補した」という事実だけで既に◯◯の「勝ち」なんだよ。
何が欺瞞かって、「こういう人でも立候補できてこそ民主主義」とか言うけど、本当に言うほど「どういう人でも」立候補できてるか?
真面目に真剣に世の中を良くしたいと思って頑張ってても、カネとコネが無くて立候補できないという人が大勢いると思うのだが。
世の中を良くするためにふさわしい人々が選挙に出ることすら出来ない現状をスルーして、こういうイロモノが出てきて批判された時だけ颯爽と登場し「こういう人が立候補できてこそ民主主義(キリッ」とかイッチョカミすんの単なる逆バリだからなそれ。
そういう浮わっついたサブカルしぐさが、庶民の感覚からかけはなれてるんだよ。
しかも、◯◯が絶対に当選しないとは絶対に言いきれないからな。
浮わっついたサブカルしぐさで地に足のついた庶民をバカにするのも許さないけど、
◯◯なんてあの◯◯を◯◯させ続けてきた◯◯だぞ。
それ以上はヤバすぎて言えねえ。
だがそういう、「嫌なら投票しなければいい」とかいう甘い考え、ト◯ンプ政権が誕生する直前はアメリカや、ナチスに牛耳られる直前のドイツや、タ◯バンに支配される(選挙じゃないけど)直前のアフガニスタンや、
それみんな、同じように油断してたんだぞ。
権力を奪取しようとするタイプの人間は、必死でどんな手段を使ってでも目的を達成しようと頑張ってるんだよ。
その手段や目的は邪悪なものかもしれないが、その何としてでも夢を叶えようとする全力の気迫が、「こっち側」には「無い」だろ?
向こうが全力を尽くして戦ってるときに、こっちがのんびり「嫌なら投票しなければいい(笑)」とかやってて、そんなんでこっちに勝ち目があると本気で思ってんのか?
実際、どんな変な候補にも必ず一定の「投票する人」は「いる」。
しかし有権者の大半は選挙自体に関心が無かったり、「どうせ変な奴が当選するわけないだろ(笑)」と呑気に構えてるから、投票率はいつも低く、よって、変なのでも当選できる確率は高くなる。
向こうはそれを狙ってんだよ。
相手が全力で「勝ち」を狙って来てるんだから、こっちも全力で、どんな手段を使ってでも阻止しなきゃならないんだよ。
そうなんだよ。
それがわかっててなんで「◯◯はそのおかしみをみんなが認知してるからいいけど」なんて甘い考えでいられるの?
「なんか有名だから」程度の理由で「なぜ有名なのか」もわからずに投票しちゃう人とか、むしろどんな人間だか知ってるからこそ投票する奴とか、絶対いるのが日本という国なんだよ。
プロアマ関係なく好きなものを沢山摂取してすごく良い気持ちになってるけど、前みたいに自分もこれを書きたいとかあれをしたいとか、がんばろうって気持ちがもう無くなってしまった。
そういう気持ちを持ってるのがしんどくて数年触れない期間を作ったらもう戻ってこなくなっちゃった。
無くなったことが寂しいけど仕方ないなって気持ちになってしまう。「何かやろうよ」って熱意を持って誘われる方がしんどくなってしまった。
同じだけの熱意を持ってない私は空虚で無価値で下等みたい。「作る側」というプライド?こっち側しかわからないよね、という内輪アゲのしんどさ。もうついていけないかもなあ。
好きだという気持ちでものを見ていたい、技術がどうとかだから素晴らしいみたいな理由付けも聞くのがしんどくなった。
「作る側」の視点を聞いてると同時に評価したがりな顔を見てしまうことが多くて辟易してしまう。穿った見方か?私はただ作品を享受していたい。ていうかかなり的はずれなことあるよね?
