はてなキーワード: 広報とは
けものフレンズが人狼っぽくなってきたと思ったので、人狼のログっぽくしてみた。
20:20 | j-castさん | 「KADOKAWA広報さんに問い合わせました。『本日中にこの件に関するリリースを発表』とのこと」 |
13:05 | ドワンゴ 栗田穣崇さん | 「狩人CO 今日具体的なアクションを起こす」 |
12:17 | ふたば としあきさん | 「[パターン23] カドカワ◯ たつき監督●」 |
9:16 | ドワンゴ 川上社長さん | 「霊能CO この件について中で議論されないということはありません」 |
8:47 | ブシロード 木谷社長さん | 「初日犠牲者が発言するのはお客さんに失礼」 |
9/26 | 1日目です。 | |
20:00 | たつき監督さん | 「ざっくりカドカワさん方面●」 |
9/25 | 0日目です。 | たつき監督さんがプロジェクトから外されているのが発見されました。 |
巷でよくいる「コピーライター」の職業にたいして、どうして大御所とか偉いとかいう考え方が定着しているのかわからない。
それならエンジニアとかのほうが何かを生み出して専門的な分、偉いなって思える。
正直、もののけ姫のコピーとかにしても、この映画みてコピー考えてくださいよって言われたら誰でも考えられるくない?
コピーライターなんて、広報が片手間に考えれるくらいのレベルなのに、大手代理店とかで仕事もらったり制作してる営業とかデザイナーとかと同等の給料が支払われていることに疑問を感じる。
っていうことを書くと、コピーを考えることは云々って御託を並べる層がある程度発生するんだろうけど。
広報はかなり心理学的要素がからむから、桃山レベルに達してるのなら意味が無くはないとは思うけど。
流石にF欄とかだとキツイかもしれんが、中堅ならかなり意義は有ると思う。
そもそも、偏差値55程度ならわりと学術方面もいないこともないと思う。東大院へロンダとかも現実的な階層だし。
あと、アカデミックを目指すにあたって習得した内容を、色んな形で活かす職業もあるにはあるんだからそういう方面をもっと強調するべきとかそういうのは思う。
アカデミック・ポストを目指してる人なんて最難関大学でもそう大量にいるわけでも有るじゃなし、
単純にアカデミック・ポスト「だけ」がアカデミックの結果としてしまう思想自体をどうにかしたほうが高等教育の意義ってのは深まると思うんだがなあ。
でも広報からのメッセージって形で周回プレイについて教えるのはちょっとどうかと思った
ハード以上で1発1発を意識してやんなきゃいけないんであればまだその感覚あるのかな?
9Sルート入って冒頭で違うとこすすんですぐ終わるENDみてすぐ終わってワロタw
でもこれなら周回ラクだね
9Sはハッキングできるけどボスだとミニゲームがむずすぎてクリア無理
オート操作してるのにスティック動かしてるから干渉してるのかな?
完全オートで任せればいいのかな?
カギつき宝箱とかもうどこにあるかも忘れたし探すのもめんどいし
とゆーわけで2週目はとばしまくりで8割くらいまできた
アジのメールは普通に店に売っちゃったけど食えばエンディング見られたんだなw
とりあえずストーリーを楽しもう
1週目の一番最初はバンカーのキャラ全員に話しかけたりもしたけど、さすがにめんどくてもうNPCの会話を集めるのは無理だわ・・・
ruinousです。誠実なお返事、ありがとうです。気分は害していないので、お気になさらず。
ただ、叩きたいだけの人が同じような手法で難癖つけることが多々あるので、
またそれか・・・と思ったのでブクマコメントしました。はてブの100文字制限は厳しいですね。
「obligated to do so」なのは「email/talk to anyone else according to what they think is the fastest way
to solve a problem for the benefit of the whole company」することだと思うので、
別に今の日本ではむしろ歓迎されてしかるべきことだと思いますよ。
要は誰かとコミュニケーションとるときに、いちいち上司にお伺い立ててんじゃねぇよと。
そして、オレに話通さないで何で他部署の奴とコンタクトとってんだ、とかわけわかんないこと言うんじゃねぇよと。
テスラという会社については、まぁがんばれという気持ちでしかないです。
世の中にはあってほしいけど、友達にはなりたくない。
新しいものを創り出そうというベンチャーが大なり小なりこんな感じであることは特に珍しくないと思っています。
ただリリースというか広報というか、外に向けて自社の状態や見通しや信用やフォローや、
何かをアピールするのが下手だなぁという印象です。
個人的には、その会社のカルチャーと、会社の状況やつくりだすプロダクトとは
分けてお話ししたほうがいいと思うのですけれど、中々そうはならないですね。
2017/8/28日
