はてなキーワード: 不正解とは
旅行の前日夜に羽田空港近辺の宿に泊まるという旅程を取り、その分の「全国旅行支援」のクーポンを2000円分ゲット→その日中に使わないといけないというシチュエーションになった。
時刻はすでに21時を回り、使える店そのものが限られている中、駅ビルのくら寿司が目に留まった。
普段は「どうせ食べるなら」と中堅以上の回転寿司にしか行かないため、客テロ炎上した低価格帯の回転寿司には縁がなかったが、他に選択肢もあまりない中、とにかくお腹いっぱい食べたかったため、くら寿司に足を運んでみることにした。
一席ずつ区切られたカウンター席はただ「寿司を注文し、食べること」に究極に特化していて、私はまるで寿司食いマシーンになったような感覚だった。
それはそれでアトラクション的に面白かったのだが、以前Twitterでサイゼリヤの番号式オーダーに苦言を呈した哲学者の「これでいいと本気で思っているんですか」という言葉が頭をよぎった。
お腹は膨れたがなんとも言えない食後感でホテルに戻った。私はこれからもレーンの中に板前さんがいるタイプの回転寿司に通うと思う。
※たらの白子はそれなりの価格帯の回転寿司屋であっても、産地でないとかなり食味が劣る。
「試してみたけどあんまりだった」という人は、ぜひ冬の北海道で一度食べてみてほしい(現地では「たち」と呼ばれている)。
めっちゃ伸びてて嬉しい。意外にも、これからくら寿司に行こうと思っている人たちの参考にもなっていることが面白かった。以下、コメントへの返信です。
女:久しぶりね。2ヶ月ぶりかしら!?
野:キミとはもう3年になるかなぁ。ぼくを「好き」っていってくれたこと覚えてるよ
野:今度はぼくがキミを好きになろうかと思うんだ!!
野:へ?
女:私のことを「好き」じゃなくて…「好きになろうと思う」なんてバカにしてる
野:そうかなぁそんなつもりはないけど…ぼくは愛を知りたいだけで…
野:そうだよ、必要だと思うんだ
女:あなたは他人の気持ちがわからない!!それは…今まで何でも簡単に手に入り過ぎたからよ!!人は失敗して傷ついて…相手を思いやることを学んだりするの…。ねぇ…聞いていいかしら、「愛する」ってどういうことかわかってる?
野:キミは時々難しい問題をぼくに出すね。答えのわからない問題ばかり。そしていつもぼくは不合格だ。別にキミに合格したいわけじゃないのに…
女:最初にリンゴが3個あります…あと2個リンゴを買ったらいくつになるでしょう
男:バカにしてるの?5個
女:不正解
男:は?
女:女は…最初にその3個のリンゴをどこで買ったのか…聞いて欲しいの… そして残りの2個のリンゴを一緒に買いに行って欲しいの…… それが答え…
野:もう会わない気?
女:おやすみ…
リンゴを例えに出したのは「簡単に手に入るもの」の象徴としてだし
問題を簡単な算数にしたのも「簡単だと高を括ってるからこそ間違える」ということを表している。
つまり女はこの問題を理解してもらいたい、正解してもらいたいと思っているんじゃなくて
お前みたいな奴には付き合ってられんという「別れ話(手切れ)」として突き付けてるだけなんだよね。
セリフの衝撃で他に目が行かなかったがセックスの後の話だと気づいて、でもしっかりセックスまでしておいて女心がわからないみたいな今更な話するか?と思って元ネタを調べてみたら、その前のシーンで女が最後の問題とか言って乳放り出しながらパンイチでお気持ちクイズ始めてて草だった。賢者か。
さらにこの「りんごが3個あります。あと2個買ったらいくつになるでしょう」の画像はモテない男は女心がわからないみたいな言われ方をしてるが逆で、この男はモテまくりのヤリチンなんだよね。モテ男でも不正解なのだからこの問題に正解できないからといって気に病むことはない。
仕事の組み立てがめちゃくちゃ苦手だったワイ、新人君の気持ちもわからんでもない。
新人君とは別の人間なので一緒かはわからんけど、こういう可能性もあると参考にしてや。
・指示を最後まで聞き取れない
(言われたことを頭で流して、自分が分かっていないという事実をよく呑み込めていなかった
結果、何がわからないのか自分でも分からないので質問ができない)
・言われた時にすぐやらず、後回しにして忘れる
(その時は理解していたはずなのに、後にすると途端に進め方を思い出せなくなる)
・正解を出さなきゃいけないと思い込む
(自分の思いつく方法は不正解で、正しい方法があるはずだと思い込む)
(そんな事でなったらアカンのやけど)
・慣れないうちは指示と順番を紙に書いてもらう
・仕事を振られたら逐一「こういう順番で進めていくのでOKですか」と指示を反芻して先輩に聞いてもらう
・手が止まったら仕事の手順を紙に書く
(紙に書くと俯瞰して見られるので、「そうか、こうすればいいか」と気づく)
・タスクが発生した時点でとりあえずできるところまで進める
・ゴールが達成できていれば道のりは気にしなくていい、と体に覚え込ませる
付き合ったら仕事モハカどるのか その一手は正しいのか うーん
正解か不正解か 最善の一手 親から生まれた 親に感謝したほうがいいのか?
