はてなキーワード: ビスマルクとは
個人的に、一年のうちで最も落ち着ける年末年始、時間があれば戦艦少女を始めてみようと思っている。
ちなみに自分は元艦これ提督だが、既に自分の中では完全に興味が失せて久しい。
え、やるならアズールレーンじゃないの?と思うだろうけど、正直、アズールレーンは「まだ早い」のだ。
このテのネトゲは、リリースから1年ないし2年位様子を見てからじゃないと評価できないから。
当初神ゲー扱いだった艦これも、3年過ぎた辺りで完全にクソゲー化していたわけで。
その点、戦艦少女は本国が3年だっけ?日本版も1年経って、特に仕様改悪みたいな話は無いっぽいので、そろそろ始めてもいい頃合いかなと。
ちなみにゲーム内ではエンタープライズを贔屓しまくることが一番の目的。(だから早く日本版CVが実装されて欲しい)
その他に、艦これで遂にお迎えできずじまいだったサラトガ、ビスマルク、ウォースパイトを積極的に起用。
あとはミズーリ、ノースカロライナ、ドイッチュラント級、フッド、フレッチャー級、アルバコア、アーチャーフィッシュとかで固める予定。
日本艦や日本製装備は一切無視するつもり。艦これで色々あって、もう見るのも嫌だから。
一例を挙げるなら、個人的に史実の五航戦ファンだったけど、艦これでのコレジャナイ仕様で超どうでも良くなったとかな。
まあ、世界的に見れば攻撃一辺倒の勘違い艦・勘違い装備ばっかりだから、無くても何とかなりそうだし。
ただレベリング、装備改修、ケッコンが死ぬほど嫌いなので、そこだけが気がかり。
艦これではこいつらが時間的・資材的な負担になりまくって投げ出したので、戦艦少女やアズレンにおいても、あんまり強要される仕様なら速攻やめるつもり。
ここ最近は甲に拘らなけりゃ特に厳しい難易度のイベントは無い。
強いて言えば中枢棲姫が出たイベが一番エグかったかな。ただ、特効の関係で乙以下は開幕爆撃や雷撃で終わる事も多かった。
ちょっと前イベのE5でイタ戦堀の話出てたけど、丙なら言うまでもなく、乙でも堀りはそこまで難しくなかった、実際俺は乙でイタ戦3隻掘った。
勿論装備も練度もうちは低いよ。レベル60前後が主力だし、戦闘機は五二熟練が主力、艦攻は雷装11クラスを未だに使ってるぐらいだし。
Z1も居ないんで当然ビスマルクも居ない
艦これのイベントって、連合艦隊や基地航空隊のような新システムを導入しつつ、ゲージ回復やランダム羅針盤みたいな理不尽を排除することによって、いわゆる納得感を出していく方向にあると思うのです。艦隊や装備の練度上昇や充実、遠征や任務消化による資源のまめな備蓄を怠らず続けていれば、それなりにクリアできますよ、っていうふうに。
つまり今回も俺が大苦戦したのは運の悪さやプレイ時間の少なさだけでなく、普段からサボってシャンシャンしてたせいでもあり、その点弁解の余地はございません。ええ大変苦しかったですとも。
E-1だけだったな楽なの。
E-2は先人の編み出した潜水艦作戦で、資源的な負担も少なく、あーこれも楽だと思っていたらゲージが破壊できない。面倒くささが先に立って潜水艦に固執しすぎてとにかく時間を浪費することに。結局二航戦を出す羽目になった。
E-3は世間では簡単だなどと言われていたようだが、ギミック解除の時点からやたらと手こずる。その後も防空駆逐艦の練度不足により道中大破撤退が頻発してボスにたどり着けない、たどり着いても敵連合艦隊の護衛部隊をまともに削れず、ピンピンしてる護衛艦隊と悲しい夜戦をする、など面白くも空しい出撃が続いた。史実艦ということでレベル35くらいの野分を入れてたのがよくなかったのか。どうやってゲージを破壊したのかよく覚えていない。一番時間かかったと思う。
E-4は一度甲で輸送ゲージを破壊したものの、殲滅作戦の敵編成に絶望したので難度を乙に下げてやり直した。通常艦隊vs連合艦隊のボスは乙でもしんどかった。甲で突破した人は本当にすごい。ボス撃破のために編成を重くすれば道中がズルズル伸びるし。阿武隈改二がいなかったら無理だった。
E-5は練度不十分ながら特攻艦の酒匂とプリンツ・オイゲンがいたので、甲で攻略した。出撃地点前進ギミックの解除のために、心を殺してひたすらAマス攻略を反復してどうにか解除。ラスボスのくらげ姫は、装甲破砕ギミックを解除する時間がなかったので、酒匂とオイゲンの夜戦にお祈りするという戦法で攻略できた。鬼畜と言われたOマスに基地航空隊を全力で出し、道中突破率を上げたのがよかったでのはないか。
対空、制空の重要度がマシマシになっていて、敵艦を沈めるゲームじゃなくて敵航空機を叩き落とすゲームをやってるような気分になった。
レアドロップは親潮、朝風のみ。山風は出なかった。そもそもボス戦でS勝利するというシチュエーションが非常に少なかったのでしょうがない。
元増田とは関係ないけど、関係ないはてブといえばid:cider_kondoさん
id:cider_kondo どうせ洋画だろうと思ったら洋画だった。あんま関係ないけど暴力団用語で「実子」っていうと一子分(実子分。今風の用語で言うところの若頭とか舎弟頭)と紛らわしいんだよね
id:cider_kondo 関係ないけどガールズユニオンが2周年を迎えた(これ自体、開始直後から考えたら驚天動地の出来事)けど、昨日のメンテ画面が面白かった。こういうの。https://twitter.com/ini_crois3t/status/758548599915552768/photo/1 (本当に関係ない
id:cider_kondo 関係ないけど(嘘)7月1日付更新で「選挙戦真っ最中のこの時期に、このていどのネタでこのタイトルはやっぱりやり過ぎだ」と週刊文春を批判した花田氏が今日発売号にどう反応するか、今から気になっている
id:cider_kondo 思ったことid:yorunosukeさんが書いてた。関係ないけどゾノきゅんの成長(というか適応?)があまりにも気になる。正直、スピンオフをNEXTあたりに連載して欲しいレベル
id:cider_kondo id:yas-mal<そういう名前の川ですね。https://goo.gl/maps/XYoJ1aGkFS22 インテルのオレゴン工場から車で30分ぐらいですよ(本当(いやそれ関係あるのか?
