はてなキーワード: 運動とは
これ系の話題、絵柄割れ厨とかを使えちゃう程度の歴やリテラシーでもなんらかの絵の仕事をしたことがある感じの絵師様ってすげえ大量にいるんやろなぁって感想しかない。
ある程度やっていくと現時点の自分の絵柄とか、量産されるような絵柄を描ける事によって得られる仕事の新規依頼が減るだろうことなんてクソほどどうでもいいと大抵の奴は自然に気がつくことと思うけど、そういうとこまでいかないSkebかなんかが主戦場みたいな奴らがジリ貧確定の闘争をしとるんやろなって感じ。
現時点でも、まともな職業が絵描き関連の奴の大半は楽をするために使えるもんは使っていく、そこで楽ができた分を他の要素に注ぎ込んでクオリティアップを目指すって方向を考えているように見える。
しかし、現状だとどうしても、望む出力を得るには描いた方が早い状況にしか見えないので、まともな絵描きのまともなAIの作画活用法が提示されず、木っ端絵師のラッダイト運動みたいなやつがくっそ目立つ。
キャラ絵は自分で描くからもう十分、そろそろ、絵描きが描くのを面倒くさがる背景やら風景やら小物やらに特化したイラスト生成AIが登場して欲しいものである。
親が認知症の傾向が現れてきたので、実家に戻って同居をはじめた
最初は家でぼけーっとして料理も洗濯も出来ない状態だったのだが、私が戻ってきてとりあえず介護認定受けさせ、デイサービスに通わせながら掃除!風呂!飯!ゴミだし!買い物!と
こき使い、5分に一回は同じ事聞いてくるのにも根気よく答え、「あなたは役に立ってるよ自慢のママだよ、だいじょうぶだよ、迷惑じゃないよ」ということを根気強く教えていたら今はとりあえず
料理も洗濯も全部出来るようになった。デイサービスの力もでかい。家だとうだうだ言ってやらない運動をデイサービスはやらせるしご飯も食べさせてくれるし風呂も入れてくれる
隣町に親戚が住んでいるが、子供は男二人女一人、県外に出ており定年しているが戻ってこない。妻も旦那も子供もいるしまああちらにも生活があるんだろうから仕方がない
仕方がないが、結局親戚はすごい勢いでぼけた
母が認知はじまったときには元気だったが、変な電話をかけてくるようになり何度か見に行ったら明らかにこれは認知だおかしいだろってなった
当然子供達には電話して何度か見に来たが、遠距離のため普段から見ているわけではない
親戚は子供に迷惑をかけたくないのでそもそも連絡をしていない、うちに電話してくる
親戚が家で倒れたときも入院したときもなにしたときもあれしたときも全部全部世話をしたのは我が家である
子供達に連絡しても「すみませんすぐ行きたいんですが週末まで動けなくて」
そりゃそーだろーよ、理屈はわかるよ
でもてめーらでどうにかしてくれよお前の親だろ?????
いくらこっちでなんとかしようにも親戚だと出来ないことも多いんだよ
なんでこっちが徘徊した親戚を探して夜通し探さなきゃいけないんだよ、東京から帰りたいけど時間がとかうだうだうだうだうだうだうだうだうだ
そしてたまに帰ってきて一日親戚の世話をしてやりきった!とばかりに帰っていく
と、怒りをつい零したがまあしょうがない
親戚の子供達はふつーに就職し結婚し子供が出来、家を建て、というリア充である
私のように結婚も子供もできずに年取っただけのババアとは違うんだろう
でも実際親が年取った時一番身軽に動けるのって独身の子供なんだよな、散々若い頃馬鹿にされてきたけど
うちの親が私と同居してみるみる回復していくのと裏腹にうちの母より元気だったのに、あっというまに認知が進みまくり徘徊してしまった親戚を見ているとやっぱり大きな違いは見守っている家族がいるかどうかに限ると思う
認知症は自分でも不安なので家族にあれこれ質問したりするがその相手がいないと不安がそのままになるので認知は進む
認知症の人は「自分は役に立っていないかもしれない」という不安をいつも抱えているので自己肯定感がどん底、それを「大丈夫だよできてるよすごいよ」っていう声が近くにないと認知は進む
結局親戚はどー考えてもこれ老人ホームだろうなっておもうレベルまで悪化しているけど、子供一人でも実家で同居するか引き取れば違ったんだろうな、多分今も元気だっただろうなって思うと切ない物がある
実際会社でも、妻と別居して母や父と同居してる定年間際のおじさんけっこういるんだよね。死ぬまでは一緒に住むらしい。そういう家はいい感じに年をとって看取ってる
