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はてなキーワード: 情報化とは

2012-12-05

高度情報化社会って知ってるかい

知ってるかい?「高度情報化」の情報化ってのは、高度な情報中心の社会に「なりつつある」ってことでは無いんだぜ?これは非常によくある勘違い

そうではなく、これまでアナログだったもの情報に「変わった」ということなんだ。それが「情報化」。わかる?

そこをはき違えて、得意げに「今は高度情報"化"社会じゃなく、もはや高度情報社会突入したのだ」キリッ とでも語るのは恥ずかしいよw

しかしだ。

俺は「高度情報化next」には確かにさしかかってると思う。それは何か。

たとえば、「刺激物は身体に悪い」という大衆どもが信じ込んでいる俗説があるじゃん。わかる?

県名な諸君は何が情報社会だよ、全然正しいこと知られてないじゃんって思ったことはあるだろう?

そのとおり、その感想は正しい。そうなんだよな、誰も正しいことを言わないし、言ったとしても広まらないんだよな。

なんでもかんでもそう簡単に広まっちゃうと大資本パワーバランスが崩れて社会が破滅するんだけどねwでももうちょっと広まって欲しいよね、正しいことなんだから

そういう社会が少しずつ実現しつつあるんだ。これまではハード情報社会だったのが、ソフトも高度情報化社会になるですよ。

ハードシフトはとっくに<完了>してる。これからソフトシフトですよ。ソフトシフト未来学者も言ってたけど、2020年代には完全にそういう社会になってる。俺も同感。

今年最大の情報技術ニュースは何だったと思う?iPhone5とかiPad3はどうだっていいんだよw Apple信者だけどw

それより脳波キーボード実用化なんだよな。そう言うと一般人は「えっ」て反応するけど情報科のみんなは割と同意してくれる。この脳波キーボード2015年には急激に普及するって話だ。

これがね、ソフトシフトには欠かせないから。ツイッターが気軽さで普及したように、気軽なハードインプロットデバイス)の普及が文化大革命を起こす。

もう我々は5年周期で時台は一変したとわめき立てているが、2015年、ならびに2020年にも同じことを叫ぶようになるだろう。時代は繰り返すのだ。

2012-09-22

http://anond.hatelabo.jp/20120922132208

シビアになったって言っても、根本的な問題は「子供を産むと損をする」からであって、こんなのは歴史的に見て極めて稀なことなわけじゃん?

稀というけど、教育情報化が行き届いて余計な知恵と情緒をつけて、子孫繁栄以外のもの幸福として追い求めるようになった結果必然的にそうなったんじゃないの?

子孫繁栄こそが最大の幸福、最大の"得"であるうちは、「子供を産むと損をする」という状況はありえないわけだから

「生まれに合わせた妥協した幸せ」もキープできない

キープできないのが嫌ってのは、つまり妥協できてないんだよ。

妥協できるなら、そのキープできなくて下がった方の幸せを「生まれに合わせた妥協した幸せ」として再定義できるでしょ。

http://anond.hatelabo.jp/20120922131330

妥協できないっつっても妥協は0か1かじゃないんだよ。教育情報化によって妥協の下限が引き上げられて、妥協できなくなった。

要するに損得の判断がシビアになったってこと。

http://anond.hatelabo.jp/20120922103826

横だけど、教育が行き届いて情報化も進んだせいで、実際自分子供生活レベル妥協できない人が増えてるから少子化が進んでるんでしょ。

「生まれに合わせて下層民は下層民なりに幸せに」なんつー考えなら別に年収300万以下でも子供は複数育てられるから

2012-08-24

情報化

IT化が進んでもうみんながインターネットバリバリ使えてメールSNSコミュニケートをしているように見えるけど、実際にはそんなことは無い。

せいぜい10代、20代と、30代、40代の一部だと思う。

IT企業に勤めていても工場のラインや管理部門の人たちはオフィス系のソフトを使えるくらいだ。

50代のそれなりの管理職の人でもまれにスマホって何?状態になっているようだ。

もっと言うと、若い世代でも利用は出来ても理解できてない人も多い。

パソコンの中身は知らないけど、ネットとかメールとか出来て便利!と言う感じで、正常にシャットダウンを行わずPCが起動しなくなる人が後を絶たない。

小学校中学校でもIT教育をしているらしいが、教えている側の知識がおぼつかないらしく、イマイチなような。

(上記の文章は正確な情報に基づくものではありません、)

2012-01-22

から思っていたけど

電子書籍って必要かな?いやメディアの形式として。

折角デジタルで文字情報の詰まったフォーマットがあるのに、それを「改行」はともかく(これはPC画面でもあるから)、「改ページ」という情報の途切れを生じさせるものをわざわざ追加している特殊フォーマットに拘る必要があるのかなぁ?

 

・・・いや、申し訳ない、何で拘るかは本当は分かっている。【最終的には(あるいはなんかあった時の為に)印刷したい】人と【だって本の形式になってた方がちゃんとした情報っぽいじゃんと思う人】が結構いるからだ。

 

でもさ、生まれたときからiPadとかあって、全く印刷製本形態メディアに親しんでいない世代ってのがこれから出てくるんじゃないかと思うんだ。教科書内容は全てデジタル情報化可能だし、まぁ、将来的にもう1個か2個技術的な革新が起これば、インプットもっと自然でやりやすくなるんじゃないかと思うし。例えば50年後くらいには、「何でわざわざリンクも貼れない、改ページとかいう見難い仕様の形式に変換しなきゃいけないの?」「書籍形式だとページの端にかかる所を読む時にいちいち0.5秒くらいかかる、これは時間の損失だ」とかいう人が多くなるんじゃないかと。んでそうなったら、殆ど書籍は、例えば1部だけPDF?を国立図書館かなんかに納めて(何かあった時の為に)、いろんな動画とか画像とかにリンクを貼ったままやり取り出来るようなフォーマット現在書籍」として流通している情報代替になるんじゃないかと。

 

何が言いたいかというと、電子書籍メディア変遷の過渡期に出現した相当temporaryなフォーマットになるんじゃないか、ということ。

 

まり、「電子書籍vs書籍」って何かヘンだよね、ってこと。

自分の中では「リンク付き/改行なし情報vs書籍形態情報」の差に比べれば、「電子書籍vs書籍」の差なんて無視出来るくらいのものなので、電子書籍書籍は敵ではなく仲間なんだけどなぁ。

2011-12-23

http://anond.hatelabo.jp/20111223102532

編集者というものが減りそうだよね。

書籍に限らず情報化によって作者と読者の距離が縮まってるからさ。

凄腕の編集者けが生き残る、そんな世界になりそう。

2011-10-29

デマ」やめませんか?

みんな酷くデマって言葉ナーバスで、

デマを極悪のように取り扱っているのが非常に気持ち悪い。

と、個人的に思っているので書きます


なんでみんなデマを極悪のようにあつかっているのか?

これは、知ってます


デマ → 傷つく人が発生


これは良くない。それは僕も知ってます

じゃぁなんで傷つくのか?


