はてなキーワード: 魔女とは
近年のTVアニメのアフレコって相当前、それこそ1年前に終了(※)してるようなのも多いと聞くが、水星の魔女は放映中もアフレコ続けてるのね
※
@kotobuki_PR
第12話、ご覧いただきありがとうございます!
(以下略)
@_KAWAIKENTARO_
緊張しながらも精一杯頑張った
この「3話」をやっと世に送り出せる。
(以下略)
https://twitter.com/_KAWAIKENTARO_/status/1529044439716737024
@maerchen_anime
(第11話)延期中に11話&12話は実は絵コンテから修正しました。アフレコは1年以上前に実施済でしたが今年3月に日本校やアガーテなど一部キャスト様に追加アフレコにご参加頂きました。皆様有難う御座いました! #メルヘンメドヘン #at_x
https://twitter.com/maerchen_anime/status/1122431795587244032
花江 夏樹
@hanae0626
本文では、弱者男性とミソジニーに関連性が見られる理由について考察した上で、弱者男性に対してある提案をする。(なお、ここでは、「弱者男性」の定義は恋愛において女性から選ばれにくいヘテロシス男性とします。)
※この文章では、ミソジニストはどのような考えでそうなるのかについて考察する部分があるという都合上、ミソジニー的な思考を正当化しかねない部分があります。男性恐怖症の方などは即ブラウザバックすることをおすすめします。
※本文中では弱者男性個人の心のあり方を批判的に検討していますが、これは弱者男性の境遇が完全に自己責任だという立場に私が立っていることを意味しません。社会的に弱者男性の情緒的問題や、そこから派生するさまざまな問題に対応するべきと私は思っています。
まず、ここではミソジニーの定義を「女性の自由・主体性を認めない/限定する」こととします。例えば、「女は男に比べてバカである/判断力がない」という主張は、「だから女に与える自由は限定すべきだしその分保護しなければならない」にすぐにつながるのでミソジニー的な主張と言えます。また、「女は男に比べて悪人が多い」というような主張も、「女に与える自由は限定すべき」に繋がるのでミソジニー的です。
さて、少なからぬ男性、時には女性までもする主張があります。それは「男が女を襲うのは(特定の条件が揃いさえすれば)自然現象のようなものであって、男を責めることはできない」です。もちろんこんな世界観は私から見ればミソジニスト・ミサンドリストの妄想もいいところですが、今回はそのミソジニストの妄想こそが語るテーマですので、深掘りしていきましょう。
まず、この「男が女を襲う」という「現象」を引き起こしているのは、ミソジニストに言わせれば女性です。女性の方が誘っていて、男性がそれにしばしば抗い切れないから襲ってしまうらしいです。もちろん本当に女性が誘ったケースもないとはいえませんが、ミソジニストの感覚として、「たとえ主観的に女性が『私は誘っていない』と思っていたとしても実際は誘っている場合が無視できない数ある」というものがあると思います。
誘うという行為は主体的であるにもかかわらず、女性が意図せず男性を誘ってしまうとはこれ如何に。しかし、この現象は「魔女」という概念を考えるとよく理解できます。
ここからはしばらくミソジニストの妄想の中の話になります。念のため、これは筆者の考えと違うという元を強調するために引用の形式にします。
ミソジニストの考えでは、一人の女性のうちに、その人の表向きの人格(以下「人間」とする)と、「魔女」の2つの存在が同居しているのです。
この「魔女」は男性を自身の性的魅力によって狂わせるのが目的です。何か「人間」自身が得するように男性を騙したいとかそういう打算的な話ではなく、「魔女」にとっては男を弄び狂わせることこそが存在目的なのです。ミソジニストに言わせれば、女性は意識の上では自分が100%「人間」だと思っているけれど、その実は心の中に潜む「魔女」に多大な影響を受けているのです。
