こういうバカな理屈を言ってる奴は詰められると次々と新しい理屈を言い出して言い逃ればかりする。
きちんと分かってる奴は最初からドラマセクシー田中さんと同人誌とで区別できる理屈を言ってるのだけど、そうではないバカは単に丁半博打で当たりを引いただけに過ぎない。
]]>で、あなたは人事評価なんてものを本当に信じてるの?
Aさんの部下BさんがAさんよりちょっと有能そうに見えたらすぐさまAさんとBさんは交代、なんてことやってる会社あるの?
今高い役職の人間が後釜より優秀かどうかなんて、丁半博打以上の信頼性があるとは俺には思えないね。
]]>丁半博打
壺振りはもちろん半裸の侠女で
射的
温泉卓球
この辺がなければ無理
どうもスロットを並べるらしいけど
]]>丁半博打のためにつかってるひともいますが。
]]>とすると、自分の立場を守るのが第一となる。でないと潰されるだけだ。
だけど、自分の立場ばかり考えていると、失敗するリスクが高い案件はそのまま失敗する。だけど「仕方ない。死にたいのか?」
そもそも、そんな自分の立場が脅かされるような立ち位置に行ってはならない。起業だイノベーションだなんて界隈に近づいてはならない。
自分の今後をチップにかけ続けた丁半博打を10回連続勝てば1000倍になるだろうなんてのと何ら変わらん。ほとんどは丁半博打で何処かで失敗してすかんぴんになる。
イノベーションが生まれないのは当然のこと。昔の景気が良くて長期的視野で金を出してた日本ならあり得たけどもうそんな日本ではない。このままズルズル衰退する中でも自分の身だけは守るか、どこかで海外に出れるようにしておくのどちらかだと思う。
]]>100円から出来るし競馬だわ
]]>これまさかの二年後あるかもしれんな
丁半博打になってきたわ
]]>おまえにとっては、確定した未来なんだろうなぁという
]]>丁半博打や
ローソクチャート見たり難しいことはよう分からん
動向見守って一喜一憂するゲームや
100円宝くじ10枚を買うよりは透明さがある点を評価したんや
]]>やってること丁半博打じゃん
]]>風の便りによると、他国では既に絶滅したという。
これは“純経済”を“超自然”と言い替えるなら摂理の内といえる。
経営はナマモノというけれど、保全しなくてもいい生物をレッドリストに入れたりはしないからだ。
人間社会は感傷的に動くことも多いが、そこらへんは割とドライだったりする。
そして、こういった事業の栄枯盛衰、その理由は普遍的かつ単純だ。
需要と供給のバランスが崩れた、これに尽きる。
それ以上の真理はない。
なのに“それ以上”を求める人は後を絶たない。
色んな場所で、色んな肩書きの人たちが、色んな横文字で語ってやろうと躍起になっている。
丁半博打に、何面のサイコロを何個使うか思考を巡らせているんだ。
だが、そんなことにも一定の需要は存在する。
有形無形によらず、需要があるところにリソースを割いて供給する。
その点において彼らのやっていることは生産的だし、立派にビジネスとして成立しているといえよう。
だから場末のビデオ屋が未だに残り続けて、そこで俺がバイトをしているのなら、何らかの生存戦略が功を奏しているってことだ。
もちろん「少なくとも」、「今のところは」という但し書きはつくが。
じゃあ、具体的に何をしているかというと、やるべきことは大きく分けて二つだ。
ひとつは大型チェーン店やVODが対応しきれない作品を、臨機応変に取り扱うこと。
「店長、『クリスマスストーリー』ってあります?」
「どのクリスマスストーリーだ? モノによっては取り寄せないと」
「……えー、全部らしいです」
「分かった」
「分かったんですか」
もうひとつは地域密着型の、ニッチで気安い接客サービスだ。
このビデオ屋で働く従業員は映画通が多く、まるで友達のように作品について語り合うことができる。
「ラストで独楽が回り続けているどうかで議論している奴がいるが、何にも分かっちゃいないよな」
「その通り。どちらにしろ主人公はあの世界を選んだってことが重要なのに」
「まー、クリストファー・ノーヒットの作風は、それだけ考えを巡らせる甲斐があるのも確か」
