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はてなキーワード: 京都駅とは

2017-05-05

一人旅京都駅に着いたら、地元のおばちゃんに良くして貰った話

数日前、京都人余所者には厳しいという話があったけど、地元のおばちゃんに凄く良くして貰ったことがある。

20年ほど前の大学生の頃、京都一人旅行ったときの話。

  • 6時過ぎ

高速バス京都駅烏丸口に到着。

京都タワー風呂でひとっ風呂浴びようかと思ったら、まだ空いていなかった。

途方に暮れていた、俺におばちゃんが「何困っとる?」と声を掛けてくれた。

バスで着いたのだが、京都タワー風呂が空いて無くて困っていると話したら、

「とりあえずついてきなはれ」と言われて、四条河原町に移動することに。

  • 7時頃

おばちゃんは僕と同じくらいの甥がいるらしく、他人のようには見えなかったとのこと。

バス代も出してくれて、四条河原町に着いた。

「腹減ったかい?何か喰うかい?」と言われて、マックの朝食がいいと話したら、

四条河原町マクドモーニングセットを奢ってくれた。

  • 7時半頃

飯も食い終わって、

「それじゃぁ、風呂入りに行こうか」

と近くのサウナに連れて行ってくれた。

どこのサウナかまでは覚えていない。地図で見ると「ループラザ」あたりだが、そこは男性専用のようだし違うようだ。

そして、2千円以上するサウナ代も全部奢って貰った。

そしてサウナを出てお別れ。

名前も聞けず、ひたすらお礼ばかり申し上げるだけで、一見旅人に3千円以上も奢ってくれて、凄く感動した物だ。

どこにも話せることが無かったので、増田に記すことにする。

2017-05-03

【追記】書き手東京人ではないでしょ?

書き手増田さんは「東京人」ではないよね。

東京出身実家は未だに東京にあります

なるほど。でも、

>ちなみに私は東京水商売を始める時に『NHKニュースの様な日本語を使える様になりなさい』と教わりました。湘南弁を一生懸命なおしました。

出身神奈川なんだよね?

というか、そういう「ツッコミ所」をあえて作って書いているので、おそらく本当の出身神奈川ですらないんじゃないかな。

そう思う理由は、こういうところ

>主人は生粋京都人間だと思われておりません。江戸っ子は三代続いて初めて江戸っ子…みたいなのに似てるかと思います

……読み手が「あれ、それって東京人京都人と同じ事やってんじゃね?」と、突っこむのをまっている。

東京出身です」「実家はいまも東京にある」と言いながら、生まれがどことは書かない。つまり実家は「以前は別の場所にあった」と取れる書き方だよね。

そして、東京にはあまり愛のない書き方だよね、と思う。神奈川県民なら、そこまで東京を敵視しないとも思うんだけどどうだろう。

増田さんは、結局東京でも疎外感を味わわされた、そして京都でも(今度は東京人のふりをして威張れるかと思ったら)逆に疎外感を味わわされた、

そんな、出身地コンプ、都会ヘイトのある地方出身根無し草民の恨みつらみでこのエントリ書いたと感じられて仕方ないんだけどどうだろう。

あえて神奈川煙幕を張ったとこからして、実際には北関東南東北辺りの出身?かなとも思う。はっきりとは書かないけど、ところどころの言い回しもなかなか特徴的だよね。

ちなみに天橋立京都じゃないと思うのは関西人なら無理ないことで、なにせ天橋立のある園部駅(※間違いです。宮津、もしくは天橋立駅が正解)にいくのに、京都駅から特急で二時間、料金にして4500円くらいかかっちゃうんだぜ。

実感としてつくばの倍くらい遠いと思ってくれよ。東京見物のついでに犬吠埼見に行きたいわあ、とか地方から出てきたかーちゃんに言われたらお前らだってびっくりするだろ?

そういう感じだよ。それをヘイト扱いされてもなあ。

(ちなみに銚子千葉だってのはわざわざ言われなくても分かってるからな?俺が言ってるのは距離感心理的な隔たり感の話ね。)

【追記】

元増田追記について

記事ネタじゃないのかー、という感想。それをはかりたかったのでややひっかけ気味の記事にしたよ。ごめんやで。

さて、元記事ネタでないとしたら、増田のそのダダ漏れてる黒い感情、もう少し包み隠したほうが生きやすいと思うよ。

京都人よそ者に冷たいのは事実だろうけど、逆に言えばその冷たさは「許し」でもある。ちょっと冷たいぐらいでへこんでちゃ「都会」で生きていくのは大変だ。ドライクールに生きてこう。

京都人が一番好きなんは「プライドなんやで。プライドのない人間には容赦ない。

ヤンキー弁の可能

……があることは確かに考えたが、出身コンプっぽい元増田を引っかけるにはちょうどいいかなと思ったんだよ。

上に書いたように、強引な推理みたいな「ツッコミ所」はフックに適してる。

神奈川東京みたいなもん

まーなw大差ないよな。でも元増田にとってはそうじゃないだろう。それが重要だった。

天橋立園部じゃない

HAHAHA!からツ、ツッコミ所はフックだとあれほど……(汗)

ごめんなさい。素で間違いました。宮津の皆さん、園部の皆さんごめんなさい。<(_ _;)>


http://anond.hatelabo.jp/20170502202439

2017-03-28

京都駅周辺は中国人観光客がめちゃめちゃ多いんだけど、みんなメガネかけて化粧っけのない顔で登山客みたいな格好してるんだよね。なんでだろうね

2017-02-17

京都駅営業活動を終え、JR京都駅から自宅のある高槻市にあるJR高槻駅を通る新快速が間もなく出発だったので、全速力で走った。出発16時59分、私がその電光掲示板を見たのが16時58分、1分しか時間がない。さあ、走った、走った。京都地下鉄丸太町から京都に移動し、そこからJRへの乗り換えだったので、わかる方にはどこの改札を通ったかわかるかもしれない。ホームは1番からどこまで続いているのか知らないが、乗ろうとするJR大阪駅方面に向かう電車は5番ホームから出発する。さあ、時間がない。自慢の必携の電波時計で秒針を確認するまでもない。走る、走る。時間が進む、進む。走る、走る。2。。。3番ホーム。4番ホームは見えなかったが、見えたぞ5番ホーム。ふと目を移すと時計はまだ16時59分、あら、まだ間に合うのか。よし走るぞ!!もっと走るぞ、廊下を5番の目印のところで左に曲がると。。。ホームに続く長い階段。あ。。。これ登らなあかんのか。。。卒倒してしまいそうになるき気持ちだった。知っている誰かが私を見ているわけでなく、この階段を見た瞬間に諦めればよかったのだ。しかし、次の刹那には走って階段を登っていた。登った、登った、段差は残った、残った。残る残る。そして、階段の途中で身体全体が震えてきた。足だけでなく、体全体が震えてきたのだ。足が笑うとはよく言うが、いやいや身体が笑うという形容がピッタリの状態であった。残り10段くらいは本当に卒倒しそうな状態だった。心は走っているが足がついていかない。しかし、いやらしいことに電車は一向に発射しない。。。と思いきや、残り5段のところで「●●方面行き新快速発車します」のアナウンスが流れ始める。あ、これ間に合わないという未来があるのか。。。せっかくここまで来たのに電車に乗れない未来があるのか。それを私は選ぶのか。いや、そんな未来はない!あらん限りの力を振り絞って電車に駆け込んだ、というよりフラフラと歩きながら入り口扉にもたれこんだのだ。あの数秒間、階段を登りきり、ホームから電車入り口を通るまでの数秒間、「扉を閉まらないでくれー!」の祈りがフルになった。身体的でもなく、精神的にも摩耗したのだ。

無事に電車に乗り込み、呼吸を整える。ここから目的地のJR高槻駅までの十数分間の記憶はあまりない。目の前の優先座席若い外国人が座っているなー、という記憶がうっすらと残っている。

そして家路についた。今、この時間。強烈な筋肉痛なのか、身体が暑くてねいることが出来ない。いや、これは電気毛布の温度が悪いのではない。筋肉痛のけだるさと身体の暑さが寝入りを妨害しているのだ。。。

2016-11-27

バブル脳の北陸新幹線計画小浜経由で日本終了のお知らせ

北陸新幹線敦賀新大阪間のルートが、小浜京都経由できまりそうと聞いて、もう日本は駄目かも、と思った。現在日本財政的窮状が見えていないバブル脳の老害がまだ政界に跳梁しているのか。

北陸新幹線・3ルート国交省の詳しい比較はこちら。

https://www.mlit.go.jp/common/001152043.pdf

舞鶴経由なんてもとより頭がおかしい。もともと無茶な小浜経由の影を薄くするために、わざとスケープゴートとしてむりやり候補ねじ込んだとしか思えない。

新大阪駅京都駅間の人口密集地にもう一本、新幹線を作る?どれくらいのお金時間がかかると思っているんだ?(資料では2.1兆円とあるが、とてもそれですむとは思えない)。新快速バンバン走る中、どれくらいの需要があるんだ?しかも、既存東海道新幹線と並走するんで、災害時の迂回ルートにもなりはしない。そして小浜市という人口3万の町のどこに、わざわざ迂回してまでも行かなければいけない巨大な旅客輸送量のニーズがあるんだ?それって、(米原ルートとの小浜ルート建設費の差額の)1兆5千万価値があるのか?国家予算が50兆円の時代の1兆5千億円の価値が分かってる?日本人美徳の「もったいない精神はこれだけ規模がでかいと忘れ去られるのか?

