デマを極悪のように取り扱っているのが非常に気持ち悪い。
と、個人的に思っているので書きます。
なんでみんなデマを極悪のようにあつかっているのか?
これは、知ってます。
デマ → 傷つく人が発生
これは良くない。それは僕も知ってます。
じゃぁなんで傷つくのか?
ちょっと細かくするとこういう事だろうと思います。
ここで、ちょっと考えてみたいのですが、『デマ』と呼ばれるものが、
なので、それぞれについて考えていることを書きます。
「悪意を持って嘘の情報を発信すること」
例えばキリスト教徒が「神を信じる」と言うことが「嘘」かどうかという問題です。
極論を言うと、全ての情報が「嘘」で無いことを見抜くことはできません。
結局自分が信じるかどうかということ以外に、よりどころが無いのです。
そういう意味では、そもそも世の中に正しい情報なんてありません。
個人的に思うのは結構なのですが、ひとたび発信、情報化してしまうと、
「あいつは嘘をついている!」という事自体が、他人からすると、
嘘である可能性を否定できません。
信じきっちゃって、よかれと思ってやってる人の場合。
これは止めるすべがありません。なぜなら情報のよりどころは本人の中にしかありませんから。
ただもし自分の正しい情報と違うのであれば、私はこう思うと意見してあげればいい。
他に、「良く分からないから、みんなの意見が聞きたい」「面白そう」「興味がある」
「あの人はきっと面白がってくれるんじゃないか?」と言った場合はどうでしょうか?
悪意はありませんし、信じてもいません。
簡単に言うと、コミュニケーションツールとして情報を扱ってる場合です。
これも、どんどんみんなでコミュニケーションしたらいいと思います。
なぜなら、自分以外の人の中にある正しい情報に触れることができるからです。
「あれ?意外とみんな神様信じてないんだ・・・」と気付く事ができるからです。
こうして自分の中にある正しい情報と、他人の中にある正しい情報を付きあわせて行くことこそが
正に、情報リテラシーじゃないでしょうか?
広く情報を拡散することで、多様な正しい情報に出会えると思いませんか。
情報リテラシーの欠片も無いと言わざる終えません。
「悪意を持って行動すること」
あぁ、もうこれは問答無用の極悪です。DQNとリア充は、死ねばいいと思います。
信じきっちゃって、よかれと思ってやって人の場合。
問題はここです。
行動する前にちょっと考えよう。
行動する前に、傷つく人が居るんじゃないか考えよう。
よかれと思っても、それでどこかに傷つく人がいるんじゃないか?と考えよう。
こんな事は、リテラシーの問題というより、
人に優しくしようとか、人に迷惑をかけないでおこうとか、っていう
人として当たり前のことです。
自分さえよければ、他人なんてしったこっちゃないという行動をしないということです。
これが出来れば、情報を信じようが、信じまいが、
(あえて言うけど)情報が嘘だろうが本当だろうが、
傷つく人は居ないはずです。
「デマを拡散しない!」や、「反対情報を調べる!」とかって言うのは、どうでもいい。
あなたが正しいと思っていることが、
政府が悪質な嘘だと言っている。
それを、信じることが情報リテラシーなんでしょうか?
いや、信じないことが情報リテラシーでしょうか?
各メディアを色眼鏡で見ることや、自分が信じない情報を制限することが
何を信じるのかは自由だ、だが、他人を傷つけるのは別問題だ!
悪意ある嘘と区別しませんか?
もう、『デマ』って言うの止めませんか?
『人に優しくしよう』でよくないですか?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A2%BA%E4%BF%A1%E7%8A%AF
なんだっけ、無能な味方は、有能な敵より怖い。みたいな話があるじゃん。 デマってそんなもんだと思うよ。 増田の話もデマみたいなもんだろw たいした中身もないのにダラダラ長文に...
そりゃ、元増田がデマ流される方の立場になった事がないからじゃない? 何か「デマ」として大きく非難されている例で、逆の立場になっても「問題ない、正当だ」と言えるのかな?