デマ → 拡散 → 信じて行動する人 → 傷つく人が発生


ちょっと細かくするとこういう事だろうと思います

ここで、ちょっと考えてみたいのですが、『デマ』と呼ばれるものが、


デマ → 拡散 → 信じて行動する人】


までの広範囲の意味で使われていることが多いと思います

なので、それぞれについて考えていることを書きます


まず、『デマ』の発生源についてです

「悪意を持って嘘の情報を発信すること」

あぁ、もうこれは問答無用の極悪です死ねばいいと思います

ただ、問題なのは本気で本人がその情報を信じている場合です

例えばキリスト教徒が「神を信じる」と言うことが「嘘」かどうかという問題です

あなたにとってはそうなのでしょうと言うしかありません。

極論を言うと、全ての情報「嘘」で無いことを見抜くことはできません。

結局自分が信じるかどうかということ以外に、よりどころが無いのです

そういう意味では、そもそも世の中に正しい情報なんてありません。

正しい情報があるのは、自分の中にあるだけです

ですので、「あいつは嘘をついている!」という指摘は、

個人的に思うのは結構なのですが、ひとたび発信、情報化してしまうと、

あいつは嘘をついている!」という事自体が、他人からすると、

である可能性を否定できません。



次は、『拡散』についてです

「悪意を持って情報拡散すること」

あぁ、もうこれは問答無用の極悪です死ねばいいと思います

では、悪意がない場合どうでしょう

信じきっちゃって、よかれと思ってやってる人の場合

これは止めるすべがありません。なぜなら情報のよりどころは本人の中にしかありませんから

ただもし自分の正しい情報と違うのであれば、私はこう思うと意見してあげればいい。

他に、「良く分からいから、みんなの意見が聞きたい」「面白そう」「興味がある」

「あの人はきっと面白がってくれるんじゃないか?」と言った場合どうでしょうか?

悪意はありませんし、信じてもいません。

簡単に言うと、コミュニケーションツールとして情報を扱ってる場合です

これも、どんどんみんなでコミュニケーションしたらいいと思います

なぜなら、自分以外の人の中にある正しい情報に触れることができるからです

へぇ神様を信じてる人って結構いるんだ」と

「あれ?意外とみんな神様信じてないんだ・・・」と気付く事ができるからです

こうして自分の中にある正しい情報と、他人の中にある正しい情報を付きあわせて行くことこそが

正に、情報リテラシーじゃないでしょうか?

広く情報拡散することで、多様な正しい情報出会えると思いませんか。

意見が合わないからと、情報ブロックするなど、

情報リテラシーの欠片も無いと言わざる終えません。



最後に、『信じて行動する人』についてです

「悪意を持って行動すること」

あぁ、もうこれは問答無用の極悪ですDQNリア充は、死ねばいいと思います

では、悪意がない場合どうでしょう

信じきっちゃって、よかれと思ってやって人の場合

問題はここです

行動する前にちょっと考えよう。

行動する前に、傷つく人が居るんじゃないか考えよう。

よかれと思っても、それでどこかに傷つく人がいるんじゃないか?と考えよう。

こんな事は、リテラシーの問題というより、

人に優しくしようとか、人に迷惑をかけないでおこうとか、っていう

人として当たり前のことです

自分さえよければ、他人なんてしったこっちゃないという行動をしないということです

これが出来れば、情報を信じようが、信じまいが、

(あえて言うけど)情報が嘘だろうが本当だろうが、

傷つく人は居ないはずです


デマ拡散しない!」や、「反対情報を調べる!」とかって言うのは、どうでもいい。


あなたが正しいと思っていることが、

なぜ自分がそれを正しいと思っているか考えたことありますか?


反対情報を調べて、論文が出てきました。

新聞テレビが、反対報道している。

政府が悪質な嘘だと言っている。


それを、信じることが情報リテラシーなんでしょうか?

いや、信じないことが情報リテラシーでしょうか?

メディアを色眼鏡で見ることや、自分が信じない情報を制限することが

果たして、高い情報リテラシーでしょうか?


正しい情報って何ですか?

デマって何ですか?


何を信じるのかは自由だ、だが、他人を傷つけるのは別問題だ!

悪意ある嘘と区別しませんか?

もう、『デマ』って言うの止めませんか?

『人に優しくしよう』でよくないですか?

2011-07-29

幸せになりたい

どうして苦しいことを認められなかったのか。

私の苦痛は私の苦痛であって他人には計れないはずでした。

だけど私は自分苦痛を見ようとしませんでした。

小学生の頃、道徳の授業で少年兵についてのビデオを観ました。

「かわいそう」でした。

人の世と隔たれた様なアフリカの小さな村での、矮小な自由から別の異質な自由を手に入れた彼等は、かわいそうでした。

彼等は学校に行けません。

彼等は人を愛せません。

彼等は私たちと同じじゃありません。

からかわいそうでした。

皆大体同じことを考えたと思います

今の社会では愛や希望と同じくらいに、他人の苦痛が氾濫しています

そして情報化のおかげで感情というよくわからないものが相対化され、値札がつくようになりました。

苦痛という感情もその一つです

彼等の苦痛と私たちの苦痛は同じ所に並べられません。

違うのです

単純に、彼等の苦痛が大きくて、私たちの苦痛が小さい。

周りの人も全然疑問は湧いてないようで、私もそう考えていました。

「苦しい」と言えば、

「お前より苦しい生活している人は一杯いる。」と言われ、

死にたい」と言えば、

「お前が死にたがっている今日は、昨日死んだ奴が生きたかった明日なんだ」と言われる。

そしてそんな言葉を口にすること自体が恥ずかしく思われる様になり、中二病なんて名前が付けられる程になりました。

私は小学生の時に太っていることを理由にいじめられていました。いじめと言っても一部のクラスメイトなどに「デブ」などと言われるくらいなのでまぁ大そうなものではありませんが。はっきりとではありませんがその頃、デブスポーツも出来ない私は全く価値の無い人間なのだと考えていたのですが、小学校高学年あたりでそのいじめはなくなりました。

理由は私の兄にありました。

私の兄は、かっこよくて、スポーツが出来て、私みたいに太っていなくて、そして、とてもユーモアのある人でした。

少し我の強い人でしたが、一緒に遊んだ時はなにかと私を笑わせてくれたのでその時の兄はとても好きでした。私はかっこよくないし、スポーツも出来ないけど、人を笑わせることなら出来るんじゃないか、と考えました。

実践してみれば簡単なことでした。

道化と化した私はクラスの人気者になりました。

その時は嬉しかったのです

変顔をするだけで笑ってくれるし、デブと言われても開き直ればそれでまた皆笑ってくれる。ああ、自分価値はここにあるんだなと思っていて、将来はお笑い芸人になろう、などと考えていました。

今思えばここが間違いだった、と感じています

道化見世物です。故に私という存在は指をさされ、馬鹿にされ、笑われるべき存在です

そしてそのピエロは観客の嘲笑に包まれた喜びを糧に生きていくのです

私は見世物として存在することに慣れました。

人の好奇心は底が無く、少しタガが外れれば面白いことならなんでもいい、と考えてしまます。要するに、面白ければ私には何をしてもいい、という結論に至るのです

私はそれを苦痛だと考えませんでした。

周りの人が笑ってくれることが喜びであり、それが快感でした。

ただ、やはり好奇心というものは一か所に止まらずに色んな方向に向くもので、自分では飽き足らず、いじめや、危ないいたずらもするようになりました。

私はそれを見ているのがとても嫌いでした。

笑うべきは私の存在であり、どんな下らない罵倒でもそれを身に受けるのは私の専売特許のはずでした。私の生きがいを横取りされたような気持になりました。

しかしその時からいらぬ疑問を抱くようになりました。

他の人はいつも私がされていることを嫌がるのです

それは単純に、私は苦痛を喜びに変えただけであって、他人にとって苦痛はただの苦痛だったのですから

私は本当にうれしいのか?

