はてなキーワード: 築地とは
給料が入った後に、築地場外に魚を買いに行く習慣がある私は、いつもは場外に大量に押し寄せる客をかき分けて
目当ての店に行くのだが、今日は場外市場で働く人達の方が多いような通りの惨状だった。
所在なく店頭に立つサンドウィッチマンからは活気の良い声も聞こえない、囃子がない市場は静かな戦いの渦中にある。
店側は必死である、値付を正価にし、商品の陳列もいつも以上に気を遣っているが、人そのものが来ない。
目当の店では「この数年間、空中戦で荒稼ぎしてきたより日本人の常連をどれだけ作れたかで、これから生き残れるかが決まる」と雑談をする。
魚を買った後、のんびり車で国道15号を流す。銀座の目貫通りも、買い物客より勤めている人たちの往来が多い、
店も4分の1がシャッターを閉めている。日本橋から神田もいつもの様子ではない、普段はスーツを着たサラリーマンであふれているが、
テレワークの為か人通りはまばらだ。秋葉原になると少し人通りが増えるが、普段の3分の1程度だ。
上野は桜の見頃に関わらず、人の頭ばかりしか見えない状況ではなく、気軽に散策できる程度にしか人がいない。
そこから車で走る道中、スーパーやドラックストアは人が並び、消耗品や食料品をせっせと買いだめている。
夜は誰も来ない新宿の片隅で酒を一人飲む、斜向かいの店のドアに掲げられた「コロナ(ビール)始めました」が空しく風に揺れる。
一人オーナーで切り盛りする店はどうするんだろう?またひと昔前の寂しい界隈に戻るかもしれないねと話をする。
気づけば店に入ってからそんな話しかしていない。何処の桜が見頃だとか、御苑に酒を持ち込む方法とか、
そんなよくある天気の話もしていない。御苑は封鎖されたらしい。
私も居場所が欲しいから、金を使いたいから、よく行く店に通う。
自宅と、職場以外にある、数多くの、一生かけても全て見通すことが出来ない数多の社会が暗転しそうだ。息が詰まる。
この社会は、人が獲得した高度な社会性は、衣食住の安寧という本来は難しい問題から脱却して、
可処分時間と可処分所得を使って長い人生の中で楽しむことを覚えた。
そんな高度に発展した社会が、棍棒を持った侵入者によって破壊されようとしている、
既に生きる為に自宅と職場を往来するだけな状況は、中世から原始資本主義時代の生活と変わらない。
これで都市封鎖されると、自宅の中で嵐を過ぎさる事を祈るだけになる。それは石器時代と何が違うのか?
中国やイタリヤの人々が窓から大声で歌を歌う動画を見た。私も部屋の片隅で小さくなって
祈るのなら、声を出して祝詞を歌いたい。
「日常」は、数多の世界の、数多の人による労働によって作られ、滞りなく安心して繰り返される事に価値があった。
memento mori(メメントモリ) 意味は、死を想え
そんでもって築地まで歩いてみたんだけど、
移転してもう今は何もなくドブネズミみたいに美しくなりたい歌が流れている街でお馴染みの、
市場がなくなったからそこに住んでいたネズミさん達がたくさんいると思ってたんだけど、
そんな気配は一切無かったし、
それでも今でも海鮮の食べられるお店とかあるのね。
私はそういう築地場外市場でのオープンテラスでドヤ顔で振る舞われる焼きガニを突く勇気はなかったんだけど、
だってビールお代わりしたときグラスをサッと片付けてもらいたいじゃない?
この人呑兵衛じゃんって思われるのが恥ずかしいしね。
だからオープンテラスでもサッと空になったビールのグラスを引いて片付けてくれるところは私大丈夫よ!
もはや私が生まれていないぐらいの懐メロの早押しドン!の90年代のイントロには到底勝ち目がないってことなんだけど。
私その歩行者天国知らなくって、
銀座歩行者天国なん?なんそれ!ザジーさんに見慣れてもらう時間よりびっくりだわ!
すぐまた車が通るようになってたけど
なんか開放的で新鮮よね!
