はてなキーワード: 性的指向とは
をただ書くだけでお気持ち表明とかそういうのではない。なんとなくインターネットの海に、匿名で自分を表現したいと思いここに投稿する。
服装はパッとしない冴えない感じで(大抵はパーカーだ)、顔も良くはない。メイクも幼い頃にやった習い事の発表会用と成人式以外ほとんどしていない。
言われるならカッコいいのほうが嬉しく、可愛いと言われるのは苦手だ(可愛い、というのは内面的な部分を指してでしか言われたことはないが)。しかし別段かっこよくなる努力はしていないし、しようともあまり思わない。ありのままがいい、というと聞こえはいいが、要するにただのズボラである。ご想像の通り、彼氏も彼女もいたことはない。
そんなこんなで性自認については、「女性はこちら」と言われればそちらに向かえるが、社会からの役割期待からはズレている感じがする。なので「恐らく女寄り」という自認だ。
性的指向についてはまだハッキリとわかってはない。私はオタクなので異性に関しては基本的に二次元にしか興味がなかった。記憶を探れば、小学校低学年くらいにはやんわり好きな男子のような存在がいて、中学校もなんとなく男子への興味(これは恋愛感情ではない)はあった気がする。好きなキャラクターも男性キャラの方が多い。
一方、小学校高学年くらいには女子への興味がうっすら出てきていた。スキンシップが多い子にはドキドキしたし、プールの授業で密着されたときも内心うおお‥となっていた。中学の頃、割と仲の良かったクラスメートにすれ違いざま首を触られ、無反応でいたらぼそりと「感じないんだ」とつぶやかれた時も顔に出さずともめちゃめちゃドキッとした。女子に対しては恋愛感情未満、だとは思っているが何となく好きかもという感情を抱いていた。
また、小学校のときのクラスメート(女子)が私のことを好きという話を人づてに聞いたときも嬉しく思った。結局その子とはもう離れているので何もなかったが、私のことを好いてくれる同性の子がいたら私はOKを出すかもしれない。そんな気がする。
好きなキャラクターは男性が多いと述べたが、女性キャラクターも数は少ないながらも同じくらいの熱量でハマってきた。現在の推しも女の子である。最近は今までなら全く興味がなかった女性アイドルにも推しがいる。(男性アイドルには依然として興味が沸かないが)
これらのことを考えると、自分の性的指向はレズ寄りのバイなのかなとぼんやり思ったりしていた。しかしレズ寄りといえるほどなのか確信は持てない気もする。だが現状は、3次元に関しては男性への興味より女性への興味のほうが強い。可愛い女の子に言い寄られでもしたらすぐ付き合いたいと思うだろう。容姿がすごく良いわけではなくても、仲が良くて私のことを恋愛的に好いてくれる女性がいたら嬉しいと思うだろう。
私は彼氏も彼女もいないし、暴漢に襲われるなんて不幸なことも起きなかったため、ありがたいことにまだ処女だ。オナニーはしているが、パンツの上から触るくらいの軽いやつだ。性行為についても2次元エロ画像くらいでしか知らない。童貞の幻想程度の認識しかしていない。それを踏まえて自分はどちらの性と行為をしたいか考えたとき、即女性とがいいと思ってしまう。男性との行為はなんとなく嫌悪感があるというか…変な話だが「男と女」を突きつけられるのが嫌なのかもしれない。蛇足だが、私は3回ほど男性から性的加害を受けたことがある。自分ではどうってことないと思っていたが案外トラウマになっているのかもしれない。
じゃあなぜ女性との行為はむしろ興味があるのか、自分でもここはよくわからない。男性じゃないからという消去法的な考え方なのだろうか。分からないけど女性とはそういう関係になってみたいとどこか思っている自分がいる。性的指向については結局よくわからないままでいる。
まとまりのない文になってしまったが、どこにも誰にも言ったことのない、言えなかったことが吐き出せてすっきりした。もし自分はこうだよ、とか、それはこうなんじゃないかな、とか、いやそれは理解できない等なにか思ったらコメントしてくれたら嬉しいです。それでは。
私の年齢はおそらく元増田より10歳ほど下だが、同じように性的な体験をまったくしたことがなく、そのことをコンプレックスに思っていた。
