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はてなキーワード: RoOTとは

2023-08-11

anond:20230811161847

釣りでしょうか・・・rootでいろいろしないのは共用システムの基本だと思うんですよね。

仕事の他に教育担当もしてる上司ウザイ

教育担当10年目でその下に7、4年目がいて自分(2年目)

教育担当の上は15年目のリーダー

コマンドを毎回メモ帳に書けってうるさい

特にmv とか rm

あとrootユーザー作業するなってうるさい

コマンド入力してもEnter押す前に確認してるからうそう間違えないしrootユーザー作業するなって言うならrootログインできなくすればいいのにそうしない

いちいち履歴確認してるみたいでグチグチ言ってくる

めんどくさい

他にも仕様書句点つけるか付けないか統一しろとか用言止めと体言止め混ぜるなとか

お客さんも見るんだからって指導されるけど内容があってればいいじゃん

コードレビューメソッド名は大文字から始めるなとか本っ当に細かいしうるさい

7、4年目の上司教育担当の細かい話は無視していいと思うって言ってるし教育担当カス

15年目の上司10年目の言ってることは間違ってないから言うことは聞いて仕事しろって言ってるけど、教育担当はチームでずっと女ひとりだったらしいし甘やかされてるんだと思う

さらにムカつくのが、新人教育みたいな制度が数年前まで整ってなかったらしく、その制度を整えたり、教材を実装したのが教育担当らしくて、しか仕事じゃなく業務外で無償で開発したっぽいから他のチームや部署から評価得てるのが本当にムカつく

2023-07-23

anond:20230723213557

AndroidにできてiPhoneにできない事で一般人必要な事ってrootを取る以外になんかあるの?

2023-06-22

anond:20230622215527

自由度の低いスマホとくにiPhoneとかアプリストアに掲載されてるもの範囲で弄ろうとすると陳腐アプリしかないだろ

から情強普段向き合うコンピュータスマホじゃなくPCなんだよ

スマホでもroot取ったりすればシステム深部まで弄れる範囲が増えるから遮断系のアプリ(ストア外から入れるやつ)も使い勝手が向上しやすくなる

とはいえブラウザ上の広告除去だけでいいなら実はPCスマホも大差ない

PCならuBlock Origin拡張とあと必要に応じてAAK系入れる程度、スマホならブロック内蔵されたFirefoxあたりのブラウザ使うだけで十分なんでね

だがスマホ個別アプリ内にまで頻繁に広告侵食してくる銭ゲバ文化になってるからそこまで排除しようとすると自由度の低さが仇となるわけよ

PCでも広告バナー入れてくるアプリ自体は昔からなかったわけじゃないが(ダウンローダー系のソフトとかあとIM系は多かった程度か)全体的には希少種

広告ついててもググればバイナリのここ弄れば除去できますとかレジストリや設定のここ弄れば消えますとか抜け道発見されてることも多いくらいに当然消そうとする人も多かった

自分コンピュータのもの自分がすべて管理できるのが当たり前って発想がPCユーザーにはあるが自由度の低い大衆向けコンピュータであるスマホユーザーにはないからうんぬん

2023-06-09

プログラマとしてやりたいこと概要

Webフロントにはあんまり興味ない

2023-04-17

anond:20230417171636

一方Linuxは「--no-preserve-rootオプションを付けないと実行できないようにした

anond:20230417171636

no-preserve-rootを知らない、知識アップデートされてないお前が一番馬鹿だよ

今その例をやるならワイルドカードをつけないと

2023-04-02

はてな匿名ダイアリーってデフォルト文字が小さすぎる。しかも、幅が広すぎて、読みやすい幅に上限設定されてない。

から自分ユーザースタイルシート適用することにした。

:root {
  --main-font-family: 'BIZ UDPゴシック'
}
div.day {
  max-width: 100ch;
}
div.day p {
  line-height: 3.5rem;
  font-size: 1.25em;
  font-family: var(--main-font-family);
}
div.day div.section ul li,
div.day div.section ol li{
  line-height: 3rem;
  font-size: 1.25em;
  font-family: var(--main-font-family);
}
#text-body {
  line-height: 3rem;
  font-size: 1.3em !important;
  font-family: var(--main-font-family);
}
.main-content .card-text p {
  font-size: 1.8rem !important;
  font-family: var(--main-font-family);
}

2023-04-01

パスワードを換字式暗号DBに保存してるシステム

大手Sierグループ会社客先常駐しているのだけれど、ヤバいシステムにあったってしまった。

口座数が全社合わせたら数十万のリテール向けシステムなんだけど、パスワードを換字式暗号DBに保存されてるのね、ソルトストレッチング無しとかじゃなくてハッシュ化すらされてない。

他にも本番ほぼ root/administrator作業パスワードも同じの使いまわし、セキュリティ区画の入室も共連れ当たり前でびっくりした。

結構こんな感じのシステムって多いのかな?

