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バイデン氏「習近平、骨の髄までdがない」 電話会談もしないうちに直球(1)
ジョー・バイデン米国大統領が7日(現地時間)、「中国と衝突する必要はないが激しい競争があるだろう」と明らかにした。この日、米CBS報道番組「フェイス・ザ・ネイション」との大統領就任後初の放送インタビューでだ。
インタビューで「なぜ中国の習近平国家主席とまだ電話会談をしていないのか」という司会者の質問に「互いに対話する機会がなかったが、電話をしない理由はない」と話した。バイデン大統領が就任した先月20日以降、半月が経過したが、米中首脳間の電話会談はまだ行われていない。
続いて「私は彼(習主席)をかなりよく知っている」とし「副大統領として習主席と個人会談を24~25時間し、各種国際舞台を1万7000マイル(約2万7350キロメートル)にわたって共にした。私はどの世界指導者よりも彼と多くの時間を過ごした」と紹介した。習主席に対して「彼は非常に明晰で強靭だが、民主主義を全く体得できなかった」と言って直球を投げた。「骨の髄まで民主主義がない(doesn’t have a democratic,small D,bone in his body)」という表現を使った。「批判しようというわけではなく現実がそうなのだ」と言いながらだ。
前任者であるドナルド・トランプ前大統領は中国を公開非難し、貿易戦争をしながらも習主席に対しては「私は彼と良好な関係にある」という言葉を慣用句のように使った。反面、バイデン大統領は開始から習主席の頭の中を問題にした。トランプ前大統領は取引の条件を計算して経済的利益を得ようとしたが、バイデン大統領は米国が伝統的に主導してきた価値である民主主義・人権のような国際規範を前面に出して中国を相手にすると予告したのだ。
梨花(イファ)女子大学国際学部の朴仁フィ(パク・インフィ)教授は「トランプ式の取引中心圧迫は交渉を通じて妥協の余地もあったが、バイデン氏は規範と価値という、さらに大きい枠組みから中国を圧迫すると宣言した」と説明した。
また、バイデン大統領はインタビューで「われわれは衝突する必要はないが、激しい競争があるだろう」と予告した。
ただ「彼が知っている方式ではしない」としながら「トランプがやった方式ではなく、国際規範の道に焦点を合わせる」と明らかにした。
バイデン政府が民主主義と人権、国際規範という定規で中国を相手にし、同盟国の糾合に出る場合、戦略的曖昧性で両国の間を渡り歩いていかなくてはならない韓国としては負担にならざるをえない。何より「d(民主主義)」を前面に掲げるほど一党体制、個人の自由、人権などで中国よりも劣悪な北朝鮮をめぐり、バイデン政府と文在寅(ムン・ジェイン)政府の視線が交錯するほかはない。特に韓国政府はトランプ政府時代を模範事例に置いて米朝高官接触を期待しているが、バイデン大統領が応じるかどうかは不透明だ。
インド太平洋地域において、台湾の占める地政学上の戦略的重要性については、多言を要しないだろう。中国はよく「第一列島線(日本列島、台湾、フィリピン、インドネシア等を結ぶ線)」によって海洋への出口を阻まれている、という。仮にもし中国が、台湾東部の港湾を自由に使用することが出来るようになれば、事前に察知されることなく、中国の核搭載潜水艦は太平洋を遊弋できるようになるだろう。切り立った断崖の続く台湾東部海岸は太平洋の深海につながっており、これら港湾を使用すれば、察知されることなく「第一列島線」を容易に突破できる。
