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はてなキーワード: メジャーデビューとは

2013-08-06

モチェルダウンス

どこかで聞いたことのあるようなフレーズ。ググっても見つからなかったのでネット外の伝聞情報をここに記す。

概要

モチェルダウンス(モチェルダウンス)は、イギリスロックバンド1969年ヘルシンキ前身バンドを結成、1992年メジャーデビューデビュー以降外部ミュージシャンの起用は多いものの、同じパーマネント・メンバー活動している。「ハテナムーラ」がヒットして以降は常に第一線で活躍し続け、現在アメリカ代表するバンドの一つである

ローリングストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第1327位。

メンバー

現メンバー

ジョン・レモン

アマデウス・オオミカ

メンバー

ミンナ・アホネン

ディスコグラフィー

シングル
「柿を食え」(607年)
デビューシングル。鐘がなるぜよ
「泣かないで」(794年)
泣くよウグイス平安京エイリアン
美しい国」(1192年)
最近はいい国作ろうとは教えないらしい
「変」(1582年)
M・アケチが脱退。
アルバム
ワイマール憲法」(1889年)
それまでDHCが持つ通販化粧品ナンバーワン記録を更新
相対性理論」(1905年)
天動説を覆す
トラトラトラ」(1941年)
最近MAXを見ない
「1969」(1969年)
稲垣潤一、もしくはヴェルディ川崎
マリリン」(1985年)
ハッピーバースデーディアプレジデントでおなじみのホンダ
「アイアンアーム」(2003年)
うちの近所のアトムボーイはここ数年で次々と閉店

2013-05-05

[]http://anond.hatelabo.jp/20130504235227

メジャーデビュー後に既存のファンが遠ざかる、って現象、あれ何なんだろうね

単に「マイナーインディーズバンド応援してる俺カッコイイ」という考えで動いてるのかな

メジャーデビューによる多少の音楽性の変化ってのはあるんだろうけど

ようわからん

2013-05-04

私が思うポップ・ミュージック凄さ、楽しみ方について少し書いてみたい

いきものがかりイケメンじゃない方の男性が、以前テレビ番組

「正直、周りも自分も、学生時代にはロック洋楽に憧れていた。でも、みんなでカラオケに行った時、全員で盛り上がれるのはそういう曲じゃなかった。

結局、みんなポップな曲が好きなんだろ?じゃあ俺たちも、そういう曲を作っていこう」

みたいなことを言っていた。(しっかり内容を記憶していないので、間違いがあったら申し訳ない)

結局みんなポップな曲が好きなんだろ?というあたりには同意しかねるけれど、確かに、二次会なんかでカラオケで盛り上がる曲はAKBでありジャニーズであったり、いきものがかりであったりする。

私は学生時代(といってもほんの数年前)、バンドに明け暮れていて、時折作曲もした。

高校生の時は、いわゆるロキノン系、邦ロック、というものに周囲はドハマりしていた。

バンドメンバーの一人は、本格的に音楽を学びたいと上京していった。

彼は、ロキノン雑誌「ROCKIN'ON」)からまり、他にも毎月音雑誌を何冊も読み漁り、新しくお気に入りバンドを見つけては嬉々として語るような奴だった。一番のお気に入りバンプだったと記憶している。

彼と数年ぶりに会うと、驚くほど音楽の好みが変わっていた。

近場のツタヤに寄ってバンドをやっていたときの事などを話していながら、ロキノンを読んだ。

高校時代の彼ならば飛びつくような、良くも悪くも「ロキノンらしい」新人バンドが目に入ったが、彼は「ここの曲、ちょっと酷いよ。最近売れてきてるみたいだけど。世界観が独特とか、いろいろ言われてるけど、そうじゃない。音楽の作り方が分かってないから、曲になってないだけ」と言うのである

驚いた。高校時代に彼が好きだったマイナーバンドの名をいくつか挙げた。

しかし、「あの頃は、人が知らない物を知ってるっていうことが嬉しかったんだと思う。音楽について知らなさすぎた」とばっさり。

ちなみに、バンプは今でも一番好きらしい。「あの人たちは凄い」と目を輝かせて言っていた。

私は高校時代メジャーだろうがマイナーだろうがところ構わず勧められたものを聴いていたタイプで、けれど、一番好きなアーテイストは「絢香」と「Perfume」だった。

当然バンドメンバーに耳を傾けてくれる人はいなかった。絢香リアルボイスをコピーしたり、Perfume楽曲アレンジして一人楽しんだりしていた。

いざ、曲を作ろうという話になると、とにかくみんなが盛り上がれる曲を作ろうという話になったが、皆驚くほど作れない。

私は「ロックキャッチーでノレるカッチョイイ曲」が作りたかったのに、なんだか通夜みたいな曲ばかりができあがる。

過去絢香バンド曲をコピーして、実際に書き起こした譜面を見ながら疑問符を並べた。

「みんながノレるメロディ」というものを作るのは、異常に難しい。

一応、進行に法則のようなものがあることは皆知っていたので当てはめてみるも、どうにもメロディいまいち

「で、どこで盛り上がるの?」という曲ばかりが出来上がった。

…思うがままに書いたがなんだか脈絡の無い内容になってしまっている。一度まとめたい。

AKBアイドルやらGReeeNとか西野カナとかソナーポケットとか、ネットではこんなものランキング上位などと日本終わってる云々と言われる始末であるが、

ではそのランキングを席巻する曲たちは本当に終わっているのか?

売り方に問題はある。それは十分に分かっているつもりである

しかし、曲そのものはどうか?

あと、最近アニメソングとかも凄い。才能に驚く。全く興味の無い分野だったが、作曲家を少し調べてみると学生時代バンドやってました、なんて人が結構いて驚く。

上記が一番書きたかったこと。

眠いので、全部すっ飛ばして、もう一つ書きたかったことを書く。

メジャーデビューしたりとかして、ロキノン系のバンドタイアップを組み、がーっと知名度を広げていくと、ざーっと以前からのファンが去っていく。

メジャーデビューしちゃったか一般受けする曲ばかりになった」と言う人がいる。

そういう曲は、バラードでもない限りライブで大変盛り上がる場合が多いと思う。何せポップでキャッチーから

今日BBQに行ったので疲れてしまった。途中だが寝る。せっかくここまで書いたか投稿します。おやすみなさい。

2013-04-12

HUNGRY DAYSからケラケラへ

昔、HUNGRY DAYSというバンドがいた。

wikipediaによると、

2003年、TEENS'MUSIC FESTIVALに出場し、ティーンズ大賞を受賞する。大賞受賞曲となった「明日に向かって」でメジャーデビューさらに、映画ビートキッズ」のオーディションを受け合格し出演している。元気で飾り付けないストレート歌詞が魅力。若いリスナーメッセージを送り続けていたが、2006年春に解散した。