「魔女」は性的に飢えている人間を狂わせるためならなんでもします。例えば、受けたら社会的に死ぬような「誘惑」をしてみたり、あるいは弱者男性を嘲笑うために街でこれ見よがしにカップルで歩いてみたり、モテない男をいじめたりします。これらの行いは、全て性的に飢えている人間を狂わせるというただそれだけのためのものです。(あるいは、それによって自分の性的魅力の高さに陶酔するためかもしれません)
「魔女」によって狂わされることから逃れるためには、恋人を手に入れるしかありません。ここでいう「手に入れる」とは、単にある女性と恋人関係になることにとどまらず、その女性を支配する、ということです。カップルで男女対等な関係にでもなれば、「魔女」に狂わされそうになった時に対抗できないかもしれません。「魔女」は見境ないので、時に恋人にすら牙を剥きます。男性にとって「魔女」の影響を受けずに済む状況というのは、自分より立場が下の女性を緩やかに支配すること以外にありません。これによって、たとえ恋人以外の女性の中にいる「魔女」に狂わされそうになったとしても、代わりに従順な恋人とセックスすれば「魔女」の誘惑から逃れることができます。
「魔女」は全ての女性の中にいます。そして、性的魅力が高い女性の持つ「魔女」ほど人を狂わせる力が高いです。(ある意味当たり前ですね)
そして、多くの女性はこの「魔女」の存在に気づけません。自分の判断が「魔女」に影響されていることに気づかないままです。あるいは気づいても、それに抗って「人間」としての行動をすることなく、「魔女」の命ずるままに男を狂わせることに快感を覚えます。なので、意識で考えている欲求と実際無意識下で抱いている欲求にすごく大きな差が出ます。これはすなわち女性は男性よりも自分は何をしたがっているか判断する能力がないままに「魔女」という恐ろしいパワーを持っているわけです。こんな存在を野放しにしたら災いが起こる。現に弱者男性なんて「魔女」による災いを一番受けている立場です。
さて、これでミソジニスト、とりわけ「下から目線」「弱者男性」のミソジニストの世界観を、それ以外の人たちにもわかりやすく伝えられたと思います。
もう、まず「全ての女性の中に男を狂わせることに快感を覚える『魔女』がいる」というような考え方からして陰謀論臭さを感じます。なんというか、自分がたまたま女関係で狂っているからと言って、「自分が狂ってしまっているのは自分が狂うと得するやつがいるからで、それが女だ!」というのは、端的に粗雑な思考と言わざるを得ません。というか、自他の区別ができてない。
また、「男が女の性的魅力と接して狂う」という状況を、100%女の責任にしているようなところもいただけません。ぶっちゃけた話、女性がフェロモン放ってるのも、男性がそれに魅力を感じるのも(それ自体は)自然現象であって、その時点で特別誰が悪いとかはないはずです。で、その上で男性は市民として生きていく上で日頃理性で本能を抑える必要があります。それが人によって難しい、という話はわからなくもないですが、それは人類の理性や社会制度が全然進歩していないことが原因であって、「女性の中に魔女がいるから」悪くて、女性の自由を制限して男性が女性の上に立てばいいという話ではありません。
要するに、この種のミソジニーの弱者男性は、本来社会制度の未発達(もちろん、社会を作るのは社会の構成員全てなので、そう言った意味で女性の責任が皆無とは言いません)と自分の理性の未発達が原因であるはずの問題を、なんだかよくわからない女性の中にいる「魔女」のせいにしているのです。そして、その「魔女」は自他の区別ができないがためにミソジニストが作り出した幻影です。
さて、ミソジニストを狂わせているのが女性の中にいる「魔女」ではなく、未発達な社会制度と自身の理性の欠如だとわかったことで何が変わるでしょうか?
