池袋の事故を筆頭に連日高齢者による人身事故の報道がなされ、それに伴って免許の返納に関する世論も盛り上がっているように見える。
「実際には高齢者の人身事故よりも若年層の人身事故のほうが多い」みたいな話もあるが、その辺りは一旦置いておいて、今回は免許の返納について考えてみたい。
結論から言うと、免許の返納が進むことには大きなリスクが潜んでいる可能性があると思っている。それは、「身体機能や認知機能の低下による社会的コストの増大」だ。
運転をする人ならわかると思うが、自動車の運転には高度な認知機能と判断力、一定の身体機能が求められる。逆に言うと、自動車の運転は「強制的に外部からの刺激を受けて認知・身体機能のトレーニングをしている状態」とも言える。
一方、(本来ならまだ自動車を運転できたはずの高齢者が)免許を返納すると、直面するのは「外出コストの大幅な増加」だ。
公共交通機関があまり発達していない地方で外出をしようと思ったとき、タクシーにしろバスにしろ電車にしろ、自動車以外の外出手段には「タクシーを呼ぶ」「遠くの乗り場まで歩く」「毎回お金を払う」など、多大な心理的・時間的コストがかかる。そうすると、不要不急の外出自体を控えるようになる高齢者も決して少なくはないだろう。少なくとも、平均的な外出回数は減るはずだ。
※ちなみに、65歳以上の高齢者350万人のうち270万人が東京・大阪・愛知以外の地域に住んでいる
つまり、外出頻度の低下による刺激減+運転による刺激減がダブルで起きることになる。これは、高齢者全体として捉えると認知症や寝たきり等の発症件数の増加、発症時期の早期化(結果として要介護期間の長期化)に繋がってもおかしくないように思う。
(記事レベルではこういった話もあるが、根拠となる文献等は見つけられなかった。申し訳ない。何かあれば教えてほしい)
つまり「免許の返納」という方法で高齢者事故の問題を解決しようとするなら、本来は「高齢者の健康リスク増加による社会的コストの増大」と「事故被害者の減少による社会的コストの低下」を比較するのが良いが、まあこれは政治的に無理だと思う。
だとすると、求めるべきは個人の判断に基づいた自主的な返納なんかではなく
といった方法になるのではないだろうか。別に危険な運転をするのは高齢者に限らないので、こっちのほうが網羅的だし。
行政や政治、マスコミの皆様はわかりやすい事象に囚われすぎず、トータルで社会的な便益が大きい方法を考えてほしいと思う次第。
老人は免許返納後に北海道で死ぬまで開墾作業させればいいだけなのでは?
ギリギリまで運転させるために 年に何回、これだけ増えた高齢者のチェックをするつもりなんだよ・・・
よくわかります。 ただ禁止すればいい、とか 臭いものにはフタをすればいいみたいな安易な解決策ってこの問題に限らずいろいろ例があると思います。(労働問題や学校のいじめの問題...
交通公共網というが、地方のバスは何十年と大赤字続き 大都市でも値上げ、本数削減で通学にも困る有様、 Uberでも入れる他ないな
何歳以上は免許取り消し!とか言ってる人よく見るけど 例えば75歳以上免許取消とかを制度化したら 自動車業界の売上的にもネガティブなインパクトが結構あるんじゃないかなと思って...
まず75歳以上に車が売れなくなる 75歳で運転できなくなるからその前の70くらいから新車を買わないから絶大な影響が出る 失業者があふれて怒りのブドウの光景を再現する
それなら小学生くらいから車運転させろよとも思う。なんで18歳以上なんだよぷんぷん