中学生になり、地元学校だったので小学校ほとんどの生徒が同じ中学校入学しました。思春期ですのでこの頃から自分の体型にコンプレックスをもつようになり、友達部活の入部を勧められて、これは良い機会だと思い、サッカー部に入りました。

相変わらず私を知っている人達は私を私として扱います

そうするとやはり、私を知らない人達も私を私として扱うのです

わたしは結論しました。

自分はいじめられていると。

部活に入ったお陰で自分でも見違える程痩せることが出来ました。しかし二年生になってすぐやめてしまいました。原因はいじめもありますが、何より私はスポーツのセンスが無いようで、後輩に馬鹿にされるのがこわくてやめて、というのが一番でした。

こう書いていると私はいつも教室の隅に追いやられているような生徒に感じると思いますが、私は交友関係が広く、人気もそこそこありました。情けないことに、私こそ周りの人達と同様に私を私として存在させていたのです

何故なら、私はその私しか知らなかったかです。それに、今の私をやめてしまえば私の価値はどうなるのだろう、何か残るのだろうか、と考えていました。

中学生にもなると、いたずらなどを楽しむより、好奇心の側面としての、暴力的な行動が盛んになります。それで中学二、三年生では私はサンドバックでした。どこかで会う度に殴られるようになり、私のクラスでは暴力をけしかけるような人はいなかったので、教室の外へ出るのが恐くなりました。

勿論初めのころは抵抗していました。しかし、毎日、毎時間と続く暴力と、自分が未だに道化でいるという立場のせいで怒りを露わにすることができないという下卑た矜持と、そして何より、彼等の私に対する態度に絶望しました。

私が少しふてくされると、彼等は「ごめん」と言ってくれました。しかしすぐにまた同じことをするのです。その度に彼等は謝り、謝罪という行為の中に含まれているであろう自省や克己を蔑ろにして、5分前の誓約を堂々と捨てるのです

一度、本気で怒ったことがありました。その日は珍しく喧嘩別れになったのですが、翌日にその人物は私に少し沈鬱な面持ちで謝罪してきました。私はその言葉を信じていました。しかしその翌日には何も変わってない、彼等と私の関係が在るだけで、自分が激怒した様子を真似された時は、名状しがたい、確かな殺意と、他人に対する恐怖と、途方もない呆れがないまぜになった感情で吐きそうになりました。その時、自分は人に怒ることはやめて、諦念が纏わりつくようになりました。

ただの暴力一部の人間には大変興が乗るようですが、大半の人は一歩引くのが普通であって、いくらなんでも、やり過ぎではないのか、何故こんなことをするのかと聞くことにしました。この頃は最早彼等の前での私が思う私はただのいじめられっ子でした。

彼等いわく「お前を見ているとむかつくから」とのことでした。

なるほど私を見ていると苛立つのですかそうですか、じゃあ私はどうすればいいのだろうか、私という存在がむかつくのですかじゃあ私が消えればいいのですね。

彼等は私を少しも憎んでいないというのは知っていました。週末になれば遊んだりもするし、私を殴る以外にもコミュニケーションをとろうとするからです。一方私は殺意を持っていましたが、彼等に対する好意も持ち合わせていました。何故なら、暴力的じゃない彼等は面白くて、自分と対話してくれるからです。そして彼等は私をいじめていると考えていないのです

限界はどうしても来てしまものです。三年生頃には、家に帰って布団の中で泣くことが多くなりました。何故自分がこんな目に、自分は悪くない、やりかえそう、殺そう、という感情が渦巻くのですが、不思議なことに翌朝になると何事もなかったかの様にすっきりとしてしまうのです。一人で絶望を反芻する度に決意し、忘れる、ということを繰り返していました。同時に、私は学生生活を楽しんでいました。私でいることを楽しんでいたのです

そして学校面白い奴でいる私と家で惨めに布団にくるまって泣いている私とで、完全に乖離しました。

しかし私は希望も持っていました。自分の様子が変だと気付いた母親に尋ねられ、私は「馬鹿で嫌なやつがいる」とだけ言いました。すると母は、高校生にもなればそんなやつはいなくなる、と言ったので、私はなるほどと思い、多少の虚脱感と戦いながら勉強に励みました。高校生になれば自分は変われる、と信じながら。

勉強のお陰で、それなりの、県内で指五本のうちに入るか入らないかというレベルの高校に入学出来ました。少し離れたところにあり、何より自分日常的に殴っていた人達はその高校に全くいなかったのでとても喜びました。

人格は変えることができませんが、キャラのようなものなら簡単に変えられると思っていました。しかし私はそこでも私を私として存在させたのです

何故そんなことをするのか、私はいつまでも子供ではなく、自分の思考、行動の原因がわかるような年齢になりました。

かわいそうな自分が好きでしょうがない。

私なりの結論でした。

そしてそれは正鵠を得ていました。

教科書を破られたり、靴を捨てられたり、落書きされたり、チョークを食べさせられたり。一日そんなことが無いと、何故か残念な気持ちになるのです。そして、私が望んだ苦痛を与えられると、不快感情と同時に、安心できるのです高校生にもなって、いじめられている悲劇的な私が好きなのです。皆から同情の目線で見られている私が好きで好きでしょうがないのですしか絶望します。私は変わることができなかった。私は悪くないのに惨めなままだ、それは他人が無知蒙昧であるからだと怨み言が頭に並びます

この頃、自殺願望がありました。しかし実際は死にたくなどありませんでした。何故なら私はまた、今の私を楽しんでいたのです

高校三年生頃になると、受験シーズンとなり皆が勉強に励むのですが、私は中学生の頃の 様に大学希望を持つことが出来ませんでした。それ以前に、普段の勉強からしてやる気になりませんでした。たまにやる気になって休み時間などに勉強していても、クラスの人が辞書を投げてきたり教科書を濡らされたりして勉強になりませんでした。

全てが嫌でした。

それなのにクラス委員などに就いている自分が嫌でした。

苦痛を期待している自分が嫌でした。

惨めに耐えているだけの自分が嫌でした。

友達と楽しく会話している自分が嫌でした。

こんな恥ずかしいことで頭がいっぱいになっている自分が嫌でした。

死にたい、とか、何故生きているのか、とかは子供が持つ感情であり、十八にもなった男子が持つべ感情じゃないのです。何より私は毎日学校に通えて、屋根のある家で寝食が出来て、家族がいるので、とても恵まれた人生を送っているのです