当時受験生だった僕は受験勉強がてらミューパラを聞いており、

この「明日に向かって」が流れていたのが僕とHUNGRY DAYSとの最初出会いだった。

【LIVE】HUNGRY DAYS 明日に向かって ‐ ニコニコ動画:Q

「あーメンバー僕と同い年なんだなー」

「なんじゃこのゴイステみたいなサウンドは」

「うわー青いなーほんとうに青いなーこいつら」

とゲンナリしつつも青春だらけの歌詞と曲に魅かれていった僕は彼らの曲をヘビロテしまくっていたのを覚えている。

曲がやたらとゴイステに似ているのは、今は亡き公式サイトによるとメンバー全員がゴイステ好きだったから。

とは言うものの、高校を卒業してから彼らの曲は聴かなくなり、気付いたら解散していたのをwikipediaで知った。

バンドを解散した後メンバーが何をしているのかさえ分からなかった。

とは言うものの、1年に1、2回くらい「こんなバンドがおったなー」って感じで曲を聞いていたりしていたわけだが、

昨日ベースの人とイケメンドラムの人が女性ボーカルを迎えてバンドを組んでて「ポストいきものがかり」と呼ばれて

ブレイクし始めている事を知った。昨日のドラマ主題歌歌ってるし。

新バンド「ケラケラ」結成!|フルダイアリー

それはもうびっくりである。閃光のようにバァっと光ってひっそりと消えていった人たちが、今こうして

ブレイクしようとしているのだから

彼らを見ていると、デビュー時期とかは微妙に違うけど、ほぼ同年代Base Ball BearRADWIMPSを思い出す。

ゴイステの影響を受けまってたHUNGRY DAYS

ナンバガの影響受けまくってたBase Ball Bear

エルレの影響を受けていたっぽいRADWIMPS

早々に解散してしまったHUNGRY DAYSと違い、ベボベradは今でも活動を続けているけど、

ベボベはなんだかスタイリッシュヒカシューみたいになっているし、

radは色恋まみれのBUMP OF CHICKIENみたいになっている。

思い出は変わらないけど、人って本当に変わるもんだなあとしみじみと思ってしまったのだった。

ところでボーカルギターの人今どうしてるんだろう。

2013-02-10

M3という即売会がある。

http://www.m3net.jp/

普通即売会がいわゆる「薄い本」を頒布するのに対して、

ここでは音楽CD映像ラジオといった音が出る作品を売っているイベントだ。

しかも売るものは個人製作に限らないということで、現役の声優メジャーデビューしたバンドがいたり、

はたまた個人開発の音楽用のDSソフトなんかも出してるサークルもあったりして、周ってるだけでも結構面白いイベントだ。

最近KORGとかの企業も出展してたりする。

何せCDが売れない売れない騒いでいるこのご時勢に、1000を超えるサークルさんが手売りでCD売っている。

中には数百枚以上一日で売ってしまうところもあるらしい。割と音楽業界でも注目するイベントなんじゃないかと思う。

そんな感じで買う側の自分もたくさん買い込むわけなんだけれど、帰ってやることといったらエンコエンコエンコの連発でこれが非常にめんどくさいわけですよ。

CDの売れ行きが減ったのはこんな感じでメディア自体が使い捨てになったからじゃないかと思いながら毎回作業やってる。

これは何とかしたいなあと思っていたら、最近CDプレーヤーに直接SDカードとかにエンコードできる機能が付いたものがあるそうで。

「これなら帰宅中の電車エンコができる!」と買う気満々になってた。

けど落ち着いて考えると音質とか、後でタグけが必要とか、気になるところは多いので一長一短かもなあと。

電池持たないというレビューもあったし。同人だとCDDBないものも多いけどね。取り敢えず購入は見送りで。

で、ここからが本題。試聴の話です。

薄い本の試し読みだったらサークルスペースの前でぱらぱらめくってはい終わり、になるのだけれど、音楽CDだとそうはいかない。

わざわざ再生機とヘッドホンサークルの方に借りて、残念だったら聴いた後にごめんなさいしなきゃいけないつらさがある。汗っかきなので余計に、だ。

そこで便利なのが視聴コーナー。サークルさんのCDが置いてあってイベント時間内は自由に聴けるという大盤振る舞いのコーナー。

CDプレーヤー必要なので借りて入る場合は順番待ちの長蛇の列が。入るのに30分以上かかるらしい。

でもCDプレーヤー持参してればそのまま入れるので、自分はやっすいプレーヤーを持ち込んでいる。

正直便利すぎてそのまま聴いたサークルのところに行ってCD余計に買っちゃってお金がなくなるといううれしい悲鳴がある。

このコーナー、一応入場チェックはあるけどあとは参加者良心を信じます的なスタンスで、盗難の恐れがすごくあるんだけど、

そういう話は聞いた事がない。ほんとすごい。参加者モラルがすごく高いんだと思う。

で、先ほどの録音つきプレーヤーの話。

ぶっちゃけて言えば、これがあれば試聴しながら音源持ち帰れそうだなあと。

チェックする側も見た目にはCD聴いてるだけにしか見えないだろうし、判別は無理なんじゃないかなって。

いや自分はやる気ありませんが。

まあ、そういう目的の人が増えてもそういう人はもともとCD買わないような層だろうし、

そういう人が気に入って次の新作を買いに来ればそれは宣伝の一種だし、

この際にCDプレーヤー買った人が増えれば貸しCDプレーヤーを待つ列も減るし、何よりモノとしての実害も無いので、

この程度は黙認でもいいんじゃないのかなあというのが自分意見です。

このコーナーがあるからM3来てるようなものなので、出来れば無くならないで欲しいです。

M3スタッフはどう考えるのかな?

2012-11-27

なんかももクロについて書きたくなったので書く。

ももいろクローバーZ2008年に結成、2010年メジャーデビュー2011年改名(メンバー数-1)し、2012年紅白出場が決まった。テレビで見る機会も増えてきてるし、AKBの次に人気のあるアイドルグループだと言っても過言ではないと思う。一言で言うと「絶好調」みたいな感じ。

 

 

 

ももクロの魅力を一言で語るのは(少なくとも私には)不可能だが、彼女たちがAKBを含めた他のアイドルグループとは異なるファン層を獲得している要因のひとつとして「全力」という単語が使われる。裏表のない純粋女の子が、一般的なアイドルとは異なるパフォーマンスを、拙いながらも全力で、楽しそうに披露する。舞台の裏では悩み、苦しみ、罵倒(叱責)されながら、それでもステージの上では笑顔で歌い、踊り続ける。そのライブパフォーマンスにファンは笑顔にさせられ、後に涙させられる。

 

 

 

ももクロのファンの中には「アイドルに興味を持ったことのないおっさん」が多いと言われる。それは、舞台裏での彼女たちの苦悩に対する共感と、舞台上での笑顔で全力のパフォーマンスに対する賞賛と敬意が理由ではないかと思う。もちろん、ももクロメンバー5人はとても魅力的な女の子なので、疑似恋愛をしているファンも多い。ただ、疑似恋愛で応援しているファンの割合は、他のアイドルよりずっと低いと思う。(余談だが、ももクロほどではないにせよ、AKBも疑似恋愛率は"比較的"低いと思う。)

 

 

 

ここまでがももクロの簡単な紹介。興味があったらyoutubeニコ動動画を探してみてほしい。探すのが面倒な人は下記の動画を見るよろし。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm18544650

http://www.nicovideo.jp/watch/sm19244729

で、ここから紅白以降の話。

 

 

 

好調ももクロだがファンの入れ替えは着々と進行している。よく「他界」と表現されるが、ファンを辞める人が続出している。具体的な理由やきっかけは様々だが「自分の好きだったももクロが変わってしまったこと」に耐えられないというところに集約できると思う。変化は避けるべきものではないし、避けられるものでもない。そして、変化した対象から離れていくことは自然なことである。だから他界したファンのこともももクロのことも責めるつもりはない。ただ、「私がももクロの変化に耐えられなくなったときにどうするだろうか」については考えずにいられない。

 

 

 

私にとって一番恐ろしい変化は、彼女たちが「こなす」ようになることだ。圧倒的に多忙な中、「一定クオリティを保ちつつ」「スケジュールを消化する」のは社会人として必須スキルだと思う。それは成長であって、好ましい変化に違いない。ただ、私が彼女たちに感じている魅力のいくらかは消え去ってしまう。こなせるようにならなければももクロは生きていけない、ただ、こなされてしまうとファンとしての私は生きていけない(笑) 実は、11月23日にその恐怖を味わっている。私は参戦できなかったが、23日にももクロが参加したイベント(ぴあフェス)で、多くのファンが「ももクロライブをこなしている」と感じたらしい。その日は念願のミュージックステーション生放送が控えており、目の前のライブに集中できなかったのかもしれない。ただ、「こなす」ライブを多くの人が目撃し、仕方ないと思いつつも強く落胆していたのは事実だ。彼女たちが多忙になればなるほど、この変化の実現が現実味を帯びてくる。

 

 

 

また、彼女たちの精神的な変化も恐ろしい。来年以降は彼女たちの無邪気さゆえの言動は、調子に乗ってる(所謂天狗)ゆえの言動と見なされるかもしれない。それにより批判され、萎縮し、無邪気さが失われてしまうかもしれない。というか、普通に天狗状態になる可能性も大いにある。十代の女の子が周りにちやほやされて天狗になるなんて当たり前のことだ。また、恋人ができるかもしれない。いや、恋人自体は今もいるかもしれないし、それ自体はいいことだ。ただ、恋人がいることをすっぱ抜かれて、野次馬や疑似恋愛していたファンからの強烈な批判に晒されて、精神的な変化が訪れるかもしれない。あぁ恐ろしい、彼女たちが変わってしまうことが恐ろしい。

 

 

 

他界するファンを横目に、彼女たちが変わってしまったら嫌だなぁ、変わってしまったときに私はどういう態度を取るんだろう、そんなことをずっと考えていた。昨日まで、そんなことを考えていた。今はそんなことみじんも考えていない。

 

 

 

昨日、紅白出場決定→NHKでの会見→Ustream生放送ファンクラブ動画前山田氏の涙→ももクロANNという一連の流れを経て、尋常ならざる幸福感の中で芽生えた感情感謝だった。いや、感謝自体は今までもずっとしてきた。落ち込んだとき彼女たちのライブを見て救われたし、そうでないときも「自分も頑張らないと」とやる気をもらい続けてきた。そう、感謝自体はずっとしてきた。ただ、昨日は、これまでとは異質の感謝の念が芽生えた。うまく説明できないのが悔しい。うまく説明できないけれど、なぜかわからないけれど、「彼女たちが変わってしまっても、自分は応援し続けよう」と思った。たとえ最後の一人になったとしても、解散するその日まで一モノノフとして声援を送り続けようと思った。

 

 

 

特にオチはない。自分が思ったことをとりとめもなく書いただけ。冒頭に書いたとおり、書きたくなったから書いた。最後にもうひとつ、書きたいことを書いて締めたい。

 

 

 

