はてなキーワード: 募金とは
追記、であるので、昔の助け合い基金的なムーブがほぼ効果がなくなってしまった現代においては、「募金の意義を子供に教え込いや身近に感じてもらう」くらいのメリットしかないです
まあしかしご存じの通り日本人はせーので何かやらない限り募金なんざしない国民性なので、最大手広告塔として、そこにあるだけで役に立ってるとはいえるよ
みんなに優しくするなんてのは欺瞞だ。調子に乗るなと言いたい。
本当に"みんなに"優しくするとしたら、コンビニ行くたび財布の中身を全部募金箱に突っ込まなきゃいけないし、電車で立ってる人が居たら席を譲らなきゃいけない。いつも財布はすっからかんで、朝の通勤電車には二度と座れない。
現実的には、人に優先順位をつけて順位相応に優しくすることしかできない。
大切な人と大切じゃない人が川に流されてたら、大切な人から助けてしまう。2人同時に助けなければ、大切じゃない人の死ぬリスクを増やすことになる。沢山の怪我人がいる中で重傷者を優先的に治療すると、軽傷者は放っておかれる。
しかも、優しくできるのは自分の余裕があるときだけ。肉体的、精神的、経済的、時間的な、色んな余裕があるときだけ。余裕は有限だ。仕事で疲れ、上司に怒られ、お金は無限に湧いてこない、一日は24時間。
自分が川に流されそうなら助けない。うんこが漏れそうなら道案内はしてられない。〆切に追われてるときに人の原稿は手伝えない。
本当に優しい人はみんなには優しくないし、一見厳しく見えることもある。
陰謀論にハマった友達を受け入れて見守る。間違いをそのままにして褒め称える。会社のためにサービス残業する。優しそうに見えて本当には優しくない。
本当に優しい人なら、時間をかけてでも抜け出せるまで付き合う。今後間違わないよう間違いを指摘する。会社の体制を変えるよう働きかける。
好かれようと嫌われようと、いい人に見えても見えなくても、その人の今後を考えて自分の余裕を使う。それこそが本当の優しさじゃないか?
本当じゃない優しさを否定する気はない。偽善であれ何であれ、全ての優しさは素晴らしい。
その上で、本当の優しさに目を向けて本当に優しくしてみませんか?陽の目を浴びにくい本当に優しい人を見つけて、その人に優しくしてあげませんか?という提案だ。
みんなには優しくできないし、大した見返りも期待できない。何なら嫌われることもある。でも、その人の今後を思った本当の優しさは、人生そのものを幸せにできるかもしれない。
僕は、みんなに優しくできない
アメリカの竜巻被害が大きく報じられたのに対して、マレーシアの洪水は日本では扱いが小さいけど酷いことになってる模様。被災者の無事を祈る。
https://imgur.com/gallery/sl8XV5C
最初の動画は冠水した道路と水没した車が波にあおられてプカプカ浮いているような状況を映したもの。程度の差はあれど世界各地で似たような被災状況の映像を見たことがあるかも知れない。
ところが、この投稿には以下のような複数の動画が貼られている。
世界各地で似たような被害が増えているけれど、意外と地域性あるなと感心してしまった。
また、日本と違って床上浸水した水の透明度が高くて意外と綺麗そうなのも意外だった。
人的・経済的被害がまだよく見えていないこともあってか、主だった国内募金窓口も未だ無さそう。Yahoo!ネット募金とか出来るようにならんかね。
2011年のタイの洪水でHDDの供給が枯渇したのは記憶に新しいけど、マレーシアも世界生産の2割くらいはHDD生産してるらしいし、他の品目も含めモノ不足がまた悪化しそう。
映画が好きだった。いや、大好きだった。
こんな事を言ったら蓮實重彦に怒られそうだ。でも、有村昆なら許してくれそう。
本当に映画が大好きだった。
映画館には年に百回以上行っていた。TOHOシネマズ、イオンシネマ、ユーロースペース、シネマカリテ、ギンレイホール、シネマヴェーラ、新文芸坐、早稲田松竹、地域の映画上映会……。
コロナ禍になってからは行ける機会がほぼなくなった。そして、映画館の経営危機のニュース。SAVE the CINEMA の募金が始まったらすぐに入金した。世界が元に戻ったら、毎日のように映画館に通おう。そう思っていた。
2日程度で終わると言われたが、私の場合は終わらなかった。どんどん悪くなっていき、事前に言われてた副反応以外の事が起こり続けた。
