はてなキーワード: 情報化とは
某京都の大学やら最近は頻繁に大学で性的不祥事が続いているが、この話は以前にも某大学関係者から聞いていて、昨日またもや別の大学の関係者から、全く別ルートにて聞き、マスコミはおろか、ネットでも殆ど語られていない、事態の深刻さ&闇のお話・・・
以前聞いていたのは国立系大学。昨日聞いたのは旧帝大系大学。共に内容は同じだったので、ほぼ間違いないと思う。
あ、話し始める前に、某京都の大学の件は被害者を非難するつもりは毛頭無く、また加害者を擁護するものでもない。しかし一般的に大学において性的加害者やまた大学関係者の認識が甘いその当たらずとも遠からずな事情について書くよ。
前提として大学セクターって閉鎖的なとこあるけど、それについては当たり前だとして話を進める。
[参照記事⇒留学生受入れの概況http://www.jasso.go.jp/statistics/intl_student/data05.html]
それに伴って多くの以前から考えると質の悪い学生も増えてるそうな。
で、晴れて日本の大学に入ってくる訳だが、彼等は入った後に研究テーマにおいて話し合い、意気込みだけは揚々と語るらしい。しかし日は過ぎてもデータは一向に増えない。データが無いから分析もできない。もちろん学位取得の道は遠のくばかり。そして留学期限の3年が迫ってくる・・・
で、上記の留学生(ここではあえて女子留学生と限定する)等はどうすると思う?
そう。ご想像の通り、学位取得の為に股を開いて学位授与のキーマンとなる担当日本人教官と一夜を共にするわけさ。
で、彼女等は何食わぬ顔をして翌日も学校に来て、そして学位を取り大学を出て行く・・・ってわけ。
これらは殆ど表に出ることも無く、当事者間だけの秘密で闇に葬られる。合意といえども犯罪だ(不正取得及び幇助という点でね)。
一番情けないのは日本人♂教官だが、直情的に「けしからん!」と言う前に考えて欲しい。特に男の場合、女性が向こうから誘ってきたら断固として断ることができるか?100%断る事が可能か?俺はそれがたとえ外国人であっても100%の自信は無いね。いくらかは迷うと思う。そこに彼女等はつけいる訳さ。国内で一個人にハニートラップしてやられてるわけ。
女子留学生等のしたたかさにゃ恐れ入るよ。
で、そんな子達がいる大学とやらは、そもそも閉鎖的なアカデミズムとやらの中で育ってる♂教官等の中に勘違いして日本人もそうだと思い込む輩が出てこないとは言えないよな。
昔から結構な数の不祥事があってたらしい。昔は被害者も泣き寝入りしてたのだけれども今は声をあげると一気に情報化されて流れるから、騒がれてるだけ。でも実態の数(ハニートラップも含めた数)は変わってないっていう事実。だから大学関係者も「ああ、マスコミ台風が来たよ」ってな感覚らしい。
それこそ管理強化をして加害者側が「日本人♀には近づくまい。女子留学♀にしとこ」なんてなったら基も子もないだろ?愛国者じゃあるけど差別主義者じゃないんで、あえて国名は入れてないが・・・想像してくれ。あ、もちろんそんな不貞な事しない国の女子留学生がたくさんいるって事はわかってるよ。
(※話し変わるけど。へぇ・・・日本ってこんな事もやってるんだ。http://strategy.co.jp/modules/bulletin/article.php?storyid=797)
話を元に戻す。
・留学生は優遇
(・出産もタダ)
だれがこんな政策を後押ししてんだ!って話。
後押ししてるのはどうせ理想主義的な開放主義者+男女参画社会推進論者+文部官僚の連中なんだろうけど。
そもそもこの三者って所属してる個々人の考え方が結構似てないか?
・方法1:留学生の受け入れ枠を減らす
・方法2:閉鎖的な教育界に外部からの血をたっぷりと流し込む(産業界から教官をレンタルする?)
