はてなキーワード: マスコットとは
とにかくHadoopの何が酷いって、マスコットキャラクターがとにかく酷い。ありえない。
その酷さについてまとめてくれているブログ記事があるくらい酷い。
→Hadoopと愉快な仲間たち 〜おなじみのキャラクターを集めてみた〜 - developer’s delight
かの有名なマイクロソフトさんですら、最近はマスコットキャラクターに最大限の配慮をしているのに、だ。
→「クラウド ガール - 窓と雲と碧い空 -」 クラウド技術解説マンガ | MSDN
ところがHadoopの酷さはなんだ。やる気あるのか。大衆におもねったりしないつもりなのか。媚びの売り方も知らんのか。どうなってるんだ。
開発者だけかと思ったら、ユーザもマスコットキャラクターのことなんて気にもしていないみたいだ。
先日開催されたHadoopカンファレンス2011 Fall、Lightning Talkが10セッションくらいあったのに、このHadoopの酷い現状を訴える者は1人もいなかった。実に恐るべき事態だ。普及させる気が無いとしか思えない。
仕方ないからHadoopの象の野郎を無理矢理ょぅι゙ょ化することにした。ヤケクソだ。
http://up3.viploader.net/net/src/vlnet008774.png
もしこの現状をこのまま放置するなら、この変なょぅι゙ょの絵が日本における代表的なHadoopのマスコットということになるから、真にHadoopの将来を憂いている向きの面々は、早々にもっと可愛いマスコットを速やかに世間に提供すべきである。
タナシュンこと田中〇くんのおかげで
この機会にOB(修正)の僕が青山学院について紹介したりアピールしたりしたい。
ちなみに運動部の掛け声は「あおがく~ファイ!」。
「あおがく~」は可能な限り低い声で唸り、「ファイ!」は甲高く叫びます。
叫び方に迷ったら知能〇〇者がテンションあがったときの感じで。
いや、ひょっとするとまあまあな私立大学の中でも一番熱が無いんじゃないのかな。
泥臭さとか熱血とかやる気とか変人とかとも無縁。
なんていうか、スマートじゃない人は来ないほうがいい。
法政大学でなら輝けた筈の土の匂いがする闘争ボーイも
間違って青学なんかにくると死んだ目で4年間過ごすことになります。
なんでしょう、青学の内部進学組は慶応のそれより一段二段、品が落ちる気がします。慶応に夢見すぎか。
青山学院の初等部というのはちょこちょこキナ臭い噂も涌く所でして
おっかないから僕は知らないですけど、部長の権力闘争とかどうとかが
週刊誌に載ったりhttp://www.asyura2.com/08/bd52/msg/300.htmlしちゃったりなんかもするんです。
で、これは僕は知らん、幼稚園からの内部進学組が言ってたことですが、
一時はすごくその、芸能人の子弟とかを積極的に受け入れたりしてた、らしいんですね。
躾の悪いボンボンや勉強が全く出来ない奴が多い、みたいな認識は学内にあったと思います。
はっきり「馬鹿組」と呼ぶこともありましたし、彼ら自身も自嘲していました。
中等部から高等部、高等部から大学へ、エスカレーター内部進学するときに
青学歴が長い人ほど成績が悪い傾向があるので、幼稚園上がりが一番落ちます。彼等が一番お金持ちなんですけど。
落ちる奴等はどうするかと言うと、お金持ちの子弟なので海外留学に旅立ちます。
これは「海外逃亡」とか呼ばれていました。
渋谷のどまんなかにあることと関係あるのか無いのか、高校デビューが多かったです。
内部進学組じゃなくて受験で高等部から入ってきた人、この一部がものすごい変貌をとげる。
入学当初は朴訥とした可愛らしい田舎もんみたいな感じだったボーイズガールズが、
彼等は大抵、内部進学組のバカボンとくっついて遊びを覚えるんですね。
バカボンが大学進学の際に落っこちない限り、この付き合いは大学でも続きます。
大学以外は体育会系の部活動も全部弱小で、ジョックス的な存在が居ません。
メイン体育会系としてはラグビー部、通称「ビー部(語尾が上がる)」がありますが、
その競技の特殊さから幼稚園や初等部上がりが多く、彼等は年度が上がるにつれ学業的に苦しんでいるので
高等部までくると一面哀れな感じの不思議なオーラをまとっています。
中等部の頃はそれなりに恐ろしいジョックスだったのに、この頃になると愛嬌が出てきている。
むしろこのあたりになるとバスケ部やサッカー部などのほうがたちが悪くなっていたりする。
文化部もパッとしないんだけど。
今はどうなのかな。
タナシュンくんがどうも周囲の友達に売られまくってるみたいですが
あれはすごく「ああ、青学だなあ」と、感慨深いものがありました。
そうです、青学の特性として、腐った人間関係の温床みたいな部分は割とありました。
なんていうか、仲良くしてる風の間でも実は仲悪い、みたいな。
だいたい長い奴等は15年ぐらいの風通し悪い付き合いを続けてるわけで
ほんとお受験とかエスカレーターもいいことばかりじゃないと思います。
そういう淀んだバカボンとつるむのはいきがった高校デビュー組なわけで、
まあなんか、若人らしいサッパリした感じや素朴さとは無縁な人間関係が現れます。
タナシュンくんがあそこまで嫌われてるのは彼個人の特殊な人徳でしょうが、
「仲間だから」「同じ青学生だから」みたいに庇い合わない傾向が青学生にはあると思います。
社会に出てからも青学学閥って見たことねえ。 まあ学閥作るほどたいした偏差値の学校じゃないんだけど。
社会で同窓生に会っても「へえ…」みたいな。よそ大学出身の同窓の仲良さに比べるとどうしても温度の差がある気がします。
受験で言うと、青学受かるぐらいの偏差値の人は本命別にあることが多い。
青学が本命だったよ、っていうのは中学受験でも高校受験でも大学受験でも少なめ。
どこかに落ちた一抹の挫折感を抱えて入学してる人が多い。
力いっぱい馬鹿なことやって打ち解けると言う機会も無い。
青学の文化祭は寒いです。高校も大学も。すごい出し物って見たこと無い。
アレ見ただけで熱量の低さとかわかってもらえると思う。
早稲田祭とかすごいよね。
大学の講師かなんかで狂った発言しまくってた不届き女が居たらしいですがあれはマジで例外です。
ああいう先生達から、青学独特の熱の無い半腐れ学生が産出されるのは不思議といえば不思議。
長々書いて結局何を言いたいかっていうと
タナシュンくんてすごく青学生らしいなあ…っていう。
(メーカー名は当時のものと、現在のものが入り混じって表記されています。ご了承ください。)
■92~94年 黎明期
それまで、液晶を搭載した台はなかったので、登場するとしても、
パチンコの盤面に描かれる
スロットの台パネルに描かれる 例:「バニーガール(オリンピア/1988)」※1
パチンコの役モノとして、動きがある部分に小物として取り入れられる 例:「ニューモンロー(西陣)」 ※2 「ビンビンバラエティ(西陣)」※3
程度でしかなかった。
もちろん、これらで登場した場合でも、実写調であったり劇画調であったりするのが普通だった。
萌え市場というものは、80年代にソコソコ形成されていたことを考えると、パチンコ/パチスロの萌えの取り入れはやや遅かったのかもしれない。
1991年、初カラー液晶搭載パチンコ「麻雀物語」(平和)※4 が登場。
この初カラー液晶において、大当たり直後に女性の1枚絵が出てくるが、この時の女性のタッチが、既にアニメ調であった。
そして、この「麻雀物語」の大ヒットを受けて、パチンコメーカー各社は、一気にカラー液晶搭載に突き進む事になる。
しかし、データ保持領域が大量にある訳でもない当時においては、荒い画素数で数カットの女性が登場する程度のものばかりであった。
そんな中でも、大手メーカーは、それなりに「頑張った」萌えモチーフを投入してきている。
平和が、初出の麻雀物語以降、「プリンセス物語(平和)/1993」※5 「弾丸物語(平和)/199?」※6 等、「物語シリーズ」として、この手の台を出し続けた中、
これに対抗し、爆発的ヒットを飛ばしたのが、「フィーバーパワフル(三共)/1992」※7 となる。
今でも三共のマスコットキャラクタとして、ここの出す台のあちこちに顔を出したり、主役となったりしている「夢夢ちゃん」の最初の作品。
そしてもう1つ特筆すべきは、この台の姉妹機として、「フィーバーガールズ(三共)/1993」があること。
パワフルに比べて台数は出なかったが、
「版権と組み合わせた」「オタクを直接ターゲットとした」「萌え女性そのものを完全と主役としていた」「物語性を持たせた」
という意味で、「萌えパチ」として挙げられるべき、初めての台は、この台が一番相応しいかもしれない。