友人同士で話しているときに、他の人が自身の性的な体験についての話で盛り上がっていると疎外感を感じた。
私は子供の頃から人一倍性的な事柄に対する関心が高く、性的な事柄に関しては誰にも負けない知識をもっていると自負していた。
しかし友人たちは不完全な知識であっても、それが自分の実体験に基づいている。
対して私の知識はほとんどが妄想・ネット・本・映像から得たものである。
おまけに私はややBDSM的なものが好きで、さらには性的指向が女性(特に年上の女性)に向いているので、私が好んで見る性的な創作物はほとんどが「きれいなお姉さんが虐げられる」という類のものであった。
そのため性的経験がないことと「きれいな女性が虐げられる」創作物を見ることが好きであることに1人悶々と悩んでいた。
一時期はレズビアンのコミュニティに入って交際相手を見つけようかと思っていたこともあるのだが、田舎に住んでいるためそのようなコミュニティが近所になかった。おまけに他人に自分の性的指向について知られるということがとても怖かった。
また、先ほど性的指向が女性に向いていると書いたが、男性に対して恋愛感情がわかないということはなく、これまで何人か好きになった男性はいた。
つまり、私は完全に女性のことしか好きにならないというわけではないのである。そして、そういった自分の性的指向はレズビアンのコミュニティではあまり歓迎されないのではないかという不安があった。あくまでこれは私自身の思い込みであり、事実とは異なると思う。
よって、レズビアンの人と出会って性的な体験をする手段が私にはレズビアン風俗しかない!と思い、レズビアン風俗の予約をとった。
私の好きな「きれいな年上のお姉さん」と思われるキャストの方を指名した。BDSM系のオプションについては生身の人間に苦痛を与えることがどうにも憚られたので付けなかった。金欠だったということもある。
実際にそのキャストの方は本当にきれいな年上のお姉さんだった。プレイ内容についても大変満足であった。やはりプロである。
1回性的な体験をしたことによって、性的な体験をしたことがないというコンプレックスは解消された。
勿論この体験も「きれいなお姉さんが虐げられる」映像が好きであることと同様に他人にひけらかすことができるものではない。
それでもいいのだ。自分にとって大切なものは心の中にしまっておけばいい。そう思うことができるようになった。
しかし、私はどうにも「きれいな年上のお姉さん」ともう1度性的なことをしたいという気持ちにはなれなかった。
私にとって「きれいな年上のお姉さん」は、役所の受付で二言三言言葉を交わしたり、ちらっとすれ違ったり、(こういった眼差しは不快に思う人もいるだろう)、創作物などの映像・画像の中で見て1人で勝手に興奮したりするものであって、ともに人生を過ごす存在ではないのではないかということに気づいた。
また、初めて生身のレズビアンの方に出会って女性に対して性的な関心を抱く自分を肯定してもらえたことで、女性が女性に対して性的な関心を抱いていもいいという当たり前のことに気づき、自分の性的指向について悩むことがなくなった。女性が女性に対して性的な関心を抱くことは何も私だけの特別なことではないのである。
余談ではあるが、レズビアン風俗に行った後しばらくして友人の男性と付き合うことになった。本格的なお付き合いはこれが初めてである。
「女性のことが好きだから男性のことは好きになってはいけない」といった思い込みが解消されたことも、初めて他の人と付き合うことができた一因であろう。
まとめると、私にとって「きれいなお姉さん」が好きな自分、つまり性的な事柄が好きな自分との距離の保ち方を学んだということがレズビアン風俗に行った1番の成果であった。
最近気になっている人がいた。
一つのことに熱意をささげていて、考え方が自分の中で確立していて、光り輝いているような人だった
久しぶりに人を好きになって色々考えて動いてぶつかって気持ちを伝えてみたけれど
接点が少ないぽっとでの私では連絡を取らないと関係が途切れてしまう気がして
今思えば執着しているような追いすがるような形になり面白くない人間と化していたし
せっかく作ってくれた時間もそんなだから時間を楽しむよりも空回りして質問ばかりの退屈な時間を産んでしまった