id:cider_kondo 関係ないけど替え玉100円のラーメン店があったのが、食い盛りの我らが来店しまくった結果、替え玉150円に値上げになったな(本当に関係ない
id:cider_kondo 関係ないけどヴィルヘルム1世は63歳でプロイセン王に即位し、3歳年下のモルトケ参謀総長、6歳年下のローン陸軍大臣、18歳年下のビスマルク首相ともにドイツ統一の大業に挑み、10年後に見事皇帝として戴冠したんだよな。
id:cider_kondo ガラスの靴なら素足に履いても許される気がするけど、革靴を素足に履いたら臭くなるような気がするので都知事選の結果は気になる(関係ない
id:cider_kondo 「論語をdisる」に空目して「いや孔丘先生は実行者としても相当なものですが」とか反射的に考えてしまった(関係ない
id:cider_kondo それ言ったらテイルズのかやのんは多少ほわほわしてるなと思ったら1話にして親しい部下・派遣した学者・出合った村人がいきなり全滅だからな(関係ない
思ってたより多くなかった…(上記七月のブクマより)
っていうか9割のブコメが関係ない話だし、元記事と関係ないブコメだからって誰も気にしてないのに、わざわざ「関係ないけど」って断っちゃうあたり人が良いんだろうなと思った
もしくはマウントを恐れすぎ
1回目は分かりやすい本を読む
→2回目は覚えるべきところを、マーカー(赤ペンじゃダメ)書いていく(覚えれば点になる場所だけに絞る)
→3回目はノートにマーカー部分で覚えていなかったところを書き写しながら読む。
で、
みたいな感じで、ノートに1対1の単語暗記みたいにただただ書いていく。
で、このノートを、覚えていくんだけど。
ただ暗記しようとするんじゃなく。片方を見てもう片方が出てくる「スピード」を上げる。
インカ帝国→ピサロ。ピサロ→インカ帝国の両面からスピードを上げる。
単にう~ん、って思い出して出てくるのは暗記得意な奴ならできるだろうが。
見た瞬間出てくるレベルってのは、トレーニングしないとできない。
この部分の差で暗記はカナリ行けるっぽい。
あと、ADHDは間違いなく、集中できないから、音楽聞いたりしながらやってる。
音楽で多少気がそれるくらいのほうが集中はできなくても、机に座り続けることはできるし。
前1285 | カデシュの戦い | エジプトの大ファラオ・ラムセス2世と、製鉄技術で名高いヒッタイトの王ムワタリの戦い。戦況が膠着状態に陥った後、ムワタリが停戦を申し入れ、ラムセス2世が受諾した。これは記録に残る最古の戦争であり、記録に残る最古の平和条約でもある。 |
前479 | プラタイアの戦い | 古代ギリシアとペルシアの一連の戦争における決戦。数十万を誇るペルシア軍の攻勢を、一万のスパルタ軍だけで防ぎ止め、押し返し、打ち破った。これによりギリシアからペルシア軍は駆逐され、スパルタは前年のテルモピュライの戦い(映画『300』で有名)の雪辱を果たした。 |
前371 | レウクトラの戦い | 古代ギリシアの都市国家テーバイとスパルタの戦い。テーバイのエパメイノンダスが編み出した、兵力を左翼に集中する戦術「斜線陣」により、精強を誇ったスパルタのファランクスは打ち破られた。皮肉にも、後に斜線陣はテーバイではなくマケドニアに伝わり、ギリシア諸都市はその戦術によって敗れ去ることになる。 |
前331 | ガウガメラの戦い | 「大王」アレクサンドロス3世率いるマケドニア軍とアケメネス朝ペルシア軍の戦い。マケドニア軍の重装歩兵がペルシア軍を受け止めているあいだに、アレクサンドロス自らが率いる騎兵がペルシア軍にできた間隙を衝く、いわゆる「鎚と鉄床」戦術によってマケドニアが勝利し、大国ペルシアは滅びた。 |
前260 | 長平の戦い | 中国の戦国時代、趙の老将・廉頗の持久戦術に手を焼いた秦は、情報工作によって廉頗の悪評を流し、若い趙括と交替させた。趙括は勢い込んで秦との決戦に挑んだが、秦の名将・白起によってあっけなく包囲殲滅された。四十万人の捕虜が虐殺されたという。秦の中華統一の過程において最も大きな勝利の一つである。 |
前216 | カンネーの戦い | アルプスを越えてイタリア半島に侵入したカルタゴの名将・ハンニバルが二倍の兵数のローマ軍に大勝した戦い。中央の歩兵が敵を受け止め、両翼の騎兵が敵側背に回り込む、「包囲殲滅」戦術の鮮やかな見本として史上に名高い。しかし、そのハンニバルも後にザマの戦いで敗れ、地中海の覇権はローマのものとなっていく。 |
