はてなキーワード: 人物とは
もうだいぶ昔に出会った人がいる。
私は当時(そして今も)自分のwebサイトに文章を載せていて、そういう個人の文章が読めるサイトを紹介するリンク集に参加していた。
ある日サイトのリファラ(自分のサイトの閲覧者がどこからリンクをたどってきたか見ることができる解析)を眺めていたら、見知らぬサイトからリンクされていることに気づいた。
そのリンク元を読むと、あちらの管理人もテキストサイトをやっており、私のサイトを「たまたまリンク集から見つけて読んだ。面白かった」と紹介してくれていた。
どんな人がほめてくれたのだろうと管理人の日記を読んでみると、その人柄や日々をつづった文体が面白く、すっかりファンになってしまった私は定期的にその日記を読むようになっていた。
日々の仕事の苦労や家族とのやり取り、子どもたちの成長、そして家族の死。
全くあったこともない人物の日々・人生を日記で追うようになるとは思わなかった。
その間約15年。
自分が常駐しているSNSで私のことをフォローしてくれている人が「その日記サイトの管理人」であることに気づくのには少々時間がかかった。
日記から想像していた人物とSNSで発言している人物が全く重ならなかったからだ。
何をきっかけに気づいたのか思い出せない。住んでいる地域が同じだったことか?
とにかく、決定的に「このひとだ!」と思えたわけではなく「もしかして……このひとはあのひとでは?」ぐらいの気づきだった。
そう思ってから日々の発言をさかのぼっていくとどんどん疑惑は確信に変わっていく。
SNSでは相互フォローではあったものの、発言は私の意見と合わないものも多く「なんだかなあ」と思っていた。
さらに「このひと=あのひと」とわかってから読むと、あの家族構成であの経験をしている人がこんなこと言うか!?と驚いてしまうほど差別的だったり、私とはあまりに違う考え方で、本来だったらミュートしたりフォローを外したりしたいところだ。
だけど、このひとはあのひとだから。
人間っていろんな面があるんだな。ひとりひとりに、矛盾した数々の思いや考えが乗っかっているものなんだな。私と一部の考え方は合わないが、長年見続けてきた”このひと”の愛すべき部分も私はたくさん知っているのだ。ニンゲンはなんと複雑なんだ。そしてそこが面白いのだと思えた。
そんな当たり前のようなことに初めて気づかせてくれた人なのである。
アメリカのアマゾンは、ベーシックインカムを進めて、バカは企業から締め出して税金で自宅待機させるつもりだよ
優秀な知能が高い者、しかも女性・LGBT・黒人・アジア人・中東人など人種性別専門分野の様々な背景の人物を集め、高知能多様性の集団を作って企業をシリコンバレーにしようとしている
効率を求めるとそうなるんだろうね
相変わらずジェンダーがどうとかつまらない話が多いので、過去の用例から「奥さん」あるいは配偶者呼称についていろいろ考えたいなあ。と思って書きます。
勿論、女中などに似ようはないと、夢か、うつつか、朦朧と認めた顔のかたちが、どうやらこう、目さきに、やっぱりそのうつ向き加減に、ちらつく。従って、今声を出した、奥さんは誰だか知れるか。
それに、夢中で感覚した意味は、誰か知らず、その女性(にょしょう)が、
「開けて下さい。」
と言ったのに応じて、ただ今、とすぐに答えたのであるが、扉(ひらき)の事だろう? その外廊下に、何の沙汰も聞えないは、待て、そこではなさそう。
「ほかに開ける処と言っては、窓だが、」
さてはまさしく魘(うな)された? この夜更けに、男が一人寝た部屋を、庭から覗き込んで、窓を開けて、と言う婦(おんな)はあるまい。(「沼婦人」泉鏡花、1908(明治41年)
「奥さん」は、自分の配偶者というより既婚女性に対する敬称として用いられています。「女中などではなく」自分が夢想する上流階級を思わせる女性(奥さん)が誰か分からないが、夜更けに訪ねてきた「女性(にょしょう)」は普通の「婦(おんな)」ではないだろう……という流れですが、この呼び分けは、日本語代名詞の豊かな言語世界を垣間見せてくれますね。