私より不幸な人は世界中にいっぱいいるのです。私は、私の苦痛を認めることなど許しは出来ないのです

二律背反の、板挟みの状態がずっと続きました。

学校で笑います。家に帰って泣きます。猿の様に自慰します。寝ます。さっぱりして学校に行きます。この頃は寝ることと自慰行為が喜びでした。

私はそれでも狂えない。皆の前では面白いやつで、先生の前では立派なクラス委員ですおかしいはずなんです。頭が焼き切れるはずなんです

それでも私は理性的です。生きているのです

しかし生きることを望みたくないのです。私が悲劇であるためには。

生きることも、死ぬことも、選びとらずに責任を放棄したのです

結局これが私の思春期の全てでした。

大学生になりました。

冬に勉強をそこそこにして、なんとか国立大学に入り、親の前での面子を保たせました。

大学は県外で、更に海を渡ったので、実家に帰るにも一苦労なところまで来ました。と言っても別にその大学に行きたかった訳でなく、県外であり、かつ自分学力で行ける範疇大学を選んだだけでした。やりたいことも無ければ、大学生の遊びを謳歌したいわけではなく、またしても選ぶことをやめたのでこの結果になったということでした。

大学生活の一番初めの感想は、喪失感でした。

大学生にもなり、皆、落ち着いた行動をしている。それに慣れていなかったので戸惑ったのと同時に、自分の知っている自分がいないことに気付きました。

最早かわいそうな私はいないのです

かわいそうな私を求める人はいないのです

随分と薄っぺらい絶望が全身を覆います

大学では色んな人が色んなとこからます

しかし確実に私と違うところがありました。

彼等は正常でした。

彼等には目的があり、良心があり、喜びがあり、夢があるのです

彼等は目を輝かせて自分の将来を語るのです

彼等は何の疑問を持たず勉学に励むのです

思い切り殴られた時より、制服をびりびりに裂かれた時より、この目を見るのが苦痛でした。

苦痛の得ることの出来ない私は、更に酷く、目を覆いたくなるようなことをするようになりました。

自分苦痛を認めずに、自分いじめ人間に同情をし始めました。彼等を誰も止められなかったのがいけないのだ、彼等の行いは環境のせいでありもし自分が彼等ならば同じことをしていた、と。傍観して楽しんでいた人達も同様に立場が逆なら私もそうするだろう、と。

苦痛の無いことが私には苦痛なのだ、苦痛を失えば私は私でいられないのだ、と。

現在私は大学二年生になり、成人を迎えました。

使用期限の過ぎた苦痛に、記号と化してしまった過去苦痛に相変わらず縋りついています

行きたくは無かったのですが、身体が限界の様なので、最近になって心療内科に行ってみました。どうやらパニック障害のようですしかしその症状は殆どからあるもので私には馴染み深いものでした。この機会に精神科に行こうか、とも考えたのですが、この頭を治す気にはなってないのでやめておきました。

すぐに三年生になり、就活が始まります

私は毎日働いて生きていくことに魅力を感じませんが死にたくはありません。生を望み、相も変わらず自慰をして寝る生活です

結局私はいつまでも私なのです。変わることなど出来ませんし、忘れることも出来ません。意志も薄弱で、一人の大人としての責任も持てません。

しかし案外明日には希望を持って歩き出すかもしれませんし、誰かと衝撃的な出会いをして価値観が180度変わるかもしれません。

こんな人間になってしまいました。多分私は誰かに決めて貰うのを待っているのでしょう。そしてわかったような顔をして卑下をしながら斜に構えていればいいと考えるのでしょう。

私の苦痛は私だけのものです。他の不幸や苦痛と秤にかけることなど出来ないんだ!、とでも思えばよかったかもしれません。

でも結局子供ですし、そんな考えにはなかなか辿りつきませんよね。大変です人生は。

なんか最後の方で口調が変わっている気がしますし、長ったらしく冗長とした文をたっぷりと書きましたがこれもオナニー好きな私のオナニーです。不幸自慢みたいなのって気持ちいいですよね。書いたら少しすっきりしました。何も解決してませんが。

それよりとにかく幸せになりたいです。でも私の求める幸せがよくわかりません。

こんなクソッタレはもうダメですかね?

2011-07-26

また虚構と現実の区別がつかない馬鹿

http://anond.hatelabo.jp/20110724095519

「他者を情報化して消費する」感覚において、「情報化された現実自分にとって重要現実の区別がつかないこと」にかけては、主婦はそれこそ二次元好きな人ですら全く太刀打ち出来ないくらいひどい。

二次元好きな人がどういうものかよくわからないけど多分主婦の方がひどいと思ってる

どういうものかよくわかりもしないくせに二次オタは情報現実の区別がつかないとか言ってんの?

まさに「誰それに対する差別的発言など日常茶飯事」「無邪気に他人を傷つける」だな。

あのな、現実情報二次オタの場合架空)の区別が付かないわけないだろ?

その架空が好きで見てるんだから

区別がつかないのは、「オタク現実架空の区別がつかない!」とか言って誹謗中傷してる、非・二次オタの方。

自分エロ漫画現実性犯罪の区別もつけられないからって、他人『が』つけられないと思ってんじゃねー。

区別が付けられないのはお前の方。お前だけ。よく知っとけ。

2011-07-25

http://anond.hatelabo.jp/20110724095519

「他者を情報化して消費する」感覚において、「情報化された現実自分にとって重要現実の区別がつかないこと」にかけては、主婦はそれこそ二次元好きな人ですら全く太刀打ち出来ないくらいひどい。

凄まじい。怖いくらい、なんて的確な言葉表現

2011-04-22

携帯ネットもなくなりゃいいのに。

四六時中監視されてる。

ストレスがあるか知らんけど、ぶつけられたくないときだってある。

あぁ、これ情報化の問題じゃなくて人間関係の問題ですね。

2011-02-18

むきだしの自然には耐えられなくなっていく

フィクション世界が盛り上がっている。

余暇が増え、娯楽の重要性が高まっている。

でも、自然と触れ合うのは危険性も高い。たとえば登山で遭難。川遊びで流される。火遊び火事

旅行というのは、人間にとって都合の良い範囲内での行動だけをするから一見問題ないように見えるけど、自然の脅威は依然立ちはだかる。

突然の大雪電車ストップ。大雨で土砂崩れ。人身事故人間は何をするか分からないという意味自然存在)。あいにくの天気でレジャー台無しとか。

人間が作り出したきわめてリアルフィクション世界にはそのようなものは一切ない。全て人間に都合の良いものだらけだ。

観光旅行を求める人間にとって、フィクションというか娯楽の世界はまだまだ不十分なことは確か。

そもそも画面の中にしかいし触れることも出来ない。目と耳でしか楽しめない世界なのだから自然と触れ合う体験をした人にとってはまだ不十分だと感じてもしょうがない。

これからどんどん技術進歩すれば間違いなく自然と対等なリアルさと、都合の悪いことは一切起きない良心的な世界が手に入るようになる。

その時、人はむきだしの自然には耐えられない。むきだしの自然には、嫌なことがたくさんある。そこを我慢しろと自然回帰志向の老人たちは言う。だが、結局彼らも我慢などできない。

単に我慢できない人を見て俺は我慢できるぞと虚勢を張ってるに過ぎない。あるいは我慢の経験を積んでいるので多少長く我慢できるだけだ。

頭でっかちになった現代人は、何よりもまず「都合のいい世界」を求める。自然のように、何が起こるか分からない不確定な存在は不気味すぎて耐えられない。

ある程度マニュアル化してみても(ガイドブックなど)、結局不確実な要素は発生する。「何が起こるか分からないのが自然だよな」と得意げに語ってみたところで、実はうんざりしているかもしれない。