一方の中央新幹線大阪延長は、国の融資支援による前倒しが決まっていて、現状では2038年開業予定になってる。北陸新幹線は、2023年春に敦賀まで開通予定で、その直後に着工しても、小浜ルートの工期15年だから、結局、開業時期は同じだ。

だとしたら、北陸新幹線米原ルート(工期10年)にし、米原駅ホームを、東海道新幹線から北陸新幹線にドア・ツー・ドアで乗り換えられるように改造し、5年間は米原での乗り換えを我慢する。中央新幹線が開通し東海道新幹線の便数が激減する 2038 年から大阪から米原経由・直通便を出すようにするのが、もっと経済的合理的だろう。

ソフト施策としても、たとえば米原での乗り換え時に、プラットフォームで隣の車両の移動するだけですむよう、指定席車両単位シンクロさせるとか、指定席特急券は特例で通しで買えるようにするとか、いくらでも施策は打てる。「JR会社が違うから」などと言うのは、兆円単位の工費の違いに比べれば些細な差に過ぎない。

今の日本高齢化洒落にならない状況に深刻な状況に陥っていて、お金は少しでも多く、今後の高齢者を養う力を持つ若者を育てる教育と、国際的お金を稼げる技術力の種を産む研究開発費に突っ込まなければいけない。そして2100年には人口は8千万人まで減少すると予測される中、地方から撤退」して、生活資本整備は都市部に「集中」と「選択」をする政治的に難しい舵取りをしなければならない。

経済的にあまり効果がない土木工事には1円ですらお金を費やす余裕はない危機的状況なのだが、「北陸新幹線小浜ルートで」などと寝呆けたことを言っている連中は本当に日本の現状がわかっているのだろうか?

米原ルートのもう一つの利点は、米原の北東側に、北陸新幹線名古屋方面への短絡線を作れば、横浜静岡名古屋から北陸方面への新幹線移動も可能になる点だ。しかも安くできる。繰り返しになるけど、2038年に中央新幹線大阪まで開通すれば、東海道新幹線はがら空きになる。それを有効活用し、災害時に迂回路としての役目を果たせるよう、メインルートから距離を離しておくのは、ものすごく重要だ。

なので、我々がすべきことは、2038年開通予定の中央新幹線新大阪までしっかり期限内に完成させて、空いた東海道新幹線をすぐに北陸新幹線転用できるよう、東海道新幹線北陸新幹線制御系統共通化などソフト面での対策を、時間をかけてしっかりやっておくことに尽きる。

場合によれば測量・説明会運営用地買収政府自治体支援すれば、中央新幹線の開通はもっと早められる可能性もあるだろう。

これまでも、日本鉄道災害対策は「天災路線ダメージが出たら、工事担当者が集中して復旧作業して、素早く再開させる」のが基本で、需要にまったく見合わない東海道北陸中央新幹線トリプルネットワークの整備は筋が悪すぎる。どんな災害でも素早く状況を見て復旧ができるような人材の維持・育成こそ大切だ。

少しでも多くのお金日本未来を担う人的資源の育成に。土木事業業界を潤すという考え方は早く捨てないと、日本未来はない。最小限の投資で最大限の効果を実現するよう、願わくば、多くの関係者再考をお願いしたいと思う。

2016-10-27

京都駅徒歩10分の七条河原町周辺には空き地が多い

なぜだ?

七条通から京都駅側は同和問題のあった地区

鴨川方向に進むとバラックが多かった地区に入る。

最近では高瀬川沿いで火事があった。

治安に関しては悪いとは言わない。夜は薄暗いが

特に問題はないはずだ。

ただし、あの地域はヤ〇ザは絡んでいるうわさがある。

鴨京不動産?はそうらしい

七條通り沿いは駐車場が多く駅の近くなのに空き地である

商業地としてのチャンスを逃している気がする

何か大きな建物を建ててもいいと思うが土地を持っている人はかたくなな態度をとりそうだ。

2016-02-18

長浜へ行く

大阪から滋賀県長浜に行く用事があり、JR大阪駅から新快速に乗った。

出発直前に60歳ぐらいの紳士そうなスーツのおじさんがやってきて隣に座った。

前日遅くまで働いていたわたしは、大阪駅を出てすぐにグーグーと寝てしまい、

京都駅を過ぎ、石山駅についても、まだうとうとしていた。

その時、突然となりのおじさんに揺り起こされた。

石山駅ついたよ!」

まりにも突然だったので「(はうっ)ありがとうございます。」としか言えなかったのですが、

わたし石山には何の用事も無いので座り続けていた。

(なんで、わたし石山用事がある人と思い込んだのだろう……)

いくら考えても、思い当たる理由はない。

それから長浜駅につくまでは、目が冷めて寝ることもできず、

そのおじさんもずーっと横におり、なんとなーく気まずい雰囲気のまま並んで座ったまま長浜へ行ったのでした。

(つづく)

2015-12-15

「もし京都東京だったらマップ」に見る京都大阪関係

Twitterで「もし京都東京だったらマップ」が回ってきた。

私も「こことあそこって雰囲気似てるなぁ」と感じることはあるし、それを見事に可視化した力作だと思う。

もし京都東京だったらマップ | 世界もっと豊かだし、人はもっと優しい

http://chicamo.jugem.jp/?eid=72

しかし。

これでは片手落ちと言わざるを得ないのだ。

私が主張したいのは結論から言うと、「京都大阪も単体では都市として不完全である」ということ。

別に東京を模範にすべきだとか基準として正しい、と言いたいわけではない。そもそも何が悲しいて関東なんかにあてはめられなあかんねん。都市構造として歪なのが京都大阪なのだ、と言いたいのである

二分された都市機能という特殊な形

普通、その地方の一番の難関校——つまり研究機関として多大な影響力を持っている大学——は、東京東大仙台東北大、九州の九大といった風に地方の最大都市に置かれている。博物館美術館に関しては、大規模なもの関東なら東京しかない。都市としてのブランド力も抜けている。北海道と言えば札幌東海地方なら名古屋、それぞれ明らかに同地方の他都市に比べて影響力がある。また、経済の中心地も同じ都市存在する。札幌東京名古屋福岡金融センターを持っており、本社機能・支社機能をそこに置いている会社が多い。

しか近畿だけは違う。

最難関校は言わずもがな京大であり、東大と共に日本の双璧を担っている。国立博物館国立近代美術館京都にあり都市ブランド力日本中を見回しても別格である大阪があまり良くないイメージを持たれるのとは対称的だ。

逆に、京都には経済力が無い。

(大証は無くなったが)近畿一円金融センター大阪に集約されているし、本社機能関西支社の本部大阪が圧倒的に多い。また大阪芸能も盛んであり、テレビによる発信力が大阪にはある。京都放送局独立放送局KBS京都だけである

そう、京都大阪は他地方では一つの都市が担っているはずの機能を分担して持っているのだ。アカデミアや権威的な部分は京都へ。商業的、経済的な部分は大阪へ。普通ならその全てを受け持つ都市地方ごとに存在しているのに、近畿だけは二分されている。

これを理解していない人々は京都にも大阪にも多い。というかほとんどの人は理解していないからこそ大阪は「単体で」(国による優遇のある)東京と張り合おうとして負けたのだろう。

「もし京都東京ならマップ」の誤解

この地図は、その分担された都市京都東京に当てはめている。

もちろん試みとしては非常に面白いが、前述の通り京都は単体で成り立っているわけではなく大阪とセットで初めて語ることが出来るのであり(逆も然り)、東京のような、あるいは名古屋福岡のような「地方の核としての全ての機能を受け持つ」都市ではないのだから、「片割れ」に「全体」を無理やり当てはめても何の意味も無いのだ。

京都大阪を合わせて初めて東京比較可能な都市になる。単体で比べても真の姿は見えない歪な都市

から梅田新宿であり、難波渋谷であり、四条河原町池袋京都駅上野新大阪品川であるというのならまだしっくりくるのではないかと思う。その間に多摩(両府下)が挟まっている。池袋埼玉県民に支えられているのと同様に、京都繁華街京都人だけでなく山科or京都駅地下鉄に乗り換える滋賀県民に大いに支えられている。

関西の浮揚には京都大阪連携が欠かせない

この特殊構造歴史的な要因があって出来上がっている。発展の為にはトップダウンが最も効率的で、地方の核都市への一極集中はそういう点では良かったのだろうし、実際九州東海地方全体としては人口が減少しているにも関わらず福岡名古屋にはまだまだ勢いがある。それは全ての核となる機能をそこに集めているからこそ可能なのであり、近畿日本で唯一不可能ことなのだ。叫ばれて久しい関西経済地盤沈下は、大阪権威不足も一因だろう。

だが、この近畿特殊な形にも良い点はある。多様な価値観を容認できる、いや、せざるを得ないということだ。仮に大阪札幌東京名古屋と同様に全ての機能を担っていたとしたら、大阪経済自体はここまで停滞していなかったかもしれないが、大阪価値観絶対であるという姿勢テレビ局などのメディアを通して関西一円に広まり関西文化は全くつまらないものになってしまっていたはずだ。

関西経済の発展には、京都大阪がセットで初めて機能するということを理解しているリーダー必要であり、またそれに応じた施策必要になる。それが大阪政治を握るおおさか維新の会なのかはたまた別の政治勢力なのかは分からないが、このことを肝に銘じて政治を行ってほしいと思う。