「奥さん」という語がめちゃくちゃ出てくる小説と言えば、やはり夏目漱石「こころ」(1914(大正3年))でしょう。前半では「先生」の妻である静さんの呼称として、後半では先生が青年期に下宿していた、静さんの母親の呼称として「奥さん」が登場します。この作品は、一人称の語り手による手記の体を(前半後半とも)取っているため、固有名詞を避ける書き方をしており、その結果であると思われます。
私はすぐ玄関先を去らなかった。下女の顔を見て少し躊躇してそこに立っていた。この前名刺を取り次いだ記憶のある下女は、私を待たしておいてまたうちへはいった。すると奥さんらしい人が代って出て来た。美しい奥さんであった。
「奥さんらしい人」という表現から、「奥さん」が「配偶者」の意味で用いられていることが感じられます。ただ、自分の配偶者を呼ぶ呼び方ではないですね。
私の知る限り先生と奥さんとは、仲のいい夫婦の一対であった。家庭の一員として暮した事のない私のことだから、深い消息は無論わからなかったけれども、座敷で私と対坐している時、先生は何かのついでに、下女を呼ばないで、奥さんを呼ぶ事があった。(奥さんの名は静(しず)といった)。先生は「おい静」といつでも襖ふすまの方を振り向いた。その呼びかたが私には優しく聞こえた。返事をして出て来る奥さんの様子もはなはだ素直であった。ときたまご馳走になって、奥さんが席へ現われる場合などには、この関係が一層明らかに二人の間に描き出されるようであった。
「こころ」は新聞連載ですが、奥さんの初登場は先の連載4回目、その後奥さんと先生(夫)の重要なシーンである第8回を経て、この第9回で初めて名前が登場します。この作品、先生を訪問してきた「私」と奥さんが共に食卓を囲むシーンなどが多くあり、この夫妻は大正当時の一般的な夫婦関係よりも幾分現代に近い感じで描かれているように思います。
次は、「先生」が若いころ、その奥さんの自宅に下宿をしたとき、奥さんの母親を「奥さん」と読んでいたというシーンの引用です。(中略があります)
それはある軍人の家族、というよりもむしろ遺族、の住んでいる家でした。主人は何でも日清戦争の時か何かに死んだのだと上さんがいいました。一年ばかり前までは、市ヶ谷の士官学校のそばとかに住んでいたのだが、厩(うまや)などがあって、邸(やしき)が広過ぎるので、そこを売り払って、ここへ引っ越して来たけれども、無人で淋しくって困るから相当の人があったら世話をしてくれと頼まれていたのだそうです。私は上さんから、その家には未亡人(びぼうじん)と一人娘と下女より外にいないのだという事を確かめました。私は閑静で至極好かろうと心の中に思いました。
(略)
私は未亡人に会って来意を告げました。未亡人は私の身元やら学校やら専門やらについて色々質問しました。そうしてこれなら大丈夫だというところをどこかに握ったのでしょう、いつでも引っ越して来て差支えないという挨拶を即坐に与えてくれました。未亡人は正しい人でした、また判然(はっきり)した人でした。私は軍人の妻君というものはみんなこんなものかと思って感服しました。感服もしたが、驚きもしました。この気性でどこが淋しいのだろうと疑いもしました。
(略)
私は未亡人の事を常に奥さんといっていましたから、これから未亡人と呼ばずに奥さんといいます。奥さんは私を静かな人、大人しい男と評しました。それから勉強家だとも褒めてくれました。けれども私の不安な眼つきや、きょときょとした様子については、何事も口へ出しませんでした。
「上さん」「未亡人」「妻君」「奥さん」は全て同じ人物を指していますが、それぞれの場所でニュアンスが異なることが分かります。それぞれ「下宿屋の女主人」「(夫を亡くした)配偶者」「配偶者(尊称)」「既婚女性(尊称)」くらいに捉えるのが適切でしょうか。
そういうわけで、私たちは家の主婦を奥さんと呼んでいました。下宿屋のおかみさんを奥さんと呼ぶのは少し変ですが、前にも言う通り、まったく上品で温和な婦人で、どうもおかみさんとは呼びにくいように感じられるので、どの人もみな申合せたように奥さんと呼び、その娘を伊佐子さんと呼んでいました。家の苗字は――仮りに堀川といって置きましょう。(「白髪鬼」岡本綺堂、1923(昭和3年))