中国共産党にとって、台湾問題は「核心的利益」の筆頭と彼らが呼ぶように、中台統一は習近平政権の最大課題の一つであることに変わりはない。これまで、中国は台湾との経済的・技術的つながりを深めることによって台湾を併呑しようと努めてきたが、台湾の人々の意識は逆に中国から離れ、蔡英文政権下で、その傾向はますます強まっている。その結果、中国としては台湾を軍事的に攻撃するという選択肢を選びつつある
これを見ると、ジャイアンとスネ夫がまだ出会ってまもないころ、
いきなりジャイアニズムを発揮すると縁を切られるので、
まずはジャイアンと一緒に行動することでさまざまな学校生活上の恩恵があることを覚えさせ、
徐々にスネ夫のおもちゃや遊び部屋を自由に使えるように策を弄したものの、
という表現だと思う。ここに彼の人生そのものが表現されている。
つまり国民をコントロールしているという無意識のアピールである。
聞くと、彼に意見する人はすべて更迭され、イエスマンしか残さないという。
それは官庁における微細な人事にまで至るという。
これは何かというと、
こうした人間が上に立つとどうなるかというと、理念も何もないことが露呈する。
つまり、上意下達の政治ゲームが得意でのし上がっただけであり、
残念ながら全国民がいま、それに気づいている。
自分にまったく関係のない、数十年前の薬害エイズの訴訟で謝罪するなど、
そこには人間としての理念があり、それに基づく正義感が見えた。
それこそノブレス・オブリージュではないだろうか。
少なくとも理念がある。社会主義のもとに国を強くするという強烈な理念である。
圧力や権謀術数が好きそうなのに、緊急時に独裁的にリーダーシップをとらない(とれない)
彼はまもなく辞任するだろうが、逆説的に他国や過去の宰相のリーダーシップが浮きだって見えるという、
稀有な人事であった。また、コロナでの損な役回りでありながら、
次世代への中継ぎとしての役割を果たしたのは評価したいと思う。
追記:あべぴょんが謝罪したのは薬害エイズじゃなくてらい病訴訟の件でした。
無知による人権侵害の件。自ら進んで行ったのだという。ここに彼の人間性が見えたのである。
またいつでも首相に戻ってもいいのよ?
始皇帝が偉大なのは天下統一とかじゃなくて、文字と度量衡の統一だしな。
1mの長さの棒を見せて「これの長さを答えよ」って一人ずつ聞いていって「さn…」とか「よn」とか言った瞬間に九族族滅されても構わないと思っているよ。
「え、なに、この黄金の円盤はいってた宇宙船に入ってた単位とちがうんですけどw」「単位統一してないとかw」
とか笑われるわけだろ?
DNAが燃え滾るほど恥ずかしいだろこんなの…。ホモサピエンスの恥さらしだろ…。
トランプが「ヤードポンド法はディープステートの陰謀」って言えば世界中から投票が殺到して永世大統領間違いなしだろ。
なんでそんな簡単なことをトランプはやらないんだ?これもうトランプはディープステートだろ。反省しろよ。反省を。
売電!とか不正投票!とかキャッキャしてる場合じゃねぇよ。ヤードポンド法を滅ぼすんだよ。
あー2016年にチェイフィーが民主党候補になってりゃよかったのになぁ。ディープステートのクリントンに潰されたからな。マジでクソだなディープステートは。
いいかお前ら、次の選挙はチェイフィーを推せ。知らない?調べろ。ヤードポンド法を撲滅してメートル法にすると公約した候補だ。
次に出馬しなくても推せ。これは義務だ。推さないやつはディープステートだからな。当然だよなぁ?
言っておくが世の陰謀論の中心にはヤードポンド法があるからな。ファティマ第三の予言はヤードポンド法だぞ。ローマ法王は反省しろよ。
ヤードポンド法はコロナにかかって死ぬべき。今最もコロナ死を望まれてるのはヤードポンド法だろ…。マジで…。
みんな本当はわかってるだろ…?
コンテナはヤードポンド法。はい証明完了。ヤードポンド法だから不足するんだよ。反省しろ。
これがメートル法だったらどうなってたと思う?
