はてなキーワード: 映画館とは
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まず空気の入替。いつまでもウィルスが居ないのは安全だけど、くしゃみして出たのが人にかかる前に吸い出されるわけじゃないから意味ない。焼肉屋の換気扇レベルの頭の悪い言い分。
次にクラスターが発生していないってのは単に追えていないだけ。鬼滅の時に真面目にやってたらクラスターバンバンあったでしょ。追跡が出来ていない状況で強みとして言うのは賛同できない。
を同時に表明でもすれば賛同できるのに、『政府が悪い。映画は文化。再開したらポップコーンもコーラも売るし、席は全席埋める。だって映画館は換気が凄い!』じゃ正直バカじゃね?って思う。
そしてどこかの映画館で感染が発覚したら恐らく業界で隠蔽する。で従業員経由でバレて今以上の規制されて本格的に死ぬ。
映画は好きだし映画館で映画は見たいけど、正直業界は人任せで努力していると思えない。個人的にはワクチン接種が進むまでは今のままでいいと思う。映画館に来場するバカ客をふるい分けする気がない以上はどうしようもない。
保健所「映画見に行ってた?マスクはしてた?じゃあ濃厚接触者はいないですね」
保健所「映画見に行ってた?マスクはしてた?じゃあ濃厚接触者はいないですね」
保健所「映画見に行ってた?マスクはしてた?じゃあ濃厚接触者はいないですね」
トランスジェンダーの人たちの権利擁護には賛同だけれど、医師による鑑別も手術もなく、自分がそう役所で名乗りさえすれば
性自認は「女性」であると認められて女性のプライベートなスペースに公式に女性として立ち入ることができるという考えに
どうしても本心からは賛同できないでいる。表立って語ることはないが。それでも差別主義者になりたくはないので
ネット上では #トランス女性は女性です と主張して、風呂もトイレも同じ女性として平等に使えるべきという意見に賛同している。
あるトランス女性に、女性専用車両もレディースデーも差別だから許せないと言われて
それでどうなったかというと映画館のレディースデーは比較的女性が多いからこれまでは安心して利用できる機会だったけれど
違う割引を利用しても同じ安心感は得られないので、そもそも映画館に行かなくなった。電車は乗らざるを得ないが。
動物実験の実験結果は、研究者の「性別」で大きく変わることがよく知られている。
実験用のマウスは男性研究者の存在や、その匂いを感じるとストレス反応を引き起こすらしい。
人間間でもそういうことはあるのではないだろうか?あくまで理念として #トランス女性は女性です ということばに
信じられないほど分かりにくかったよね、という話。
イアンの運転で今すぐに逃げなければいけないという状況でバーリーが指示を出すシーン。
車のメーターのところに手書きしたOのシールが貼られており、「ONWARD<前進>のOだ!」という字幕が出た。
そうすると見ている人は「ONWARDという単語は日本語では前進という意味なんだ」と知ることができる。
その時点でタイトルを回収したことにより嬉しくなったが、映画を見終わった時に
などなど、見る人によっても色々な前進がかかっていてタイトルがONWARDである意味を実感して感動した。
映画館で字幕で見た際の映像とは異なり、シールが「↑」のマークになっている。
その矢印がアップで映ったときに「前進だ!」というセリフが充てられている。
そこで「前進=ONWARD、なるほど!タイトル回収〜!」とはならない。
日本版Disney+上で字幕に切り替えても映像は「↑」のマークになっている。
映像の中にOもないし、前進のOと表示されたところでONWARDのOって意味かー、ともならない。
日本語版のタイトルは「2分の1の魔法」なので、漢字で前進と書かれてもタイトル回収にも関係がない。
今までDisney+で「雰囲気を壊すような、映像の中に配置されてる英語を勝手にダサいフォントで日本語にするのはどうかと思う」と散々言われてた。
物語に大きく関係しなかったので「そこまで文句言わなくても...」とは思っていたが、
今回は物語の真骨頂に関係のある内容なので個人的に少し残念だった。
でもこの作品が大好きなので、日本版Disney+に登場してくれてありがとう。
何度も繰り返し見て楽しみます!
去年、映画館は換気が十分されてるってわかったよね?
席を空けて座れるよね?
見ず知らずの人たちがしゃべって、飛沫が飛ぶ環境じゃないよね?
何を根拠に休業させられてるんだよ?
ふざけてるの?