自分の好きな物だけを見て、好きだなって思った気持ちを大事にして、誰にも害されたくないし何も入って来てほしくない。
そんな私でも良いかって前向きに思えたらいいのに。結局私にもああいう意識があるから虚しさがあるんだろうな。それ含めて気持ち悪いわ。
貸してきたのは、入学してすぐの頃たまたま隣の席だったオタク女子だった。彼女がBLのよさを(なぜか異性愛への謎のこき下ろしを添えつつ)説いてきて、いちいち否定するのも面倒だったのでウンウンと相槌を打っていた。
そんなことを何度か繰り返してると、ある日オタク女子が「こっち側へおいでよ」と一冊のBL小説を差し出してきた。そこまで付き合う気はなかったので「いいよ別に」と最初は断ったのだが、なんやかんやと押し切られ、結局なんだかキラキラした細身の男二人が描かれた表紙の文庫本を読むことになってしまった。
今となってはタイトルも登場人物の名前もろくに覚えていないが、何かのきっかけで男二人が出会ってすれ違いやら何やらを挟みつつ結ばれてハッピーエンドというベタな恋愛だったと思う。
それほど驚きもない中身でただ一つびっくりさせられたのは終盤にガッツリとベッドシーンがあったことだった。それは同性同士だからどうこう、というより高1のオタク女子がなぜこれを読んでたのかという驚きだった。まあ尻痛くないのかな?ぐらいは思ったけど。
年上の身内から譲られたのか、本人が直接買ったのか。いや前者でも後者でも大丈夫なやつなの?という疑問は消えなかったし、これを同じ年の他人にBLを薦める一作目にするのはどんなセンスなんだよ。
年齢的に読むべきじゃないであろう描写を読んでしまった妙な後ろめたさと困惑を抱えたまま、後日「ウーン……ワタシニハアワナカッタカナ……」とBL小説をオタク女子に返すと「そっかあ」と少しだけ残念さを滲ませた軽い返事が返ってきた。どうやってあの本を入手したのかは聞かなかった。聞くに聞けない気がしたし、聞き出したところでいいことがあるとも思わなかった。
その後はBL小説を貸されることはなく、されど彼女が熱を上げる作品やカップリングの話にウンウンと相槌を打つ穏やかな3年間を過ごした。高校を卒業した後はすっかり疎遠なので今どうしてるかは知らない。おわり。
ブスは男から好かれないだけでなく女からもリスペクトされないから、男から好かれて女から尊重されるために美容をやってる。
前、勝間和代のダイエット本を読んだんだけど、ダイエットに成功した勝間和代に、広瀬香美が「太っていた頃は一緒に並んでも、“隣におばさんがいるなあ” という感じだった、痩せてようやく"こっち側"の人になった」的なことを言ってきたってエピソードがあって、やっぱ仲良くしてても尊重されてない感じって普通にあるんだよなって思った。
実際、キモいおっさんも同じように、女から好かれないだけでなく男からも尊重されてないと思うんだけど、なぜか彼らは「女から好かれない」ってことにだけスコープあててるように思う。
だから、女の美容見ても「男のためなのか自分のためなのかはっきりしろ」みたいなこと言ってくるけど、これはもう「人権を得るためにやってる」としかいいようがない。男のためであり女のためであり自分のためでもあるんだよ。
フェミニズムって平等社会を目指す運動だと思ってたんだけど、違うの?
フェミニズムって、女性に重点を置きつつも、両性にとって平等な社会を目指す運動だと思ってたんだけど。
だって、そうじゃないと男性が女性差別の解消に協力する理由がなくなるじゃん。社会における男性優位をなくすというのは男性にとっては不利益になるけど、男女平等という大義があるから受け入れられてるわけじゃん。
なに? フェミニズムって、男のことは知らん、こっちは女の権利が向上しさえすればいいって運動だったの? じゃあ、それに男が協力や賛同しなくても文句言わないでよね。セブンイレブンの店舗拡張運動にファミリーマートの社員が協力できないのは当たり前だろ? 営業の自由のために共闘しようというなら受け入れられるけどね。
「フェミ騎士」として媚びへつらいながら女に絡むか、「アンチフェミ」として叩きながら女に絡むか。結局、女にばかり絡もうとしていますよね。
キズナアイを叩いた千田有紀も女性、松戸のVチューバーを叩いた議員連盟も全員女性、温泉むすめを叩いた仁藤夢乃も『月曜日のたわわ』を叩いた治部れんげも女性。そら、これらの問題について反論しようと思ったら女性にばかり絡むことになるわな。先に叩いてきたのは女性側じゃないか。女性側が始めた物語だろ。あんたらが何も言わなけりゃこっち側はわざわざフェミニスト女性に絡む動機なんて持ち合わせてないんだよ。