前202 | 垓下の戦い | 秦が倒れた後、中華を二分して戦っていた楚の項羽と漢の劉邦は、互いに疲弊したことで和睦を結んだ。しかし、劉邦は直後に盟約を破り、引き上げる楚軍に襲いかかった。「四面楚歌」となった項羽は、最後の力を振り絞って包囲を破るも、衆寡敵せず自害した。天下は漢のものとなった。 |
前48 | ファルサルスの戦い | 古代ローマを代表する二人の軍事的天才、カエサルとポンペイウスの戦い。カエサルは、包囲を狙うポンペイウスの騎兵を重装歩兵で囲い込み、投槍を投げずにそのまま騎兵の顔や目を刺すよう指示して打ち破った。勝利したカエサルはローマの実権を握ったが、やがて暗殺されることになる。 |
前31 | アクティウムの海戦 | カエサルの跡を継いだオクタウィアヌスとその政敵アントニウスの戦い。しかし、アントニウスとその愛人クレオパトラは、本拠地エジプトへ逃れることを優先してすぐに戦場を離脱、取り残されたアントニウス軍は壊滅した。アントニウスとクレオパトラは自殺し、数年ののちにオクタウィアヌスは初代ローマ皇帝となる。 |
23年 | 昆陽の戦い | 漢から帝位を簒奪した王莽に反発して「赤眉の乱」が起こる。昆陽に篭もる赤眉軍は、実数でも40万と言われる王莽軍に包囲されたが、リーダーの一人である劉秀は数千の兵とともに敵の中枢へ突撃を敢行、王莽軍は大混乱に陥り全滅した。主力を失った王莽はまもなく滅亡。劉秀はのちに光武帝として後漢王朝を開く。 |
208 | 赤壁の戦い | 三国志に名高い一大決戦。中原を制し、中華統一を目指して大軍を南下させた曹操だったが、見知らぬ土地での疫病、慣れない水上戦に悩まされ、呉の都督・周瑜の火計によって打ち破られた。呉に協力していた劉備は、勝ちに乗じて荊州の南部を占拠し、後の飛躍へと繋げた。 |
383 | 淝水の戦い | 五胡十六国時代、前秦皇帝・苻堅は天下統一を狙って百万を号する大軍を南下させ、東晋の将軍・謝石と謝玄が数万の軍でそれを迎え撃った。苻堅は異民族の融和を目指した理想主義的な君主だったが、異民族の混成軍は実際には統率がとれておらず、偽装後退を命じたことが本当の撤退と勘違いされ、前秦軍は自壊して潰走した。 |
451 | カタラウヌムの戦い | フン族の王アッティラの侵略に対して、西ローマ帝国の名将アエティウスと西ゴート王テオドリックなどが連合して挑んだ決戦。痛み分けに近いものの、西ローマ帝国軍の勝利に終わった。のちにアエティウスの武功を恐れた西ローマ皇帝は彼を暗殺した。この戦いから二十五年後に西ローマ帝国は滅びた。 |
506 | 鍾離の戦い | 数十万の大軍同士が激突した南北朝時代最大の決戦。北魏軍は、河に橋を掛けて梁の鍾離城を攻め立てていたが、長雨もあり戦いは長期化した。救援に来た梁の智将・韋叡は、増水に乗じて戦艦を走らせ、北魏が掛けた橋を焼き払った。大混乱に陥った北魏軍は十数万の死者を出して敗走した。 |
530 | ダラの戦い | サーサーン朝ペルシアの大軍を東ローマ帝国のベリサリウスが破った戦い。ベリサリウスはあえて要塞から出て敵の攻撃を誘うと共に、壕を掘って相手の中央突破を防ぎ、伏兵を巧みに使って撃破した。その後、ベリサリウスは中世欧州最高の名将として、東ローマ帝国の最大版図を現出させる。 |
627 | ハンダクの戦い | 初期イスラムの三つの戦いの一つ。敵対するメッカ軍に対し、ムハンマド率いるメディナ軍は数で劣ったため、ペルシャ人技術者の進言で「ハンダク=塹壕」を巡らせた。メッカ軍は初めて目にする塹壕を突破できず、メディナ攻略を諦めた。以降、アラブ世界におけるイスラムの優位が確立された。世界初の塹壕戦とも言われる。 |
636 | ヤルムークの戦い | 「神の剣」ハーリド率いるイスラム軍と、皇弟テオドロス率いる東ローマ帝国軍の戦い。砂漠の戦闘に慣れたイスラム騎兵が東ローマ帝国軍を渓谷に追い込み撃滅した。イスラム軍は、直後のニハーヴァンドの戦いを経てサーサーン朝ペルシアをも滅ぼし、ここにイスラム帝国が興隆することとなった。 |
732 | トゥール・ポワティエ間の戦い | イベリア半島から侵攻したウマイヤ朝イスラム帝国と、フランク王国の宮宰カール・マルテルの戦い。イスラム騎兵の猛攻をフランク重装歩兵が跳ね返し、撃退した。イスラム騎兵の強さを痛感したマルテルは、直属の臣下に土地を与えて「騎士」制度を創設し、これが欧州の封建制へと繋がっていった。 |
