はてなキーワード: 事象とは
いち早く適切な (印鑑などの相手が任意でつけられる手段ではない) 物証が出せるようになると、痴漢被害を受ける側としても助かる。
痴漢防止印鑑はむしろ証拠の捏造に寄与するから、万害あって一利無し。
長期拘留はそれ自体が社会的生活に多大な悪影響をもたらす(その間、電話すら碌にかけられない。社会人ならこの重大さが分かってもらえるだろう?)
「何月何日何時頃、何線どこどこ方面行きの電車で痴漢騒動が起こりましたが、誤認でした」とアナウンスすれば良い。
該当の事件を報道したメディアにも同等の扱いで報道することを義務づけるのもいい。
真面目な話、無実無関係の善良な男性を動員したいのならコレは急務。
誰も、自分を犯罪者と同様に殴ってくるやつを助けたいとは思わないから。
一応補足だが、「晒し上げるような内容でないなら〜」は、もちろん痴漢冤罪を吹っ掛けようという意志ではなく、(特に満員電車のような密集場所では) 痴漢を仕掛けてきた相手を間違えてしまうリスクがないとは言い切れないので、間違っていたら間違えてごめんで済んで欲しいんだ。 そこに高いリスクが発生して、冤罪をふっかけてしまうことを恐れて結局何もできなくなってしまうのが、いちばん痴漢を利すると思っているので。
全くだ。
自分は手帳や障害年金などをもらう程度ではないが、週4非正規で働いている。都内に住んでいるので通勤もそれ以外もほぼ電車移動だ。
だけどうつ病のような様々な精神疾患、あるいは見えない病や障害を持つ全ての人々への理解は、この社会ではほとんど及んでいない。
人の多い車内の雑音や人の集まった臭い。それらはなんとか耳栓やコロンなどで対策可能だが、「立っているのがやっと」という状態はどうしようもない。とはいえ優先席に座ったら一見普通の健康体である自分がなぜ優先席に座るのかと白い目で見られる。普通席に座れば目の前の高齢者が「最近の若者は冷たいわね」...と、なぜ席を譲らないのかとおばあちゃん同士で聞こえるように口にしてくることもある。多少被害妄想めいていると感じるかもしれないがうつ病患者の妄想というのは現実にある事実に対してその事象が過大に感じられたり、通称は二次妄想という事実に基づく考えで、そういう考えに至るのがうつ病の症状なんだ。
現状できる対策としてはヘルプマークの普及なのではないかと思う。赤い札に白の十字マークのキーホルダーのようなものをぶら下げている人を見たことはないだろうか。あれはヘルプマークといって何らかの際に周りの助けが必要な知的障害を抱えている人やペースメーカーをつけていて席を譲って欲しい人、そんな見えない障害や病を可視化する妊婦マークみたいなものだ。
http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/smph/shougai/shougai_shisaku/helpmark.html
役所や保健所で簡単に手に入る。その割に認知されていないんだ。これが妊婦マークレベルまで普及されてようやくうつ病の人への接し方とかを考えてもらえるようになるのか...と思うとそこまでの労力が大変で、多くのうつ病患者は口を噤んでしまう。黙って耐えるしかない現実があると社会を諦めて死にたくなったりもする。見えない病を知ってほしい。知るだけでなく理解してほしい。それが私のお願いです。
うん、ありがとう。
どうしても性別間のメリットでぶつかりがちな話題なので、どうするのがいいかを淡々と考えていけると嬉しい。
いち早く適切な (印鑑などの相手が任意でつけられる手段ではない) 物証が出せるようになると、痴漢被害を受ける側としても助かる。
痴漢対策印鑑みたいな話も出てるけれど、そんなもの買わなくて済む使わなくて済むのほうが楽だしね。
技術的にそのあたりが早く解決するようになるといいんだが。
精神的にもその事象に長々拘束されるのも苦痛なのもわかる。やった前提の恫喝とか恐怖でしかない。
これも関係者 (家族や会社) に謝罪して、それで解決しましたで終わればそれに越したことはないからね。
説明広告は、すまない、ちょっとイメージがつかなかった。いずれの関係者も晒し上げるような内容でないのならいいのかな。
「冤罪は冤罪、なんの不利益ももたらしませんよ」というイメージがつくことは男性の安心につながるかもだし。
一応補足だが、「晒し上げるような内容でないなら〜」は、もちろん痴漢冤罪を吹っ掛けようという意志ではなく、(特に満員電車のような密集場所では) 痴漢を仕掛けてきた相手を間違えてしまうリスクがないとは言い切れないので、間違っていたら間違えてごめんで済んで欲しいんだ。 そこに高いリスクが発生して、冤罪をふっかけてしまうことを恐れて結局何もできなくなってしまうのが、いちばん痴漢を利すると思っているので。
良識派コメンテーターはすべての事象に対して良識的なコメントを求められるからな。
わからない物に対して「よくわかりませんけど」と前置きするのは
え、ブクマカ?