紅白出場、本当におめでとう。そして、ありがとう

2012-08-09

あるバンドを好きになって、そしてアンビバレント感情を持つまで

神聖かまってちゃんというバンドを知ったのは、おそらく、二年ぐらい前だったと思う。インターネット徘徊していたとき、あるブログ神聖かまってちゃんというバンドを知ったのが最初だった。神聖かまってちゃんに対して最初に関心を持ったのは楽曲ではなく、ボーカルの子が配信していた路上での突飛なパフォーマンスだった。渋谷駅前で大声を上げて歌っている様子を配信している動画だったと思う。それをきっかけに神聖かまってちゃんというバンドに興味を持つようになった。「23歳の夏休み」という曲をYouTubeで聞いてみた。青春への鬱屈した感情ノイズにまみれたポップでキラキラしたメロディにのって流れてきて、僕はたちまちこのバンドの虜になってしまった。

神聖かまってちゃんを好きになったのは、曲が世の中を上手に渡っていけない人間目線で作られていたからだ。

「どうしようもないだろうね どうにもならないだろうね」(黒いたまご)

「男にも女にもなれやしない 僕だから 髪型生き方ロックしたい」(自分らしく)

僕は、全能感にあふれた前向きな歌や、「会いたい」を連呼する恋愛ソングを聞いても共感できなかった。僕は何をやってもうまくいかない無能人間で、抱きしめる相手もいないからだ。だからこそ、勝者のための音楽世界では救われない人間スポットライトを当てている神聖かまってちゃんを好きになった。

公式HPからダウンロード出来る曲は全てダウンロードし、ミニアルバムをすぐ買った。その後出たシングルも予約して発売日に買った。ミニアルバムシングルは正直あまりいい出来ではないと思ったけど、お布施ぐらいの感覚で買ったのでしょうがないと思いもっぱら公式HPからダウンロードできるデモ音源を聞いていた。

それから暫く毎日公式HPバンドがやっているニコニコ生放送をチェックするほど熱心に入れ込んでいた。毎日電車の中で聞いていた。神聖かまってちゃん名前インターネット音楽雑誌で見かける頻度がだんだんと高くなってきているように感じていた時、突然メジャーデビューが発表された。僕はバンドが変わってしまうのではないか不安になった。

変わってしまう前の姿を見ておきたいと思い、何度かライブに足を運んだ。グダグダ演奏MCも含め、ステージ上の彼らは輝いて見えた。僕が知っている神聖かまってちゃんの姿で安心した。観客がたくさんいて、人気あるんだ、と思ったのを覚えている。

時は流れ、メジャーデビューアルバム「つまんね」と「みんな死ね」が発売された。発売日に、今は亡き渋谷HMVで「つまんね」「みんな死ね」を聞いた。中途半端な出来だったミニアルバムシングルに比べ、スタジオアルバムとしてきちんと完成していて、驚いた。しかし、綺麗でまとまった音に、荒々しいノイズの混ざったデモ音源を聞いた時に感じた感情の高ぶりや共鳴を感じることはできなかった。なにか違うと思って結局CDを買わずに帰った。

断続的に曲が発表されるたびにチェックしていたが、曲調や歌詞はどんどん前向きなものへと変わっているように思え、自分との距離が広がっているように感じた。それから、あれほど好きだった神聖かまってちゃんの曲を聞くことが減っていった。

メジャー行くまでは良かったんだけどな……ヴィレッジヴァンガードを好むサブカル気取りが言ってそうなことを思うようになり、だんだんバンドに対する気持ちは薄れていった。そんなに好きではなくなった理由は、全く成長しない自分の、成功への嫉妬のかもしれない。バンドの方は今ではすっかり有名になってアルバムオリコンチャートインしたり有名なアーティストコラボしたりしているようだ。自分童貞のままなのに気づいたら友達童貞捨ててた、みたいな感じなのかな。

僕にとっての神聖かまってちゃんの一番の魅力は、後ろ向きな感情と前向きな感情絶妙バランスで混在している所だった。バンド作詞作曲を手がけているの子には幸せになってほしくなかった。感情ほとばしったような荒々しいサウンドで叫ぶどす黒い感情からにじみ出る、幸福への渇望感が好きだったのだ。成功し、幸福を手に入れてしまったら、生まれる音楽はそこら中に転がっている前向きな歌や恋愛ソングと一緒になってしまう。

今はこのバンドが好きなのか嫌いなのかよくわからなくなってしまった。昔ほどの熱意はないにしろ、昔良く聞いていた曲は今でもたまに聞く。この文章を書いて読み返しているうちに、一方的な思い入れがこじれているだけのように思えて気持ちが悪くなってきたので、このあたりで書くのをやめて、The SmithsのThis Charming Manを聞こう。

2012-05-30

ネット現実でのオタの境界線の落差がつらい

はにわかではあるが漫画好きで、そのものは隠してはいなかったんだけど、

周りとのギャップに引け目を感じてしまい、あまり人に趣味の話はできなかった。

高校までは公立の普通科だったのだが、理系大学に行くことになったため、

ついにネットのように趣味の話ができる友達ができるのかと内心楽しみにしていた。

 

実際にいってみると、確かにオタクはいっぱいいた。

一目でそれだと分かった。

だが、どうも話がなかなかうまく咬み合わない。

 

そもそも好みが合わなかったり、オレが知ってるような作品を相手は知らなかったり、

同じ作品は好きでも…なんか、よくわからないけどズレを感じる。

 

なんというか、ネットおまえらが「にわか乙wwww」といっているやつらのような人たちが、

現実だと、オタクメジャーになっている。

 

カラオケだとアニメの曲ばかり歌い、某人気作品のキーホルダーカバンにぶらさげ、携帯PCのの待ち受けは自分の嫁にして、

いつでもどこでも漫画アニメゲームの話をして、「オレオタクだからwwwデュフwww」とか言ってる。

自分勝手だとは思いつつも、なんでそんなに好きなのに、そんなこともしらないの?本当に好きなの?と言いたくなる。

逆に俺も漫画が好きだが、そんなに前面に押し出そうとは思わない。

なんでそんなことも知らないのに、オタクアピールして恥ずかしくないの?にわかアピールになってるよ?とも思う。

 

話がずれるが、俺はボカロはあまり知らないのだが、知人に結構売れているらしいボカロPがいる。

自称ボカロ厨さんに「その人有名らしいんだけど知ってる?」と何気なく聞いてみたら、

「…?誰それ。CD出したって言ってもインディーズじゃない?w自慢のつもりかもしれないけど、大したことない人だよw」

と言われた。

俺はボカロを知らない。

キャラが好きでPは知らないのが普通なのかもしれない。

曲の好みによって層が変わるのかもしれない。

知人はただのステマで周りが持ち上げているだけで、本当は人気がないのかもしれない。

 

ただ、知人はメジャーデビューはしている。

ボカロPってそんなにメジャーデビューの敷居低いの?

それともメジャーのものの敷居が低いの?

 

なんか、オタクであることをひけらかしている人ほど、こういうことが多い気がする。

俺なんて2chの小さいスレとかでは、ただのにわか漫画オタなのに、

現実では、オタアピールすごいひとほどこんなだから、相対的に俺がすごいオタなの?って思ってしまう。

 

なんなの?2chであった俺の知らない面白い漫画をいっぱい知っているおまえらは、一体どこにいるの?

2011-02-06

日本です(続き) メジャーデビュー契約成立の日

http://anond.hatelabo.jp/20110206173305

エリート 『契約成立だ。これからよろしく頼む。』

 

通訳デビュー決定だ』

 

バンドマン『イェァァァァァァァァァ』

 

エリート『ザワザワザワザ・・・ きゅ・・・急にどうしたんだね?わ・・・我々に何か?落ち度があったかね?そ・・・そんなに怒らずに・・・』

 

通訳『あ、お気になさらず、彼らの部族の歓喜の踊りです

 

エリート『ぶ・・・部族の・・・なら仕方がないな』

草案 日本人内の通訳 BECK映画を観ている最中

エリート 『統合的多角的に検討した結果、社内で君たちの後援をするべきじゃないか?という意見が多数派を占めたので、君たちに契約の意思があるかと契約条件について聞きに来た』

 

通訳メジャーデビューしね?』

 

バンドマン『マジっすか?』

 

エリート『彼らは、なんと言っているんだね?』

  

通訳『彼らは、自分たちの音楽性を追求するために、まだインディーズで力を蓄えたいと思っているが、自分たちに価値見出してくれたことには大変感謝したいので、前向きに検討する方向で協議を開始してグループを調整したい。と言っているようだ。』

 