Twitter観ていると、映画館のレディースデーを「女性が安心して鑑賞できる日」とツイートしている人が多数。
なんかレディースデーを女性専用車と同じような、女性のみが映画館に入れる日、と勘違いしているみたいだ。
映画館のレディースデーは、女性が割引きになるってだけで、普通に男性客もいるし、映画の男女比は、レディースデーかどうかよりも、映画の種類で大きく変わる。
(レディーズデー関係なく、女性客ばっかりの映画もあれば、男性客メインの映画もある)
まあ、今の時代、映画館に通っているのはマニアだけで、ほとんどの人は、話題作をデートとかで行くだけで、映画に興味ないんだなあと思った。
映画・原作のネタバレを含みます。また当方の中で映画は不評だったため気分を害する可能性のある方は読むことをお勧めしません。
原作は小学生の頃に読み、現在は続編も履修済み。私が幕末にはまった切っ掛けは間違いなくるろ剣です。新選組について調べたかったのに、学校の小さな図書館には全然資料がなくて発狂した日のことを今でも覚えています。その後、大河ドラマが決まり、無事土方推しになりました。
もちろん今回の実写映画も見に行きました。田舎の映画館はレイトショーだとガラガラなのでねらい目です。マナーの悪い人も少ない気がします。
そこで思ったことをただつらつら書きました。原作大好きマンなので思うところがあった所存です。
収納の都合上、漫画は実家にあるためうろ覚えなところもあるかと思いますがご容赦ください。
①縁「苦しめたい」
②縁と薫
③お父さーーーーん‼
④最後に。
①縁「苦しめたい」
劇中に登場した、縁のセリフです。
「お前(剣心)を苦しめたい」
痛めつけたいんじゃないんです。このセリフ、回想でも出てくるほどなので強調したいシーンじゃないでしょうか。
が、しかし。
剣心にとって最大の弱点は(優劣をつけたくはないですが)薫でしょう。自分が味わった以上の苦しみとして、原作では映画と同じく剣心の周囲の人間を傷つけていき、そして仕上げとばかりに薫を殺しています。※生きてます。
しかし、映画では薫は攫われただけで死んでいません。これは原作もですが、周囲の人間を襲ったにしても名前のあるキャラは死んでおらず、肝心の薫も傷つけられていない。
「お前(剣心)を苦しめたい」
と強調しておきながら薫を原作通りにしなかったのは苦しめが
もちろん町の人は亡くなっていますが、近しい人が怪我を負っただけで誰も死んでいないのは随分情けがあるなぁと個人的に思います。(原作をマイルドにしたかったんかな……。そもそも十本刀に外印がいない時点でまあないかなとは思ってはいたけど違う形で成し遂げてほしかった)
一度剣心が落ちるところまで落ちることで、剣心が本当の意味で過去を脱却したと思ってるんですが、映画では剣心の心の動きが鈍く感じてしまったんですよ。
結果何を吹っ切ったの?ってなったのは私だけなのか……。
巴さんの日記にも巴さんの心中は書かれているのでおそらく実写剣心はすでに巴さんの思いを昇華しているのではないでしょうか?むしろ昇華できていないのは縁だけでは……?となると、この話は縁を救う物語……?
縁中心の話にしたかったんかな。それだとしても中途半端に感じる。
そんなモヤモヤが残りました。
②縁と薫
原作の二人のやり取りが好きでした。
お味噌汁のやり取りとか、縁が人相応に感じるじゃん。それに薫を巴さんと重ねてみたりね。縁は心を殺して今まで生きてきたんだなっていうのが伝わってきて、逆に不器用な感じが人間らしいです。(わかる、薫可愛いもんね)
そういうシーンがあったからこそ、縁も思わず薫を助けちゃったんじゃないの??
みんなあのシーン好きでしょ??
やり取りもなしにあの縁が他人、しかも仇の思い人を助けたりしないと思うんですよ。巴さんと被らせるにしてもこんな突然じゃないでしょ。
もちろん必要なシーンだとは思います。でもこれだけでは成り立たんのですよ。
なんで助けてしまったん……?って描写も欲しかったです、はい。
あと薫は何もしないヒロインではないんだぞと声を大にして言いたいです。(尺の都合上仕方ないのは分かってます)
ちょっと話がそれますが、足手まといになりがちなヒロインて何なんですかね。大分前ですが、ハガレンの実写のウィンリーもそうでした。いや、ウィンリーはそうはならないよ???と突っ込みたかった。マジで捕まるだけであとは主人公の救出待ち。もっと原作読んできて!!!
と、当時は思ったものです。
懐かしいですね。
③お父さーーーーん‼
知ってか知らずか、巴さんのお父さんが娘の仇である剣心に寄り添ったり、十数年ぶりに親子が再開するシーンが個人的に好きだったんだけど、まあ、尺的に削られるのは分かっていましたとも。
でも白梅香、みんなここで覚えたでしょ?
