2020-11-04

トランプ(バイデン)が勝つと公言できる人間になりたかった話

開票にさきがけて、合理的勝敗確信することはほぼ不可能だった、という前提の話なんだけど、こんなことを思った。

ネットの知り合いとかtwitterで見る経済評論家とか、みんな簡単に、「トランプバイデン)が勝つよ」とか言ってたわけ。開票から

俺はそれ見てて、自分が口にしてるわけでもないのになんだかドキドキしてたんだわ。え、そんなこと言って大丈夫なんだろうか、と。こんなに混沌とした状況で、何を根拠にそんなことを…。

そんなことを皆が目にしている前で堂々と大言壮語して、もしも真逆の結果になったらどうするんだ? 俺には、どっちが勝つか、仮に予想であっても答えられなかっただろうし、答えるにしても小声で、本当におずおず口にすることになっただろう。

ただ、冷静になって考えてみると、仮に予想を外したとして、それが実際どの程度の痛手になるんだろうか。

もちろん、批判する奴、嘲笑する奴は間違いなく出るだろうけど、別に永遠に浴びせられるわけじゃないだろう。大体、もしもそう言われたら、「○○では△△な数字が出ていたから~」とかなんとか、適当なことを言って煙に巻いてしまえばいい。

一方で、もしも予想を的中させたら(ほとんど丁半博打だが)、大手を振って自分の慧眼を主張できる。つまりリスクとリターンで考えたら、実際はリターンが圧倒的にデカいのではないか

俺みたいな一般人立場でそれを口にしても失うものは一つもないし、評論家業で食っているにしても、誤答にはリスクが伴うが、それに対してずっとデカい見返りが期待できるなら、結局ためらいなく公言するのが賢い選択になる。勇気がどうこうではなく、単に判断として合理的、ということになる、と思う。

みんな、こんなものは表が出れば100円もらえて、裏が出た場合10しか失わないコイントスに過ぎないって気づいていたのだろうか?

これは、『天』最終巻のアカギとヒロの問答にも通じるところがある。

いびつに真面目な人格は、リスクを過剰に評価してしまう、あるいは、リスク無視するという柔軟な発想を持つことができないのだ。そこがヒロの魅力、高潔さでもあるが、現実でもそうであることにはどの程度の価値があるだろうか。

ここで表題に戻ってきて、俺はトランプバイデン)が勝つと公言できる人間になりたかった…のだが、この状況でもまだ、どちらが勝つか口にするのは恐怖があったりして、なんというか、染みついてるな、と思った。

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