コロナなんぞ速攻で鎮圧、コンテナ世界中を飛び交いまくり、俺もお前の超豊か。砂漠消滅、貧困撲滅、六根清浄。
大仏とか立ててる場合じゃねえぞ。征夷大将軍を任命して人類史上最悪の夷狄たるヤードポンド法を滅ぼすんだよ。習近平あたりを宇宙大将軍に任命してもいいぞ。
宇宙大将軍習近平がヤードポンド法を撃滅したらそこで改めて国賓として招けばいいだろ。働けよ習近平。
でもダメだな。プーさんが住んでいるのは「100エーカーの森」。あーあ、終了。エーカーってのはもちろんヤードポンド法だからな。これだから中国はダメなんだよ。
習近平とか言うヤードポンド法の傀儡を国家主席に頂いてるのを反省しろよ反省を。埋伏の毒かよ。こざかしい兵法を弄してるんじゃねーよ。孫子も言ってるだろ。これだから人類は進歩しねーんだよ。
菅もダメだ。ヤードポンド法を撃滅する意思がまるで感じられない。まるで木偶人形だ。総理就任数か月にもなって未だにヤードポンド法に言及しないとか、これは完全に反日。支持率急落とか当たり前すぎるだろ。
菅がこの先生きのこるには、「総合的俯瞰的に判断してパンケーキの直径を25cmに定めます」と発言する以外にない。
これから毎日語尾に「とはいえヤードポンド法は滅ぼされるべきである」と付けろ。
そもそもGoToトラベルとか、マイルを使ってる時点でゴミ。キロを使えば問題なかった。「俺キロたまったからタダで飛行機乗れるぜー」ってのが正しい日本語。ギガは通信量。キロは移動距離。わかったら菅は反省しろ。適当にマイルの担当者の首を飛ばせばキロになるだろ。そのくらいのことはすぐにやれよ。
そもそもキロでなくマイルを使ったのって、マイルのほうが数字が小さくなるからだろ。せこいんだよやり口が。JALとANAは反省しろ。
しかし安倍はマジで害悪だったな。奴は暇さえあればゴルフしてたろ?ゴルフと言えば?はいヤードポンド法。はいダメ。
広島の土砂災害覚えてるだろ?あの時の安倍は?はいゴルフ。77名の尊い命がヤードポンド法に殺されたんだよ。安倍は反省しろよ。憲政史上最悪の8年間だったな。明治の元老が泣いてるだろ。靖国に行って反省しろ。
ちなみに話題になったNIKEも当然害悪だからな。理由はわかるな?ちょっとNIKEの靴の箱を見てみろよ。ゴミみたいな表記があるだろ?日本、ヨーロッパ、アメリカ、イギリスで大きさの表記違うんだぜ。
はいゴミ。ヤードポンド法以下の存在。NIKEは反省しろよ。まずはサイズ表記を統一しろ。意識改革するんだよ。何がJust do itだよ。ヤードポンド法を滅ぼしてからお題目を掲げろよ。残念ながら度量衡に多様性はねぇ。「俺の体内時計では100mを8秒で走ったことになってるんだよなぁ。多様性を尊重しろよ」とか認められるわけないだろ。盤石な基準があってこその多様性なんだよ。
日本最強最高の男は?言うまでもなく室伏広治だ。では、彼が投げたハンマーの重さは?7.26kgだ。は?なにそれ?なんでこんな中途半端なんだ?はい16ポンド。ヤードポンド法。ゴミ。
ていうかこれを書いてる俺、読んでるお前の目の前にある板もヤードポンド法のクソゴミなんだよなぁ。いい加減になんとかならねぇか。
習近平様は凄いと思うぜ。
以下の記事のごときものは、自分の管理するブログを持っているから、そこで書いて発表すれば良いのだろう。だが、私のブログは人の訪れるものでない。そこでよりは人の目に触れて、多くの人に読んでもらえもするかと想像して、ここに投稿する。
大統領選の投票日以降、いわゆる確実な証拠を挙げよとの要請を口にして、あちこちから報告される選挙での不正に関心を向けることを否定し、さらに不正に目を向けながら、大統領選の帰趨について論評することを控えるべきであるとする人たちがいる。
この眼差しの持ち方と態度を守る人たちの中で、次のような人たちのことは、私は特に気にしない。例えば、バイデン民主党候補を応援している者、トランプ大統領の退場を望んでいる者。これらの者たちがそうあるのは当然のことであろうから。