とはいえ、映画は過去編を完全に切り離してしまったからここを入れるのは無理でしょうね。白梅香で思い出してほしかったな~~~~~~。
人の記憶って初めに忘れちゃうのが「声」らしいですね。反対に覚えているのが「匂い」らしいです。(多分何かの漫画で読んだ)
どれだけ月日が流れても忘れなかった白梅香。
グッズでだしたら爆売れ間違いなしやで……。
それから燕ちゃんが剣心に助けを求めるシーンはこれまでの剣心の「生きる意味」を体現しているようで好きです。カットされるとは思っておりました。
でもここが一番剣心の心の揺れ動く様じゃないでしょうか。
(いや、一番は薫が死んだと思ったときかな?)
ここを、演じてほしかった。
④最後に。
続編あるから2つで完成品だから見限るな!ってなるかもだけど、続編があったとしても映画は一つで一つの作品であることが前提だと思っているし、続編はさらに前作を補填する+αだと思っているので一つで面白いと思わなければ前提が破綻してるんよな。(私的見解です)
無理なんでしょうが、原作と違うなら違うって言ってほしい勢です。これは周りに聞いたことないんで多数派か少数派かは分かりません。
ただ一つ言えるのは縁、めちゃくちゃよかった……。話し方も普段の気だるげな佇まいも、そして無くてはならない上着を脱いだあの衣装のときの二の腕の筋肉。
最高すぎんか??
2.5次元の完成形を見た気がします。実写化ってどうしても原作(アニメ含む)が先行しちゃうからイメージそのままってことが難しいと思うんですが、ここまで完璧な体現は圧巻ですね。個人的にはこれまでの実写化キャラでNo.1です。あんまり俳優さんを知らないんですが、これでばっちり真剣佑さんは覚えました。
巴さんは有村さんじゃ可愛すぎんか?と思ったけどあの消え入りそうな表情はいいな……。
巴さんて難しいよね。若くして旦那に先立たれ、その仇打ちをするために生きていてあまりにも影があるし、色気もある。そんな巴さんと実年齢が同じ人が演じれるんか?って思わずにいられません。
あと、爆撃の中、剣心が市民を助けるシーンて原作もありましたっけ。あった気がする。私も助けられてぇ。
あれ、一つじゃねえな……。
本当にこれで最後です。
2021/5/12現在、東京は緊急事態宣言により、商業施設に休業要請がでている。
古書店については、床面積の合計が1,000㎡超の施設については休業要請、それ以下の場合は休業の協力依頼がでている。
協力依頼の場合も4/25から5/11まで休業すると1店舗あたり34万円、緊急事態宣言が延長されたことで、5/12~31までの休業で40万円の協力金が振り込まれることが発表された。
一回目の緊急事態宣言の際はどこの古書店も休業を余儀なくされたが、今回の緊急事態宣言では対応が分かれている。
国、自治体の要請に従い休業を決めた古書店、要請には従わず営業を続ける古書店。
それぞれの考えがあり、対応を決めているのだろう。
だが、今回の対応には何か腑に落ちないところがある。
twitterをみると、今回の協力依頼に対して、下記のような反応があることがわかる。
①政府、都に逆らうなんてとんでもない!→休業する→わかる
この③の対応、これがどうにも腑に落ちないのだ。
国、自治体に呪詛を吐きながら、ちゃっかり協力金はいただきながら休業する。
たとえば、映画関係者らは、「SAVE THE CINEMA」プロジェクトを立ち上げ、劇場、イベント等が部分的にも緩和されているにもかかわらず、映画館は休業要請を継続されることに対し道理がないとして抗議している。
映画館に要請されているのは休業要請であり協力依頼とは重さが違う。
店を閉めるのは、感染を拡大させない、人流をとめるためだ、という意見もあるかもしれない。
しかし、感染予防、人流をとめることに対し、古書店を閉めることがどれだけの意味があるのだろうか。
古書店が感染拡大の対象になるというのであれば、ほとんどの商業施設がクラスター発生場所となってもおかしくない。
かのように感染拡大、人流の双方の観点からみても営業の有無が影響を与えない商業施設、それが古書店であり、だからこそ政府、自治体も協力依頼どまりの対応としたのであろう。
もし、政府、自治体へ抗議の意志を示すのであれば、協力金を拒み、営業を続けることだ(最も困難な道は協力金を拒み、営業は休業することだ)。
それが言行一致であり、緊急事態宣言下として周囲からみても納得がいくふるまいである。