751 | タラス河畔の戦い | 西へ拡大する大唐帝国と東へ拡大するアッバース朝イスラム帝国が中央アジアにおいて衝突した戦い。唐の同盟者ウイグル族に従っていたカルルク族が裏切ったことでアッバース朝が大勝した。これによって、唐の伸張は止まり、中央アジアはイスラムに帰し、そして製紙法が西方に伝播した。 |
1098 | アンティオキア攻囲戦 | 第一回十字軍は、半年以上の攻城戦の末にアンティオキアを陥落させたが、遅れて到着したイスラム諸国連合軍七万によって逆に包囲されてしまう。しかし「聖槍」の発見で士気を高めた十字軍は、城外に打って出てイスラム軍を打ち破った。次の年にはエルサレムを陥とし、まさしく奇跡的に十字軍は成功に終わった。 |
1141 | カトワーンの戦い | イスラム・セルジューク朝を復興させたサンジャルと、遼の再興を掲げて中央アジアに覇を唱えた西遼の耶律大石との戦いで、西遼軍がセルジューク朝軍を包囲殲滅した。セルジューク朝は再び衰退、まもなく耶律大石も亡くなったことで西遼も勢いを失った。この戦いがプレスター・ジョン伝説の原型となったという。 |
1187 | ヒッティーンの戦い | 暑さと渇きに苦しむエルサレム王国軍に対し、イスラム・アイユーブ朝のサラディンは、夜通し弓矢で攻め立てて士気を挫き、野に火を放って追い詰め、壊滅させた。聖地エルサレムは再びイスラム勢力のものとなった。その奪回のために第三回十字軍、すなわちサラディンと「獅子心王」リチャードの戦いが開始される。 |
1212 | ナバス・デ・トロサの戦い | イベリア半島で争っていたキリスト教諸勢力が、教皇インノケンティウス3世の要請により連合してイスラム勢力を迎え撃った、「レコンキスタ」最大の決戦。イスラム・ムワッヒド朝の十二万の大軍が悠然と構えるのに対し、連合軍は猛烈な突撃を敢行。ムワッヒド軍は十万とも言われる被害を出して敗走した。 |
1214 | ブーヴィーヌの戦い | フランスの「尊厳王」フィリップ2世と、神聖ローマ帝国・イングランド王国などの連合軍の戦い。フィリップ2世は北へと逃げてブーヴィーヌに陣取ると、ばらばらに追いかけてきた連合軍を到着した順に各個撃破した。脆弱だったフランスが強国として台頭し、またイングランドで大憲章が成立するきっかけともなった。 |
1241 | モヒの戦い | バトゥ率いるモンゴル帝国の遠征軍に対し、ハンガリー軍は堅固な陣地を築いて健闘したが、モンゴル軍はイスラムの投石機と中国の火薬兵器で攻撃を加え、さらに周りこんだスブタイの軍によって包囲殲滅した。同時にリーグニッツでもモンゴルの別働隊が勝利していたが、オゴタイ・ハンの死を聞いてバトゥは引き返した。 |
1260 | アイン・ジャールートの戦い | モンゴル帝国の西アジア遠征軍と、イスラム勢力のクトゥズやバイバルスの戦い。先鋒のバイバルス軍が退却を装い、それを追撃したモンゴル軍は、伏兵のクトゥズ軍に包囲されて壊滅した。モンゴルの西進はここで止まった。バイバルスはその後もモンゴル軍に勝ち続け、マムルーク朝の実質的な建国者となった。 |
1267 | 襄陽・樊城の戦い | モンゴル帝国のクビライ・カンは、入念な準備の上で襄陽と樊城を大軍で包囲、長大な土塁を築いて封鎖した。南宋の主力軍十万が救援に向かったがモンゴルの水軍の前に完敗した。中東由来の新型投石機「回回砲」による攻撃が開始されると襄陽・樊城は為す術なく降伏した。この敗北は南宋の滅亡を決定付けた。 |
1346 | クレシーの戦い | イングランドとフランスの百年戦争における初期の決戦。イングランド軍は斜面にV字に長弓部隊を並べ、中央に下馬騎士を置いた。フランス軍のクロスボウは射程の違いで長弓に対抗できず、重装騎兵も敵軍を突破できずに惨敗した。その後、百年戦争の終盤まで、イングランドは同様の戦術で勝利を収めていった。 |
1363 | 鄱陽湖の戦い | 中国・元末の群雄である朱元璋と陳友諒の戦いで、それぞれ数十万人規模の大船団同士が激突した。大型の艦を鎖で繋いでいた陳友諒軍は、朱元璋が特攻させた火船によって大炎上して敗北した。この勝利により優位を確立した朱元璋は後に明の建国者となる。三国志演義における赤壁の戦いの描写はこの戦いがモデルだという。 |
1402 | アンカラの戦い | ニコポリスの戦いで欧州連合軍に圧勝したイスラム・オスマン帝国の「雷帝」バヤズィトと、モンゴルの後継を自称して大帝国を築いたティムールが激突した戦い。結果、オスマンが敗れてバヤズィトは捕虜となり、日の出の勢いだったオスマンは一時的に衰退した。ティムールもこの戦いを最後に生涯不敗のまま亡くなった。 |