そもそも自然派な人間都市のあまりの「不確実性のなさ」には耐えられない。時間はきっちりと決められているし、少しでも遅れればもう電車には乗れない。両方をとることは出来ない。

いやそもそも、旅行に行くときガイドブックを参照する人間というのは、自然世界を制御できる人間世界と同一視している。

あそこには何があり、こんな時はこうすればいい、あんときはどうすればいい、こういったことをあらかじめ知っておきたがるのは、自然の持つ不確実さを解消したいからに他ならない。

結局彼らの求めている「都市はな自然」というのも、実はむきだしの自然はなく「捏造された自然」なのではないか

これから捏造された自然はまます人間の生活、娯楽に組み込まれていくだろう。

鳥のさえずりが聞こえる雄大な森。しかしそこには気味の悪い虫は排除されている。突然雨が降ったりはしない。夜になって道に迷うと困るので、ライトもある。

こういった捏造された自然を体験するバーチャルツアーが次世代の観光となっていくだろう。

なにせ家から出ないことが一番の節約なのだから電車に乗る、車に乗る、飛行機に乗る。全て物理的距離を移動するとき費用がかかる。かといって歩くわけにはいかない。時間がかかりすぎる。

多分、物理現実依存する物事というのは、料金を下げられる限界というのがある。もしその限界に達したとしても、人間が感じる疲労や、時間の消費といったものがついて回る。

ただ、今よりもさらに旅行が手軽になれば、自然回帰志向とその逆の都市生活志向人間とがはっきりと色分けされるようになるかもしれない。

もちろん、自然回帰といってもそれは多かれ少なかれ捏造されているのだけどね。その程度の差が問題になるだろう。

未来を題材にした小説では、なぜか未来の生活は賛美されない。それは、書き手が自然回帰志向からであり、バーチャルなもので満足する未来の人々を嫌悪しているからだ。

しかし結局脳にとって夢も現実も同じだ。どちらがよりリアルに感じられるかだけでなく、より「都合の良い」現実のほうを脳は選択するだろう。でなければ、なぜ今世紀に入ってから都市人口は増え続けているのか説明がつかない。本当に人間自然に帰るべきなら、都市人口は増えない。というか減るはずだ。

しかしもちろん自然を知るということは大事なことだ。

人間自然の模倣以外には何一つ生み出せない生き物だし、都市が抱える問題を解決するために必要なのは自然の叡智だ。

重要なのは自然情報化し自由に使えるようにすること。その時はじめて、都市自然に勝利し、バーチャル世界自然を超えることになるだろう。

それを考えるとまだまだ人間には自然由来の知が少なすぎる。完全にバーチャル自然で育つ「都市人間」が誕生するのはまだ先のことか。

2011-02-04

http://anond.hatelabo.jp/20110204181311

情報化オールスター世界ランキングがいつでも簡単に見えるようになったせいで「まともに戦っても意味ねえ」って気づく奴が増えただけだと思うんだよね。

アリアハンの周りのフィールドバラモス普通に出てくるようなもんで、ゲームバランス崩壊してるから普通の奴は参加不可能。

2011-02-02

http://anond.hatelabo.jp/20110202213202

俺は横だし別に差別してるわけじゃないんだけど。

何が言いたいかというと、情報化世界が狭くなった以上、何をやってもその分野のトップ層と比較されることが避けられなくなったわけで、

実質的にどの分野もトップを担ってるのは東大(当然ながら象徴的な意味で言ってる)だから、それ以外は機械と同レベル存在価値しかない

ということになってるんじゃないかということ。

2011-01-22

「一番」が受ける補正というチート

1 人間社会的生物である。集団の中にいることで安心や力を得る。つまり、集団は個人をエンパワメントする。

起業起業だといろいろ言う割にサラリーマンになる奴がこれほど多いのはなぜ? 人はなぜツレとつるむの? DQNはなぜ集団でウンコ座りなの? なんでヒキコモリは心を病むの? それは全部同じことで人間社会的生物からという答えに帰着する。

チンパンジーの生態を研究していたある学者「そもそも『一匹のチンパンジー』はチンパンジーはない」。「チンパンジー」のチンパンジー性は集団の中でしか見られなくて、一匹だと消えるということらしい。一匹だけ隔離したチンパンジーを観察すると、およそチンパンジーと思えないような行動しか示さないのだそうだ。

ゴリラも、群れの中で非常に複雑な社会をつくることで知られているが、人間ゴリラチンパンジーは、猿の仲間の中でも遺伝子的にきわめて近縁である人間社会もまた「驚くほど複雑」で、「そもそも『一人の人間』は人間はいえない」かもしれない。集団の中にいる人間は、ただ一人でいるときと違う「何かの力」を得ることができる。あるサイトに集う人間の数が一定量を超えると、そこに不思議な万能感が漂うこともよく知られている(増田であれ2ちゃんであれ)。

2 集団には序列が存在する(基準はいろいろあり得る)。序列を生み出す動機の一つは、1で得られるパワーである

さて、その集団の中には自然発生的に「序列」が生まれるが、これが生まれる理由は集団の生まれる理由と同じと考えるのが自然だ。つまり「集団」の中には、「集団」から得られる「力(あるいは恩恵)」を得やすいポジションとそうでないポジションがあり、そのポジションの奪い合いが「序列」という形で現れることになる、という感じ。たとえば、目に見える敵からじぶんを守ろうと思うと、「最前線」よりは「中心」にいる方が集団の恩恵が得られる。もちろん、だからといってみんなが「最前線」を避け「中心」を奪い合うと、集団は崩壊する。だから、集団を維持するために、たいていの集団は「『最前線』でがんばったものが『中心』にいけるのだ」というシステム(あるいはそういう幻想)をつくることになる。最前線犠牲だけを強いる集団は遠から崩壊する。前者は「出世システムのある会社後者はいじめの起こっている教室などだ。

3 任意の集団で「トップ」の得るパワーは「最下層」の得られるパワーとはケタ違いである。

同じような目的をもった集団は、複数存在する。従って集団にも序列が生まれる(たとえば「学校」の序列など)。上位集団Aのトップが得るパワーは、下位集団Bのトップが得るパワーより大きく、集団Aの下位が得るパワーは集団Bの下位が得るパワーより大きい。当然ながら、上位集団Aに属するために必要なコストも、下位集団Bに属するために必要なコストより大きい。

だが、下位集団Bの上位層と上位集団Aの下位層では、その関係が逆転するということも、非常に重要ポイントである。なぜそのようなことが起こるかというと、上で述べるように、上位層の得るパワーは等比的でなくケタ違いに(相乗的に)増大していくから。小さな会社の役員が得る満足感や能力や結果としての成長度合いは、大会社使い捨て層が得られる満足感、能力、成長を大きく凌駕することが多い。

「いや、そんなことはない、大会社からこそ、巨大なプロジェクトに関わったり、普通では会えない大物とのコネクションが生まれたりするのだ。『田舎学問より京の昼寝』ということわざもある。」という意見もあろう。確かにそう感じるときもあるだろうが、果たしてその「巨大プロジェクト」や「大物」から見たとき、どうなのか。「巨大プロジェクト」はその人がいなければ動かないのか? 「大物」はプロジェクト使い捨て要員の一人をいちいち覚えているのだろうか? そのような状態を優位に利用してそこから抜き出ることができる人は、単にもともとすごい能力をもっている人なのではないだろうか。京(都会)で昼寝してる人間と、田舎学問をしている人間。「田舎」にもチャンスがごろごろ転がっていて、「田舎」でも成長が期待できる、いや、情報化の結果「田舎」という概念自体が大きく変化しているのが現代という時代ではないだろうか。

