はてなキーワード: くしゃみとは
そんな細かなことまで、マニュアルに書いてやらないと分からない、同僚や上司に聞けない人間が多い。
だから彼らが入社後すぐに辞めないように、小さな困りごとを解決してやったり、上司や同僚の架け橋役になったり、気軽に声を掛けて居心地を良くしてやるのが私の仕事。
なんだけど最近つらい。辞めたくなってきた。
自慢じゃないがコミュ障だらけの会社、もともとその手の付き合いはほぼ絶滅している。
さすがに歓迎会、送別会くらいはあるものの、それすら自由参加。
今や我が社の飲み会は、酒好きな年寄りと数少ない女性社員の癒しの場として存在している。
そう問いただすと、「だって…」と彼は口を尖らせた。
最近ガチで、口を尖らせたり、にゃんとか言いだす男子が存在する。
「だってどうせ俺の悪口で盛り上がるんでしょう?陰湿なんですよ飲み会なんてー!」
はっ?ねえわ。
飲み会も僕タンの悪口でもちきりに違いない。そんな陰湿飲み会は廃止すべき!というのが彼の言い分だった。
いやいやいや、絶対にお前の話題なんて一言も出ないし、思い出しもしねーよ。
50キロ以下級でも、100キロ超級でもない、床掃いてんだろロングヘアでも、ハエがたかるような服を着ている訳でもない彼なんてほんと普通。
つか仕事が出来ればゴミ捨て場から掘り出してきたような服着てる人間でも許されるような職場で、アトピーごときでクスクス笑うだぁ?
会社は保育所じゃねーんだぞアホンダラ。そんなクソ甘いイジメがあるか!
人の動作一挙動を見ては給湯室で陰湿な悪口に盛り上がる…という設定になってたらしい。
あのさ、主婦である私はどっちかと言うとあんたの嫌いなそっちよりの人間なんですけど。
あんたが暇な主婦は…、って言うたびに、私が眉根に寄せるシワ、気が付いてない訳じゃないよね?
もちろん○○さんはあんな奴らとは違いますけど、って私あんた寄りの人間なの?
一緒にすんなクソガキ。
定時に上がるためには、時間内に仕事を終わらせなくちゃいけないわけ。
そのばたばた忙しい中で、新卒のにーちゃんのくしゃみがヘンだから給湯室で笑ってただぁ?
誰も見てねーよてめぇのことなんざ!
こういうガキみると、よっぽどチヤホヤされて育ってきたんだろうなって思う。
もし幻聴が聞こえる系やガチイジメだったら困るから、一応周囲や会社で契約してる精神科医の先生にも相談したけど、問題は何もナシ、だった。
つか、私はこんな化けもんだらけの会社で、自分が悪口の対象になる!注目に値する!だなんて無邪気に信じられる彼のお幸せさに軽く嫉妬した。
ちゃんと構われてきたんだよねアンタ。
よく、女の方が世界の中心だろって言う奴もいる。
『女はいいよな、化粧してかわいい服着てるだけでちやほやされて』
あのさ、そんなこと言う奴って大概本当の自分の方が価値があると思ってる傲慢野郎だから。
自分は男だから化粧やおしゃれが出来ないだけ。それさえクリアすればチヤホヤされる価値があると思ってる。
合コンなんて着飾って見た目だけじゃん、とか言い出す奴も同様。
虚飾を取り払った「本当の自分」にはちゃんと価値があるとか信じてんの。
言っとくけど、見た目やら知能やら、後付けされたもんを全部取っ払った本当の自分なんて言い出したら受精卵時代に戻るしかないから。
あんなキモイもん、カワイイなんて喜んでくれるのはテメエの母ちゃんだけだからな?
