はてなキーワード: 負け組とは
昔東京に住んでたこともあって
東京で働く人たちの話よく聞くんだけど
そのたびに「あー俺には東京で生きるのは無理だなー」と思う
早朝に出て深夜に帰ってくる(超満員電車で)
「最近は働き方改革とやらで残業なくて21時くらいに帰れることもあるよ」
とか普通に言ってくる
俺にはそんな生き方無理だなーと思う
最近思うんだけど
高卒で地元にある大企業の工場なんかに正社員で入るのが一番いいような気がしてる
庭付き一戸建てに住んで
毎晩夕食は家族一緒に
みたいな(これを「いい生活」と思うかは置いといて)東京の高学歴エリート様でもなかなかできないような生活が
そんなに仕事に「やりがい」やら「刺激」を求めてる人っているのかな
むしろ(増田にいるような人は特に)バブル時の「窓際族」みたいなのに憧れるほうが多いんじゃないかな
勘違いして欲しくないんだけど
「まだ東京で消耗してるの?」
的なことを言いたいわけじゃない
むしろ東京で俺と同じ状況(既婚子持家有)の生活できる人はマジでスゲエと思う
増田にこんな事を書くのも
「就活に敗北し、地元にUターンすることになった無能な負け組の都落ちした俺」
「普通」の人生を歩もうと思ったら東京を拠点とするのはあんまり(極ミクロな範囲での)賢いとは言えないんじゃないかなあ
ってね
確かに田舎だとマイルドヤンキー的な文化に巻き込まれたり、地域の行事への強制参加があったりなんてこともある
俺のような「三代目ナントカ」とか「湘南乃風」とか聴くだけで蕁麻疹でそうになる人間にはつらい環境かもしれないけれど
毎日の定時退社を捨てれるかと言われれば捨てられない
東京は極一部の超人と特権階級以外が生活するには厳しすぎるんだよ
最も
それはまた別の話
ははあ、なるほど
お金で人生語ろうとしたらロスチャイルド家に産まれてない時点で負け犬確定だからみんな多少目をそらすことになる
これは、「お金が全てとか言ってると小金持ち程度じゃ負けじゃん」って極論を言っているわけではなく、「ロスチャイルドだけがお金が全てではない生き方ができていいな」「お金が全てとした生き方はすでに負けている」って言っていたのか!
思ったより深い真理を言ってた
商品を作るコストには、開発や普及のための広報活動などの初期コストと、製造および販売のためのランニングコストがある。商品Aが売れて初期コストが回収出来たので、次は価格を下げて販売量を増やしてもよい。
世の中でよくあるパターンとして、商品Aが売れて、市場に競合品が出てきたので、競争のために価格を下げざるを得ないこともある。実に多くある。つーか、そこまでの期間が長いか短いかの問題で、どんな製品でも最後はこの状態になる。
一般に、価格を上げると販売量が減り、価格を下げると販売量が増える。利潤×販売量が儲けだから、製品1個あたりの利潤を減らして量で稼ぐ戦略も、量が減っても製品あたりの利潤を上げる戦略もあり得る。どっちが儲かるかは個々の例によって異なるが、常に値上げが正しいわけでも、常に値下げが正しいわけでもない。強いて言えば、定性的(上がる/下がる、増える/減る)に考えても答えは出ないので、定量的に(実際の数字を使って)考えるのが正しい。
まあ、現実問題としての正しさとは別に、多くの人が支持しやすい方ってのは、あるかもしらんなあ。値下げは負け組の選択みたいなマッチョイズムっぽい考え方とか。
小山小学校という教育方針や環境の優れた新設小学校の学区という謳い文句で
母になるなら流山、父になるなら流山、子育ての街流山じゃねーのかよ。
100m前にある新設小学校ではなく1.5km先の古い小学校かよ
理由は「小学校まで100mだけど大きい幹線道路があるので横断が危険でしょ」と言われたよ
歩車分離もない死角も多い2.0kmの田舎道のどこか安全なんだよ
隣の松戸市の六実であんな事件が起きてるのによくそんなことが言えるな
何故逆に旧小学校区から新設小学校区に組み入れられる地区があるんだよ。
<勝ち組>
<負け組>
http://nagareyamountain.seesaa.net/article/449552695.html
「新しいコミュニティ、新しい小学校いやあ幸せですね。市役所にも学区は再度確認しました」
学区の不利益変更計画あったら購入者に伝えるのは宅建業の必須事項なので販売員が悪くないだろうな。
悪いのは行政だ。
何千万円もマンションに払って、その上俺らは毎年何十万住民税を払って
この市に貢献するなんて許せん。出て行く出て行く
しかしこの市は学区変更を毎年のように繰り返している
でもマーケティングのためか、HPにはそのネガティブ情報をすぐさま削除し、
履歴を決して追わせない。
そんなことだけが今回の要因ではないだろ。
はたまた地域ニュースなのでテレビでは取り上げないが一部のネットニュースで指摘されている。
なのにテレビなどメディアでは流山市は子育てに素晴らしい街と取り上げているのだ。
しかも今や、保育所の待機児童だって県内1位2位を争うこの街。
これのどこが子育ての街??