つまらない人になってしまっていたから自分に落ち度はあるし仕方のないことなのだけれど
通過する一点ではなく、もう少し友人としてでも、大事にできるような
もっと時間をかけて関係を深めて人として友人として好いてもらえただろうか
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一晩を共にして誰とも付き合う気がないと聞いたとき、
関係を深めたいわけでもないのなら手を出すのは
一緒に楽しく過ごしたと思っていた時間も
結局はそうやって終わらせてもいい相手としか思われなかったことが悲しい
そもそも私が好きにならなければ
こうやって楽しかった思い出も作れなかっただろうけど
私は自分が好むもの以外、この世にあるもの全てに須くそんなに興味を抱けないが、どんなものでもそれを好んでいる人がいる以上絶対に否定はしないようにしている。それは私自身が否定されるのをとても嫌っているから。なのになんで世の中の普通の人は自分の感情のままに気持ち悪いとか直接堂々と面と向かって言えるんだ??分からない。自分の好みじゃないからキモい?みんなキモいと思うはずだから排除されるべき??そんなこと言ってる人の方が私にとっては理解出来なくて、心底キモい。私は優しい人間でいたいからそういう輩も、そいつが好きなものだって否定はせずに肯定するが、本当はお前の事なんか大嫌いだ。
今回のタイツの件、企業側が唯一悪いと思えるのは、イラストレーターの本件とは関係ないイラストの宣伝をRTしたところだけだ。確かに、成人向けの作品を書いてるイラストレーターの作品を一般に流すのはTPOに反してしまうかもしれない。それは私にだってわかる。それ以外に悪いところはどこだ????女性向けの商品なのにマーケティング対象を間違えた???そのイラストを好きだと思った私はマーケティング対象じゃないのか??女性のタイツを視姦する気持ち悪い男向けのマーケティングになっている?私は???三次元の表像より二次元の方を素敵だと感じてしまう、そんな私は確かに存在しているのになぜ無視され、挙句の果てには罵倒されないといけないのか。自分がマーケティング対象じゃ無いと感じたからと言って、それを頭ごなしに否定するな。本当に理解が出来ない。自分がマジョリティだから正しい意見だと、いるかもしれないマイノリティの人間もその目線も無視して潰して大声で叫ぶな。その顔で私達は正義ですというツラをしないでくれ。自分達は社会に抑圧されているから何をしても良いんだという顔で、存在しているはずの私を潰さないで。
この件はこれで終わり。この世の女性の代表かの如く振る舞って、自分達の気に食わないものを全ての女性が気に入らないものかのように思い込み、鬼の首を取ったように正義の御旗を立てて潰しにかかる視野の狭い人達が社会に向けて発信している一連の主張は、もちろん私個人に向けられたものでは決して無い。本件に置いて口汚い言葉で企業を、仮想敵を罵る人達の気持ちは本当に理解出来ないが、勿論彼女彼らにだって守りたいものがあり、それに関連した主張があるのだろう。今回の私にはそれを尊重したいと思う心の余裕が無いだけだ。今はその声によって実際に企画が潰されたことで、自分の存在を本当に社会から完全に否定された気分になり、気分が相当むしゃくしゃしているだけなのだ。明日になったらもうこの気持ちは忘れるべきである。自他の境界線はちゃんと引かないと、感情は悪い方に悪い方にとどんどん引きずられて行くものなので、これ以上はもう踏み込まないでおいた方が賢明だと言うことも頭では分かっている。しかし、今の自分が抱いた感情と考えだけは無視しないでおいておきたかった。明日には忘れるものでも、今日の私くらいは肯定してあげないと可哀想だと思ったので。
少し冷静になったので追記
あのイラストが女性に対する性的な視線を高めるという意見も分からなくは無い。私が魅力的と感じた一端には、女性の性的魅力を記号的に表した部分も確かにあっただろう。だが、だからと言って責め立てて消し去って良いという大義がどこにあるのかが本当に分からない。一般的とされる感性や性的指向、そういう物を持ったマジョリティの人間が不快に思う表現を好むらしい私のようなマイノリティは一体全体、どこに生きていれば良いのだろうか。私はあのイラスト達が取り立てて公序良俗に反するエログロだとはとても思えないし、人権を侵害するようなものにも見えない。マジョリティの女性達が掲げる正義の錦の御旗は、彼女達の事は確かに救うだろうが私の事は救ってくれないのだろう。