はあ なんですべてうまくいかないのかな 死にたくなるよ
すべての女がおれのものにならないかな セックスしてえなあ! んんー!
心がぽっかりあいた ぜんぶほしい すべてほしい ちっちゃいものすらかき集めたい
うちはなにをいってるんやろ なにがラッキーなんやろ うちでいうなんなんやろ スロットつくりたい
すべての情報 すべて覚えていたい ほしいし
二度寝も寝坊も どっちも嫌な気持ちになる でも二度寝は いやなきもち 一時的
寝坊はずっと自己嫌悪 こうないしゃせい あ あるわ だったら電話でやめてやればいい そのほうがスッキリする ぴん くまんみたいに もう限界だ
あとは せい へきか 新しい 相手を依 存させる方法 心配させる わざと帰ってこない カラオケネカフェでもいってくればいい
ろけっとえんぴつのように忘れていく 父親 口座 はいこれ 毎月安定で入ってくるから はいこれ 薬は捨ててね
誕生日まで似てる シンパシー やっぱその時期につくるってしょうがいしゃあああ なのか 詐病じゃんwwww
キャバクラにいきたくないとかさ サボる日を決める 目標たてようか 自分の誕生日を
サボる日はあらかじめきめて よっしゃー無給だー
avoid 避ける AIもそりゃこまるわ 何目指せばいいの? 何も目的もないのにAIに任せても そりゃAIも困るわ
何で生きてるんだろうな 一番後悔することってなに?
忘れた 絶対忘れないこと 絶対頭よくなること ビリヤードの玉のように突かれたんだからしょうがなくね
もうすべて決まっていること 量子 粒子レベルで
疲れたって感情がある限り AIには勝てない 最善手を考える場合疲れたを考慮しなきゃいけない
にてさんて読む 出力って言葉好きだな お金を稼いだあと何を出力するのか
粒子 量子 レベルでりかくそんぎり だれだ 話しかけてくるのは なんだこの声
なんだこの声っていう声なんだ なんだこれ うるせえよ だれだよおまえ なんで考えることできるんだよ
赤ちゃん用のせんべいみたいな長方形で、くちどけさっくりのせんべいに和三盆の混じるきな粉をまとわせたやつ
口に入れると上品なきな粉の味がして、せんべいがホロっと崩れ、あらもうなくなっちゃったからもう一枚食うかで、1袋消費してしまうやつが好きだ
母ちゃんが菓子盆に適当に盛ってたものを何の気なしに包装を破り、ハードルが下がり切ったところで初めて口に放って、美味くないか?と思ったときの衝撃をまだ覚えている
ただ昔は和三盆使用と謡っていた気がするがいつの間にか50%使用の表示になっている
表示上の問題で中身は変わってないのか、コスト面の問題で明確に材料比率が変わったのか知らんが、100%にしてくれ
あんなにも明確に50%使用と書いてあると、こいつはまだ50%分美味くなれるのではと感じちまう
岩塚製菓のきなこ餅の100%の力を味わってみたいんだ、頼む
あと岩塚製菓のきなこ餅の話をしていると、「越後製菓のきなこ餅の方が…」とかいうやつはマジ面倒くさい
たけのこの里VSきのこの山みたいな対立構図の線の面白トークにもっていこうとするな
越後製菓のやつを食ったことないわけでなくて、岩塚製菓の方が好きなの
それでいて越後製菓の方しか食ってないくせに、「でも越後製菓の方が」とか論争しかけてくるやつは今後一生答案用紙に「越後製菓」って書いてろ
良くなかったし、良くないことのやり方としてはよかった。
良くない点としては、グロ残酷漫画を読んだら、娘がグロ残酷になるのでは、などという事実に反する直観を疑わなかった点。
そういうのには科学的エビデンスがない、というのが今後、まずネットからは出てくると思うんだけど、
それよりなにより、お前は暗に娘に対して「俺はお前の理性とかを信じてはいない、漫画に簡単に騙されるガキだ」というメッセージを伝えてしまった。ここが凄く良くないと思う。規制せずに娘を信じると言う、お前のせっかくの信条が無になったし。
良かった点としては、高圧的にならずに諭してそれをした。
抑圧して、グロ漫画を禁止したら、子どもはむしろそれによってグロ漫画が好きになったりする。