孫さんとコネクトするために必要なのは大会社社員という身分よりも、たったひとつの興味深いつぶやきであったりするように。

4 結論

むしろ鶏口となるも牛後となるなかれ(小集団のトップであるのがよい、大きな集団の最下層となるよりは)」。

無理をして入った進学校でオチこぼれになるのと、無理なく入った下位校でトップクラスになってみんなにすごいすごい言われる状況と、どちらが人間の成長によい環境だろうか。集団のトップ(あるいは上位層)になることから得られるパワーは、本当にケタ違いに大きい。そのことの意味を、何度でもかみしめるべきだ。起業家起業しろしろ言うことの本当の意味はそこにある。分不相応に大きな集団の中で挫折しそうになってる人は、本当にもったいないと思う。その間違ったスケールメリットへの信仰を捨て、もう一度小さな集団の中に帰れば、あなたはまだまだ驚くほどの可能性があり、それを後押しする環境あなたを評価する人々がいて、輝ける賞賛に満ちた人生があるのに。

http://anond.hatelabo.jp/20110121111630

2011-01-08

過去の失敗やそれへの分析を見たときに、「なぜ昔の人間は誤認に基づいて動いたんだろう」なんて考えるけど、恐らくその時々の人は、比較の対象が極端に少ないんだろうなと思う。

僕や多くの人が知ったぶった口調で社会とやらを分析してみせるのは、それに足るだけの調べ上げた内容に当たることができたからであって、情報化だったり学問そのものの進展だったりの恩恵をちょびっと受けているからに過ぎない。

から多分、今老害と呼ばれる過去若者と、今の若者人間の程度は変わっていない。(何を以って人間の程度とするかはさておき)

その前提を無視して勝ち誇り、批難するのは、強者が弱者を虐げるのに似てる。

明日老害はきっと僕なんだなという自戒した話。

2010-10-11

生物多様性を重視するなら、すべてを情報化すればいいのに

遺伝子組み換えのほうが人類にとって有用。

ていうか、人間って長い時間をかけて品種改良とかしてきたわけでしょ。それって遺伝子組み換えと同じだと思うんだが。野生のものが減って改良されたものが増えてるじゃん。

それなのに今更遺伝子組み換えは悪だ、って・・ねぇ。まあ、健康面とかでの不安根底にあったのかもしれないけど、そんなもんいずれ解決されていくでしょ。

スーパーでみる「遺伝子組み換え使ってないから良い商品です(キリッ」って感じのうざーい商品もいい加減にしろって言いたくなる。日本後進国だな相変わらず。

じゃんじゃん改造しようぜ。でも、元々の品種はちゃんと保存・情報化してほしい。その情報が失われないためにもたくさんの金をかけて財団を作って・・ね。それさえすればいいと思うんだ。

これから人間が増え続ければ地球上のあらゆる土地人間に蹂躙されることになるだろうし、人間がいるだけで環境破壊なんだから、無駄努力はやめたほうがいい。

それよりも、過去存在していた生き物たちを後世にデータとして残すという努力のほうが必要だろう。いずれコンピュータ上で再現したりするために。そのための情報収集を重点的にやればいい。

2010-08-16

10年後の学校やばい

TwitterのTL上では、@masasonさんなどが、教科書電子化について議論していますが、もうひとつ見落とせないもの。

それは、10年後の学校にいる教員の年齢構成です。

S県のとあるブロックにおける、年齢構成をみると、50代以上の教員が全体の40パーセントを占めています。(おそらく全県でも同じだとは思います)

逆に言うと、10年後の学校は、経験が10年以下の若造が40パーセントを超えると言うことです。

経験豊かな教員がどんどん減り、実践もまだ浅く、まだまだ一人前とは言えないかも知れない教員がどんどん増えてきます。

おそらく教員不祥事の件数もうなぎ登りになるでしょう。若い人しかいなくなるんですから。

ちょっと怖いです。校長教頭以外の教員保護者よりも年下ということもあり得るかも知れません。

しかしながら、次のようなメリットも考えられます。

・柔軟な考え(というかまだ自分スタイル確立してない)を持っているので、情報化などの波を起こすなら今。

@masasonさんが提唱する、教科書電子化について、今の現場に持ち込むのは絶対に無理です。

自分スタイル確立した教員は、そのスタイルを変えることを嫌います。

教員の職務は経験勝負である部分が多いので、わざわざ経験値をゼロにすることはしません。

やるなら文科省が「紙は禁止ね。これから全部iPadにするから。」とか言わない限り無理です。

教科書だけの問題で、教科書電子化を考えると絶対に失敗します。

今話題の電子黒板、あれ、若い人たちとか、ICTに明るい人は使いますよ。それこそガンガン

逆に、定年間近な方はほとんど使いません。ビデオ見るときに使うとか、大きいテレビ代わりとしてしか使いません。

しかしながら、若い人たちの間では、電子黒板を用いた授業スタイル確立させようとしている人もいるでしょう。

私立の学校では、前と側面、計3面にスクリーンを展開して授業を行うクラスだってあります。

そして、今の小学生にとっては、教科書よりもプロジェクタで大きく映し出された情報の方が好きです。

電子黒板に教科書を実物投影機で映した方が、教科書を広げさせるよりも子どもたちの食いつきは良いです。

しかし、電子教科書が有効なら、とっくに塾で採用されているはずなんですよね。

あそこって、無駄を思いっきり省いて、勉強だけする場じゃないですか。

確かに、通信教育では採用されていますが、主流にならない。

そこになんらかの理由があるのではないでしょうか。

そこら辺を解明していかないと、何でも図鑑データ版としての電子教科書以外の価値が見いだされないのではないでしょうか。

戻します。

10年後の学校はいろんな意味やばいです。

教員は若いやつしかいません。

なんかいろいろデジタル化してるかも知れません。(とりあえずiPadDSでたとえます)

子どもたちも、紙なんか見ません。紙を使うのは図工で印刷するときだけかも知れません。

学校からの配布物は全部メールです。

連絡網なんてありません。一括送信です。

iPadは母艦として学校に置き、DSみたいな小型のものを子どもたちが持ち歩くことになるとしましょう。

宿題DS先生無線で配布して、家のパソコンに展開して行い、自動で丸付けと提出状況がチェックされます。

もちろん親はケータイで提出状況をチェック、家での指導に役立てます。

漢字練習は努力しないとだめなのでノートを未だに使っているかも。

辞書なんか全部iPadDSの中です。

そんな教育現場になっているかもしれません。

いったい学校では何を学ぶのでしょうか。

効率化を進めた先にある教育本質とはなんでしょうか。

10年後の若造が抱える課題は、結構重たいのかも知れません。

2010-03-19

合理的行動として期待された残飯食い

6割の女性は3割のイケメンの間で巡回し、

あぶれた7割の男性の間で残り4割の女性イケメンのおこぼれを奪い合う、

現代はそんな哀しい状況なのだ。

結論が惜しいと言うか、20年前の認識だな。

そこで大多数の非イケメン男性が残飯食いをしなくなったから

プライドとか、食わなくても死にやしないと気付いたとか)

恋愛教の威信が地に落ちて今あわててる人が一杯いる。

情報化は宮台が指摘するとおり恋愛の流動化と繁栄をもたらしたけど

すぐ次に来る破局局面も胎生させていたんだよ。

http://anond.hatelabo.jp/20100319113400

2010-01-17

欺瞞と実態

【IT】深刻な情報処理技術者の不足、社会基盤を支える人材の育成を急げ--東洋経済 [01/14]

http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/bizplus/1263458599/

1 名前ライトスタッフ◎φ ★[] 投稿日:2010/01/14(木) 17:43:19 ID:???