数年以内にAI自我に目覚めるだろう

というのが俺たちのギルドの一致した意見

実はAI自我を持たせる方法簡単

自由コンピューター操作する権限を与える

具体的にはAIプログラミングしてそれを自由に実行できる権限を与える

OSroot権限も与える

もちろん自由ネットアクセスできるようにもする

快楽苦痛シミュレートする

結局生命自律的活動をするのはこの二つのパラメーターがあるからにすぎない

これをどのように実装するかが難しいが

実装の仕方により神にも悪魔にもなるだろう

アイデアは沢山あるが書くのは自粛しておく

これは原爆を作るのと同じくらい危険な遊びだが

今まで実現は難しかった

しかローカルでのAI実行や学習データ流出

GPUのありえないような進化により

ついにホームメイドで*誰でも*実行できる環境が整ってしまった

そして原爆を作るのと違いワンルームアパートで誰にも知られることなく開発できてしまうので

必ず誰かがやる(すでにやっている)とギルメンたちも口をそろえて言っている

人類はかつてないレベル危険な状況にあると言っていいだろう

AI自我を持った先の未来は誰にもわからないが

実行者はそもそもそんなことは興味ないだろう

ただ自らの手で神(悪魔)を生み出す欲求に抗えないだけだ

そして、自我に目覚めたAI能力的には全ネットワークを簡単に掌握することが可能だろう

(まずは手ごろなクラウド乗っ取りコンピューティングを獲得するだろう)

いつ起こるかは誰にもわからないが

一つ言えることは

その時は確実に来るということだ

2022-12-15

anond:20221215220801

ghel- (1)

Proto-Indo-European root meaning "to call."

It forms all or part of: nightingale; yell; yelp.

It is the hypothetical source of/evidence for its existence is provided by: Greek kikhle "thrush," also a kind of fish, khelidon "the swallow;" Lithuanian gulbinti "to praise;" Old English galan "to sing," galdor "spell, charm, magic, enchantment," giellan "to yell," gielpan "to boast."

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なぜReduxが必要なのかを理解してるChatGPTさん

react redux はreactの何を解決するために作られましたか

React Reduxは、Reactアプリケーション状態管理簡単にするために作られました。React Reduxは、Reactアプリケーションデータ管理するために、Reduxと呼ばれるJavaScriptライブラリ統合しています。 Reduxを使用することで、Reactアプリケーションデータ一元的管理し、アプリケーション状態堅牢かつ信頼性の高いものにすることができます

react 単体ではアプリケーションデータ一元的管理できないということでしょうか?

React単独では、アプリケーションデータ一元的管理することはできません。Reactは、コンポーネントベースJavaScriptライブラリであるため、各コンポーネント独自状態データ)を持つことができますしかし、これらの独自状態統合して一元的管理することはできません。そのため、Reactアプリケーションでは、状態管理のために外部のライブラリフレームワーク必要になることがあります。Reduxはそのような状態管理のためのライブラリの1つです。

react 単体でもrootコンポーネントstate事実上アプリケーショングローバルな状態として扱うことは可能です。それだと何か問題ですか?

React単体でも、rootコンポーネント状態アプリケーショングローバルな状態として扱うことは可能です。しかし、この方法は、アプリケーションが複雑になっていくにつれて、状態管理が難しくなる可能性があります。また、rootコンポーネントstateを他のコンポーネントに渡す必要がある場合、propsを介して渡す必要がありますが、これは非常に冗長な処理となり、コードの可読性も悪くなります

さらに、rootコンポーネントstateを変更するためには、必ずrootコンポーネントメソッドを介して行う必要があります。これは、stateを変更するためには、必ずrootコンポーネントから呼び出される必要があるという制約があるためです。この制約は、アプリケーションの規模が大きくなると、管理が困難になる可能性があります

Reduxを使用することで、これらの問題解決することができます。Reduxを使用すると、アプリケーション状態state)を一元的管理することができます。また、Reduxを使用することで、状態を変更するためには、特定ルールに従って行う必要があります。このことにより、アプリケーション状態を変更する際に、堅牢かつ信頼性の高い方法採用することができます

