はてなキーワード: 非リア充とは
最近になって初めて「卒業アルバムの真っ白のページの意味」を知った
僕の内定先の企業は(最近よくあるみたいだけど)内定者用のSNSというものがある
事務連絡等もそこでされる場合があるので必然的に見ることになるわけだが
みんな海外旅行にいっただのなんだかのイベントにいっただの書き込んでリア充アピールを全開にしている
どうやら関東の内定者で飲み会なども定期的に開催されているらしい(僕は都内に住んでいるがそんな連絡はきてないしそもそも他の内定者の連絡先も知らないし聞かれてもいない)
一方僕は今までもそうだが、大学でも友人は皆無で
卒業旅行などいくはずもなく
最後の働かなくていい期間ということで毎日朝から晩までゲーム漬の生活だ
「卒業旅行はどこにいくの?」とか「最近なにしてる?」と聞かれる
そのたびに笑ってごまかしている
僕自身は自分の生活に不満はないし毎日趣味に没頭していて楽しくて仕方ないが、人事からは「こいつは協調性のない奴だ」なんて思われて評価に影響するのではと心配になる
自意識過剰なんだろうか
リア充爆発しろって言葉は有害だから撲滅すべき。そろそろシャレにならんぞ。リア充を見るたびに爆発しろって言うのは、非リア充が互いを非リア党の党員として認め合う儀式なんだろ。
それをネタっぽくすることで免罪符にしてるだけで本質はネタと見せかけて本音が多かれ少なかれ含まれてる。リア充が「ウェーイ」言うのを非リアどもは毛嫌いするがおかしな話なんだよね。同じこと自分らもやってるんだから。
「ウェーイ」は別に他人に迷惑をかけてるわけじゃない。あの明るさが暗さを抱えた人間を傷つけるのだ等と言った所で被害妄想でしかない。
一方「爆発しろ」は直接的にリア充の足を引っ張ろうとしてるでしょ?そりゃ有害性では圧倒的に爆発しろに軍配があがるというものだろう。
よく非リア人間は「リア充は無自覚に我々非リア人間を傷つけてる」なんて言うが逆だよ。非リアこそ徒党を組んで無自覚にネットでリア充を弾圧してるじゃないか?社会的弱者だからって許されるものではないよ。
常々私が主張していることだが、嫉妬というのは制度なんだよね。こういう場面では嫉妬しないといけませんよって暗黙の社会制度があるわけ。お前らが好きな言葉で言えば同調圧力な。
いや嫉妬は万人が持つ感情だろって思うかもしれんけど、嫉妬制度がなかったら嫉妬なんて感情はそもそも出てこないよ。あのねえ、そもそも嫉妬感情は生物学的にビルトインされてるわけじゃない。情動の生理学とか勉強すれば分かるけど。
社会心理学では個人の意見もいかに社会的文脈に支配されてるかってことをしきりに主張するでしょ?世論形成なんて研究テーマがあるけどさ。それと同じで個人の感情ってのも社会的文脈に強く支配されてるのは当然と思わない?
で、確かに嫉妬は万人が有するが文化によって嫉妬深いとか嫉妬深くないとか違ってきそうなものでしょ?逆に嫉妬深さに文化差がないほうが不自然。だって感情は社会の暗黙制度の強い支配を受けてるんだから。
我々現代日本人はちょっと嫉妬深い文化を形成させすぎたのではないか?と最近ますます思うのである。最近も話に聞いて驚いたのが街でカップルが抱き合ってると怒り狂う人がいるらしい。
それをネタっぽく話してるわけだが全然笑えないよ怖いよ。そんなにすぐ苛ついてたら生きるの大変だろうなと思う。
まだ同じ嫉妬でも仲良しカップル見て「羨ましい」と思うなら分からないでもない。羨ましいっていうのは自分もそうなりたいと思ってるわけで向上心が見える。
ところがいわゆる非リアってのは羨ましいってレベルを遙かに通り越して「爆発しろ」という破壊衝動に至るらしい。自分がなれるとは到底思ってないんだよね。少しは近づけるかもしれないのに努力しない。
努力しようとすると現実と向き合わないといけないから辛いんだろうな。そして怠惰な自分を正当化するため「ただしイケメンに限る」という言葉を多用し、羨望を思い描きつつ自分を磨いている人間は「意識高い系」として揶揄する。
結局のところ、「自分たちは社会的弱者で可愛そうな人間で努力しても報われないから努力しなくていい」っていう病的盲信をお互い確かめ合うための同病者の集い。それが「非リア充」の中身だということが最近分かってきた。
ここまで見てくると、「爆発しろ」と思うのはちゃんと自分で人生経験を積み重ねて自分の頭でものを考えて弾き出した結論なんかではなくて、周りがそう言ってるからそう思うだけなのがよく分かるだろう?