…「下宿屋のおかみさんを奥さんと呼ぶのは少し変」という言語感覚から、「おかみさん」「奥さん」の使い分けがくっきりと見て取れて面白い用例ですね。この話は、発表は昭和ですが、岡本綺堂は明治生まれですし、物語内時間は10数年前(つまり震災前)という設定ですから、言語感覚としては漱石の少し後、大正期の中頃を反映していると言った方が適切かもしれません(まあ、それを言うなら「こころ」の場合、おおむね時代は明治期の想定と言えそうですが。)
昭和に入ると、「奥さん」が配偶者を指す呼称としてライトに用いられ始めたように思います。太宰はこういう言葉のちょっとしたニュアンスが本当に上手な作家で、次の用例の言葉の使い分けは非常に印象的です。
「奥さま、もうすこしのご辛棒しんぼうですよ。」と大声で叱咤しったすることがある。
お医者の奥さんが、或るとき私に、そのわけを語って聞かせた。小学校の先生の奥さまで、先生は、三年まえに肺をわるくし、このごろずんずんよくなった。お医者は一所懸命で、その若い奥さまに、いまがだいじのところと、固く禁じた。奥さまは言いつけを守った。それでも、ときどき、なんだか、ふびんに伺うことがある。お医者は、その都度、心を鬼にして、奥さまもうすこしのご辛棒ですよ、と言外に意味をふくめて叱咤するのだそうである。(「満願」太宰治、1938(昭和13年))
医者が、夫の体の静養のためにセックスを禁止して…というちょっとした掌編なのですが、最初の「奥さま」は、医者が患者の配偶者である若い奥さんに言い聞かせるときの呼称、医者の「奥さん」は医者の(やや年配の)配偶者のニュアンスで用いられていますが、地の文での「奥さま」と「奥さん」の使い分けで、雰囲気が表現されているのは実にうまいです。
最後に、呼称という点で、最初に見かけてこれは書き留めておきたい(ぶっちゃけこの記事を書くきっかけになった)のがこちら。
妻は水の引くように痩せて、蚊帳の中で死んでしまった。死ぬ前「今度奥さんを貰う時は、丈夫な奥さんを貰ってね」と言った。
「莫迦、お前が死んだら俺は一生独身でいるよ、女房なんか貰うものか」
彼は妻の胸に涙を落しながら言った。その涙をふいている内にふと俺は嘘を言ってるのかも知れないと思った。
しかし、妻が死んでしまうと、彼は妻に言った言葉を守ろうと思った。死んだ人間に対しては、もう約束を守るよりほかに何一つしてやるものがないのだと思った。
この3つの呼称の呼び分けを、代名詞が豊富でない文化圏の人にどうすれば伝えられるだろうなあ、と思ったりします。
さて、蛇足ながら、このエントリを書いた理由について。呼称、代名詞というのは、時代によって変遷し、人の心を映すもの。だから、いろいろな意見や議論はあっていいと思いますし、そもそも言葉が時代のジェンダー観を反映するというのは、取り立てていう必要もないくらい当たり前のことではありますが、そういった、人々の内心の方を変えるのが面倒だからといって、言葉の方に罪を着せるようにして言葉狩りじみたことをするのは、正直「違うんじゃないかなあ」と思います。人々の心が変化すれば、誰が強制しなくても言葉は廃れ、変化していきます。〇〇という言葉を使うな!なんて言わなくても、それが指す事象が消えたり変化したりすれば、あっという間に言葉は移り変わっていくものです。だから、変えるべきことを人々の総意に基づいて粛々と変えるよう努力するのが重要であって、「言葉狩り」みたいな遊びで何か大きな社会貢献を為したような気分になるのは、正直やめてもらいたいなあ、と思っています。そんな感じのことを感じていただけたのなら、この記事を書いた意味があったというものです。ありがとうございました。
「最強(の)理論」だから即ちダメという発想がもう飛躍なんだがな。確かに無敵論法という定着した言葉があってこれは一概に悪しきものとされるけどな。
たとえばひろゆきとかが使う「それってあなたの感想ですよね?」って返しは、議論の場で感想とか主観でものを述べてる場面では最強だが、だから使っちゃダメな返しということには全くならんだろ。そもそも主観意見いうやつに非があるので主観意見を言わなければいいとなるだけ。
同じように同一人物扱いされたくなかったらそもそもすでにある書き込みと同一の立場に立ってるような書き込みをしなきゃいいだけ。あるいは一方だけを叩く頻度が多いみたいな状態にならないようにすればいいだけ。
違和感感じるに対する「そういうとこだよな」ってのも説明不足が過ぎる。「違和感を覚える」と書かなきゃ日本語としておかしい的な話か?