ただねぇ・・・いづれの方法も結局は上に書いた人たちにとって都合の悪い結果になる。
・方法1:⇒日本人の入学者数減少⇒文科省予算削減⇒文科省官僚衰退+開放主義者涙目
・方法3:⇒ジェンダー推進者反発⇒教育現場混乱⇒文科省官僚面倒+男女参画社会推進論者本末転倒
要するに今の状況って、構造的問題が大きく横たわってるのにそれを無視して
「けしからん!けしからん!」って言ってたって短視眼的でなんら変わらんよ。って話。。。
一部かもしれないが、上記の様な表に出てこない現実が、今大学で現に起こっている事だけは知っておいた方がイイ。
※注1)
ある意味では「日本の女性も国際競争させられてる」って視点にもなるのかもしれんが・・・
※注2)
20年以上昔のこどものときに好きだったアニメをいつでも簡単に見られる。
著作権権利者の人たちがどう思っているかは知らないけど
ただのユーザである私はそれが本当にすばらしいことって思ってた。
最近はこども時代に好きだったアニメを見るとなんか懐かしいというより切ない。
なんでかはわからないけど切なくて泣きそうになる。
続けてみれば見るほどに切なくなって
じゃあ見なければいいんだけど見ちゃう。
切ないのは毎日ムジャキに過ごすだけで許されたこども時代を思い出しちゃうからかな。
今にそんなに不満はないつもりなんだけど。
今と思い出の間の時間が伸びる程に悲しくなる。
あと5年ぐらいすると直視できなくなるのかもとか思う。
はいからさんが通るの紅緒さんよりもめぞん一刻の響子さんよりも年上になっちゃった。
そのうちスプーンおばさんも年下になる。生きていられればだけど。
増田でここまでうならされる返事を貰ったのは初めてだ。感動した。
思うに『無知は罪か?』という問題とともに、『現代人は無知であることを許される程度に無名であり得るか?』という問題がそこにあると思う。現代社会が『無知な人間』に厳しいのは、一種のノーブレス・オブリージ(高貴なるものの責任)のようなもんだ。
高度に組織化され情報化された社会の下では、我々は誰もが、ほんの100年前には誰も手にしていなかったような巨大な影響力(権力と言い換えても良い)を他者・社会全体に対して持つことが可能だ。何気なく日記に書いた一言が、数日のうちに100万人に読まれることもある。かつて地上のどんな王にもそれほどの権力は無かったんじゃなかろうか? ちょっとアルバイトした金で海外旅行に出かけることもできれば、そこで貰ってきた病気で数万人に壊滅的な打撃を与えることも可能だ。かつてどんな豪傑にもそれほどの力は望み得なかったんじゃないだろうか?ちょっとした悪口・キャッチフレーズを流行らせて時の政権を崩壊させることもできれば、数兆円を稼ぐ企業を倒産させ世界経済に影響を与えることもできる。そんな巨大な権力がかつてこの地上にあっただろうか?
……で、我々にはその「権力」に見合った「責任」観念があるのだろうか?誰か育てているのか?
こんな社会で「無知」であることは、既にそれだけで人類に対する犯罪(その予備軍)であることを免れ得ない、という漠然とした予感が人々に共有されているのだろう。人々の物の考え方とかでなく、高度にネットワーク化された社会システムというものが、薄気味の悪さの正体なのかもしれない。…と結論づければ、まあそんなことこれまでにも百万人ぐらい言ってそう、という話になってしまったよ。困ったね。
筋肉とは特別なものではない
計画的にこなすこと、継続的にこなすことができればいいのだ
あとはほんの少しのM心さえあれば
マッチョハックの大敵は
この二点にある
情報化されたこの時代、一回の作業でこれら二点を解消することができる
今回はそれを紹介する
この3つを組み合わせるとあなたもマッチョハックができる
igoogleだとRSSや天気予報など他のサービスも目に入るのでお勧め
http://www.rememberthemilk.com/
使い方は簡単なので省きます
サイトはどこでもいいのだが
調べるのが面倒であればここでいいと思う
http://www.cudan.ws/kinyo/keikaku/index.html
タスクの追加でこのように設定しよう
これだけで、今日はどのメニューをこなせばいいのか
RTMの方で教えてくれる、簡単だろ?