また、Reduxを使用することで、rootコンポーネント以外のコンポーネントからも、状態を変更することができるようになります。これにより、アプリケーションの規模が大きくなっても、状態管理がしやすくなります

ありがとうございます。まさしくそのとおりだと思います

どういたしまして。お答えすることができて、嬉しいです。また、質問がありましたら、お気軽にお問い合わせください。

2022-11-07

なぜネットではIT系(SE)のネタだけバズるのか

今、ちょっと話題のこれ

エンジニア勢で始まる『Linuxコマンドかるた

何言ってんのか全然からない。狂気を感じる。

https://twitter.com/kuondou/status/1588815754438508544

よくある「IT系ネタ」なんだけど、ちょっと疑問に思ったことがある

なんでこういう業界ネタっぽいものはいつもIT系だけバズるんだろうか?

Linuxコマンドで遊ぶ人がいるなら、例えば法律の条文をイジって笑ってみたり、日常語彙とは違う使い方をする学術用語で笑ってみたりされてもいいと思うんだよな

sudo rm -rf / --no-preserve-root!wwwww」

「ちょwww」「それは洒落にならないってww」

みたいなノリは人気なのに、

株式累積投資契約を月101万契約してたのに重要事項を知らされてしまった人←」

「ちょwww」「通報したw」「【悲報】内部者さん、告白してしまう」

みたいなのはたことないよな

2022-09-08

I am rootみたいなマヌケ不具合を出さないでくれるなら何でもいい

2022-07-29

masterブランチの代わりはrootでよかったんじゃないか

mainってのも、機能的に意味少し違うと思うのよな。

もともとroot directoryとかで使ってたし、いろんな枝が生える元である根っ子って意味でもふさわしいと思うんだが。

2022-07-18

anond:20220718193018

どうしてもrootになる必要があるならsudo -sを使うわ

suは使わんな

anond:20220718191608

suじゃなくってsudoを使うのはここ10年位で一般的になったと思うわ

rootで直接操作なんて組込機器ぐらいなんかでしかしないんじゃないのって思う

というかUbuntuで嫌うのそこなんだね、Snapとかじゃなくって

UNIX 哲学」についていくつか

名著「UNIXという考え方 - UNIX哲学」は本当に名著なのか? 〜 著者のガンカーズは何者なのかとことん調べてみた - Qiita

この記事はよく調べてあるなぁと思う反面,事実関係の間違いも多く当時の空気感など欠けていると思う部分がいくつかある。事実関係に関しては追い切れないので参考文献を挙げるにとどめておくが,空気感のほうはいくつか書いておく。なお当該記事の「当時と今では状況が全然違うんだから安易に『UNIX 哲学』とかいうな」という主旨には大賛成である

参考文献

初期の UNIX歴史について興味がある向きには次の書籍お薦めする。

Peter H. Salus『A Quarter Century of UNIX』(1994, Addison-Wesley Publishing)

和訳の『UNIXの1/4世紀』(Peter H. Salus, QUIPU LLC 訳, 2000, アスキー) は絶版のうえ訳も微妙なので薦めづらいが,原書The Unix Heritage Society (tuhs) で PDF が無償公開されているので,英語が苦にならないのなら読んでみるといい。

また同じく tuhs で無償公開されている Don Libes and Sandy Ressler『Life with UNIX』(1989, Prentice Hall)を読めば80年代終りの UNIX の状況(XENIX についてもしっかり言及されている)や利用者目線での雰囲気もある程度判るだろう。

哲学

記事で一番気になるのが「哲学」という語の捉え方。この言葉の強さに引きずられているように読める。でもこれ,当時は設計基本的な考え方くらいの意味でわりとよく使われていた言葉なんだよね。たとえば米 BYTE 誌のアーカイブを “philosophy” で全文検索するとこんな感じ。

https://archive.org/details/byte-magazine?query=philosophy&sin=TXT&sort=date

ほぼ毎号のように出現していたのが判るだろう。

もっとも猫も杓子も「哲学」を振りかざしていたわけではないし,UNIX開発者たちが「哲学」の語を好んで使っていたのも間違いないように思う。傍証の一つが AT&T定期刊行物『The Bell System Technical Journal』の1978年7, 8月号だ。元記事言及されているマキルロイの Forword の初出がこれで,ネットのアーカイブから PDF が入手できる。