「おたくの星座(FC用)」の版権を使い、キャラクターデザインが江口寿史…という辺り、実に80年代溢れるテイストがタマラナイ台。
(またこの声優陣が、千葉麗子とか高田由美とか井上喜久子とかね…)
http://ameblo.jp/hi-up-turbo/entry-10006810607.html
※2■「ニューモンロー(西陣)/1991」
http://ameblo.jp/hi-up/entry-10005413668.html
http://blogs.yahoo.co.jp/newmitsuborn2008/13239836.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BA%BB%E9%9B%80%E7%89%A9%E8%AA%9E
http://retropachi.blog18.fc2.com/blog-entry-55.html
http://ameblo.jp/hi-up/entry-10044450859.html
※7■「フィーバーパワフル(三共)/1992」
http://ameblo.jp/hi-up/entry-10005687824.html
http://www.geocities.jp/pachinko_palor_teruteru_777/newpage31.html
【パチスロ】
この頃はまだ動き無し。
■95~99年 普及期
【パチンコ】
連続大当たり規制&カード化、台の設置許認可ルールの変更など、業界として大きな事件が続いた。
そんな中で、液晶搭載機が普通となり、データ量も格段に増えていく中で、萌えモチーフの台も、それなりに受け入れられていった。
いわゆる「萌え」が、たった3年程度で、あっという間にパチンコを侵食していったのは、かなり面白い事と思う。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%80%E3%83%B3%E3%82%B9
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6455634
「ミルキーバー(ニューギン)/1995」
http://ameblo.jp/hi-up/entry-10110632872.html
http://www.nicovideo.jp/watch/sm4852532
96年には、(版権としてはちょっとしょぼいが)既にゲームメーカーとの開発連携は始まっていた。
当時爆発的に導入された「CR大工の源さん(三洋)/1996」も、アイレムとの連携/版権モノである。(打ってる人は全く知らなかっただろうけどw)
http://ja.wikipedia.org/wiki/CR%E5%A4%A7%E5%B7%A5%E3%81%AE%E6%BA%90%E3%81%95%E3%82%93
http://www.youtube.com/watch?v=WFOU4Cp4OKg
しかし、今のように「まず版権を取って、その版権の人気にあやかる」という動きが出てくるまでには、もう少し先にすすまないといけない。
※個人的にはこの辺りも結構衝撃だった。
絵的に十分なレベルに達したと、初めて思わされた台
「CR乙姫(メーシー)/1998」
http://www.nicovideo.jp/watch/sm9814525
及び、バカだなと笑いつつ、「絵柄が揃うだけ」から1歩踏み出した(踏み出しすぎた?w)台
http://ameblo.jp/hi-up/entry-10009539191.html
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6300433
【パチスロ】
なぜか、パチンコへのカラー液晶搭載とは背を向けたかのごとく、2000年まで、パチスロ台へのカラー液晶搭載は無い。
但し、萌えモチーフは欲しかったようで、パネルやモチーフとしての進出は、少しずつ始まっていた。
http://777.nifty.com/cs/kuchikomi/777_777/freeList/n3_1/n3_2/aid_onsentengoku/1.htm
(この後しばらく、テクノコーシンは、この女性キャラクタを用いて台をリリースし続ける)
■00年~ 氾濫期
【パチンコ】
既にこの頃には、「液晶は当然として、どのような絵を使うか」という面で、コンテンツ不足が目立ち始めてきた。
完全オリジナルな路線に走るケースよりも、有名人/アニメ/ゲームなどの版権を持ってきた方が楽で、客が付きやすいという流れも出来つつある。
但し、オリジナルキャラで一発当てて…という夢は捨てがたいらしく、今でも各メーカーは様々な手法を試しているというのが実情かもしれない。
パチンコオリジナル版権で、オタクファンがそれなりに付いた台として幾つか。
※完全に趣味の為、偏りがあるのはご容赦を。
「CR 超絶合体SRD(サンセイR&D)/2007」
「CR 上にまいりま~す(エース電研)/2009」
【パチスロ】
2000年に、初のカラー液晶搭載機「ゲゲゲの鬼太郎(サミー)/2000」が登場以降、萌えの侵略が一気に進むか…と思われた。
しかし、実際にあからさまにそれをターゲットとした台は、「賞金首(NET)/2003」まで見当らない。
NETとテクモが提携して、オリジナルキャラで液晶演出を作り上げて、何作かリリースしている台は、どれも「あざとい」といわれつつも、オタク層を掴んだのだけは間違いない。
「賞金首(NET)/2003」
「SuperBlackJack(NET)/2003」※Rio初登場
以降、NETは全面的にオタク層をターゲットとし、オリジナル版権の確立に突き進んでいる。
また、2004年にパチスロの性能許認可の方針が変わり、ギャンブル性を抑えられた台しかリリースできなくなった事をきっかけに、他のメーカーからも、新規顧客層を狙ってか、萌えを用いた台のリリースが出てくる。
とはいえ、パチンコ同様、オリジナル版権で戦っているのは一部であり、アニメやゲームで既に知名度のある版権を引っ張って作り上げるケースが殆どである。
パチスロオリジナル版権で、オタクファンがそれなりに付いた台として幾つか。
※完全に趣味の為、偏りがあるのはご容赦を。
「快盗天使ツインエンジェル(トリビー)/2006」
「がんばれ満月姫!(トリビー)/2009」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%BA_%28%E4%BC%81%E6%A5%AD%29
パチンコ、パチスロに関して、既存の版権(アニメ/ゲーム/漫画/芸能人等)を片っ端から抑え、メーカーへ販売。
また、メーカーが作った台の、店への卸販売など。
この会社が各種版権を抑えに出る前に取得した、幾つかの版権は、繰り返しリニューアルされてリリースされたり。特定の版権の噂が出たり出なかったり。ドマイナーな版権でしか勝負してこない小さなメーカーが有ったり。
今や、パチンコ、パチスロにおいて、台を売るセールスポイントとなった版権について、ここの会社抜きにして語れない事が非常に多い。
活動を休止したケツダンポトフが名前だけを変えて戻ってきた。ダダ漏れじゃなくて、今度はライブブというらしい。
ライブブ
サイトを開くなり、そらのさんの顔写真が現れて思いきり呆れてしまった。運営は株式会社ソラノート。本当に何も変わっていない。
「ライブブ」。ライブの「ブ」とアーカイブの「ブ」を重ねて、「ライブブ」。誰にでも親しみやすいネーミングを、ということで、「ライブブ」は誕生しました。
様々な番組を配信し、ユーザー皆様のツッコミ=twitterのつぶやきを織り交ぜながら、これまでにないインタラクティブな面白さを体感できる「ライブ」。
「ライブ」から抽出して、より面白おかしく楽しめるように編集した動画に加えて、出演者とユーザーとのやりとりをビビッドに収録した臨場感あるレポートと様々な角度からの情報をキュレーションして、ひとまとめにしてお送りする「アーカイブ」。
それっぽく見えるカタカナを適当に並べてみました、なずさんなサイト説明。「これまでにないインタラクティブな面白さ」なんて言葉が21世紀が10年も過ぎてからも読めるとは思わなかった。あー、その言葉ウィンドウズ95が発売するころに流行ったよね? 15年くらい前によく見たわー。
もちろん、提供する番組内容が素晴らしかったら言うことはない。でも、見たところ、これじゃ小規模のマイナー放送局とどう違うの? 「これまでにない」面白さがどこにあるわけ? Gyao辺りで何年も前からやっている「インターネット番組」とどう違うんだろう?