21歳〜と言う題にしたのは、自分の中の矛盾には気付いてるけどそれをまだ全く整理出来ていない、取り敢えず感情のままに書いたような奴の文章だよと言う事と、21歳 女と言う属性を持ってる人間が書いた日記だという事を記したかったから。
色々と反応が来て驚いたけれど、今読むのは気持ち的に難しいからいつか読ませて貰います。
須く警察へ。なるほど、完全に誤用していた。覚えたての小難しい単語を使いたいお年頃が抜けていないので、変な文には目を瞑って欲しい。でも、指摘はとてもありがたい。調べて使い方を直していきますね。
レズビアン向けのマッチングアプリ使ってたけど、めちゃくちゃ男が紛れ込んでくる。会員登録に証明が何もいらないからだ。それをするとMtFレズビアンを排除してしまうかららしいが、今のところMtFレズビアンなんて見たことがない。みんな「レズとヤってみたい」ってだけのヘテロオス。登録してる女は女と出会いに来てるんだから相手されないことくらいちょっと考えればわかりそうなものなのに、何を求めて来てるのかさっぱりわからない。
ビアンであることを他所オープンにしていた時期もあったが、その時も失礼な男たちに「混ぜて」やら「見せて」やら「どうやってするのか詳しく教えて」やら色々言われた。なんなんだろう、性的指向が有徴な人間はみんな性欲が強くて下ネタにもノリノリになってくれると思ってんのかな。ちんこもげろ。
TwitterではなかっぱBLがトレンドになってるけどあれをさすがNHK!最先端ポリコレ!と捉える向きおかしくない?あれって外的な要因(花)で異性愛者が性的指向をねじまげられて同性愛者になってしまいましたーという話じゃん。オチもがりぞーを愛した記憶を無くしたはなかっぱ=正気に戻ったという表現に感じて、これのどこが同性愛の肯定になるのんという気持ち。がりぞーの方はしっかり記憶が残っていてはなかっぱへの思慕を匂わせるけど、ストーリー全体通して「同性愛は生まれ持った性質でなく外的な要因で発芽する」というメッセージを子供に植え付けそうでポリコレどころか逆に心配だよ。これってまさに足立区の議員しかりホモフォビアの考え方でしょ。
エモい感じに騙されてあれを持ち上げちゃうリベラルの皆さんが信じられない。浅はかすぎる。がりぞーのはなかっぱを想う気持ちは尊いが、ストーリーとしては別に新しくもなんともない昔ながらのホモネタ恋愛消費ですよ。
そもそも論だが、「ゲイに掘られれば」は「(性的に)興味のない人間から性的に脅かされろ」という程度の意味と思われ、必ずしも(というか十中八九)ヘテロからゲイに転向しろというニュアンスではないと思う。
同性に「掘られる」だけなら性的指向の変更は必要なく、へテロの男性であっても行為自体は性的嫌悪感に耐えられるなら十分可能である。
これからするのは非常に複雑で難しい話だ。
まず「ゲイに掘られれば」は異性愛者に同性愛を勧める発言であり、所謂「性的指向」が後天的に変更可能である事を肯定する発言である。
一方でロリコン、ペドフィリア等は「性的嗜好」と呼ばれ、主に後天的である事によって「性的指向」と区別される。
以前、ロリコンの窮状がLGBTに例えて説明された際に「ロリコンは性的嗜好であり、LGBT等の性的指向とは異なる」「一緒にするな」といった批判がフェミニズム等から上がった事が有った。
しかし先に示した非モテ男性に対する「ゲイに掘られれば」発言もまたフェミニストから上がっている場合が散見される。
どちらか片方の正当性の検討は置くとして、両方を正しいと主張することは出来ない事を示す。
非モテ男性と非モテ女性に関する議論において、非モテ男性に対し「(そんなにセックス出来ない事が辛いなら)ゲイに掘られれば」といった発言が幾つか上がった。
発言者の内一部はフェミニストであった訳だが、件の発言は非モテ男性に向けた物であり、当然そこにはヘテロ男性も含まれる。つまりヘテロ→ゲイの性的指向の変更を推奨する物だった。
性的指向と性的嗜好は主にその先天性により区別され、通常、性的指向は先天的であり、変更不可能、性的嗜好は後天的に変更可能である事によって区別される。