そういう悪しき社会制度に1人1人の人間がNO!!を突きつけていかないとどんどんおかしな世の中になるよ。どうかエゴを捨てて、安心して街中でカップルが仲良くできない今の世の中のおかしさを考えてほしい。地球の未来を心配してほしい。
みんなで幸福な人間を受け入れようではないか。パソコンのデスクトップ画像にして憧れようではないか。許しの心を持たないから自分も相手も両方傷つけていると気づくのです。
ほんのちょっとのことで嫉妬するような人間が最近出てきたが彼ら彼女らは嫉妬対象に自分も近づくためのほんのちょっとの努力もしたくないということなんだろう。
それって楽しいの?何がしたいの?楽しくないからって殻にこもらずに努力すればよいのにと思う。努力せずに無理と決めつけてるのがもう「洗脳されてるなあこいつら」と思うわけ。
悪しき社会制度に洗脳されずに自分でやらないといかん。とことん試行錯誤していろいろ経験し関連知識もたくさんつけて自分の頭で考える。その上でほんとに嫉妬という感情が自分の生き方として正しいか考えてみたらいいのに。
最近彼女ができたんだが、彼女が花火大会行きたいとかゆーんです
まあ、いくけど
浴衣着てとかゆーんです
まあ着るけど
でも俺花火大会よくわかんなかったから、調べたりもしたんだけどよくわからなくて
ちゃんとしたシートが必要だったと聞いて
それを用意してなかった俺は
なんか負け組み確定な感じで
はあ…
これで別れるとしたら、それは多分今じゃなくで別れてたんだろうな
周りがリア充だらけで気持ち悪い
まあ忘れよう
帰ってこなくてもいいや
とりあえず、花火だけ見て帰る
それでいい
それでいいだろっ?
肝心なところが抜けてるんだよなあああああ
あーもう あーもう
忘れよう
清いころの俺になろう
しばらく満喫でも通おう
しばらく健康ランド通おう
はあああああああああ
◼︎トラバ先へ
悲しい悲しい悲しい悲しい
◼︎周り
ムラサキなやつ 赤の華やかなやつ
俺さあ
花火とか知るかよ!そらより斎藤一派の燃え加減が、気になるに決まってるだろ!
はあはあ
みんな知ってるか?
シートの上に置く小型折りたたみイス(風呂場のイスの小さいの
とかあるんだぜ!あるんだぜ!!
はあ
今日帰ったら、クーラー オンにしてoculus riftでエロゲーするわうははははは
http://b.hatena.ne.jp/entry/mainichi.jp/select/news/20140812k0000m030129000c.html
のブコメを見ていてあまりの同姓愛差別の多さに吐き気がするのでかっとなって書く。
「場所をわきまえてほしい」の意味が同性愛のことなのか、キス自体のことなのか。ブラジルが公共の場でキスする文化なら同性愛差別になる。日本なら、すき家で子供の前でイチャイチャして店員挑発すんなよ案件
お国柄的にパブリックな場での男女のキスがokならば、同性カップルであることは理由になってはいかんだろうな。ただ、セクシュアリティがなんであれ、メシ喰う場所で食欲以外の欲を解放すなよとは思う。
“店員から「ここは家族向けの店だ。場所をわきまえてほしい」と注意された。隣の席にいた家族連れが「嫌な気などまったくしなかったが」と応じたため、2人は再びキス。” 同性愛関係ないだろ
同性愛者団体は「異性愛であっても人前でやるのは良くない」くらいの声明だしとかないと、無法者集団みたいなイメージ持たれたりしないか
殴るのは問題だが、これが男女であっても食事するところでキスされるのは不快だな。皆が食事をしているところで、口の粘膜と唾液をぐちょぐちょと接触させるな。
なぜかディープキスを想定してる人が多い模様∥挑発するみたいな態度は良くないけど、店員側に同性愛嫌悪がなかったとは言えないと思うなあ
キスすることの是非がどうあれ、殴った時点で殴ったほうが悪くて殴られた方は悪くない、ということになっているのでな。
傷害は論外として、これがヘテロのバカップルだったら加害者は注意していたのか否か気になる。ブラジルでは牛丼屋でキスするような光景がごく一般的なのかどうかも
ファミリー向けのお店で「キスしてた」から憤慨したのか、それとも「同性愛カップルがキスしていた」から憤慨したのか、どっちなんだろう。殴ったのくだりは議論のノイズになるので省略。
少なくともこの記事を読んだ限りではゲイ差別を疑わせる要素は微塵もない。日本だって注意するでしょ。同性同士だろうが異性同士だろうが、店の中でそんなことやられちゃさ……問題は暴力を振るったって点だけ。
殴った方が絶対的に悪いしおそらく同性愛への差別心もあるとは思うが、注意の根拠に使った他の客に賛同されなかった上にこれみよがしにもう一回やられたのが主因だろ。DQNはメンツが潰されると切れる。
家族連れ自体気にしないと言ってるし、それ以前に暴力自体論外。店員に酌量の余地無し。ただ軽いキスならいいけど、公な場での性的行為みたいな露骨で激しいキスとかは同性愛異性愛問わず慎むべきと思う。下品だ。
どんなキスだったかわからないので、「家族向けの店なので控えろ」という注意に値するかどうかはわからないが、殴るってゆーのは確実に家族向けの店にそぐわない対応。
ゲイ擁護が多いけどもしかしたら本当に店員の良識だったかもしれないじゃん。異性愛者のキスでも止めてたかもしれない。もちろん殴るのはいけないが擁護されてる法律を盾にこれ見よがしに繰り返す事はないじゃないか
TPOをわきまえていない同姓愛者男女のカップルが牛丼屋でキスしたぐらいで殴られると思うか?