2015-11-21

http://anond.hatelabo.jp/20151120233647

京都駅前の新阪急ホテルに泊まった時、近くに救急病院があるらしく、頻繁にサイレンがなっていました。

お近くにお寄りの折は、ぜひご堪能下さい。

2015-10-13

容姿が悪いと金時間があっても不幸

自由時間お金があっても幸せにはなれない。

自分自由時間がある。

今日奈良に行ってきた。京都駅からタクシーで月6万円の家賃の汚い部屋に戻ってきた。

東京よりも安い料金設定なはずなのに2500円も取られた。

奈良に行ってきた理由中宮寺弥勒菩薩半跏思惟像を見るためだった。

なぜ、そんなアカデミックなことをしてきたかというと、弥勒菩薩半跏思惟像を見て勃起したというツイートがある日タイムラインに流れてきたかである

それから、機会があれば見ようと思っていた。

ついに見る機会ができた。平日に1限以外の授業がない日が出来たのだ。

しかも1限は東洋芸術美学かい教養の授業である

丁度いい。みやこ路快速に乗って奈良方面へ向かった。顔とスタイルの良い女子高生を見て嫉妬したりしたが、なんとか法隆寺駅に着く。

法隆寺駅から法隆寺まで歩くのだが、途中で自転車を漕いでいるお顔が綺麗な女子高生を見る。天使みたいな顔だった。

ウェブ上で不細工であまり頭のよくない田舎まれ鬱屈とした大学生から「お前が都内金持ちに生まれず、田舎で生まれたら自殺してるだろう」と言われたのを思い出す。

少なくとも奈良普通の家に生まれたら確かに自殺していただろうと思った。

自分は1年前、都内高級住宅街の近くの大手予備校に通っていた。

私立文系の授業を受けていた時、重度のアトピー容姿がよくない男がよく講師に怒られていた。

よく授業中に寝ていたからだ。

邪推だが、痒みで夜に眠ることが出来にくいのだろう。彼の顔はいつも辛そうだったし、無気力だった。あまりにも理不尽なことを経験しすぎているのだから当然だろう。

自分もだが、容姿やら病気など、クソみたいな体で明るい大学生活、未来を描くのは無理に決まっていたし、今もどちらもそうだ。

ある日、彼は授業が終わると、どの駅の方向でもない方向に歩いてので、気になってついていったことがある。

予備校から歩いて数分の1.5億円以上はする高級分譲マンションに彼は住んでいた。

彼は親が金持ちなのが救いだった。それだけだろうし、それが幸せなんていえない。

自分も似たり寄ったりである

本当にどうにもならないことばかりだ。特に容姿に関して感じる。

とりあえず、寺に着いた。

法隆寺に1500円、中宮寺に500円払った。

勃起なんかしなかった。

こんな風に自由に行動ができるのは大学生だけだろう。

家賃抜きで毎月12万円を父は振り込んでくれる。

しかし、容姿や体が悪いと、大学セックスが出来なくて地獄だ。

時間制限ありで木屋町売女に2万5千円を払うのはとても嫌である

母親にお前らのせいでこんな買うしかない容姿なんだと言ったら、母は病気からやめたほうがいいと言った。

自由時間お金があってもこんなにも惨めなものだ。

大学でよく授業が一緒になる醜女がいる。

かわいそうだ。醜いから孤独だし将来就職できるのかも怪しい容姿だ。

しかし、彼女は醜いから可哀想だと思ってもどこでも慰められることはないだろう。

自分だってあんな醜いものを見たくない。

自分容姿がよくてセックスとかに不自由しなければ醜女なんか気にしなかっただろう。気にしても仕方ないが。

これから先、親が死んでもグロメンハゲ腎臓病の男として生きていかなきゃいけない。

どうせ、美人愚痴を垂らしたら可哀想にとか言われる中、自分は何やってもキモいと言われる存在になるだろうし、金を払わなければセックスはできないだろう。

あの醜女も今現在ですら惨めなのに、これから先とてつもなく悲しいことばかりだろう。

12万円の仕送りなんかよりも綺麗な容姿が欲しかった。

奈良仏像クレーの絵を見る時間なんていらないから綺麗な容姿が欲しかった。

2015-09-26

紅葉シーズンに是非行きたい京都オススメスポット

1つ目 京都駅

京都駅を行くと、毎回50歳から60歳位の巨乳のオバサンを見かける。今日千代田区実家から京都の薄暗い部屋に向かう途中も見た。二人も見た。

確か、大昔インターネットで見た都道府県バストランキングで1位が京都だったのは、こういうオバサンのお陰なのだろう。

ぜひ、巨乳のオバサンを見たい人間京都駅に行ってほしい。

2つ目 京都バカ可愛い顔をした大学生金閣寺のちかく)

可愛い顔をしている女は見ていてとても苦しくなる。命の価値を考えざる得なくなる。おそらくセックス不自由しないだろう。容姿が悪くてこの頭のわるい大学に行くというのは地獄である容姿よく生まれたかった。

3つ目 京都バカ可愛い顔をした大学生今出川

可愛い顔をしている女は見ているととても苦しくなる。気が狂いそうだ。

4つ目 出町柳駅

降り口で知性が分かる駅。一方はセックスをメインに考えている口が、もう一方は学問を中心に考えている人間が降りる口がある。まぁ容姿がいいのがどの大学生でも羨ましい。

5つ目 川の向こうの大学

深夜に行ったことがある。自転車を漕いでいる美人がいた。あの美人がもし川の向こうの大学所属しているなら、なんなんだ自分は!

自分は何故生きているのかよくわからなくなる場所である

夜のニューススポーツコーナーのキャスターがこの大学卒業したというのを今更ながらしった。あの顔で川の向こうの大学。。。夜のニュースを見るのはやめよう。

6つ目 ○○○○

千本通にあるハッテン場。真夏のお昼に入ろうか1時間位迷ってやめた。行きたい人はどうぞ。

2015-08-01

京都駅立ち食いそばの店がめちゃくちゃ旨い。

しょせん立ち食いやろと舐めてた。

そこらの老舗より旨い。

まずは盛り付け上品で美しく、そこで驚く。

あれ、これって立ち食いそばだよな?ってビビらされる。

一口食べてまたビックリする。

普通以上に美味しい!

なんでこのレベル料理立ち食いなんだ?ってビビる

目の前で調理してるのでゆっくり食べながら観察する。

このにぃちゃんめちゃくちゃ手際がいい。

それだけでオカズになるレベル

うまく書けないけど、京都駅に寄ったら一度食べてみるといい。

とにかく美味しいんだから

2015-07-11

京都市より交通行政が腐っている都市存在するのか?

大阪に行く度羨ましく思う。地下鉄網が必要場所にしっかり整備されているからだ。

中之島辺りはまだ改良の余地があるし今里筋線無駄だったかもしれないが、なにわ筋線という「本当に必要とされる線路」を具体化できるあたり京都とは違う。

京都市会議員ときたら「東西線乗客が少ないから太秦天神川から洛西NT長岡京と延伸し、六地蔵からも延伸して環状化しよう」などと宣うような連中である

アホだと思いますか?そうアホなんです!

本当に必要なのは西大路北大路東大路京都駅を繋ぐ地下鉄環状線なのに。

京都駅から出て東大路通上り清水寺祇園を通る206系統には朝っぱらから外国人観光客が並んでいる。積み残しなど日常茶飯事。

金閣寺立命館大学方面205系統も混雑が酷い。西大路通には阪急西院駅地下鉄西大路御池駅JR円町駅などがありそこから学者観光客雪崩れ込んでくる。

にもかかわらず交通局対策ほとんど諦めている状態で、むしろ東大路に至っては四条通のように一車線化する予定らしい。

その四条通は視界に5台のバスが常に映っているような状態でオンシーズンには完全に麻痺する。救いようがない。

京都観光をしたことのある人ならあの不快まりないバスに恐らく一度は乗ったことがあるだろう。

運転は荒く道路状態は悪く愛想という概念が無い。扉が閉まらないうちに発車することすらある。時刻表っておいしいの?