いいか、女だって化粧してかわいい服着ただけでチヤホヤされる奴はほんの一握り。
大多数はばっちりメイクして、気合入れた服着てるはずなのに、ちゃんとメイクしろよーとかお洒落しろよーとか言われてますから。
あんたらの言う『化粧してかわいい服着てるだけで』チヤホヤされてる姫は、たとえブサイクだって男ウケいいメイクを勉強したり、頭がヤバいと疑われるような服で町を闊歩したり、常人には出来ねぇ努力をしてるんだよ。
自分に女になればチヤホヤされる価値があると思いこめるテメエの頭が一番イージーだわ。
ヤバい、本気で病んでる。
仕事辞めたい。
妻の耳が遠い。妻の母親も遠いので、おそらく遺伝的なものもあるだろう。
日常生活では普通に聞こえるので病院に行ったりするレベルではないと思うので、病名なんかはついてない。
生活音がデカい。扉ドカンとしめたり、くしゃみの音量をまったく絞らなかったり。
当然声もデカい。
それを指摘しても、「そんなことないよ」とか「TV見てたから」とか色々言い訳して全く行動を変えようとしない。
普通に会話してたり、映画みてたりして「今のどういう意味?」と聞かれることも多い。
たまにならいいよ、でも毎日だ。俺との会話だけならまだしも、ドラマとか見てたらしょっちゅうだ。
同じような人、もしいたらどうしてる?どうしたら平穏に暮らせる?
助けてほしい。
「火事だー!」
「えっ……て、対岸の、しかもちょっと煙が出てるだけじゃねえか」
「火のない所に煙は立たないだろ?」
「だからってボヤ騒ぎを大火事みたいに言ったら、それは誇張だろ」
「でも、対岸のボヤ騒ぎに大騒ぎするの、好きだろ?」
「まあな」
「否定しないのか」
「ペンライトを指の間に挟んで複数持つことを『バルログ持ち』って言うらしいな」
「へえー、俺としては『ウルヴァリン持ち』のほうがしっくりくるけれども」
「骨格にシュウ酸ジフェニルでも流し込んでみるか?」
「バルログでいいよ」
「……ブリオッシュ!」
「びっくりしたあ。風邪か?」
「いや、誰かが噂しているのかも」
「言っちゃ悪いけど、お前のことで噂するような人間はいないだろ」
「それは俺の周りの人が噂をするような人格ではないって解釈すべき?」
「言っちゃ悪いけど、噂をするほどお前に関心のある人間がいないっていう意味合いかなあ」
「だったらクシャミと人の噂の相関は迷信だといってくれたほうがよかったな」
「そうか、気が利かなくて悪かったな」
今朝、起きて鏡を見たら、目の周りが青く腫れて、ほうれい線がくっきり、顔が丸く、疲れた顔の中年のおばさんがいた。
41歳の私。
ほんの1週間ほど前は
目の周りは腫れておらず、ほうれい線も薄く、顔もしゅっとしていて、疲れた表情はなかった。
ここまで変わってしまったのは、夫のDVが原因です。
全身あざだらけになり、肋骨が3本折れるまで殴られて精神をやられ休む暇も考える暇もなく
ただひたすら子どもたちや今後についてあちこち奔走し
それでも食欲だけは失ったら最後だと思い、半ば自暴自棄で食べまくっていた
その結果がこれです。
DVで歩くのもやっと、骨折もしてるから、走るのはおろかワークアウトもできず身体は衰える一方。
……と、昨日までは自分に自分で同情し、仕方がないよ、今はしょうがないと言い聞かせたのですが
それすら馬鹿らしくなりました。
諦めたのではないのです。
逆です、完全に逆。
DVに負けない。(あ、もう次やられたら死んでしまうので法的処置を進めている最中です)
人のせいにしない。
1週間で変わったものなら1週間で取り戻せるはず。
鏡を見た時は
ダイエットを開始したのが今年の2月。
とにかく充実していた日々から一転
また、どこにでもいるような、いや、もっと、見た目も心もだらしないこきたないおばさんに戻ってしまった。
悔しい。
悔しすぎる。
見た目では、きっと私以外の人はわからない程度の変化だけど
この、元に戻った身体がとにかく嫌だ。
変わります。
というか、また元に戻します。
1週間で。
決めました。
単に自分が知らんだけで,すでにあるかもしれない。上ほど緊急性・重要性が高い。
1.アルミホイルを噛んだときに感じるクオリアに対応する擬音 → 歯が○○○○する
2.イクラちゃん・ドラえもんの足音に対応する擬音 → ○○○○
3.おっさんがするくしゃみの「ハーックション!,…ちくしょう!」の「ちくしょう」に該当する部分の名詞 → ○○○○
4.言いながら,すでに言ったことを後悔し始める現象 → ○○現象