1410 | グルンヴァルトの戦い | ポーランド・リトアニア連合軍とドイツ騎士団が戦った、中世最大とも言われる会戦。リトアニア軍の偽装撤退に誘い込まれたドイツ騎士団は、連合軍の反攻によって壊滅した。この勝利のあと、ポーランド・リトアニアは欧州最強国として最盛期を迎える。現代では古戦場跡で行われる祭りが有名。 |
1420 | ヴィトコフの戦い | ヤン・ジシュカ率いるフス派と、それを鎮圧するために結成された10万の十字軍の戦い。フス派は包囲されプラハに立てこもったが、欧州で初めて銃を装備し、武装した荷車をつなげて砦とするなど、革新的な戦術を用いたジシュカの活躍で、十字軍は撤退に追い込まれた。以降もフス派は勝ち続けていくことになる。 |
1450 | フォルミニーの戦い | 他国に先駆けて常備軍を創設し、長弓より射程の長い大砲を活用するなどの軍政改革を行ったフランス元帥リッシュモンは、百年戦争で負け続けだったフランス軍を立て直してイングランド軍を撃破した。このフォルミニーでの勝利は、百年戦争におけるフランスの勝利と、そして以降のフランスの軍事的優位を決定付けた。 |
1453 | コンスタンティノープルの陥落 | 東ローマ帝国の首都にして史上最強の城塞都市と、それを包囲したオスマン帝国軍の戦い。「ウルバンの巨砲」「艦隊の山越え」といった大仕掛けにも耐えたコンスタンティノープルだったが、施錠を忘れていた通用口からオスマン軍に侵入され、あえなく陥落した。古代から続いたローマ帝国は中世と共に終わりを迎えた。 |
1503 | チェリニョーラの戦い | 第二次イタリア戦争におけるスペインとフランスの戦い。レコンキスタにおいて攻城戦の経験豊富だったスペイン軍の指揮官ゴンサロは、野戦に攻城戦の技術を持ち込んだ。長槍兵と銃兵の陣形「テルシオ」と塹壕の組み合わせによって、フランスの重装騎兵を打ち破り、欧州に野戦築城の有効性を知らしめた。 |
1514 | チャルディラーンの戦い | イスラム・サファヴィー朝の建国者イスマーイール1世は神がかり的な戦争の天才だったが、対するオスマン帝国のセリム1世は鉄砲と大砲を大量に運用して、不敗の騎兵「クズルバシュ」をさんざんに打ち破った。初めての敗北を味わったイスマーイール1世は無気力となり、サファヴィー朝の拡大は停滞した。 |
1588 | アルマダの海戦 | 黄金時代のスペインをイングランドが迎え撃った戦い。接舷攻撃を企図するスペインの大艦隊に対し、ドレイク率いるイングランド海軍はヒットアンドアウェイの砲撃戦で勝利した。以降、海戦の主役は白兵から大砲へと移っていく。スペイン没落の画期とも言われるが、実際にはスペインの優位はしばらく続いた。 |
1619 | サルフの戦い | 女真族を統一したヌルハチ率いる後金軍と、その討伐に差し向けられた明軍の戦い。圧倒的に数で優る明軍は、四手に分かれて後金を包囲しようとしたが、全く連携が取れておらず、ヌルハチの見事な内線作戦によって各個撃破された。後金はやがて清となり、明を滅ぼすことになる。 |
1631 | ブライテンフェルトの戦い | 三十年戦争に参戦したスウェーデン王グスタフ・アドルフと、ティリー伯率いる神聖ローマ帝国軍の戦い。グスタフ・アドルフは歩兵・騎兵・砲兵が緊密に連携する「三兵戦術」によって、神聖ローマ帝国軍のテルシオを完全に打ち破った。この三兵戦術が近代的な軍制の基礎となる。 |
1683 | 第二次ウィーン包囲 | オスマン帝国は15万の大軍をもってオーストリアの首都ウィーンを包囲したが、要塞化された都市は容易に陥落しなかった。キリスト教諸勢力は連合して救援に向かい、特にポーランドが誇る有翼重騎兵「フサリア」3000騎の中央突破によって、オスマン軍は大敗した。オスマン帝国の衰退を決定付ける戦いとなった。 |
1704 | ブレンハイムの戦い | スペイン継承戦争において、イングランドのマールバラ公とオーストリアのプリンツ・オイゲンの名コンビが、フランス軍を打ち破った戦い。開戦後、しばらくは一進一退が続いたが、マールバラ公はオイゲンと連携して粘り強く戦い、フランス軍の両翼を釘付けにした上で手薄になった敵中央を突破して撃破した。 |
1709 | ポルタヴァの戦い | 北欧の覇権を握ったスウェーデンをめぐる大北方戦争最大の決戦。スウェーデンの若き天才カール12世は、並み居る敵国を瞬く間に撃破し、残るロシアに攻め込んだが、寒さと焦土作戦により疲弊、ポルタヴァで大敗を喫した。カール12世はオスマン帝国に亡命し、スウェーデンの「大国時代」は終わりを迎えた。 |