結婚して子供を作って、家を出て親を捨てていくのはまあ人間の姿として正しいんだろうが、私らはあっという間に衰えて認知が進む親戚しかみてないのでどうもかわいそう感がぬぐえない
親戚は子供達がたまにきて孫の顔見せてくれたらそれでいいんだろうけど、近所の親戚に介護丸投げして、「自分たちの生活があるから」とかいって親を見捨てるのを当たり前の様な風潮、誰か被ってる奴らがいると知って欲しいわ
いつになるのやら
娘の運動会には毎年必ず参加する。
私が娘の帽子をもらって入場門の列に並ぶと、周りは誰かの父親ばっかりだった。応援席では誰かの母親が頑張れって応援してて、児童席では私の娘が真顔でこっちを見ていた。私は元々運動は得意では無いので、保護者競技は余裕で最下位だった。
退場列の中で、他所の家庭の声援を聞きながら、ふと、ここに夫がいれば良かったのに、と思ってしまった。
「(生きて)いれば良かったのに」に高速変換される。そして「もういない」と続く文章を自覚した瞬間に、突然いろんな言い訳と後悔と思い出がどばどば溢れてきて涙が止まらなくなった。
肩凝りがやばいって笑う夫に湿布を貼ったこと、なんてマヌケなんだろう。コロナ禍なんて気にせず病院に連れて行けばよかったのに、せめて私がもう少し早く仕事から帰っていれば良かったのに。
救急車の赤いライトが眩しかったこととか、病院のよくわからない部屋の前で立ち尽くしたこととか、喪服代わりの黒いワンピースを着た2歳の娘とか、お寺の手配とか、元義両親との今後の会話とか
夫と過ごしたなんでも無い日のこととか、
一瞬で色々なことがフラッシュバックした。
四十九日の時に元義両親から「あなたは強いね」と言われた。ずっと取り乱さず、落ち着いていたね、えらかったね、と。元義母が泣きながら「あなたみたいに強くなりたい」と私に言った。私はずっと呆然としていた。私が落ち着いているように見えたのは、彼が死んだ実感がずっと無かったからだ。ずっと他人事のようで、現実から目を背けて、淡々とふわふわとしていた。でも何故か体重は12kgほど落ちていて、実の両親は私を見て何故か泣いていた。
そして約3年後の今、娘の運動会で保護者競技後に、私は何故か死ぬほど取り乱している。
夫のことは、もうどうにもならないとわかっているはずなのに、涙が止まらず、目の奥で水風船が爆発したみたいだと思った。
たぶん私は自分の地雷を自分で踏んでしまった。それも娘の保育園の保護者競技の退場列の中で。よその家庭と自分の家庭を無意識のうちに比べ、夫がいない実感に自爆した。
運動会の帰り道、首から金メダルを下げた娘に、「○○ちゃん、はしるのにがてなんだね」と言われて、ごめん、と謝った。べつにいいけど、と娘が返す。
娘は、夫が死んでからしばらくして何故かママと呼んでくれなくなった。私をママと呼ぶ人は少数派だからか、私の実両親や実姉のように、私を「○○ちゃん」とあだ名で呼ぶようになった。あだ名で呼ばれる度に、この子にかけた心労とこれからを考えると地味に辛くなる。娘はもう父親を覚えていない。
元義両親との会話を思い出す。
元義両親とはまだ仲が良くて、「20代で、まだ若いんだから、」と再婚を勧められる。
元義両親はずっと優しい。本当に私の人生を思ってくれていて、早く再婚した方が良いと言う。けれど、もうその話をしないで欲しいと断っている。死んだ人の代わりを探すなんて、宝物の無い宝探しみたいだと思う。こんな発想しかできないから、このままでいるべきだとも思う。
保護者競技の写真、走ってる時の私の顔が必死過ぎて、本当に不細工だった。展示するのをやめてくれと思った。
買った写真を見ながら娘が「⚪︎⚪︎ちゃんがうんどうかいにきてくれてうれしかったんだー」と言う、言ってくれる。それが、本当に自分勝手な自惚れだけど、救われる。私も嬉しかった。
当方30過ぎの女。
"年齢=恋人いない"なのは当然で、だからそういったことにも経験がない。
そのため初セックスは挿入ができたぐらいであとはグダグダ。正直ここまでセックスが難しいものとは思わなかった。
例えば騎乗位。
私が旦那に股がり上下運動を…って、難しくない?というか体力使いすぎでしょ…
確かに気持ちいいなとは感じられたけど、それも最初のうちだけ。次第に中腰が気になり腰も膝もきつくなってくる。
こんなんただのスクワットですやん…
旦那も正常位が下手で、なんだか動きがおかしい。具体的にはスムーズではないというか…
餅つきに例えると、普通はペッタンペッタンペッタンペッタン…とこんな感じだと思う。