パークアンドライドを本気でやるつもりなどなく一般車を規制するようなこともしない。

世界一行きたい観光地が聞いて呆れる。

2015-07-01

本当の自分はどこかの美しいお姫様な筈だ。

本当の自分はどこかの美しいお姫様の筈だ。

今の自分は、お昼寝の真っ最中に見ている悪夢

自分のものであろう汚い髪の毛が二週間で狭いお風呂場の排水口のゴミ受けを塞ぐのは夢。

自分の父親、父の弟、父方の祖父、母の弟の髪型孫正義みたいなのは夢。

自分が酷く不細工容姿なのは夢。

病気なのも夢。

夢の中にしては複雑なのが怖い。

はてな匿名ダイアリー」とかいサイト自分が書いているとき感情は夢とは思えない。

どうにもならないのかっていう気持ち、飽きられたらどうしようって気持ち。。。

書いている悲しい内容も実際に起きたことみたい。

夢の中で通う大学で、不細工女の子が女扱いされていないのは自分の頭で考えたとは思えないほど残酷

今日見たニュースも同じ。

京都駅構造は夢にしては理論立っている。

会う人、見る人 全部現実にいる人みたい。

本当は自分でも惚れ惚れする容姿女の子であるはずなのに、容姿のいい女の子に抱く醜い性欲もホントな感じでうんざりしている。

吹き出モノが脂や血を吹く嫌な感覚は本当にありそう。

だけど、これは悪夢だと思いたい。

早くこの悪夢を終わらせたい。

2015-06-22

戦前関西鉄道関東の各社と比べると比類なき発達をしていた。

京阪複々線は、昔からあるのがすごい。

1933年昭和8年)12月29日蒲生信号所 - 守口駅複々線化。当時私鉄最長。

京阪の子会社が作った新京阪線(今の阪急京都線)の地下線の西院駅 - 大宮駅間は1931年開業

天神橋駅 - 大宮駅間をノンストップ34分の俊足だった。

鉄道省は、対抗して関西急電と呼ばれる、料金不要優等列車を設定。1936年には、流線型の車体デザインの52系(流電)を投入。現在新快速の礎を築いた。京都駅 - 大阪駅間を34分、大阪駅 - 三ノ宮駅間を25分。

大阪市営地下鉄御堂筋線は、1933年昭和8年)5月20日:1号線 梅田駅(仮) - 心斎橋駅間 (3.1 km) が開業

開業当初、御堂筋線わずか1両編成での運転だったにも関わらず、当時からすべての駅のホームが、将来を見越して 17 m 級車による8両編成に対応するように建設されていた。

さらにいうと、東洋初の東京銀座線と比べると電車が一回り大きい。

近鉄前身ひとつの参宮急行電鉄は、大阪 - 伊勢間130km超の長大電車路線を作り、1932年昭和7年)には、上本町駅 - 宇治山田駅間を2時間1分で走破した。ライバル鉄道省準急列車は、3時間、鈍行は5時間かかった。20m級車体で最高時速110km/h、二等客車並のクロスシートが装備された。21世紀初頭の電車と遜色ない性能があった。

阪和線前身の阪和電気鉄道では、1933年超特急の運転を開始、阪和天王寺 - 阪和東和山間を45分で結んだ。表定速度81.6km/h。まじで速いよ。特急こだま号が登場するまでの日本で最速の鉄道だった。

戦前の話じゃないけど、自動改札機1970年台には関西私鉄の主な駅にあった。大阪万博から続く未来がそこにあった。国鉄は人がきっぷにはさみを入れていたけどね。

http://anond.hatelabo.jp/20150622211206

2015-02-10

京都ingressオワコンだった話

そうだ、(イン活しに)京都行こう

都内で日々人類啓蒙すべくイン活ingress活動)に勤しんでいるENLエージェントが期待を胸に京都イン活に行ったら期待はずれでがっかりした話をちょっと聞いてくれ。

先週の金曜に名古屋実家に帰る用事があったので、折角の機会だということで、土日を利用して京都イン活に行ってきた。

京都といえば、寺社とお地蔵様に代表される無数のポータルが街中に乱立する ingressメッカ

街を歩けば途切れることなポータルが立ち並び、辻斬りならぬ辻ワンコが至るところで発生。その余波で周囲は白ポータルばかりとなり、Unique Capture も取り放題。観光地ならではの格好いいメダルに彩られたミッションも目移りするほど。

これぞまさにエージェントにとっての天国

・・・というのが俺が想像していた京都だったし、実際、それに近い評判は以前からネット上で目にしていたように思う。

緑に染まる京都タワー

この日のために蓄えたX8数百発を携えて土曜の午前に意気揚々京都に乗り込んだ俺を待っていたのは、一面緑に染まる京都駅だった。

新幹線ホームから見えるポータルが全てENLのL7やL8ばかりで、その間には綺麗にCFが敷き詰められている。休日にこれほど大きな駅の周辺がこれだけ見事に一色に染まっているというのは、都内ではなかなかお目にかかれない光景である

まあそういうタイミングもあるか、と思いながら、とりあえずミッション一覧を眺める。

都内と同様、駅周辺のポータルを数か所回るだけのお手軽ミッションが幾つか見つかり、とりあえず京都タワーとその横のヨドバシカメラをハックするだけのミッションをさくっとクリア

京都タワーもその周囲も、見事にENLのL8である

京都駅ポータルを Capture or Upgrade しろというミッションもあったが、その状況下でENLの俺にクリアできる見込みはない。帰り際には状況も変わっているだろうと期待して、京都駅を後に。

緑に染まる京都御所

事前にネット京都ポータル密集地を調べたところ、京都御所北野天満宮嵐山という名前が挙がっていたので、その中で京都駅から地下鉄一本で行ける京都御所にまず行くことにした。

実際、京都御所ポータル密度はなかなかのものであった。上野公園にも負けていないかもしれない。

ただ、これもまたほぼ全て緑なのだしかもご丁寧にCFも張られていて、本当にやることがない。

せっかくなので1時間ほどかけて御所巡りミッションをやりながら Unique Visit を稼いだが、ここまで Unique Capture はゼロである。というか青いポータルほとんど見ていない。

無駄に高レベルのENLポータルばかりハックするせいで、使い道もないのに溜まっていく高レベルバースター。何に使えばいいのか・・・

京都駅京都御所惨状を見てだんだん焦りを覚えてくる俺。

けれどまあ流石に次は有名観光地からここまで酷いことはないだろう。

緑に染まる北野天満宮

だがその希望すら無情にも打ち砕かれる。

同じ内容の繰り返しになるので詳細は省くが、ここでも俺にできることはミッションを一つクリアすることだけだった、と言えば十分であろう。

ミッションも長時間ものが多い

まりにも緑一色に染まる京都の現状を知った俺は、これは方針を切り替えてミッションメダルを集めることに重点を置くべきかな、と考え始めた。

ところが、そのミッション微妙なのだ

都内ミッション状況と比較して顕著な特徴、それは15分ミッションの数がとても少ないということ。その貴重な15分ミッションも、「駅の記憶シリーズだったりするので(コンセプトもアイコンも)、これをやるのは俺の美意識が許さない。

それ以外ほとんどのミッションが1時間コースである

下手に歴史があるせいで、その歴史と絡めた長距離ミッションが作られがちなのかな、という気がした(信長のやつとか新選組のやつとかやりたいのはやりたいのだが、流石に4時間とか急に言われても困る)。

聖地巡礼もいくつかあったが、それも時間かかりそうだった。

もうちょっとお手軽ミッションがあってもいいと思うよ(お手軽ミッションに慣れてしまった都民感想)。

まあ少ないながらも繁華街でいくつかお手軽ミッションを見つけたので、それをこなしながらホテルチェックイン

Intel マップで知る京都の現状

普段見る機会がないものから今回もすっかり忘れていたのだが、世界各地のポータルの状況を見られる Intel マップあるじゃん、ということをようやく思い出し、ホテル備え付けのパソコン京都ポータル状況をチェックすることに。

結果。

京都一面、緑一色

すでにそんな予感はしていたのだが、実際に見ると言葉を失う。

L8ポータルだけを表示させてみて更に驚いたのだが、なんと京都にはRESのL8ポータルほとんど無い。郊外に1つ2つあるぐらいで、市内中心部には文字通ひとつ存在しない。

なんだこれは。

もしかして京都にはRESエージェントはいないのでは? と本気で心配するほど。

ただ俺にとっては喜ばしいことに、嵐山の方は多少青も多く、水抜きのし甲斐がありそうだということが分かった。明日嵐山に行こう。

その後、こってりスープラーメンを堪能し、ホテル周辺の弱い青ポータルを見つけては蹂躙してこの日のイン活は終了。

青い嵐山を緑に染める

日曜。

朝一で何に驚いたかって、昨夜俺が Unique Capture したポータルが全く攻撃されていないどころか、地元ENLエージェントによって迅速に補強がされて、既にR8が6本も差さっていたことであった。もちろんCFも隙なく張られている。

このRESとENLのスピード感の差が今の圧倒的な差に結びついているのだろうという気がした。

さて、出発前に再度 Intel マップを開いて嵐山の状況に変化がないことを確認した俺は、朝から嵐山に向かった。

嵐山を巡るミッションをやりながら天龍寺嵐山公園を歩き回り、弱そうな青をどんどん緑に染めていく。休日観光地だけあって、途中一度ワンコにもなった。

それなりのポータルが密集していて、一本差しや低レベルポータルも少なくなく、Unique Capture が捗る。まさに俺が期待していた ingress 天国京都の図がそこにはあった。

幾つかミッションを始めてみたものの案外遠いことが判明してキャンセルしたりという無駄時間もありつつ、昼過ぎまで嵐山イン活湯豆腐を満喫したのであった。

地元エージェントとの出会い

さてそろそろあと1エリアぐらいしか回る時間もないし、どこがいいかなあと調べていたときのことだった。

こんにちはingress されてます?」

突然知らないおっさん(←失礼)に声をかけられる。

都内でも何度かこの手の経験はあり、そのたびに適当に誤魔化して避けてきた俺だが、ちょうど次の目的地を決めかねていたこともあって、地元エージェントであれば渡りに船だと考えて「はい」と答えた。

相手は地元ENLの二桁レベルの方で、俺と同じく Unique Capture を稼ぎに嵐山の方に来ていたところ、俺の存在気づき、俺が東京から来てること、それも Darsana メダルを持ってることに気づいて話しかけてきてくれたのだという。