陰謀論者と同じ思考回路だからダメってのも全く意味不明。まるで人殺しには猟奇的な趣味があるやつがいるからと、スプラッター映画見てるやつもまた猟奇的なことが好きだから悪人に決まってるっていうような論理だな。
お前の論理に対するこだわり方は、たとえるなら「お前は何もわかってない」と言ってきたやつに対して「何もってことは全くってことだけど、全くわかってないわけじゃないのだから何もわかってないというのは論理的におかしい」などと食って掛かるようなやつと同じ。字面通りの論理にこだわりすぎ。
あと増田に暇つぶし以外の目的で書き込むやつなんかいるかよって話だが、暇つぶしなら増田以外で自己完結した趣味がいくらでもあるのに増田を選ぶってのは自覚無自覚問わずそれ以上の目的があることは多いと思うよ。
自分の発言を誰にでも見られる場所に半永久的に残しておきたい、とかあわよくば社会的に影響してくれたらいいな、とか、単に相手をわからせたい欲求を満たしたいとか。
何言ってんだこいつ。江川のWikipediaぐらい読んでこいよ。
マスコミがオウム真理教を持ち上げてたころからのマスコミによる加害をずっと批判的に取材し続けている人。著作も多数。
羽生が具体名を明らかにして、そこに真実マスコミによる加害が存在するなら、まず真っ先に羽生の味方をするであろう人物。
その背景を上手く読み取れてない奴こんなにいるんだな。
羽生結弦側の主張
現在、様々なメディア媒体で、一般人であるお相手、そのご親族や関係者の方々に対して、そして、私の親族、関係者に対しても、誹謗中傷やストーカー行為、許可のない取材や報道がなされています。生活空間においても、不審な車や人物に徘徊されることや、突然声をかけられることもあります。
私たちは、共に思い悩みながらも、このような事態から、互いをなんとか守っていけるように努めてきました。
しかし、私が未熟であるがゆえに、現状のままお相手と私自身を守り続けることは極めて難しく、耐え難いものでした。
このような状況が続いていく可能性と、一時改善されたとしても再びこのような状況になってしまう可能性がある中で、これからの未来を考えたとき、お相手に幸せであってほしい、制限のない幸せでいてほしいという思いから、離婚するという決断をいたしました。
マスコミ側の主張。
なんか週刊誌とかはやりすぎたりするみたいんだしw
はっきり書いたほうがいいんじゃないのw
キモすぎるだろ、こいつ。
本気で大丈夫かよ。
かりに同一人物じゃなくても立場というか陣営というかとして同じようなこと言ってる書き込みは同一人物によるものとして問題ねーだろ。同化されたくなかったら書き込まなきゃいいだけなんだから。
すげー理屈、同じようなこと言ってるから同一人物によるものとして問題ないって最強理論すぎる。
Xで1000から同じような指摘や批判された時「同一人物による複垢でのポスト」で処理できるわけだ笑
違和感感じる
こういうとこだよなー。
どうしても同一人物とされることに違和感感じるなら「同一の立場」と思われてると考えればいい。そこに一個人一個人を人格として区別する意味などないよな。顔のない「お前らの考え方」としてまとめて批判してるだけだ。
同一人物ではなくても「俺が同じだと思うから同じグループの統合された思考」として批判できるって、陰謀論者と同じ思考回路よな。
虫けらの脳みそだと世界を認識するために過度な単純化が必要なんだろうけど、そうすると陰謀論みたいな話になっちゃうんだよね。
あとお前直接的に別人だと一言も言ってないうえに間接的に俺がおかしいと言ってるだけなんだからどうせ同一人物だろ?
かりに同一人物じゃなくても立場というか陣営というかとして同じようなこと言ってる書き込みは同一人物によるものとして問題ねーだろ。同化されたくなかったら書き込まなきゃいいだけなんだから。
どうしても同一人物とされることに違和感感じるなら「同一の立場」と思われてると考えればいい。そこに一個人一個人を人格として区別する意味などないよな。顔のない「お前らの考え方」としてまとめて批判してるだけだ。
タイポだと信じたいが、せめて語弊を恐れずに例を挙げてくれや笑
「私の言葉の使い方は正しいなぜならば」と挙げた理屈が間違ってるんだから、間違ってると指摘するのが道理だろ、頭おかしいんか?
同一人物による書き込みなのか定かじゃないものを集めて本心を推測するのはキチガイであることは書いてあるんだが、理解できないようだな。
って書かなくても伝わると思ってたから書いてないってことなら、アスペだね。
「書いてある文章から読み取れる内容」であることは説明してるよね、同一人物であるか定かではない複数の文章を統合して考えるのはキチガイだって話だぞ。
あと原義がどうとかわざわざ辞書での扱い方というわかりやすい目安出してやったのにお前の方こそ原義という一点にこだわって相手に意趣返し始めてるアスペしぐさになってるぞ
論理として「原義が同じなら違うわけがない」というのが偽であることを示してるだけ、意趣返しだと思ってるなら論理構造を理解してないってことだな。
「お前がそう思うことがおかしい」ってどこに書いてあるん?
って書いてるけどそれは無視してるのはなんで?
って言ってるぐらいなんだから、増田で相手の書き込みから政治の世界でするような類推(たとえば書き込みの内容、ではなく頻度のようなメタ的な要素から本心を推測する)をするのはおかしいって思ってるよね?