私が気になるのは、トランプを応援しているし、トランプ大統領の2期目に期待していると口にして、しかし不正への関心を抑制し、それから視線を外して、どちらの候補が大統領になるか、もはや自分たちの論評すべきものでない、と口にする者たちである。
代表として上念司、奥山真司の二人の名前を挙げておこう。とは言え、この二人に限るわけではない。彼らは、他の者たちよりは多少は筋道立てて、先の眼差しと態度をとる理由を説明しているから、私には扱いやすいのである。
ところでお気づきの人もあろう、私は Youtube の虎ノ門ニュース、アメ通 Live をこの一年、大変勉強になると感じて視聴してきた。加えて、上念司チャンネル、文化人放送局、DHC テレビのニュース女子なども、興味深いと視聴を続けてきている。ついでに加えれば、SakuraSoTV とか、古是三春・篠原常一郎チャンネル、さらにはラジオの文化放送局、おはよう寺ちゃんなども、同じ関心に叶うところから視聴している。つまり私は、これらが人々に伝えて、解説する時局、情勢の認識や批評が、現状の政治や社会を、他のところでのものよりよく捉えていると評価しているし、自分の理解を形作る参考にしているのである。
さてそれで、先の二人が自らの態度について言うところは、いくつかの論点から成り立っている。ここで彼らの議論の論点全てを取り上げはしないし、そのまま辿ることもしない。同意できるところをあらかじめ挙げておけば、未確定情報に振り回されないようにすべき、選挙不正の論評にいたずらに促されて米国への評価自体を損なってはならない、などの主張を、私もしかるべきものとひとまずは同意しよう。
だが、総評的にか、つけたりなのか、まるで根本的な姿勢の取り方の如きに、私たちは米国大統領の選挙権があるわけではない、他国の指導者の選択であって自分たちの指導者を選ぶわけではない、かように申し立てるところは、さしあたって尤もなことと感じながらも、何かうまくいなされた気分を覚えてしまう。
さらにまた、不正については、裁判で決することができるのだから、その判断を待つべきである、不正は訴えることができるのである、裁判を起こす権利が彼らにはあるのである、三権分立が云々と教え諭されるところになると、いやどうも不正に目眩して冷静さを見失っていましたと反省させられる。
がしかし、先のいなされた気分の中で、この反省を自らに強いてみると、何かおかしなもの、しかもどこか剣呑さを持ったものが潜んでいる不安に、私は囚われるのである。
それが何かと自らに問うてみるに、例えばこんな風に先の主張を言い直してみよう、すなわち、他国の重要な政治的選択は、他国民の決めることであって、こちらが論うことではない、他国の政治不正については、他国の政治制度か、なんらかの強固な社会的規範が解決するのを、こちらはただその行く末を見ているべきである、まずはこのように言い換えてみよう。
そして、他所の国や社会に存在していると知らされたり、生じつつあると報じられたり、行われる可能性があると訴えられる不正について、私たちは須く他国の政治の解決に待つべきなのである、他国の政治か社会の能力に期待すべきなのである、このように答えて恬然自若としているべきなのであろうか、このように問うてみよう。
この記事の主題であり、私が気にかかるところの、大統領選挙での不正に対する眼差しと態度に沿うならば、この問いに対しては、然りそうあるべきである、と肯定的に答えることになろう。
ここに私の不安は、むくむくと大きな黒い影となって、私の胸を塞いでくる。
なんとなれば、それならば中国でのウイグル人の例の話題や、香港のことも、同じような態度をとって、それらは中国の政治的選択と政治的能力の処置すべきことであって、不正だの不正義だのと感情を昂らせるようなことではない、中国の政治的解決に期待して、その帰趨を見ているべきなのである、このような主張も肯定してしまうことになるからである。