そういえば3月には京都で Darsana みたいなことやるんだったっけ。

それで俺の Darsana 体験を聞きたいようだった。まああの日はひたすらレゾ差してただけで何も語るような経験はしてないんだがw

京都ENLは今からそのイベントの準備に取り掛かっているようで、最近は何やら秘密兵器実験をするために頻繁に会合を開いているらしい(秘密兵器の詳細はここで書くとまずいだろうからぼかしておく)。

まあそんな入念な準備なんてしなくても、市内のポータルのENL占有率を見れば今回もENLが勝つことはやる前から明らかだろうという気がするが。

なぜ京都緑一色なのか

そのおっさんとはかれこれ1時間ほど雑談をした。市内が緑一色なのでおっさんもやることがなくて困っているようだった(だからわざわざ嵐山なんかに遠征してきたのだ)。

そもそも、どうしてこんなにENLが強いのかも聞いてみた。

おっさんが繰り返し言うには「青がやる気ないから」だそうだが、話の端々から得た情報総合するに、いくつか構造的な問題がありそうだった。

というわけでここからようやくこの日記の本題。

原因の一つには、京都市内のプレイ人数が(都内とは比べ物にならないほど)少ないので、ポータルつの破壊であっても、一人一人のエージェント負担(貢献度)がそのままチーム全体の趨勢に跳ね返るということがありそうだ。

都内特に山の手線内)のように、それぞれが適当に出歩いた先で適当に壊してたら知らないうちに全体としてはいい感じに均衡する、というバランスにはなっておらず、強い意志目的を持って壊して回らないと、すぐに均衡が崩れてしまう脆さが京都にはある。

さらに、そのような少人数のエージェント(どのくらい少ないかというと、RESの二桁レベルエージェントエージェント名と活動地域をだいたい把握しているという。都内では考えられない)しかいない中で、現状、RESよりもENLのほうが多い。

おっさん曰く、新人が緑を選択することが多いせいなのか、それともENLの新人サポートが手厚いために定着率が良いせいなのかはよく分からないようだが、ともあれ、L8以上のアクティブエージェントの数で言うと、倍とまでは言わないにしても、相当の差がついているとのことである

第三に、バースターの補給場所京都市内はENLのP8ばかりで、ENLは補給場所に事欠かない。では市内に一つもP8を持たないRESはどうやって補給しているのか。というかそもそもなぜ市内に青ファームがないのか。

おっさんが言うには、RESのP8が立つとHOで連絡が回って瞬時に壊しに行くことになっているらしい。またFFも察知するとすぐに妨害に行く。そのせいで最近FF妨害するのはマナー違反だとかRESに抗議されたらしい(苦笑)。

仕方なく、RESはENLファームをしぶしぶ利用するか、あるいは大阪琵琶湖の方にファームを作ってそこに通っているようだ。

さて、そうなると何が起こるか。

RESは人数的に不利な中、武器補給にも苦労している。なのでENLの高レベルポータルを満足に壊すこともできない。そうするとそのポータルは次々に Upgrade されていき、ますます固くなる。

他方ENLは安定的武器が手に入るにも関わらず、それを使うチャンスがない。実績も稼ぎたいのに何もできない(まさに前日の俺のように)。そうすると、時々RESが壊してくれると、ここぞとばかりに喜んで奪い返しに行くことになる。

これをRESから見れば、頑張って壊してもすぐに修復され、補強される、というわけである。そしてRESにはそれを再度壊す武器はない。再度武器を貯めて壊してもまたすぐに修復される。これを繰り返すうちに心が折れて、アクティブエージェントますます減っていく。

このような悪循環の果てに、俺が見た「緑一色に染まる京都市内」という図が出来上がっている。

これが京都 ingress の現状である

次のイベントではENLが完勝するだろう。いや、もしかするとRESが巨大CFで覆うなどして奇跡的な勝利を収めるかもしれない。でもそれがどうしたというのだ。はっきり言って、どちらが勝とうとも、この先に未来はない。

このプレイ人数の不均衡が解消されない限り、賽の河原のような苦行に耐えかねて、RESはますます減るであろう。やることがなくなるENLも飽きて減っていくだろう。

俺のような観光エージェントが多数訪れることでカンフル剤となるのではないか、というアイディアもありそうだ。しかし俺の例が顕著なように、都民ENLがわざわざ京都に行ってもやることは何もない。魅力的なミッションも少ない。Unique Visit が欲しいなら都内でまだ行ってない場所がいくつもある。都民RESはどうか。Unique Capture 稼ぎをするにも大変だ。たいていシールドが4枚入ったL7以上の緑ポータルを際限なく破壊するだけのバースターを持っていくのは現実的ではないし、それが用意できるくらいならやはり都内のまだ行ってない場所に行って使う方が経済的だ。

京都ingress 天国と言われたのも今は昔。

都内と比べてポータル特に多いというわけでもなく、それらは緑でガチガチに固められていて、たとえRESエージェントでも壊して回るのは一苦労。市内に青ファームが作られる気配も全くなく、現地での武器補給も困難。

ミッション特に魅力的というわけでもない。

そうなると都民エージェントがわざわざ出向くだけの価値は無いと言わざるをえない。

かくして、京都ingressオワコンである

そしてもちろん、これは京都特有問題ではない。

俺は結局、京都駅の Capture ミッションに挑戦することもできず、数百発の使い道のなかったX8とともに東京に戻り、東京駅を緑に染め上げた。それが攻撃され青くなったのはその数分後のことだった。

2014-05-29

たまこラブストーリーについて気になったこと

俺も非常に感動したんだけど同時に気になったことをツラツラと。


1.おじいちゃんの入院

ストーリー上、たまこともち蔵を二人っきりにするために犠牲になったとしか思えないが、

アニメ本編でたまこが肉親の死に深いトラウマを抱えているのを知っているだけに

もうちょっと上手いやり方は無かったものかと思う。

大事には至らなかったとは言え狼狽するたまこを見るのはツラい。


2.みどりちゃんはそんな悪い子じゃない

1のアオリを受ける形になるが、みどりちゃんが餅をノドに詰まらせる照れ隠しギャグをやるのが

らしくないような気がする。彼女がそんな無配慮なことをするだろうか?


3.誰もいない学校

終盤、学級閉鎖で誰もいない教室たまこがもち蔵を待つシーン。あれ他の教室には生徒がいるんだよね?

学校全体が閉鎖されてるんだったら入れないはずだし人気なさすぎてちょっと不思議

特にラストみどりちゃん、かんなちゃんが校庭?の木に登ったりしてるけど

あれって他の教室の生徒から見たら北野武キッズ・リターンで校庭で走りまわる安藤金子みたいな事になってるのかな。


4.距離感

3の後、たまこ出町柳付近から京都駅まで疾走する訳ですが

やはり舞台となった土地に住んでる者としては、一体どんだけの距離走るんだよ…と思ってしまう。

あと駅ビルに圧倒される描写もあるけどアレもなぁ…。たまこの普段の生活範囲がかなり狭いのかなぁ…



まとめ

上記4点はストーリーの中〜後半にあるのがポイント

数多く作品を見てる訳ではないが、どうも京アニストーリーテリングには問題があるんじゃないかと思う。

印象として話の序盤は登場人物の一挙手一投足が実に丹念に描写され、見るだけで満足するんだけど、

そのおかげで疎かになったストーリー進行が後半になるにつれて破綻しているように感じられる。


また背景に実在風景を描いて、作品世界を身近に感じられるのは良いとは思うが

上の3,4で書いたように、ストーリー後半にはそれが足枷になって現実でもフィクションでもない

摩訶不思議空間に放り込まれるので、富士樹海で方位磁石が狂った様な気になった。入ったことはないが。

作品聖地で暮らされてる皆さんはそんな経験ありませんかね?


でもラストシーンが最高だったから今まで書いたことは結構どうでも良いんですけどね。

2014-05-23

http://anond.hatelabo.jp/20140523132858

それを言い始めたら、

おまえらだって大陸から渡った田舎もんのくせに、

中国韓国に言われそうなので却下

残念ながらいまの京都はどがつく田舎

田舎呼ばわりされたくなかったら、

あのくそみたいな京都駅を何とかしろよ。

日本の恥、否、世界の恥だよ。

たぶん、世界もっとも醜い駅ベスト5に入るよ。

2014-05-06

喪失物語たまこラブストーリー

観てきた。TV版は1秒も観たことがなくて、キャラ設定も背景情報も完全にまっ更な状態なのでトンチンカン感想かもしれないけどまあ大筋では外してないと思う。

ネタバレのある感想である。が、ネタバレ重要ではない作品なので未見で読んでしまっても特に問題はない。ストーリー予告編にほぼすべて出ている(男が幼馴染の女に好きだと告白し、いろいろあって女はそれに答える。男の思いは受け入れられるか?答え:受け入れられる)。

本編前のショートストーリーは南の島の王子付き人の娘と鳥?が餅をこねながら会話する小芝居だが特段面白いと思うものはない。鳥が普通に人語を喋り、翼を使って餅をこねたりする世界に説明がまったくないのはどうかと思った。丸めた餅を島民に配るという話なって、餅は食べなれない人たちだと喉に詰まらせてしま危険性があるので大丈夫なのだろうかと思ったら、後の本編で餅屋の主人が餅を喉につまらせるという展開になって、ブラックジョークになっていた。