エリート『了解した。これから詳細条件について協議を開始する方向で了解をもらったと社に戻って調整する。』

2011-01-07

http://anond.hatelabo.jp/20110107120752

自分意見が認められるのが嬉しかったり、自分が嫌いな意見を論破したり、

長文を書く練習だったり、ネット上で知名度を上げてメジャーデビュー狙ってたり、いろいろあるでしょ。

池上彰だって金のためにやってるわけじゃなくて、いやもちろん金もあるだろうけど、

世界存在するさまざまな問題を知ってもらいたいからやってるわけで。

でなきゃ取材のためにレギュラー番組降りるなんてしないよ。

「分かりやすい欲望が裏にないと落ち着かない」というのは歪んでいる。

2010-12-24

12月24日

フジファブリック志村正彦が亡くなって早1年。

ふと、彼について想うことを書き認めたくなってこうしてキーを叩いている。

1年前、彼の急逝の知らせはまさに青天の霹靂だった。

春にリリースされた「CHRONICLE」はとても良いアルバムで、年末になっても日常的にアルバムの曲を聴いていて、次のアルバムでの変化をわたしは楽しみにしていた。

そんな矢先の出来事だった。

家でひとり泣いた。

私は志村正彦と面識などもちろんない。

フジファブリック音楽は彼らがメジャーデビューしたころから聴いているけど、ライヴには一度も行ったことがない。

それほど熱心に雑誌インタビューなどを読んでもいない。

熱烈なファンかと問われると、実際そうではないかもしれない。

そんな私ではあるが、志村の死に泣いた。

フジファブは初期に春夏秋冬テーマした曲をリリースしている。

あんなもんを残されたらそれぞれの季節がくる度に嫌でも思い出す。

桜が咲けば「桜の季節を」、灼熱に揺らめく街角では「陽炎」を、金木犀の香りを鼻にすれば「赤黄色の金木犀」を、澄んだ冬の夜空には「銀河」を。

極めつけは命日が12月24日である。忘れられるわけがない。

今でも日常的にフジファブリック音楽を聴いている。

何度聴いても、志村の声はその瞬間のまま色あせることない。今、志村がいないことのほうが不自然なくらいに。

12月24日、世間がクリスマスで浮ついた気持ちになっているのを尻目に、私は志村の不在に胸を詰まらせている。

2010-12-03

マイナーだったアーティストをずっと応援してきたけどついにメジャーに行ってしまった。

それこそ動画再生数100から見てたのに今じゃ上げた瞬間に殿堂入りだもんな。

mp3くれとか言ってた頃が懐かしい

 

動画コメ信者アンチが大論争しているのを見るとなんだかとても遠い人になってしまったようだ。

ようだ、というか実際遠い人になってしまったんだけども。

昔数回ネット上で言葉を交わしたぐらいのこと、向こうは忘れているだろうな。

 

メジャーデビューおめでとうございます。

あのときmp3をありがとうございました

あなたCDショップに並んでいるのが不思議な気分です

どうかこれからも音楽を続けてください。

2010-10-14

音楽メガヒットが出ない一因に、若年人口減少によるタレント減少がある

J-POP市場で、なかなか「メガヒット」が出ない。

音楽配信の多様化とか、若年層の嗜好の多様化とか、いろいろ原因が取りざたされている。

で、「10代20代の人口自体が減っている(団塊ジュニア比半減)ので、

市場が縮小して当たり前」とされている。

人口が減っている」というのは、「市場が縮小する」ということなので、

その意味では正しいのだが、逆の面も見る必要がある。

つまり「消費者側も半減」しているが、同時に「生産者側、アーティスト側も半減している」のである。

いや、メジャーデビューしているアーティストの数は20年前と大差ないのだろうが、

能力あるアーティスト」の数は、半減しているはずである。

つまり、

「100万人に1人の音楽タレントの持ち主(20代30代)」の数は、

20年前だったら20人いたのが、今なら10人に減っている計算になる。

真のタレント数が縮小するので、メガヒットも縮小するのだ。

逆に言えば、「20年前だったらベスト200にしかならないB級タレント」でも、

今ならタレント数半減で「ベスト100に入れちゃう」のである。

今から20年前といえば「イカ天」とかのバンドボームが始まり、

90年代のJ-POPに繋がるのだが、これは「団塊ジュニア層が20代になった」ので、

タレント供給がうまくいった」からなしえたことなのだ。

同様のことは、他の才能世界でもありそうだ。

例えば、大相撲

20年前に「若貴ブーム」が到来し、それなりに日本人力士も頑張ったが、

これは「団塊ジュニア層が力士になったので、タレント豊富」だったからだ。

世代が半減した結果、タレントが不足してしまって、空いた枠に外国人力士が入り込んでいるのである。

ということは、例えば「東大」とかの入学者レベルも、

20年前と比べればレベルダウンしてしまう、ということか? 

2010-10-08

http://anond.hatelabo.jp/20101006180625

プロになってしまったがゆえに、すでに価値を認められたアマチュアとの差に葛藤するってことか?

例えば、音楽でしか食べていけないとおもってメジャーデビューにまで辿り着けたけど、CDライブチケットもそんなに売れない。

まわりを見渡すと普段はリーマンしてるけど、ニコ動オリジナル曲を発表した人が、JOYSOUNDでトップチャートにいてカラオケ配信でチャリチャリン儲けてる。

プロの俺より、地域ゴスペルサークルのほうが出演依頼もおおい。

会社勤めで最低限の給料を確保しつつ、趣味音楽の二束のわらじの人達に、(本業である音楽関連収入でも、需要意味でも)勝てないプロってなんだ?みたいな感情かしら。

プロっていう職業選択の上での覚悟と、価値を認められたこととは別のことだからねぇ。

こういう葛藤を若い人達は予見してメジャーに進むかどうかをためらうという葛藤をもつってことか。

2010-10-06

http://anond.hatelabo.jp/20101006185017

けど古今東西バンド始めた(=楽器に触った)理由の筆頭って”女の子モテたかったから”じゃん。

そういう不埒な理由じゃ良い音楽作れない!ってのは本末転倒だよ。

アーティストの中身や、考えなんて、正直どうでもいいんだよ。作品の質には関係ない。

音楽さえ作れればお金は要りません、って人が

お金の為に音楽やってますが何か、って人よりも”良い物”を作れるなんて言うのは

所詮精神論・根性論で”良い物”を選り分けているだけで全然良い物でもなんでもない。

無償でのネット配信が、メジャー化や金儲けを目的としたアーティスト以外の作品を

受け手に対して楽に配信するようになるのは喜ばしいし、

そうした作品のレベルが本当に高いのなら、プロプロなりの質を求められていくだろ。

そもそも、ネット主体の活動で儲けよう!儲けれる!って考えが、現実を見ているのかすらあやしいんだけどな。

そうした儲けれる人たちと、メジャーデビューしている”目立ちたがり””お金儲けたい”人とどう違いがあるっての?

プロデュースセールス自分自身でプロ同様に、それ以上にできるってんなら、

君の論理で言うと、最も良い音楽なんざ作れないつまんない輩なんじゃないのか?

そして、ニコ厨なんて、そうした輩の代表じゃないのか?

http://anond.hatelabo.jp/20101006102556

ごめん、よくわからん

何を葛藤するの?

自分音楽が”受けない・売れない”=”食っていけない”=プロとしてやってけない

っていうのは、別に今に始まったことじゃないんじゃ?

元記事って、

「受ける音楽メジャーデビューしなくても良くなっていく」って話だから

そういう人たちは音楽で食って生きたい層じゃないし

何をもって「まとも」というのかもよく分かんないよな。

懐古厨とか言わないから、昔はこんなまともな人たちがメジャーデビューして憂いない時代だったんだ!って具体例を挙げて欲しい。

とりあえず尾崎豊がそれに属しない事は分かったので。

2010-05-13

感性絶望衝動

江藤拓議員の質疑で泣いた。

ノーム・チョムスキーの本読んで怒った。

ゼブラーマン漫画で泣いた。

ホーリーランド読んで泣いた。

芥川の歯車読んで震えた。

最近馬鹿みたいに涙もろくなっている。

わけがわからないんだ。感性って奴なの?

どこの世界にだって真剣人間はいて、そいつらは誰だってなんだって素晴らしいんだ。

だけどどうしてだろう?曖昧でいい加減な態度を取ってしまうんだ。みんな。

象徴的なのは口蹄疫災害の質疑での赤松大臣対応だ。

江藤議員はそれに対して「あなたは最高責任者でしょう??!!

   何ニヤニヤしてるんですか!」 と言う。

別に俺は政治に興味があるわけじゃない。一番好きなのは文学だ。

そして政治に関しては、俺が与えられる影響なんてカスみたいだからって理由で

ロクに考えようとは思わない。投票に行くなんて時間無駄だと考えている。

俺は小説を書いていたいんだ。小説について考えていたいんだ。

江藤議員のこの言葉は象徴的なんだ。これと同じ状況は、音楽にも文学にも漫画にもある。

大学にも高校にも。

そしておそらくは、学問世界にも。

真剣であることが軽蔑される状況はどこにだってある。

神聖かまってちゃんヴォーカル「の子」は2chで荒らしをしていたんだけど、

彼は真剣だった。その真剣さが、荒らし解釈されたわけだ。

でもそれっておかしくない?

彼の主張はシンプルで、2chのバンド板でなんでみんな女の話や、バンドメンバー愚痴

そういうことしか言わないの?みんな音楽が好きなら曲をみんなに聴いてもらって、

批評してもらって、そうやっていい曲を作ろうよ、

音楽で周りを変えようよ、ってことだ。

だけどの子がメジャーデビューしても2chの現状は変わらなかった。

もともと彼が建てたスレッドにいる奴らは、俺が育てたんだなあとか言って感慨にふけってる。

でもそれって何か違うよね?あんたは何にもしてないよって言いたくなるよね?