たまたまだろうと気楽に放置していたが、放置すればするほど悪くなった。1ヶ月目あたりから色々な医者に診てもらったが何もわからない。やがて、通院すら厳しい体調になった。家でほぼ寝たきりの生活。
それぐらいから初めてネットで調べた。本当に珍しいようだが、私のような人が相当数いるらしかった。みんな困っていた。診てくれる病院が無い。
どうやら最悪のくじを引いてしまったらしい。
ずっと映画のことを考えていた。
接種直後から首と肩の激痛が始まって「これじゃ映画館には行けないな」と思った。
九月の終わりには自宅ですら映画が観れなくなった。5分ほどで強い症状が出てきたからだ。どうやら映画はかなりの負担がかかるようで「二度と映画は観れないかもしれない」と思った。
それから映画を観なかった。何度も試して、身体の反応と映画が結びついてトラウマになるのが怖かった。
4ヶ月が経ち、いろいろな出会いがあった。
いくつかの症状は対症療法で苦痛が抑えられる事もわかった。ほぼ寝たきりに変わりはないが、症状をコントロールするための武器が増えた。
ふと、ネットフリックスを見る。
『チック、チック…ブーン!』が配信されている。ずっと気になっていたミュージカル映画。『RENT』を作ったジョナサン・ラーソンの自伝的舞台が原作だ。
ラーソン自身は35歳で早逝している。大動脈解離による急死。ウィキによると、正しく診断されていれば亡くなっていなかっただろうと書いてある。妙な親近感を覚えてしまう。
テレビからドゥーンという音が鳴る。懐かしいネットフリックスのSE。
手元のApple Watchを見る。心拍数は安定している。
映画が始まる。
これは持論だが、テレビやラジオと映画の大きな違いは「出演者のカメラへの意識」だ。もちろん、映画であろうと演者はカメラを意識している。だが、原則として「俳優がカメラを意識していないように見えている事」がその良し悪しに直結する。テレビやラジオはその点がもっと緩いのだ。多くの映画監督が「俳優は演技しなくてよい」と言っているが、これはある種逆で映画観客こそが「演技をしない俳優」を求めているのだ。
妙なこだわりを吐露してしまったが、要は映画独特の演技をしている人間を久しぶりに見ることができたのだ。
それだけで嬉しかった。喜怒哀楽を揺さぶるシーンでもないのに涙が流れる。流れ続ける。
手元のApple Watchの心拍数を見る。心拍数は安定している。
物語は続いていた。
『チック、チック…ブーン!』は90年代のニューヨークを舞台にしたミュージカル。美しいメロディとウィットに富んだ詞、そして優しい物語。
主人公の三十路前のジョナサンはミュージカル作曲家を夢見ており、彼の周囲には貧しい芸術家たちがいた。ダンサーの恋人、LGBTの広告マン、そしてHIVの友達。
HIVなので「やあ、今日のT細胞は順調だったよ」なんて会話が出てくる。ああ、似たような会話、今日SNSでもやったなあ。
観ている間、ずっと涙が止まらなかった。
観終わった後、鋭い眼痛とやや強い頭痛が長時間続いたが、幸いにもひと眠りしたら収まった。どうやら通して観るにはまだ早いらしい。
それから週に1回だけ、30分おきに休憩を入れながら映画を観るようになった。
途中で止めるなんて、以前の私なら映画への侮辱だと思っていたかもしれない。
でも、いいじゃないか。
ラーソンのミュージカル『RENT』に「SEASONS OF LOVE」という歌がある。
歌詞がなかなか興味深い。
525,600分、この人生における一年分の時間を人はどうやって測るんだろう?というような内容だ。
歌にはいろんな単位が出てくる。コーヒーを淹れた回数、笑った回数、喧嘩した回数。
自分も思い浮かべてみる。
Suicaを改札にかざす回数。
上司に怒られる回数。
後輩に冗談を飛ばす回数。
朝の散歩で澄んだ外気を吸い込む回数。
映画館に行く回数。
8月を境に数えられなくなったものがたくさんある。
何で測ればいいんだろう。何で測れば救われるのだろう。
でも、いい言葉だと思った。
例えまったく外出できなくても、これから何かを、誰かを愛する事は出来る。
そして、こうなってしまってから助けられた、たくさんの愛を数える事ができる。
決して今までの人生に負けてない。
やたらイベント繰り広げて
皆んなで肩組んでいい人っぽいやつをTVで、めざましテレビとかでやるじゃん?