あるいは、「金がもらえるんだから休むよ、そのほうが営業するより楽だから、ネット通販もあるし」というように開き直るのであれば、それはそれで一つの態度だ。
だが、普段から政府、国の対応をさんざ批判しておきながら、いざ協力金がでるとなると尻尾を振って受け入れてしまうこと。
もちろんいくら口では大きいことを言おうと生活があるのだ、休業して金をもらえるのであればそちらを選びたい、という気持ちはわかる。
わかるが、やはりその程度の覚悟なのか、と思わざるを得ない。
普段から古書店を利用する者として、反体制を気取るのであればここは営業を続けてほしかった。
今回営業を続けることを決めた店はやはり今後積極的に応援したいと思う。
そして最後に、③を選択したということは、政府、自治体から「普段は多少キャンキャン吠えても、この程度のはした金を渡しておけばおとなしくいうことを聞くのだ」と間違いなく理解されているだろうということであり、そのように思われることに何の抵抗も覚えないのだろうか、ということだ。
そのことに無自覚なまま、緊急事態宣言があけたらなんのてらいもなく政府批判を続けてしまうこと。
そうした言葉はむなしく空回りせざるを得ないだろう。
OculusQuest2を買って毎日ビートセイバーや卓球して遊んでる。VRのAVなど180度映像や360度映像は8Kであっても遠くの景色は不鮮明で画質は悪くとても現実にいるような感覚はない。Amazonプライムとか映画は楽しめるが視野角が狭いので難はある。
スゴイと思ったのは3D映像。ビッグスクリーンというアプリで3D映画が有料で上映されている。ハリウッド版「攻殻機動隊3D」のトレーラーをVR映画館で見てみたのだが、スクリーンに吸い込まれそうな奥行きがあるしスクリーンから爆発の破片とかが飛び出してくるし本当に迫力があった。
「アバター」が流行ってた時に見たい見たいと思いながら結局映画館に行けなかったのだが、このリアリティある迫力ならそりゃインドで女子高生が転生目指して自殺しちゃうわって思った。
360度映像だと解像度が全然足らないけど平面スクリーンの3D映像なら問題なくキレイに見られる。3D映像はVRと相性がいい。
3D映画は3Dテレビや3DSの失敗とともに茶化されてばかりのものになっちゃったけどVRで見られる作品としてどんどん新作が作られていいと思う。
選手がかわいそうだとかそういうことはこの際置いておく。
はっきり言って、いまの東京都にオリンピックを円滑に進めるだけの余力がない。
どれぐらい危機的状況なのかというと、まず「協力金を適正に執行することができてない」ということだ。
都の飲食店協力金について、「申請IDで登録せよと書いてあるので、付与されるのを待ってたら期限切れになった。」とか、そうだろうなあと思う。
まず、日曜からの緊急事態宣言の内容を発表したのが金曜の夜。そして、国の通知と都の対策に整合性が全然ない。そして、窓口と連絡も取れない。
そして、その後も映画館はダメだが劇場はOKとか、もうどんな判断してるのかわからない。
なぜこうなったのかは大体わかる。
職員を責めたくはない。
落ち着いて時間をかけてやれば、こんな間違いは誰だって起こさない。
東京都職員が無能なのではない。単純な話でリソースがないのだ。
この状況で東京都が円滑にオリンピックを感染症対策をして実施できないだろう。
ただ、ここですぐにやめろと言えないのは、やめるにしても東京都の事務処理は大変な負荷がかかるだろうということだ。せめて延期の期日が2年であればまだよかったのだが。
これは毒親持ちのオタク女子(23)から、惣流・アスカ・ラングレー(式波・アスカ・ラングレー)に送る、一方的なラブレターである。
14歳の時に、DVDでエヴァを見た。画面の中で、私と同じ年の少女が「エヴァパイロットではない自分には価値などない」と、心から真っ赤な血を流しながら叫んでいた。その姿を見て私は泣いた。彼女の機体にかけられた虹色の光に、そしてその身を裂くような苦痛に、私も一緒に襲われていた。
それが私と惣流・アスカ・ラングレーの出会いだった。
アニメ版、旧劇場版でのアスカは母親に存在を否定されたという過去があり、自分自身の存在をエヴァパイロットであることに依存している14歳の少女だ。とても愛らしく美しい見た目をしており、自分の培ってきた能力で他者を圧倒することを厭わない高飛車なその性格と内側に抱えた闇は、一瞬で私を虜にした。