の子はそれでもかなり上手くやった方だ。彼自身が新しいやり方で成功したからだ。

だけどそれでも周りを変えることはできなかった。

もっと上手いやり方が必要なんだろう、きっと。

で、その上手いやり方ってなんなんだろうね、って話だ。

面白い話をすることはそうだ。上手いジョークもそう。

でも芸術使った方が影響力は大きい。音楽とか、小説とか、漫画とか。

だけど気になることが一つ。

洗練されちゃったら、メッセージだって、伝えたいことだって、鈍い奴には届かないんじゃないの?

の子が2chで荒らしと認定されたのは、彼の文章がむき出しで、

今までのやり方でいいと思ってる老人みたいな奴らの神経を逆なでしたからだ。

村上春樹小説がめちゃくちゃ売れるのは、面白いストーリーと、真剣考察があるからだ。

そしてそれはどっちか一つだけでも楽しめるんだ。

だけど村上春樹小説は老人みたいな奴らの何かを変えた?

どちらもかなり上手くやっているんだが、最高に上手くやったとはいえない。

鈍い奴が気づく程度に露骨で、鈍い奴が嫌悪しない程度にポップな文章。

そんなのが書ければ理想

それで鈍い奴がいなくなればきっと世界も変わる。

そんな楽観主義。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm10686926

口蹄疫についての質疑応答。思考のネタ元。

2010-04-25

ゆずの「夏色」にみる欺瞞

ゆずの代表曲の一つに「夏色」がある。

そしてその曲の有名なサビの部分はこうだ。

この長い長い下り坂を

君を自転車の後ろにのせて

ブレーキ一杯握りしめて

ゆっくりゆっくり下ってく

そもそも自転車の二人乗り自体、道路交通法第57条第2項、さらにゆず横浜出身なので神奈川県道路交通法施行細則第9条の該当規定により、2万円以下の罰金又は科料が課せられる立派な犯罪行為なのだが、まー警察の必死の抵抗むなしく(嘘)ヒット曲なっちゃったわけだし今回そこは大目に見てしまおう。

しかしサビの部分をもう一度確認していただきたい。

どこかおかしくないか?

サビのシーンをひとつひとつイメージしながら確認してみよう。

長い長い下り坂、自転車の後ろに「君」をのせ進む。

そこでブレーキをいっぱい握り締める。

そして自転車は長い坂道をゆっくりゆっくり下っ.......

ていくわけないじゃん!

坂道で、しかも人ひとり余分に積載した自転車ブレーキを思いっきり握り締めたら、急停車するに決まってるじゃん!

こりゃおかしくねー???

こんなありえない歌詞を堂々曲に、しかもジャンジャン流れるサビにしてしまったゆずもおかしいし、それを黙って受け入れる日本国民もおかしいぞ!

しかし俺の知る限り、このことを指摘した人をまだ知らない。こんなに大ヒットした曲なのに、そしてかなりの国民自転車坂道を駆け下りた経験をもつであろう自転車大国日本であるにも関わらずだ。

もしかしてこの痛恨のミスは「J-POP界のタブー」で、これを指摘した人間はひとり残らず「粛清」されているから、そしてその指摘は完膚なきまでに検閲」されているから世の中に流通していないだけかもしれない。

だとしたら俺も危ないのかもしれない。今この日記をかいている瞬間も、ゆず直属のスナイパーが俺の命を狙っているのかもしれない。

しかしやはり俺はこんな物理的にありえない歌詞を看過しておくわけにはいかない。俺が指摘してやらなければ、だれがする。そのためにとられる命であるならば、一遍の悔いもない。

さてそもそもなぜゆずはこんな歌詞を書いてしまったのか?その原因をさぐってみたい。

(1)単に表現の仕方をあやまった説

マジメに考察するなら、この説がもっとも有力だろう。つまり本当は「ブレーキを適度に握りしめながら」と歌いたかったところを、PVに見られるような「溢れだす若さ」が災いして勢い余って「いっぱい握りしめて」なんてやってしまったのかもしれない。

(2)実はゆずの歌詞はすべて妄想である説

実はゆずの二人は好きな人自転車の後ろに乗せて坂道を駆け下りるなんて、もう教科書レベルに模範的な「まぶしすぎる青春の構図」を体現したことなどなく、それどころか女子に相手にすらされない、悶々とした青春時代をおくってきたのではないか。それゆえ歌詞を全て「妄想」でこしらえたために、リアリティーが極端に欠如したこの歌詞が生み出されてしまったのではないか。しかもこの曲は彼らの「メジャーデビュー曲」である。根暗なやつが何らかの「デビュー」(その多くはいわゆる「大学デビュー」というやつである)を機にリア充をきどろうとして痛々しい結果になるのは、毎年この時期全国各地で見られる恒例のシーンである。つまりこの歌詞は、非リアの非モテリア充をきどってかえって痛々しくなってしまった一つの例に過ぎないという説だ。

(3)ゆずの所有する自転車が整備不良である説

もしゆずが本当に長い長い下り坂をブレーキ一杯握りしめて「ゆっくりゆっくり」下っていった経験があるとしよう。全くきかないブレーキ自転車で長い下り坂を下ったら間違いなく猛スピードになるだろうから、ある程度ブレーキは効いていたのかもしれない。しかし人間二人(推定100キロ)を積載した上、ブレーキをいっぱい握りしめても停止しないということは、やはりその自転車は完全に整備不良である。

そもそも長い長い下り坂の後半にはそれなりのスピードに達していると思われるが、この自転車は止まることが出来るのか?もし坂道の途中でクルマが飛び出してきたらもう轢かれるしかないし、止まることがマトモに出来ない自転車で二人乗りなんかしてたら確実に事故る、もしくは誰かを轢いてしまって殺してしまったり重大な障害を負わせる結果となるだろう。そしたら最悪死ぬか、重傷を負うか、あるいは交通刑務所行きのあげく多額の損害賠償請求を受けるだろう。死んでしまったら「ゆず」は下界ではデビュー出来ないし、仮に重傷を負ってしまったり刑務所行になったならそんな悲惨な経験をあんな楽しげに歌うはずがない。よってこの説の可能性は非常に薄いだろう。

個人的には(1)の説を信じたい。言い間違いか、ただの語呂の問題だったのかもしれない。しかし(3)はともかく(2)の説もまたやはり濃厚だ。デビュー曲の、よりによってサビの大事な部分がそんな痛々しい「非リアの似非リア充アピール」だったなんて、今や紅白出演アーティストであり、北川悠仁に至っては「月9俳優」でもある彼らにとっては「不都合な真実」だろう。そしたらやはり、俺は「ゲシュタポゆず」によって粛清されてしまうのかもしれない。

でもやっぱりこのことを伝えずにはいられなかった。もし俺がゆずに消されてしまっても、俺が残した「ゆずの夏色のサビってヘンだよねー」という指摘が消えずに読者のみなさまに残っていくのであれば、筆者として望外の喜びである。

2010-03-02

http://anond.hatelabo.jp/20100302171951

俺も同じくらいの歳でバンドやってるが、メンバーに俺より年上でフリーターいるなぁ。

俺は正社員

まー、今の時代正社員でも安泰ではないけどさ。

それでも

「このバンド駄目だったらどうすんだろう」

とは思う。

やってるバイトバイトで、一般企業で使えそうなスキルはないようだしなぁ。

うちのバンドフリーターの場合は、この時代に「メジャーデビュー」とかそういうバブリーな言葉が出てくるのがやばいと思うね。

それで曲がセンスいいとか、天才的というなら別だが、そうではないしな…

2009-08-21

天才が死んだ

天才が死んだ。彼女とは高校部活で出逢った。自分という可能性に自惚れやすい時期だったにもかかわらず、自信という自信を木っ端微塵に打ち砕かれた。圧倒的なまでの天才。その天才が死んだ。自殺だった。

次の休日。同じ部活だった後輩に会いにいった。もう何年も会ってなかった。後輩は天才と同じ道に進んだが、持っているモノが違いすぎた。歌手としてデビューするもパっとせず、今は秋葉原路上パフォーマンスをしているらしい。駅をでるといくつもの人だかりができていた。大きなかたまりから探していくと見つけることができた。7番目だった。体に密着したエナメル衣装は申し訳程度に体を隠すだけで水着と遜色のないくらいに肌が露出していた。不自然に高い甘えた歌声は観客には届いてないようだった。ぴろりん。ぴろりん。観客たちは忙しそうに彼女スカートの中身を携帯メモリーに入れていた。

前日の夜、友人に電話をした。彼女天才に打ちひしがれたひとりだった。あるとき彼女徹夜して書いたスコアを持ってきたことがあった。小学校の時、ベースに目覚めて以来、毎日練習を欠かしたことのなかった彼女は上手だった。少なくとも同じ世代の中では間違いなく上位だった。でも上手なだけだった。恥ずかしそうに彼女演奏を終えると部活のみんなは聞き惚れていた。いい曲だった。だが天才が、ここはこうした方がいいんじゃない即興で直すと、はるかにいい曲になり、全体を直し終える頃には、震えるくらいの曲にまでなった。これは暇つぶしに作った曲だから。耐えられなくなった彼女はそういって徹夜で作ってきたスコアを破いた。