あるいは「ツッコミ」が新機軸なのかもしれない。「インタラクティブな双方向コミュニケーションがなんたら」ってやつ。だとしても、ニコ生公式配信とどう違うの? という疑問が湧いてくる。「おんなじものだ」と言うかもしれない。というか、言うしかないよね、この状況では。なんだかダダ漏れに「可能性」を感じて応援していた人たちが可哀想だ。
株式会社ソラノートはマスコットキャラとしてかわいい女の子を矢面に立てて、頑張る女の子が大好きな層をひっかけるだけひっかけて、問題が起きたら責任はマスコットにぜんぶおっかぶせたわけだ(現状、汚名はすべて彼女が背負う形になっている)。
そらのさんには強く「退職」をオススメする。きみを利用するだけ利用して、すぐに切ろうとし、ほとぼりが冷めたらまた利用する。また何か問題が起きたら、またきみに責任を被せて(辞めさせるなりさせて)、何食わぬ顔で経営を続けていくつもりだろう。これはもちろん憶測だ。しかし、私だけが思いつく突飛な発想ではないと思う。
それにしても、ウェブで騒がれる「可能性」って何でこんなに頓挫するのかね。ダダ漏れっていったいなんだったんだろう。私は最近、そんなことばかり考えている。
多分どっちも世界脱出系だと思うし、設定だけじゃなく展開もほとんど同じような気がする。
主人公が心臓あげて救ったと同等の位置にいるのがほむらってのも構図がまんまだし
死を保留されて納得したら(ややショッキングな方法ではあるが)成仏してしまう点も同じ。
違うのは、ループシステムの構造が独立しているか、それに主人公が組み込まれちゃってるかって所くらいじゃない?
で、多分それ見てる人にとっては少なくとも今のところはそれほど重要じゃないはず。
にもかかわらずABをボッコボコに叩いてた奴が、ほとんど同じ構造のまどマギをべた褒めしてるのって不思議。
演出力って大事だなーと思う。
ただ、現状まどマギはQBさんに依存しすぎていて、この先同じだけの牽引力を発揮できるのかはかなり不安。
どっちかというとアレは対話できる環境システムとかチュートリアルみたいなもんで
マラソンでいえばペースメーカ程度の役割だろう。13話を走り切る際の方向やスピードを決定する役目。
もう少し正確に言えばABでいうゆりっぺみたいにミスリードするのが役割って言ったほうが正しいか。
ABでさえ当時はゆりっぺがハルヒみたいな能力を持ってるみたいなミスリードがうまくいってたから
今「魔法少女 VS QB」って物語の構造を誤解している人が多いのも頷ける。
比較すると、ABのゆりっぺは説明が不自然かつ主人公(というか視聴者)置き去りにしまくっており
それをごまかすために痛いお笑い部分を大量に必要としたことと比べると、
QBさんは仲間か敵かを明確にしていないし、自ら語るのではなく具体的な惨劇を解説するという形で設定を説明していく形なので
ペースメーカーとしてもミスリード役としてもよく出来ていると思うけれど、こいつほんとに敵じゃあないだろ多分。
個人的には池上さんをマスコット化したらこんな感じじゃないかなと思うのだがどうか。
また、ABはチーム全体を描写しようとして個々がぼやけてしまったのに対して
まどマギはマミ→さやか→杏子と個人のエピソードをどんどん乗り換えていくのでテンポがよくて宜しい。
と、ここまではとてもテンポよく進んでるまどマギだけれど、7話以降どうするんだろ。
まどマギは「QBに頼りすぎた結果がこれだよ!」になりそうだ。
もうQBさん持ちネタがあと「なんでまどかのポテンシャル知ってるの」の1つだけっぽいからこれ以上の牽引力は期待しにくい。
QBが魔女のメカニズムを知ってたり、その大本を立つ手段を知っていれば話は別だけれどこの作品の魔女システムは彼女たちがどうにか出来るものじゃないだろうしな。
ABで岩沢退場した後次の退場者を出す必要がなかったように、可能性さえ示唆すればそれでいいわけだから
むしろ終盤までは殺さないほうが使いでがあって良い。
話変わるがまどかマギカの最大の功績は版権絵で嘘をついてもいいという前例を作ったことではないか。
他にも例が会ったのかもしれないけど、私はこの作品ほど露骨に詐欺ったものは知らない。
まどかとほむらが弓をともに手に携えてる絵とか、あれも信用できない。
最後に二人が共同で戦えるような立派な敵がいるということはありえないと思ってる。(ワルプルギス云々は多分ミスリード)
そんな奴がいてくれるならこの物語には救いがあるが、それがないから絶望するのだと。
そう考えたら、あの絵も詐欺なんだろうな。
ブクマで歌月のパクりだよ説提示してもらったけど、それは前に書いたけど廃棄した案なので却下。
富士通導入事例レポートhttp://jad.fujitsu.com/adver/produce/は、インタビューアーは麻木久仁子で『麻木久仁子の富士通導入事例レポート』だった。さっき見たら、麻木センセの画像と、インタビューアー名が消されていた。
インタビューアー名が -になっている記事(たとえば、http://jad.fujitsu.com/adver/produce/report/case_35/)もあれば、文字化けっぽく『窶披鐀』になっている記事(たとえば、http://jad.fujitsu.com/adver/produce/report/case_12/details/)もある。雑な仕事だ。さすが FUJITSU 不実。
不実なればこそ、麻木センセを残してマスコットガールにもり立てても良いんじゃないのかなぁ。
http://www.4gamer.net/games/006/G000612/20070906049/
こんな有様で世界最大の参加者数を誇るWOWをライバルだとのたまう某ゲームメーカーが、この国にはあるのです。
ほんと「クオリティなんか二の次」な会社に落ちぶれたよなあスクエニは。そんなにゲーム作るのが嫌なら洋ゲーメーカーの国内代理店にでも鞍替えしちまえばいいのに。
海外のblogで初音ミクについて熱い(長い)文章を書き込んでいるのを見かけたので試しに翻訳してみた。無断翻訳なので匿名で。urlは以下の通り。
http://deliciouscakeproject.wordpress.com/2010/09/20/hatsune-miku-and-the-magic-of-make-believe/
=====以下翻訳=====
そこにはバルトロメオ・クリストフォリって名前のすげえヤツがいた。こいつの得意技は楽器を作ることだった。何でも作ったわけじゃない。当時はひどく弱々しいちっこいもので、しょぼい羽柄が並んだ弦を引っかいて金属的なチャリチャリした音を出すもの、つまり鍵盤楽器を作っていた。いわゆる「バロック・ミュージック」ってヤツだ。クリストフォリが音楽技師として、また機械技師としてやったのは、弦を異なる強さで叩くハンマーを使った仕組みづくりで、それによって演奏家は小さい音(ピアノ)や大きな音(フォルテ)で演奏できるようになった。だもんで皆それをイタリア語でピアノフォルテと呼んだ。もちろん、今ではお前も俺もそして誰もがクリストフォリの発明品をピアノと呼んでいる。
イタリアはピアノを発明することによって、日本が初音ミクを発明するための扉を開いた。