できればigoogleやfacebookなんかのアカウントを取り
RTMのガジェットを入れて、そのページをホームページにしてほしい
すると、否が応無しに必要なメニューが目に入る
そして暇だなと思ったら即実行
「・・・ヘブン状態!」
これさえ感じれば、継続していけるはずだ
日に20~30分あればできる程度の内容だ
世の中のマゾなガリ男はぜひ試してみてほしい
ガチムチになることを楽しもう!
http://anond.hatelabo.jp/20090123014440
これについて3ヶ月くらい前に書いた(はてな外で)ことがあるんですが、丸ごと転載してみます。
立場的には元増田とは違って作者&編集者(出版社)側に対する視点でのものですが。
スーパーダッシュ文庫から出ているそうだが、なんとも面白いこと(あーやっちまった的な意味で)をしているようだ。
簡単に言うと、ネットに実在する有名サイトの名前などを作品中に登場させているとのこと。
ここまで書けば、あとはタイトルと合わせてなんとなく想像がついただろうが、ライトノベルを扱うBlogやニュース系サイトで話題になった。
当然ながらそれだけで広告効果というのはかなりのものが見込めると思う。
登場している有名サイトというのもニュース系サイトであるあたり、狙っていた部分もありそうだ。
(アキバBlog、かーずSP、カトゆー家断絶、と言えば割とネット歴が長かったりオタクといった属性持ちであれば知っている人は多いだろう)
もしかしたらリアリティを出す(作品に読者を移入させやすくする)ため、というのが元の狙いの一つだったのかもしれない。
しかし、とあるサイトで紹介されていた本編中の一節を見るとやはり頭を捻らざるをえない。(実際に私は読んでいないので、紹介されている一部だけを見て判断するなというお叱りを受けそうではあるが)
例えば、同人誌を作ってコミケデビューして有名になるとか、気の利いたMADを作ってニコ動に投稿して世界を狙うとか。この情報化時代、何が幸いするか判らない。たまたま漫画好きだったことに端を発して日本の宰相に上り詰める人だっているのだ。
確かに読者層の大きなオトモダチの比率は上がっているだろう。
ライトノベルを嗜好の一つに持つ人間にネット環境を持たない人間は少なそうだというのも分かる。
だとしても、結局のところこの作品中で登場させた「サイト名」「MADといった用語」「ニコ動というサービス名」「現総理を取り巻くネット上の反応」は一部方面での認知でしかないというのを作者には(編集者には)分からなかったのだろうか。
自分のすぐそばまでの視界でしかない現実世界のアイテムを登場させてリアリティを演出しようとする手法は諸刃どころか、読者おいてけぼりになりやすいんだけども。
確かに創作活動であるのと同時に商行為なわけだから「売れればいい(売れなければいけない)」とはいえ、さすがにこれはない。
内容はもはや典型とされるようなお決まりのパターンであるようだ。
だからといってこういった形で注目されるものを埋め込むと、自分の作品そのものではなく、その埋め込んだもの一点にしか話題がいかずに終わってしまいかねない。
確かにまずは手にとってもらわなければ読んでもらう(売れる)ことにも、続刊が出ることにも繋がらないだろう。
続刊さえ出てある程度続き、シリーズとして確立してしまえばメディアミックスという次の段階に移る事ができる。
そうすればそれが更に宣伝となって原作の売り上げに繋がる、というパターンにする布石としては「もしかしたら」いいのかもしれない。
しかし、上記のようなことが予想される上に、実際そのとおりになっているらしい状況を見るに、結果的に手にとって貰える率というのはそれほど高くもなくなってしまっているのではないだろうか。
こんな紹介のされかたするくらいだもの。
ちなみに肝心の本の内容はというと、大河とルイズを足して2で割ったような女の子と、お嬢さま属性が追加されたハルヒが主人公を巡って火花を散らし、そこに猫属性を付加された綾波が絡むという話です(ぉぃ
いや、そんな間違ったことは言ってないはず。
アキバBlog、また実名でラノベに登場! そして「あの」サイトも――「迷い猫オーバーラン!」(HarfMoonDiary)
これで「ラノベにウチのサイトが登場したぜいえー!」とか喜んで紹介するようなことが暫く続いた場合、同じ真似をする作品が出てきそうだ。
正確にはそれを狙って指示を出す編集者が、だろうか。
ネットで話題になれば売り上げに結びつきやすい。
それはハルヒが十分すぎるほどに示して見せた。
むしろ当たり屋に近い。