5.大してエロくもないページ・動画シーンで絶頂してしまったときの気持ち(形容詞) → ○○しい
6.コミュニティは狭ければ狭いほど,掟が強ければ強いほどその結束力を増す → コミュニティの○○性
7.うまく聞き取れなかったとき,でもとりあえずしておく返事(名詞),または返事をすること(動詞) → ○○(する)
8.あえて本気を出さないことで,「これは本気じゃないから失敗するのは当然」と保険をかける行為 → ○○を○○る
9.ホッテントリを読んだ後ブコメを見たら,多数派が自分の意見と正反対だったときに,さも自分は多数派だったかのように記憶を上書きし,スターを付ける人間(主に俺)につけるべき俗称 → ○○○○○
毎晩お風呂で鼻歌を歌っている。いや、鼻歌どこではない、声を張り上げて歌っている。
カラオケ好きの私なので、お風呂だと声が反響してとても気分がいいからだ。
そんなことを続けていたらある日ポストに紙切れが入っていた。
マンションの管理会社からで要約すると「声が夜間に響いてうるさいから周りを気遣え」ということだった。
いくら熱唱とは言えそこまで遠くの部屋には響かないだろう。ということでクレームを入れたのは両隣の住人に違いない。
右隣には70歳くらいの老婆が一人で住んでいる。腰が限界まで曲がりきって、まるで自分の陰部を凝視するようにゆっくりと歩く痴呆症だ。
だいたい夜寝るのも早いだろうし耳も遠いだろう。ボケ老人とはそういうものだ。
だから犯人は左側の住人だ。そうに違いない。若いカップルか兄妹かしらないが四六時中ベタベタと気持ち悪いやつらだ。
一目見ただけで商業高校出身か夜間学校中退なのが分かる人相をしている。まだ若いくせに歯も生えていない赤ん坊がいる。
とりあえず私も投書で復讐することにした。
もちろんお菓子の音など聞こえなかったがそういう文面でクレームを入れた。
そんなことを毎日やっていたある日、ポストに紙を入れているところを馬鹿ップルに見つかってしまい口論になった。
終いには警察を呼ばれてしまった。対応した警官は終始向こうの味方で私を責め立てた。
その日は悔しくて悲しくてずっとお風呂で泣いていた。
そして泣きながら童謡を歌った。涙と鼻水と涎が入り混じった私の歌声はマンション全体を包み込んだ。
住人は耳をふさいだが、歯抜けの赤ん坊だけはきゃっきゃっきゃっと笑って眠りについた。
http://rentwi.textfile.org/?759297917043609600s
心臓をドキドキさせながらブコメを見たら、「らしくないね」というようなものや、そのエントリを否定する内容がたくさん星をもらっていたので少し安心し、閉じて終わろうかと思った。
今朝、はてブのトップまであがって来ていたのでダイジェストじゃない方まで読んでみたら、
わりと「何を言ってるんだ、まったく正当なことを書いてるじゃん」というような意見もたくさん目にはいってきた。
もういちどエントリ本文を読み返して、 上へ下へ読み返して、はてなを閉じて、それから部屋でひとり泣いてしまった。
なぜ自分が突然泣いてるのか自分でもわけがわからず、ひととおりめそめそした後考えた。
エントリは、おそらく、どこかの具体的な誰かに対する怒りの発露なのだとは思うけれど、特に対象を特定することなく話が進む。切断処理と思考停止、それは敬意がない姿勢であってその学問や若者にとってはたいへんよくないという怒りの内容。漢字や英語とおなじくらい、あたりまえに数式は読めるようになるべき、できない人は恥ずかしいと思えと。
私は漢字だってそんな詳しくないし、英語だってろくに読めない。ほかにもできないこと知らないことが山のようにある。ひとつひとつ恥じていたら、本当にもう、生きていられないくらいの量になる。恥ずかしくて、みっともない存在だというしかない。
私には、数学じゃないけど、とてもとても苦手なものがあって、長いことそれは「人として普通にできなければだめ」だと思ってかなり苦しめられていた。だけど、ある時点でようやく、人は得意なことに注力そこを伸ばしていれば、社会でちゃんと居場所を与えてもらえる、座る場所をみつけられるということを知って、それでずいぶん楽になった。
もっと早くこれがわかっていればなあとも思った。「早くわかりたかった生き方」とは、ちょうど「数式アレルギー」という言葉をつかって、自分事になる前にスミマセンそれはこれ以上こっち側に入りません!とシャットアウトするようなやり方だ。私はこれをもっと早く知りたかった。たぶん、弱かったからだ。弱い人間なので、少ない体力・能力・時間を、できるだけ絞って特定領域に注力して、ようやく人並み…というか、私はこれが仕事です、と言えるレベルになった。