本編は悲しい別れの話であった。京都高校3年生のたまこは髪はぼさぼさ、いつも少しとぼけているが商店街にある家の餅屋の仕事高校バトン部の活動には熱心である。向かいの店の跡取り息子であるもち蔵(すごい名前だ)とは幼なじみで、2階の窓から電話で会話をする仲。美術大学への進路が決まり上京することになったもち蔵はたまこ告白するという、まあ言ってみればそれだけの話なのだけど、それよりも私にとって心に深く訴えたのは二人の幼なじみの仲をとりなす、バトン部の部長みどりたまこを失ってしまうという喪失物語であった。

みどりがもち蔵にたまこへの告白背中を押すとき、「貴方たまこのことをいつも観てる」と言う。それはつまり

a) みどりはもち蔵のことをいつも観てるからわかる

b) みどりたまこのことをいつも観ているからわかる

のどちらかということである最初みどりがもち蔵の告白背中を押してしまったことを後悔していたので、これはみどりが友人に恋を譲る話a)なのかな?と思ったが描写が進むにつれそうではないことがわかる。みどりたまこのことが好きでいつも観ているb)のだ。だからたまこの気持ちも知っている。たまこがもち蔵の思いに答えて、変わってしまうことも知っている。これは彼女にとっての悲劇である

みどり自分の思いを押しとどめ、たまこともち蔵の仲をとりなす。たまこ相談されても自分の気持ちを言えない彼女の胸中はどんなものだったのだろうか。その思いにわたしは心打たれる。

物語の最終盤、教室でもち蔵を待つたまこへ、京都駅に行ったもち蔵を追いかけるようにと教えるシーンでみどりゆっくりと歩いてやってくる。自分がもち蔵の居場所たまこに知らせると、彼女は追いかけることが分かっていて、その思いに逡巡しているのだろう。だからゆっくりと歩いて教室へやってくる。もち蔵の元へ行ってしまったたまこ見送りながら、みどりは校庭で叫び声を上げながら走り、木の下で自分たまこを失ってしまったことを受け入れて笑顔を見せるのだった。

“愛してその人を得ることは最上であり、愛してその人を失うことはその次に良い” ―― サッカレー

山田監督ならではの女性らしい心理描写、女性目線仕草、美しいカメラ配りは見事としか言いようがない。良い映画だった。

一方で、わたしは男であるので男性描写はどうだろうかと思う。

まず、もち蔵の所属するあんなオシャレな映画部はちょっとないだろう。高校映画部といえば、傑作「桐島、部活やめるってよ」の映画研究部であり、リビドータナトス丸出しで自分たちを見下す体育会系と女どもに復讐する、そんな映画を作ってなければ嘘だろう。映画研の連中ももっとこう残念なオタクであるべきだ。

それにもち蔵の部屋があまりにオシャレすぎてすごく漂白されていると感じる。あの年代なら女の子ことで頭は一杯で、夜中はオナニーをしていないとおかしい(わたしが高校生の頃は毎日少なくとも3回はしていた)。自分の部屋におもちゃ汽車模型を置くのもヌルいとしか言いようがない(電車が好きならもっとリアルモデルを買うべきだ)。総じてもち蔵とその周辺の男子にはリアル男性らしくない人形らしさが目立ち、たまこともち蔵の関係に私がただありきたりだからというだけでなく興味を抱けない原因ではないだろうか。

また、終盤に物語が反転するキーとなる、たまこの父が母へ送った歌のテープカセットであるが、何度も聴いているはずなのにはじめてテープに続きがあると知るというのは無理があるのではないだろうか。ついでに言うと、主人公の幼い妹の銭湯での着替えシーンを背中から延々と撮るのはちょっとどうか思う。このへんは残念だった。

2013-10-22

http://anond.hatelabo.jp/20131022155600

エスカレーター問題は、問題のケースが大雑把すぎるから揉めるんだ。

下り

 機械の負荷という点では下りのほうが厳しいだろう。しかしそちらを問題にする人はいない

ガラガラ

 片側だけで余裕で乗りきれて並ばないケース。これも問題にはならない。

・ひっきりなしに片側を歩く人がいるケース

 ここまで歩く人が多いならそもそもエスカレーターキャパオーバーからあんまり文句言う人はいない。

さて、問題になるケースとは

・止まって乗りたい片側は列ができていて、歩いて登る奴はたまにしかいないケース

 (長いエスカレーターに多い)

 片側の輸送能力無駄だ!歩く奴に空けるなんてことをするから半分しか使えてない!そのせいで待たされる!モッタイナイ

歩くな!


とりあえず空いてる列に乗ればいいじゃないか

そのケースだとほとんど上がってくるやつなんかいないし、横のやつが「歩けよボケ!」って突っついてくることなんか殆ど無い。

どうしても血相を変えて上がってくる奴がいたら、しょうがいから歩く。

幸い鉄道会社などでもこの問題は対応に苦慮しているので、だからこそ駅員にどうこう言われることもまず無い。

これでほとんど問題は起きない。

そもそも問題が起きるケースがけっこう限定されているので、つど対処する程度で済む。

ちなみに京都駅だと、大阪ルール東京ルールが入り交じっているので両側まだらになっていて、歩けないからだいたい問題ない。

http://anond.hatelabo.jp/20131022155600

エスカレーター問題は、問題のケースが大雑把すぎるから揉めるんだ。

下り

 機械の負荷という点では下りのほうが厳しいだろう。しかしそちらを問題にする人はいない

ガラガラ

 片側だけで余裕で乗りきれて並ばないケース。これも問題にはならない。

・ひっきりなしに片側を歩く人がいるケース

 ここまで歩く人が多いならそもそもエスカレーターキャパオーバーからあんまり文句言う人はいない。

さて、問題になるケースとは

・止まって乗りたい片側は列ができていて、歩いて登る奴はたまにしかいないケース

 (長いエスカレーターに多い)

 片側の輸送能力無駄だ!歩く奴に空けるなんてことをするから半分しか使えてない!そのせいで待たされる!モッタイナイ

歩くな!


とりあえず開いてる列に乗ればいいじゃないか

そのケースだとほとんど上がってくるやつなんかいないし、横のやつが「歩けよボケ!」って突っついてくることなんか殆ど無い。

どうしても血相を変えて上がってくる奴がいたら、しょうがいから歩く。

これでほとんど問題は起きない。

そもそも問題が起きるケースがけっこう限定されているので、つど対処する程度で済む。

ちなみに京都駅だと、大阪ルール東京ルールが入り交じっているので両側まだらになっていて、歩けないからだいたい問題ない。

2013-08-09

わたしがあの人にはじめて会ったのは13歳の秋だった。

中学入学祝いに父親からパソコンを送られた私はすぐにインターネット世界にのめり込んでいった。

中でも楽しかったのはチャット

友達放課後マックに行ったり、クラス男の子を好きになってすったもんだしてる都会在住の女の子の都会っぽい生活に憧れたり、、

ちょっと不良ちっくな男の子達のリアル体験談にわくわくした。

わたしは地味で目立たないタイプ中学生で、自分に自信が持てなくてうまく人とコミュニケーションが取れなかったので、今ではよくわからないようなものにまで憧れたりしていた。

というか、クラス友達がいるっていうだけで、クラスメイト普通に話せる人だっていうだけで、私にとっては憧れの的だった。

そんな普通に楽しい中学生活を送っている人たちとお話できるのがほんとに楽しかった。

あの人に出会ったのも同じチャットルームだった。

あの人は常連のひとりでいつもロムってるんだけど、

そのくせふとあらわれてなんとなく心に残ることをぐさっと言ってはまたいなくなる、みたいなかんじだった。

毎日入り浸っていたわたしはあの人と自然あいさつとかするようになった。

あの人はほかの誰とも違う不思議な独特な空気感をまとっていて、

(あとで聞いたらちゃんとキャラ設定があったらしい)

あの人と文字で交わす会話を心地よく感じた。

あの人はいつも真夜中、みんなが落ちていったあとのひと気のないチャットルームに現れた。

つの間にかそれを心待ちにしている自分がいて、

つの間にかあの人と話すことが一日の楽しみになっていた。

あなたはどんな人なんだろう、

どんな生活をしてるんだろう

どうやら新潟県在住の歳はひとつ上。

人望厚く、生徒会長をやってるらしい。

(同じ学校だったら関わることもないだろうなー)

部活野球部ポジションは不明。

すきなマンガはるろけん。

てゆーかけっこうオタク

(じゃぁ私もアニメ詳しくなろうかな!?

シニカル時事問題論破!そこがまたかっこいいよー!!

って思っていた。

ある日あの人が自分小学生の頃の恋愛について話し始めた。

それは深夜で、チャットルームにはよく顔(?)を合わす女の子二人とあなたとわたしの四人だけで、その話は10代の私にとってはとても重いお話で、

というかまだ恋のなんたるかを知らない私にとっては目の回るような話で、

(確か、好きな女の子がいて両思いだったんだけれど、その女の子につらい思いをさせたまま別れてしまった、みたいな話だったと思う。)

その長いお話が終わる頃にはわたしたちはとてもしんみりしていた。

でもそういう特別なことを共有したことをきっかけに私たち四人はメールアドレスを交換することになった。

私は心の中でその成り行きにガッツポーズを決めていた。

だってずっとアドレスを聞きたかったけど、乙女で内気なわたしにはどうしても言い出せなかったからだ。

そうしてあの人のアドレスをゲットしたわたしは、

使い方が謎すぎて放置していたメーラー説明書100万回読んでメールのやり方を会得し、

メールの画面が夢にまで出てきた)

やっとあの人とのメールのやり取りを開始した。

あの頃の私にとってあの人は遠い(友達いっぱい!楽しい学校生活リアルではお近づきになれるはずもない人!みたいな笑)夢の世界に住む憧れの人で、

あの人から毎日メールが届くのが嬉しくて仕方なかった。

何回も何回も推敲推敲をかさねて返事を書いた。

他愛のないお話ばかりをしたと思う。

学校友達部活先生

そして、友達たくさんいて楽しい生活送ってんだー!