性癖を歪めるのは往々にして作品ではなく家庭環境だが、元増田の家庭はそれを回避したように見える。
まあ子育てなんて、いつだって良かったことと良くなかったことが半々だよね。
最適を常に選べるなんてことはないし、たいていは何やったって完全な不正解ではない。
とある大手ジャンルの大手CPにハマって、二次創作をしたり他人の色んな作品を見たりするようになった。
その小説は、界隈で度々話題になっているもので、RTで回ってきたり感想が長々と綴られていたりしていた。閲覧数もブクマ数も、桁違いに多い。
とある読者は、その小説をまるで映画を見ているようだと書いていた。
確かに、読んでみると、映画のようなドキドキハラハラとする展開が繰り広げられていた。
キャラも、メインの二人はもちろん、サブキャラ、モブに至るまで深く掘り下げられており、それぞれが作品の中で生きていると感じた。
どういう思考、信念があって、この行動を起こした。その理由がよく伝わってきて、一つ一つ納得できる文章。
あらゆるところで張り巡らされていた伏線が、読み進めていくにつれてきちんと回収されていく。そして、最後に振り返ってみて、ようやく本当の意味が分かるタイトル。
なるほど。色んな人が評価し、好まれているのが分かる小説だった。
私は神字書きという呼称が嫌いだけれど(公式が神だ、もし一人の二次創作者を神と呼ぶのなら他の創作者も全員神と呼ぶべきだ、という考えである)、“神字書き”と評価されるのはこういう小説を書く人なのだろうと思った。
けれど、私はこの小説を好きになれなかった。
理由は単純。メイン二人の掘り下げ方が、好みではなかったからだ。私が書く二人とは、全く違う掘り下げ方をされていた。
二次創作なんて、そんなものだ。いわゆる、解釈違い。どちらが正解かなんてない。公式ではない限り、どちらも不正解。
ただ、Aさんにとっての二人はそうであり、私は違った。そして私は、Aさんが書いた二人を好きになれなかった。それだけである。
私は読み終わった後、好きではない、でも、確かにすごい小説だった、という感想を頭の中で呟き、ブラウザを閉じた。
Bさんが書く二人は、大変私好みであった。
惹かれ合う二人の気持ちの変化、想いが通じ合った後の会話、雰囲気、その後過ごす何気ない日常。
時に苦しく、時に切なく、時に楽しく、時に愛しい。伝わってくる二人の心情は終始私を惹きつけて、読み進める度に心が満たされていく気がした。
私はBさんがこれまでに書いた話を一気に読み切った。
すると、最新の投稿の説明文に、現時点までの話+書き下ろしを含めた本を頒布するお知らせが書かれているのを見つけた。
書き下ろしは、シリーズで書いている二人はハッピーエンドの予定だけれど、アナザーストーリーとしてバッドエンドを書くつもりだ、とも。
私はすぐにBさんにメッセージを送り、本の予約をした。そして一ヶ月後、無事に本は届けられた。
素晴らしい本だった。Web上で見たのと同じ内容だったけれど、文字を追うごとに、紙をめくる度に、初めてBさんの小説を読んだ時と同じように、想い合う二人の気持ちに寄り添っている気分で、夢中になって読み進めた。
書き下ろしのアナザーストーリーは、確かにバッドエンドだった。
想い合っているのに、これからも二人一緒に寄り添って生きたいのに、やむを得ない事情で離ればなれになってしまう二人の心情に心掴まれながら、泣きながら読んでいた。
そして、結末まで読み終えた後、私はすぐにBさんに感想を送った。
あなたの書く二人が好きで、一つ一つの話に心惹かれたこと。アナザーストーリーは切なくて悲しくて、泣きながら読んだこと。この結末を読んでしまったからこそ、ハッピーエンドの二人を見たいと思ったこと。これからも、あなたの作品を楽しみにしていること。
拙くありふれた言葉でしか伝えられなかったけれど、その感想にBさんは大変喜んでくれた。
これからも作品を、ハッピーエンドに向かう二人を、書いていきたいと言ってくれた。
それからしばらくして、Bさんのツイッターアカウントがあることを知った。