1757 | ロイテンの戦い | 七年戦争、プロイセンの「大王」フリードリヒ2世とオーストリア軍の戦い。斜めに行軍して敵の側面に回りこみ火力を集中させる「斜行戦術」により、プロイセンは倍する敵に勝利した。その後も、イギリス以外のすべての国を敵に回した状況で、フリードリヒ大王は粘り強く戦い抜き、七年戦争はプロイセン優位に終わった。 |
1781 | ヨークタウンの戦い | アメリカ独立戦争。チェサピーク湾の海戦でフランス海軍に敗れたことにより、ヨークタウンに篭もるイギリス軍に支援は届かず、彼らはアメリカ軍に包囲された。イギリス軍は幾度かの抵抗の後に降伏し、この戦いが事実上の終戦となった。勝利の立役者となった総司令官のワシントンは、のちに初代大統領に選ばれた。 |
1805 | トラファルガーの海戦 | 欧州を支配し、イギリス本土へ侵攻せんとするナポレオンと、名提督ネルソン率いるイギリス海軍の戦い。敵列の側面に縦列で突入する「ネルソン・タッチ」によりイギリスが勝利、ナポレオンの計画は頓挫した。勝利したネルソンは、しかし狙撃により重傷を負い、「私は義務を果たした」と言い残して亡くなった。 |
1805 | アウステルリッツの戦い | フランス皇帝ナポレオンと、オーストリア皇帝・ロシア皇帝が戦ったために、「三帝会戦」の異名がある。ナポレオンの正確な洞察と完璧な機動により、数で劣るフランス軍が大勝利を収めた。あえて要地を明け渡し、機を見て奪回することで敵を分断する、その華麗な用兵は「戦争芸術」と讃えられた。 |
1819 | ボヤカの戦い | 南米を植民地とするスペイン軍と、それからの独立を目指すシモン・ボリバル率いる革命軍との戦い。わずか三時間で革命軍の勝利に終わったが、南アメリカ諸国の独立を決定づける重要な戦いとなった。敗れたスペインは彼らの独立を承認し、ボリバルを大統領とした大コロンビアが誕生することになる。 |
1863 | ゲティスバーグの戦い | 「鉄道と電信の戦い」となったアメリカ南北戦争、最大の決戦。鉄道と街道が集まる要衝ゲティスバーグを巡り、偵察部隊の小競り合いが発生。増援を送りあって戦闘はみるみる拡大、両軍に多大な損害を出して終わった。国力に劣る南軍にとっては、より大きなダメージとなり、名将リーが計画した北部侵攻も頓挫した。 |
1870 | セダンの戦い | 国民皆兵制と鉄道による大規模かつ迅速な動員、参謀幕僚制と電信による戦略レベルでの分進合撃戦術により、参謀総長モルトケの指揮するプロイセン軍が、フランス皇帝ナポレオン3世と十万のフランス兵を捕虜とした戦い。これにより邪魔者を排除したプロイセンは、「鉄血宰相」ビスマルクのもとでドイツ統一を成し遂げる。 |
元増田だけど、金剛型しか選択肢がない時期だと、戦艦が必要な海域や演習では、そりゃ誰でも率先して金剛型を使うだろう。
でもそれによってレベルも勝手に上がっていくので、眼の色変えてまで改二を目指す必要なんかこれっぽっちもない。
だけど他の低速戦艦(not航空戦艦)、まあ入手確率高いのは陸奥だけど、彼女を運用し始めた時点で少し見方が変わるはず。
もし長門だったら尚更「なるほど、これが戦艦か!」という感覚をハッキリ認識できる。
そして、出来るならこのタイミングでビスマルクや大和型の入手・育成について考え始めたほうがいい。
4隻全て改二まで上げて改修MAXにして久しい自分から言わせれば「あいつらの育成はテキトーでいいよ」という感じ。
というか、彼女らの育成を頑張るくらいなら、そのコストをビスマルクと大和型に振るべきだったと、前回のイベで痛感した。
通常海域で必要とか知らん。てか改二にしなくても普通に大丈夫でしたが?
そして肝心のイベでは夜戦能力がダメ過ぎるのが致命的。火力しょぼいし避けないし。
よく金剛型のメリットとして言われる「使いやすさ」とやらも、夜戦能力の問題で帳消しだと思う。
連合艦隊かつ雷巡抜き編成で最深部MAPという局面で、ビスマルクがいないとなると必ずこいつらを組み込まなきゃいけないのが非常に不満。
資材ばかり食って、本当にまともに動いてくれたのを見たことがない。
それでも金剛型の育成は戦艦の中では最重要とか言われてるんだから、本当に意味がわからない。
確かにビスマルクも大和型も、入手・育成と凄まじいコストを費やすことになるけど、それを乗り越えてでも揃えないといけないでしょ。イベントで地獄を味わいたくないなら。
面倒ということで後回しにすると、ツケ払いに結構な利子がついてくる典型的なパターンだろう。
それでも推すって、かわいいは正義()な人ですか?