入ってきてほしくない何かをシャットアウトする時は、情けない顔をして、「すみません私、そういうのが本当苦手で・・・」とへーこらしているだろう。「アレルギー」という単語は使ったことはない気がするが、苦手な部分については取り組むときはアレルギー的に具合が悪くなる。それに触ると軽いパニックになって、心臓に血液がまわって体のほうに震えがくる。飛べそうもない跳び箱を前にしたときと同じかんじだ。情けない。恥ずかしい。そういえば、アレルギーは先天性の避けられないものだから、「苦手」のたとえとして適切でない、という批判を見たけれど、もともと体に合わないのを知らず多量摂取した結果発現する後天的アレルギーもあるので、個人的にはそこまでずれた例えだとは思わなかった。死ぬレベルじゃなくて「触るとかぶれる」「くしゃみがとまらない」程度のアレルギーもある。大きくなってからアレルギー、トラウマになったものがない、という人は幸福だ。うらやましい(私はソバアレルギーになってしまったし、花粉症も出た…)
そんな話を、私はしょうもない笑顔を貼りつかせて言うだろう。神妙にいったら、もっとみじめになる。敬意なく見えただろうか。誰かをいらだたせるようなやりかたをしているんだろうか。
エントリいわく、そんな私は矮小なニセモノの大人だった。考えて学ぶ時間をとっていない勉強不足の。大丈夫だよ出来なくても生きていけるんだよ、などとのたまう、才能ある若者の前には害でしかないような。
自分の専門外のことまでちゃんと気が回って、スマートに返せる人が「まっとうで普通」、「わかりません」を使う人間はものすごくマイナスの彼方にいて、恥ずかしい存在、って書いてあるように読めた。
わたしも実はかつては「わかりません/しりません」が嫌で(かっこわるいし、相手に失礼だと思ったのだ)人とボールのやりとりをするときは、気をまわしていちいち相手方の勉強する方だった。そのころ私は、出来るやつだ、という評価をもらえていた気がする。でも、それは過大評価だった。 時間を使ってむりやりやっていただけで、自分のしごとにプラスオンで、そこまではやってられなかったのだ。ある日パンクした。キャパオーバーになった。
「苦手なことを本業から除外」するためにも、こちらの「相手のためにちゃんと勉強しなきゃ」をやりすぎないためにも、 シャットアウトは私には必要な作業だった。
・・・別に自分に向けられた言葉でもなく、状況はまるっきり違うということは頭ではわかっている。それなのになんでこんなに悲しいのか考えたところ、ちょうどこのあいだホッテントリに入っていた、生きがいについて聞く増田と、その増田を憎む、というエントリの構図を思い出した。既に大量に「持ってる」ことを自然体としてもっと上の何かを求める増田と、そもそも「持ってない」増田。前者の増田に、後者の増田の存在は認識されていなかったので、傷つく人がいるなんて想像もしなかったんだろう。
http://anond.hatelabo.jp/20160728000910
http://anond.hatelabo.jp/20160728154543
「できる」「持っている」のが当然で、そこがゼロ地点である、という前提で始まる議論は、たいへんまぶしく光っていた。そこからはるか下にいる自分は、 光にばーっと照らされるて、うわー、ゴキブリかー!と改めてつきつけられてしまった。結城さんや、ほかの仕事できる側ですと言うブコメたちからみたら、私は、あの憎む増田のいうところの、ゴキブリということなんだー、と。それがはっきり見えて、私は、 あんなにみじめで悲しくてショックをうけてしまったのだった。 書き手はそんな意図はなかったかもしれないけど、本心をふつうに書いた結果、それは流れ弾になって飛んできた。「恥ずかしい」「ニセモノの大人」 「勉強不足」 全部つきささってしまった。ブコメの「頭が悪い」「逃げをわざわざ打つな」「無知はさておき、恥知らずはちょっと」「無責任」などなど、もりもり刺さった。やっても追いつかない、体が持たずに睡眠に割いてしまう、これは、勉強不足か、頭がわるいか、無能か。