元増田内のリンク先も読みましたが、ただの内輪ネタというのは非常に危険です。
「私小説」ではないわけですから「商品の私物化」は非常に拙い。
恐らくは担当がある程度のところでブレーキをかけるとは思いますが。
遊び心は大いに結構、でも、手段が目的にならないようにしてくれよ、といったところ。
竹島/独島問題でルールを「逸脱」するようなことになってたのは、過去の日韓両政府の方針であって、それは「あえて白黒つけないことによる均衡」を目指した戦略だった。
だが、残念ながら情報化が進んだ社会では、「白黒つけない」という状態を維持する知恵が失われてしまった。
賢(さか)しい小人の「知識」は、賢(かしこ)い大人の「知恵」を台無しにする。
そして残念ながら後戻りはできそうにもない。
個人的には、「現時点においてあえて『賢(さか)しい』ことを選択しない大多数の国民」はやはり大したものだと思っている。ときどきマスコミに欺されたりするにしても。
嘘にしても本当にしても、社会的に非難されて心証を悪くしてるのになんでチベットを離さないって。
やっぱりインドなのか。土地としてでかいのもあるだろうけど。
緩衝地帯としての発想自体は間違いじゃないけど、やっぱり方法がわるいかなぁ。大日本帝国よりも酷いからなぁ。
やっぱり、有る程度の軍役やら増税やらなんやらにして衛星国家か自治扱いの方が、よっぽど良いと思うんだけど。
中国の真意はどこら辺にあるんだろう。
個人的には、たぶん
(1)自治を認めると、そのうちインドにスリスリ…しはじめて、うまいことコウモリされるのが鬱陶しい。
(2)一回少数民族自治を認め始めると、他の少数民族問題も噴出して13億の他民族国家は維持不可能。
(3)とりあえず情報化時代をなめてる。情報はコントロール可能だと誤認してる。対炎上スキルが低い。
って感じじゃねーの、と思ってるけどどーなんだろう。
ま、正義がどっちにあるにせよ、モメること自体が計画の一部でないかぎり、モメる=統治能力に問題有りということだから。単純にそれだけの話だと思うんでー。
以下では、官の頂点にある旧大蔵省をとりあげ、行政権力の根を見ます。行政権の枠を決めるのは法です。法は国会が決める。国会議員は国民が、代議員制度で選ぶ。
国民主権で国民の権力が至高だというのは、形式論です。実体論では、国民は統治される者であり、中央官庁が統治者であると言っても過言ではなかった。
キャリア官僚を選ぶ国家公務員試験第1種(上級公務員試験)には、昨年
38,841名が受験し、合格は1,228名。32倍の狭き門です。(試験は、隋・唐時代の、官僚選抜の科挙の伝統を引く感じです)
約半数くらいは東大で、国公立、私立が続きます。毎年1200??1500名くらいのキャリア官僚が生産され、現在5万人が在庫されていると見ていいでしょうか。
合格者の一次試験、二次試験の順位で、省庁への順列的な割り振りが決まります。各省庁は、競い合って成績上位者の確保を運動します。なぜでしょうか? ここに官僚が生産する「商品」の特殊性が関係しているのです。
1回のペーパーテストの成績が、能力やその後の仕事の成果と、どう相関するか?民間企業では、ほとんど無関係というのが結論でしょう。
企業が販売するのは「商品」であって、文書作成や言語能力ではないからです。
官僚の作業能力、そして行政権力のもとになるのは、文書作成と法の解釈能力、及び利害の調整能力です。それ以外に、商品はない。
(3)彼らが「生産する商品は文書」である、と言っていいのです。
(1)マスコミや野党から突かれる隙のない論理で武装した文書を作って、
(3)説得的に説明し、調整するのが官僚の仕事であり商品です。
【上級公務員試験と入省年次】
上級公務員試験の成績順位と、入省年次がその後付きまとい、事務次官候補のエース組みが選ばれ、将来のポジションの序列を決めます。その意味での「実力主義」です。次官競争での落伍者は、天下る。
成績トップクラスの入省先は、大蔵省です。大蔵省のみは官僚の中の官僚で、特殊ポジション。
言語能力の優秀さで政治家と他の省庁を説得し、切れる頭脳で他を圧倒しなければならない。
(01年1月6日から、省庁再編で財務省になり、金融部分が金融庁に切り離されました。実態はさほど変わっていない。以下ではあえて大蔵省という、伝統的名称を使います)
なぜ、大蔵省がこの国で特殊ポジションであったか、理由があります。
(1)80兆円の省庁の予算編成、配分権を持つ。(主計局)
(2)国債の発行権を持つ。(主計局)
(3)残高414兆円の財投の配分権を持つ。(理財局)