みたいな見栄もはったきがする。

本当はクラス友達なんていないし、

楽しいことなんかなにひとつない毎日だったけど。

でもそういうメールのやり取りを繰り返すうちに、

チャットだけではわからなかったあの人の本当の姿が、

少しずつ少しずつ見えてくるような気がした。

夢の世界に住んでるように思えたあの人にもたくさん悩みや考え事があることを知った。

あの人がどんどん近くなって来るような気がした。

ずっと昔から友達みたいに。

ある日わたしは決心した。

どうしてもあの人が同じ世界にいることを確かめたくなった。

あの人が生活する街を見てみたくなった。

本当は会いたかったけど、言えなかった。

から誰にも秘密で行ってみた。

電車で六時間雪国

そこは穏やかに時間が流れる真っ白い世界だった。

あの人が歩いているだろう道を歩いて、

あの人が買い物をするだろうショッピングセンターに行って映画を観た。

源氏物語みたいなやつ。

今思えば、あの頃のわたしにとってあの人が唯一の友達だったんだと思う。

ストーカー・・・??

ではないと思いたい。

帰ってからもそんなことは書かずにずっとメールを続けた。

そのうちどうしても気持ちを抑えられなくなってわたしはあの人に告白した。

それが本当の好きなのかどうなのかわからなかった。

文字以外のあの人のことを何も知らない、

会ったことも見たこともない。

でも気持ちだけは本当だった。

そしてあの人にはあっさりふられた。

理由は好きな人いるか・・・だったと思う。

まり覚えていない(笑)

都合のいい脳みそだな(笑)

そして私たちの1年間のメル友生活は終わった。

それから一年間はあの人のことが頭をよぎって仕方なかった。

あの人からメールが恋しかった。

そのあいだにわたしは高校に上がった。

高校生活は最悪だった。

高校生になったわたしはけっこうないじめを受けるようになっていた。

唯一仲がよかった友達からも口を聞いてもらえなくなった。

成績もガタ落ちで留年寸前だった。

先生からは通信の高校定時制に編入することを勧められた。

私は自分の部屋にひとりで閉じこもるようになった。

心を閉ざして暗い顔をしている私に家族も冷たかった。

両親は仕事やまだ小さい兄妹たちの面倒に忙しくて

わたしの苦しさを理解できる余裕はなかったんだと思う。

私は中学の頃以上に孤独だった。

誰かに理解されたかったんだろうけど、

それをうまく言葉にすることもできなかった。

勇気をふりしぼってあの人にメールを送ってみた。

あの夏の夜、あの人からメールの返信が来た。

絶対に来ないと思ってたからかなり驚いた。

どういう話の流れだったのかは思い出せないけど、

私たち携帯の番号を交換して電話で話すことになった。

たぶん私が言いだしたようなきがする。

心臓が口からまじで飛び出しそうになりながら電話に出たのを覚えてる。

その時、わたしははじめてあなたの当の名前を知った。

それまでは蒼紫様とゆこ殿、みたいなメルヘンHNでやりとりしてたの笑

なんか本当に不思議な感じだった。

はじめて聞くあの人の声は上ずったかんじの甘い声でわたしは本当にどきどきした。

私たちは何時間も何時間も話した。

なにをあんなに話したんだろう?

たぶんとてもしょーもないことばかり話してたんだろうと思う。

気づくと朝日が昇って、朝になってた。

そしたらあの人は恥ずかしそうに言ったんだよ。

「俺の言いたいことわかる?わかって、テレパシーで。」

・・・わかんないよ笑」

・・・すき。」

どういう気持ちの流れがあの人にあってそうなったのかは今でもよくわからない。

たぶんあの人も覚えてないんじゃないかな?笑

でもわたしたちはこの電話きっかけに付き合いはじめることになった。

その日から私たちは何回も好きだよって言い合って、

毎日明け方まで電話お話しをした。

携帯の請求がすごいことになってお母さんに何回も怒られた(笑)

会ったこともない人と付き合うなんて浅はかなことだと思うけど、

どうしてもあの人と毎晩長電話するのが辞められなかった。

あの人は早朝の高速バスで遠い学校に通っていた。

その登校時間ギリギリまで話してることもあった気がする。

あの女の子の化粧が濃くてキモイ、とか、モデル女の子がいてなぜかその子が俺のこと好きっぽい、とか他愛のない話しを!(笑)

そうしているうちにあの人からあることを告白された。

それは、仲のいい友達がいたんだけど、その子が亡くなってしまってとてもつらい、それはたぶん自分のせいなんだっていう話し。

それがあったから今は誰かと深く関わるのが怖いんだって話してくれた。

当時のわたしは自分のことを客観的に見る余裕なんか皆無だったからどうして自分がそんな気持ちになるのかわからなかったんだけど、その話を聞いてものすごく悲しくなった。

今考えるとわかるんだけど、わたしはあの人と深く関わることを望んでたからだと思う。

自分でも訳のわかんない私をあのひとなら理解してくれて助けてくれるような気がしてた。

でもお互いに問題をかかえたままお互いを理解しあえるわけもなく、私たちはすぐに別れてしまったんだ。

本当なら私があの人の傷を癒してあげられたらよかったんだと思うけど、当時のわたしには無理だった。

それを説明することともできなくて、

たぶん相当意味のわかんない理由で別れたと思う。

実はほかの人とのあいだに子供ができて、もうあなたとは一緒に居られません、みたいな出鱈目を言った気がする。

なんでそんなこと言ったんだろうね、10年前のわたし。(笑)

変だよね。(笑)支離滅裂だ。

壊れる前にぶち壊しにして安心たかったのかなとも思う。

大切なものからこそ。

よくわかんないけどそういう心理だったんじゃないかなーって思う。

あの人と別れてすぐに私は高校中退した。

やめる前後はピークに荒んでいたけど、

いざ辞めてしまえば私の心は徐々に落ち着きを取り戻していった。

15歳にして社会の外に放り出されてしまったことは恐怖だったけど、

それは逆にこれからのことを真剣に考える原動力だったような気がする。

わたしは友達がほしかった。

から信頼できる仲間が欲しかった。

身も心も生まれ変わって新しい自分になりたかった。

それから3カ月。

今度こそ連絡が来ることは2度とないだろうと思っていたところに

冬、連絡をくれたのはあの人の方だった。

私の誕生日に短いメールを送ってくれた。

そのメールきっかけにあの人とまた連絡を取るようになった。

ちょうど寮制の定時制高校への受験を決めて一念発起を心に誓った頃だった。

厳しい環境に身を置くことで私は最低な自分から脱出できると思った。

家族とも、育った街とも、この街の人とも、全てに距離をおいて新しい自分を始めるつもりだった。

付き合っていた頃みたいにまた明け方まで電話することも何回かあった。

でもそういう自分の状況をあの人にうまくせる自信がなくて黙っていた。

相変わらずどうでもいいような話しを何時間もしていた。

というか今気づいたけど、わたしどれだけ素直じゃないんだw

わたしは本当はあの人ともう一度お付き合いがしたかった。

でも自分からはとても言い出せなかった。

あの人が今でも私を好きでいてくれればなって思った。

春、私は高校入学して天理の寮に入った。

ぞの生活の厳しさたるや、それはもう想像を絶するものだった。

朝6時に起きて掃除点呼、先輩の洗濯や食器洗いをすませてから仕事に行って、夕方から学校

はげしいルーティン。

金曜日ジェイソンとかよりずっとずっとこわーい先輩。(笑)

ここに来たことを後悔してないと言ったら嘘になるけれど、

それでも自分自分で決めたことだから頑張ろうと思った。

もちろん携帯電話は禁止。

どじでまぬけな私は入学早々携帯が見つかり没収(笑)

反省10枚は書いた)

というわけであの人への連絡手段を失ったわけだけど、

どうしてもくじけそうな時は負けじと寮の公衆電話から10円片手にあの人に電話した。

この公衆電話がまたすっごいの!

長蛇の列に並んでやっとたどり着けるの!

