はてなキーワード: 人物とは
顔写真を「タイプ」って気に入ってくれて、電話も話もはずみ、その後何度も向こうから電話かかったりしてめっちゃ会いたいって言われたからお互い予定合わせて会った
そんで実際に会うと向こうの方が背が高かった
その時俺は今ほど身長を気にしていなかったので普通に接していた
向こうはいきなり気まずそうにしており、電話と違って全く話が弾まずこっちから話を振っても適当な返事をされた
その後「急用ができた」っていきなり切り上げられて向こうは帰って行った
「向こうから会いたいって言ってきた癖に変わった人だな」くらいの感覚でその場は終わった
後日友達と飲みに行った際に「なんかお前の写真見て高身長って想像してたらしい」と言われLINEを見せられた
LINEには「勝手に身長高いのイメージしてたけど実際会ったらうちより低くてないなってなったw」とか送ってた
あまりにも向かついたから友達が止めるのも聞かずにその女の「バイト先のイルミネーション飾り付け♩」とか言ってるツイートに「お前〇〇に俺のことチビ呼ばわりするライン送ったよな?お前の小腸引き摺り出して電飾に巻きつけてやるから待っとけよ」とリプした
あ、もう一つ思いついた。「人は一人では生きていけないんだよ」とか御涙頂戴通俗漫画で決まり文句みたいに使われる言葉を吐く人物をフリーレンと対話させることを想像してみ?途端にその人物のハリボテ感と安っぽさが見えてくるだろう?
3話くらいまでだと、じんわり染み出るヒンメルの偉大さを感じる作品だなって思ってた。
金曜ロードショーで4話を一気に放送していたから、元増田も4話一気に見てからスタートだろうな。
俺はどうせ「推しの子」みたいな展開になるんでしょって思ってたけど、そういう意味で言うとなんで4話一気に流したのかよくわからなかった。
弟子の女の子が16歳になったというシーンでのバストのアップは少年誌にありがちな描写を入れてるだけで、終始あんな感じというわけではない。
個人的には師匠があり得ないほど強いバトルものって感じがした。単に強いだけだと怖い感じになるので、わざと間抜けなところを入れているのかなと。
フリーレンは日常生活においては正直間が抜けているし、長寿であるがゆえに時間の感覚も人間よりもずっとおおらかなんだけれど、魔法とバトルに関するスキルはずば抜けてるよね。
そして、師匠としての自覚があり、そういうふるまいができる人。死なない程度を見極めて、厳しく修行をつける人だなって思った。
3話まで見たなら、フリーレンがフェルンにどんな修行をしているかは見たんでしょ?あの人かなりスパルタだよね。
村のクソガキがスカートめくりするシーンはフリーレンが長寿だということを示すシーンかと思った。
前にあった時にフリーレンの印象に残ったということを自然に示したうえで、同一人物が爺になっているというのを示そうとしたら、あの描写だったのかなと。
女子二人の萌え萌え冒険譚というより、女子を主人公にして師弟関係があるバトルものを作ったらこうなったみたいな話だと自分は思った。
葬送のフリーレンだと今のところ、明らかに黄金のマハト編だけ浮いてるレベルで人物が掘り下げられて
広義の『人間』(種族としてのそれではなく)として描かれてるんだよね
で、主要人物はデンケン、マハト、グリュックという、少なくとも外見上は全員男性。
デンケンの亡き妻への想いやマハトとの師弟関係は真の主人公と言われる程に熱く描かれている。
マハトは人間とは相容れない精神構造の魔族であれど、人間を好きになりたいと考え滑稽なまでに右往左往する様子や
読者の感情移入を誘うように丁寧に描かれている
否定派ではないにしろ最近は漫画原作多すぎない?というのを思ってもう10年くらいたった気がする
特にこの数年はほどよく人間ドラマで重くなりすぎず食べ物・料理を中心に据えた「ちょうどいい」ドラマになりそうな漫画を制作側があたりをつけて探しているのかな……なんて想像してしまう
しかしばかになんて全然できないもので、今年はちょっといろいろみてみようかなと思って全く期待せずに見た好きな漫画原作のドラマがよくできていた