(4)民間金融機関の認許可、指導権を持つ。(銀行・証券・保険局)
(5)税を決め、徴収する権限を持つ。(主税局・国税庁)
以上5つで、国家のマネーの出入りの急所、及び民間銀行マネーの急所を、押さえていたのが大蔵省です。
他の省庁は、大蔵省に対して、一段低い予算申請団体の位置です。
信じられない位の、権限の集中です。
大蔵省の官僚は国税庁を含めると8万人。1%の800名がキャリア官僚。どの省庁でもノンキャリアは、1%のキャリア官僚の支配下にある。画然とした、不文律の身分制度がある。
公式的には三権分立で、行政は法の執行であり、法と制度を決めるのは立法(国会)です。
ところが立法の実務、つまりほとんどの「法案、予算案の作成」は、各省庁のキャリアが行い、自民党の実力者との調整で決めますから、実質権力と言えるのです。
【予算委員会という場の機能】
最も重要な「予算委員会」で、予算の中味の審議が行われますか?そこで、予算が変わりますか? 決まったことを通す、形骸化した儀式です。テレビ中継を見れば分かりますね。
質疑の内容は、マスコミが取り上げた問題や、大臣、首相の発言の追求です。予算配分の調整が問題になった審議は、見たことがない。国会の各委員会は根回し、調整が終った後に、野党の顔を立て、国民とマスコミへに対するガス抜きの場になっている。
▼ここで蛇足的な逸話:民間銀行に対する恐怖型支配
ある銀行の支店に大蔵検査が入った。検査官に混じって1人、入省2??3年くらいのキャリア組みがいた。銀行にとって、大蔵検査は鬼より怖い。次長が応対した。新米キャリア官僚が、銀行業務のイロハも知らないような質問をした。
次長は「これはどこの銀行でも同じでして・・・」と説明した。キャリア官僚は、「他行のことを聞いているのではない。この処理の説明をせよ」と、怒り始めた。無知をさらしたことを恥に感じたためです。そのキャリアは、怒りで手を震わせていたという。
次長は、思わず「こわっぱ役人が・・・」と小声でつぶやいた。それが聞こえたのか、後日、銀行に、「貴行の**支店で不穏当な発言があった」と伝えられた。その次長は、数日後に銀行を退職した。
これに類する逸話は、多数です。当然、公式には明らかにならない部分です。法に基づかない、恐怖権力です。大蔵省の銀行支配には、恐怖権力が根にあった。
省庁にタテをつくと、他の認許可や検査、指導のどこで仕返しされるか分からない。これが、民間企業が行政へ恭順を示す理由になっている。法や税法は、字義通りの執行を行えば、企業を潰すことくらいはできるからです。生殺与奪の権がある。
私の狭い経験からも、十分に首肯できる話です。
(ソースは明かせません)
▼銀行の3分類
銀行の頭取と頭取含みの役員は、大蔵省系、日銀系、独立系に分けることができます。独立系に対する大蔵検査は、厳しくなる。(現在は金融庁)
大蔵権限の根は、銀行が破綻した時、国家が国民の預金を保証することです。つまり銀行は、民間企業として実態的には独立した法人ではない。真の株主は、大蔵省でした。
民間銀行が天下りを受け入れるのは、行政指導と認許可で有利な取り計らいを受けること、行政のインサイダー情報の、取得のためです。
銀行は、箸の上げ下げに至るまで監視されていた。
大蔵権力に90年代後期から陰りが見えたのは、大蔵省が銀行の不良債権問題の深刻さ、巨額さを見誤ったことに起因します。
1997年の第一次金融危機が起こるまで、大蔵省は不良債権の寡少見積もりをしていた。対策が後手に回り、銀行の信頼と民間の信頼を同時に失ったのです。
▼しかし今後の政策の、裏の意味を「憶測」すれば
【ペイオフの裏】
2003年4月から開始される「ペイオフ」も、大和銀行NY支店の米国債ディーリングの巨額損失隠し事件が表面化した1995年から、事毎に、大蔵省に反発してきた銀行への、意趣返しといった面を含んでいると感じますね。
【95年の大和銀行NY支店事件】
大蔵省(西村銀行局長)は、大和銀行に<損失隠し>を指示していたことは明らかになっています。しかし、米国SECに叩かれると、大和銀行が勝手にやったと押しつけた。行政のこうした時の指示は、口頭です。
大和銀行NY支店の損失隠しは、象徴的な事件でした。
【ここまで言うと、危険でしょうか・・・】
2002年4月からのペイオフの実施では弱体銀行に預金引き出しが起こり、日銀特融、または政府資金投入、合併が必要になり、再度、世論とマスコミをバックアップに官の権力拡大をする機会を狙っているように思えるのです。
信用金庫や地銀では、すでに、預金減少が現実に起こっています。