中国は共産党独裁で、人権もないが、アメリカは民主主義国で、権利と法とがあり爾斯く斯くと言っても、なんの反論にもならない。何故なら、不正からは目を逸らして、ことの成り行きを待とうと説く者たちは、その態度から当然引出される主張として、バイデン大統領が就任することになったならば、そうなった米国を見据えて、どう米国と接していくか、どんな外交技術でもって日本の国益を実現させていくか、このことに注視せばならないとも力説しているのである。
ここで再び指摘しよう、それならば中国の例の件についてもまた、中国でどんな推移を経ていくのか、それを見定めて、その上で、どう中国と接するか、どんな外交でもって日本の国益を実現させていくか、その工夫に腐心すれば良い、かように唱えるのが主張するところに忠実な態度であると言わねばならないからである。
我々は米国民ではない、だから米国大統領選について、なんら口を開くことはできない、物を言ったとしても、なんの意味もない、かように言うならば、これと同じくまた、我々は中国人民ではない、中国人民の状況について、なんらの口を開くべきでもなく、他所の国の我々が何かを指摘したとしても、なんの意味もない、このように言うべきことになるからである。
名前を挙げた二人についてみれば、上念司は不正に対する感情を、自らにおいても他者においても、抑制せねばならないと留意するところから、先の態度を唱えているように見受けられる。その抑制の理由も、私かに慮れば、納得できないものでもなく思える。しかしながら、政治への冷静さを得るための距離を取らんとして、政治的無関心・アパシーへと導く主張に近づいているように、私は思うのである。そして私がこれについて恐れるのは、政治的不正への無関心を理屈だてる主張の、その一歩先に、人々の無関心によって批判されることなく、剥き出しの欲望が自由になっている、そんな地平が広がっていると考えているからである。
他方奥山真司については、私の貧しい知識ながら理解する地政学よりして、選挙での不正といったものも、人権侵害といったものも、そうした政治的価値に反することや、あるいは何かしらの理念に悖ることなどは、さしあたって考察の中になく、いやおそらく関心を向けるところですらなく、そんなことはどうであっても、つまり習近平の中国が共産党独裁国家らしいあり方をし続けていくのに対して、またバイデンの米国が民主党主導で営まれていくのに対して、日本国が自ら所持し、かつ国際的に構築できる政治的な力・リアルなパワーを行使して、日本の国益を実現していく道筋を見つけることが、彼の主たる関心であり、もしかしたらそれが全てではないかと思える。
いつ頃までのことであったろうか、昔は、ジャーナリズムというものが言われていて、それを実践するに努めたテレビや新聞の報道では、何かしら政治的不正が行われている国が、ことの重要性に応じて、熱心に取材され、分析され、そして批評されて、テレビ番組や新聞記事となっていたものである。
一つの話題が集中的に報じられるときには、国際世論の喚起という風に目的づけか性格づけがなされたもので、問題ある国に対して、国際社会には厳しい批判や非難が湧き起こっているぞと感じさせて牽制を与えることで、その国の不正が深刻なものとならないように働きかけるのだ、そんな意義づけもなされていたと覚えている。
今から思えば、そうした国際報道も国際規模でメディアを利用しての政治工作、そんなものと感じないでもないが、たとえそうであれ、米国の今回の大統領選挙では、こんな不正、こんな暴力、こんな悪事が行われているのだと、盛んに話題にするならば、外国でそんな風に言われてしまっていることが、よしやごくわずかなものとしても、それなりの牽制になるだろうと、やはり私は思うのである。