私思わず、
こんなに広かったら、
銭っこば貯めて銀座でベコ買うべが、
地下を制覇するものが東京の山手線移動を制覇すると言っても言い過ぎではない過言なんだけど、
案外歩いて行ける所も多くて、
たまにはブラブラ歩いてみるのもいいもんだと、
行ったらいつも思うんだけど、
いつもテレビで見る芸能人とかが東京ローカルの広告の写真でどーんと出てると、
そのなんとも言い表現することのできない、
でさ山手線の日経電子版のクイズで田中瞳ちゃんアナウンサーが出てて、
クイズ出してたんだけど、
あの三択の中の選択肢にはその「ザッピングチャンス」って言うのはなくって、
ああこれも東京なんだなぁーって三択の女王の竹下景子さんも思ってやまないほどあの電車で流れている動画をボーッと眺めていると
東京タワーでも東京スカイツリーでも森ビルの展望台でも何でもいいんだけど、
あーあー果てしない感がどこまでもどこまでも都会で
ニューヨークとか一丁前に言うけど結構東京のそれとは山手線の内側なんだって、
だから首都圏のどこまでも大都会って言うのは本当にすごいなーって思うし、
次どこ行こうかーって言ってる所なんて初々しさを感じて止まなかったぐらいよ。
いつかその子たちが日高屋デビュー出来るといいわねってことを願って私は見送ったわ。
怠慢か遠いなと思って行く前に力尽きてしまった次第よ。
とりあえず私は東京に行ったら楽しみな
よりみちかちゃんを待ち受けにするといいって地方民にありがちなそのあるあるを私も欠かさずやってる次第なのよ。
名前が「よりみちか」ちゃんなのか「駅乃みちか」ちゃんだってことすらもどっちか本当かどうだか分からないぐらいだけど。
私はいつもお世話になってる、
銭湯の番頭さんに東京のお土産をって渡してあげたら喜んでたのが嬉しかったわ、
そんな駄洒落を喰らったところで召し上がれって感じよ。
うふふ。
国産レモンの最盛期なのでレモン搾りたい放題切って冷凍したい放題!
グラスの縁に塩つけてソルティードッグ風にして飲みたいところね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
つづき
富山産のホタルイカ
握りも酢味噌和えもお酒によくあいますよぉ pic.twitter.com/TF9FQXlmLX— なでし子 (@nadeshicosushi) February 17, 2015
節分と言えば
恵方巻き
なでしこ恵方巻き本日販売いたしますよぉ pic.twitter.com/Tp8wyTSR2C— なでし子 (@nadeshicosushi) February 3, 2015
うーん。
すべてのツィートがそうであるわけではないのですが、「握り」の画像の大半が他店舗、他企業のものというのはどうなんでしょうね?
イメージ画像というのはわかるのですが、寿司を握った方、写真を撮った方の技術に対する敬意が欠けているのではないでしょうか。
こちらのTwitterアカウントはなでしこ寿司の店主「千津井 由貴」さんが2015年辺りまで店の宣伝で使っていたアカウントのようです。
皆様
こんにちは
秋葉原なでしこ寿司の店長千津井 由貴です
またの名を「なでしこ寿司のちづ」です
昨日もたくさんのご来店誠にありがとうございましたm(_ _)m— なでし子 (@nadeshicosushi) February 28, 2015
最新のツィートがモンスト云々になっているのでいたずら目的のアカウントの可能性を考えましたが、古い投稿を見ていくと店についてかなりプライベートなツィートが多く、同様のツィートを4年近く続けているところからみて、関係者のTwitterアカウントである可能性が高いです。
テレビ東京で毎週月曜日深夜1時から放送されています「このへん!!トラベラー」http://t.co/cwymFXZ の取材が来ることになっており、次長課長の河本さんと井上さんとケンコバさんがお店に来てくださいました— なでし子 (@nadeshicosushi) April 13, 2011
(また2011年頃では千津井 由貴さんは「なでしこ寿司宣伝部小任」という役職でこのアカウントを利用していたようです)
館山より今が旬のカワハギ
新鮮な肝をのせて食べると絶品ですよぉ pic.twitter.com/owdHJdNBBH— なでし子 (@nadeshicosushi) February 24, 2015
今が旬のカワハギ、ということで画像つきツィートを行っていますが、この画像は解像度が低いのかボケていて変な画像ですね
https://i.imgur.com/TR0mqUx.jpg
店の宣伝ツィートに他店の画像を「なでしこ寿司」とキャプションした上で投稿……?