知らん、あいつら狂ってるんだよ
その労力すら無実無関係の男性には負う義理も義務もメリットもない。なぜ自分への差別の正当化を行わねばならない?とは言いつつ、さんざん書いてるぞ。不利益については。
不利益があれば個別に訴えるのが解決への道でしょう。それを訴えるのは差別の正当化でなく、むしろ差別の不当性を追及できることになる。結果として「女性専用車両は問題が多いね」となれば、痴漢対策に別の対処をするわけで。不利益の内訳については今のところ「密度」で他は受忍限度と見ているが、別箇所で話しているのでそこで。
何様が「そんくらい」なんて決めてるんだ?
これはその通りで、だから議論が必要。女性専用車両が4/5になって「男性も乗れるんだから問題ないでしょ!」というのは「そんくらい」にはならないわけで、じゃあどこが線引きかな?というのは議論していくしかない。
その不利益の程度が大事。「差別」は「不利益を与える行為」ではなく異なる扱いをすることです。その結果看過できない不利益を一方がうけるなら、それが問題なのです。
言ってなくても行動で示してる。排除するとはそういうことだ。「別の車両に乗れる」?ナンセンスだ。無関係の男性にはそもそも追い出されるべき理由がない。
ノー、電車にのる目的を達成できないなら排除だが、乗る車両はどれでもいいのに「〇号車にのれない!排除だ!」というのは間違っているよ。
確かに「嘘をついている可能性」は排除できない。痴漢をその場で追及することが精神的に難しいことも影響しているだろう。しかしだから痴漢の存在は証明できず問題ではない、というのはどうだ?事実同じ車両の遠くで痴漢がいたことがあった。日本人の電車利用量の中で私の観測だけで事象を確認できるのだから、すべて嘘ということはないのではないか。
唯一物証と言える「繊維検査」は、ほとんどの場合は残らず空振りだそうです。車両監視カメラもまだ普及していない。物証のみにすると泣き寝入りがデフォになってしまう。推定無罪が機能していないなら問題だが、すべて「冤罪」で片づけるのはまたすべて「痴漢」で片づけるのと同じくらい問題だと考える。
anond:20190527210445 の優しい世界についてはマジで同意。
優しい世界、批判するぐらいなら黙るか去れという世界を指すんだけど、これがもう本当にイケてない。
推しの発言や行動であっても受け入れがたいものってもちろんあるじゃないっすか。
っていうか好きだからこそ推しがイケてないことをしたらモノの一つや二つは言わなきゃってなりますよ。
だってその単独の事象については受け入れられないんだもん、しょうがないじゃん。
そんなに好きじゃないならそれこそ去ればいいんだし。
で、みんなで黙っていたら表では黙認されたと見られるんですよ。
だって誰も声あげてないんだもん、そりゃ文句もなにもないよねってなってるわけだ。
ならみんなどうしてるかって?簡単です。多くのVTuberが設置しているマシュマロや質問箱に意見や文句を匿名でぶちまけるわけです。
匿名なら推しにも認知されることないもんね、表では綺麗な顔して裏では仮面かぶって蹴りまくるわけですよ。
推しの言動や行動の一部が受け入れられないが、黙ってたら黙認だと言われ。
受け入れたくないと表明したら、去るか黙ってろと言われる。
それも嫌なら匿名で殴る。
それが優しい世界の正体なわけです。
何を想定しているのかがわからないけど、こちらの想定は痴漢された上での抵抗行為としての安全ピンです。
それで刺す相手を間違えたのなら、現在痴漢されている状態であることには変わりなく、自分が痴漢行為を見つけるなら冤罪ではなく現行犯の逮捕でしょ。
そもそも「痴漢」というのが極めて稀な事象(3200/256億)であり、「本当に痴漢されてるのか?」という疑念はぬぐえない。
本当に痴漢されてる状態であったとしても間違えてたら冤罪。現行犯の傷害罪。
痴漢がいなくても「痴漢がいるかも」という疑念だけできっかけになる。
そこに痴漢の有無は関係ない。痴漢がゼロになっても、それを人が認識できない以上は冤罪は論理的に存在しうる。
そもそも「痴漢された」が「安全ピンで刺す」という自己救済、加害に直結するその無法者精神も批判の対象だ。
お前が捕まえれば今後間違って刺されるかもしれない多くの人を救うんだからやれよ。
俺が捕まえれば間違った逮捕で人生を狂わされる人がいるかもしれないからやらない。
あーだこーだ理屈つけてるけど結局なんにも関わりたくないだけでしょ?