照月欲しさに仕方なくE-7丙に挑み、案の定ラスダンにハマった。
じゃあやめれば?と言われるかもしれないが、今までの運営の行状を見ていると、これを逃したらいつ入手できるか分かったものではない。
それに数少ない防空艦なので、尚更見逃せない。
しかし、もはや燃料が自然回復上限を割ったこともあり、撃破は絶望的である。
何故クリアできないかといえば、多分自分の艦隊の練度がヘボすぎることが最初に挙げられる理由。
ざっと列挙するだけでこれだけ出てくる。
勿論、これ以上に練度に不安がある提督だってクリアしている事は知っている。
でも、自分はそこまでできない。そういう「限られたカードで勝負する」情熱は持ち合わせていない。
それを艦これで行うのは、自分にとって苦痛が楽しみを上回ることだから。
一体、いつから艦これはこんな色々とメチャクチャ頑張ることを強要されるゲームになったんだろう。
一昨年秋に着任した頃は、キャラゲーにウォーゲームと兵站ゲームのフレーバーという味加減美味しいですとか思っていたんだけど、勘違いだったならシカタナイネ。
しかもこの流れで行くと、次回イベは瑞穂辺りを育てていないと詰みそうな予感バリバリなんですが、掘る以前に最終MAPのラスダンで力尽きそうな人は帰れってことですか。
E-5まで甲甲乙丙丙と進めてきたが、ここに至ってとうとうクリアする前に資材が尽きかねない事態に陥った。
鋼材とボーキは10万あるんだけど、燃料と弾薬が5万台しかない。
ここ一年以上、改二実装されるたび改造レベルまで上げて改造→改修MAXを目的にプレイしてきていて、今は鳥海・加古・阿武隈が対象だけど、一方で吹雪改二以降の駆逐勢には全然手が回らない状態。
そんなんだから遠征のスケジューリングや日々の任務が疎かになった結果なのだが、一体どうやったら燃料弾薬10万超えるんだ?という感じ。
なので今回のイベは正直苦しい。
今思えば、大和レーダー欲しさにE-3を乙でやったらラスダンでハマりかけた(ラスダン5回目くらいで雪風がカットインスナイプ決めてくれたけど)のが、ケチのつけ始めだった。
更に時間が経つにつれて、高難度な内容が判明していきテンション下がりまくり。
そこに来て残るE-6乙は資材に厳しいMAPで、同じことはE-7丙にも当てはまるという。
こちらの準備不足は否定しないが、こんなにモチベを削られたイベントは、一昨年のアイアンボトムサウンド以来かも(あん時は途中で投げ出した)。
クリアに要する回数が意味不明に多いMAPがいくつもあるし、出撃制限もメチャメチャ細かいし、挙句ラストMAPに出せない艦娘が出る。
あとラストMAPといえばE-6以降の雷巡締め出しとか、実質第二艦隊はビスマルクが指定席と言っているようなものだけど、アレは大和型や大鳳と同等か、それ以上に入手育成が大変な艦娘なのは提督なら周知の事実で、自分を含め持ってない提督もいっぱいいるわけで(持っていても育成進んでない提督も多いはず)。雷巡のチート火力を封じたいのは分かるけど、必要以上に提督をふるいにかける結果になっていると思う(俺鎮守府所属の赤ビキニのイタリアは未だに対空がMAXじゃないが、金剛型を使い切った現状はこれしか選択肢がない)。
それで先行実装艦の半数はドロップだから頑張って掘れって、だったらもう少し軽いMAPじゃないと掘るモチベなんて残らない。そもそもマスク情報が多すぎて、依然としてwikiとかでも未検証要素だらけとか、ちょっと異常だろ。
全部丙でクリアすればいいじゃんとかそういう問題ではない。丙だってE-7とか超絶大変そうだし、何より全く楽しさを感じない。
こんな事を続けていたら、多くの提督がイベントを無視するようになるのでは?と感じてしまう。
少なくとも自分は、次回もこんなに難しいイベントだったらやらないと思う。今後絶対に欲しい艦娘は信濃だけで、あとはそれを待ちながら改二に向けてレベリングしているだけの提督としては。
でもカタパルトは欲しかった。元々鶴姉妹のイラスト見て艦これ始めたんだから。あと今回も磯風を入手できないで終わるのが残念。
ま、重婚してレベル100超えの艦娘ハーレムなのは勿論、同じ艦娘を複数育成しているランカー鎮守府とかなら、また違った感触なんだろうけど。
しようかなと思っているところなんだけどなんだかんだで続けそうだなと思っている今日このごろ。
人より運がないから今回のイベントもE-2のFマスの戦艦で毎回大破撤退を繰り返してて同じことの繰り返しに疲れているところかな。
メンツを変えてもダメだしキラ付けなんてしようものなら裏切られた時の虚しさとまたやり直すことの億劫さが嫌だからする気力すらない。
まぁ人と比べるから辛いってのはあるよね。まるで全ユーザーが天城を手に入れたかのような錯覚になってしまう。
そんな時に考えるのが「いつかは建造落ち」かな。とか言うものの運がないから未だにビスマルクも大鳳も武蔵もいないけど。
スローライフ鎮守府という意味ではこういったスタンスも悪くないかも。ただやっぱり周りを気にしてしまうんだけどねw↓
http://anond.hatelabo.jp/20140427010846