米国の銀行でも、事実上のペイオフは金融システムの混乱の害が大きいので実施していない。米国情報は、選択的に利用されます。
【不良債権問題の早期解決】
小泉内閣が掲げる不良債権の処理も、銀行の自己資本と利益での処理では不足することは、誰が見ても分かる。
金融のシステミック・リスクを避ける手段は、政府資金注入になる。分かり切ったことですね。
政府資金注入は、金融庁、大蔵省、日銀の権益、天下り先の拡大です。国民の金融資産を守るために「やむを得ず」そうせざるを得ないというふうになるのが、一番望ましい。
こうして、時代、時代の世論、マスコミ論調、学説を使い、予算をつけ権益の拡大を行うのが、省庁の自己肥大の基本手法です。
以上は「憶測」です。しかし憶測しか方法はない。
誰も、言わないからです。
世の中の事象は、実は、語られないことに重要なことがある。
ペイオフの後、不良債権処理の後、銀行の支配がどうなるかを詳細に見れば、憶測が正しいかどうかわかるでしょう。観察して下さい。
キャリア官僚の最終的な狙いを判断する時は、「推理小説の手法」が、役に立ちます。
「この政策と予算で、誰が、またはどのグループが最終的なゲインを得るか」との方法です。
(1)高齢化社会に必要な「福祉」→福祉予算の拡大(極めて強い)
(2)国土の「均衡」ある発展→公共投資・公的事業の拡大(弱い)
(3)不況対策→公共投資・公的事業の拡大(極めて強い)
(3)地方分権
(5)郵政三事業の、公社化から民営化
(6)年金への401K導入
これで、予算が動きます。具体策の起案は、官僚が行います。その時、世論・マスコミ・ガイアツをバックアップにした新たな公的セクターの、認許可、指導のための組織ができる可能性が高い。
現在、公的セクターでも就業人口が多い50代前半の世代の、今後の行き先が問題になっているのです。
(一部:30%)キャリア官僚は、組織拡大の戦略的技術者であると認識したほうがいい感じですね。
今後3年間で、77の特殊法人、及び2万6000の公益法人から選択して民営化される<骨太の方針>は決まっています。
2000年12月、森内閣の閣議決定で、民間への天下りが解禁されたのはご存知ですか?今後は、大臣が許可すれば、民間企業へ公然と天下りができるようになっている。
民営化された特殊法人、公益法人のトップに天下るための決定でしょう。有力議員が官僚に恩を売って、利権の範囲にあった特殊法人、公益法人の民営化をおこなうために、官僚との綱引きで政治的取引をした結果と言われていますね。
加えて、今省庁が狙っているのは、官の文書のデジタル化予算です。膨大な官の文書、図面のデジタルデータ化で、30兆円が見こまれている。当然そこには、民間会社の受注活動が絡みます。週刊ポストの「覆面座談会」で、キャリア官僚自身が発言している。<電子政府>の情報化予算を無駄だと言う人は、まだいない。
官であることが問題ですね。官が食うのは<税>ですから。
Nine Inch Nailsがレコードレーベルを捨て、今後はアルバムを直接一般に公開するというニュースを土曜日に報じてから、OasisとJamiroquaiも同じくレコード業界を離れた。しかし、今日一番のビッグニュースは何といってもMadonnaがレコード業界を捨てたことだ。
(中略)
今回の件は、世界的女優にとってさえ、デジタルダウンロードとP2P音楽共有の時代には、もはやレコード会社は必要とされていないということを物語るものだ。
そして壁は崩れはじめた―マドンナ、レコード業界を捨てる TechCrunch
世間的には「音楽データで収入を得ている」レーベルから離反したのだから音楽はフリー(自由と無料)に近づいている、と取られているっぽい。
しかし、特に業界内部の見解を聞きたいところなのだが、これは知的創造従事者の受難“モダン・タイムス”の本格的な始まりではないのだろうか。
待っているのは世界中で作品を共有し啓発しあうユートピアなどではなく、クリエイティビティが限りなく無価値となり資本の規模だけがモノを言う世界ではないのか。
ユーザーにとっても、音楽は無料にはなるかもしれないが自由とは言い難い未来しかないのではないかと危惧する。
万人が富豪で支配者になれる最終解決などでなく、工業化に伴う50年間の市民の試練が情報化によって知的生産者に今及んだと見るべきではないか。
世間の誤解はネットとメディアの進化が本物の錬金術と思われていることにある。例えば10万円する金貨を100円分ぐらいの材料と手間で製造する方法が発明されたらどうなるのかと想像してみたらいい。我々はあっという間に千倍の資産を手に入れることができて誰もが豊かになれる?