そーだよ?それの何が悪いんだ?
無実の男性は実際無関係であり、痴漢の疑いをかけられる謂れも車両を奪われる謂れも、ましてや安全ピンで刺される謂れすらない。
何一つメリットなく、差別されてる側の男性がなぜ進んで女性様にご協力奉らなきゃならないんですか?
頼まれてすらいないというのに。
性被害には性質上も社会の受容度の問題もあって訴え出にくく暗数が多いという特徴があるなんてのは常識なんだけど、増田は非常識みたいだからたぶんそこは何を言っても聞く耳持たないだろうしなぁ。
痴漢冤罪の発生は必然的に「痴漢被害を訴えた」事象が起きて、そのあとのタイミング以降にしか起こらないから、構造的に「真実の発生件数のうち、明るみに出ない被害暗数」が少なくなりやすいんじゃないかと思うんだよね。ありうるパターンは、故意の痴漢冤罪を示談で済まそうとする被害者というシチュエーションだけど、そんな美人局が常態化してるとはちょっと思いにくい。
一方で、背景として「どこかで痴漢被害が起きている」からこそ、冤罪が発生する土壌があるわけで、暗数があると考えるのは自然なロジックだと思うけどね。
池袋の事故を筆頭に連日高齢者による人身事故の報道がなされ、それに伴って免許の返納に関する世論も盛り上がっているように見える。
「実際には高齢者の人身事故よりも若年層の人身事故のほうが多い」みたいな話もあるが、その辺りは一旦置いておいて、今回は免許の返納について考えてみたい。
結論から言うと、免許の返納が進むことには大きなリスクが潜んでいる可能性があると思っている。それは、「身体機能や認知機能の低下による社会的コストの増大」だ。
運転をする人ならわかると思うが、自動車の運転には高度な認知機能と判断力、一定の身体機能が求められる。逆に言うと、自動車の運転は「強制的に外部からの刺激を受けて認知・身体機能のトレーニングをしている状態」とも言える。
一方、(本来ならまだ自動車を運転できたはずの高齢者が)免許を返納すると、直面するのは「外出コストの大幅な増加」だ。
公共交通機関があまり発達していない地方で外出をしようと思ったとき、タクシーにしろバスにしろ電車にしろ、自動車以外の外出手段には「タクシーを呼ぶ」「遠くの乗り場まで歩く」「毎回お金を払う」など、多大な心理的・時間的コストがかかる。そうすると、不要不急の外出自体を控えるようになる高齢者も決して少なくはないだろう。少なくとも、平均的な外出回数は減るはずだ。
※ちなみに、65歳以上の高齢者350万人のうち270万人が東京・大阪・愛知以外の地域に住んでいる
つまり、外出頻度の低下による刺激減+運転による刺激減がダブルで起きることになる。これは、高齢者全体として捉えると認知症や寝たきり等の発症件数の増加、発症時期の早期化(結果として要介護期間の長期化)に繋がってもおかしくないように思う。
(記事レベルではこういった話もあるが、根拠となる文献等は見つけられなかった。申し訳ない。何かあれば教えてほしい)
つまり「免許の返納」という方法で高齢者事故の問題を解決しようとするなら、本来は「高齢者の健康リスク増加による社会的コストの増大」と「事故被害者の減少による社会的コストの低下」を比較するのが良いが、まあこれは政治的に無理だと思う。
だとすると、求めるべきは個人の判断に基づいた自主的な返納なんかではなく
といった方法になるのではないだろうか。別に危険な運転をするのは高齢者に限らないので、こっちのほうが網羅的だし。
行政や政治、マスコミの皆様はわかりやすい事象に囚われすぎず、トータルで社会的な便益が大きい方法を考えてほしいと思う次第。
このたびのご炎上はここ最近の出版界のお金の無さや、特定のお国がお嫌いなお方たち向けビジネスやサロンビジネスとかのまさに結実のようである。
それはそれとして、もっと以前から気になっていたのだが、Amazonで本を探すと「教養」というジャンルに自己啓発本が分類され、ランキングの上位をしめているのである。
自己啓発本のいい悪いはともかくとして、この事象を未来の歴史家なり民俗学者なりが見出した時、彼らはこう思うのではないだろうか。
「平成~令和時代の人たちにとっての『教養』とは「こういうもの」と考えられていたようだ」と。
しょうもないことではあるのだが、幻冬舎炎上でなんとなく思い出したのでここに放流しておく。
まあ俺が違うんじゃないかと思ってるだけで、そう売られている以上そう思っている人が多いのかもしれないけどね。