電話に出た彼女天才の死を知っていた。運良くメジャーデビューできたけどやっぱり彼女にはムリだった。出す曲はワンパターンだし、ピークは3年前。そんなことを言う彼女に今なにをしてるのか尋ねると詩や曲を作っていてるらしい。「それよりも今」興味のない話を打ち切るように彼女は言った。「学園祭映像を見ているんだけど、懐かしいなー、みんな若くてカワイイし、このときは良かったよなあ」それは彼女ヴォーカルで、天才がバックをやってた時の映像だった。彼女は何年も前からそんな調子だった。

後輩のパフォーマンスが終わり後片付けをしていたところに声をかけた。思いの外、彼女の驚きは少なかった。先輩、お久しぶりです。そう挨拶され近くのファミレスに行くことになった。世間話から会話をはじめたものの、それもすぐに尽き、話題はやはり天才のこととなった。本当に残念です、と俯く彼女は、友人とは違い、心から悼んでいるようだった。天才と同じ道に進むくらい、誰よりも憧れていた彼女

「ねえ」尋ねるべきではないかと思っていたものの聞かずにはいられなかった。「なんでそんなことしてるの?」

「ああ」過去を思い出したのか彼女は苦笑いして答えた。「わたしこういうの否定してましたもんね」

そう。彼女は誰よりも、今の彼女がしているようなものを否定していた。

「耳にタコができるほど聞かされたからね。あんなの音楽じゃない。恥知らずで信じられない。って」

「あはは。そんなことも言ってましたね」

「じゃあ――」

「先輩。やっぱりわたしには才能がありませんでした。部活の時からわかっていましたけど、実際にプロ世界仕事をして、もしかしたら、なんて淡い期待も消え去りました」そう言うと彼女の瞳がまっすぐにこちらを向けられた。「でもね、先輩。やっぱりやめられないんです。わたし。それでも音楽がやりたいんです。続けたいんです。だから音楽ができるなら、たとえそれがむかし軽蔑してたようなことでも、頑張ってやらさせてもらってるんです」

「まあ、できればやっぱり、多くの人に聞いてもらいたいんですけどね」照れ隠しに笑う彼女に対して私は曖昧な返事しかできなかった。

頭がぐるぐるしていた。家に着くとベッドに倒れ込んですぐに眠った。とにかく眠りたかった。けど夜中の2時に目が覚めた。冷蔵庫ミネラルウォーターを取りに行きソファーに座るとDVDラックが目につき、学祭DVDプレイヤーに入れてみた。流れる映像。あたしたち。音楽。また頭がぐるぐるしてきた。でも眠った。明日は仕事だった。

2009-06-29

Ⅱ、物語の面白さについて (須江岳史)

http://anond.hatelabo.jp/20090629223650の続き

Ⅱ、物語の面白さについて

1、はじまり

 小説とは、物語を読者に伝えるために文字で書かれた文章だ。書き手が小説を書く動機はおそらく大きく分けて四種類あるだろう。物語の面白さを伝えたいという動機、物語という糖衣に包んで何らかのテーマを伝えたいという動機、物語を伝えるための表現方法の工夫を見てもらいたいという動機、小説を書くことによりカネや名誉を得たいという動機だ。テーマを伝えるためにはそれを包むための物語が必要だし、表現方法を見せるためにも、表現される物語が必要になる。そして、面白い物語でなければカネや名誉を得ることは出来ない。

 物語そのものの作り方については、特に語る必要はないだろう。これを読んでいる方の大多数は日本で生まれ育ち、テレビという媒体によって物語構造経験的に知っているはずだ。

 物語にはどのような面白さがあるかについて見ていこう。

2、生理的なものに関する面白さ 


以下の広告文を見て欲しい。これらはダ・ヴィンチ2006年5月号から採取した。

削除

これらの広告文から想像できる物語は、結構面白そうだと思えないだろうか。少なくとも、本屋でこういった文面が目に飛び込んできたら、手に取りたくはならないだろうか。むしろ、そういう小説が面白いからこそ、こういう広告文をライタ―は考えるのだ。「暴力や性などのように、人間生理的なものに根ざしているものが面白いのだ」、とキンチュという学者も1980年に言ったらしい。生理的なものに根ざしているということは、きっと「すごくトイレに行きたい!」というような話も面白い部類にはいるのだろう。それを確かめるためにもとの文献に当たろうと思った。Poeticsという雑誌の9号にその論文が載っているらしいのだが、しょっぱい図書館には7号までしか置いていなかった。だから上の括弧内の言葉は、孫引きだ。本当はやっちゃいけない。

生死や性と言うとハリウッド映画のようなバタバタと煩い小説が思い浮かぶかもしれないが、静かな小説だってこの面白さを持つ。重松清の『舞姫通信』はアクションシ―ンなんて全くない静かな小説だけれども、主人公の周りでは自殺がたくさん起こる。市川拓司作品群だって恋愛ヒロインの死が物語の主軸となっている。

3、不安の解消による面白さ 


 物語は大体、始まりに主人公にとって悪いことがあって、それが改善されることで終わる。内田の言う〈欠損―補充〉の物語構造といっても良い。こういった〈欠損―補充〉の構造を持った物語は、主人公の感情を推測しやすかったり後々に読者が内容を思い出しやすかったりするらしい。これについてはいろんな人がいろんなことを言ってる。「物語葛藤から生まれる」、「物語は欠如から生まれる」、「物語は主人公の目的意識から生まれる」等々。だからこれ以上、このことについては触れない。

4、どんでん返し


どんでん返しと言ったら、『……だと思いこんでいたにもかかわらず、実は……だったぁ!!』という、物語クライマックスで頻発する奇怪な現象だ。歴史は古く、2300年以上も前に、アリストテレースがこれについてゴチャゴチャ言ってる。

基本的には、『主人公は目的達成に関わるものが或るものだと仮定して行動する。その仮定が正しくなかったことを知るや否や、知る前にとった行動が本来の意味とは別の意味を持ってしまう』というものだ。そうじゃないのも沢山あるけど。

 作り方は簡単。

ⅰ)主人公はaという存在(人でも物でも良い)を求めている。

ⅱ)aと共通項を持つαを発見し、αに対して何らかのアプロ―チを取る。

ⅲ)αは、あたかもaであるかのような反応を示す。

ⅳ)何らかの要因(約束を守るとか破るとか色々)によってαがaでないことに気づく。

ⅴ)それまでの主人公の行動が本来の意味とは別の意味を持ってしまう。


 ⅰからⅴのaとかαに好きな言葉を入れれば、即席でどんでん返しを作ることが出来る。

 市川拓司の『いま、会いにゆきます』を例にとってみよう。

ⅰ)主人公の巧は、死後の世界からもどって来る妻、澪を待っている。

ⅱ)ある日、工場跡で、巧は記憶を失った澪を見つける。彼女過去の思い出を話したり彼女と愛しあったりする。

ⅲ)澪は、生前の彼女がそうであったように巧のことを愛してくれる。

ⅳ)澪が再び消えた後、彼女が残した手紙によって、巧は澪が蘇ったのではなく過去からタイムスリップしてきたのだと知る。

ⅴ)それによって二人が愛しあったことの意味合いが少々変わってくる。


 一見とても複雑で、私のような凡夫には到底思いつくことが出来ない、と思われる人もいるかもしれないが、そんなことはない。「実はタイムスリップだった」というところを思考の出発点にして、「戻ってきたと思ったら、実はタイムスリップだった」、「妻が戻ってきたと思ったら、実はタイムスリップだった」、「死んだ妻が戻ってきたと思ったら、実はタイムスリップだった」とアイディアを広げていき、そしてそのアイディアを盛り込むのに相応しい物語の全体像を考えてやれば良い。

5、ズレ 


 読者の持っている常識または読者の予想からズレのある状況を描くことで、読者の気をひきつけることができる。シャンクの言う「スキ―マに一致する期待を破ったり逸脱する場合」の面白さになるのだろう。

期待を破るという点では、どんでん返しも同じである。どんでん返しはズレの中の一つと僕は考える。

 ズレは『……にもかかわらず……』の形で表される。『にもかかわらず』の前の言葉が、読者に或る事象や状況を想像させる。『にもかかわらず』の後の言葉が、想像した事象や状況とはズレた事象や状況を表す。

 いくつか例を挙げよう。

①、能力がないにもかかわらず、行為を行なう。

 例:武器を持っていないにもかかわらず、敵に挑む。

②、立場がふさわしくないにもかかわらず行為を行なう。

 例:医師免許を持っていないにもかかわらず、手術を行う。

③、不本意であるにもかかわらず、止むを得ない理由により或る行為を行なう。

 例:仲間を助けたいが、地球未来のために見殺しにする。

④、以前はpであったにもかかわらず、今はqである。

 例:以前は暴力団員であったにもかかわらず今は警官である。

⑤、本来はpのために存在するにもかかわらず、qとして利用する。

 例:ボブ・ディランの曲を流すラジカセをコインロッカ―の中に放置する。

 ①~③は人物の行動に関連したもの、④、⑤はものの存在に関連したものだ。飽くまで例を挙げただけで、全てのズレを網羅しているわけではない。

 ズレで注意しなければいけないのが、あまりにもズレが大きすぎると読者が小説についていけなくなったり、期待を裏切られた衝撃で読むことを止めてしまう危険があることである。読者がそのようなことを起こすことのないよう、ズレが起こる前にある程度読者にズレを予想をさせて、ズレを少なくしなければならない。