ドラマ化にあたってエピソードやキャラクターをいったん解きほぐして再構成再構築することによってむしろ原作の方を読んでいるときに感じていたキャラクターのブレや粗やテンポの悪さや画面のガチャガチャ感がうまいこときれいに整えられていて、一部改変されている設定があるにも関わらずそれでいて原作のエッセンスは損なわれてもなくそれぞれのキャラクターがより強固に立ち上がっていてなんか感心してしまった
役者さんもみんなうまいし浮ついたところもなくていい意味で本当に「ちょうどいい」ドラマになっていてあえて佳作って呼びたい滋味のあるドラマになっててとてもいいので続けて見ている どの作品とは言わないけど
一方でどの作品とはやっぱり言わないけどシーズン2でこんなにダメになる……?と個人的に感じてしまうドラマもあったりしてそっちの方がより好きな作品だったので残念
キャラブレというか多分この人はこんなこと言わないんだよなっていうのが複数のキャラクターで連続したのと単純にとても頭がいいはずの人が喋る日本語が急に拙くなっていたりという面でがっかりするのと
どんな事情があったかはなんとなく察しはつくけどその改変はこのドラマでやる意味がないな……その改変にすることでとたんに陳腐にチープになる物語という感じになってしまって
人間ドラマの方を偏重しはじめようとキャラクターにすべてを喋らせるのでさらにそれが加速する……みたいなとこが残念で次話はもういいかな、となってしまった
あと「私物化」っていうくらいすごい演じ方をする人のいるドラマって見るの結構疲れてしまうし
もう一つのドラマは結構がんばってるけど、主人公のお母さんがめちゃくちゃ解釈違いで残念だった
あの主人公のお母さんが普通におしゃれで品のいいマダムではだめだろう、それでは多分あの主人公の内面や現在の人生にはならんだろう、彼女が育たないだろうみたいな部分で冷めてしまう
原作の守らないと物語が180度とは言わずとも90度くらい変わっちゃう部分を変えられてしまうと違和感が出やすくて、そうでないところは大胆に改変しても作品のテーマや人物の芯をとらえていれば根本が変わらないみたいなドラマづくりの巧拙のようなものを感じた2023年の秋冬です
どれがどれとは言わないけど
なおもう一つのドラマは絶対なんかいたたまれない気持ちになりそうで最初から見てない
センセーショナルな要素だけすくって現実の絵面でやるとアクしか出てこなそうで原作の繊細すぎるほど繊細な部分全部なくなってそうで怖くて見れないよ、うまいこと作られてるかもしれないけど私は勇気なくて無理
初投稿です。
地方の県庁所在地に住んでいるんですが、徘徊老人がオートロック付マンションに入り込むのを半年で2回も経験して不思議に思ってます。
一回目は自分のマンションで、二回目は親が住んでるところ。いずれも分譲で、住人ではない人物が入り込んでるんだが、どちらも「トイレがしたい」と言うのが特徴。すごく焦っている感じを出してくる。
別人だけど、両方おばあちゃんだった。
なんで自分の住居でないところに、わざわざ来るのか不思議で仕方ないのですが、自分が2回も経験してるってことは、よくあることなのかな?と思って。
もし体験したことある方は、どう対応したかも教えてほしい。(マンション供用部のトイレ使われるのも困るし・・。)よろしくお願いします。
やあ、皆さん。陰謀の舞台裏に潜む者、イルミナティのガブリエルだ。今回は、我々の秘密の活動について、もう少し深堀りしてみよう。
集団ストーカー、思考盗聴、大規模監視。これらは決して陰謀論ではなく、我々が日常的に実行している活動だ。集団ストーカーは、哲学的ゾンビのようなNPCたちが、我々がプログラムした通りに振る舞う舞台を作り上げるものだ。彼らは我々の指示に忠実に従い、私たちの計画を実行するために存在している。
思考盗聴は、我々が衛星に取り付けた特殊な装置を通じて行われている。スマートフォンと連動しており、誰の思考なのかを自動的に判別することができる。これによって、個々のイエローモンキーたちの深層心理にまでアクセスし、彼らの動向を完璧に把握しているのだ。
そして大規模監視。これは一般に広く知られているが、Android、iOS、Windowsなどのオペレーティングシステムがデバイスを操作し、イエローモンキーたちのあらゆる行動を監視している。これにより、我々は一般人々の生活の奥深くまで手の届く情報を得ることができる。