***
俺は今、ここサン・フランシスコの150席しかない小さな映画館で、秋のアイドル公演を待っている。チケットが完売した「39[ミク][[Sankyu!]] Giving Day」コンサートの上演を見るために、愚かな時間の無駄遣いをする連中が集まっている。コンサートじゃ電子的に創造されたポップアイドルつまり緑の髪をした女神が、ゼップ東京のコンサート会場で生演奏するバンドにあわせて踊り歌っている様子がスクリーンに映し出されている。それはまるで、一部はライブなんだが、本当はそうではなく、「本物」のボーカロイド・コンサートでお目にかかれるのに近いものだった。言ってみればゴリラズを見に行くのとそれほど違いはない。伴奏は本物のミュージシャンが作り出しているが、客が見ているのはいわば巧妙なごまかしの表層であり、音楽に命を持たせるために使われる動くペルソナだ。これがミクの魔法である。それは見せかけの魔法だ。
***
クリストフォリがピアノを発明した頃、J・S・バッハは平均律クラヴィーア曲集を書いた。そこでは要するに鍵盤楽器の各音程間で一通り数学的な調整をすれば、突然どのような調号でも十分演奏できるようになるということが言われている。言い換えれば、何か妙なことをしようとした際にいつも調子はずれの音を出すのではなく、初心者から中級までのピアノの生徒がやらかす糞を抑えるような5フラットとか7シャープとかそういったことが完全にできるようになる。これによって18世紀の鍵盤楽器は初めて、いちいちくそったれな調律をしなおすことなく新しい楽想を試すことができる原始的なワークステーションとなった。
数十年後、ようやくピアノの価格が下がり十分なほど生産できるようになったことで、それは非常識なほどの大金持ちだけの特別な楽器ではなくなった。代わりにそれは有名な王族たちのような常識的な程度の金持ちが購入できるものとなり、彼らは好んで地元の作曲家を雇い自分たち(とその客)を楽しませるために音楽を書かせた。こうした作曲家の一人があのヴォルフガング・A・モーツァルトであり、彼の特別な才能は主に下ネタと女性の音楽生徒に対する性欲の面で発揮された。もちろん鍵盤楽器からふざけた音を引き出す才能もあり、その短い人生の間にモーツァルトは最も好きな楽器をピアノに決定した。彼が書いた27のピアノ協奏曲(本当に素晴らしいのは最後の10曲ほど。アニメのシリーズのようにモーツァルトのレパートリーは後半になるほど良くなった)は、単に協奏曲の形態にとって画期的な礎石となっただけでなく、ピアノ音楽の基礎を築いた。モーツァルトの協奏曲はこう言っているようなものだ。「これこそピアノにできることだ! ピアノだけでなく、オーケストラと一緒でもいい! まさか今更ハープシコードに戻ろうってんじゃなかろうな?!」
モーツァルトより後の時代の人間は皆彼に同意した。ひとたび音量の大小を調整できる鍵盤楽器を手に入れてしまえば、弱々しいチャリチャリした機械になぞ戻れっこない。これが230年ほど前の出来事だ。ミクへの道は一日にして成らず。
***
ミクの公演にやって来たファンの男女はいろんな連中の寄せ集めだ。彼らの5分の1ほどは当然ながらボーカロイドのコスプレをしている。何人かはケミカルライトまで持ち込んでいる。コンサートは全長1080ピクセルの巨大なスクリーンで始まり、全劇場用サウンド・システムが炸裂し、観衆は最初はためらいがちに見ていたが、最初のいくつかの歌の後は雰囲気が盛り上がってきた。彼らはスクリーンの中の群衆と一緒にリズムに合わせてケミカルライトを振り、曲が変わると歓声を上げ、各ナンバーが終わると拍手をした。単なる録音と録画じゃねえか、などというたわ言は知ったこっちゃない。理論的にはゼップ東京の群衆だって同じように録画を見ていたんだ。本当に「ライブ」で演奏される音楽など、現代においてはクラシックのオーケストラと民族音楽の演奏くらいしかないし、それにシンフォニー・ホールですら今日ではマイクが使われている。誰もが電子的な助けを借りて音楽を聴いている。ひとたび電子機器を楽器として受け入れることを覚えてしまえば、ミクを愛するのは簡単だ。彼女がモーツァルトの魔笛のアリアを歌っている動画を聞いてみよう。
http://www.youtube.com/watch?v=gr9fbQzNpqA
***
19世紀欧州で、もしお前がピアノの演奏ができない作曲家だったとしたら、お前は存在していなかっただろう。それはもはや単に大小の音量で演奏できる楽器にとどまらず、巨大な和音構造物であり、多音パッセージワークであり、一人の演奏家の手で「あらゆる音符を見ることができる」ものとなっていた。もしピアノがなければきっと「2人のバイオリニストとビオラ及びチェロ奏者各1人をかき集めて旋律が上手く行くかどうか調べにゃならん」てなことが起きていただろう。そしてもちろんチェリストは、ある音符について「どぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅん」と演奏するようお前が何度も何度も何度もお願いするのにうんざりして1時間後にはそこを立ち去ったことだろう。
少なくともピアノがあれば、お前の小さな指以外に迷惑をかけることなく「どぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅん」とやることができる。
かくして1800年代においてピアノは中心的な作曲道具となった。そして同時に社会の中産階級が暇と屑な時間を持つところまで進化し、そしてもし彼らがスポーツやゲームを発明しなければ、彼らは音楽その他を演奏したいと望み、そんでもって家に持ち込むためピアノを注文できるようになった。欧州だけでなく日本でも、少なくともウィリアム・ペリーが彼らを開国して西洋化が始まった後には、同じことが生じた。基本的にピアノは文明化の証と見なされ、そして有名な山葉寅楠ってヤツがイケてる連中のため日本製ピアノを作り始めた。
19世紀末と20世紀は音楽制作にとって黄金時代だった。楽譜を買って他人の歌を演奏する方法で「音楽を作る」こともできたし、あるいは作曲と理論について十分に学び自分の曲を創造するというやり方で「音楽を作る」こともできた。そうした取り組みの多くはピアノの周辺で起きた。ピアニストが力を得た。鍵盤があれば、お前はスターになることができた。
そして、とんでもないことが起きた。
***
ミクだけじゃない。巡音ルカとリンとレンも公演に出てきたぜ! 全ボーカロイドのパーティだ。彼らの異なる声質と、ミクと組む様々なやり方は、見事な音の見本集になっている。他のキャラクターが登場するのを見た観客たちは熱狂している。異なるシンセサイザー・プログラムのマスコットに過ぎないにもかかわらず、彼らはまるで我々の友であり家族であるかのようだ。ようつべとニコ動を使って彼らを我が家へ招待しよう。彼らの声を我らの生活のサントラにしよう。電子的に作られたアニメキャラが本当のミュージシャンになれるのかって? おk、ならお前に聞いてみよう。魂のない箱がお前の周囲の空気を震わせているけど、それは本当の音楽なのかい?