女性とコミュニケーションを取る際に、女性を恐れなくて済みます。「魔女」の世界観でいえば、女性は(無意識に)あなたを狂わせることを望んでいるわけであって、あなたが悪戦苦闘すればするほどにっくき「魔女」の思う壺です。だったらいっそ「復讐」してやる、とばかりにセクハラなり痴漢なりレイプなりに及んでしまえ、のような発想になるかもしれません。しかし実際は「魔女」はいないので、あなたが適切な振る舞いができるかどうかは単にあなたの損得の問題です。誰もあなたの内心を覗いて嘲笑ったりしていない、というわけです。
もちろん、全ての「弱者男性」問題がこのような被害妄想であり、「弱者男性」の意識改革だけで解決する、などとはいいません。しかし、少なくとも、ミソジニストととなる「弱者男性」には大きな認知の歪みがあることが多いのではないか、その認知の歪みに見られる共通点はなんなのか、と考えたところ、このような結論に至りました。
理解してないんだよね。
問題のあるパクリってのは魔女の守り人の「無意味に血が出るまで指を噛む」みたいな奴を言うわけ。
物語上必要性もなく、元ネタの意味も理解しないままぶっ込んでいるから浮いているシーン。
そういうのは「パクリじゃん」と言って言い。
というより、「パクリ」が問題なんじゃなくて「つまらないよね。何故なら何も考えずにパクっただけなので」だけが問題なわけよ。
ぶっちゃけアイディアなんて既に出尽くしていて、その中でたまたま上手に調理した人のが鮮烈に時代に残った結果それが最初に思いついた人に見えるわけ。
今年の夏に完結したガンダムGのレコンギスタは本体と合体分離する戦闘機があった(なにせ劇場版1のサブタイトルがその名を冠した「行け!コア・ファイター」)
いろんなパターンがあって、なんでガンダムシリーズにしなければならなったのか、
独立したアニメシリーズでもいいじゃないかという作品もあるが、
ガンダムという大きなジャンルの中で何の意義があるのか、そういったものをまとめてみた。
機動戦士ガンダムに連なっているニュータイプの物語と、作品世界の続きを描いた
シリーズを通して重要人物であるアムロとシャアの決着をつける。今までの作品の最終回的な位置づけ
最終回を迎えたが、新たな時代で彼らの子孫たちはどう生きていくのか、ニュータイプたちはどうなっていくのかを描こうとした
更に時代が先に進み、ニュータイプやスペースノイドたちが当たり前になった時代の新たなガンダム
宇宙世紀の設定が熱くなったので、今までのメインキャラたちとは違う、市井の人やオールドタイプの兵士、各作品のミッシングリンクを埋めるサイドストーリーとか、そういった需要にこたえていった。
ガンダムが難解に、そしてガンダムと言えば宇宙世紀という固定化されてしまった観念を壊すために作られた。だが一方で自然や戦争などガンダムの根底にあるものを新たな解釈で視聴者に訴えることで、ガンダムの地平線を広げた。
宇宙世紀というしがらみを無くして、戦争を描きたかったことと、すでに老害になりつつあるガノタ以外のファンも取り込みたかったと思う
多くのガンダムが増えてしまったが、再び壊しそれを再統合しようとした。ガンダムと言えば近未来という固定観念を破壊し、かなりの未来と斜陽文明を描くことでガンダムの地平をさらに広げた。
富野作品のガンダム :ガンダムとMSを解体して、人間賛歌を描きたい。舞台装置としてのガンダムを解体して可能性を広げたい。
GP01の名前が有名。ガンダムのOVAである0083(初代ガンダムの3年後)の主人公機。新型開発計画において初代ガンダムのネームバリューやコンセプトを図々しくも借りて「ガンダム開発計画」と名付けたプロジェクトの1号機。ガンダムだ。
ガンダムシリーズの2作目。古い。
作品ごとに新型が登場し大抵の場合はその中に1体はガンダムがいる。つまり作品の数だけガンダムが増えると言っていい。ただし「多くのものが知らないモブ兵士達による戦い」が舞台だと主人公機がジムタイプだったりする。
ガンダムの量産型廉価版。ガンダム開発時の歩留まりたパーツをかき集めて作った一級品のパチモノ。陸上でしか戦えない上にコアファイターで脱出も出来ない。ジムよりは遥かに強いが使ってるパーツが規格落ちなのでガンダムには劣る。兄より劣る不出来な弟というだけでガンダムだ。
セガサターンのゲームの主人公機。陸戦型ガンダムをベースにした改造機。当然陸戦型ガンダムよりは強い。特殊システムを搭載する関係上頭部パーツが一新され、アンテナのないジムっぽい外見になってしまっている。青いジムと呼ばれれることも多いが、ガンダムだ。