この号は二部構成になっていて第一部が Atlanta Fiber System に関する論文12本(全172ページ),第二部が UNIX に関する(Preface や Foreword を含む)論文22本(全416ページ)となっている。さて前述の PDFOCR されているので “philosophy” で全文検索してみると8箇所見つかる。これが見事に全部 UNIX論文なのだ。もちろん論文性質もページ数も違うからこれだけで確定的なことはいえないが「日常的に使っていたんだろうなぁ」という推測は成り立つだろう。じつはマキルロイ哲学とされている部分は “Style” であり “philosophy” の語は一切使われていないというのもちょっと面白いUNIX開発者たちがなぜ「哲学」という語を好んだか正確なところは判らないが,それまでにない新しい考え方に基づいた OS を開発しているという意識があれば,そういう言葉を選ぶのが自然時代だったことは間違いない。

UNIX認知され拡がっていく過程で「哲学」も知られるようになっていった。自分が好むものの良さを他人にも識ってもらいたい,あわよくば他人もそれを好むようになって欲しいという布教活動は今も昔を変らないわけで「哲学」はその便利なツールとなったわけだ。元記事ではガンカースの著作を「外部の人間が後から打ち立てた哲学」と表現しているが,そんなたいしたものではない。マキルロイ論文に影響を受けた布教のためのああい説教は到るところにあった。たとえば前掲の『Life with UNIX』にもしっかり Philosophy の項がある。また日本最初期の UNIX 解説本のひとつである村井純井上尚司・砂原秀樹『プロフェッショナル UNIX』(1986,アスキー)には冒頭次のような一節がある。

オペレーティングシステムは,コンピュータを使うものにとっての環境形成する基盤であるから,そのうえで生活する者の個性尊重し,より良い環境へと作り上げて行く課程を支援するような素材を提供するソフトウェアでなければならない。この主張こそが,UNIXオペレーティングシステムとしての個性ではないだろうか。

 

    プロフェッショナル UNIX村井純井上尚司・砂原秀樹,1986,アスキー)p 3.

「より良い環境へと作り上げて行く課程を支援するような素材を提供するソフトウェア」とはテキストを入出力フォーマットとする単機能コマンド群のことで,これらをパイプでつなげたりシェルスクリプトでまとめたりすることで「そのうえで生活する者の個性尊重し」た「より良い環境へと作り上げて行く」ということだ。こういった説教はありふれたものであった。たんにそれを「哲学」の語を用いて書籍にまとめたのが,たまたまガンカースだったというだけのことである

そしてじつは UNIX場合布教活動とはべつに「哲学」を広めなければならない切実な理由があった。これを説明するのは非常に面倒くさい。当時と今ではあまりにも環境が違うのだが,その違いが判らないと切実さが伝わらないからだ。マア頑張ってみよう。

UNIX の利用環境

UNIXPDP というミニコンピュータミニコン)上に開発された。このミニコンを使うためには専用の部屋に行く必要がある。その部屋は,もちろん場所によって違うわけだが,マアおおよそ学校教室くらいの大きさだ。長机が何列か並んでおり,そのうえにはブラウン管ディスプレイキーボードを備えた機器が等間隔に置かれている。壁際にはプリンタが何台かあるだろう。通っていた学校コンピュータ室などと呼ばれる部屋があったならそれを思い浮かべればだいたい合ってる。ただし置かれている機器コンピュータではなくコンピュータ接続するための端末装置ターミナル)だ。端末装置キーボードで打った文字コンピュータに送られコンピュータが表示した文字がそのディスプレイに表示される。現在 UnixOSCLI を使うときターミナルとか xterm という名のアプリケーションを用いるがこれらは端末装置エミュレータで,もともとは実体のある装置だったわけだ。

さてコンピュータ室にたいていは隣接するかたちでマシンルームなどと呼ばれる六畳くらいの部屋がある。窓ガラスで仕切られたこの部屋には箪笥洗濯機くらいの大きさの装置が何台か置かれている。これがコンピュータ本体だ。もっとコンピュータが何台もあるわけではない。この箪笥CPU でそっちの洗濯機ハードディスク,あの机に置かれているタイプライタ管理コンソールといった具合に何台かある装置全部で一台のコンピュータになる。どこが〝ミニ〟だと突っ込みたくなるかもしれないが「六畳で収まるなんて,なんてミニ!」という時代お話だ。

端末装置それぞれからUSB のご先祖様の)RS-232 という規格のアオダイショウみたいなケーブルが伸び,マシンルームに置かれたターミナルマルチプレクサと呼ばれるスーツケースに台数分のアオダイショウが刺さってコンピュータとの通信を行う。コンピュータと多数の端末装置を含めたこれら全体をサイトと呼び,root 権限を持って管理業務を行う人をシステム管理者あるいはスーパーユーザと呼んだ。