***
それこそが実際に起きたとんでもないことだ。録音された音楽。録音された音楽こそ、音楽史の中で起きた最悪の出来事だ。
ひとたび蓄音機を、ラジオを、レコードプレイヤーを、カセットプレイヤーを、CDプレイヤーを持ってしまえば、音楽を楽しむのに「音楽を作る」必要はない。コンサートホールのチケットを手に入れる必要もない。単に座って、電気を使った箱にお前を楽しませればいい。ピアノは専門家のための道具に成り下がった。それは淑女が結婚に必要な才能を覚えるためのものに、あるいは子供が(1)それを憎んでいることに気づく(2)両親が子供に才能があることに気づいてプレッシャーを積み上げ始める――まで稽古を受けるものとなった。もし(2)の現象が起きたなら、最後にはピアノを本当の演奏楽器あるいは作曲用の道具として使うようになるだろう。しかしそれはもはや「音楽制作」の中心にはない。
さらに悪いことにロックがギターをポピュラーにしてしまった。ギターが人気になり、ピアノは役立たずとなった。お前が鍵盤楽器を学ぶのは、ビートルズにしてくれるものを持てずバッハやベートーベンにしがみつくしかないある種の意気地なしだからだ。誰が決めたルールか知らねえが最低だ。10代のころ、俺はピアノを使ってランキング上位40の曲を弾けたおかげで女の子たちに「いくらか」いい印象を与えられた。けど、結局はクラスの野郎どものうちその曲をギターで弾けるヤツがいつも勝ちやがった。くそったれ。
だがここで思い出してくれ。俺は、イタリアがピアノを発明したことが日本の初音ミク発明への扉を開いたと言ってきただろ? ピアノは21世紀に飛び込むときに今一度変革に見舞われたんだ。
http://www.youtube.com/watch?v=-7EAQJStWso
***
もし音楽を生み出す小さな電気の箱が「本物」であるなら、録音済みのコンサートに向かって「アンコール! アンコール! アンコール!」と叫ぶのは極めて正常だ。その音楽はお前を感動させたんじゃないのか? もっと聞きたいと思わないのか? というわけで映画館の観衆はもっともっとと叫び、そして彼らはアンコールを聞けることが分かっていた。なぜならそういう風に録音されていたから。ミクが公演を終わらせるため最後の舞台に出てきた時、もう一度鑑賞力のある人々から歓声が上がった。それは人工的なものだが、とことん楽しむため我々はそれを本物だと見なした。まるでドン・コッブが[ネタバレ注意!!]インセプションのラストで回転するコマから歩み去るかのように。ミクは夢のような存在だ。サウンド・エンジニアとCGアーティストと音楽家が作り上げた美しい夢であり、決して卒業することも年を取ることもスキャンダルを起こすことも業界から追放されることも惑星上から姿を消すこともない完璧なアイドルだ。彼女は実際、いくつもの「映像」を持っている。我々は皆、この音楽的見せかけの共犯者だ。過去の聴衆がモーツァルトのオペラを、ガーシュウィンのミュージカルを、あるいはかのすさまじいレ・ミゼラブルを本物であると信じたように。我々は十分深く信じられるようになるまで偽りの世界を本物だと信じるふりをする。その世界を感じるまで、見せかけの魔法を感じられるようになるまで。
***
真空管からトランジスタを経て迷宮のような電子回路まで。もしピアノの鍵盤が「あらゆる音符を見る」ことのできるインターフェイスだとしたら、それは作曲家に最も未来を感じさせるインターフェイスだ。そして我々にはシンセサイザー・キーボードとMIDIコントローラーとワークステーションの世界が与えられており、そこでは遂にピアノが単なる「楽想を試す場所」から超越した。ちょっとした波形の調整によって、ハンマーと弦の機構に制限されることなくこれらの楽想を正確に響かせることができる。新しい音を作り上げることもできる。楽想の断片を記録し、他の楽想をその上に並べて電子キーボードを個人的な架空のオーケストラに仕立てることもできる。ピアノはピアノを超えた。それは作曲家の手の延長どころか、作曲家の心の延長となったのだ。
一つだけ欠けているものがあった。声だ。
そして、ご存知の通り、日本は日本であり、彼らはやってのけた。彼らは人工物を誰よりも巧みに操った。彼らは本物の料理だと見栄えが悪くなるからという理由でプラスチック製の小さな食品サンプルを作った。本物の労働者は間違いを犯しがちだから製造ライン用のロボットを作った。本物の音楽家を家に入れるのは大変だから編曲家のために電子キーボードを作った。そして、人間の声を合成する技術が十分に発達した時、そしてそれが人工音声のためのペルソナを創造するというアイデアと衝突した時、ミクが見せかけの音楽における21世紀のスーパースターになるのは当然のことだった。
中にはボーカロイドというアイデアが音楽家の全てを破壊するという人もいるだろう。全ての仕事をソフトウエアがやってくれるのに、誰が人間を必要とするんだ? 俺が思うに、ボーカロイドってのは偉大なる民主化の旗手であり、音楽家のために沢山の扉を開いてくれるカギなんだ。過去において、もしお前が作曲家、編曲家あるいはプロデューサーになりたければ、まず自分の曲を書いてそれから演奏家を探し見つけ出すしかなかった。何しろお前の傑作に生命を吹き込みたければ、5人編成のバンド、20人編成のオーケストラ、そして3オクターブ半の音域を持つ歌い手がいないとどうしようもなかったのだから。マジ悲惨。だがミクがいれば誰もが作曲家になれる。誰もが自宅のスタジオで曲を作り、正しい機材があれば、電子機器を使った完全なポピュラーソングを生み出せる。ボーカロイドは音楽家の仕事を奪うわけじゃない。それまでミュージシャンには決してなれないと思っていた人々の中からミュージシャンを作り出すんだ。動画投稿サイトで毎日そうしたことが起こっているし、こうしたコンサートではそれまで決して聞いたことのないような人々が突然電子王国の宮廷音楽家になれる。非常識なほどの大金持ちだった王家の人々の手にあった手製の楽器から、平民たちの手に握られた緑の髪の女神へ。それがこの大きな3世紀の違いだ。
何であれ多くの人々が音楽を作ることは、単に大人しく聞いているだけよりもいいことだと俺は信じる。俺は魔法を、ボーカロイドを、ミクを信じている。
=====以上翻訳終了=====
誤訳は当然あると思う。でも面倒なので修正はしない。
年に何度か行なわれているが、毎回どこもダジャレに引っかけた活動をしている気がする。そういう決まりなんだろうか。
「事故なし」の願いを込めて、梨を配布します!
交通安全:ナシで「事故なし」 美方署、ドライバーに呼びかけ /兵庫
交通事故ナシ:かずさマジック選手ら配布 交通安全願い--君津 /千葉
「はし袋」作り大峠道路安全祈願 きょう全線開通、米沢安協が配布へ
「はしわたし作戦」と題した啓発活動
「両市の交通安全の懸け橋になるように」との願いを込め、
各メディアそろい踏みなので、沖縄の交通安全協会はダジャレ好き確定。
トンでもないぜそのキケン運転 豚・犬仲良く交通安全訴え 本部
「飲酒運転ぶった切る」
【大分】梅&栗を配るのは「うめぇ運転をしてくりぃ」という願いがあるんですネ
下記2つは同じ警察署。配るもの決めてからダジャレ考えているとしか思えない。
「自己中心 直さばならぬ 事故のもと!」の「さば」にちなんだという塩サバとあわせ、飲酒運転の撲滅などを呼びかけるチラシ約200部を配布。
「みんなの願い(イ)は(ワ)四(シ)季を通じて交通事故ゼロを目(メ)指(ザ)し(シ)てます!」との同署の標語にちなみ、イワシの目刺し
あずにゃああああああああああああああん
可愛いよぉおおおおおおおおおおおお
ごきぶりとかいうやつマジ死滅して灰になれや 可愛いだろあのツインテール
せめてクワガタにしろや
てかあのツインテールがあずにゃんの最大のチャームポイントだろ
ってんなわけあるか髪下ろしたあずにゃんも可愛いいよぉおおおおおおお
でもみんなに流されてはめはずしちゃうあずにゃんも可愛いよぉおおおおおおおお
普段しっかりものなのに髪結び忘れちゃうとか! 髪結び忘れちゃうとか!
もはやあずにゃんは誰もがみとめる軽音部のマスコットなわけだし
ってふざけんな あずにゃんに対してマスコットとかふざけた口叩いてんじゃねぇよ
慈愛と美とこの世のあらゆる輝けるものの象徴があずにゃんだろうが
むしろ太陽(笑)もあずにゃんの前では月になっちゃうからあんなに離れたところへ逃げてったわけだし
オリオン座の点とって結んでも星の足りないプラネタリウム(笑)
あずにゃんの可愛さにはおよばねぇよおおおおおおおおおおおおおおおおお
この世の一般的に輝いているといわれているものなんてあずにゃんの前では暗闇同然だろうがあああああ
それをお前等やれダイヤモンドだのきゃーエメラルドだのあほみたいにさわぎやがって
そんな石ころよりもあずにゃんの方がよっぽど価値があるだろうがああああああああ
あずにゃんに価値をつけるなあああああああああああああああああああああああ
ポケットモンスターも原点回帰かしらねえけど白黒とかに支店じゃ寝えよおおおおおおおお
ポケットモンスターあずにゃんはいつ発売するんじゃああああああああ
いいかお前等この世のありとあらゆる生命体が生きていけるのはあずにゃんのおかげってことを忘れるんじゃないぞ
http://anond.hatelabo.jp/20100322070125
まあいろいろあっても本音はそんな感じだよね、って思いながらブクマ開いたらちょっとくらくらしてしまったので、わたしも増田になってみたよ。
「友情」と簡単に言うけれど、そもそも「友情」って、どういう感情のことをそう呼ぶのか、自分の抱いているこの気持ちは本当に「友情」なのか、もしかしたら何か他の気持ちをごまかしてそう呼んでいるだけなのではないか、そういうことを少しでも考えたことはある?