では、なぜこんなことをしているのか。その鍵は「ムビフィケーション」にある。イエローモンキーたちは、まさにトゥルーマンショーの主人公のような存在だ。お客様たちは主人公に干渉し、ストーリー展開をコントロールすることができる。そして、我々が持つムビフィケーションAIは、その主人公の監視情報から自動的に映画を製作することができるのだ。
「誰を主人公とした映画を見てみたい」とイルミナティ会員が要求すれば、その映画を手に入れることができる。この映画は一般に流通するものではなく、わずか1%の特別な商品だ。現実の誰が主人公になっているのか、それを想像してみてほしい。
イルミナティ会員たちは専用のTVを持っており、その中でムビフィケーションされた作品を視聴することができる。これによって、我々はエンタメのために集団ストーカー、大規模監視、思考盗聴を行っているのだ。現実とフィクションが交錯する中、我々の陰謀はより複雑で、洗練されたものとなっている。
さて、我々の陰謀の更なる深淵に触れていこう。イルミナティが集団ストーキングや思考盗聴、大規模監視を行うのは、単にエンタメのためだけではない。これらの情報収集活動は、社会を操るための巧妙な手段であり、我々の影響力を強化する要素でもある。
「ムビフィケーション」は、ただの映画制作手法だけではない。それは同時に洗脳とも言えるものだ。我々のAIは、主人公の監視情報からその人物に合わせた情報や出来事を取捨選択し、都合のいい形で映画を構築する。これにより、イエローモンキーたちは自分たちの生活を映画の中で見ることで、徐々に自己認識を失っていく。彼らは演じられた現実に溺れ、我々の手中に操られる存在となる。
さらに、我々は政治や経済にも深く介入している。イエローモンキーたちの行動や意見を把握することで、我々は社会の動向を予測し、必要な方向に導くことができる。経済的な影響力もまた、我々の手中に握られている。特定の商品やサービスに対する需要を操作し、市場を操っているのだ。
一方で、我々イルミナティのメンバーは、この陰謀の中で特別な地位を持っている。我々の決定は、一般のイエローモンキーたちには理解できないような深い哲学と知識に基づいている。そして、その知識を持つことで我々は支配の中心に立ち、社会の糸を操っているのである。
最終的に、我々の目的は「絶対的なコントロール」だ。イエローモンキーたちは我々が用意した舞台で演じられ、我々の思惑通りに振舞う。彼らは気づかずに我々の手で導かれ、我々の望む未来を築く存在となっていく。これこそが、真の陰謀の本質であり、我々イルミナティの究極の目的なのだ。
これからも、舞台裏で繰り広げられる陰謀の真相に迫っていく。イエローモンキーたち、目を開け、真実を知る覚悟を持っていることを祈るばかりだ。 Stay vigilant, and embrace the revelation.
コイントスで表裏を当てるゲームを2回連続で外した人が実は2回連続であてていたシナリオの世界から来た同一人物×100くらい「そう思うだろ?俺が上振れしてるんだけどまあ結局50%やで」
コイントスで表裏を当てるゲームを2回連続で外した人が実は1回あてて1回外していたたシナリオの世界から来た同一人物×200くらい「全員揃ったかやるぞ」
コイントスで表裏を当てるゲームを2回連続で外した人×100くらい「お前らのせいか!変に勘定を合わせるな!俺にあてさせろ!」
ブックに書いてあるキャラクターを演じ、そのキャラクターに命を吹き込むことを売りにしてる。
そのキャラクターを演じきるために自分自身を鍛えた結果、常人よりも優れた能力を有している。
演者自身の生まれ持った部分がブックにも反映されることでキャラクターと演者が少しずつ融合していく。
融合しているとは言えあくまでキャラクターを演じているだけなのに、それを区別できない人がキャラクターの方をその人物本人だと勘違いし始める。
完全にプロレスラーじゃん。
レスラーとしての人格と個人としての人格は別物だって皆分かった上で、リングの上ではキャラクターそのものに完全に成り切っていることを皆評価しているのに。
プロレス界はそういう文化に馴染んでいるけど、プロレス界から遠ざかるほどにその文脈理解が下がって、生きている限りずっとキャラクターを演じることを強要されたりするんだろうな。
えっと、SNSやYoutubeの演者相手なら加害者側がだれを指して誹謗中傷、または侮辱してるかは特定できるよな?