いろんな事象に当てはめたときに、いろんな例外事項を足して切断処理して
同じ事象について、Aは罵っていいけれど、Bを罵るのは非人だとか
大学生の女です。
なんでそんな訳の分からん事象が起きるのか考えてたんですよ、ここ数週間。最近、人肌恋しいというのか、ひとにどうしても甘えたくなってしまう。人の体温が欲しいとはいえ恋人がいるわけでもないから、仲が良い友達に体をくっつけて気を紛らわせている。腕を組んでみたり手を触ってみたり、そういう他愛もないやつ。でも、そのうちそんな軽いちょっかいが暴力に変貌してきてしまう。無防備な背中があれば殴りたくなってしまうし、手元にペンがあればひとの手の甲に突き刺したくなってしまう。なんでか。
まともに甘えることを恥じてるからだと思うんですよね。多分。だって学生とはいえ成人済みの大人が他人にベタベタするのって気持ち悪いじゃないですか。同性ならともかく、恋愛感情を抱いてるわけでもない異性の手を握ったりするのは良くないことじゃないですか(わかんないけど。私はなんの特別な感情もなしに異性に触りたいけど異性にベタつくと周りの反応が変な雰囲気を持ち始めるので多分これよくないんだと思う)。そこで暴力ですよ。暴力は乾いた行為です。そこに恋愛感情みたいなへんな気持ちが混ざることも(多分)ない。少なくとも私にはない。今のところは。
ひとに甘える行為は、こわい。自分が受け入れられなくて拒絶されたらどうしようと思うから。嫌そうな顔で手を振り払われる瞬間を思うと息ができなくなるから。ひとに好き勝手に甘えることを許されるような価値は私にはない。私がもし、ちいさくて素直で顔が人並みはずれて可愛い女の子だったら、どんな甘え方をしても誰にでも受け入れられたんだろうけど、残念なことに私はそんな素敵な存在じゃなくってただの成人済みのブスだ。
だから暴力に頼っている。暴力を受けている人間は客観的に完全なる私の被害者だ。被害者だから当然、加害者の私に対して倫理的優位に立つことができる。私に暴力を受けているひとが私の行為を許すか許さないかは完全にその人に委ねられ、私はただ黙って裁きを受ける側に徹するのみ、ということだ。そして、暴力なんて最悪な行為、許さなくて当然だから、暴力を受けたひとが暴力を拒絶することは当然のこととして周りに受け入れられる。暴力が拒絶されたら私は素直にそれを受け入れて反省したふりをすればいい。まるで最初から何もなかったかのようになる。暴力のなかで私が他人に触れたときのぬくもりが残るだけ。
これが暴力じゃなくて「甘え行為」なら、こんなにさっぱりとは多分いかない。甘えるという行為はいろんな意味で境界線が曖昧すぎるから。甘えるということは、甘えられた人に相当心理的負担を負わせる。「甘えられているから応えないといけないな、この哀れな人間を拒絶したらかわいそうだな」と、多かれ少なかれ感じさせてしまうものだと思う。そしておそらくは、甘え行為を拒絶することへの罪悪感を強要させてしまう。むりやり共犯にしてしまう。それはよくないのだ、私としては。にこにこと優しい顔をした人間に、「本当は甘えられるのが嫌だけど、押しのけたら可哀想だからこのまま甘えさせてあげよう」だとか心の中で面倒がられていたくないのだ。嫌なら嫌ってきっぱり言ってはねのけて、終わりにして欲しい。他人から重荷に思われるのがほんとうに死ぬほど怖くて怖くて心臓が震えるみたいになる。
他人に甘い期待をし、真正面からひとに甘えて、その結果否定されたり拒絶されたりするのがなによりもこわい。私が「他人に甘えるに値しない嫌われものの人間」であることを再確認させられることがこわい。それに比べて、暴力を振るったことを非難されるのは何も怖くない。最初から非難されて当然の行為をして順当に怒られた、ただそれだけの話になるのだから。
だから甘える代わりに暴力を振るっている。私の暴力が嫌なのならば、その人は「痛い」「やめて」と声を上げて拒絶するだろう。そうしたらやめる。絶対にやめる。でも今のところ、現実で私に甘えの代わりの暴力を振るわれている人間たちは黙って私の行為を受け入れてくれている。ありがたい。これからもいっぱい私に殴られてください。まあ、全てを何も言わずに受け止めてくれそうな包容力のある人間だけを慎重に狙いすまして襲っているので、受け入れられるのは当たり前なんだけど。