たとえば高校生とか大学生の男女間でしばしば交わされるこの約束。
「男とか女とかそういうの抜きにして、お互いに一人の人間として仲良くやっていこう」
別にこの言葉が青臭いと言って否定はしない。
でも、もしあなたに、この言葉が含む矛盾を拾い上げることができないのなら、「男女間の友情」を語る資格などないとわたしは思いますよ。
だって「男であること」「女であること」も含めて、一人の人間でしょう。
「男であること」「女であること」を抜きにしたら、その人はその人でなくなるし、あなたもあなたではなくなるんだよ。
たとえ思春期・第二次成長期を迎える前の、一緒にお風呂に入っててもおかしくないような小さな子ども同士であっても、この約束は成立しない。
だって、生まれたときから男性は生物学的に男性なのだし、女性は同様に女性だからだ(ただし性同一性障害の方についてはこのように単純に断言することはできないが、あくまで自己認識としての性をイメージしていただけたら、と思う)。
ああ、思春期以前の子どもにはエロ衝動がないなんて思ってる人がいたら大間違いだからね。
知識がないだけで性欲はあるんだよ。
そりゃ現れ方は大人よりダイレクトだったり、大人よりかわいらしかったり、いろいろあるけどね。
また、同性愛者についても相手が同性に変わるだけでおおまかな話は同じだ。
いつから同性愛者だったのか、生まれたときからなのか一年ぐらい前からなのか、それもあんまり関係ないと思う。
で、上記約束によってマブダチとなった男女、何しろ波長が合うので話しても話しても話が尽きない。
他の男の子には話せないけどこいつにだけはなぜだか何でも話せる、みたいなそういう関係ってありますよね。
んで、今度いっそのことパジャマパーティしようよ!夜を徹して語り合おうよ!って話になります。
もちろんエロい展開になどなろうはずがない。
だって「男とか女とか抜きにして」仲良くしてるんですから。
相手はお互いにとって男でも女でもないニュートラルな存在なんだから。
さて友人A子がそういうことで今度そのマブダチのB太郎の部屋に泊まりに行くと聞かされたあなたはどう感じますか?
「まあ正直ちょっとだけ心配だけど、B太郎も信頼できるやつだし、普段の二人を見てる限りそんな間違いなんて起こらないよね。本人同士がそういう関係って認め合ってるんだし、それを尊重するべきだよね」
ぐらいなもんでしょうか。
なぜ「正直ちょっとだけ心配」なの?
あるいは
「いくら男女関係ないって言っても、それとこれとは別だよ。A子だけじゃなくB太郎のためにもやめといたほうがいいよ」
と忠告しますか?
あるいは
「またまた友達とか言いながら、もうB太郎のティンティンもフラグもビンビンじゃん!お幸せに☆」
と勝手に二人が「男女の仲として」結ばれちゃう想像をしますか?
そして、泊まりに行くのが同期の女友達「C美」の部屋だったときは、あなたは同じように心配したり忠告したり妄想したりしましたか?
しませんでしたね?
この場合、B太郎、A子、C美は全員異性愛者と仮定してください。
同性愛者を登場させたい場合はその人のところを別の性に差し替えて読んでみればいいと思います。
それともそもそも、A子はB太郎とのパジャマパーティなんて企画しないのでしょうか?
なぜ?
同期のC美とはやってるんです。
マブダチのB太郎とならやったっていいはずですが。
なぜ?
さらにB太郎視点でも考えてみます。
仮にB太郎がA子の提案に「いいよ、おいでよ」と、もちろん下心などなしに(ここもわたしとしては疑問符がつくところですが、まあそれはいいです)快くA子を招いたとして、A子がしゃべり疲れて先に寝ちゃって寝返りを打った拍子におっぱいが露出したときに、B太郎は欲情せずにすむのですか?
「うわっ!!あああやべー、変なところが元気になってきたあああ!!俺は何欲情してんだ!相手は大親友のA子だぞ!最低だ俺!最低だ!」
と、アスカで自慰をしたシンジ君のように自己嫌悪に陥るかもしれませんが、まあとにかく欲情はします。
しますね?
たとえA子が恋愛対象になるのはあまりにアレな外見だったとしても、無防備なおっぱい露出を前にしてまったく変わりなく平然としていられますか?
その自信はありませんね?
これがもしB太郎と同期の男友達D男だとしたら、寝返りの拍子にその逞しい男性器があらわになったとしても、せいぜい大笑いしながらぞうさんをマジックで書くぐらいでしょう。
これがA子のおっぱいなら、いくら仲が良くてもA子がたとえマツコデラックスであっても、乳首部分を中心としてマジックで目玉おやじを書くことなどできないはずです。
なぜですか?
あるいは最初からA子の提案を飲まない可能性もありますね。
なぜ?
いきなり「C美」とか言いながら詰問されても、某有名大御所はてなーの名クイズシリーズをパクってるみたいで相当印象悪いと思いますが(ごめんなさい)、答えは言うまでもなく「A子とB太郎が互いに異性だから」ということです。
つまり、男女間の「友情」と同性間の「友情」は、違います(繰り返しますが、同性愛者の場合もまったく逆の意味で違います)。
どう違うか?
性的対象となるかどうか、に決まってるでしょ。
相手が「自分にとって性的対象になる性を持つ存在」である場合、そうでない存在と同列に考えることはできません。
お泊まりの話はそのひとつの例ですが(勢いだけで殴り書きしたのではっきり言って蛇足ですが)、何より冒頭に書いたように、男性であること、女性であることも含めてA子であり、B太郎という人だからです。
で?だから何?という話ですが、ではそのように、異性間にある「恋ではない(と当人は思っている)のだけれど親密な感情」は、同性間の「友情」と同じように「友情」ということばで括ってよいものなのか?とわたしは思うわけです。
つまり、性的要因による互いへの配慮、あるいはそれによるある種の葛藤が不可避である(別に不可避ではない、そういう状況にははじめから遭遇しない、との反論も予想されますが、厳密にはやはり不可避です)男女の親密な関係を「友情」という言葉で定義するのは、あまりに乱暴なのではないか?それは人間関係を自分の中で熟成させるうえでひとつの精神的怠慢と呼ぶべき事態なのではないのか?ということです。
ここであの「友達以上 恋人未満」という魔法のキーワードが出ます。
しかしこれはほとんどの場合、いずれ恋愛関係に発展することが見込まれている関係です。
よって、これは「友情」という言葉の定義にかかる問題とは切り離していいと思います。
では「お兄ちゃんみたい」「お姉ちゃんみたい」「弟みたい」「妹みたい」といった家族愛に似た親密さはどう扱うべきか。
これは「相手を異性とは認識しているが性的欲求は感じていない」ということです。
しかし異性として認識しているのなら上記のようにおっぱいに目玉のおやじの落書きをしたりすることはできませんので、ていうかそんな落書きをするような人がこの世にいるかどうか知りませんが、注目すべきはあくまで「みたい」どまりで、本物の家族ではないことです。妹のように純粋にマスコット的にかわいがっていたロリ美少女が寝返りの拍子に意外とたわわなおっぱいを露出させたら、やはり一瞬でも吸い付きたい衝動に駆られてしまうのが男なのではないでしょうか。これが実の妹に同じような衝動を感じてしまうのであればちょっといろいろ人として違うと思うのですが、良識的なはてな村民にそんな人はきっといないと思います。
とにかく男女の関係とは多重的で、ひとつのことばでビシッと定義できるものではないように思います。
自分の話になりますが、わたしには学生時代からずっと連絡を取り合っている友達が何人かいますし、彼らのことを「人間的に」大好きです。
男も女も。
しかし、ふとした拍子である男子と図らずもエロい雰囲気になってしまい、その場はなんとか未然に取り繕って今はまた前と同じように仲良くしていますが、それ以降、ふたりの間に「例の件はタブー」との暗黙の了解ができ、同時に、再発を避けたい気持ちと、何かこう、アバンギャルドを互いに期待する空気が混在して変にややこしいことになってしまっています。
付き合いが長くなればなるほど、そして関係が密なほど、こういうハプニングで意識せずもがなのことを意識せざるを得なくなります。
これでもわたしと彼の間にあるのは「友情」と呼べますか?