増田という相手が同一人物であるかわからない媒体で「相手の書き込みから類推する」って馬鹿だからね。
便所の壁に書いてある落書きを集めて、メタ視点使って筆者の政治的立場でもひりだすつもりなんか?
原義は同じだろ、原義が同じなら全然違う「わけがない」んじゃないんか?
Apple社のAppleとFuji AppleのAppleが別の原義なのか?
あと自分が馬鹿だと思う人間を馬鹿だとわからせた先にお前になんか得でもあるの?そもそもどんなに時間かけても自覚する保証なんてないのだから時間無駄にしてる気にならんか?
増田に書き込んでいて「時間の有効利用」を考えてるのクソおもろいわ、虫けらってのは暇つぶし以外で増田になにか求めてるんだな。
https://twitter.com/USAmbJapan/status/1726457402923610143
強いビジョンを持ったリーダーであり、市民外交と文化交流によって日米関係を大きく進展させた池田大作氏の功績に思いをはせています。池田氏の平和と相互理解への功績はこれからも生き続けることでしょう
米国大使が弔辞言うほどの人物だったら、岸田文雄が弔辞言うのも仕方なくない?実際にカトリックの偉い人が死んだ時に弔辞述べてるわけだし。(この時は何故か騒いでない)
ジャニーズをアクロバット擁護して被害者を叩くジャニオタ、無茶苦茶なセクハラ狂言を無条件で信じて草津町・草津町長を誹謗中傷したフェミ、宝塚でのパワハラを沈黙でサポートし続けてきたヅカファン、羽生さんの結婚相手への誹謗中傷。
そして今回真っ向から法律違反行為である「法的根拠の曖昧な私人逮捕系Youtuber」を擁護する女どもが女の中で多数派だということが判明した。
https://twitter.com/takigare3/status/1723295812124606852
これは大ニュースだろ。
実際には監禁罪や逮捕罪、暴行罪にあたる可能性が高い行為を繰り返しているだけの犯罪者だ。
ましてや冤罪を生まないように設計されている法律を無視して行動してるから、どんどん冤罪を生む。
実際に冤罪の人も出てるみたいだしな。他にも私人逮捕系Youtuberが被害者とした人物が被害を否定してる動画も見たことあるぞ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/newsdig.tbs.co.jp/articles/-/846980
しかし、それでも女の大多数は支持している。
女は反社会的だと言わざるを得ない。
さらにヤバいのが、「どちらかと言えば反対」に投票してる男性を痴漢支持者だと勘違いしてる女が大量発生してる点だ。
これを見て「やっぱり男は痴漢するような奴らばかりなんだ」と完全に陰謀論になってしまってる。
法治国家を何だと思ってるんだろうか。バカなんじゃなかろうか。
女は法治国家に住むには早すぎた。
追記:
https://comic-walker.com/viewer/?tw=2&dlcl=ja&cid=KDCW_MF01201642010038_68
第38話:直談判
37話の「中ぐらいの権力を持った敵役によって絶体絶命の危機に陥った主人公」、どうなるかと思ったら
古式ゆかしきサラリーマンまんが(釣りバカ日誌)もっと古くは水戸黄門の
”その前に偶然知り合い意気投合していた相手Aが実はもっと高い地位の人物だったというのが明らかになり、Aの助力で解決に至る”の系譜・変奏曲でした。
さすがに令和だけあってそのままではなく
・中ぐらいの権力を持った敵役によって危機に陥り、問題を解決できるレベルの高い地位の人物Aが敵役サイドについたおかげで絶体絶命レベルに達したが
・高い地位の人物Aは偶然、一方的に主人公を認識しており、実は味方だったので解決に至る
というひねりが面白かった
古典版における伏せられた情報が「Aは(そう見えないが)実は権力者である」(主人公とAが意気投合している情報は開示済み)
と言うのに対し
本作で伏せられた情報は「権力者Aが、実は知己Bの知りあいであった」(Aが権力者であることとBと主人公が意気投合していたことは開示済み情報)
前者(古典型)も本作も伏せられていた情報が明かされることによるプチどんでん返しなのですが、古典的な方は現在では陳腐化しているので、パロディでもないかぎりやめた方がいいですね
そして本作の方の”偶然”が若干「唐突」で「アンフェア」な感じを与えるのは興味深いです
(古典型の場合、Aがただ者ではない描写の程度はいくらでも加減できる)
本作の場合の「Aが一方的に主人公を認識している」描写は、読み返せば存在していたのかもしれませんが…
そして一難去ってまた一難! 来月が楽しみ