これ1件だけなら間違いかな、という線も捨てきれないのですが……
散々、バラエティ(主に月曜から夜ふかし)でいじられていたクセに、なんで今ざまぁと言われているか全く理解できない武蔵小杉(タワマン)住民のタチの悪い厚顔無恥さ。
嫌われてる女が全く嫌われてることに気づいていない感に近いものがある。
同じことが港区、二子玉、築地(タワマン)、豊洲辺りにも言えるが私たちはハイソサエティ、シティ派、そこにはポエムがある人たちにも言える。
被災した時に揶揄されることに全く原因が思い当たらない。寝耳にウォーター。
しかも、別にそれまでの街の歴史に敬意を払おうとか、溶け込もうとかそういう感覚が全くないくせにその街の住民の代表者ヅラをしている。
近所のかっぱ寿司が閉店する。
理由は定かではないが、おそらく売上が減ったのだろう。
ここ数年、街にはスシローや魚米が進出してきた。どちらも何度か足を運んだが、いつでも客でごった返している状態で、対してかっぱ寿司は連休中を除けば閑散としていることが少なくなかった。
俺は数年前までかっぱ寿司が大嫌いだった。詐欺同然の代替魚ばかりで、しかも鮮度も悪い。サイドメニューの品揃えやボリューム感もお粗末。
低所得者層に漬け込んで、安かろう不味かろうの寿司もどきを食わせるこの企業を最低だとも思っていた。
それを変えたのは、たった一尾の赤えびだ。
数年前、先輩に「かっぱ寿司に行こう」と誘われて、内心ものすごく嫌だったが、仕方無しについていった。
そこで先輩が何度も赤えびを注文するので、俺は「そんなに美味いんですか?」と聞いたら、先輩はこう言った。
「最近のかっぱ寿司は変わったんだよ。昔のイメージを払拭しようと頑張ってるんじゃないかな。まあ一つ食べてみろよ」
俺はかっぱ寿司の企業努力よりも先輩の味覚を少し疑ったが、言われた通り赤えびを食べて、驚いた。
美味かったのである。
言うまでもなく冷凍ものの海老を解凍して提供していることは分かるが、大振りかつ肉厚で、歯ごたえもよく、臭みもない。俺の歯と舌の上でコリコリッと身が弾け、ほのかな甲殻類の甘みが広がった。
俺は本当に驚いた。
それからしばらくして実家に帰った時、家族にその感動やかっぱ寿司の企業努力を熱く語ったが、家族は眉唾と言わんばかりに、まるで取り合ってくれなかった。
「それこそうちの近所のかっぱ寿司、あそこは初めて食べに行った時は本当にひどかった。もう二度と行きたくない」と両親は苦々しく話した。
俺と同様、やはり家族もまた以前のかっぱ寿司の劣悪なイメージが頭から離れないようだった。
そんな家族も、その後『ガイアの夜明け』のかっぱ寿司特集をテレビで見た途端、汚名をそそごうと悪戦苦闘するかっぱ寿司社員の姿を目の当たりにしたおかげか、手のひらを返すように行こうと言い出し、ついに一家そろってあの近所のかっぱ寿司に入店する日を迎えた。
家族が口々に笑顔で「かっぱ寿司、変わったね」と言うのを見て、俺はなぜか少しだけ誇らしい気持ちになったくらいだ。
家族は全員寿司が大好きで、昔から様々な寿司を食べている。今や全国に名を轟かせた有名店にも昔から通っていたし、築地や都会の回らない高級寿司屋にも何度も行っている。寿司に関しては一家言持っているその家族が、かっぱ寿司を褒めた。
そうして俺たちは一月に一回はかっぱ寿司に通うようになり、毎回様々な品を食べる内に、かっぱ寿司のいいところにいくつも気付いていった。それはたとえば、
これは今でも驚く。しっかりとダシが香る甘味の効いた茶碗蒸しは他の回転寿司屋とは比べ物にならない。地元の割烹でさえこのレベルの味を食べさせてくれるところはまずない。ただ、何故か期間限定のものより通常の茶碗蒸しに限っての話だ。
揚げ物はいつもからりと揚がり、香ばしい。トランス脂肪酸の嫌な苦味もまったくない。フライヤーのマニュアル整備や油の交換頻度に起因しているのだろう。断トツの美味さを誇った上穴子天ぷら寿司やインパクト勝負の大海老フライ握りがメニューから消えたのは本当に悔やまれる。