そんな中、俺は映画に詳しくもなければ熱心でもないバイトだった。
首を上下に振るだけの水飲み鳥になりがちで、たまに喋ってもオウム返しをするだけ。
「この監督が、うんたらかんたら」
「へえ」
「あーだこーだ」
「なるほど」
「なんやかんや」
「なんやかんや?」
我ながら真摯な接客態度とはいえないが、意外と贔屓にしてくれる客は多い。
店長曰く、「喋りたがりの人間にとって、余計なことを言わない相手の方が都合がいいから」なんだとか。
まあ、それで金が稼げるんだから俺としては文句ない。
強いて気がかりな点を挙げるなら、“妙な客”と対面しやすいってことくらいか。
トラブルを招くほどではないし、迷惑行為ってほどの言動でもない。
ただ自分の中にある危険信号が、常に黄色を照らし続けている、そんな存在。
今回は、その中でも俺が印象的だった“13人の客”について話そう。
ただし俺は“彼ら”の言っていることを話半分にしか聞いていないため、かなり要約していることは踏まえてほしい。
こんな注釈をわざわざする意味を、めいめい咀嚼しつつ聞いてくれ。
ネットの知り合いとかtwitterで見る経済評論家とか、みんな簡単に、「トランプ(バイデン)が勝つよ」とか言ってたわけ。開票前から。
俺はそれ見てて、自分が口にしてるわけでもないのになんだかドキドキしてたんだわ。え、そんなこと言って大丈夫なんだろうか、と。こんなに混沌とした状況で、何を根拠にそんなことを…。
そんなことを皆が目にしている前で堂々と大言壮語して、もしも真逆の結果になったらどうするんだ? 俺には、どっちが勝つか、仮に予想であっても答えられなかっただろうし、答えるにしても小声で、本当におずおず口にすることになっただろう。
ただ、冷静になって考えてみると、仮に予想を外したとして、それが実際どの程度の痛手になるんだろうか。
もちろん、批判する奴、嘲笑する奴は間違いなく出るだろうけど、別に永遠に浴びせられるわけじゃないだろう。大体、もしもそう言われたら、「○○では△△な数字が出ていたから~」とかなんとか、適当なことを言って煙に巻いてしまえばいい。
一方で、もしも予想を的中させたら(ほとんど丁半博打だが)、大手を振って自分の慧眼を主張できる。つまり、リスクとリターンで考えたら、実際はリターンが圧倒的にデカいのではないか。
俺みたいな一般人の立場でそれを口にしても失うものは一つもないし、評論家業で食っているにしても、誤答にはリスクが伴うが、それに対してずっとデカい見返りが期待できるなら、結局ためらいなく公言するのが賢い選択になる。勇気がどうこうではなく、単に判断として合理的、ということになる、と思う。
みんな、こんなものは表が出れば100円もらえて、裏が出た場合は10円しか失わないコイントスに過ぎないって気づいていたのだろうか?
これは、『天』最終巻のアカギとヒロの問答にも通じるところがある。
いびつに真面目な人格は、リスクを過剰に評価してしまう、あるいは、リスクを無視するという柔軟な発想を持つことができないのだ。そこがヒロの魅力、高潔さでもあるが、現実でもそうであることにはどの程度の価値があるだろうか。
ここで表題に戻ってきて、俺はトランプ(バイデン)が勝つと公言できる人間になりたかった…のだが、この状況でもまだ、どちらが勝つか口にするのは恐怖があったりして、なんというか、染みついてるな、と思った。
]]>Gカップで腰のくびれがあって肌もきれいで最高なはずなのに、SEXしたらなにか「合わない」ってことはザラにある。
気持ちいい、気持ちよくないではない、なにか目に見えないカラダの相性ってのはSEXしないとわからない。
いくら全てを満たしてても丁半博打で結婚しろって言われたら俺なら断る。
もし相手が「貯金ありか、借金ありか教えないけど結婚して」って言われたら怖くないか?
それと同じくらい怖い。なぜなら、男は射精しないと物理的に「溜まる」から相手との相性が悪いと地獄。
こうなると、100%浮気に走る。もちろん浮気の理由がこれだけってわけじゃないが、相性が悪いとSEXする気になれない。
相性の悪い相手とのSEXは、つまらない話ばかりするやつと数十分会話しろってのと同じだぞ。地獄だろ?