でも今回のコロナじゃなんかちんちんピクリともしてなさそうだよね。
それこそ無駄に人集めなくても何かできるような気がするのね。
普段の?災害のああいうイベントって、ああそういう物なんだろうなって
やっていたとしても、そういう報道をテレビでやらないってことは
挙句の果てにイベント屋さんに補助金を!とかアーティストはお金ないです!とか
なんかこうロックじゃねぇなぁみたいな。
わかるけどね。
これが忌野さんが生きてたらなんか皆んなでやったんじゃないか?とか
ヒロトはたぶん今も何かやってるんだろうなとか
自宅待機してんのか?在宅勤務か?
「思い切ってやってみろ」の一言に尽きる。
自己分析ついでに俺が金に余裕があったらやりたいなぁって思っていることを書き出してみる。興味のあるものに行ってみてくれ。
高級ビュッフェに行く
寿司屋に行く
一人焼肉にいく
いきなりステーキに行く
マッサージに行く
風俗に行く
スーパー銭湯に行く
競馬競輪オートバイをやってみる(自分の価値感的に、とんでもない額をかける)
プロレスに行く
お笑いライブに行く
服を買う
靴を買う
いい枕を買う
いいイスを買う
加湿器を買う
キャバクラに行く
u-nextに入る
美術館に行く
水族館に行く
動物園に行く
メイド喫茶に行く
ホストクラブに行く
まとまった金を捨ててみる
まとまった金を募金してみる
夜行列車に乗る
マックでめちゃくちゃ頼む
以上。金をそんなに使わなくても出来ることも何個かあったわ。
ブログを開設しツイッターでも積極的につぶやいている方ですが、その割にあまり継続的にメディアに取り上げられている様子がなさそうです。2021年衆院選政策アンケートは第49回衆議院議員総選挙の立候補者全員を対象としているので特筆性の根拠にすべきものではありませんし、過去に炎上したことがありますがこれも特筆性の根拠になりません。選挙に立候補しては落選を繰り返す人物でも羽柴秀吉、又吉イエス、後藤輝樹などは結構メディアに取り上げられているので、同列にはならないでしょう。
過去4回にわたり共産党から国政選挙に立候補している点で特筆性があるのかどうかということですが、当選したわけでもなく、上記のように継続的にメディアに取り上げられているわけでもなさそうなので特筆性がないものと考えます。
ケースE「百科事典に記載するほどの著名性・特筆性がない記事」
(削除)依頼者票。--Muyo(会話) 2021年11月13日 (土) 15:18 (UTC)
削除 依頼者に同意。現時点では党関係者として、何らかの特筆性がある人物とは思えない。--Sercioranndoss(会話) 2021年11月15日 (月) 04:25 (UTC)
削除 現時点では選挙に立候補しただけの人であり、政治家としての特筆性は選挙に出馬しているという一事をもって特筆性が保証されるわけではありません。以前の募金に関する炎上案件で私も名前だけは知っていましたがそれを持って第三者言及があるとはならないでしょう。ケースEとして削除に同意します。--Naga-r-juna(会話) 2021年11月17日 (水) 01:34 (UTC)
Wikipedia:削除依頼/香西かつ介 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E5%89%8A%E9%99%A4%E4%BE%9D%E9%A0%BC/%E9%A6%99%E8%A5%BF%E3%81%8B%E3%81%A4%E4%BB%8B
個人ってとこがミソだよね。
これが企業とかだったら「女性への支援をCSRに掲げている企業があるんだなぁ」
ってなるんだけど、個人から1億ってなると話が変わってくるよね。
個人の有象無象が寄付したとして800万は想像しやすいけど、それが増えたとしても1億って到底行きようのない領域だよ。
未曾有の災害とかでYahooで募金とかしないと1億とかに到達しないよ。