同姓愛者であるだけで殴られる対象になってしまう恐怖を想像してもらいたい。
同姓愛関係なく単なる暴行とか、リア充非リア充であるという話に持って行って同姓愛者への差別を語らないみなさん、差別意識高いですね!
これは本文にも書いてありますがブラジル文化的に全く問題ないはずです。
キスにかみついている人たちは「ここは家族向けの店だ。場所をわきまえてほしい」と言っている店員と同類とみられてしまうことは考えなかったのか?
店員と同じに見られても、強い多数派なので気楽なんでしょうね。
ブラジルでは牛丼屋でキスするのが普通なのか。嫌だな。/頑固なラーメン屋で「うちは私語、ケータイ、キスは禁止なんだ。悪いね。」みたいな感じか。
なんですき家の前でやったの。ファミリー向けのところで"キスをする"という行為に対して怒ったなら理解出来なくもないけど、これは同性愛者だから問題なのか…?難しい。
キスなんてしたくなったらどこでもするだろう。
日本で、道ばたで男女がキスしてるのを見たことある人は多いと思いますが、同姓がキスしてるのを見たことある人はかなり少ないですよね?
法律で性的指向を差別する行為に刑事罰が科せられているブラジルでさえ殴られる。
日本ではそもそも同姓カップルが公の場でキスするほど認められておらず、普通にキスすることさえできないひどい現状ではないでしょうか。
今この時期に、「すき家」(のブラジルの店舗)で起きたからこそ記事になった案件。現地資本のチェーン店で起きたのなら絶対記事にはならないだろう。
これは回文になる!と考えはじめたら先を越された件/「非モテに配慮しやがれ!」と店員が本音をいえたらまた結論は違ったろうに(カッテニキメツケルンジャナイヨ/まブラジルでキス禁止といって聞く人がいるとは
店員が「ホモは嫌いだ」と本音をいってたらまた結論は違っていたでしょうね
このニュースさー、1海外では公共の場でキスしたくらいで批判されない、2この店員はキスにではなく同性愛に嫌悪感を感じている、3だから問題になってる、この三点を説明しないと日本人にはよくわからんだろ?
1も2も3もわかっていて「どうなんだろ?」と書いてしまうぐらい差別意識が根についている日本人がおおいんじゃないですかね...
「単に自分がゲイを嫌っているだけなのに、そうは言わず「家族連れの客に迷惑だろ」と言い換えている」 …私はそうは読み取れませんでしたが、なぜそう考えたのでしょう?
って書いている人もいるし
性的嗜好では。
辞書ぐらいひいてください。
手を出した方が負けの世の中なんです 。
手を出す差別主義は最低の人間ですが手を出さなくても差別主義者は最低の人間です。
「カップルが飯屋でキスしだしたので店員が『ご家族もいるんで』と注意したら居合わせた家族連れが別にいいとか言うわカップルまたキスするわで店員涙目でカップルを殴打」って話に同性愛とすき家をまぶしたニュース
同性愛者に関してはきらい家のようです
ヘイトクライムをちゃかすのも最低です。
きもちわるい
なんだ男か
もし女だったらどうだというのか、同姓愛差別というより女性軽視でサイテーです。
何もいうことはないですが絶対にリアルで関わりたくない。
暴力はいかんが営業妨害を公然として問題がないと思う方もどうかと思う / ブラジル:すき家に同性愛者抗議…キスした客、店員が殴る
同意見です。ブコメでとぼけてる人たちもゲイは嫌いだと公に言えばいいんじゃないのか?