すべての回転寿司屋において、かっぱ寿司の麺類に勝てる店はない。俺はあまり麺類は食べなかったが、家族は貝の塩白湯ラーメンを毎回頼み、そのたび褒めていた。時々ぼんやりした味付けの混ぜそばで迷走したりもしたが、基本的には満足のいくような作りになっていた。何より時流に乗って何度も様々なコラボをして、気軽に有名店の味を楽しめるようにしたことは賞賛に値する。かっぱ寿司全体では一幻のえびラーメンが一番人気だったらしいが、俺はにぼしラーメンこそ最も美味かったと思う。
ツナを原料とした面白い風味が癖になるツナゲット、肉厚で濃厚なハンバーグ、最近だとハワイアンキャンペーンでガーリックシュリンプなど、商品開発部門の遊び心とこだわりが感じられる。唐揚げやフライドポテトなどの定番も、万人受けするように余計な個性を出さない控えめさがあって好感が持てる。ただたこ焼きは誰も食べなくていい。
はじめこそド定番のケーキやなんちゃってパフェぐらいしかラインナップは無かったものの、ある時を境にスウィーツが急速に良くなった。中でも販売終了した杏仁豆腐、フロマージュは特に忘れがたい。かっぱ寿司は大体素晴らしい商品が消えてゆく。なおプリンに関してだけは、近所の店舗がだめなのか、そういうコンセプトなのかは知らないが、まったく固まらずどろどろと液状化しているのが今でも許せない。
といったようなことだ。寿司ネタに関してはあえて自分の舌で確かめてくれと言うしかない。
ただ、世間がそんなかっぱ寿司よりもスシローや魚米やくら寿司に流れていくことは仕方ないだろうという諦めもある。何故かと言えば、かっぱ寿司は今までのイメージの悪さだけではなく、純粋にやり方がとにかく下手くそなのである。
まずは店作り。かっぱ改革が始まってからできた店はともかく、既存の店舗は妙に清潔感に欠ける。これはおそらく蛍光灯やインテリアの配色がそうさせているんだろう。
店内BGMもそうだ。お得さを無意識に感じさせる心理効果を狙ってなのか、スーパーで流れるようなJ-POPのクソクソフュージョンアレンジが常に流れていたりするところは正直毎回疲れる。
CMもひどい。「かっぱが変わる」みたいな内容の頃のCMはまだよかったが、最近は聞いているだけでイライラする歌付きの脳みそ空っぽなCMに変わって呆れた。
接客は口調だけ丁寧な典型的な感じで特に不満は無いが、もう少しホールの人たちの労働意欲が増すような環境とか制服を作った方がいい。
後は注文端末。液晶パネルが高い位置に固定されているため、注文していると異常なほど腕や肩が痛くなるのは致命的。これは親や年寄り世代には辛いだろう。
低所得者層、学生、家族層をターゲットにしているのだとしても、せっかく採算度外視で質の高いネタを提供する方向に舵を切ったのならば、もっと落ち着いた居心地のいい店舗作りをすべきだったのではないか。
しかしそれでも、週末は必ず激混みする地元のスシローや魚米に比べれば、かっぱ寿司の満足度は群を抜いている。
スシローは注文品も一緒に回ってくるシステムのせいで他のアホ客の勘違いで取られたりするし、赤えびも茶碗蒸しも、かっぱ寿司ほどの感動はない。
魚米は麺類の不味さが全企業トップクラスだ。パスタや明太釜玉うどんはもはや悪夢。えんがわが食べたくて仕方ない時にえんがわ軍艦を食べに行くお店だと思ってる。
それでも実家の近所のかっぱ寿司は閉店する。他のかっぱ寿司は車で20分近くはかかるので、家族がかっぱ寿司に通う頻度は激減するだろう。
昔はあんなに毛嫌いしていたが、生まれ変わろうと努力し始めたかっぱ寿司にすっかり惚れ込み、応援したい気持ちもあって、何度も通った。
今後はあの赤えびや茶碗蒸しがなかなか食べられないのかと思うと切ない。
過去に問題があった人間や企業に対してどこまでも冷たくなる気持ちは分からないでもない。だが、過ちを反省し、顧客の満足のために試行錯誤し奮闘努力している人間たちが確かに存在している訳だ。