はてなキーワード: 負け組とは
20年ほど前、1996年から2000年の間くらいに日経新聞か自動車雑誌経由で知った気がする。誰が使い始めたんだろう?
Amazonで検索するとそれ以前1980年代は麻雀本か競馬本のタイトルとしては使われているのが確認できるね。
NDL-OPACでの検索では1997年8月にビジネス関連でそういうタイトルの本が急増している。その中には影響力がありそうな大前研一の名前も見える。このDBでは1997年3月の雑誌「実業界」中の「勝ち組,負け組が明確化する激動の97年は投資チャンスだ--日興証券編」という記事が最初だが、Amazonでは1996年にも2冊の「勝ち組ビジネスマン」本がひっかかる。
「勝ち組負け組 由来」でググると、ブラジルの日本人が第2次大戦での日本の敗戦を信じるかどうかで、日本は勝ったと主張する組と負けたと主張する組で分かれたのが由来だと表示される。
ただ、自分個人の記憶としては、20年前に読んだ麻雀漫画のセリフが最初だ。
「勝者・敗者」という言葉は前から知っていた。「者」は単数形だけでなく複数形でも使えると思う。
しかし、この「組」という言葉は、複数形の意味はもちろん、ある基準でのまとまり、それも一時的ではなく固定化したまとまりの意味もあると思う。
その意味で、「勝率が悪い人たち」を表す「負け組」という言葉は絶妙だ。
だから自分としては「勝ち組・負け組」はギャンブル用語として認識していた。
だが、やがて一般でも広く用いられるようになった。自分はそれがずっと嫌いだ。
ギャンブルならば、評価基準は単一だから勝率を気にすることは重要だと思う。
もっとも、自分がこのように毛嫌いするのも、もともとはギャンブル用語だったはずだと考えているからだ。
自分が負け組に分類されると、「戦略や理論に誤りがあるのに、それに気づかず直さず、漫然と負け続ける愚か者」として痛烈に批判されていると感じてしまう。
「勝者」という表現ならば、その以外の人々は「敗者」もいれば「競争を継続中の人、再挑戦をしている人、また、そもそも競争に参加していない人、関心がない人」もいると想像できる。
しかし、「勝ち組・負け組」では必ず二分される。不本意な評価基準での比較に強制的に参加させられる。そのように感じてしまう。
ただ、はじめから一般用語として認識している人なら、もっとゆるいイメージなのかもしれない。
「勝ち組」も「勝者」も大差ないのかもしれない。
経営者側からしたらそれが正しいのかも知れないが、そもそも前職より大分賃金を削られていたのが自分にはネックだった。それが自分への評価なのかと思うと虚しかった。教育した社員は二名、ほぼパワハラに近い物で辞めた。プロジェクトの都合で異動させられた社員もいた。少なくとも覚えている限りで二名。
毎回状況を報告していた。「報告の仕方が悪い」と上司に責められる。最早味方は居なかった。同僚に近い人間は、顔中に発赤が出来て居た。その状態で明るく笑っていた。異常だと直感した。
そんな横暴の中で会社の為に自分を保てと言われるのは心外だな。
それから遠方での勤務の為に一人暮らしするつもりが、親族に強く引き留められままならなかった。そうする内に疲労が重なり体調を崩して親にも退職を勧められたんだよ。何度か面談を繰り返した結果「元社員に自殺した者が過去にいた」と暗に仄めかされた。
勿論、多少の後悔はあるからこれを書いている。
私は今の日本が嫌いだ。リーマンショック以前はアメリカよりも大嫌いだった。しかしそれでも世界3番目の大国。この国がしっかりしなければ、先進国の足並みをそろえて衰退への道に歯止めを掛けることはできない。そこで、私なりの「日本再生プラン」を考えてみた。
まず必要なことは資本至上主義発想の解体だ。良く言われているように、今の日本の諸問題は資本主義の暴走にあって、それに歯止めをかけるものがない。これは良く言えば一時期のアメリカに匹敵する経済構造を支えていた。