しかし少し考えを進めれば分かるようにこれは100円で10万円が手に入るのではなく、実際には10万円の価値だったものが100円に暴落するということを意味している。錬金術の発明と同時に金は無価値になるのにも関わらず、人々はその術の完成を心待ちにしているのである。
現代に町から職人がことごとく消えたのは何故か。流通の革新によって町に点在する必要がなくなったからである。現存する大工だって現実には大手住宅メーカーの下請け組立工である。例外的に飲食店の職人は居るがこれは鮮度という要素がローカリティを維持しているためだ。
音楽流通には制作環境、パッケージ、流通、広報が必要だった。つまり満遍なく金と手間がかかった。制作可能な者の偏在と流通の偏在が中小零細規模の商業作家の存在を許容したのである。
ところが制作環境とメディアおよび流通が技術的な革新によってほぼゼロにまで暴落してしまった。このことにより音楽市場におけるキーは誰でも作れて流通できる楽曲そのものではなく希少な資本そのものである「ブランド」と資本によって成り立つプロモーションに完全に主導権が移ることになる。
音楽事業「マドンナ」にとって、誰にでも作れる「楽曲」自体に意味は無い。必要な才能はサラリーでスタッフとして雇い入れればよい。イベントでの収入は音楽にではなくマドンナというキャラクターに、そのビッグネームと空間を同じくする権利の対価として入ってくる。
自動車メーカや家電メーカーと全く同じである。タレントへのシンパシーという商品の販促“カタログ”である楽曲データは複数のスタッフによって作成され、ネットで配布される。場合によっては対価を払ってコミュニティに押し込み、手にとってもらうための大量の広告を打つ。この場合楽曲はもはや財産ではなくコスト(広告宣伝費)である。
ここにいたって小資本どころか中規模ごときの音楽事業者では採算に乗せることができなくなるだろう。よく言えば近代化による産業の集約が進む訳だが、事業化するのに必要な最低資本がどんどん上がっていくからだ。
(HITOMIのヒット曲"SAMURAI DRIVE"のオリジネータバンドcuneはいかほど潤ったのだろうか。ちなみにミキシングは“エンタープライズ”HITOMIの方が遥かに洗練されていると思った。)
一方でユーザーはどうだろう。無料であらゆる楽曲へアクセスできる夢のような時代になるのだろうか?
大半の人にとってはメリットがあると思われる。いま無料のテレビやラジオのプログラムと同じだからだ。社会全体で見ても効率は高いと思われる。
「無料で動画が見られる」と言われれば好きなだけ自分好みの映画を見ることが出来る気になるが、現実は見たくもないCMとお仕着せのプログラムが待っている。今ユニクロで吊るしの服を買えば5千円で一通り揃うだろう。しかしオーダーメイドすれば10倍でも済まない。
悪い社会ではないかもしれないが、これがフリー(自由)かと言われればどうだろうか。
今までだってミュージシャンは貧乏でどうしようもなかったのだから何も変わりはしないという向きもあるだろう。現実の変化は微妙なものだ。恐らくは中抜きが進む。池田先生が言うような中間業者を中抜きしてハッピーという話ではなく、業態の空洞化で柔軟性が失われるだろうという話だ。
既にあるタレントとメディア露出という両極端な評価軸しかなくてそれ自体の価格は限りなくゼロで日常的に流通しているもの。それは対人コミュニケーション、会話である。その中で唯一換金できるのがお笑い(伝統芸能は含まない)だろう。お笑い芸人は自虐ネタにもなるように一部スター以外の待遇は悲惨としか言いようが無い。また事務所の寡占が既に起こっている。
音楽業界は吉本興業のようになるかもしれない。誤解しないで欲しいが、後進の育成とタレントの露出に力を注いでいる超優良企業という最善のケースとしてである。