でも旦那の場合はペッ タン ペッ タン ペッ タンみたいな感じ。
セルの枚数少なくて飛び飛びに見えるアニメみたいな、そんな感じ。
リズムも取れてないし、だからある日思いきって遠回しに聞いてみると昔から音痴らしく、リズムをとるのが苦手らしい。
現場職です。言わせてください。マジックで●●小学校って書いて体育倉庫とかに入れておけばいいとか、扱いは他の運動用具と一緒でいいという意見があったのですが、寄付されたものを最初からそんな風に扱う訳にはいかないのです。
運用がある程度落ち着いた状態でなら他の運動用具と同じ扱いということでいいかもしれませんが、今回は著名な方からの寄付ということで、学校の保護者だけでなく世間的にも耳目を集めています。
初動を誤ってうっかりした対応をすると炎上や厄介なクレームを入れられる可能性もあります。子どもも保護者も何百人も集まる学校では様々な背景で様々な考えを持つ人で成り立っていて、必ずしも話のわかる方ばかりではありません。
ですので寄付されてから運用が落ち着くまでのごたごたが今回は想像に易く、小学校はおそらく全国的にも普段から人手不足で切羽詰まっている状況ですのでこんな話も出てくるのです。
〘名〙 政治家または政治に関与する者の社会。政治に関する方面。政海。
※舞姫(1890)〈森鴎外〉「昔しの法令絛目の枯葉を紙上に掻寄せしとは殊にて、今は活溌々たる政界の運動、文学美術に係る新現象の批評など」
そんで「政治の世界とか」で言葉をみて「政治の世界」がメインでもないって主張してるやつを擁護してるわけだろ?
キチガイすぎるって。
「政治の世界」って一回調べてみてくれ、出てくる中で「腹の探り合いや駆け引きが生じうるすべての人間関係において」って意味のやつを探してきてくれ。
20km以上歩いた時はよく眠れたが軽い運動だけじゃダメみたい
やっぱカフェイン要りそうだけどカフェイン摂るとさらに寝つき悪くなるからなぁ・・・
ゲームやらなかったのがいけなかったのかしら
よっぽどビタミンなどが欠乏するような乱れた食生活してたらまだしも、普通の食生活でそこまで不足するようなことはないものね。
もしそこまで乱れた食生活をしていたなら、食生活以外の面(睡眠衛生や運動など)も疎かになっているだろうから、さらに交絡因子が増える。
今日、武蔵小杉駅で、走るな、歩け、って立ちんぼ声かけ運動やってて。
駅構内は歩きましょう、ぐらいの呼びかけならまあわかるんだけど、
走ってる人見つけて、「走らないでー!!走らないでー!!!」ってずーっと叫んでるんだよね。
歩かせたいなら、連絡通路短くして混雑度合い下げろ。
中学も後半なら個々人の身体学力の限界値がどんなもんかだいたいわかってくるんじゃないだろうか。
半端に選択肢を残すよりはもういっそ分野を絞った進路を提案して夢見ても確率的に無理だと言い与えたほうが無駄な不幸は減ると思うんだ。
なぜこんなこと考えたかというとあるバーで競艇選手になった人の話を聞いたんだ。
どうやってそんな道を選んだかと聞いたら、中学から進路を選ぶ時点で決めたのだと。
体も小さいし運動も得意じゃないし勉強も飛びぬけてできない、でも競艇選手なら体の小ささは有利だし運動も勉強もやることは絞られる。
上手くタイトルを取れば普通に働くよりはよっぽど稼げると考えたそうだ。
迷走も悪くはないが身体能力は分かりやすいんだから中学の時に示して将来判断の材料にさせたほうがいいと思う。
まだ伸びるなんて下手に夢持たせない方がいい。
スクワットやった後にやたら膝が熱いなと思ってたら、次の日膝が痛くなった。
一日経っても治らないんでこれはしばらく筋肉体操中止だな。最低2週間は。
そして2週間も休んだ後にまた同じように筋トレ始められるとは思えないので、おそらく俺の筋トレはここで終わりだ。
三か月ぐらいやってようやく階段上るのが少し楽になったような気がしてたのに残念だ。
じゃあほかの筋トレはしないのかという話だけど、どっちにしろ運動中に膝の痛みが気になって集中できないので。
やってたのは以下のものでもし再開することがあったらナローとスプリットは絶対やらんことにする。ナローは特にヤバい気がする
あともう膝の痛みで調べたら、なんか、運動しなさすぎなのが原因とか出てきてわけわかんなかったわ。
スクワットとかも入れるとそれっぽいのは出てくるが、今度は手術がどうとかそれでも直るかわからんとか、カテーテルがどうとか。
関節痛は筋肉痛と同様に時間経過で治るものではなかったのか…?手術は特に訳が分からんが。