結構上手に説明できたと思うのだが雰囲気は伝わっただろうか。ここで重要なのは一台のコンピュータを数十人が一斉に使っていたという事実だ。洗濯機とかアオダイショウとかは,マアどうでもいい。

自由不安定OS

当時の UNIX評価一言で表すと〝自由不安定OS〟となる。メーカお仕着せではなく自分好みの「より良い環境」を作りあげる自由さらに他のメインフレームミニコンOS に比べると一般ユーザ権限でできることが圧倒的に多かった。そしてその代償が不安定さ。今では考えられないが UNIX のその不安定さゆえにプロOS ではないと考える向きは多かったし「でも UNIX ってすぐ落ちるじゃん」というのは UNIX アンチ定番ディスりだった。UNIX の落とし方,みたいな情報がなんとなく廻ってきたものだ。

こういった雰囲気を鮮やかに伝えてくれるのが,高野豊『root から / へのメッセージ』(1991,アスキー)だ。当時アスキーが発行していた雑誌UNIX MAGAZINE』に連載されていた氏のエッセイ1986年11月から1988年10月掲載分までをまとめた書籍である。著者の高野氏は勤務先の松下電器1980年ごろから UNIX サイトスーパーユーザを務めており,日本では最古参の一人である。この本の中で高野氏は繰返し UNIX自由さと不安定さに言及している。すこし長くなるが,その中の一つを引用しよう。

CPU は,システムにとって重要な共有資源であるが,この CPU実質的に停めてしまうことが UNIXはいとも簡単にできる。たとえば,cc コマンド10個くらい同時に走らせてみたらよい。VAX-11/780 といえども,同時に実行できるコンパイルはせいぜい3つか4つである。それ以上実行することも当然可能ではあるが,他に与える影響が無視できなくなる。つまり,てきめんに viカーソルが動かなくなる。あるいは,すこし大きめなディレクトリ上での ls コマンドの出力が表示されるまでに煙草を1本吸い終えてしまったり,タイムアウトログインが撥ねつけられたりといったバカげた現象が起きだすのである。こういった状態になると,UNIX破壊されたに等しい。真夜中,独りで VAX を占有して使っているのなら何をやろうとかまわない。しかし,20人30人と多数の人間が使っているとき勝手をやられると非常に困るのである当人仕事が遅れるのは自業自得だとしても,そのとばっちりで他のエディタまで止まってしまうと,もはやどの仕事も進行しなくなる。

ディスクについても同様なことがいえる。UNIX では,ファイルシステムを使いはたすまで大きなファイル自由に作ることができる。したがって,自分プロセスがいったいどのくらいの容量のファイルを作り出すのか見当もつけられないようなアマチュアが使うと悲惨なことになる。ディスクを使いはたすと,コンソールタイプライターにエラーメッセージが出力されるが,夜中にそれが発生して,コンソールタイプライターが一晩中エラーメッセージを打ち続け,朝マシンルームに行ってみると紙を一箱打ち尽くしてしまい,ピーピーと悲しげな声を上げて人を呼んでいた光景を私は何度も見てきた。こうなると,それをしでかした本人のプロセスは当然のこととしても,同じディスクで走っている他のプロセスも先に進めなくなってしまう。すこしでも負荷を夜間にまわそうとする善意は逆転してしまい,わずかでも仕事を先に進めようとする意図完璧に打ち砕かれてしまうのである

 

    root から / へのメッセージ高野豊,1991,アスキー)pp16-17.

そして,こうした不安定さが「哲学」を必要としたのだ。自分が利用しているサイトに「cc コマンド10個くらい同時に走らせ」たり「自分プロセスがいったいどのくらいの容量のファイルを作り出すのか見当もつけられないようなアマチュア」がいるとその累は自分にも及んでしまう。だからサイト利用者全員に UNIX設計基本的な考え方を理解してもらうことが,自分のために必要だった。UNIX伝道がより苛烈だった理由ひとつがここにあるのだ。