わたしたちが「友情」と言い張れば、そうなるのでしょう。
しかし、本当にこれが「友情」ですか?
わたしには、これを「友情」と呼ぶだけの図々しさは持てません。
でも、仕方ないと思います。
男は女に性欲を持ち、女は男に性欲を持つようにつくられている以上、こういうきっかけは世の中に無数に転がり続けているのです(くどいですが、同性愛者については読み替えてくださいね)。
あるいはわたしのように生々しい性欲でなくても、相手を「異性であるがゆえに」親しく感じたり、大切に感じたりする気持ちも、性欲に由来するものです。
恋だってもちろん。
それらがほんの少しでも混じってしまうと、その瞬間から二人の間にあるものは「友情」ではなくなっていきます。
異性に、明らかに恋愛とは異なるのだけれども好意的な感情を抱くことがあります。
たとえば「尊敬」とかです。
でも「友情」とは、違いますよね。
両立することはあります。結構よくあると思います。
しかし、イコールではありません。
じゃお前にとっての「友情」って何?って話ですが、「愛」の一種だとわたしは思っています。
相手の存在を大切に思い、相手の幸福を願い、ともに過ごす時間を大切に思う、簡単に言うとそういうようなことで、性欲さえなければ男女間にも十分に成立する余地はあると思うのですが、やはり性欲がある以上、男女間でこういう関係を長期間育んでいくのは難しいというのがわたしの考えです。もう眠いので寝ます。
*ちょこっと加筆・修正
バンクーバーオリンピックで盛り上がってるが、98年には長野で冬季五輪があった。自国開催というのはやはり盛り上がる。ワールドカップも然り。
で、自分も長野五輪には1日だけ観戦に行った。アイスホッケー。アメリカvsカナダの試合を見たかったが、さすがに人気カードなのでチケットは売り切れていた。そこでカナダvsスウェーデンの試合を見る事に。ちょうど土曜日で休暇をとる必要もなかったし。チケットはゴール裏で15000円くらいだったと思う。まだ社会人掛けだしの自分には交通費含めいい値段だったが、オリンピックだし仕方ないと思った。
開幕する前の長野五輪はいまいち盛り上がりに欠けていたような気がする。でも開幕すると一変。スキージャンプやらスピードスケートやら、それはそれは盛り上がった。直前になって他のゲームのチケットも欲しいと思ったがその頃には既に売り切れており、あとは現地のダフ屋頼み。
当日、開通間もない長野新幹線でひとりではじめての長野に行った。試合は夜だったので、まずは街をぶらぶらした。チケット買えれば午後の試合を観ようと思ったが、意外とダフ屋はいなくて、いてもやはり値段が高くて手が出なかった。駅前でスポンサーのテントを覗いたり、善光寺にいったり、「おやき」を食べたりした。寒いながらも街は日本人、外国人入り混じってカラフルで 華やかな様相だった。
会場はビッグハット。駅前からシャトルバスが出ていた。駅まで戻ってさらにぶらぶらしていたところ、郵便局の露天が出ていて記念切手などを売っていた。外国人もいたがどうやら局員さんが言葉がわかってなかったらしい。片言の英語で通訳をしてあげたところ、無事買えた様子。お礼にピンバッチをもらった。SUOMIと書いてある。要するにフィンランドのこと。嬉しかった。
ビッグハットには少し早めに着いたので、ビッグハットの前にあるNHK長野放送センターで展示品など見て時間をつぶした。現地の人とも触れ合いがあった。ボランティアをやられているとかで、本番は見れないが練習とかリハーサルを見たとかお話を聞いた。ビックハットもNHKも新しい施設。オリンピックに向けて街や道路も整備されたという。そして別れ際、折り紙で折ったマスコットをもらった。今でも家にあるはず。
時間になったので、ビッグハットへ。ほとんどの観客は日本人だが、地元チームを応援するカナダ人やスウェーデン人もいたし、演出はNHL風で、まるで外国のようだった。席の近くに座っていたカップルとお話した。既に何試合か見ているそうだ。普段、知らない人とはあまりしゃべらない人見知りな自分だが、そうさせる高揚感がオリンピックにはあった。
ハーフタイムか試合前か忘れたが、周囲が騒がしかったので何かと思ったらフィンランド代表のスター選手、ティム・セラニら選手がゴール裏で観戦してた。セラニしか知らなかったもので選手が何人いたかは不明だけど。サインや写真を求めている人がいたので自分もサインをもらいにいった。そういうことは普段しないんだけど、やはり高揚していたんだろう。セラニは快く応じてくれた。ちなみにセラニはバンクーバーにも出場している。
残念ながら試合の内容は覚えていない。観に行く事が目的だったので何となくそれで満足しちゃったのかも。
試合が終わると既に22時近くで、シャトルバスで長野駅に戻る。そこからは夜行列車で東京に戻ってきた。夜行列車というのも初めてで、なんか楽しかった。
オリンピックは競技だけではなく、人との交流や街の至る所でのイベントも含め楽しかった。その後、日韓W杯やドイツW杯も現地で体験する事になるが、世界的スポーツイベントに参加することは本当に楽しい。若い頃にそういう体験が出来てよかったと思う。将来、日本でこのような機会があれば、是非皆さんも参加してイベントを楽しんでもらいたい。もちろん、外国に観に行ってもいいと思う。
以上、12年前の思い出。
私は一度自分の懐に入れたものに対しては、非常に忍耐力のある性格をしていると思う。きれいな言い方をすると「見捨てない」のだけど、ぶっちゃければ「切り捨てる勇気がない」ということだ。
とりわけ維持や遂行に手間のかかるものほど、切り捨てることに対して抵抗がある。mixiアプリで言えば「みんなの農園」であり、人付き合いで言えば困ったちゃんの友人。人生で言えば無謀な中学受験や美大受験、新卒で入ってしまったブラック会社、イラストレーターになる夢と、切り捨てられなかったものを挙げていくと枚挙に暇が無い。すると、
「あいつと付き合うの辞めなよ」
「そんなに嫌なら辞めれば」
みたいなことを友人や両親から日常的に言われるわけですね。私はこれに対して「でも…」「でも…」を連呼します。不幸に酔っているわけではなく、耐えに耐えてきた時間を負けた状態で精算するのは損なような気がするからです。つまり利益を得るまで辞められない。
あんなバグ満載ゲームであるみん農ですら全面開拓するまできっと辞められない。難解な性格のせいで周囲から疎遠にされまくっている友人と、未だに友情を育んでいるのは私ぐらいでしょう。当然受験は合格するまで浪人したし、会社には慣れてしまった。全く売れていないけどレーターの端くれにもなった。忍耐は既に私の血肉となっていて、己の身に降りかかる理不尽に対して、スルーすることばかり覚えてしまったのです。もうね、抵抗するのも面倒くさい。
前置きが長くなった。えーとそのつまり、来月結婚するんですよね。婚約者は、度を超えたナルで、私に対して時間を割くことを極端に嫌がる人です。私のことはマスコットかなんかだと思ってるでしょう。付き合い出した瞬間から「あいつだけは辞めとけ、お前が幸せになれない」と周囲から忠告を頂くような関係でした。もちろん私は彼の前向きな性格や仕事に対する姿勢を尊敬しているし好きなので幸せなのですが…思えば、これは愛なのではなく単なる意地なのではないでしょうか。暴力こそ振るわれてないけど、私がスルーしなければ両手両足では足りないほど別れるフラグがありましたから。