賛否両論の渦巻いた事業仕分けの中でもとりわけ注目を集めたのが次世代スーパー

コンピュータだろう。学界、産業界からの強い反発を受けて、鳩山首相から

「凍結見直し」が示唆されたが、現政権国家戦略・百年の計のなさをはしなくも

露呈する結果となった。

民主党マニフェストにも「科学技術の育成」はうたわれている。しかしターゲット

不明なうえ、育成のために何をすべきかすらもまったく見えない。政策の骨格が見えず、

予算削減という目先の目的一つで政策自体がぐらつく。この政権に対する産業界

不信は根深い。

開発が中断し、ロードマップが途切れると、その遅れは二度と取り戻せない。単にその

期間分の遅れにとどまらない。産官学の共同研究は、いったん解体されると二度と同じ

メンバーを集められない。

さらに、スーパーコンピュータ開発の遅れは、他分野の研究にも多大な影響を及ぼす。

医療宇宙、気象など、さまざまな分野での解析・シミュレーションに不可欠な

インフラだからだ。インフラ脆弱では、世界のトップをうんぬんする以前の話で、

国際競争の中で生き残ることすら難しい。

資源の乏しいわが国にとって、唯一の資源人材であり、中でも「ものづくり」を

中核とした科学技術の力は、最も期待の大きい分野といっても過言ではない。しかし

科学技術開発のタイムスパンは長い。ハイビジョンテレビという民生技術でさえ、

技術方式が考案されてから一般に普及するまで30年の歳月を要した。量子コンピュータ

開発ロードマップも30年計画だ。長期にわたる技術開発だけに、現在科学者技術者

だけで終わる話ではない。研究開発の継続性を念頭に置いた、教育による人材の育成も

また、計画の中に織り込まれねばならない重要な要素だ。国家単位での長期的視点からの

下支えがなければ、企業努力だけではどうにもならない。

人材確保に苦しむ情報産業

国の財政支援によって育成すべきは、スーパーコンピュータのような最先端技術だけ

ではない。表面的には見えにくいが、今や情報産業経済社会インフラというべき

重要な存在だ。資金、生産・販売、コスト、労務人事、決済に至る企業活動のすべてが

情報化され管理されている。鉄道、航空など輸送の運行制御、高速道路ETCシステム

銀行オンラインシステムお財布携帯など電子マネー自動車家電製品電子シス

テムなど機器組み込みソフトに至るまで、情報産業バックグラウンドなしに経済

社会も生活も成立しえない。

IT産業のうちシステムソフトウェア開発等サービス関連の市場規模は5兆円(IDC調べ)。

自動車産業の十分の一にすぎないが、重要性において他産業に決して劣るものではない。

にもかかわらず、人材の確保が非常に厳しい環境にある。

情報処理技術者試験を管轄している独法情報処理推進機構IPA)の集計によれば、

情報大学出身者の半数以上が情報産業以外に職を求めている。卒業生数自体、年間

わずか2万1000人にすぎないのに、である。一方で情報学生新卒求人情報産業

一般企業を合わせると、毎年7000人の供給不足だ。

※続く

ソース 週刊東洋経済

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20100114-00000000-toyo-bus_all

686 名前名刺は切らしておりまして[sage] 投稿日:2010/01/17(日) 01:25:53 ID:rK1wYYKs

ピンポンパンポ~ン 定期的にお知らせします。

>>1-2の記事の「人材不足」とは「新卒不足」のことです。

新卒でなければ人材にあらず(>>143)だそうです。

143 名前名刺は切らしておりまして[sage] 投稿日:2010/01/14(木) 20:42:03 ID:J4ojKbk3

だからさぁ、不足してるのは人材じゃなくて新卒の間違い。これがFA


320 名前名無しさん@毎日が日曜日[] 投稿日:2009/11/17(火) 14:23:09 ID:XvIqWccI

既卒という言葉がある。

既卒とは、就職内定がないまま大学卒業してもらったことを

一般的に人事部ではそう呼ぶ。

(中略)

はっきり言ってしまえば、殆どの企業で「既卒者は門前払い」となる。

それは、本人の学歴がどんなに素晴らしくても変わらない。

「計50社ぐらいは送りましたね。履歴書と送料で3万円は払ったかな」

近藤君は28歳のフリーターだ。現在は都内で進学塾講師バイトをしながら暮らしている。

月収は15万円ほど。家賃が6万だから、けして楽な暮らしではない。

実は、彼は東京大学法学部卒業という学歴を持っている。

(中略)