公の場でヒトラーを称賛し、ナチスのホロコーストと南京大虐殺を否定しまた、"ナチスの科学"を崇拝したことで耳目を集めた人物の一人である高須克也医師に対し、サイモン・ウィーゼンタール・センターが追放要請を呼びかけたことについて、米国美容外科学会(AACS)が回答しました。
シカゴに本拠を置く学会の上級職員は、ウィーゼンタール・センターの副センター長・グローバルソーシャル・アクション担当ディレクタであるダビ・アウラハム・クーパーに対して、高須 ( 日本で影響力のある知名度の高いメディアセレブ ) に対する批判が殺到していること、そして本件の調査が数週間以内に完了するであろうということを認めました。
学会への書簡の中で、ラビ・クーパーは以下のように書いています。
すべての寛大さの規範を捨て去れ、反ユダヤの差別主義者、露骨なナチス愛好者を明らかにせよ。
こんにち我々の世界で最も唾棄すべきはナチスイデオロギーによる抱擁である。
さらなる情報についてはセンターの広報部 310-553-9036 までお問い合わせください。フェイスブックでセンターに参加しよう www.facebook.com/simonwiesenthalcenter あるいは @simonwiesenthalをフォローしよう。最新情報のアップデートがツイッターのフィードに直接届きます。
サイモン・ウィーゼンタール・センターは40万以上のメンバーファミリーを擁する米国の最も大きな国際的なユダヤ人人権団体の一つです。UN、ユネスコ、OSCE、欧州評議会、ラテンアメリカ議会(パラティーノ)などを含む国際機関のNGOです。
http://www.wiesenthal.com/site/apps/nlnet/content.aspx?c=lsKWLbPJLnF&b=8776547&ct=15003641¬oc=1
by napsucks
第一に人間には(例えば日本人には国法で保証された)人権があるのだけれど、じゃあそれって常に守られてるかって言えば守られていないよね。
殺人事件の被害者は死体になっちゃってるけれど、彼には生存権がなかったかと言われれば、あった。茨城の自殺で自殺しちゃった子供にも、人権はあった。だから「人権さえあればいい」というのは誤りで、あったとしても誰もがそれを意識して守らなければそんなものはないも一緒なんだよ。
第二に、人種差別や性差別は、いま現在ではそれが「悪いことだ」とされていることでも、ちょっと前までは日常的に行われてきた行為がたくさんあるよね。「A子さんもそろそろ結婚しないと困る歳よね?」なんて会話は、地方では本当に日常的に行われていて、おそらく言ってる側も悪意なんて特にない。このケースは言った側に人権侵害の意図があったわけじゃなくて、人権やら差別に対する知識/認識が足りてないから起きたケースだといえる。
第一と第二からわかるのは、人権っていうのは、それを学ぶのも、意識するのも、守るのも、非常にコストがかかるっていう事実だよ。一般的に暮らす人は、毎日おびただしい数の人権侵害をしている。しかもそれが侵害だっていう意識もとくにない。
人権の意味と意義とそれの守り方を学ぶのは、それこそ哲学について修士できるほどの学習コストがかかるし、日々の生活の中で何の侵害もしないようにするのは聖人クラスの気遣いが必要だ。「そんなことないだろ普通の暮らしをしていれば、他人に迷惑をかける事なんてないはずだ」って言う人は、ただ単に見込みが甘いだけで、むしろそういう人ほど、学習コストを払っていないだけの、無自覚の加害者である可能性が高い。友人同士の日常会話も含めれば、人間は、多かれ少なかれ侵害をしているんだよ。
個人的な感想で言えば、そういうふうにお互いの権利を少しづつ侵害し合うのは、完璧な生物ではない人間にとって仕方がないと思う。多少のことは目をつぶり、相手が苦痛を受けてたら素直にごめんなさいをする。目に余る部分は改善していく気持ちを持つ。そうして社会生活を送っていけば、それで良いとは思う。それは人権や差別の問題に、人生が終わるまでの間、人生のすべてを投資するという意味ではなく常に考え続けて、そういう世界と付き合っていく覚悟を必要とすることなのだけれど。
しかし、一部の原理主義的な人、今ある混沌に耐えられない潔癖な人が、「自分よりも分かってない」人々に対して「いいからこの規則を守れ!」と言い出すものがポリコレなんだよ。
ポリコレはある種の言葉狩りであり規範なので、人権のそもそもの成り立ちに対する理解や、歴史的経緯に対する考察とか必要ない。メリットで言うならば、人権に関する高コストな学習をしないでも、表面を取り繕った秩序を社会にもたらすことが出来る。
しかし一方で、人権の概念やその必要性に対する理解なくただ振り回す棍棒にも堕しやすいわけで、そりゃあ当然マウンティングの道具にもなる。
この件に対する増田の(そしておそらく、良識派の多くの人の)誤解の最たる点は「人権の概念や成立やその運用や問題点について学ぶことは、相当高コストだ」っていう一点にあるんだよ。だからこそ廉価版/劣化版のポリコレなんてものが登場したし、いまも一定の用途で(例えば政治家の公開発言や、企業の広報などで)利用されている。