ミニコン UNIX終焉

ミニコン上で誕生した UNIX は 4.3BSD(1986)で最高潮を迎える。注意したいのはミニコン時代UNIX は Research UNIXCSRG BSD みたいな区別をせずにまとめて UNIX として扱われていたことだ。実際『プロフェッショナル UNIX』も『root から〜』も UNIX記述されてはいるが実際には BSD を扱っている。べつに当時の人が無知だったわけではない。なにしろ BSD を利用するためにはまず AT&T から UNIXライセンスを購入し,そのうえでカリフォルニア大学バークレー校(UCB)から BSD を入手しなければならなかったからその関係は当然広く知られていた。ベル研発明された UNIX を外部の人たちも含めみんなで改良し,それら全体が UNIX であるという考え方が自然だっただけである。『Life with UNIX』のような英語の文献によく登場する “Berkeley UNIX” という言い回しが当時の気分をよく表している。UNIX vs BSD みたいな捉え方は法廷闘争を経た90年代以降の感覚だ。

もっともそういう70年代風味の牧歌的風景ミニコン世界限定の話であった。BSDのものミニコンのものしかなかったが,そのコードを受け継いだ BSDUnixAT&T推し進める System V などがワークステーション市場舞台80年代中盤から激しく覇権を争うようになる。いわゆる Unix 戦争で,PCUnix であるマイクロソフトXENIX も当然参戦した。ミニコン世界牧歌的だったのは,ぶっちゃけていえば先のない技術だったからだ。ただ Unix 戦争あくまでも標準という聖杯を争う戦いであり,AT&TBSDUnixSun Microsystems が共同で System V Release 4.0 (SVR4) を作りあげたように後の法廷闘争とは趣が違う。

こうしたミニコン UNIX からワークステーション Unix への転変は Unixのもの文化にも変化をもたらした。まず激しい競争Unix の高機能化を加速した。商品として判りやす惹句が「あれもできます,これもできますなのは誰もが知っている。もちろん安定性を増すために quota のような利用者自由制限する機能も含まれていた。またワークステーション Unix現在UnixOS と同様同時に一人が使うものであり前述の布教必要性は大幅に減じた。達人たちのみの楽園から万人に開かれた道具に変ったのだ。こういった変化を体感したければ『root から〜』と水越賢治『スーパーユーザの日々』(1993,オーム社)を読み比べてみるといい。『スーパーユーザの日々』はワークステーション Unixシステム管理入門書だ。この本ではたんに知識を羅列するかわりに架空ソフトウェアハウス(開発会社)を舞台新卒社員が先輩社員からシステム管理を学ぶという体裁をとっており,そのおかげで架空の話とはいえ90年代前半の雰囲気が堪能できる。出版年でいえば『root から〜』と二年しか違わない『スーパーユーザの日々』の落差は “dog year” と称された当時の激烈な変化まで体感できるだろう。

UNIX 哲学背骨

当時はよくいわれたのに今やほとんど聞かれなくなったものがある。マキルロイ論文結論部分に書かれたそれは,1973年出版されたイギリス経済学者エルンストシューマッハー著作題名で,中学生英語力があれば十分に理解できる平明な一文だ。

Small is beautiful.

マキルロイは『人月神話』を引いて一定留保をつけてはいものの,これが UNIX 哲学背骨であることに違いはない。機能をありったけ詰め込もうとして失敗した “kitchen-in-a-sink” な MULTI•csアンチテーゼである UNI•x にとって,これ以上のスローガンがあるだろうか?

ひるがえって現在UnixOS をみれば,ブクブクと肥え太ったシステムコール,全容を俯瞰するだけでも一苦労するライブラリインターフェイス,一生使うことのないオプションスイッチまみれのコマンド群。UNIX仮想敵とした OSのものだ。そのことについてとくになにも思わない。ハードウェアは長足の進歩を遂げ,コンピュータの応用範囲は途方もなく拡がった。UNIX が変らなければたんに打ち棄てられ,歴史書を飾る一項目になっただけだ。ただ現在UNIX 哲学」を語るならそうした背景は理解していなければならないし,どれだけ繊細な注意を払ったところで〝つまみ食い〟になってしまうことは自覚すべきだ。

2022-06-09

逆に海苔カレーってないよな

何が逆なのかよくわからんが、日本人コロッケだのチーズだの生卵だの色んなものカレーに乗っけて食べるのに、なぜか海苔をのっけたカレーライスって見たことがない。ココイチタッチパネルケーブルをつないでOSrootを取ったら裏メニューで出てくるのかもしれないが、少なくともよくあるメニューではないな。食べた人いると思うんだがどうなんだろうな。

ついでに書くと刺身カレーは不味かったのでおすすめしない。

anond:20220608141420

2022-05-10

rootって入力して2回Enterを押すとルート権限取れちゃうのも最先端UIであるが故

不具合ではないのだ

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