とかっていろいろ冷静ぶって偉そうに書きましたけど、やっぱりこんなの許されるわけなくない!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!!?!?!?暴力、基本的にどう考えてもだめじゃない!?!?!!?!?!?!?!?!!?!!?!?!?!?!??!?!?!!!?!?!?いくら周りの人が「ああいつもの暴力ね、はいはい...(呆れ)」くらいの感じで受け流してくれてるっていっても暴力はまずいよーー!!!!!!!!!暴力はだめだよー!!!!!!!ねえ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
いや私だって暴力が許されない行為であることは理解してるんですよ。街行く人に誰彼構わず殴りかかったりするわけじゃなく、それなりに交流を深めて親愛度が95パーセントを越え切った友人たちにだけそういった行為をしている時点で「暴力」という行為に及び腰になってることはわかりますよね。でも親しい友達にだってきっとほんとは暴力振るっちゃダメなんです。っていうかもっと言うと成人なのに他人にベタベタ甘えたいと思っていること自体がだめ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
みんななんで他人にしなだれかからずに生きていけるの??人肌恋しくはない??さみしくない???????全て受け入れてくれる恋人がいるのか???それとも親に甘えたりできるの???????
毎日さみしいさみしいさみしい、さみしさで身体が引き裂かれそうになる、のに、そんな風になっているのは私だけで周りはふつうに暮らしているのでつらい。周りにとって私は「同じコミュニティにいるたくさんの人間のうちの一人」であって私が想っているくらいに私を想ってくれる人はいない。想っている???想っているとはいっても私が欲しいのは男女を問わない友人たちとの確固たる信頼関係(と肉体の結びつき)であって恋愛とかそういうクソみたいなものは一切求めてない、つーか恋愛????????????そもそもブスだから誰にも恋愛してもらえねえよカス!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!おい!!!!!!!!!なんでこんなに惨めな気持ちになんなきゃいけないんだよ !!!!!!!!!!
暴力振るってるのも普通に恋愛できない引け目からくる鬱屈した卑屈な感情の裏返しが他者への攻撃性になって発露してんじゃねえの??????カス人間かよ(それはそうだよ)死ねよもう いや死ぬの怖いし死ぬ度胸ないから死ねないんだけども!!!!!!!!!!!!!!とりあえず暴力振るうのだけはなんとかしてやめたいです、他人を傷つけたくないから(といったら聞こえはいいけど暴力することで嫌われるのが嫌だからですどこまでも汚い人間で生きててごめんな)、でも誰かに甘えたい、構って欲しい、どんなに「今日は他人に触らないぞ」って決めててもいざ目の前にひとの体温があると何も取り繕えなくなってしまって全部めちゃくちゃになっちゃう
毎日ほんとうにほんとうにつらくてくるしいから誰か助けてくれ、いや助けてくれって言うか、ただぎゅっと手を握っていてほしいです
うんそうか。私はね、増田がそう思うのはやっぱりニートだからなのかなぁって思ったよ。
何もやってない人が落っこちがちな思考の堂々巡りだよね。自らの「無能という個人的な恐怖」を少子化という社会事象にすり替えて怖がる、空虚な少子化フォビア、少子化に罪をなすりつけた個人的な抑鬱症状。
例えば子供を持てなかったとしても、現実にリアルに社会とコミットしていれば、直接的、間接的に、誰かの子供を育てる役に立つという充実感も得られようし、子供を育てなくたって別のことで社会に貢献することもできるし、何ならボランティアという形だってあるし。
自分の楽しみのために時間やお金を使うことで誰かが豊かになるし、自分も幸せになるし、自分が幸せになることで、何かの形でまた社会の役に立つための原動力になったりするのに。そうやって社会は回ってたりもするのに。
もっと言えば大して社会に貢献できることがなくたって、家族や親しい友人や恋人や夫・妻・子供などにとっては「存在しているだけでも価値がある」。そういう人間関係の中に多くの人は居るんだけど、たまにそういう人間関係が持てない人がいて、自分の存在価値についての実感がないから、空洞みたいな少子化フォビアの穴にはまって動けなくなるのかなぁって。