うんそうか。私はね、増田がそう思うのはやっぱりニートだからなのかなぁって思ったよ。
何もやってない人が落っこちがちな思考の堂々巡りだよね。自らの「無能という個人的な恐怖」を少子化という社会事象にすり替えて怖がる、空虚な少子化フォビア、少子化に罪をなすりつけた個人的な抑鬱症状。
例えば子供を持てなかったとしても、現実にリアルに社会とコミットしていれば、直接的、間接的に、誰かの子供を育てる役に立つという充実感も得られようし、子供を育てなくたって別のことで社会に貢献することもできるし、何ならボランティアという形だってあるし。
自分の楽しみのために時間やお金を使うことで誰かが豊かになるし、自分も幸せになるし、自分が幸せになることで、何かの形でまた社会の役に立つための原動力になったりするのに。そうやって社会は回ってたりもするのに。
もっと言えば大して社会に貢献できることがなくたって、家族や親しい友人や恋人や夫・妻・子供などにとっては「存在しているだけでも価値がある」。そういう人間関係の中に多くの人は居るんだけど、たまにそういう人間関係が持てない人がいて、自分の存在価値についての実感がないから、空洞みたいな少子化フォビアの穴にはまって動けなくなるのかなぁって。