24時間テレビで8億円だからね。その1/8とはいえ個人で1億円寄付を頂いてるというのは規模がすごいことっていうのが分かったと思う。
ここまでつらつら並べててピンときた方は非常に頭が回るお方だと思う。
1000万単位でポンと投げられる人とかが複数いないとこの額を達成するのは無理。
表では女性を守るために奔走する姿を見せながら、裏では "太い" 個人と繋がっていたってなるとめちゃくちゃ矛盾してるよね。
頻発している鉄道テロは、明らかに底辺男性達によるストレス発散として利用されている
弱者女性のストレスや不満の発散方法と違うなと気付いたので、この記事を書いている
男性はテロなどの暴力、破壊行為を行い、現実の不満を外に発散させる傾向がある
→例:今年の京急、小田急、九州新幹線でのテロ、過去の通り魔事件など
女性は陰謀論を展開し、空想上の都合の良い存在や理論を作り出し、現実逃避する傾向がある
→例:ワクチン陰謀論、芸能人のスキャンダルは自民党によるものという陰謀論、CO2による温暖化の環境問題など
単純に見たら底辺男性は底辺女性よりも危険で犯罪に走りやすいことが分かる
(性犯罪者は警察官等でもいるので、ここでは除く。窃盗、詐欺等は低収入を補完する手段として実行されているので同様に除く。)
今回、至った結論としては、
底辺男性は底辺女性と同じようにを陰謀論や環境問題等に傾倒するようにしたらどうか、ということ
陰謀論や環境ビジネスは底辺女性以外も傾倒して、儲けようとしている輩もいる
人と違うことが格好良いと勘違いした金持ちが支援してくれることもある
現に新型コロナに効果のない消毒液をばら撒く装置を売ったり、マスク外そう運動で募金を収集したり、太陽光ビジネスとか
仕事を抜け出してバイトをしに行ったり、仕事中管理職が居ないのを良い事に俺に仕事を押し付けてサボってばかりの人間だ。
他にも様々な不正はあったが管理職が人を少ない事を理由に黙認し取り合わなかった。
却って俺の方が煙たがられた。
年長な事をいい事にやたら偉そうな態度を振る舞っていて、当初は先輩だからとソーデスネースゴイデスネーとヘコヘコしていた。まあそんな職場は去る事になった。
そいつが募金をした理由も分からないし何回もやったかどうかも分からない。
恵まれない人に少額でも支援する事は良い事だろうが、そいつは俺には大した技術も教えてくれなかった。
そんな能力も無かったのかも知れないが。
募金するから良い人とかそんな事は低次元の話でクズ野郎はクズ野郎だ。
アフリカの人が〜とか南極の氷が溶ける〜とかそんな遠い事よりも、
目の前の困った人を助けてくれる方が立派だなと思う。
休憩時間は昼時のみで夕方以降はなし。昼も電話だなんだでゆっくり食事もできないから外食×
人と人で支えられててすごいね
エコなんてなんのその。FAX無駄紙、無駄ポスターが山のように届いてくる
赤旗購読募金はもちろん、選挙で募金、選挙でなんかするから特別募金、また選挙で募金。
打ち出の小槌のような党員に支えられている。
打ってもいいけど、休みなんてないよ。
打ったらすぐ事務所に戻って帰宅は23時ね。明日も朝から来てね。
若い人に声をかけて雇おうとしている。
お願いだから人のために生きろ。その能力、財産、時間なんでもいいから人のために使える人間になれ。なにも全財産を投げうって募金をしろと言っているのではない。例えば人類の科学の進歩のために研究に身を投じるだとか、話を聞いて欲しそうな人がいたら聞いてあげるとかでいい。それで救われる人間は必ずいるし、絶対にお前に感謝する。畢竟人は一人では幸福になれないのだから、周りの人間に好かれるように努力しろ。無神論者が多い日本だからこそ言うが、常に神様に胸を張れるように生きろ。恵まれたものはそのちからを人から奪うためでなく人に与えるために使え。現代日本に貴族はいないが、ノブレスオブリージュはまさにこの精神だ。若いうちは意味がわからないかもしれない、でもいつかきっと気づく時が来るし、それは病床に臥せって死ぬ直前かもしれない。だからどうか、人のために生きろ。