 ①・②のズレを少なくする方法の一つとして、それを行う登場人物に前もって「或る状況に陥ったとき、この行動をとる」と宣言させれば良い。そもそも我々が暮らしている現実世界においても、能力や立場が行動を実行に移す足かせになっても、動機さえあれば動き出すことがある。①・②のズレは、ズレが大きくなりすぎるようなことが少ない。

 ③のズレを無理なく(読者が拒絶することない程度に)作るには、或る目的を成し遂げるためには無理にでも何かをやらなければならない状況を主人公に与えればよいのではないだろうか。

 例えば、三谷幸喜監督の『有頂天ホテル』であれば、主人公が別れた妻に良い恰好をするために自分が受賞したわけでもない賞の受賞コメントをする。

 ④の場合は、状況が大きく変わるための理由付けをしてやれば良い。その最も簡単な方法は約束をすることである。状況が悪いほうに転じる場合には約束を破れば良いし、逆に好転する場合には、約束を守っていれば良い。

 ⑤について考える。例えば「aをbに~する」というようなズレのある状況を作りたい。そのときには、

ⅰ)aを元として含む集合Aもしくはbを元として含む集合Bを提示する。もしくは、aは集合Aに元として含まれることやbは集合Bに元として含まれることをこじつける。

ⅱ)「Aをbに~する」、「aをBに~する」、「AをBに~する」のいずれかを物語の中で提示する。但し、宣言された行為にはズレはない。

ⅰとⅱを任意の順番で行ったうえで「aをbに~する」というような行為を行えば自然ではないだろうか。

伊坂幸太郎の「アヒルと鴨のコインロッカ―」を例に採ろう。この小説では、終盤でドルジという登場人物がボブ・ディランの曲を流したままのラジカセをコインロッカ―の中に放置するという、常識的にあまり考えられない行動をする。しかしそれは「善いことも悪いことも、やったことは全部自分に戻ってくる」と言うドルジに対してドルジ恋人である琴美が「それならさ、神様には見て見ぬふりをしてもらえばいいって。緊急事態だから。神様にはどこか見えない場所に閉じこもってもらえばさ」と言い、また、別の場面ではドルジの友人の河崎がディランの歌について「あれが神様の声だ」と言ったからだ。

6、伏線とその回収

小説の序盤や中盤にあった状況や事象を小説の終盤に再び置くことで読者に一種知的発見をさせ、はっと驚かせる効果がある。これも、いくつか例を挙げよう。

⑥、約束―報い

 順境から逆境、または逆境から順境と言ったような状況の大きな変化に用いられる。報いが起こる以前に行われた約束を守っていた(破っていた)ことが原因となって、主人公の立場が大きく変わってしまう。

 例えば、綿谷りさの『インスト―ル』であれば、主人公はネット上の文字のやり取りでは「自分キャラクター化している傾向が強い」ような人は「しょっぱなからH会話をしたら憤慨してしまう」ため、そのような人とはそのような会話をしないように誓うが、結局そのような会話をしてしまい、会話の相手を憤慨させてしまい、窮地に立たされる。④のズレを作るのにも使うことが出来る。

⑦、状況→反応A―状況→反応B

 物語の序盤や中盤に立たされた状況に、物語の終盤で再び立たされる。序盤や中盤で採った行動と異なった行動を、終盤で採る。主人公の成長を表すのに使われる。

 例えば乙一の『しあわせは子猫のかたち』であれば、主人公は物語の序盤と終盤で同じ一人暮らしという状況に立たされるが、序盤では「陽の光は嫌いなのでカ―テンを閉め」たが、同居することになった雪村サキとのふれあいを通じて終盤では自発的に「カ―テンを開き、窓をあけて風を入れ」るようになる。④のズレを作るのに使うことが出来る。

⑧、意味づけ―再現

 ある現象・行為に対して意味づけをし、それが物語終盤で再現される。

 例えば伊坂幸太郎の『陽気なギャングが地球を回す』では、「人生を楽しんでいる人が寄っていくと赤ん坊が泣き止む」と、登場人物たちが冗談で言う。小説の最後で主人公達が銀行強盗に入ったとき、赤ん坊が泣き止む。⑤のタイプのズレを、⑧の伏線タイプに含むことが出来るだろう。

⑨、事象/状況―事象/状況

 物語序盤で現れた事象/状況が物語終盤でリフレインさせることにより、はっと驚かせる。

 伊坂幸太郎の『重力ピエロ』は、最初の行と最後の行が「春が二階から落ちてきた。」となっている。

 伏線は悲壮感の軽減するのとズレを少なくするために使える。

『しあわせは子猫のかたち』であれば主人公の成長により雪村サキが消えた悲壮感が軽減されるし、伊坂幸太郎の『アヒルと鴨のコインロッカー』であれば、ドルジが辛い過去を語った後でレッサーパンダ盗む子供たちが再び表れ、場面が明るい印象になる。

約束意味づけはそれ自体がズレのある状況の理由となるため、ズレた状況の蓋然性が増す。

7、仮想物語

 素晴らしい小説に出会えたとき、人はその後の展開を想像し、読み終わった後も空想の中でふわふわと浮かんでいるような感覚を味わえるものだ。もしかすると、逆をとって、そのような小説は素晴らしい小説だといえるんじゃないだろうか(『逆は必ずしも真ならず』ってのは知ってるけれども)。

想像というのは一般に、確定していないことを想像する場合と、すでに確定した状態についての反実仮想とがある。物語の中での前者の確定していないことを想像する場合は、未だ語られていないこと、たとえば登場人物の未来や知られざる過去などを想像する。後者のすでに確定した状態についての反実仮想は、過去において登場人物がとった行動をもしとらなければ物語がどう展開していたかを想像するというものである。

 物語における想像の主体は読者と登場人物である。読者が自発的に想像する場合と、登場人物がした想像を読者が受け取る場合とがある。

〈自発―未確定〉

〈自発―反実仮想〉

〈受容―未確定〉

〈受容―反実仮想〉

の四つに分けられる。本当は想像を提供するのは登場人物の他にも物語の語り手も含まれるのだが、語り手が読者に意見押し付けるような小説最近の主流ではないのでここでは無視する。

読者が自発的にが想像をするときには、ある程度の制約が必要である。たとえば舞台の上に割り箸が一膳転がっていても漠然としていて想像仕様がないが、舞台袖から現れたコメディアンがそれを拾い上げると、何か芸をするのだと想像ができる。読者が自発的に想像する場合は、制約を使う。物語世界を飛び出して現実世界想像を膨らませる場合もある。

 登場人物の想像を受け取る場合は、制約は必要ない。登場人物が発想したことを、読者が自分の考えとして取り入れたりありえないものとして棄却したりする。すでに読者にとっては確定した内容について、そうとは知らず登場人物が想像を巡らす場合もある。

⑩、〈自発―未確定〉

 このパターンの場合の制約は読者の持つ物語の鋳型である。読者の持っている物語の鋳型と今読んでいる小説の文から与えられた情報から、今後の展開を予想するのだ。想像によって複数の物語が出来上がってワクワクする。

 一般的に読者は、登場人物が道徳とか願望とか義務とか知識とかの欠損を埋めるという物語の鋳型を持つ。登場人物の悪事は罰せられ、道徳の範囲内で主人公の願望は叶えられるように物語は動き、願望を果たす範囲内で義務は遂行され、ミステリーの場合は犯人は誰であるかという知識の欠落が結末までに必ず解決されるものと予想する。

 読書経験によっても物語の鋳型は作られる。連作物の場合、最終回でないにもかかわらず最終的な目的成就されることは無いし、週刊少年ジャンプに載っている漫画の場合、恋愛成就するような展開はなかなかありえないだろうし、花とゆめで連載されている漫画の場合であれば逆に恋愛が絡まない話の方が難しいだろう。

 主人公に選択肢が与えられたときも、選択肢という制約によって想像が発生する。ただ、物語の鋳型によって実現の可能性がないものとみなされ、想像から棄却されるような選択肢はあまり有効ではない。だが、ありえないとみなされる選択肢は反実仮想としての面白さになるため、選択肢が全くないよりは実現の可能性の少ない選択肢でもあったほうが物語の面白さは高い。

⑪、〈自発―反実仮想〉

 過去において提示された選択肢について、もしあの選択肢を選んでいれば主人公は別の状況に立たされていたのに、という想像を読者は巡らす。面白さに及ぼす効果は⑬と似通っている。ただ⑬とは違い、登場人物がそれについて想像言及をしない場合である。