思い返してみる、そういえばもともと、結城さんは「中高生が一人でも数学面白いって思ってくれたら」みたいなことをよく書いていた気がする、今回も「若い人が」って、今後やってくるであろう未来ある若者と数学の未来について考え、憤っている。あー、もともと私のような人間はその立派な活動のおこぼれにあずかっていたようなものだろうか、などと、感じてしまった。優しいから別にそんなこと誰も直接はぶつけてこない。「誰しも学びたいという気持ちが」とか「すそ野を広げることが大切で」みたいに書いてくれるだろう。でも、ただ、眼前には辛辣な実際があった。それを見てしまっ(たように思え)て、がっくりとくじけてしまった。この人は弱い方の人間のためにも階段を用意してくれる人だ、この人は味方だ、…そう思っていたので、ちょっと、そう、ショックだったんだ。
こういうリプライを飛ばしている方がいた。結城さんもこれをリツイートしていたので、それですこし救われた。
「このポストは生まれつき数学が苦手な人に対して失礼だと思います。彼らは「勉強不足」で数学 (算数) のような抽象的な概念がわからないのではありません。生まれつき無理なんです。そして生きるためには「数学は苦手である」ことをこのような表現で宣言する必要があるのです。」
生きるために、という一言がとても優しい。これを読んでまた泣けた。ありがとうございます。
これが繊細チンピラと呼ばれる人々の見る世界か…などと思った。向こうに悪意はない、ないのは知ってる、でも、アアー。何かを受けて勝手に倒れ込んでしまった。朝から夕方ごろまで、めそめそしたりぐったりしたりしていたけど、落ち着いた。大丈夫だ。でも、たぶん数学ガールはもう読めない。あれは私のものではないなと強く思ってしまったから、みじめな気持ちになってしまいそうだから、いったん自己防衛のために、もろもろフタをしめて、また明日から仕事とか家のこととかで、ばたばたして一度いろいろ忘れたいと思った。あー、きょうはお天気もよさそうだし爽やかに走りに行こうと思ってたのだけど、目が真っ赤になりすぎて外に出られなかった。のんびりストレッチでもして寝よう・・・。
結婚ですらそうだった。
ただなんとなく彼女を作って、なんとなく三年続いて、なんとなく結婚しなきゃあかんのかなぁ?とか思って、内心「これで自由も終わりかぁ」と諦めの気持ちで結婚したようなものだ。
子供はなかなか出来なかった。
妻は欲しがったが、俺はどちらかといえば要らないと思ってた。ともかく金が掛かるし、色々とめんどくさそうだし、子供がいなければ結婚しててもその分自由はまだあるし、子供がいないほうがとにかく楽には違いないと。
だが、結婚して三年目に長女が出来た。
オムツ替えたり、ミルク飲ませたり、お風呂入れてあげたり、或いはあやしたり、寝かしつけたり。
ゲームと言ってしまうと言い方は悪いけど、妻よりもむしろ俺のほうが楽しんで積極的に育児するようになった。
娘がはじめて笑ったのが、俺があやしている時で何よりも嬉しかった。
もちろん、なかなか泣き止まなかったり、病気になったり、苦労もしたけど、これまた言い方が悪いが娘は俺にとって大事な遊び道具のようなもので、自然に大切に扱う事を覚えたようなものだった。
息子は娘以上に手のかからない子供で、一人目の経験もあったし、楽しみが二倍になったようなものだった。
もちろん俺一人で育てたわけでなく、どうしたって妻が主体になるわけだけども、俺は会社の同僚と呑みに行くよりは早く家に帰って子供の世話をするような人間に勝手になってしまっていた。
子供を持つようになって、この世にはこんなに楽しい事があったんだと本気で思ったこともある。
確かに、色々と大変な事は多い。めんどくさいと思うことも実際しばしばある。当然のことながら自分だけの自由な時間はかなり奪われる。
それに、子供たちが自立できるまで何とか養ってやらねばならんから、例えば「転職したい!」とかは簡単には出来なくなる。
もちろん俺のような低賃金労働者であればお金の面で苦労も多い。
だけど、子供を持ち子供と関わって生きていくという楽しさは、それらを補って余りある、と俺は思う。
「保育園落ちた!日本死ね!」が国政まで動かしたように、現代日本で子供を持つという事が如何に大変な事かというのもよく分かるけど、でも、俺は言いたい。
あなたがそう思うことを保証しないが、自分自身の自由を奪われてもなお子供を持つということは滅茶苦茶最高に楽しい事かもしれない、って。
飴をなめていた息子がくしゃみした勢いでその飴を口から飛ばして、それが奇跡的な偶然でスポッと娘の口に入っただけのことでw