まぁ艦これに限らず他のゲームもそんな感じかな。城プロもやってるけどあれもあれでなかなか上手くいかないもんで
しようかなと思っているところなんだけどなんだかんだで続けそうだなと思っている今日このごろ。
人より運がないから今回のイベントもE-2のFマスの戦艦で毎回大破撤退を繰り返してて同じことの繰り返しに疲れているところかな。
メンツを変えてもダメだしキラ付けなんてしようものなら裏切られた時の虚しさとまたやり直すことの億劫さが嫌だからする気力すらない。
まぁ人と比べるから辛いってのはあるよね。まるで全ユーザーが天城を手に入れたかのような錯覚になってしまう。
そんな時に考えるのが「いつかは建造落ち」かな。とか言うものの運がないから未だにビスマルクも大鳳も武蔵もいないけど。
スローライフ鎮守府という意味ではこういったスタンスも悪くないかも。ただやっぱり周りを気にしてしまうんだけどねw↓
http://anond.hatelabo.jp/20140427010846
まぁ艦これに限らず他のゲームもそんな感じかな。城プロもやってるけどあれもあれでなかなか上手くいかないもんで
しようかなと思っているところなんだけどなんだかんだで続けそうだなと思っている今日このごろ。
人より運がないから今回のイベントもE-2のFマスの戦艦で毎回大破撤退を繰り返してて同じことの繰り返しに疲れているところかな。
メンツを変えてもダメだしキラ付けなんてしようものなら裏切られた時の虚しさとまたやり直すことの億劫さが嫌だからする気力すらない。
まぁ人と比べるから辛いってのはあるよね。まるで全ユーザーが天城を手に入れたかのような錯覚になってしまう。
そんな時に考えるのが「いつかは建造落ち」かな。とか言うものの運がないから未だにビスマルクも大鳳も武蔵もいないけど。
スローライフ鎮守府という意味ではこういったスタンスも悪くないかも。ただやっぱり周りを気にしてしまうんだけどねw↓
http://anond.hatelabo.jp/20140427010846
まぁ艦これに限らず他のゲームもそんな感じかな。城プロもやってるけどあれもあれでなかなか上手くいかないもんで
結論から言えば、最深部であるE-5の報酬が酒匂の先行実装というのは、うまい落とし所だったと思う。
そもそもイベ最深部のMAPというのは、"Extra Operation"と銘打ってある通り、今も昔もユーザ全体の2割くらいしかクリア不可能と言われる高難易度MAP。
まさしくやり込んでいる少数の提督向けのおまけ的MAPなのだ。
そして春イベの酒匂についても、今もあまり不満が表面化していないところからすると、それは正しかったと言えるだろう。
なので、ユーザ的に最も注目されている未実装艦である信濃についても、大鳳同様、イベでの先行実装なしで、いきなり大型艦建造による実装になることを希望する次第。
それで他の艦が当たる確率が相対的に減ってしまうのが問題なら、ビスマルクのケースのように、大和を秘書艦にして戦艦レシピなら武蔵、空母レシピなら信濃が出るようにするとかね。
同じく注目されているMI作戦のイベの最深部の報酬は、大淀とかにしておけばいい(秋月型は駆逐艦最強格になる可能性が高いので、E-3の報酬くらいがいいと思う)。
こういう、入手希望者がかなりいそうな有名艦は最初から誰にでも入手できる機会があった方がいいし、それくらいしたって減るもんじゃないし。
・・・などと思っていたのだが、どうも周囲の提督の考えは違うようで、「信濃のイベ先行実装はあるべき」という意見が多い。
全く理解できない。
曰く「最深部をクリアできるくらい常日頃レベリングと貯蓄に励み、イベを頑張り抜いたのだから、それに見合う報酬じゃないとおかしい」と。
そもそもクリアできた人の不満と、クリアできなかった人の不満、どっちが多くなると思ってるんだか。
御存知の通り、去年秋イベ最深部の報酬は武蔵の先行実装で、これが元で艦これクラスタが荒れまくった過去がある。
確かに当時は、更にその前の夏イベで先行実装された大和が一向に本実装される気配がなかったので、本気になったユーザも多かったという事情はあった。
でも根本的な話として、クリア可能な一部の提督ばかり優遇し、クリア不可能な8割のユーザを蚊帳の外に置いたように取られかねない先行実装が悪いと思うわけで。
こういうこと言うと「だったらやらなきゃいい」と反論する奴がいるけど、それでイベ最深部をクリアできず不満を抱いている人が納得することはあり得ない時点で、黙らせたいだけにしか聞こえない。
もちろん、今の大型艦建造の仕様が全く問題無いとは思わない。
何十回何百回と連続して外れるのは非常に低い確率だと推測されるけど、なまじユーザ数が多いので、そういう不幸な結果になる人が結構な数で出てしまっている。
だからこそユーザ数が多い場合の確率調整は非常に難しいんだけど、ここはもう少し何とかして欲しいかな。
しかし、だからと言って先行実装するべき理由にはならないけどね。
「それはそれ、これはこれ」ってやつです。