 O・ヘンリの『賢者の贈り物』を見てみよう。デラは髪の毛を売るか売らないかという選択に立たされる。夫が髪飾りを買ってくれるが、デラは髪を売ってしまったため、その髪飾りを使うことができない。過去における選択肢という制約により、髪の毛を切らなかった状況を読者は想像できるのだ。

⑫、〈受容―未確定〉

 登場人物が自分の計画・推測・願望を語り、それが実現するかしないかを読者が想像する。複数の人物が自分の計画・推測・願望を語る場合、それ選択肢の形になり、読者はそのうちの全部か一部を採択するか、どれも採択しないかを選ぶ。⑩の場合との違いは、⑩の場合は読者の能力によって想像の幅が決まるのに対して、⑫の場合であると登場人物の側から想像を提供することである。

 アレックスシアラーの『13ヵ月と13週と13日と満月の夜』の主人公は、友人のメレディスが祖母を虐待しているのではと想像し、読者はそれを信じたり信じなかったりする。

⑬、〈受容―反実仮想〉

 過去において提示された選択肢について、もしあの選択肢を選んでいれば登場人物は別の状況に立たされていたのに、という想像を作中の人物が巡らし、それが読者に採りいれられたり取り入れられなかったりする。

 東野圭吾の『手紙』はこの連続だ。主人公の兄が金を盗み取るという行動を採択したために、主人公はメジャーデビューするバンドボーカルになる機会や逆玉に乗るチャンスを失ってしまう。後々になって、そのことについて主人公の周りの登場人物がそのことについて言及し、現実にならなかった状況を想像する。

⑭、登場人物による誤った想像

 登場人物が事実とは異なる想像をすることで、事実想像のズレを生み出すことが出来る。

 森絵都永遠の出口』では、主人公の母親が主人公の振る舞いについて相談する手紙の内容が、主人公の思惑と全く噛み合わず、面白さを生む。

⑮、現実世界についての想像

 登場人物が死後の世界についてとか、この世の成り立ちとか、この世界が本当はどうなっているかとかについてを説明し、読者はそれが本当かどうかと空想をめぐらせる。死んだあと人間はア―カブイ星に行くとか、この世の最強の動物はクマであるとか、この世界は三年前に一人の少女によって作られたとかの、登場人物による様々なアイディアを、読者は採択したり棄却したり別のアイディアを考えたりして楽しむ。もし現実に、物語の中の状況に自分が立たされたらと想像する読者もいる。

⑩・⑫は先を予想する面白さ、⑪、⑬、⑭、⑮は今読んでいるペ―ジの面白さと言える。

⑩・⑫は、物語の展開によっては「……と予想していたにもかかわらず、本当は……という展開だった」というズレに使える。週刊少年ジャンプギャグマンガの登場人物には普通、まともな恋人ができるわけがない。ラブレターを渡されると思ったら茶封筒に入ったただの手紙だったり、恋人になった人が広末涼子に似たとても可愛らしい女性だと思ったら実際はマウンテンゴリラだったりするのがギャグマンガの常だ。そういった鋳型を破壊したとき、読者の予想を裏切った面白さが生まれる。

森絵都小説の会話が、まさに予想を裏切りによる面白さ(例えば、愛の告白をするのかと思ったら、突然晩御飯のメニューを訊いたりする)を持っていると思うのだが、それはまた別の話。

8、まとめ

 

 以上でまとめた面白さはそれぞれ完全に独立したものではなく、複数にタイプに跨って存在している。どんでん返しはズレの範疇に入るし、反実仮想や登場人物による誤った想像もまたズレに入れられる。不安の解消による面白さは、それが成し遂げられる以前(物語の序盤や中盤)では、解消されるという予想として存在する。だが本稿では、それぞれの面白さを二、三の大きな分類に還元することよりも、思考のツールとして使いやすい程度に細分化することを目指した。

 以上で述べてきた物語の面白さに関するツールが実際に役に立つかや他にどのようなツールがあるのかを検討するべきなのだろうが、あとは知らないです。ここまで読んだ人は、本当にとてつもなくえらい。えらすぎです。

 この書きなぐりの文章を鵜呑みにせずに、否定するべきところは否定して、無視するべきところは無視して(そうすると、この文章に書いたことは何も残らないかもしれない)、自分なりのスタイル確立してください。

ここに書かれていることは正しいことではなくて、僕が話を書く上で寄りかかっている杖に過ぎません。くじいた足を引きずりながら歩いていたら、運よく見つけた棒が、ここに書かれている方法です。それが、折れやすい棒なのか頑丈な棒なのかは、僕自身にもわかっていません。

 「阿呆なことを妄想している暇があるなら原稿千枚書いて来い若造」のような感想を抱く方もいると思います。それは当然のことで、文学者でもない、文学部でもない、当時ただの経済学科生が色々な本を読みながら、自分なりのスタイルを掴むために書いたものです(今現在自分は、これとは少し違う方法で話を書いています)。

 そのような感想を抱くということは、言語化できる根拠があるはずなので、是非、それを文字にしてみんなに見せてください。それが、必ず小説未来に繋がります。

2009-03-12

自分もどちらかといえばボカロ信者だったのだが

最近だんだんVOCALOIDから遠ざかるようになってきて、supercellデビューを境にすっかり嫌いになってしまった。

VOCALOIDを知らない一般人にも十分聴かせられるような歌唱力の作品メジャーデビューするなら大いに歓迎するけれど、あの歌声はロボっぽさが目立っててとても他の人には聴かせられないし。ニコニコ同人活動で盛り上がるだけならいいけど、あれを一般流通に乗せてほしくない。

もともと自分が好きだっただけに、「VOCALOID曲の最高峰でもこんなもんか」って思われるのがすごく嫌なんだよね。「ぼかりすレベルとは言わないけれど、もっと調教はしっかりして欲しかった。

お店の中や街中であのミクの声が聴こえてくるのがすごく嫌だ。

2009-03-11

http://anond.hatelabo.jp/20090311120124

似たようなことを、僕も思いました。

今の(J-POPな)音楽シーンが、

「正直どうでもいい」「(現代語的な意味で)『耳触り』良ければそれでいい」「歌詞で泣きそう(;_;)」

というのが、初音ミクのヒットの根っこにある気がします。

ふと、初音ミクの歌の中の人(≠初音ミク中の人)って、基本的にはシロートさんだよな?と思ったのが、

私の疑問のキッカケです。これまでの音楽業界でいえば、そこいらの街中やライブハウス自作の曲を

歌ってたり、インディーズ扱いでデモテを配ってた、プロ音楽家カテゴリーには入らないような人たちが、

初音ミクの歌の中の人)」・・・初音ミクプロデューサーと言い換えてもいいかも知れませんが・・・、

だと、思うのです。

で、そういう人たちが、これまでと変わらないDTMの延長に、初音ミクに歌を歌わせただけで、

なぜか「初音ミク」扱いでプロデビューできてしまった(楽曲提供できた)。それはなぜだろうか?

1つは、

誰が聴いても初音ミクの声だと解るから。

どこの輩か分からないインディーズ歌手とは違って、少なくとも「初音ミクブランドという

裏書きがついている。

そしてまた、「『初音ミク』という歌手を知っている」という共感を喚起させる。

だから、フツーのシロートインディーズとは違った受け入れ方ができた。

もう1つは、

店内とかで流れてる曲とかPVの曲とか聴いても、誰の歌かすら解らない。

正直どれもこれも同じように聴こえる。

どれもこれも同じように聞こえるような雑多な音楽の中では、正直、他の歌手と差異がない。

そうなると、どこに共感できるか?というのが受け手の判断基準になるし、ならざるを得ない。

すると、「共感できる(苦笑)歌詞」「バーチャル歌手(という不思議存在)」

シロートでもこんないい曲・歌詞を作れてメジャーデビューできてる(私もできるかも☆)」

という共感を持てる、初音ミクにも、食い込める余地がある。

僕が思ったのは、こんなところです。

あと、脱線しちゃうけど。。。

機械音がイヤだ」「練られていない音楽がイヤだ」という論調もあるけれど、

正直、大衆向けJ-POP音楽というカテゴリの中では、殆ど五十歩百歩だと思う。

(もちろん、真っ当な歌謡曲演歌歌手や、いわゆるクラシックの領域は別。)

誰とは言わないし好みの問題だけれど、某アイドルグループや、某エイベックスの歌姫みたく、

音程も当たってないしアンサンブルもできていない楽曲を聞かされるよりも、

まだ音程が当たっててリズムも正しく、平均律の中でアンサンブルできてるボカロイド楽曲の方が、

少なくとも僕は、「安心して」聞ける。

2009-03-06

supercellを聞いてるんだけど日本はオカシイ。

supercellを聞いてるんだけど、やっぱり日本はオカシイ国だな。

声優元ネタに「女の子が歌う」ソフト作って、

そのソフト使ってアマチュアが作った曲がネットで超有名になって、

挙げ句の果てにメジャーデビュー

オリコンデイリーだけど2位。

こんなの世界中で、日本以外でどこでありえるんだ?

いいぞ、日本もっとオカシクなれ!

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