もちろん女側にも相手との相性があると思うから軽い気持ちで品定めしとけ。ただ、避妊しない男は相性関係なく捨てろ
]]>ここ数年のチャートは殺意が異常
両方刈り取る
株はわからん
日経とダウは触るけど
]]>「老後2000万円必要」とリスクを煽る新聞社がセットで紹介しない、私がお勧めできるネット証券会社と投資商品
きっかけから考えても、流行っている主な理由は「将来が不安だから」であって「面白そうだから」ではないだろう。それは分かっている。でも、「面白くないこと」はなるべくやりたくないものぐさな自分としては、やはり気になるのだ。「資産運用をやっている人のうち、どのくらいの人がそれを面白いと思ってやっているのだろうか?」ということが。
資産運用の手段は大きく二通りに分かれるようだ。自身で買うもの(株や債権や不動産)を決めるか、誰かに任せて運用してもらうか。前者ではどの株や債権を買えば得かを考える必要があり、後者では「誰にどのような仕組みに基づいて任せるのが良いか」を吟味せねばならない。
前者の資産運用はよく漫画の題材になったりする。中高生が「投資部」で学校の資産を運用する『インベスターZ』はなかなか面白かった。でも、漫画自体は面白くても、登場人物達がやっている株の売買は面白そうには見えなかった。株価が経済情勢や投資家心理で上下するのを予測してどっちかに張る、をただ延々と続ける丁半博打を、学年で一番優秀な生徒達がやっていてよく飽きないな、と思ってしまう。
後者の資産運用は、一般向けの資産運用としてよく紹介されているものだ。こちらは、「どの株が上がるか下がるか」などということは考えなくて良い代わりに、無数に売られている様々な金融商品について、リスクと運用益と節税効果について吟味して決めなくてはならず、しかも結果がすぐには顕れてこない。
いずれの場合も、その手間に見合う面白味はなさそうだ。そうやって手間をかけて勉強して吟味して、では利益はどのくらい出るのか。例えば1000万円を年利3%で運用できれば年30万円になる。そう考えれば確かに大きい気はするが、実際にはそこまでの利益は出なさそうだし、それどころか元本割れのリスクもある。
年30万円くらいなら、資産運用なんかよりもっと面白いことをやって浮かせられそうな気がする。例えば一人暮らしならば料理である。1食平均600円で外食している人が、全部自炊にして1食300円にしたとすると、年間なら32万円ほど浮く計算になる。料理はその場ですぐ結果が出るし、やっていてレベルアップすれば美味しいものを自分で作って食べられる。
ただ、これはあくまで自分(筆者)の感覚である。世の中には、料理より資産運用の方が面白い、という人ももちろん居るだろう。
知り合いの自営業者で、節税を駆使することで所得税を数千円しか納めていないという人が居る。自分は節税は資産運用と同様に面白味を感じないので全くやっていないが、節税もそこまで極めると面白くなるのかもしれない、などと思ったりする(やらないが)。
投資や資産運用に時間を割いている人に聞きたい。
あなたは、投資や資産運用を面白いと思ってやっているのだろうか? それとも、面白くはないが、将来の備えのために仕方なくやっているのだろうか?
]]>成功率が約半分。成功率と呼べばいいのか失敗率と呼べばいいのかは立場によるね。
ただ、少なくともベンチが「ん?」と思うジャッジをビデオでよくみると確率は丁半博打とほぼおんなじだってこと。
ずっと審判は一番近くで見ているので正しいと習ってきた。私自身、そんな風に思ったことはないけれど。
学童野球に携わり、アマチュア審判員のライセンスも取得した。3級だけどね。なんども講習会にも出席した。
教えてくださる方によって異なる位置取りや理屈。毎年代わるフォーメーション。もう野球って100年以上行われているけど、まだそんなことも決めらんないのかと呆れていたし、よくよく聞いてみれば偉そうなことばっかり言ってるけど、肝心なところはやっぱり結局見えてない時もあるじゃん。
ある講習会で理事長がテニスの審判員のような椅子に座り、我々受講生の動きを見ていた。講習会では地元の中学の野球部員が協力をしてくれており、三塁のクロスプレーのケースを練習していた。
私の番が来た際、私はアウトのジャッジをした。しかし、そこでテニスの審判員の椅子にふんぞり返った理事長がメガホンで「セーフ〜」と言ってきた。「今のはセーフ、どこみてんだ、足が入っているだろ」のおまけ付きで。
たしかにサードの彼は足にではなくお腹あたりにタッグをしており、ランナーの足がベースに着くのとどちらのタイミングが先かという感じであった。そこで一番近くで見ている私がタッグの方が早いという判断を下し、アウトのジャッジを下した。
私は「俺が一番近くで見てるんだ!そっから見ている方が正しいのであれば、そっから見る形に変えろ!」と怒鳴って詰め寄ってしまっていた。