OVA08小隊の主人公機。元は陸戦型ガンダムだったが、一度大破したあとにジャンクパーツやジムのパーツを組み合わせて大幅改修された。Vアンテナをへし折られた代わりにつけたアンテナのせいでこちらもちょっとジムっぽい頭にされてしまっているが、ガンダムだ。
Zガンダムに登場するリック・ディアス(γガンダム)。上記のガンダム開発計画で得た技術を基に開発され、素材にはガンダリムγなるガンダリウム合金のパチモノを使って作られたMS。γガンダムという名前であっがパイロットであるシャア(クワトロ)が別の名前にしろと要望したことでリック・ディアスと改名された。元々ガンダムなのだから当然のようにガンダムだ。
閃光のハサウェイに登場するライバル機体。主人公機Ξ(クスィー)ガンダムの兄弟機。原作の小説では必死にガンダムでないことをアピールしていたが、いつの間にかオデュッセウスガンダムなるガンダムがペーネロペーユニットを装備した機体という設定になった。こうなってはもうガンダムだ。
閃光のハサウェイの主人公機。「Ξガンダム」の読み方はクスィーガンダムとされるのが一般的だが、映画のハサウェイの発音だと「クシー」である。ただ「Ξ」を変換したいだけなら「くさい」と打つのが一番楽。くさいガンダム。ペーネロペーと違いこちらは最初からガンダムだ。
Ξガンダムのパイロットであるハサウェイ・ノアはブライト・ノアの息子。一年戦争の出世頭の息子という立場でスクスク育ち、悪名高きカツ・コバヤシに匹敵する調子こき男となる。今では立派なテロリスト。親の七光りが強すぎると人間歪むものである。決め台詞は「人の犯した過ちはマフティーが粛清する!」
なまじ知識があると「フルアーマーダブルゼータ」と呼んでしまうのだが、これで「ファッツ」と読む。ガンプラの雑誌企画「ガンダム・センチネル」にて登場。外見はほぼ白一色のフルアーマーZZ。ただし装甲はパージ出来ない上に色々とお安く作られており変形も出来なかったりと色々劣る。ZZのハイメガキャノンの1.5倍の強さを持つハイパーメガカノンなるクソデカ武器を持っているのが特徴だが、それを発射するだけの装置とさえ言われることも。なにより凄いのが頭にハイメガキャノンは付いているが見かけだけのダミーということ。一見するとガンダムにしか見えないコイツが実はガンダムでないというのが、ガンダム認定のややこしさを加速させる。コレジャナイ。
SEEDに登場するガンダムは起動させるとOSに「General Unilateral Neuro - link Dispersive Autonomic Maneuver」だったり「Generation Unsubdued Nuclear Drive Assault Module Complex」の当て字が表示される。これが表示されるかどうかがSEEDにおけるガンダムかどうかの切り分けである。外伝に登場するスターゲイザーは名前こそガンダムではないがOSには「Guider UNmanned Deployment Autonomic Manipulation」が表示される。ガンダムだ。
「目が2つついててアンテナはえてりゃマスコミがみんなガンダムにしちまうのさ!」というセリフがクロスボーンの作中にある。初代ガンダムの角がアニメでは白なのに、何故か黄色く塗られていることが多いというネタも混じっていると思われる。どっちが正解なのかについては「最新の映像作品が正史」というルールに従うの無難。
最新作「水星の魔女」のヒロインの父親。自分の都合で「ガンダムだ」「ガンダムではない」を使い分けるとされる。この増田のような話題になったら「ガンダムだ」「あれはガンダムではない」をとりあえず言ってみよう。面倒くさい人達が早口で解説してくれるかも知れないぞ。
劇場版ガンダムWエンドレスワルツの名台詞「五飛、教えてくれ……俺たちはあと何人殺せばいい?俺はあと何回、あの子とあの子犬を殺せばいいんだ……ゼロは俺に何も言ってはくれない……教えてくれ、五飛!」が混じっている。ゼロはウィングガンダムゼロのこと。ちなみにガンプラやゲームでよく登場するウィングガンダムゼロカスタムという機体は存在せず、プラモやゲームで利便性のために使われている「あだ名」のようなものである。劇場版のウィングガンダムゼロはアニメ版のウィングガンダムゼロと「設定上」同じ機体なのだ。あくまでカメラ映りが滅茶苦茶よくなりすぎてベツモノに見えるだけの同じ機体である。「再現VTRにおける演技者が違っても歴史上の事実は変わらない」といった解説がよくされる。平行世界のガンダムWではストーリー全く一緒だけどガンダムに羽が生えているんだなと理解しよう。まあ漫画でいつの間にかキャラの体が伸び縮みしても体重・身長の設定は変わらなかったりするし創作物はそういうもんだよ。ガンダム認定もそういうもんだよ。