アスカが私を虜にしたのは、私の状況が彼女に酷似していたからだ。もちろん私はアスカのような美少女ではないし、大学に飛び級出来るほど頭が良かったわけでもない。しかし一応、県のトップ高校に行ける程度には勉強はできた。父というモラハラ上司に四六時中監視され自尊心を根こそぎ奪われていた私にとって、勉強はプライドの拠り所だったのだ。それだけが、私の誇りだった。
だからエヴァパイロットであることを拠り所にしているアスカの気持ちは痛い程よく分かった。そしてそれを取り上げられる苦痛も、それがなければ他者と関わることができないという辛さも、何もかも。
それ故、高校から大学にかけて私は彼女を愛した。彼女と出会う前は派手だと遠慮していた赤も、彼女の色だと思えば愛おしかった。私のような地味な女には似合わない赤の小物がいつしか部屋の中に増えていった。
ランダムのラバーリストバンドの箱を開けて、彼女の機体をモチーフにしたカラーではないものが出てきた時は心底がっかりした。
「あんたバカァ?」という嘲りを含んだ声色も、その内側に抱えているものを知る私には愛らしく響いた。
『心よ原始に戻れ』を歌うときには、いつだって彼女のことを思い浮かべていた。
彼女の高慢な態度も、その華奢な身体に内包した闇の深さも、海風に髪がなびいたときのきらめきも、心が壊れて廃墟のバスタブに横たわっていたときの姿も、頑なに心を開かないところも、最後にシンジ君に対して「気持ち悪い」と吐き捨てたところも、惣流・アスカ・ラングレーを構成するすべてを、私は愛していた。
しかし新劇場版では、アスカは母親の因縁から解き放たれていた。加地リョウジを愛することもなかった。それどころか何のきっかけもなくシンジを愛し、レイに碇親子の会食を勧めるようお膳立てしさえした。
そんな彼女は私の目にはまるで安っぽいギャルゲーの物分かりの良いサブヒロインのように映った。アスカがシンジを好きになるきっかけが埋まったエピソード(瞬間、心、重ねてとマグマダイバー)は、新劇では全てカットされていたからだ。
好きになる理由がないのにどうして?やっぱりシンジ君を上げたいだけの話なの?最近流行りの異世界転生のように?くだらない、くだらない、くだらない!
アスカの扱いの粗雑さに腹が立った。
私は新劇のアスカを愛することはできなかった。私の愛するアスカは惣流の名を冠する彼女だけだ。胸を貫くような痛みを共有できる彼女だけが、真のアスカ・ラングレー。そう、思っていた。
が、シンエヴァで彼女が救済されたことを知ったとき、素直に涙が零れた。心の底から良かったと思えた。彼女の首にはもう、DSSチョーカーはないのだ。置いて行かれたという気持ちがなかったわけではなかったが、いつか私もそうなれるのだというエールのようにも思えて、映画館で静かに泣いた。
私もいつか、父の呪縛から解き放たれ、自分自身の人生を生きることができるだろうか?
遠くから、私を嘲笑う声が聞こえる。お前は必要ないと叫んでいる。お前など産まなければよかったと、感情的に叫ぶ声が聞こえる。女の癖にと嘲る声が聞こえる。雪の日に裸足で外を歩かされた記憶も、八歳の時に殺されかけて失禁した記憶も、寄生虫と呼ばれたことも、女のお前など中流の公立高校で十分だと言われたことも、受験した大学が一つしか受からず受からなかった分の受験料をどうするのだと土下座をさせられたことも、弟が父に刺されそうになり慌てて止めたことも、十八の時に父の頭をフライパンで殴ろうとするも喧嘩慣れしていなかったせいで肩に当ててしまい殺しきれなかったことも、成人式の時に着物代を一銭も出さなかった父に私の用意した貯金額があまりに少ないと文句をつけられたことも、なかなか消えはしない。それはどうしようもなく、私の一部だ。
でもそれもやがて遠い記憶の中に埋もれ消えていく。
私が、未来を見て歩き続けるのなら。
傷つくことを恐れず、他人と関わっていこうとするのなら。
父の呪縛を一気に解いてくれる何かなんて、ありはしない世界で私は生きている。でも私はそれでいいと思う。確かにそんなものがあったらいくら金を積んだっていいけれど、ありもしないものを求めたって仕方がない。
アスカ。私がいつか父の呪縛から解き放たれたら、一緒に日比谷の無印カフェに行ってくれないか。そこでお茶をしよう。ケンスケくんの話をしよう。呪縛から解き放たれたきみと、一緒に笑いたい。
そんなことを言ったら、きっときみは「気持ち悪い」と言う。でも構わない。「気持ち悪い」と言われるのを恐れずにきみに話しかけられるようになること自体が、私が呪縛から解き放たれた証なのだから。
アスカ、いつまでもきみを愛しているよ。ケンスケくんとお幸せに。