でも時間が決まっていてやっと順番が来たと思ったら1分とかしか話せないこともあるの!!(笑)

ちょー不便!!!(笑)

そんなわけで満足にあの人ともお話できないし、忙しくて3ヶ月に1回とかしか電話できない時もあったんだけど、

あの人の声を聞くと本当に元気が出たもんでした(笑)

あの人は相も変わらずずっと私の支えだった。

別に電話しても何を話すわけでもなかったけどさ。笑

それでも。

地元に帰った時は便利な便利な(笑)家電で思う存分長話をした。

そうだ、手紙も何通か交換したんだ。

今でも大事にとってある。

あの人は字が下手だからってとても恥ずかしがったけど。

(確かにあの人は字がへただった(笑)

そういう生活が4年目に突入した頃、

あの人と実際に会おうかって話になった。

あの人は大学生になっていて、

サークル関係京都に来ることになったので、

せっかくだからついでに会おうよってことになった。

その少し前にわたしたちは小さな喧嘩みたいなことになっていた。

あの人が私のことを何も考えていないただふらふら生きてる奴、

みたいなことを冗談で言ってきて、わたしがそれに反論のメールを送ったんだ。

わたしはわたしなりに色々考えていて、考えた答えには従って生きてる、みたいなメール

でもあの人が私についてそう思うのは仕方ないことだった。

だって私はあの人に自分についてなんにも話したことがなかったんだから

と、いうより私は誰にも自分について話したことなんかなかった。

いつも自分が何を考えているのかわかんなかったし、

誰かが自分を理解しようとしてくれるなんて考えたこともなかった。

から私の気持ちはずっと迷宮をさまよってるみたいな感じだった。

家族との間に感じている確執にも、

ずっと悩んできた自分の心の暗い淵みたいなものに対する葛藤にも、

なんにも向き合えてなかった。

実際に待ち合わせの場所に着いても私はあの人と会うことをまだ悩んでいた。

会うのが怖かった。

実際に会って本当の自分を見せるのがとっても。

あの時、わたしはもう本当に緊張していた。

心臓爆発だった。

京都駅アトムの下で私たちははじめて会った。

2007年5月12日

出会ってから7年がたってた

わたしの人生で一番綺麗なあの初夏の日を

わたしは一生忘れないと思う。

あの人は細くて折れそうな体で

外人みたいに彫の深い顔立ちをしてた。

黒いジャケットに黒いジーンズの全身黒づくめの人だった。

京都駅の長いエレベーターをあがりながら

あの人は私に一言

「でかっ!」

って言ったんだ笑

不思議な感じだった。

はじめて見たあの人は知らない人だったけど、

声はずっと馴染んできてわたしを支てくれたあの声だった。

人見知りな私はあの人をやっぱり人見知ってたけど、

それなのにあの人はずっと昔から一番よく知っている人だった。

よく晴れた気持ちのいい日で、清水寺散歩に行った。

綺麗な新緑のさわやかな感じも、

景色の良いお店で食べたカレーの味も、

あの人の横顔も

今もあの日のように思い出せるよ。

よく歩いて、よくしゃべった。

あなた大学の話を、

わたしは寮生活の話を。

帰りはわたしの近くの駅まであの人が送ってくれた。

手をふりながら猛烈な離れ難さがおそってきたけど、

あのときの私にはそれがどうしてなのかわからなかった。

寮に帰ってからもなんだか夢の中にいるような気分だった。

あの人からメールが来た。

「楽しかった。また会いたい」って。

私もおなじ気持ちだった。

数日後の5月22日に私たちは付き合いはじめた。

いま考えれば不思議なことはなんにもない。

必然だったと思う。

私は寮生活仕事学校で本当に時間がなかったけど、

時間を作っては早朝まであの人と長電話した。

あの人は高校生の頃からずっと苦しみ続けてたみたいだった。

自分の些細な一言のせいで大切な人を亡くしてしまって、

もう人と深く関わるのが怖いって。

ずっと一人で生きてきたし、これからもそれは変わらないと思うってあの人は言った。

自分は生きてる意味なんかないのかもとも。

私になにかできることはないのか?って思った。

少しでもあの人の心が軽くなるようになればいいと思った。

あの人が誰にも心を開けなくなってしまったことを、

本当はものすごく苦しんでるように見えたから。

怖くないって言いたかった。

そうしながら少しづつわたしもあの人に自分のことを話した。

あの人が本当にわたしを理解しようとしてくれていることが分かって言葉不思議とすらすら出てきた。

いじめられてたこと、家族について、自分性格について。

そういうことをちゃんと言葉にするのは生まれて初めてだった。

混沌としていた頭の中が言葉によって整理されていくのがわかった。

私たちはできる限りの言葉をつくして自分たちについて話し合った。

それは数年前の私たちにはできなかったことだ。

今までどうしても踏み込むことができなかった、

でもとても知りたかった、

知って欲しかったことだった。

話しても話しても話したりなかった。

やっとわかりあえた喜びを私は一生忘れない。

ずっとそうしたかったんだと思う。

たぶん14歳ときから

一生懸命耳を傾けてくれたあの人には感謝してもし尽くせないよ。

あの人が私に言葉をくれたんだ。

はじめてあの人に会いに新潟に行った夏休み

本当はわたしは不安だった。

戸惑ってたんだ。

あの人と話すのは楽しいっていう言葉意味を超えて楽しい

でも私たちはまだ一回しか会ったことがないのにこの気持ちは本物なのか?って。

それが無意味不安だってすぐに分かった。

あの人がはじめて私に作ってくれた料理ペペロンチーノ

そのあとに丁寧にロイヤルミルクティーを入れてくれた。

帰る前の日にあの海で撮った写真は今でも宝物だ。

あの日、ホームであの人の手を握りながら本当に離れたくない、

離れたくないってこういう気持ちのことだったのかって思った。

あの人はあなたになら心をひらけるって言ってくれた。

わたしも同じだった。

出会ったことが奇跡なんだって思った。

メール電話でやりとりをしていた頃はまったく気づかなかったんだけど、

あの人は神様かそうでなければスーパーマンみたいな人だった。

いつもわがままばかり失敗ばかりまぬけばかりの私にきちんと向き合ってくれて、

私に悩み事があれば一緒になって考えてくれた。

自分のことがよくわからなくなってすぐに投げ出す私の、

私にさえわかんなかったわたしを教えてくれた。

ちゃんとはなしてごらん、ってあの人だけが私に言ってくれたんだ。

お父さんみたいだった。

肉親以上の愛情を注いでくれた。

あの人と一緒にいた数年間は信じられないくらい幸せだった。

思い出が綺麗な綺麗なおとぎ話しみたいだよ。

わたしたちはなにもかもがぴったりだったように思う。

わたしが持っていないものをあの人はちゃんと持っていてあの人が持っていないものをわたしが持っていて嘘みたいだった。

なにもかもが上手く噛み合っていて、あんな風に出会えたことも、こうして一緒にいることも、全部が起こり得ないような奇跡だとおもった。

それはあの人が優しくそう感じさせてくれていただけだったのかもしれないと今になったら思うんだけど、それでも。

幸せエピソードを並べはじめたらきりがない。

真夜中の長電話、一緒に観た何本もの映画、あの人の小さなアパートの部屋、まっすぐに続く海岸沿いの道、

会いたくて我慢できずに何回も最終電車に飛び乗ったこと、旅行に行ったのは神戸栃木クリスマスに買いすぎたモスチキン

大学ピアノがある小さい部屋、高速バスに乗って一緒に出かけたこと、

別れる時に悲しかったぶん会えた時はほんとに嬉しかったこと、あの海辺の夕日、あの人を残してホームから走り出す電車、あの人のかなしそうな顔。

ねえ、わたしはおかしいのかな?

思い出を美化しているだけなのかな?

もしそうだとしても懐かしくて叫び出しそうになるよ。

たまに幸せ妄想をするんだよ

あの人に出会うために何回も何回もの生を生きて

やっとこの世界めぐり会えたのかもしれないなって

からはじめて会ったあの日からずっと離れるのが本当に嫌だったんだ

あの人がいればなんだってできるような気がした

あの人に話してないことがひとつだけある。

わたしはそれでも迷っていたんだ

私は若くて無知だった

本物がどれなのか判別がつかない程に。

奇跡だと思ってた

完璧だと思ってた

からこそ関係が変化するのが怖くて仕方なかった

わたしは自分があの人を段々大切にできなくなっていってるのを知ってた

いつか自分の未熟さが原因で壊れて終わってしまうだろうと思った

しろそうなるべきとも思った

そうしたらあの人の本当の大切さがわかるから

早くあの人を大切にできる自分になりたい

つの間にかあの人にめぐり合うことができた奇跡を当たり前に思い、

あの人がわたしにかけてくれる愛情を当たり前に思い、

あの人に求めてばかりでいつも苛立っているのが苦しかった

わたしはわたしたちの幸せをめちゃくちゃにした

わたしは確信がほしくてほしくてたまらなかった

あの人を失ったわたしは

かたずっぽになって

うまく立つことができなくなった

うまく声も出せなった

うまく笑えなくなった

うまく人と話せなくなった

世界は違うものに見えた

怖くてわたしを押しつぶしてくるの

何時の間にかわたしはあなた

荷物を預けて楽してたみたいだ

全部がのしかかってきて

息ができなくなった

笑顔は今でも引きつってる気がしてる

それでも

時間と一緒に少しづ

あの人がいない新しい灰色世界

わたしは受け入れていった

考えることをはじめた

どうしてこうなってしまったのか、

ここはどこなのか、

これからどう生きていくべきなのか 、

あの人のことを何度も思った

ずっと考えていて

分かったことはふたつだった。

ひとつめは、

自分感謝できることを必死で探してありがとうって思えるように絶対にならなきゃ同じことを繰り返してしまうってこと

どんな幸せを持っていたってそれをわかってなくちゃそれは不幸と一緒だ

ふたつめは、

本当に愛し合える人を見つけられずに死んでしまう人も多いこの世界で、わたしはあなた出会えたこと、そしてあんな時間を持てたことがすでに奇跡だってこと。

出会えたことがすべてってこと。

ここは確かにあの人がいない このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

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