その他にも納得しかねるアドバイスの数々。もちろん、良かれと思ってアドバイスをして下さっているのは分かるのだけれども。キャッチャーが自分の膝より下でとったらボール。大差がついたらストライクゾーンを拡げて。
ストライクゾーンはルール上、キャッチャーが取ったところでは決まらないはずだし、大差がついたらストライクゾーンが広がるというルールもない。ましてや試合が決してからチャンスをもらう選手だっているのに、そんなご都合主義的なことできないだろう。
講習を通じて守らなくてはいけないことは「審判の威厳を保つこと」「試合進行を促すこと」であり、「プレイヤーズファースト」の観点が抜けているように感じました。
審判員はあくまでプレーの結果をジャッジするだけで、試合進行を促すとか、試合を演出するとか、ちゃんちゃらおかしい。威厳を保ちたければジャッジの公平さ正確さで尊敬を集めるしかないと思う。
プレイヤー側が審判は神だと思うのはいいと思うけど、審判員自身が思うのは奢りでしかないし、危険だと思う。ジャッジは迷うし、見えてない時は見えてないし。逆だったかなと思う時はあるし。
私は見えていないことやミスジャッジを責めているのではなく、神であるという態度や審判の威厳なんていう考え方が嫌なのよね。プレイヤーのプレーを正確に判定し、プレイヤーが時間を掛けたければそのようにするというのが良い審判員だと思います。
リクエスト制度によってはっきりしたのは、ジャッジの正確性など遠く(ベンチ)からみているのとそう変わらないし、むしろ見ないで判定しても、コインで判定してもそう変わらないということ。よって正確性によって威厳を保つことはもう無理。
ごめん、わかんないって言えば許すのに。人間のやることなのだから。
でも、結果は半々なんだね。
]]>丁半博打より当たらないぞ
行動が完全に読まれてるからな
]]>http://blog.livedoor.jp/la_holl/archives/9260178.html
丁半博打なんてあたる確率50%だろ
]]>ギャンブルには一切関わらなかった。賭け事は胴元のみが儲かるようにできている。宝くじも同様である。還元率が五〇%未満であるあたりいっそうたちが悪い。宝くじを買うような人は十中八九、お金持ちにはなれない。やればやるほど損する仕組みになっているのだから当然である。そして合理性に欠けた人は、偶然大きな金額が当たったとしてもすぐに散財して終わる。
マカオは二度訪れて、いずれもカジノ見学を楽しんだが、1パタカも賭けることはなかった。やってもいいかと思って足を踏み入れたのだがからだが賭けることを拒んでいた。カジノが運営される様を見ることができたのは有意義であった。カジノでは一つの洞察が得られた。すなわち人間とは合理的な生き物ではない。そして人間は、意識的にせよ無意識にせよ、その本性として不確実性を好む。
もし賭け事に関わらざるを得ないとなったならば、賭ける側ではなく、賭けさせる側、ギャンブルを主催する側に立ちたい。それ以外の選択肢はない。
楽して儲けたいとは誰もが思うことだろうが、その欲求に流され丁半博打で儲けようとするようでは、お金が貯まるわけがない。愚かな人間にお金は居つかない。
仮想通貨も同様である。仮想通貨を巡る人々の様子はバブルに伴う狂騒そのものであった。
そういえばバブルについて学んだことはたいへんためになった。バブルの歴史をテーマにした本は数多く出ているので、これらは読んだ方が絶対に良い。そこには人間の本質についての洞察がある。バブルは案外、頻発する。人が一生を生きるなかで何度も直面する事象なのだ。
要するに、人間についての理解が全てといえる。人間を観察し人間とは何者なのか、どんな存在なのか、それを通じて自分自身とは何者なのかについての理解が得られる。自分自身の理解が土台となって初めて、自身の人生を意識的に形作ることができるようになる。
https://anond.hatelabo.jp/20180509000814
日によっては10万円近く動くからレバレッジなんてマジで丁半博打
では保有ならよいかというと、例えば夏から3万円持ってたら8万円になるだけだから、実はたいしたことない
パチンコかナンバーズで勝ったの?みたいな額
30万円なら50万円、300万突っ込んでたら500万円儲かってるだろうが
そんな額仮想通貨に突っ込んだら、おちおち他の事やってられないやろ(30万ぐらいなら平気か?)、
寝ることもできなくて不眠症になるかもな
去年までなら良かったんやろがなあ
]]>なぜなら、購入者は群れではなく個人だから。
これが丁半博打やカジノゲーム、パチンコなんかだと、たとえば寺銭が1パーでも何度も勝たなければ十分に報いられない。
と、いう様なことを丁寧に説明していけばまあ、納得していただけるのだろうとは思うが、宝くじの類いで大事なのは『当選額』であって『還元率』ではないのですね。
だから、期待値とかそういうのは違うゲームの理論なんですよ。
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