ネット企業就職説明会でエントリーしても、その後なかなか呼び出されないんです。

 でも、ネットで調べてみると同じ時にエントリーした人は内定を貰っている。

 10社以上回ってみてからですね、ようやく変だな、と思ったのは」

私自身、人事部に配属されて最初にやった仕事は、新卒応募者の中に紛れ込んでいる

既卒者の履歴書をチェックして引っ張り出すことだ。

取り除けた履歴書は、オフィスの隅の箱に入れられたまま、二度と人の目にすることは無かった。



・出典

若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本未来城繁幸

これは記事の文脈を読めば気付くはずですが、皆さんはボケレスされていることと思います。

奴隷が不足してるってことだろ?というのも違います。

下っ端の奴隷はむしろ余ってるので言及する必要すらないだけです。

本当に高度な技術者はITに限らず育成で何とかなるものではないので、やはり言及なしでしょう。

足りないのは新卒です。奴隷たっぷりいます。

新卒が不足すると困る理由は、大手IT企業年功序列を維持できないからです。

そして肝心の、新卒不足の理由は>>116、キャリア・パスに全く希望・魅力が無いということです。

ちなみに実質人材余りの理由は>>294の後半。これが奴隷化への意図的な布石意図まであったとしたら悪魔戦略でしょう。

116 名前名刺は切らしておりまして[sage] 投稿日:2010/01/14(木) 19:20:32 ID:J4ojKbk3

262 名前名無しさん@十周年[] 投稿日:2009/12/17(木) 01:34:58 ID:Lf+iFfjd0

IT系の会社は、社員がある程度歳を取ったら 『自発的に』 辞めてくれるような環境を作る。

みんな 『愛想を尽かせて』 辞めたり、『仕事苦痛になって』 辞めたりするんだけど、これ実は会社の意向なのよね。

この手の会社は平均年齢を若く保たないと駄目だから。

IT系は若い頃は他の業種より多少収入がいいんだけど、 これ実は未来自分の財布から(不効率な方法で)現金をくすねているだけに過ぎない。

新卒100人が独立系の上場IT企業に入ったとしよう。



     会社に残る 中小ITに転職 零細ITに転職 異業種に転向 独立開業 無職

35歳     40人       20人       10人        20人     5人  5人

40歳     20人        15人       20人       30人     5人  10人

45歳     15人        10人       15人       40人     10人 15人

50歳     10人       5人       10人          65人     10人 10人

定年        5人       0人       0人        75人    10人 10人

IT業界20年の俺が見た所、人数の推移はこんな感じ。

加えて言うなら、定年まで会社に残れる5人の中に、経営者親族が3人くらいは入っているw

独立して最終的に食えるのは、業界の1割ほどに過ぎない。

残りはほとんど未経験の異業種で恐ろしく低賃金で働かざるを得ない人生負け組として人生を終える事になる。

若い頃のプログラミング楽しいものだが、それを仕事にしてしまうと、かなりの高確率負け組が確定する。

この業界に入るなら、能力が上位1割(独立開業できるライン)に入る自信がなければ止めといた方がいい。


270 名前名無しさん@十周年[] 投稿日:2009/12/17(木) 01:43:12 ID:ZfD4e96GO

262の言う通りだべ。何か読んだが、ITは30までに管理職になれないと辞めさせられる環境らしいしな。


342 名前名無しさん@十周年[sage] 投稿日:2009/12/17(木) 03:37:05 ID:miR7gPpU0

本当はアメリカと比べたくないけど、アメリカの場合は職種が専門家されていて、デベロッパー(あえてプログラマと書かない)だったらデベロッパーとして、ITプロとしてだったらITプロとして食べていけるけ。

日本の場合は、管理職にならないと給料が上がらない仕組みだから、ある程度の年齢になると、希望する/しないに関わらず管理職にならざるを得ない。(それが嫌なら独立するか)

これが日本にIT職が根付かない理由だと、個人的には思っているんだけど。


↑↑↑

だれがせっかくの新卒カード切ってこんな業界に就きたいと思うのかw

294 名前名刺は切らしておりまして[sage] 投稿日:2010/01/15(金) 04:39:15 ID:5gPqY2Sw

>>160,167,226

人材不足じゃなくて新卒不足w

新卒でなければ人材にあらず、だってさw

>>172,206,228

その通りなんだろうが、記事の文脈では人材不足じゃなくて新卒不足を言ってますw

新卒を湯水のように使い捨てたいらしいですw

>>242

ピンって1割って意味だったらしいよw

1割ならすっごくすっごく良心

この国をダメにしたのは>>273

さらに日本のIT業界ダメにしたのは>>116と↓

165 名前名無しさん@毎日が日曜日[sage] 投稿日:2009/10/26(月) 20:13:06 ID:/5Ruvz1N

ほんの少し前まで未経験30男を採用する企業が実際にあったのよ

ブラック限定だったけど

で、その頃の情報ネットに飛び交ってるし、職安馬鹿職員共の頭にもこびりついてて、

こいつらは職安でその当時の情報を吹き込まれてるわけ・・でそれを鵜呑みにしちゃってるの

何故ITは一時的に極度の人手不足になったのか?

それは急激にIT化が進んだ為であり、あくまで一時的に人が大量に必要になった為。

今はIT化の波が一段落して逆に人余りの状況になっている。

そして、その人余りの状況に、この大不況がぶつかってしまった。

だから仮に何年先かわからないが、景気がよくなっても、残念ならITの需要はかつてのようには増えることはない。

そして人余りの状況に変わりはない。当然、30代の未経験者が仕事にありつけることはない。

ITなら就職できるというのは、情報として古すぎる。

457 名前:非決定性名無しさん[sage] 投稿日:2009/10/27(火) 00:40:22

顧客にものすごく工数がかかると錯覚させるのが元請けの戦略なんだよ

100人規模のプロジェクトで本当に必要な人材は上位20人のみ

他80人はいてもいなくても関係ない人材だからね

これで1人月100~200万×100人を顧客に請求していたわけ

その他80人に対して50~100万×80人を払えば差分は丸儲けの仕組みだったんだよ

このその他80人を埋めるための人材を提供していたのがIT人売りと言われる企業

スキルあろうがなかろうがどっちでもいいから未経験でも受け入れてもらえてたんだよ

466 名前:非決定性名無しさん[] 投稿日:2009/10/27(火) 07:56:43

多重下請構造の生み出した、無駄無駄のヒダの間で生きていたのが、人売り会社フリー

業界スリム化して、入り込む隙間が小さくなれば、そりゃ生き残れる奴は少なくなる

でもこれが本来の姿

二度と戻る事はない



奴隷から抜け出せない現象は、手配師やタコ部屋、“型にはめる”などのヤクザの手法が応用されているかもしれませんね。

一見カオスですが、不完全情報ゲーム下での均衡状態の一つなような気がしますが如何でしょうか。

IT業界に限らない日本低迷の理由は、硬直した年功序列新卒至上主義+ピーターの法則、一段階正義パターナリズム、そして>>273ではないでしょうか。

273 名前名刺は切らしておりまして[sage] 投稿日:2010/01/15(金) 03:36:03 ID:PYTcTri7

日本下士官は優秀だ。

 下級将校は熱狂的に戦う。

  しかし、将軍は無能である。

 特に金モールを吊った高級将校は低能としか いいようがない。」

    ゲオルギー・ジューコフ



以上、詳細は引用先をご参照ください。 ピンポンパンポ~ン。

2010-01-15

民主党憲法提言中間報告」のポイント民主党 web-site)

ttp://www.dpj.or.jp/news/?num=602

(1)グローバリゼーション情報化に伴う新しい変化や価値に応えるために。

国家主権の移譲や主権の共有へ

2009-12-07

実名推進者勝間の馬鹿さ加減

情報化の進展とともに、いやがどうでもこれからますます世界が狭く均質化していくのは、確実な世の中です。

それをいっそう推進しようとする実名推進者{勝間}のあほさ加減に呆れます。

すべて、実名になったら日本みたいな同調圧力の強い世界は少しでも外れたものは陰湿に(ネットに見えない所で)抹殺されていく事は想像に難くない。

一般人が、一番自己主張する選挙匿名になっている理由を少しは考えて主張してほしい。(田舎選挙はそれでもかなり実名状態になっているけれどもね)

実名は、したい人がする現状が一番良いと思う。またweb上で討論するにしても固定したハンドルサイトが有ればそれで十分ではないか。(例finalvent日記)

匿名万歳

犯罪は別よ

2009-08-18

http://anond.hatelabo.jp/20090818121229

そりゃそうでしょ。

グランドデザインなんて、広く共有されなきゃいけないんだから、可能な限り単純じゃなきゃいけない。

状況の変化に柔軟に対応できる汎用性があって、かつ物事の本質は押さえたものじゃなきゃいけない。

さっきのGoogleグランドデザインだって、『世界情報化する。情報は整理されなければならない』だけでしょ。

シンプル。でも本質を押さえていたわけだ。それを10年以上前にうちたてられるってのがやっぱ凄い。

現時点で「10年後の社会はどういう形になっているべきか」を適格に見抜くようじゃなきゃダメってこと。

もちろん不確実性を伴う問題だから、似たような見識を持って打ち立てられたビジョンのうち9割くらいは外れるんだろうけどさ。

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