茶化してる人たちも「同姓愛関係ない」と話をすり替えようとしてい人たちにも今後一切関わりたくないです。
はーすっきりした。
新参なのに調子に乗ってオフ会参加しようとしたから、id名とかその人のキャラとか実はよく分かってない。
netcraftさんやらrlee1984さんやらtopisyuさんやら、はてなの有名人なら分かるけど、そういう人らはオフ会でも人気で周りが群がるだろうし、多分奥手で無名な自分が話すチャンスはないと思う。大学のサークルの飲み会とかでもこういう現象あったな。自分が話したい先輩とか、名前知ってる人気者の先輩とかって、絶対もっと積極的な可愛い後輩が囲んでワイワイやるから自分が入る余地ないんだよね。それで、名前の知らないもの同士興味なさげにちょっと会話して、すぐに話が途切れて、二次会には行かずトボトボ一人で帰宅するみたいな感じ。大人数の飲み会っていつもそうだったな。
それで今回はネットのオフ会。はてなやってるって以外なんの共通点もない。しかもさ、相手のプライベートにどこまで踏み込んでいいかが全然分からない。「お仕事何されてるんですか?」とか、「休日は何されてるんですか?」とか、聞いていいの?ネットで公開してる以上の事って聞いちゃダメな気がするんだよな。自分はコミュ障だし、迷惑がられそうな気しかしない。
だからさ、id聞いてピンと来なかったらもうお終いなんだよね。その人がブログやってても知らなかったら失礼だし話題に出来ないと思う。なんか知ってるべき事を知らない場合って何喋っていいかわかんなくなるじゃん。
結局さ、今回のオフ会も有名人の人らと、一部の人付き合いの上手い人らでワイワイやって、無名でコミュ障の自分なんて隅の方であのアウェイなイヤーな気分をまた味わうんだろうなって思ってしまう。それで、多分はてなに対する熱も冷めて、なんか気まずい感じでフェードアウトしていくだろうなって思う。ネットの世界でもリア充と非リア充の線引きが出来ちゃうっていうか、自分の中でなんだけど多分疎外感を感じると思う。
まあ、オフ会は成功して欲しいし、自分は調子乗ったのがいけなかったんだろうね。空気読めなかったっていうか、浮かれてた。冷静に考えて恥ずかしい。黒歴史だね。まあ、こんなことここに書いてるのも迷惑なんだろうし、すみません。
まあ、みんな楽しんできてください。
って言うけどさ、
そしてまた爆発して・・
そうやって上澄み液を厳選し続けて最後の一人になったらもう爆発できないから最後はこぞってリア充になりたがるのではないか。
このようにいつしか願望が反転してしまうことに何か名前が付いているべきではないか。
とか考えてたら朝になった・・。会社行きたくねーよー。
毎日生きる活動をしながら別のことを考えているようで、5分ぐらい前の行動とか発言の記憶はあるのに自分の体験とは思えないみたいな感じになっている。楽しかったこととか凄かったこととかいろいろあったはずなんだけどどんな気持ちだったか回想できない、きっと楽しいことがあったのに凄くつまらないことを考えてたせいだけどそれすらあんまり思いだせない。
気分が良くないとお前はクズだとかゴミみたいなことを頭の中で俺から俺にいつも言っていて、酷いときは1日に何百回も言っていていると思う。言う方の俺は鬱憤の発散になるけど受け取る俺は辟易してなるほど死にたいという気分になる。俺を罵る俺は当時から既にダメ人間でどうしようもなかった少年時代の俺が俺を自律するために作ったようなものなんだけど、何年も経って成長して早く死ねとかお前はクズだとかしか言わないやつになった。
そんな感じに毎日お前死ねとかお前クズとか言ってる(言われてる?)せいでいわゆる自尊心というやつがこれっぽっちも無いんだけれど、そのせいか人とのコミュニケーションがなかなか取れない。そもそも俺が他人にあんまり興味がないからというのもあるかもしれないけれど、俺が糞つまらないゴミ人間だと自覚していると声も出なくなる。必要にかられてコミュニケーションを試みても語彙を正しく選択できない(辞書的な意味をわかっているのに誤用したり言葉を忘れしたりする)し、会話の文脈を捉えることができなくて頓珍漢な発言をしてしまうこともしばしばで、話す度にどっと疲れがたまるので喋ろうとする気が失せてしまった。これは面と向かっての会話に限定されなくて、インターネットでラインとかツイッターとかしていても人に話しかけたり話しかけられたりするのがとても怖い。いわゆるぼっちとか非リア充を自称する人がその集団で集まって会話していたりツイッターで自分からリプライを飛ばして会話しているのを見るたびにやるせない気分になる。