私はこれまでマンガやアニメの感想から日常まで雑多に呟くアカウントしか持っていなかったけれど、新しく創作用のアカウントを開設し、Bさんをフォローすることにした。
Bさんが作品を投稿したらRTといいねのボタンを押したし、感想をリプやマシュマロで送った。
公式からの供給に叫ぶBさんを見守っていたし、私自身も創作を楽しんでいた。
ところが、ある時から、Bさんはよく愚痴をこぼすようになった。
作品を見てもらえない、感想をもらえない、といった内容である。
実際、最新の投稿になるにつれて、Bさんの小説はブクマ数だけでなく、閲覧数も伸び悩んでいるように見えた。
Aさんが投稿した最近の小説は、かなりの数の閲覧数とブクマ数を示しているようなのに。
大手ジャンルである。Bさんが小説を書き始めた時と比べると更に人口も増えて、読み手もこれまで以上に作品を選んで読んでいるということが分かった。
Bさんは、自分の作品が読んでもらえないことにショックを受けていた。
私はすぐにBさんにリプを送った。私はあなたの作品が好きです、最近投稿されたあの作品では、◯◯のシーンが、●●のセリフが好きだと思った。
今思えば、私のリプはプレッシャーをかけてしまっているとも思える文章だった。ただ、その時の私は必死にBさんを励まそうとしていたのだ。
数週間後、Bさんは別ジャンルの話を頻繁にツイートするようになった。
私も名前は聞いたことがある、話題になり始めていたジャンルだった。
その小説は、Bさんにとって過去一番のブクマ数を得られたらしい。
驚きと同時に、喜びのツイートが増え始めた。
そうして、二作目、三作目とBさんはそのジャンルの小説を書くようになった。
私は、ただ見守っていた。
公式の供給があれば叫んでいたし、これからの展開を楽しみにするツイートもしていた。
本格的にジャンルを移動するお知らせである。前のジャンルで活動することは、きっともうないだろう、と。
私は悲しかった。もう、私の好きな二人のハッピーエンドを読めないのだと。
けれど、こうなるんじゃないかという予想も、少し前からしていた。
二人以外にも、上手い文章を書く創作者が、尊敬する創作者はたくさんいるけれど。
一応、幸せな、こんな推しCPを、“私が”見たいという想いで創作を続けている文字書きだ。
好きなものを好きなように書けたらいい。それは当然。
でも、ブクマ数や閲覧数が増えないと、不安になる自分もいる。感想がなかったら、面白くなかったのかなと落ち込んでしまう。
数なんて気にする必要はない。そんなことは分かっている。
だけど、どうしたって気になるのだ。だって見えているから。数という確かな評価が、自分にも他者からも見えているから。
少ないと落ち込んでしまうのは当たり前だと、私は思う。
ただ、少なくても、たった一人でも、評価してくれた人がいることは、忘れてはいけないとも思っている。
私の頭の中にあるシチュエーションを、キャラクターの心情を、最大限魅力的に文章にして書けていないことは、悔しいけれど自覚している。
そこはもう、練習あるのみ。これからもただひたすら書いて、少しでも魅力を引き出す表現で書けるようにはしたいけれど。
でも、そんな拙い文章から、私の書く話を、キャラを、シチュエーションを、設定を汲み取って、良いと言ってくれる人がいる。好きと言ってくれる人がいる。
もっと上手い人が、私よりも私が好きだと思うものをかける人はたくさんいるから、今まで何度も落ち込んだし、これからも何度も落ち込むのだろうけれど、私にしか書けないものがあるのだと信じて、私の書いた小説を好きだと言ってくれる人がいることを決して忘れずに、私はこれからも創作を続けていきたい。
Bさんがジャンル移動したのは、自分の作品に反応がないからだけではないのかもしれない。
様々な要因があって、向こうのジャンルで創作をしたいと思ったのだろう。
それならば、それを止める権利は、私にはない。
移動した先では、私と同じような気持ちでBさんの小説を好きになって、感想を送る人がきっといると思う。
どうか、Bさんがそんな人からの言葉を聞きながら、楽しく創作活動を出来ていますように。
陰ながら、私は応援している。