しかし今の日本では、資本主義が国家の味方というわけではない。むしろ弊害が増えていて、公務員でも資本主義を嫌悪する人も多い。そんな彼らからすれば「資本主義カースト上位」もモンスター思想家と同じくらい嫌悪すべき存在で、結果的に資本主義を活かしたプランが嫌われる傾向がある。
かつて大きな資本主義が必要だったのは日本の社会そのものが未熟だったからでもあるが、今の日本社会は成熟している。要するに社会主義的な考え方が導入・実践されており、たとえば高度な社会保障が持続化できるようになっている。
欧米各国で広まっている社会主義運動の流れを艦みて、日本はこの際、もう資本主義の拡張を諦めるべきではないか。勇気ある行動で示してほしい。資本主義社会も社畜思想もどうみても同じ側の存在であることは明白だ。旧来型の資本主義思想ときっぱり決別し、社会主義との共生への道を示すことを鮮明にすれば、国民は「日本は変わったな」と評価するはずだ。
日本国民はまとまりがなく「烏合の衆」とされていた。もともとが学生運動崩壊後にノンポリがごった煮になった国民なので、内心極左だった人もいれば極右もいる。その節操なさが日本国民の強みとも言われていたこともある。
ところが実際には、平成のポスト好景気になった時に、これがネックになった。景気回復問題、そして国民の荒れなど、是非が左右できっぱり分かれるテーマに直面した時に、はっきりと決断できなかった。妥協すれば国民は失望するし、一方をとればもう一方を失う。派閥抗争も激化した。
日本は当初、第二次世界大戦敗戦の際にアメリカなどの西側諸国と同盟を組んでいたが、韓国が反発し、戦前問題ではアメリカ人も躊躇するような過激思想が台頭し、2000年代の対中接近路線で一気に友好関係が破綻した。そうしたら、西側諸国との協調関係は崩壊したのである。
なので日本国民が烏合の衆である必要性はない。現状では、なんだかんだで一致団結すべき困難が続いているので、ネトウヨや新自由主義エリートたちが敵ということがわかりきっているのなら、日本国民がすべきは内部にある彼らを忖度することではなく、むしろ追放することではないか。
村田蓮舫がかつて述べた「私は多様性の象徴」という言葉にあるように。多様性こそが今の日本社会に必要なことなのである。日本社会の敵が右翼カラーの全体主義に陥る中、日本国民が示すべきは寛容な多様性主義である。そのために、まず右派なんか追い出したほうがいい。
日本社会のもとに集まるべきは、新自由主義エリートでも右派思想でもない人であり、インテリであり、社会主義になびく人ではないか。烏合の衆を脱し、多様性の国民に生まれ変わることも、日本の再起のために必要なことである。在特会みたいな小物右派をさっさと追放しろ。
かつて日本は藩閥社会(江戸時代のエリートの末裔)、帝国主義(天皇制シンパ)という大きな権威を抱える国家で彼らの末裔が総理大臣になったりした。現在も「日本2677年の歴史」であることから現状も帝国主義であると思い込んでいる人が多いが、それは間違いだと思う。日本の現状はどちらかといえばポスト帝国主義国家、つまりそれをブランドにしているに過ぎないのだ。
実際、本当の安倍政権の最大の支持者である藩閥主義者、帝国主義者は東京への搾取で裏切られ、選挙で左翼系が彼らを乗っ取る光景ももう当たり前だ。地方創生や天皇制問題を見ても、美しい伝統を民意を圧殺してぶち壊しているようにしか見えない。形は残っても中身は残っていない。
藩閥主義者や帝国主義者は安倍政権を支持しないが、高齢者なら左翼、若者は極左で大衆なら中道となると、残るは中道でも左翼でもない「右翼」というポジションである。経済面では、エコカーやコンパクトカーや安い車を作っても日本人の車離れは改善せず、公共交通の混雑は市場競争の弊害でむしろ激化するが、政治はちっとも進歩しないのだ。
そこで日本社会がすべきことは、安倍政権が見限った藩閥主義者、帝国主義者の受け皿になりつつ、歴代政権が放置し続けている諸問題(たとえば都市問題や経済問題など)に取り組むことである。ついでに共和制移行も検討してしまえばいい。なぜこれができないのか、不思議でならないよ。