昔楽しんでいた趣味もほとんど興味が失せてしまって、例えばプログラムを書くのとかそこそこ好きだったはずなのに今は頭が悪くなってしまって思ったように書けないし、そもそも作ったものを発表してツイッターとかはてブなどで承認を得るためにやっていたところがあるので大学生になってあまりやらなくなった。あまり自分についてこれから話さなかったからか、自分がそれっぽい態度をとっていたからか、変に周りから持て囃されて過大評価中身の無い評価を与えられて、それに俺も満足していたらプライドのお化けになってしまった。
何もかも俺に全て原因があって、他人の同情をいただけるような悲劇にはなっていないし、転機になりそうな事態とか人との邂逅を全部俺が無意識に一方的に台無しにしているので本当に自己責任自業自得だった。助けを呼ぼうにもこんな話誰にも口で話したくはないし誰も興味を示さないと思われるのでいよいよどうしようもないという気分になってきた。どうしようも無いのにあと5年生きても50年生きても同じような感想しか持てない人生をだらだら生きると思うと少しぞっとする。
一年前交差点を見るたびに車に轢いて欲しいって反射的に思ったりとか、駅のホームで線路に吸い込まれる感じがしたので大学の施設に相談に行っていくらか薬を貰ったけど、一回診察に行き忘れたから怖くなって行かなくなった。俺も自分の状態について説明できなかったし、あそこは本当に困っている人が行くべきで俺みたいな中途半端な人間は行く権利など無いと感じたというのもある。同じ理由でリスカとかもしなくなったけど、本当に辛いときは頭をボコボコ殴るなどして解決している。
生きたくも死にたくもない。いよいよ自分が何を考えているのかもよくわからなくなっている。自分が遠ざかっていて、曖昧なものになりつつある。俺が何者なのかわからない。もうあんまり物を考えたくない。
いや、言いたかったのは、そういう「オタク的な熱狂的ファン」と区別がない、って話じゃなくて、
「オタク、根暗、非リア充」と言うくくりの人達がミスチルを好きになるのはそういうB面的なものだった、という話の部分。
ではないだろ。
色々と同感な所はあるけど、東京の大学にいても大して現実は変わらないよ。
自分の場合、大学の帰りはとらのあなとかに寄ったり休日は即売会とかに行って気休めにはなったけど
結局非リア充は非リア充でしかなくて、大学に行ったら現実が待っている。
多少気休めが増えるだけで、大学を出た後後悔しながら生きていくことには変わりない。
ぼっちで大学生活という人生のゴールデンタイムを無駄に溶かした。
語学別のクラス、その他の講義も言うに及ばずコミュ障と面倒くさがりにやりたいことの無さも加わりゼミにすら入れなかった。
ウェーイ系大学生をインターネットで馬鹿にすることなく斜に構えることなくむしろ憧れと羨望を持ってサークルにこそ入ったが、分不相応の意味を体で理解し辞めてしまった。
ただ恋人がいないという一点で非リア充を自称するインターネットのオタクに虫唾が走る。あの大学生活板で生まれた言葉の定義はそんな生ぬるさじゃない。もっとどうしようもない現実を生きる人間を指す言葉なんだ。何がゼミの友人だ、研究室だ、オタサーだ。
せめてせめて高校生の私に上京して都心の大学を選べと殴ってやりたい。
田舎で真面目な大学(笑)がぼっちに優しいなんて嘘っぱちだ。コミュ障オタクこそ都会に住むべきなんだ。学歴より立地の良さだよ。
大学との往復の途中に4年掛かっても尋ねきれない数の店がある。少し足を伸ばせば新宿でも渋谷でも池袋でも平日だって関係なくイベントに参加できる。ちょっとお金を出せばご飯のレパートリーの無さに悩む必要なんてない。
これがどれだけコミュ障で、普通の、一般的に、イメージされる大学生活が送れない人間にとって、せめてもの心の豊かさに繋がるかなんて、失敗してみるまでわかんなかった。
非電源ゲームってまさに大学生のための趣味だよね。ボードゲームもカードゲームも恒常的に相手を見つけられてスペースを取れるなんて、サークルで遊んでくださいと言わんばかり。非電源ゲームオタクはみんなリア充なんだと思う。話し相手が1人でもいればリア充なんだもん。