件の発言はヘテロ→ゲイという変更が後天的に可能であり、「ゲイになる事」を選択可能であるとする判断に基づく。
従って件の発言は、ゲイは後天的に変更可能な性的嗜好であるか、もしくは性的嗜好と性的指向は区別されないとする主張を含むものである。
(また、これはゲイ→ヘテロの後天的変更の可能性を示唆する物でもあり、だとすると別の意味で大問題である。ゲイに対する「ヘテロになればいいのに」という発言の許容にもなり得るのだ)
以前、ロリコンの辛さや差別的扱いを説明する際にロリコンの立場をLGBTに置き換えた物がネット上で幾つか主張された。
その際のロリコン攻撃者(主にフェミニストや女性)の反応は「ロリコンとLGBTは違う」「一緒にするな」という冷淡な物だった。
ロリコンは性的嗜好であり後天的に変更可能であるが、LGBTは性的指向であり後天的に変更不可能だから、違う、という事だ。
(尚、もう一つ理由として挙げられがちな「欲望を叶えることが犯罪になるか否か」については後程触れる)
しかしこれは当然前件と矛盾する。もし仮に、「ゲイに掘られれば」発言を肯定し、且つ「ロリコンとLGBTは異なる」と主張している人が居たら、どちらかは論理的に撤回しなければならない、という事だ。
ではどちらを撤回するのか、予想してみよう。
恐らく多くのフェミニストにとってより大事なのは後者だろう。また、そもそも前者は別の理由でゲイ差別的であると批判され得る危険な発言でもある。
よりリスクが少ないのは前者の撤回であるので、そちらをお勧めする。
性的指向・嗜好の違いの他に、ロリコンとLGBTを区別する理由として「欲望を叶える事が犯罪に直結する」事が上げられがちである。
しかしこれもまた今回の文脈では実は主張することが難しい。文脈とは「非モテ」である。
「ゲイに掘られれば」発言は非モテ男性による「非モテ女性は存在しない」とする主張に向けられたものだった。さて、「非モテ」が欲望を叶えることは犯罪に直結するだろうか?
その人間が非モテであり続ける限りは直結するだろう。性交に同意可能な異性がいる状態である限り「非モテ」とは言えないので、その欲望を叶える事は同意を得ない性交つまりレイプに成らざるを得ない。
(もし「性交に同意可能な異性がいる」かつ「大事にされる等の性交に依らない恋愛的承認が得られない」状態も非モテに含めるとしても、その欲望の成就は「(恋愛的承認を得られない状態における)恋愛的承認の享受」である為、実現が不可能であるか、洗脳等の非倫理的な手段を要する)
従って、「非モテ」とは「ロリコン」と同様、「欲望を叶える事が犯罪に直結する」属性である事に成る。
フェミニスト或いは女性の一部は「非モテ女性は存在する」と主張したい訳だが、そうすると、その女性は「欲望を叶える事が犯罪に直結する」存在であり、
これまで自身達がロリコンに対してしていた「その欲望自体がギルティである」「欲望を公表する事も止めるべきである」とする主張が非モテ女性にも向いてしまう事に成る。
非モテ女性が「異性にモテたい」と言う権利を奪ってしまう事を是とするか否か、恐らく多くは否とするのではないか。
(また、私は女性を「性欲の無い清純な存在である」という神聖視を悍ましいものと考えるので、女性にも性欲は存在すると考えている。その場合、非モテ女性も「セックスしてぇ~」と主張したい場合もあり得るだろう。
それもまた彼女が非モテ女性である限り「欲望を叶える事が犯罪に直結する」欲望の告白に他ならない訳だが、その権利を私は彼女に認めたいし、多くのフェミニストもそうである事を願う)
だとすれば、「非モテ女性は存在する」か「ロリコンはその欲望を公表するべきでない」のどちらかは否定できなければ、論理的な正当性を主張できない。
以上は複数の論題に渡り論理的な整合性を保つべきという規範に乗っ取った議論であり、
恐らく多くの人(フェミニストや女性を含む)にとって非常に複雑で難しい話だと思う。従って理解されない事も有り得るだろう。
例えば「こういう問題を一緒にするべきではない」とあなたは考えたくなるかもしれない。
けれどもそれは自死の道である。「複数の異なる問題の間に論理的な整合性・一貫性を求めるべきではない」という規範は、あなたの批判の大部分をも無効化してしまう。