今日の説明会でも推計や計画の甘さ、へのその反省もなかった流山市学校教育課、教育委員会
「今日みなさんにいただいた意見は聞きます、流山市学区審議会で決定します」
過去の議事録を見ても行政は審議会に1案しか提示せず、ほぼ反論なしで決まる
「中学校もこれじゃあいっぱいになるんじゃないですか?どうなるんですか」
<追記>
<まとめ>
https://matome.naver.jp/odai/2149615551872364201
<Togetter>
https://togetter.com/li/1115293
<BuzzFeedJapan>
つらい。つらい。どうにもつらい。
なにをどうがんばっても今よりより良い状態に辿り着ける気がしない。今まで今までなりにがんばってきただろうにそれでどうにもならなかったので今更どうにもならないとしか思えない。生きる才能がなかった。生きることに向いていない。その才能がない。本当に向いているなら今はもっとよりよいじょうたいに或るはずである。そうでないということはつまりこれから生きていても無駄なのではないか?
なにか大義のためであったりそうでなくても今よりほんの少しずつ物事をよくしていくために人間は生きているはずなのであるがそれがない。だったら生きている意味などないのではないか? おそらくない。ならばなぜこんなに辛い気持ちを味わってまで生きていなければならないのか?
この辛さがいつか報われて今よりももっとよい状態をいつか手にできると信じられるからこそひとは辛さに耐えられるのではないか。あるいはよほど辛さに前向きに鈍感であるかだ。わたしにはそれがなく今の人生は延々続く責め苦に感じる。自分の人生がこれから面白いものになる期待が持てない。どうせ今までがんばってきてそれもなにひとつうまく料理ができなかったのだ。
わたしは凡百の才しか持たぬ。いや凡百以下である。就活で失敗したのは、就活という枠組みに適応できなかったという理由なのではきっとなかった。単にひととして劣っているので雇い口がなかったのである。自己評価が低いのではない。能力が低いからこそ、評価が低く、評価が低いからこそ、自己評価が低いのである。それほどまでにどうしようもない人間であるからして、生きているだけでそれは無駄なのであろう。
こんなにつらいならきっと死んでしまったほうがまだマシだ。そうであるのに、死ぬとそれはそれでいろんなひとに迷惑がかかる。親は紛いなりにも悲しむだろうし、それはそれとして、昨年祖父の葬式があったが、それがひどくめんどうだった。それに親族知人に自殺者が出るというのはたぶんかなり気分の悪いものだろう。中学生の頃に自殺未遂をし、弟に死にたい気持ちを吐露したら、親に「そういうことは弟には言わないで」と言われた。当然だ。弟には申し訳のないことをした。愚痴や弱音、希死念慮の吐露は他人にとっては害だ。わたしは生きていく価値のない人間であるから他人に害なすことは道理に合わない。生きる責め苦から逃げ出したい。けれど他人に迷惑をかけることなくこのゲームから降りることは許されない。
ああどうせ死ぬならそのまえに、死ぬ気で好きなことをやってみろって? もうやった。やった。でもなんにもうまくいかないんだよ。なんも楽しくない。映画を見てる最中は楽しいけれど、その後はなんにも残らない。結局のところ創造的な営みでなければひとは快楽を得ることはできないんだよ。でもその創造的な営みには才が要る。気力が要る。体力が要る。それがなんにもないんだよね。時間はきっと作ればあるはずなのにね。自分で自分を楽しませてやれない。死にたいわ。労力に対して、脳内で分泌される快楽物質の量が圧倒的に不足している。要はコスパが悪いんだよね。でもうつではないと思う。だって毎日自炊をして、出勤してる。要はつまり、単にわたしは生きるのに向いていないってこと。生き物として間違っているということ。
運動?やってるよ。毎日自転車通勤してる。野菜?食ってるよ。大量にたまねぎと人参を刻んで煮込んでスープストックつくって、それにしめじやほうれん草ドカドカ入れて毎日食ってる。瞑想?してるよ。じゃなきゃ、もうとっくに潰れてる。でもね、だめなんだなぁ、これが!