今の持つ層と昔の持つ層と持たない層できっぱり考えが割れる傾向はアメリカを筆頭に共和制の先進国では当たり前になっているが、日本の場合はアメリカのような進んだ政治もなければ果てしなく富裕層を排出するような最高クラスの経済もない。「量産型化」したロボット国民の存在があまりに多いので、現役勝ち組と元勝ち組と負け組で割れない。
これら私の掲げる方向転換を日本国民が実施してくれる可能性はたぶんないだろう。だが、それくらい思い切った変化がなければいけない。あれほど圧倒的な勢いで経済成長できた日本が、わずか四半世紀で好景気終了後に凋落がとまらないのは、国家が現状維持以外の何もできずにいることに国民が失望しているからだ。
「わたし少しでも人の役にたちたい」と
ブラック企業に使いつぶされて鬱になり
同じ口で「女使って仕事とる」と唾を吐く
ファイト! 闘う君の歌を
闘わないやつらが笑うだろう
ファイト! 冷たい水の中を
ふるえながらのぼってゆけ
胸が大きい尻が大きい太ももがいい
女は若さだ かわいげだ
いいと言う男なんざ 願い下げ
今日も親戚や親が口を出す
それでもとにかくとにかく 働かないと生きていけない
ファイト! 闘う君の歌を
闘わないやつらが笑うだろう
ファイト! 冷たい水の中を
ふるえながらのぼってゆけ
人間関係がいいから続けていける そんなことばっかり言う職場でさ
そんな理由で、毎年毎年・・・ ごまかされるか! 賞与よこせよ!
ファイト! 闘う君の歌を
闘わないやつらが笑うだろう
ファイト! 冷たい水の中を
ふるえながらのぼってゆけ
ただ優しく男をその気にさせて操縦するのがいい女とか
ファイト! 闘う君の歌を
闘わないやつらが笑うだろう
ファイト! 冷たい水の中を
ふるえながらのぼってゆけ
ファイト! 闘う君の歌を
闘わないやつらが笑うだろう
ファイト! 冷たい水の中を
ふるえながらのぼってゆけ
若くて金も経験もない頃は素直に憧れてたけど今改めて冷静に読むとすげえわ
一週間着回しストーリー→あり得ないくらい充実した日常生活。最後は憧れのイケメンから告白されちゃうゾ☆まあ元が美女だからなんですけどね
こんな仕草・言動をする女がモテる!→美女限定。ブスが真似すると取り返しのつかない悲劇に
5分でできちゃう!不器用さんにもおすすめヘアアレンジ!→50分やってもできない
イケメン芸能人「年上の女性にきゅんとする瞬間…?やっぱりきりっとした仕事姿と普段の甘えん坊なギャップを見せられた時ですかね」→年下モデルと交際する
電話であなたの未来が透視できる…!恋の悩みは今すぐ〇〇先生にお電話を→詐欺
他にもツッコミどころあったら教えて
たぶん男性誌もこれに負けず劣らず都合いい事書いてるだろうけど、女性側は売る物の範囲が広いからか真実が限りなく少ない
自分の置かれてる状況を自分でコントロールできない状況に置かれて、無造作に今までの生活や社会的な地位が崩壊するフィクションが大好き。
地道な努力とか真面目さ、あるいは権力や国家、「良い」ものに信をおいて生きてきた人が、より大きな暴力で吹き飛ばされる瞬間に麻薬的な魅力を感じる。
映画ならリドリースコットの『悪の法則』みたいな顔の見えない悪のシステムもの、『ウォーキングデッド』などアポカリプスもの。
エロゲ―だとこの手のジャンルは多くて、薬物や快楽に自分の意志と裏腹にハマっていくものは最高。Black LILITHの『堕ちる人妻』とか『監獄戦艦』シリーズ。
転落する側に落ち度がなければないほど好きで、どれだけ「良い」人間で、今まで全の積み木を積んでいても、鬼が現れたら一瞬で積み木を崩されるというのがたまらない。
現実で実直に、でも少し負け組な感じで生きてるから、自分と同じような人間が自分より上の立場にいることにフラストレーションを感じてこんな性癖になってるんだと思う。