あなた自身も「複数の異なる問題の間に論理的な整合性・一貫性を求めるべきではない」事に成ってしまい、あなたが誰かの異なる問題に対する態度の違いや一貫性の無さを批判したい時にも、その規範は適用され、批判は意味を失くしてしまうのだ。
矛盾には一つの問題内での矛盾と、複数の問題間の矛盾があるが、当然ながら後者の方が多い、それをみすみす手放し、前者のみしか批判出来ない様自分を縛ってしまっては、
あなたは多くの批判を手離してしまう事に成る。そのようなリスクに見合う程、今回の議論の否定は大きなものではない。従って、受け入れる事をお勧めする。
ここで語りつくすことは出来ないが、興味深い論点が有る為、補記として残しておく。
ロリコン或いは女性を性的に消費するコンテンツにおいて、読者や視聴者に与える後天的な変更が取り沙汰される事が有る。
例えば「ロリ漫画はロリコンを増やす」であったり、「風呂覗きの描写は男性児童に悪影響を与える」等である。
一方で先日の足立区議会での自民党議員の発言の様に、「(コンテンツや制度的な承認により)LGBTが増える」事を危ぶむ差別的発言があった際、
「そんな事でLGBTは増えない」「あなたの生活は何も変わらない」といった反論が上がる事が有る。
これ等はLGBTの先天性を根拠の一つとして主張されるわけだが(それ故、「ゲイに掘られれば」発言による後天的なヘテロ→ゲイの変更は、これらの反論に真っ向から対立してしまう非常に危うい発言である訳だが)
この時、その先天性自体を否定する言説が現れた際、その言説に求めるべきエビデンスとは何であろうか?
通常、ロリコン或いは女性を性的に消費するコンテンツの影響を論じる際、「統計等のエビデンスを挙げろ」といった反論がされるが、多くの場合は無視される。
つまり、(その状況を肯定する限り)ロリコン或いは女性を性的に消費するコンテンツによる後天的な変更の可能性にはエビデンスは必要ないという事に成る。
これと同じ規範を適用すると、「(コンテンツや制度的な承認により)LGBTが増える(後天的な変更は発生する)」という主張にもエビデンスは何ら必要ないという事に成る。
もしLGBTの先天性を事実として保護したいのであれば、LGBTへの後天的な変更が可能とする主張にはエビデンスを要求する必要があり、
そのような規範を持つ限り、ロリコン或いは女性を性的に消費するコンテンツによる後天的な変更の可能性を論ずる際にも、エビデンスは必要と考えない訳には行かないのである。
今回はここまでにしておくが、とあるコンテンツや制度による受容者への影響、またはそれらを論ずる際に必要とするべきエビデンスの問題は、
LGBT等への配慮の問題と関係するという点でこれらの論点は非常に興味深い。
これまで主にリベラル側で軽視されてきた強力効果論等のメディア強化論のエビデンスの重要性について、再度一考するインセンティブがリベラル側にも現れたという事なのだ。
女性を好きになった。
バイの可能性は多少感じていたものの男性としか恋愛関係になったことがなかったし、そもそも男性と結婚して約十年の30代既婚者である。
彼女も同年代であるが見た目も好みなら中身も本当に素敵な女性だ。
数年経った今頃になって気付いたけれど、多分出会った時から好きだったと思う。
彼女への想いは静かな波の様で、激しさはないけれど確かにそこに存在して私の心を優しく揺らしている。
旦那のことは尊敬しているし十年という年月の重みも十分承知している。
そして心許せる貴重な友人である彼女とはこれからも良き友でありたい。
心の灯火が消えるまで静かに待ち続けたいと思う。
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と綺麗にまとめたが、ぶっちゃけオナニー中に思い浮かんじゃうんだよなぁ。
今までオナニー中に好きな男を思い浮かべたことはなかったのに、なんで彼女のことは湧き上がってきちゃうかねぇ。とっても捗ります。
今まで付き合った男含め旦那とは早い段階でセックスレスになったのは自分がオナニストだからと思ってたんだけど、
こんな年齢になって恋愛指向や性的指向を考えることになるなんて思いもしなかったよ。
はーすっきりした。