やっぱり、低級市民。やっぱり、負け組。みんな優しいから、そんな君も生きていていいんだよと言ってくれる。でもみんな、やっぱり、わたしよりよほど立派な人間なんだよね。
生まれた頃、僕は既に負け組だった。山に囲まれる街、豪邸とは程遠い、小さな家
幼稚園の頃、僕は負け組だった。流行りのゲーム機も無く、交ぜてもらおうとして、いじめられていた
小学生の頃、僕は負け組だった。目が悪くなり、メガネをかけ始めた。容姿もださく、歯も出っ歯になり、猿のようだった。
中学生の頃、僕は負け組だった。好きな子は不良と付き合い、エッチも済ませたと噂を聞き、悲しくて抜いた。NTR属性が身についた。
高校生の頃、僕は負け組だった。不良とつるむことも増え、酒、タバコの生活をしていた。成績も悪く、良いところの就職先を探していた。進学なんて考えていなかった。
社会人になった。仕事の関係で、東京に出た。その頃の友人のような年収200万後半の生活をすることになっていた。そのまま突き進んでいたら、負け組のままだった。
30歳の僕、独立して、会社を起こした。年収は正社員時代の5倍、1500万程度まで上り詰めた。7つ下の嫁が出来た。結婚をした。家を買った。
道端アンジェリカが乾癬だ、とカミングアウトして話題になっている。
私も、乾癬だ。21歳頃に突如に発症、当時は症状が重く就職活動を中止した。
ありとあらゆる治療をして、25歳になって落ち着いた。
その仕事が忙しい。乾癬は落ち着いているし、だいじょうぶかな、と思っていた。
それからは、自然治療。悪くなる時もあれば、調子が良い時もある。
悪くなっても、ひどい状態にはならないので、放っておいた。
あなたは優秀ね、すごいね、頑張ってるね。頼りにしてますよ、と人に言われ続けた。
そう、私は仕事をしなければいけない人間なんです、と思っていた。
もっと仕事を作りださなければ。もっと前に進まなければ。ずっとずっとやりきらなければ。
しかし。
何年かして転職をした会社で、いつも通りバリバリと進めて、仕事もうまくいっていた時。念願の仕事も叶いそうになった。
そんなある日、自分の腕を見たら、乾癬がものすごい勢いで再発しているのがわかった。足の裏もひどかった。
ショックだったが、それでも仕事もあるし、と放っておいた。
プライベートでも、旦那に自分のことしか考えていない、と言われた。
うん、なにかが、おかしいぞ!と思い始めた。
とりあえず、仕事は続けるため、古くから付き合いのあった会社にご縁で入らせいていただいた。
そこでは忙しい時もあるが、小さい規模で粛々とやっている会社だ。
私はプライベートの問題を考えるのを優先度高にしつつ、こじんまりと仕事をするようになった。
朝早く起きて会社にいき、でしゃばらずに小さい仕事をして、夜7時には会社を出て、ご飯をつくり、0時前後には寝る。
大きい目標を掲げて、それに向かって進めるというよりも、いただいている仕事を丁寧に、小さい仕事でも大事に扱った。
バカにしているかもだけど、バイトさんがやるような仕事もあった。
気づいた時には、乾癬が落ち着いていたのだ。
ああ、私は、この生活サイクルと、仕事内容が体にはあっているのだな、と気づいた。
頑張ってないと言われればそうかもしれないけれど、
私はそういう生き方でも、いいのかもしれない。と思っている。
「みんながやってるから、私もやる。」
「私もやらなければいけない。」
除け者になるのは嫌、みんなと同じじゃないと嫌。
まぁ、頭の弱い人間達。
リスクがあるにも関わらず、自分達から個人情報を差し出しているのだ。
便利だよね、LINE。
LINEをやっていない人なんて、仲間じゃないよね。
いまLINEをやっているそこの君たち。
という、わけのわからない価値観が骨の髄まで備わっている点である。
ちなみに、成人でLINEを頑なに理由をつけてやらない人は、ただの変わり者や、厄介者ではない。
アプリ開発やデータの取得、内部をよく知っている人間だからこそ手を出さないのである。