今、私が結婚したいと思っている気持ちに自信が持てません。古来から吐くほど繰り返されてきたマリッジブルーの一種だと自覚はしているのですが、信じられないのが彼ではなく自分の性格だというあたりがやりきれない。切り捨てる勇気がないばっかりに、彼とのおだやかな老後というゴールを勝ち取るまで辞められないだけじゃないの。それで結婚なんかして大丈夫なの。そんな声がぐるぐる巡って不安に押しつぶされそうだ。理不尽と戦うことを怠けたツケをこんな人生の岐路で支払わされることになるとは思わなかった。
アメリカ大統領セオドア・ルーズベルトに由来する、シュタイフ社などが製作するクマのぬいぐるみの総称。
おおぐま座になったギリシャ神話のニンフと、こぐま座になったその息子。
1980年開催モスクワオリンピックのマスコットキャラクター。
あずまきよひこ作『よつばと!』で、小岩井よつばが所有するクマのぬいぐるみ。
あずまきよひこ作『よつばと!』で、綾瀬恵那が所有するクマのぬいぐるみ。(3体)
2006年にベルリン動物園で生まれたホッキョクグマ。母熊が育児放棄したため、飼育係により育てれた。
ドン・フリーマンによって書かれた絵本の主人公のクマのぬいぐるみ。緑色のズボンをはき、デパートで誰かが買ってくれるのを待っている。
あいはらひろゆき作・あだちなみ絵による『くまのがっこう』の主人公のクマ。
マイケル・ボンドによって書かれた児童文学の主人公のクマ。彼が発見されたイギリスの駅名が名前としてつけられた。
イラストレーター森チャックが描くクマのキャラクター。爪が強調され、しばしば血まみれとなっている。
A・A・ミルンによって書かれた童話の主人公のクマのぬいぐるみ。
A・A・ミルンの息子が持っていたクマのぬいぐるみの名前の由来となった、実在のアメリカグマ。ロンドン動物園に
て飼育されていた。
日本ホールマークが展開する「ベアーズ・ウィッシュ」シリーズのクマ。
地上デジタルテレビジョン放送を推進するキャラクター「地デジカ」に対抗して、アスキーアートの「クマー」をモチーフに作られたキャラクター。
ユニリーバ・ジャパンからニッサン石鹸へ受け継がれた柔軟剤のマスコット。アメリカでの商品名はSnuggle。
セガサターン用ゲームソフトなどで展開した『サクラ対戦』シリーズで、アイリス(イリス)・シャトーブリアンが所有するクマのぬいぐるみ。
グリーティングカードの絵柄として誕生したクマのぬいぐるみのシリーズ。個体により色がことなり、腹部に虹やクローバーなどが描かれている。
神沢利子によって書かれた童話の主人公のクマ。以前は教科書に採用されていた。
スージー・スパッフォードが描くクマのぬいぐるみのキャラクター。腹部に赤いハートがついている。
トルストイ翻案・ヴァスネツォフ絵による『3びきのくま』に登場するクマ。(3匹)
合併前の住友銀行のマスコットキャラクター。「おはようございマグ」などのグッズが製作された。
アメリカのバンドGrateful Deadのキャラクターのぬいぐるみ。
ラドヤード・キプリング作『ジャングル・ブック』に登場するナマケグマ。
コンドウアキによってデザインされたクマのきぐるみのキャラクター。好物は団子。
当初は「ディズニーベア」としてディズニーシーに登場したクマのぬいぐるみのキャラクター。顔・足の肉球がミッキーマウスのシルエットになっている。
13 :名無しさん@十周年:2010/01/04(月) 20:27:28 ID:UEQyFEZc0
以前、市内の料理店で中毒事故起こってニュースがあって会社で同僚に
意識不明者が同僚の嫁の親父さんだったてことがある
その親父さんは助かったんだけど意識不明って言うけど意識はあるらしいよ
意識はあるけど応答が何も出来ないから どうしようもないらしい
枕元で医者や家族の会話が丸聞こえ何で突っ込み入れたいんだけど
どうしようもないんだって
そんで、警察が家族にも一応事情聴取に来るんだって 裏がないかとか
同僚の家族は、「さすが山口 フグ専門の捜査チームがあるんだね」って
感心したって言ってたけど
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1262603744/13
あるテーマパークでマスコットキャラ同士が長い間キスしたので、
周りの大人たちが小さい声で「じょ、情熱的…」とか笑って小声で囁いてる中で
「今の舌入ってただろ!絶対入ってた!」と大きな地声で嬉しそうにする友人。その後も何度もそのことを私に伝えてきた。大人数での行列で、小さい子がスカートの裾を気にせずに活動してるのを見て、「M字開脚だしww」って笑ったり
「あたしなんでもナマ好きだし!ナマ!下ネタ好きの友達にも言われちゃうしw」って
ただ刺身の話をしてただけなのに何故か下半身ネタに繋げようとしたり。
悪いやつではないんだけど、ある友人のそこが苦手です。
夜の時間にアルコール入ったお酒の席で振られるなら流せる話題も、
家族づれや子供が沢山の昼間の遊園地でされると凄く反応しづらい。
二次元のBLが好きな彼女はそのふくよかさから(と本人が言った)未だ処女で、
漫画とかアニメからの知識でそういう会話をしたがるんだろうけど、粋がってる中学生見てるみたいで恥ずかしい。
事あるごとに煙草ないと生きていけない!煙草吸いたい!ニコチン切れ!って
叫んで私を喫煙所に連れていくけど、明らかにその煙は真っ白なまま。
前はそんなにいきがる感じの人じゃなかったんだけどなー。
特別可愛い!ならともかく処女の下ネタ好きって、話聞き流してて凄くイタい。
という感じに、友人と私の関係が若干最近変わってきた。友人を失いそうなのは残念だが
私案外、人の目を気にするんだなってことに気付いた。今の不満全部人前でされたことに関しての話題だもんな。
多分、夜の酒の席だったり、昼間だろうと小声だったならここまで不満持たなかっただろうな。
あと、私ももしかして他の人にはそう見える瞬間があるのかも知れない。気をつけないと。
似たようなもの/システムで、教会なんかで「懺悔部屋」ってあるじゃん。
相手の顔が見えない状態で、とりあえず自分の犯した過ちについて懺悔できるってやつ。
あれ、宗教的な感覚じゃなくてもよく分るというか、素晴らしい仕組みだと思うんだよ。
人って結構過去に恥ずかしいことしまくるじゃん。そして、時たまそれがフラッシュバックして叫びたくなるじゃん。でも、叫んでも何も解決しないから結局フラッシュバックは再発するわけじゃん。
それを解消する方法としては、その恥ずかしい思い出を相対化して構造化して「なんでもない。そんなもんさ」と言って貰うことが必要なんだけど、知人であっても親兄弟であっても、そういう恥ずかしい事実は言いづらいものじゃない。
だから、匿名性のある/匿名であることを遵守する 懺悔部屋の神父さん?がその役を担ってくれることで、トラウマをバキュームできるわけじゃん。
同じことで、とりあえず謝らせてもらう/ハグさせてもらう、っていう目的に特化されたシステムっていうのは組織的あるいは社会的に存在はしてるんじゃないのかなあ。例えば、ディズニーランドのマスコットキャラクタとか。にゃんまげとか。抱きついても怒られないでしょ?