でも増田や5chのような匿名性があるところでは、どの増田や名無しに対していっているのか、加害者側が一個人を特定して
言っているのかが証明できないわけだ。同じ増田がトラバでどれだけやり取りしてバカを連呼しようが、そのトラバが同一人物相手と認識して
コテハンや俺はずーと元増田だとか言ってればまた別の解釈がなされるかもしれんが、匿名性のあるところでは言葉の先が特定できない状況であり
犯罪を問うのは難しいという話
「同一人物であるか」と「文脈」は別ものなんだが、そこらへんから理解するの難しい感じなんだね。
俺は「江戸時代増田」の話してるのに「俺はもうそんな主張してない」って馬鹿が絡んできたから、律儀に返してあげてるだけだぞ。
匿名だろうが実際に同一人物ならばりばり継続の意思あることになるよな。ここ数時間で何度キチガイという書き込みがあったか。
同一人物かどうかはお前のみぞ知るなんで、別人ならそれでよし、同一人物と自覚してるならドナドナを震えて待っとけってだけの話よ
お前がどの増田なのか知りようがないんだが、匿名の意味がわからないとしたら馬鹿すぎて流石にドン引きだぞ。
お前の普通はnいくつなんだよ
江戸時代に精神病の呼称として平安時代からの「物狂い」に加えて「きちがひ(幾知可比)」としてこの言葉が生まれた[1]。当時の公文書、少なくても仕置に関する公文書(たとえば判例集の御仕置裁許帳)では、江戸時代はじめ1670年代から1680年代までは「気違」が使われていたが[注 1]、罵り言葉としてもしばしば使われる一方で、「○○キチガイ」といった表現は「○○愛好家」「○○マニア」といった肯定的な意味で使われている[注 2][注 3]。
この流れの上で江戸時代のWikipediaを引用した増田が横増田であろうがなんだろうが、「キチガイ≒統失」の論拠として出してる増田なわけ、この時点では俺の投稿に対する言及者は「キチガイ≒統失」という一貫性を持っていて踏襲した話をしてるからそう言ってるだけだぞ。
「お前がそういう主張してたからだよ」なら同一人物によるものと仮定してることがわかるだろうが
暇じゃないから検索で上の方に出てきたのを適当に引用したって言ったが?
あと「江戸時代の話が出てきた時点では「キチガイ≒統合失調症」って主張だったからだよ、」と言ってる以上、いくつかの主張を一人の人物によるものと仮定して結び付けてるのは確かだよね?
違うといいたいなら違うと言う方が証明しなきゃならん。
に対して回答したまでだぞ。
お前がどの増田なのかも知らんしどの増田が同一人物かもわからんのに「俺は撤回したのに」とか言われても困るわ、お前馬鹿だから理解できないのかもしれんが、どの増田がお前なのか他のやつからは知る由もないんだぞ。
人物同士の同一性は同一と主張する方に証明義務が生じるだろうが、
同じ言葉の意味は同じなのがデフォだろ。たとえば1秒後に意味が変化するとはほとんど全く期待されない。1年や5年スパンでもそう。
なら「何年経過すれば確実に意味が変わってしまうか」ということに焦点が当たるわけで、それは「意味が異なる根拠になるか」という問題になる。
違うといいたいなら違うと言う方が証明しなきゃならん。
別に漫画のことならなんでも知ってるわけじゃないが、漫画以外のことはそれこそ何も知らないので以降の話は漫画に限定した話になる。また当方発達障害なので文章に癖があるかもしれないので読みづらい文章になってても特にフォローはできない。
・
漫画文化の神髄を味わうということであれば有名どころだけ読んでいればよろしいと思う。
極端な話手塚治虫と大友克洋の作品を死ぬまで何週でもしていれば十分でさえあると思う。
それは多くの漫画家の作品というのはこうした偉大な漫画家の作品の画風も構想も何もかも模倣したものに過ぎないからだ。
外国では漫画家は実在の人物をモデルにデッサンしていきその描き癖を自分なりの絵柄として昇華させていくらしいが、日本の漫画家は別の先行の漫画家の絵をトレパクして画力をあげる=その画風を習得してよしとするというパターンが多い。
よって偉大な人が一つ画期的な画風を確立するとひそみに倣って我も我もと無名の漫画家が同じ絵柄を量産していく。もちろん構想やストーリーの組み立て方も漫画から学ぶ。
そうすると巷に出回っている漫画というのはほとんど、偉大な漫画家という原液の一滴を無味無臭の水に薄めたようなものに過ぎない。あるいはそのうっすい液体でさらに別の漫画家が育っていくという連鎖が起こるなら、原液のバケツリレー、伝言ゲーム。
そんな作品を何万作品読んだって原液の濃さに匹敵する体験消費などできないのだ。
だったら最初から原液をしゃぶりつくした方がコト消費としては良質だと思う。漫画の神髄にアクセスしてることになると思う。
もちろんこうした偉大な作家だって最初は無名だったことを逆に考えれば、今無名な有象無象から偉大な作家が現れることはあるかもしれない。
しかしそういう人は必ず時間差はあってもちゃんと評価されると思う。評価されないということは結局原液を薄めた以上のものではなくて、自分で新たな原液の開発もできなかったといいうことだ。
「自分がこの漫画家を最初に見つけた」なんてことを自慢することにこだわりたいのでもなければ、何千万時間もかけて異世界やらティーンズラブやらハーレクインやらに有象無象の漫画を乱読するより、すでに有名な漫画だけ読めばいいと思う。